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tealdice [shortland VIII-L11 half] tealdice ラクリマからサラへ第四の手紙 tealdice

親愛なるサラ、

 この手紙はきっと自分で届けることになるでしょう。帰ったときに口で伝えればいいことなのかもしれないと思いはするのですが、いろいろと忘れないうちに書き留めておきたくて筆をとっています。
 先日、私たちはとても不可思議な体験をしました。フィルシムに戻って教練場へ通うための資金作りに、迷宮を探査したその中での出来事です。迷宮はセロ村のヘルモークさんに紹介してもらったのでした。それはサーランド時代中期の魔術師が建てた工房跡ということでしたから、「迷宮」と言うには障りがあるかもしれません。
 工房を主宰していたのはダーネルというひとで、私たちはこのひとの亡霊に出会いました。彼は「自分にとって心残りなことがなんであるかを明らかにして欲しい」と、不思議な依頼をしてきました。ご自分では何が未練なのかわからないというのです。
 工房は地下に埋もれていて、入り口からずっと斜めに傾いていました。いくつかの部屋を見てみましたが、どの部屋でも家具や何かがすべて下側の壁に寄ってしまっていました。
 工房の部分は、ごく普通の様子でした。途中でドッペルゲンガーやシャドウに襲われたり、落とし穴が一カ所あったりしましたが、思っていたよりずっと罠や仕掛けが少なく---あとで思うに、工房の研究員たちがここで日常生活を営んでいたのですから当たり前だったのですが---それと同時にめぼしいものもなく、ダーネルさんの亡霊が望む情報も得られず、ただ房内の探索だけが淡々と進みました。
 でも、隠し扉の奥のスロープを滑り降りたあとは別でした。私たちは世にも奇妙な体験をしました。体験---というのはおかしいかもしれません。私たちは夢を見ました。それぞれが別々の人間になって、この工房で暮らす夢です。それからもうひとつ、この工房を襲撃に訪れた蛮族(と、当時は呼ばれていた人びと)の意識も体験しました。

 私は工房でオルフェアという女のひとだったようです。この工房が最後を迎えたときは、サラより少し年下くらいの年齢だったでしょう、私よりは年上でした。彼女は貴族の孤児で、最初は貴族用の孤児院で育ちました。
 サーランド時代といえば魔法の全盛期ですが、この中期にあっては、自力で魔法を使える魔術師は数少なくなっていました。オルフェアはこの「自力で魔法を使える」人間に属し、その他にも魔術に関しては他人より抜きんでたところがありました。たとえば、生まれながらにマジックマスタリーという魔術の奥義のようなものを会得していました。私もよくは知らないのですが、昔のサーランドの市民は全員がこの奥義を使えたそうです。ですがそれもこの中期には珍しいこととなっており、使えることがわかるとむしろ白眼視に近い扱いを受けたようです。
 それに、普通の魔術にしても効果が強く、ちょっと変でした。私にも、まだ大魔術師と呼ばれる水準に達していないのに、彼女がマジックミサイルを一度に5本も飛ばしていた覚えがあります。
 魔法第一主義のサーランドで、それはいいことのように思えますが、実際は逆で(おそらく初期だったら問題なかったのでしょう)、うまく隠すすべを知らなかった小さいころは、それは他人から気味悪がられました。以来、彼女はひとと話すのが苦手になったようでした。それでも8歳のころに優しいひとに引き取られ、それから十数年は穏やかに、幸せに暮らしていました。
 けれども、彼女が20歳のときだったでしょうか、家が焼き討ちにあって、養ってくれたお父さんも仲の良かった世話係もみんな死んでしまいました。焼き討ちを指図したのは親戚の、本家筋にあたるモロカーゼという家だともっぱらの噂でした。モロカーゼの家では奴隷に関わる不始末があり、その罪をオルフェアの養父に着せることで体面を保とうとした……確かそんな話でした。
 オルフェアは何もかも失ってしまい、また孤児院に身を寄せました。そんな彼女の前に現れたのが、工房の主宰者であるダーネルだったのです。ダーネルはオルフェアを工房の研究員として迎えたいと申し入れ、他に身を寄せるあてもなかったオルフェアはそれを受けたのでした。

 工房ではいろいろありました。仇であるモロカーゼの人間が新入りとしてやってきて、しかもオルフェアにさんざんまとわりつくので、彼女は一時期はノイローゼに近い状態でした。その彼を---アルフレッドソンといいますが、長いのでフレッドと呼びます---つまりフレッドを見るたびに、心臓に茨が生じてそこらじゅうに棘が突き刺さるような痛みと、自分も死んでしまいたいと思うような熱い何かとを感じるのです。あとから思うとよく気が狂わなかったと息をつきたくなるくらい、激しい嫌悪を感じていたのですが、それもうまく口に出せずに半年くらいが過ぎました。
 フレッドはフレッドで、オルフェアにほとんど無視されていたにもかかわらず、彼女のどこが気に入ったのか、何くれとなくつきまとい続けていました。いくら冷たくしても離れていかないフレッドに、とうとうオルフェアも音を上げて、一度は工房を出たいとダーネルに申し出たくらいでした。ダーネルは出ることを許可せず、代わりに親睦を深めるためにピクニックに行くよう言い渡しました。
 結果として、そのピクニックの最中に、オルフェアはフレッドと仲直りして---この表現もおかしいですね、オルフェアだけが一方的にフレッドを嫌っていたのですから---とにかくも彼を毛嫌いするのはやめたのでした。
 その後もいろいろあったのですが(もう細かすぎて私には思い出せません)、なんだかフレッドに蜥蜴をもらったついでに押し切られて結婚することになり、所内で結婚式を挙げてもらったり、数日、新婚の記念に旅行に出してもらったりしていました。そう、その結婚式のときには、所員になっていたジルウィンとダルフェリルというカップルの結婚式も合同で挙げました。
 ジルウィンは鷹族でダルフェリルはコロシアムから脱走してきた剣奴でした。工房内にはこの他に、ダーネル所長の腹心としてリズィという僧侶がおり、また、ロルジャーカーという蛮族出身の下働きがいました。今言った4人の所員が、それぞれGさん、セリフィアさん、ヴァイオラさん、ロッツさんとリンクしていたようです。あ、フレッドはカインさんがリンクしていたみたいです。だからきっと、オルフェアは、本当なら私じゃなくてジェラルディンさんがリンクするはずだったのでしょう。
 ともあれ、わりと平穏に過ごしていた工房に、アルナハトという新人がやってきて(これはアルトさんがリンクしていたそうです)、その一ヶ月くらい後に異変が起きました。

 どうもこのあたりのことは、よく思い出せないのです。オルフェアが混乱していたせいでしょうか。工房専用の魔晶宮(動力源のことです)が壊されたり、蛮族が侵入したり、その合間にオルフェアはリズィとダーネルが実験のために全員を皆殺しにしようとしているのではないかと疑ったり、あとのことを考えても嫌な晩でした。
 なぜかどこかでムーブアースの呪文が用いられ、出入り口がふさがれていないか確かめようとしたところにダーネル所長が現れて「アルナハトを殺せ」というのです。みんながためらっていると、いきなりジルウィンさんが「全員のために死んでくれ」とアルナハトさんに向き直り、恐怖したアルナハトさんは私たちにウェブをかけてきました。そのウェブによって、私……ではないですね、オルフェアとフレッドはダーネル所長のいる側に逃れ、ジルウィンさんとダルフェリルさんはアルナハトさんとリズィさんのいる側に逃れました。
 そのあと少し、前後の間にはウェブが燃えさかる壁となって立ちはだかっており、ジルウィンさんたちが向こうで何をしていたのか、オルフェアにはわからなかったのです。あとで起きてから訊いたところ、アルナハトさんは、かわいそうにジルウィンさんたちの手で殺されたのでした。それにも理由があるのですが……それでもかわいそうなことでした。それでアルトさんが傷ついただろうと思うと、どうしようもなく悲しいです。
 アルナハトさんの最期は知りませんが、次にオルフェアが見たのは、フレッドが振り向きざまにダーネル所長をばっさり斬ったところでした。彼女はこれですっかり動転してその場に座り込んでしまいました。
 どうもあとで情報を整理するに、ダーネル所長はもう一つの人格を持っており、それについて工房で研究をしていたようです。ですが、実験に失敗して、そのため徐々に裏の人格に乗っ取られていったのだと、ヴァイオラさんがあとで説明してくださいました。あの晩はすでに昔のダーネル所長の人格はすっかり失われていて、別人に成り果てていたのだそうです。
 リズィさんとロルジャーカーさんは、消えゆくダーネル所長から「殺してくれ」というメッセージを受けて、蛮族を引き入れたり魔晶宮を壊したりして画策していたのでした。ですが結局、その裏人格のダーネル所長を殺すには、アルナハトさんが死んで剣になることが必要で、そのためにジルウィンさんはアルナハトさんを殺し、その剣を使ってダーネル所長にとどめを刺したという話のようでした。

 だんだん自分でも何を書いているのかわからなくなってきました。でももう少しだけ書いておくことにします。
 工房は、裏人格のダーネル所長が死ぬ間際にもう一度ムーブアースの呪文を唱えて、地中に埋もれました。オルフェア、フレッド、ジルウィンさん、ダルフェリルさんは皆、地上に逃れました。でも、リズィさんは中に残りました。彼女はダーネル所長を好きだった---ヴァイオラさん風にいえば「執着していた」のだそうです。ロルジャーカーさんは、リズィさんと一緒に残ろうとしましたが、そのリズィさんの願いでダルフェリルさんとジルウィンさんが力ずくで地上に連れ出しました。
 私たちはそのあと別れました。それから、それぞれ新たな土地で新たな生活を始めました。その後も、子どもが生まれたり、フレッドが汚名挽回したりといろいろありましたが、根本的な部分は変わらず、ただ時だけが過ぎていったようでした。
 フレッドはオルフェアと出会ってから彼女が死ぬまで、ずっと同じ態度で彼女に接していました。オルフェアは、私の知る限りただの一度もフレッドに対して「好き」「愛している」といった言葉を、直接にしろ間接にしろ与えることがありませんでした。ただの一度も、です。なのに、フレッドは一向に気にならないようでした。彼の側は人前であろうと憚りなく「愛しています」を連発していましたし、困ったオルフェアが無言で顔を背けたりすれば、後ろから抱きすくめられるのがおちでした。彼のように、最初から最後まで同じ気持ちを持ち続けられるのは、なぜなんでしょう? オルフェアにもわからないようでしたが、私にはもっとわかりませんでした。
 わからないといえば私の……ではなくて、オルフェアの心情も奇妙奇怪でした。最初のころ、フレッドを見ると茨のような苦い思いしか感じなかった、というのは、すでに言ったとおりです。この茨の思いも私には感じたことのないもののようでしたが、さらにわからないことに、それがだんだんやわらいで、どんどんどんどん変わっていって---最後には、彼を見ると、日にあたっているときのような何かを感じるようになったのでした。
 何か---それが楽しさなのか喜びなのかやさしさなのか、あるいは単に温かさなのか、私には何とも言えません。私にはよくわかりませんでした。温かく在りながらも胸にかそけき痛みを覚えるような、不思議な感覚---私にはない何かを、彼女はたくさん持っていたのかもしれない。彼女はちゃんとしたニン……いえ、ちゃんとした大人の女性だったから。
 だから、オルフェアもフレッドを好きだったのではないかと思うけれども、私には自信を持って「そうだ」と言うことができません。彼女の彼に対する思いは、なんだか複雑で玄妙でした。あんなこんぐらがった思いを抱いて、どうして混乱せずに普通に生活できたのか、今にして思うと不思議な気がします。

 オルフェアがフレッドをどう思っていたかはともかく、彼女は一つのささやかな望みを持っていました。望み---これもいい言葉がないですね。望みというより……なんていえばいいんでしょう、フレッドに対して試したくてたまらないことがありました。でも言えば周りに(もしかするとフレッドにも?)笑われると思って口にしませんでしたし、結局、最後までできなかったのではないかと思います(もうこの辺がすごく曖昧です)。
 彼女がやりたかったこと---それは、フレッドの顔を計測することでした。サラも今、笑いました? 私はあとで思い出して、カインさんの顔を見て少し笑ってしまいました。
 フレッドというひとは、それはそれは美しい顔立ちの男性でした。ほとんど完璧といっていいくらい、整った顔立ちをしていました。オルフェアはそれを計測して、いろいろな部分の比率を調べたかったようです。どんな比率が「完璧な美」を顕現させるのか。黄金比で占められていはしないかとか、何かしら美しい数列を見いだせるのではないかとかいったことを、彼の顔を見てはしばしば考えていました。
 なんでも見ると分析してしまうのは自分の悪い癖、と、オルフェア自身もわかっていましたが、そういうことを考え出すと止まらない性分だったようです。フレッドに薬を盛って、寝ている間に測ろうかと考えたこともあります。やりませんでしたけど。………やらなかったと思います。たぶん。
 ああ、あんなにダイレクトな体験だったのに、今ではどんどん記憶が薄れていっているようです。
 私たちのこの体験が引き金となって、工房全体にかけられていた呪いのようなものは解けました。ダーネル所長の亡霊は、皆がそれぞれ生き延びて(本当はリズィは死んでしまったのですが)とにかく幸せになったと聞かされて、これで心残りがなくなったと、エオリスの御許へ旅立たれたのでした。
 工房で持ちきれないほどの金貨を見つけ、無事にセロ村へ持ち帰ったのが今日のことです。教練場へ通うだけのお金ができたので、数日中にフィルシムへ向けて出発します。みんな、一千gpずつ報酬をいただいたので、パシエンスに戻ったら私もサラが昔やってくれたようにいくらか入れられると思います。フィルシムに帰るのを楽しみにしています。

 神のみ恵みと平安とが皆さまの上にありますように。

460年4月25日、夜 セロ村にて ラクリマ