「自然 natura とは、外部からの力の作用なしに、それ自体に内在する力で生ずるもの」
戸外で子どもがひとり遊んでいる。
子どもは泥あそびをしていた。
子どもは泥に泥を重ねた。
どんどん大きくして、ちょうど自分と同じ大きさ、同じ形につくりあげた。
「●●ちゃん」
子どもは泥の塊---ヒトガタの泥の塊に呼びかけた。
土塊(つちくれ)は名前を与えられた。
子どもがふたり、遊んでいる。
窓の外を眺めると、行き交う人びとが見える。
だが彼らが人間である保証はない。生き物である保証すらない。
あれらがごく精巧な自動人形でないと、どうしていえよう。
五感は欺くものなのだから。
自然に見えて、その実「つくりもの」ではないと、だれが証(あかし)してくれよう。
こうして見ている自分もまた………。
「●●ちゃん」
母親が呼びに来た。ふたりの子どもは立ち上がった。
「あら、かわいい人形ね。上手だこと」
母親は泥人形を誉めた。子どもは嬉しくなって言った。
「お友だちになったの。おうちに連れてってもいいでしょう?」
母親は言った。
「だめよ、中に入れたら泥で家が汚れちゃうでしょ。外に置いといて、会いたくなったら見にくればいいわ」
子どもは悲しそうな顔をしてみせたが、無駄だった。
仕方なく母親の腕に触れると、彼女はそれを払った。
「あなたは人形の方でしょう」
言われてみると、確かにそうのようだった。
熱い。
燃えている、どこか。
声がして否定する。「あれはただの太陽」。
熱は水分を容赦なく奪ってゆく。
からからに干からびて、ひたすら水がほしいと冀(こいねが)う。
それでも声は言う、「太陽に過ぎない」と。
ならば太陽に近づきすぎたのか、墜ちゆくところなのか。
だが声は最後まで否定する。
「太陽の光くらいで干からびるなど、お前はやはり‥‥‥」
「自然 natura とは、自らのうちに運動変化の原理をもつもの」
蜜蝋をたらす。指を押しつける。
熱いと思うのは、この指なのか、それとも「私」なのか。
蜜蝋をたらす。つくりものの指を押しつける。
熱いと思わないのは、この指が「つくりもの」だからか、それとも指は、器官はもともと「私」ではないからなのか。
この指は何者か。
どこまでが「私」か。
蜜蝋をたらす。花押を押しつける。
熱いとは思わない。花押は「私」ではないから、不思議にも思わない。花押を「私」と思ったことはない。
なぜ花押は「私」に含まれないのか。
「つくりもの」だからか。
ならば、「つくりもの」の指も「私」にはなり得ないのか。本性 natura を異にする以上は………。
「さあ、お家に帰りましょう」
女が現れて声を掛けた。子どもは立ち上がって言った。
「●●ちゃんも一緒に来ていい?」
女はかぶりを振って言った。
「だめよ。泥で汚れるでしょ」
子どもは残念そうに●●ちゃんを振り返った。
「ごめんね、だめだって」
そう言ってその泥人形を元の土に返した。
人だかりがしている。
「何ですか?」
「洗礼をしているのさ」
見れば確かに人の輪の中央で、人びとが列を成して洗礼を受けている。だが洗礼の水を授けているのは、どう見ても機械(からくり)にしか見えないのだった。
「あれは機械人形じゃないんですか」
「馬鹿だな、知らないのか。あれは『機械仕掛けの神 Deus ex machina 』じゃないか」
言葉を交わすうちに列は進み、ひとり、またひとり、と、受洗を終えて去ってゆく。
「私にはただの人形にしか見えません」
「ただの機械(からくり)だからな」
「どうして人形がひとに洗礼を授けられるのですか、おかしいじゃありませんか」
「ひと? どこにひとがいる?」
言われた途端に、立ち並ぶ人びとの顔が皆、木偶人形に変わった。それなら構わないと、だれかが言った。
「ひとは皆平等なのですか」
「ひとは皆、創造主のもとに在りて、ひとしなみの存在です」
お作りくださった方のもとにおいては、だれも皆平等だろうと、実感するのは容易いことだった。
泥に足を取られて動けなくなった。
隣人は何も言わずに先へ進んでゆく。せめて「意気地なし」とでも罵ってくれればいいのに。
待ってください、今、立ちますから。どうぞ置き去りにしないでください。
声にならない言葉を吐き出して、立とうとしたができなかった。
こんなところで立ち止まっている暇はない。
彼女の背中も彼の背中もそう告げている。
自分の痛みにかかずらっている暇などない。わかっている。そんな一刻(いっとき)を望むこととて、赦してもらえないことは。自分が悪いのだ。
だがいつまで経っても足萎えは止まず、彼らの背中は遠のくばかりだった。
「自然 natura とは、人為 ars の加わらない、おのずからあるがままの状態」
ゆらめく焼刃の紋様。
美しい刀。
それは人の手が作り出したるもの ars factum 。
誇るべき技術が生み出したるもの。
だが「創造」ではない。
無から有を「創造」することはできない、有限な存在である人間には。
歌声。
称えよ。
神の御業(みわざ)は大いなるかな、
土より人を生(な)したもう。
人の手、これを倣いて土を捏(こ)ね、
器(うつわ)のみ成すは力の及ばざればなり。
いと高き御座(みざ)にいます神に栄光あれ。
男が小さな子どもを連れて歩いている。
男はもみじのような手を引いて、子どもに歩調を合わせてゆっくりと歩いた。
二人きりだった。
初春の、まだ微弱な光の中を、二人は黙って静かに進んだ。
時おり、木々を亘る風が頬と髪とをなぶり、甘やかな土の香りを運んだ。
さぁさぁと鳴る木の葉のさやぎは、男に海を思い出させた。
ゆるやかな勾配を登り、林を抜けて、ぽっかりと開けた場所についた。花野だった。春の草花が、気短に、競うように咲き出している。子どもは小さな歓声をあげた。
黒々とした地面近くには、青い小さな花がたくさん咲いていた。丈短く、地を這うようにして咲くこの花を、子どもは殊のほか気に入ったようだった。
男は子どもに合わせてしゃがみ込んだ。子どもは彼の耳に口をつけて、何事か伝えた。内緒話をしたいのだ。
「そうだね、お花がまるでお星さまみたいだ」
男は相槌を打った。しばらくの間、子どもが花と土とを見たり触ったりするのを眺めていたが、やがて子どもを抱き上げると、その場の全風景を二人で眺めた。
「どんな気持ちがするか言ってごらん」
子どもはまた男の耳に何やら告げた。
「美しいと思ったんだね」
男は微笑んで言った。子どもは単語を繰り返してみた。
「うつく…し……?」
「そうだ」
男は子どもを抱いたまま、優しい声で、だが毅然として言った。
「その気持ちを忘れてはいけないよ。それが自然を、世界を大切に思うことにつながるのだから」
夢から覚めたとき---それが本当の目覚めであるのかも曖昧だったのだが---、ただ哀しみの余韻だけが残っていた。
ラクリマは半分寝ているようなぼんやりした頭で、ぽろぽろと涙をこぼした。
「…………さん?」
だれかの声がした。ゆるりと顔を振り向けると、紅玉の瞳の娘が心配そうにのぞきこんでいた。彼女の名前とともに、ラクリマはやっと現実の自分に返った。修道院の焼け跡のなかで。
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