greendice [shortland data- Introduction of the Monastery of Patience] greendice

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パシエンス修道院の教義
パシエンス修道院由縁の人びと
パシエンス修道院の見取り図

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■ パシエンス修道院の教義 ■
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 パシエンス修道院は、フィルシム派の中でも異端である。

 基本的には「隣人愛」と「信仰義認」を説く原質的な宗派であり、外から見ただけでは憐れみ深い修道院としか映らない。しかしながら神の解釈はかなり特異である。なぜなら、エオリス・リムリス二神についてそれぞれの神格は認めるが、個体として存在することを認めないからだ。

 彼らが信仰するエオリス神とは、どちらかと言えば世界霊(アニマ・ムンディ)に近い。すなわち、この世界全体を生命体ととらえ、その生命を支配・統御・秩序だてている根本的な統一原理を、神ととらえるのである。ミクロな人の営みなどをマクロな自然のうちに統合し、ひとつのダイナミズムとしてとらえるこの視点は、フィルシム土着の自然信仰の影響を色濃く受けて発達したものである。

 したがって、実際にはここで授けられる隣人愛や信仰義認は、こうした自然賛美を基底とした隣人愛であり(=ありとあるものは生命に満ちあふれ、自己と等位の存在であるのだから、愛すべし)、そして信仰義認である(=形式の踏襲によって義となるのではなく、日常の自然な営みにおいても信仰の力によっては義となることが可能)。

 これらに、「自然の斉一性」と「神の絶対性」とを融合させた「神(自然)は無駄を行わない」という教えを加えた以下の3本が、この修道院の柱である。

「あなたがしてほしいと思うことを、あなたの隣人に施せ」
「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰による」
「神(自然)は無駄を行わない」

 これらの表だった支柱の底辺に流れる「自然信仰」の傾向はかなり強い。彼らは自然であること、すなわち創造主に造られた自然状態であることの尊さを謳う。したがって、獣人らに対する「隣人愛」も可能となる。逆に「人為」に対してはやや懐疑的な立場を取る。

 なお、これだけの異端にも拘わらず、パシエンス修道院が潰されない理由は二つある。ひとつは、全教会的に見て、マイノリティの中でもさらに少数派である、つまり教義として全く力がないためである。

 ふたつめは、一般の人々に人気があるためで、これは、この修道院が失業者に対する仕事の斡旋をしたり、病人に薬草を相場以下の値で分け与えたり、また、どんな素性の人間の死体であろうと無一文の乞食の死体であろうとミサをあげて埋葬してくれたり(ただし共同墓地)といった、現実的な救済を施そうとしてきたことによる。

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■ パシエンス由縁の人びと ■
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(SL暦460年正月現在)

名前
人物説明
★僧侶たち、あるいはその縁者★
聖パシエンス
Sanctus Pacientus
パシエンス修道院の開祖と言われる聖人。200年以上前の人物とされるが、数編の伝記が残されている他は一切不明。伝記からも年代は特定できず、そもそも実在したのかも怪しい。なお、聖遺骨が修道院の地下墓室に納められているらしいが、暴かれるのを嫌ってか、墓室の存在を知っているのは院長のみ(遺骨がどこかにあるらしいことはみんな知っている)
アンブローズ
Ambrose
クレマンの前の修道院院長。クレマンを正道に引き戻したと言われ、また、サラにとっては父親と慕う相手だが、世俗には疎く、借金騒ぎの原因を作った(騒ぎの起きた当時にはすでにお亡くなりになっていたが)。
クレマン
Clemens
55
パシエンス修道院の現在の精神的屋台骨。サラに対しては「同僚」として振る舞い、ラクリマに対しては「父」の愛をもって振る舞う。基本的に「寛容の人」で他人と争わず、どんな相手でも赦してしまうため、若者たちからはやや物足りなく感じられることも。
しかし、若いころの彼は「寛容」どころか粗暴で知られ、怒鳴り声の大きさから「いかづちのクレマン Clemens d'Eclair (クレマン・デクレール)」などと呼ばれていた。もともと富裕な聖職者の家に生まれた彼は(生まれ79%)、異教の集会に出てみたり怪しげなクスリをやってみたり、とにかく悪さの限りを尽くしていた。どこで改心したのか、ある時期を境にご乱行がぱったりと止んで、気が付いたら立派な人格者で修道院院長になっていた。彼の回心にはパシエンスの前院長が関係あるらしいがすでに故人であり、クレマン本人も決して語らないため詳細は不明。
本当はサラたちが思うよりもずっと経験豊富でエネルギッシュな人物である。
サラ
Sarah
25
孤児。母イノアはお産のあとに死亡、父親は不明。以来、パシエンスで育つ。18の時に冒険者(僧侶)となり、フィルシムを中心に活動していた。20の時に『夢見石』の事件に遭遇し、ラグナー、ルギア、リッキィらと出会う。その後ラグナーと再会し23のときに彼と結婚、現在は身重でパシエンス在住。ラクリマを始めとした孤児たちの姉代わり。
ラグナー
Ragner
27 フィルシム出身の戦士。5年前に『夢見石』の事件でサラと知り合い、その後再会して何度か一緒に冒険をする。2年前にプロポーズし結婚。以後、中短期の冒険をこなしたり、ウェポンマスタリー道場の師範を務めるなどして、パシエンス修道院をつかず離れず活動していた。現在は身重の妻を案じて修道院から離れないでいる。
ラクリマ
Lacrima
17
孤児。12年前に魔術師トーラファンの手許に預けられるが情動がなく、依頼を受けたクレマンが往診に通う。半年後に初めて泣き、その後教育的効果を考慮してパシエンスに引き取られた。17歳になるかならないかで自然に神の奇跡を使えるようになった変なやつ。そのため正式な冒険者登録をしていない(神学校に通っていないため僧侶資格の申請がややこしい)。よく泣くので「ラクリマ(涙ちゃん)」と呼ばれ、それがそのまま名前になった。今も涙腺しか存在しないと思われるくらいよく泣く。
アンブローシア
Ambrosia
0
サラとラグナーの娘。SL暦460年6月13日、きわめて多くの人々に見守られ、誕生。

名前
人物説明
★捨てられ、拾われ、保護された者たち(一部)★
ルベン
Reuben
24
孤児。現在、大工見習いで、そろそろ暖簾分けの時期。体が空くとよく修道院へ来る。彼が端材で彫り出す彫刻はすばらしい。年上の女性に弱く、サラに懸想していたがラグナーにかっさらわれた。現在は親方の奥さんに憧れているという噂。
シメオン
Simeon
21
孤児。レビとディナの兄。16年前に3人まとめて親に捨てられた。その時の記憶も手伝って気性が暗く激しい。だが弱いものいじめはしない主義で、ラクリマも彼にいじめられたことはない。冒険者(戦士)となって出ていってからほとんど顔を見せず、生きているかどうかもわからない。(※サラの章に記載がある「シメオン=ベタニア」とは縁もゆかりもない赤の他人)
レビ
Levi
19
孤児。子供のころからいじめっ子だったキング・オブ・いじめっ子。ラクリマ以外も分け隔てなくいじめており、彼が暴力的喧嘩を始めるとルベンかシメオンかサラ(つまり名実共に目上の人間)が出てくるまで収まらなかった。シメオンに輪をかけて気性が激しい。妹ディナを強姦した青年とその家族らを惨殺し、指名手配に(院長には多大な迷惑と心労とをかけた不孝者)。現在消息不明。
ディナ
Dinah
18
孤児。シメオンとレビの妹でエキゾチックな美人。もとから「薄倖の美女」といった風情だったが、強姦後は名実共にそのままに。実は強姦されたあと、件の青年(裕福な商家の跡取り)から婚姻の申し出があったのだが、レビがだまし討ちにして家人皆殺しにしたためもっと不幸になってしまった。腕のいいお針子で、そこそこ売れっ子のデザイナーの店に所属している。2年前の事件以来、店に通うのはやめて持ち込みの仕事をこなす。パシエンス修道院在住。
ユダ
Judah
19
孤児。賢さを認められて図書館の司書見習い中。パシエンスには半年に一回帰る程度になっている。サラと特に話が合う。
ナフタリ
Naphtali
19
孤児。詩人。院の居候。基本的には「役立たず」だが、たまに新作コラール(賛美歌)の作詞などもする。ラクリマと気が合う(たぶん直観的人間同士だから)。
マドレーン
Magdalene
12
孤児。母親は花街の花形娼婦だったが、最期は梅毒で惨めに死んだ。逃げ出してきたところをサラに保護され、以来、パシエンスに居着く(ちなみにパシエンス修道院は「駆け込み寺」としての特権を持っているため、マドレーンに逃げられた置屋は落籍代も取れず丸損)。ラクリマを敵視しており、よくつっかかってくる(なぜだか全然わからないがもしかするとサラの取り合いのつもりかも)。幼いながら頭のいい気の強い娘で、将来の夢は魔術師。
アシェル
Asher
8
孤児。食べることが好き。将来の夢は、宮廷のコックさん。
★その他の子供たち、男たち★
ゼブロン
Zebulon
23
左官屋の息子。子供のころは母親についてよく修道院に来ていた。現在も親元で修行しながら、ときどき修道院に漆喰を無料で融通してくれる。
イッサカル
Issachar
17
馬商人の息子。馬の扱いは一級。家業を継ぐ予定。親父さんがクレマン院長と仲良し。
ヨハネ
Johannes
20
貴族クラッスス家の嫡男で、ヨセフとベニヤミンの異母兄。ミドルネームに母のイニシャル、Aを持つ気だてのいいお兄さん。先年、一念発起して神官となるべく修行を始めた(もちろん実家の金で)。ゆくゆくはヨセフに嫡男の権利をゆずり、パシエンス修道院に寄宿するつもりでいる。
ヨセフ
Joseph
14
ヨハネの異母弟。出来よく見栄え良く周囲からは「天使」と呼ばれている。父親から一番かわいがられ、そのせいでベニヤミンには嫌われている。夢占いの才能がある。
ベニヤミン
Benjamin
12
ヨセフの同母弟。はしっこいやんちゃ坊主。年下のくせによくラクリマをいじめている。マドレーンには口で勝てないので、手を出さない。
ダン Dan
9
ビルハの息子。アシェル、ガドと仲良し。
ガド Gad
6
ジルパの息子。アシェル、ダンと仲良し。
ラザロ
Lazarus
?
パシエンス修道院に間借りしていた大道画家。常に路傍の石か壁に描くので作品が残らない。「世に流転せざるものはなし」という信念と、「だから事物には執着するな」という立場ゆえらしい。クレマン院長の旧友。448年に旅に出たきり戻らない。
★女たち★
レア
Leah
39
シメオンたちを捨てた張本人。フィルシムのどこかで裕福に幸せに暮らしているらしいが詳細不明。
アンナ
Anna
ヨハネの母親。不妊の女と思われておりたいそう悩んでいた。縁あってパシエンス修道院に通ったところ、ヨハネを授かり、以後パシエンスに傾倒する。8年前に亡くなった。享年47歳。
ラケル
Rachel
36
ヨセフとベニヤミンの母。つまりクラッスス家の後妻だが、アンナ生存時から愛人として当主と関係していた。アンナの遺志を継ぐかたちで、子供と一緒によくパシエンスに奉仕に来る。
リベカ
Rebecca
?
半年ほど前(459年8月)からパシエンス修道院で起居するようになった女性。深い悩みを抱えているのか、熱心にミサに参加する。20代後半〜30代前半の大人しめの美人。サラよりも年上の感じがする。
ジルパ
Zilpah
?
おしゃべりな近所のおばさん。土日以外、通いで来てくれる。おしゃべりには閉口するが、料理の腕はいい。
ビルハ
Bilhah
?
無口な近所のおばさん。日曜以外、通いで来てくれる。無口な割に子供の扱いがうまい。
マルタ
Martha
53 サラの母親代わりになった女性。ドメスティック・バイオレンスゆえにパシエンスに転がり込んだらしい。やさしくて堪え忍ぶ消極的女性の典型で、サラに逆の意味で強い影響を与えた。長いこと修道院にいたが、451年ごろにいきなり家族を名乗る男性(シメオン=ベタニア、夫ではない)が現れ、クダヒ方面へ連れ帰ってしまった。以来、音信不通。

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■ パシエンス修道院の見取り図 ■
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(SL暦460年3月22日消失…ひどいよマスター)

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map4 map5
パシエンス側面

←礼拝堂側から見た
 僧坊と古式浴場

食堂礼拝堂浴場僧坊院長室古い礼拝堂

〜各建築物の説明〜

1.礼拝堂本堂

 パシエンス修道院中、もっとも重要な建造物。神の家であり、人びとの祈りの場である。建物のなかでは3番目に古い。
 建材は主に煉瓦。その上から漆喰で塗り固められていた。古いタイプのバシリカで、天井は二つのドームを持ち、奥の後陣と側廊の突き当たりはヴォールトになっている。内陣に入る戸は白檀の透かし彫り、その戸の手前には、貧乏な修道院には珍しく、継ぎ目のない大理石の円柱が2本立っている。
 もともと一番奥のヴォールトを有する区画だけだったのが、その手前(本図では左側)のブロックが建て増しされ、さらに側面(本図では下側)にも拡張された。側面は小型礼拝堂としても使え、また、一番手前には鐘突塔がある。
 本堂の壁面は主にフレスコ画で飾られているが、古いモノが多く、落魄もよく見かけた。ドームの天井および身廊の奥(後陣の上部壁面)には、青を基調とした見事なフレスコ画があった。
 聖体は、最近では珍しいことに、聖像ではなくイコンだった(ので、燃えてなくなった)。
 なお、内陣の床には地下室への入り口があるが、入り口の場所も鍵も、そもそも地下室があることも、代々の院長しか知らない。地下室には聖パシエンスの聖遺骨があるらしい。

2.僧坊1

 礼拝堂の次に古い建物。昔はここですべての修道僧が生活していたが、一時期、規模を拡大したらしく、住居区は僧坊2に移った。最近ではクレマン院長、ならびにサラとラグナーの夫妻が住んでいた。

3.僧坊2

 パシエンス修道院のなかでは一番新しい建物(といっても古い)。
 規模を拡大した時期に建設された。石材と煉瓦の組み合わせで作られ、一部は3階まであった。
 1階は大部屋が4つ。子どもたちや見習い神官が雑居したり、急に大勢の来客(主に避難民)があったときの宿舎に使われた。
 2階には小さい個室が8つあり、ここに起居する修道僧によって利用されていたが、最近では僧侶でなくてもここに起居する大人(つまり居候)に使わせていた。
 3階まである部分は、主に倉庫や書庫として使われた。最盛期にはここも修道僧の住居となったらしいが、現在その勢いはない。

4.食堂

 食堂と厨房と食料庫から成る。僧坊2の次に新しい。特に厨房と食料庫の部分は、僧坊2の建設と同時期に建て増しされたものだ。
 とりたてて記すことはない。食料庫は低めの塔になっていて、現代でいうサイロっぽい外観。

5.古式浴場

 実は一番古い建物。かなり昔の時代につくられたもので、おそらくは公衆浴場だったのだろう。その時代によくあるバス(浴槽に浸かる方式)・スチーム(床下に湯を通して蒸気で身体を温める方式)両用形式になっている。そのため床が高い。また、以前はもっと小川に近かったと思われる(小川のほうが移動した)。
 最近は浴場としてより、広間のように使われることが多かったが、年末を含めて年に数回は、浴場として信徒たちに解放していた(薪代が馬鹿にならないので、財力がゆるす限りで)。

6.初期礼拝堂

 古式浴場の次に古い建物。本来、パシエンス修道院の本体はこちらだった。現在はこれだけポツンと建っているが、その昔は周りに僧坊などがあったらしい。それらの建築物は、礎石の一つ二つを除いて、今では影も形もない。なお、敷地外にあるが管理はパシエンス修道院管轄である。
 教会はごく簡単な作りで、内部には柱がなく、身廊しかない。一番奥(本図では右側)だけがヴォールトになっており、あとは直線的な壁に囲まれている。もちろんドームもない。
 聖体は、こちらもイコン。が、正面に描かれたフレスコ画のほうが、多くの人びとの祈りの対象となっていたようだ。
 壁面はフレスコ画で埋め尽くされている。背景はコバルトブルーで、現在では調合できない色合いといわれる。物語の一場面一場面に描かれた人物造形もしっかりしており、当時の傑作である(実はこれらの絵の維持費も馬鹿にならない)。※壁画はジョットのフレスコ画をイメージしてください。
 正面の扉(本図では左側)は、小さいながらも神様専用につき、50年に一度くらいしか開けない。人間は側面(本図では上側)にある普通の扉から出入りする。
 中の礼拝堂と比べて使用頻度が著しく低い。それでも修道僧のお籠もりに使われるなど、まだまだ現役である。


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