[shortland VIII-12] ■SL8・第12話「集いし四組〜前編〜」■ 〜目次〜 1■月の憂鬱 2■思惑 3■摩訶不思議コミュニケーション 4■天命語るべからず 5■若き者の悩み 6■助っ人 7■ライニスの事情 8■空白の襲撃 9■魔剣、三度 10■いざこざ 11■血縁 12■カモミール畑にて 13■そして、夢 14■人恋しさに身も焦がれ 1■月の憂鬱  4月28日、セロ村を出発した。  眠り続けるアルトは、ヘルモークに預かってもらった。  同行する隊商もなく、一人減ったので、道行きがやや寂しいようにラクリマは思った。  4月29日。  ロビィの馬車跡に着いた。ヴァイオラはツェーレンに酒を供えた。  4月30日。  昼間、6匹の甲虫と遭遇した。甲虫といっても大きさが半端ではない、タイガービートルだった。こちらに興味がないようなので、そのまま彼らが道を横切るまで大人しく待った。  夕方、狼族の関所があるはず場所に到着した。が、関所はなかった。建造物の残骸として部分的に残ってはいるが、破壊され、通りやすいように解体されてしまっている。 (バーナードたちがやったのか)  全員が思った。 「よくわかりやせんが、バーナードさんたちではないですかね」  調査後にロッツもそう言ったので、だれが壊したかは決まったようなものだった。 「ガーウくん、大丈夫かな……」  ぽつりとGが呟いた。  夜になって、残された木柵を背にするようなかたちで野営することになった。夜は暗かった。月は二日月なうえに隠れて見えなかった。雲は空の半分を覆い、星々の光も弱めていた。  夕食後、焚き火を囲んでいたときにふっと背後から気配を感じて、ヴァイオラは振り向いた。柵の間から、1体のアンデッドが見えた。ガーウのようだ。最初は生きているのかと思ったが、半分透けて見える身体は、彼がすでにこの世の者ではないことを物語っていた。ヴァイオラは咄嗟にディテクトイビル〔悪を見破る〕を唱えた。ガーウの幽霊は反応しなかった。 「助けて〜」  ガーウの幽霊は半泣きで近づいてきた。 「夜がぁ〜…月が怖いよぅ〜……」  近づくにつれ、彼の受けた傷痕がはっきり見えるようになってきた。ノーマルソード、ツーハンドソード、そして矢傷が集中的に浴びせられている。 (あんな下っ端に3人がかりで攻撃を……!?)  ヴァイオラはバーナードたちの理性を疑った。弱い者苛めをするような人間とは思わなかったのに……。  そのとき、風が吹いた。  雲がさあっと動いて、あるかなきかの月が顕わになった。その白く細い月光を浴びて、ガーウの胸にある三日月型のブローチが光った。 「ガアアアアアア!!」  突然、ガーウの幽霊が苦しみだした。胸をかきむしる彼の身体には、ある変化が現れていた。 「獣人!?」  ガーウは獣人化していた。 (そんな馬鹿な! 彼は狼形態にしかなれなかったはず…!)  ヴァイオラは彼のブローチに注目した。どうもそれは「ルナブローチ」と呼ばれるものに酷似して見えた。「ルナブローチ」とは、月の出ているときなら、ブローチが影響を及ぼす範囲内では、月齢に関係なく満月と同じ効果を得られるというものだ。  だがどのみちおかしい。満月になろうがなるまいが、ガーウは獣人形態にはなれなかったはずなのだから。  一同がどうすべきか悩んでいるうちに、ガーウの幽霊はどんどん近づいてきた。彼は、先ほどまではなかった悪意を、この目で捉えられそうなくらい激しく辺りに撒き散らしていた。 「ガーッ!!」  もはや理性は欠片も残っていないように見えた。ガーウの幽霊は、一同目がけて襲いかかってきた。  ヴァイオラとラクリマはターンアンデッドを試みたが、やはりというべきか、成功はしなかった。セリフィアとカインは柵のところまで移動して守りを固め、Gは移動しながら相手に攻撃を叩き込んだ。  彼女はガーウが好きだった。だから、まずはブローチを狙った。あのブローチを壊せば、ガーウ(の幽霊)も正気に戻るかもしれない。だが、さほど大きいものではないので、ブローチだけに剣を当てるのは至難の業だった。  そのブローチは正真正銘のルナブローチ、またはそれに類するもののようだった。ガーウに近づいたGは満月の効果で微弱なテレパシーが使えるようになったし、セリフィアは満月期と同じく気分も調子も上向いた。  ヴァイオラは、思いついて、コンティニュアルダークネス〔永遠の暗闇〕のかかっているコインを投げ……ようとしたところで、後ろにすっぽ抜けてしまった。彼女の背後3メートルあたりが真っ暗になった。 「ごめん〜、ダークネスのコイン投げるの失敗しちゃった」  ヴァイオラがそう言うのを聞いて、それなら俺が、と、今度はカインが手持ちのコンティニュアルダークネス付きコインを投げた。ガーウの後ろ、自分たちは闇に呑まれないくらいの距離に、上手く投擲することができた。  ガーウの幽霊は闇に包まれた。ルナブローチの効果も、闇に阻まれて月光が差してゆかない今は、切れているはずだ。ヴァイオラは中の気配を窺った。だが邪悪な感じも、アンデッドとしての気配も、一向になくならなかった。 (いったん発動してしまったら、止められないのか……)  ヴァイオラはその推測を周りに知らせた。それから聖水を投げたが、これも当て損なってしまった。がちゃんという音はしなかったから、瓶は割れていないらしい。  カインは、Gとセリフィアに任せようと思って後衛の防御に専念していたが、セリフィアが攻撃したあとで、ガーウの傷痕が塞いでいく様子に気づいた。とうとう武器に祝福の呪文をかけてもらって、攻撃に参戦した。  だがそこまで本気を出したところで、ガーウは、ふいに元に戻った。幽霊は「痛いよぅ〜」と言って泣いた。 「痛いよぅ、実験道具になんかされたくないよぅ〜」  それだけ残して、幽霊は消えていった。なんともいえない後味の悪さが残った。  投擲物を回収したあとで---ヴァイオラの聖水は本当に奇跡的に無事だった---一同はまた焚き火を囲んで座った。 「ヴァーさん、どうすればいいんだ?」  セリフィアが口を開いた。 「今のは何だったんだ?」  何と問われても、ヴァイオラにも答えようがなかった。 「ユートピア教じゃないと思う。別の勢力で、しかも獣人を相手にできるというと……」 「獣人を本気で相手にするやつ、いるか?」 「………」 (本当に、獣人と人間との戦いが起こるんだろうか……)  ヴァイオラはトーラファンに聞いた話を思い出した。獣人戦争当時の獣人たちは、最低ランクでも今のガーウ程度の力はあったという。ましてや、獣人としての力に真に目覚めた者など……。  暗い思いを抱えたまま、夜は更けていった。  4月31日。  昼間、ドルトンたちの隊商とすれ違った。 「おう、元気か」「まぁ何とか」  ドルトンが、 「おお、そうだ。関所がなくなってただろう」 と、口にしたので、ヴァイオラは尋ねた。 「あれ、だれがやったの?」 「一緒に行ってくれたバーナードさんたちだ」  後ろでGが「バーナード、殺す」と口にした。よほどガーウを気に入っていたらしかった。 「どのくらいの規模だったんです」 「凄かったぞ」  ドルトンはそのときのことを思い出したのか、声を震わせて言った。 「金を払えと言われて『断る』と言ったら戦いになったんだが、向こうの獣人が何か唱えた途端に、一人のやつがいきなり怖ろしい獣人体に変身したんだ。いやぁ、怖かったの何のって。それでもバーナードさんたちが何とかぶち倒したら、残りの獣人と狼はさっさと逃げていっちまった」  では、本当に『実験』だったのだ。実験体にされたガーウは、哀れとしか言いようがなかった。 「死体はどうしてました?」 「死体か? 魔術師と僧侶でどこかに埋めてたぞ」 「どの辺に?」 「どこかは覚えていない。だいたいそれをやってる間はまだ怖ろしくて、出ていけなかったんだ」  ヴァイオラがちょっと考え込んでいると、ドルトンは、 「ああ、死体についてたマジックアイテムは壊れてたぞ。これだけ喋ったんだ、情報料を寄越せ」 と、手を出してきた。ヴァイオラはすまし顔で、その手に1gpと2spを握らせてやった。 「これだけか!? ケチくさいなぁ!!」 「死体をどこに埋めてたか、思い出したらもう少し差し上げますよ」  ドルトンはチッと舌打ちし、「ああ、覚えとくんだった」と忌々しげに呟いた。 「関所はなくなりましたけど、気をつけて」  ヴァイオラが別れ際に挨拶すると、ドルトンは「まあ、セロ村だからな」と返して、セロ村へ向けて去っていった。  ガーウの遺体が旧・関所の付近に埋められているとわかったので、一同は、1日分の行程を引き返してガーウの葬儀をするかどうか悩んだ。あんな浮かばれないままに放っておくのはかわいそうだった。だが、結局は前に進むことを選び、フィルシムに向けて再び歩き出した。  同日夕刻、グリズリーが4頭現れた。  道の真ん中にのしのしやってきたかと思うと、ガバーッと立ち上がって威しをかけてきた。立った途端に身の丈3メートルになり、セリフィアの背丈もゆうゆう追い越した。一同は今夜の晩ご飯に見定められたらしかった。  ヴァイオラとラクリマは熊たちを友好的に宥めようとしたが、うまく行かなかった。戦うしかないだろうと、ロッツがまず弓で攻めた。カインは防衛のラインを敷くために前に出た。そうこうするうちに、熊たちはセリフィアとGの直前までやってきて、攻撃する前に大きく伸びをした。  ラクリマが手前の人間にブレスをかけ、ロッツは再び矢を放った。セリフィアが目の前の熊を斬る隣で、Gが転んだ。だが、運良く目の前の一頭が不器用な熊で、自分で自分の爪を折って泣いている間に、彼女は素早く立ち上がった。  ラクリマ以外の全員が攻撃に参加し、ロッツ、カイン、ヴァイオラ、Gがそれぞれ止めを刺して戦いは終わった。  応急処置を施したあとで、一同はさらに移動して今宵の野営地にたどり着いた。今夜はまさに新月で、Gとセリフィアは鬱期に入ってしまった。  この晩、ヴァイオラはコミュニケーションスクロールに関所の顛末を記した。翌晩には『実験』の話を、と、二度に分けて情報を書き込んだ。  5月3日。  何事もなく過ぎた。  ヴァイオラは、スクロールに返事を見つけた。 《その件、了解。調査する》  5月4日。  ヴァイオラは再びスクロールに書き込みを見つけた。 《現在、フィルシム市内にガラナークよりの異端審問官が来ている。大人しくしているように》  本当に来たのか、と、ヴァイオラは思った。トーラファンとパシエンスの院長との会話から、それらしいことになるかもと思ってはいたけれど。  仲間には、宿に着いてから話すことにした。こんな路上で告げたりしたら、情報の出所を問われてしまうからである。少しでも危険を避けるために、スクロールのことはだれにも言わないつもりだった。  この晩、ラクリマはカインが一人でいるところを見計らって話しかけた。 「あの…ファザードってひとのこと、ロッツさんかだれかに調べていただいたらどうでしょう?」  ファザードというのは、ジェラルディンを助け、かつまた彼女にハイブコアを運ばせた人間の名前らしかった。先だってフィルシムでカインがその名前を思い出したときには、何をする暇もなくセロ村へ出発しなければならなかった。他のだれにも、まだ話してすらいない。 「そうだな」  カインは言った。 「まずはロッツに調べてもらおう。あとのことはそれからだ」  5月5日、夕刻。  フィルシムに無事到着した。  門のそばには、いつかと同じように10フィートソードを持った女戦士が立っていた。セリフィアは少し慌てて彼女---スカルシ・ハルシアの元へ挨拶に行った。 「こんなに早く来ていただけるとは思いませんでした。お待たせして申し訳ありません」 「気にしなくてよい。訓練は明日からでいいか?」  セリフィアはよろしくお願いしてから、ウェポンマスタリー費用の二千gpを彼女に差し出した。ハルシアはそれを受け取り、いずこかへ去っていった。  一同は宿屋の「青龍」亭に向かった。その行きがけに道場に立ち寄り、明日からの訓練を登録し支払いを済ませた。道場ではバーナードたちが訓練を受けていた。 「倒していいか?」  Gは本気だった。が、ヴァイオラはそれを押しとどめた。 「まあ、泳がせておけ」  宿に着いたところで、ラクリマがパシエンス修道院(もとい寄宿中のトーラファン邸)に帰りたいと言い出した。 「送っていこう。トーラファンさんには聞きたいこともある」 「ああ、私も寄らせてもらうよ」  カインとヴァイオラが反応したのに、セリフィアだけ黙っているので、Gは尋ねた。 「セリフィアさん、行かないんですか?」 「いや、行かない」  セリフィアは頭を振って答えた。Gは狐につままれたような表情になった。 「どうして? サラさんに挨拶しないんですか?」 「別に毎回挨拶してるわけでもないし」 (嘘つけ、なんだかんだいって毎回挨拶してるだろーがっ) とは思ったものの、心の中に留めておいて、Gはもう一度尋ねた。 「どうして行かないんだ?」 「別に……」  Gは、今度はヴァイオラを振り向いて、助けを求めるように言った。 「おかしいよー」  ヴァイオラは含み笑いをしながら、 「セイ君も、『二兎を追う者は一兎をも得ず』って悟ったんじゃないの」 と答えたが、Gは納得いかないようだった。  Gとセリフィアがごたごたしている脇で、カインはロッツに声を掛けた。 「頼みがある。ファザードという戦士を調べてほしい」  カインの台詞を聞き咎めたヴァイオラは、「ファザードって、だれ?」と尋ねた。 「ユートピア教の幹部らしい」  カインはそれだけ言って、ロッツに情報料として宝石を渡した。 「ああ、ロッツ君、ギルド行くなら調べておいてほしいんだけど」  ヴァイオラもロッツに声を掛け、彼に紙と宝石とを渡した。紙にはフォアジェ侯爵の情報をほしい旨が書かれていた。ロッツは二人の依頼を承知して、ギルドへ行ってしまった。  Gとセリフィアがまだごたごたしているので、 「じゃあ二人は先に宿に入ってて。私たちはラッキーを送ってくるから」 と、ヴァイオラは二人に言いさした。Gはまだ「どうして行かないんだろう……」と、ブツブツ言い続けていたが、やっとセリフィアと二人で「青龍」亭に入っていった。  「青龍」亭に入るなり、僧兵の一団が目に付いた。一目でガラナークの僧兵とわかる出で立ちで、他の冒険者たちを隅に追いやり、幅を利かせていた。Gとセリフィアが入っていくと、ぶしつけなくらいにじろじろ見られ、「なんだ冒険者か」との呟きまで聞かれた。 「なんだ僧兵か」  Gは詰まらないものを見たというように、視線を返した。それから金を払って2階の部屋に入っていった。 2■思惑  一方、ヴァイオラとカインはラクリマを送って、トーラファン邸に着いた。  トーラファンに会いたいと頼むと、彼らは応接室に通された。トーラファンは手が放せないのか、暫く現れなかった。代わりに、パシエンス修道院の孤児たちが入れ替わり立ち替わり現れて、ラクリマにまとわりついていた。 「待たせたな」  トーラファンが現れたときは、頃合いよく、孤児たちがご飯を食べに行ってしまったあとだった。 「ただいま戻りました」 「無事に帰って何よりだ」  挨拶を交わしたあとで、カインが口を切った。 「俺には、ユートピア教に利用されているだろう仲間が、あと二人いる。もしも出会ったときのために、ブラスティングボタンを取り除くにはどうすればいいのか、教えて欲しい」  それはラクリマも聞きたかったことだった。過日、セロ村でヴァイオラと話をしていたときに、「ブラスティングボタンを摘出するために、外科手術をする必要も出てくるかもしれない」と言われたので、そうした外科的な手段による安全な摘出が可能かどうかを尋ねたいと思っていたのだ。  トーラファンは顔をしかめて考えたあとで、「開腹して取り除くことはできるかもしれないが、そのあときちんと元通りにできるかね?」と、ラクリマの顔を見ながら答えた。彼も、ラクリマも、そうした切開を行ったあとで大過なく快復する確率は、五分五分であることを知っていた。  「それに」と、トーラファンは言い加えた。「聞くところによると、ユートピア教のブラスティングボタンはコマンドワードではなく、一定の条件になるだけで作動するようではないかね。その条件にならぬよう保ちながら、摘出までできるかね?」 「私もそれが心配だったんです」  ラクリマが口を挟んだ。 「最悪の場合、開腹しただけで作動することもあり得るんでしょうか?」 「あるだろうな」  トーラファンはあっさりと言った。 「何か方法はないのか?」  カインは藁にもすがる思いだった。トーラファンは淡々と答えた。 「ディスペルマジック〔魔法を破る〕で効果を消せばいい。だが、そうだな、ただのディスペルマジックでは解除できない場合があるから……患部に接触したうえで唱えれば大丈夫だろう」 「上から触るだけで、大丈夫なんですか?」 「身体の上からでも、場所が正確なら大丈夫だろう。だが、どうやって場所を特定する? 頭に埋め込まれているのに、腕に魔法をかけても無駄だからな」  ラクリマはちょっと考えて、また尋ねた。 「ロケートオブジェクト〔物品探索〕でわかる範囲でも大丈夫ですか?」 「ああ、それはいい案だ」 と、トーラファンは答えて言った。だが、どのみちラクリマもヴァイオラも、まだディスペルマジックの呪文は使えなかった。 「助けたいなら、もっと修行を積まなきゃだめってことですね」  ヴァイオラが纏めて、この話は終わりになった。  そのあとで、ヴァイオラはトーラファンと二人きりで話し込んだ。  まずはフィルシムに来る途中で出会った狼族の話をして、尋ねた。 「こういうような『実験』をしているようでしたが、心当たりはありますか?」  トーラファンはあごをさすりながら、 「ブローチが実際に何であるかはわからないが、それは獣人の真の力を引き出そうとして失敗したんだろう。話を聞くに、ブローチにはコンティニュアルムーンライトの効果があるようだな。コンティニュアルダークネスで効果を打ち消せるはずだが……」  それから、ヴァイオラに目を戻して「そいつは雑魚だろう?」と聞いてきた。 「ええ、『実験』に利用されただけでしょう。戦闘能力を測ったんでしょうね」 「そうか……そうすると、全獣人族を集結させて、と、考えるかもしれんな。はっはっは」  どこまで本気なのか、トーラファンはそう言って笑った。 「困りますね。そっちの勢力のリーダーを何とかしたいところですが……」  ヴァイオラを半ば遮って、トーラファンは、 「噂は本当になるのかね。獣人対人間、の。その前に『審判』とやらがあるらしいが」  歴史的に見て、これまでに二度の『審判』があった。最初はショートランド歴0年に、二度目は199年にあったのだと、トーラファンは述べた。 「そのときは獣人が負けたんですか?」  ヴァイオラの問いにトーラファンは答えた。 「おあいこだな。獣人も滅びてはいないだろう?」 「そういえば、異端審問団が来ているようですが」  ヴァイオラはトーラファンを見ながら口にした。 「ああ、あいつらか」 「パシエンス修道院は大丈夫ですか」  トーラファンは澄ました顔で、「ここにいる間は手出しはさせん。50人くらい、どうってことはないからな」と、きっぱり言い放った。 「だが、何の庇護もない神殿は、小さいところからちらほら潰されているらしい」 「そうですか……」  ヴァイオラは話題を変えた。紹介された迷宮で、ダーネル=リッシュオットの亡霊に出会った話をすると、 「ダーネル=リッシュオットか。サーランド中期の魔術師だな。ぱっと出てきて、ぱっと消えてしまった」  トーラファンが知っているということは、やはり魔術師として相当の実力者だったのだろう。ヴァイオラは、彼と、ルビーの挟まった魔法の剣の関わりについてもざっと語り、「…ということなんですよね」と、物凄く嫌そうな顔をしてみせた。トーラファンはそれを聞いて断言した。 「じゃあ今の世でもいるぞ、どこかに」  頭が痛くなりそうだった。 「君ももう知っているだろう、奴はずっと昔からいろんな名前で存在してきた。その時々で異なる表層人格と名前を持つが、私が知っている名は、シェアレス、アレスト、ハール……」 「アクアリュートというのは?」  ヴァイオラは、リズィの記憶から引っ張り出した名前を口にした。  トーラファンは「う───────ん」と思いきり唸ってみせてから、「妻だ」と言った。 「ハール、アレスト、シェアレス、ダーネルの順に並ぶようだな。そのあとに空白の期間がある。ここしばらくいなかったのだが……まぁ、『死なずの』というくらいだから、どこかにいたんだろうな。ただ、裏の人格が目覚めなかっただけで」 「目覚めないこともあるんですか!?」  裏の人格が目覚めなければ、表層の人格のまま平和裡に人生を終えることもあるのだと、トーラファンから聞きながらヴァイオラは---というより彼女の中に残るリズィの欠片は---口惜しくてならなかった。目覚めなければ、ダーネルもあんなに苦しまなかった。ずっと幸せに暮らせたかもしれなかったのに。  空白期間があるのは『死なずの』奴の記憶を思い出さなかったからという説明のあとで、トーラファンはさらに言った。 「もう一つついでに言うと、分裂する魔術師の記憶と、もう一つの『死なずの』奴の記憶と、その時代の表層人格の記憶とが出会うと、文字通り合体して『持たざる者』になる」  持たざる者、という言葉は、Gがどこかで呟いていたな、と、ヴァイオラは思い出しながら耳を傾けた。 「魔術師のコアな記憶は、剣が触媒になっている。君がさっき言った、ルビーの挟まった剣だ。その剣を本人が目の前にすると記憶が覚醒する。その魔術師の記憶が厄介だ。悪意があるからな」  ヴァイオラは思わず口にしていた。「どうしましょう。あの剣、また出たんですよ」  トーラファンは答えて言った。 「ということは、君の仲間に関係者がいるってことだよ」 「つまり、関係者の周りにいる魔術師が……?」  目の前で肯く男を見ながら、ヴァイオラは頭を抱えたかった。 (どうするんだ、こいつら……)  努めて明るく、彼女は言ってみた。 「やっぱり呪われてるんですかね、この集団」 「ああ、そうかもな。はっきり言って、君たちを全員隈無く調べたい気分だよ」  トーラファンはにやにやしながらそう返してきた。 「で、もういいかな?」 「いつもいつもすみませんねー」 「いや何、君からはいつもいつも楽しい話を聞かせてもらっているからね」 「じゃあ情報料をください」 「こちらからも情報をあげているじゃないかね」  ヴァイオラはなおも食い下がった。 「こんな危ない子どもたちを守っていかなきゃいけないんですよ? 厄介な相手だし、なんかツテでも紹介してください」 と、言ったところ、トーラファンは「まだ足りないのか」と呟いたようだった。 (足りないって、何が?)  そして結局、情報料はもらえなかった。  ヴァイオラがトーラファンとの話を終えて出てくると、カインが待っていた。帰りしな、彼はヴァイオラに声をかけた。 「…お前さん、抱え込みすぎじゃないか」  ヴァイオラはふっと鼻で笑った。だがカインは続けた。 「こんなことは考えるべきじゃないんだろうが、今、ヴァイオラさんが死ぬと、このまとまりは崩壊するぞ」 「そうなったらみんな、自分で自分の道を歩いてもらうだけだよ」 「それはそうなんだが……少しは俺にも話してくれると嬉しい」  意を決したように言うカインの台詞を聞いて、ヴァイオラは「ボーヤは苦労人だね」と微笑った。 「ヴァイオラはわかっているだろうが、今の俺は『奴』の記憶を得ている」---カインが言う『奴』とはレスタトのことだった---「今じゃ知りたくないことまで知ってる有様だ。だから少しはヴァイオラの気持ちもわかると思う」カインはそこで息を継ぎ、言葉の調子を変えた。 「はっきり言ってムカツク奴だな! なんだ、あの『パン、パン』は!!」  ヴァイオラは吹き出した。カインが言っているのは、レスタトが下々の者に用を仰せつけるときの仕草らしかった。手を叩くだけであとは下々の者がやってくれるなど、フィルシムの貧民街育ちのカインにはとても理解できないに違いない。  やにわに真面目な顔になって、カインはヴァイオラと向き合った。 「俺もある意味、逃げられないと思っている。だから、あんたの抱えているものを、分けてほしい」 「ボーヤにその気があるなら」  そう言って、ヴァイオラは彼の手に財布をずしりと乗せた。共同財産の財布である。まずはここから、と、いうように、 「頑張ってやりくりしてくれ」  カインは軽く肯いた。  ラクリマは夕食の片づけのあとで、トーラファンがいないか辺りを探した。土産として工房から持ち帰った魔術書を渡すためだ。 「ああ、ここにいたか」  そのトーラファンはトーラファンで、ラクリマを探していたようだった。彼は、ヴァイオラから冒険のさわりを聞かされて、好奇心がうずいて仕方なかったのだ。「時間はあるかね」と言って、ラクリマを自室に引っ張り込んだ。  マジックアイテムに関する書物を「これはいいものだ。ありがとう」と言って受け取るや、それを机の上に置き、居直って「冒険の話をもうちょっと詳しく教えてくれないかね」と熱っぽく尋ねてきた。ラクリマは、聞かれるままに、自分の知っていることはすべて話した。 「そうすると、全員、別人格の記憶を持ったわけか……面白い……」  トーラファンは工房での夢のような出来事に痛く興味を惹かれたようで、いつまでも話を聞きたがった。  そうした土産話が一段落ついたところで、今度はラクリマが「ご相談があるんですけど」と切り出した。相談とは、明日から戦闘技能訓練の道場へ行くのに、彼女はここから通いたいのだが、毎日送り迎えしてもらうのは仲間に悪い。道場までの往復だけゴーレムを警護に貸してもらえないだろうか、というものだった。 「貸すのは構わんが」と、トーラファンは少し顔をしかめた。「護衛がゴーレム1体で大丈夫かな?」 「大丈夫だと思います」  ラクリマは答えた。彼女にとってフィルシムは育った街であり、本当はこのくらいの道のりに護衛が要るなどということも頭では考えにくかった。だが、一人で往復すれば他のみんなが心配するだろうし、今は不穏だから用心に越したことはない。そう思ってトーラファンに頼んだのだ。 「いいだろう。クリスタルスタチューを1体つけよう」  トーラファンは考えた挙げ句に了承した。ラクリマが借り賃のことを心配すると、「壊れたときに弁償してもらうから、それまではいい」と言ってくれた。 (どうか壊されずに済みますように)  ラクリマは祈るように思った。  ヴァイオラたちが宿に入った途端、50名の僧兵たちがこちらを見たようだった。が、すぐに興味を失ったのか、バラバラと彼らはそれぞれの目先に視線を戻した。 (ああ、これか)  ヴァイオラは心の中で思った。これが例のガラナーク兵。こんなところにいるとは思わなかったが。  兵士たちの行儀はよかったが、雰囲気は最悪だった。統率者は青年僧侶らしく、首から銀製の聖章を提げていた。ヴァイオラとは同い年くらいに見えた。その隣に中年の戦士が腰掛け、大人しく飲んでいる。彼が兵士たちの指揮官だろう。  ざっと見渡したとき、トールたちのパーティがいるのを見つけた。 「ああ、帰ってきたんだ」  ヴァイオラは明るく声をかけた。  よく見ると、メンバーが一人増えていた。白髪の可憐な少女で、ローブを着ているところからも魔術師に見えた。 「そういえば初めて会うんだな」と、向こうのリーダーであるガウアーは、ヴァイオラと、その後ろにいるカインにこの新顔を紹介してくれた。 「新しいパーティの仲間で、ローファシャだ」 「ローファシャ=ホワイトです」  その可憐な少女は、可憐な声でおっとり話すと頭を下げた。 「ここだけの話だがな」と、ガウアーが声を潜めた。「ドラゴンだ」  ヴァイオラもカインも思わずガウアーを振り向いた。ガウアーは女戦士のリーンティア=ロールバレラを指して、「一応、彼女の騎乗予定、な」と付け加えた。 (ドラゴンライダーか……!)  カインは羨望を隠せなかった。 「凄いね! やったじゃない!」  ヴァイオラの素直な賞賛に、リーンティアは顔を赤らめた。誇らしげだった。 「やっぱり知り合いが成功するって、嬉しいねー」  ヴァイオラは笑顔を向けた。ガウアーが割り込んで、 「じゃあ俺の成功も祝ってくれ」 「ああ、頑張って」  打って変わって熱のない言い様に、ガウアーは眉をひそめた。トールは笑った。 「彼女は身持ちが堅いですから。修行するんですね、ガウアー」  かつての同窓生、ルーことルーウィンリークが澄ました顔で言った。 「ガラナークに行こうと思ったら、入国規制があって」  トールはヴァイオラに語った。 「結局サーランドまでしか行けなかったんだ。それで、海上城で冒険したんだが、そのときにローファシャと出会った」 「いいなぁ…。冒険らしい冒険、してるよね。それにひきかえ、うちらは地味だよねー。苦労はたくさんしてるけど」  ヴァイオラの台詞を聞いて、カインは覆面の下で笑った。彼はリーンティアに向かい、「よかったな、おめでとう」と祝いの言葉を述べた。リーンティアはごく嬉しそうに「ありがとうございます」と答えた。 「そういえば、ドラゴン族って、獣人とはかかわりがあるの?」  ヴァイオラは、ふと思いついてローファシャに尋ねた。 「いいえ。獣人とはかかわりありません」 「ふーん……いろいろあるから、まぁ気をつけてね。じゃあ、私たち、部屋に行くから---」  ヴァイオラが階段に向かおうとするのを、トールが呼び戻した。 「実は俺たち、今日、ここに着いて、明日から戦闘技能訓練なんだ。暫く滞在するんだが、よかったら一緒に食事をどうだ?」 「喜んで」  どうやらひと月ほど一緒にいることになりそうだと思いつつ、二人は部屋へ向かった。 3■摩訶不思議コミュニケーション 「カインは殺すかもしれない」 「やるときは一撃で殺さないで、肩口から斬ってくれ。そしたら生きてる間にGを取り押さえるから」  扉の向こうから、剣呑な会話が聞こえてきた。ヴァイオラとカインは顔を見合わせた。それから、打ち合わせたわけでもないのに、二人とも忍び足で部屋の前まで行き、扉の脇に張り付いた。聞き耳をそっと立てた。  中ではGとセリフィアが摩訶不思議な会話を交わしていた。  一足先に宿に入ったGは、荷物番をしながら何をするでもなく過ごしていた。  セリフィアは部屋に入ってからずっと「うーん……うーん……」と唸っていた。何か考え事をしているのだろうと、Gは彼をそっとしておくことにした。彼女は窓を開け放ち、表を眺めながらいくつか歌を歌った。  歌い終わって暫くしても、セリフィアの唸り声は止まず、さすがに心配になったので話しかけた。 「サラさんのところに行かなくて、本当にいいのか? いつも行ってるのに」  Gはセリフィアがこのことで唸っていると思ったのだが、セリフィアは困ったように、「別に行く用事はない」と答えた。 「今までだって用はなかったじゃないか」 「今まではその、ラグナーさんに会いに行ってたわけで、でも今はいないってわかってるからいいんだ」 「ラグナーって、この剣貸してくれたひとだよな。でもそのひとがいないときも行ってたじゃないか?」 「それは、サラさんに魔法を使ってもらったのにお礼できないから、せめて何か役に立とうと思ったんだ」  Gはふぅんと言ってから、「でも、私に気兼ねしているなら、気兼ねしないで行ってほしいんだ」となおも言い募った。  セリフィアはちょっと押し黙ったあとで、急に真剣な表情になった。 「ずっと考えてたんだけど……」  また突拍子もないことを言うんじゃないかと思って、Gはドキドキした。 「Gがいないと、俺の未来は暗すぎてまともに歩けない。転んじゃうよ。Gと一緒にいていい? ずっと一緒にいよう?」  今度はGが唸っていた。 「ダメなの?」  セリフィアは、どういうわけかとても気弱だった。伺いを立てるように、Gの瞳を覗き込んだ。Gの返事はこうだった。 「お母さん、好きだろう? 帰ってきてくれたら喜ぶだろう?」  セリフィアは青くなった。 「それって、母さんが帰ってくる代わりにGがいなくなっちゃうってこと?」 「う…うーうー……う、うん」  どうしてこんなに妙なところは鋭いんだろうと思いながら、Gは仕方なく答えた。 「どこかへ行くなら俺も連れてって……それもダメなの?」 「セリフィアさんはちゃんといないと、お母さんが帰ってきたときに困るでしょうがっ」 「母さんを失った悲しみは母さんでしか癒せないし、Gを失っちゃったらそれはGじゃないと埋まらないよ。……どうしてもダメなの?」 「………」 「Gがいなくなっちゃったら、俺、どんなことをしてでもGを取り戻すよ」  このままかわしていても埒が明かなさそうだったので、Gは観念して、「つがいの話は知っているだろう?」と切り出した。もちろん、セリフィアも知っていた。工房跡で、ダルフェリルの過去から得た知識だ。 「それができないんだ、だからダメなんだ」Gはしどろもどろに説明した。「ひとには言えないことってあるだろぉ? 今数えただけでも4つもあるんだ」  どうして言えないのか、それは言えばセリフィアに嫌われると思うから。だがその相手は言った。 「言えないことって、何だ?」  だから言えないんだって、大声で言いたかった。Gは困り切ってセリフィアから目を背けた。 「それを全部どうにかしたら、一緒にいてくれるの? 俺、強くなるけど、それでもどうにもならない?」  沈黙が流れた。どうにも溜まらずにGはセリフィアをそっと盗み見た。握った拳が小刻みに震えていて痛々しい。 「だめなんだ、だって嫌われちゃうから」 「嫌ったりしない」  セリフィアの声は泣きそうに震えていた。彼のあまりの悲しみように耐えられなくなったGは、2つぐらいなら何とかならないこともないかもしれないと、譲歩した。 「じゃあ問題を一つずつ片づけていけばいいんだ」  セリフィアがそう言うので、Gは4つといった問題のうちの一つを挙げた。 「たとえば……サラさんのダンナ、好きだろう? 殺されちゃったらイヤだろう?」  セリフィアは吃驚したような顔をした。  セリフィアさんを大好きだから、セリフィアさんと仲良くする人間をみんな殺したくなるんだ、サラさんやラクリマさんは我慢できるけど、ミーア=エイストはダメだ、サラさんのダンナもダメだと、Gは説明した。セリフィアはうーんと唸った。 「セリフィアさん、ラクリマさんが大事だろう?」 「カインもラクリマもみんな同じように思っている」 「じゃあ、カインは殺すかもしれない」  このとき、表にカイン本人とヴァイオラが戻ってきたのだが、中の二人は会話に夢中で、外のことなど気づきもしなかった。 「やるときは一撃で殺さないで、肩口から斬ってくれ。そしたら生きてる間にGを取り押さえるから」 「肩口からばっさり斬っていいのか」 「後ろからはやめてくれ。正面から肩口なら、いい」  カインならそのくらい何とかしてくれるだろうと、セリフィアは考えながら言った。だが、 「アルトはやめてくれ」  アルトは一撃で死んでしまうかもしれない。セリフィアは不安に思って頼んだ。 「わかった。アルトはやらない」  表でこのやりとりを聞いていたカインは思った。(お前ら、アルトはダメで俺は死んでもいいのか!?)  カインの心の叫びにはお構いなしに、中ではまだ「ばっさり問答」が続いていた。 「サラさんのダンナって、どのくらいの実力なんだ?」 「まだ騎士になってない、そのくらいだと思う」 「そいつも殺すかもしれない」 「ラグナーさんは、自分で自分の身を守れるから大丈夫だ。でもやっぱり肩口からにしてくれ」 「後ろからもダメか?」 「うん」  その後も暫く、だれをやるやらないと相談していたが、やがてセリフィアが結論を出した。 「……よし、じゃあいつもGのそばにいればいいんだ。そしたら止められるし」  彼はちょっと考え込んでから「わかった! 努力する!」と叫んだ。次の瞬間、Gに向かって言った。 「あと一つは?」  とにかくセリフィアはGのそばにずっといたいの一点張り。  Gは、嫌われるから言えないんだと言い張る。  彼女は、どうしてもセリフィアに知られたくなかった。まず、セリフィアに白状したとおり、嫉妬心から好きな人を孤独にしてしまうということ。次に、ハイブを召喚したシルヴァ=ノースブラドが母であるということ。3つめに、母シルヴァを独占するために母自身を処刑台に送り込んだこと。そして最後に、セリフィアがあれだけ憎んでいるハイブを、実は彼女自身は憎んでおらず、ハイブに哀れみさえ感じているということ。ハイブを殺すときに彼女が意識下で殺しているのは、母を殺した人間たちだということ。  秘密を放棄しなければ「つがい」の儀式はできないから、儀式ができなくて消滅する前にセロ村のハイブコアを潰して自分の役目を果たし、どうせ魂が消滅するんだからそれを利用してデスウィッシュ〔魂の祈り〕でセリフィアの母親を甦らせようというのが彼女の思惑だった。こんなに頑強にセリフィアの抵抗にあうとは思っていなかった。  すれ違い、平行線をたどったまま、それでも話は収束したようだった。ヴァイオラとカインは顔を見合わせ、頷きあってそのまま忍び足で階段の上がり口まで戻った。  熊のようにうろうろと歩き回っていたセリフィアが口を開いた。「昔、かあ---」母さんが、と、言いそうになっていったん言葉を止め、言い直した。「父さんに教えてもらったおまじないがあるんだけど、やっていい?」  魔術師のおまじないと聞いて腰が引けているGを見て、セリフィアは「魔法は使わない。危なくないし」と断った。 「…じゃあ……いいけど……」 「目、つぶって」  Gは目をつぶった。セリフィアの腕が彼女を抱き寄せ、すぐに唇と唇がふれあう感覚があった。同時に耳にがちゃがちゃという足音が響いて、扉が開いたようだった。 「失礼しました」  ヴァイオラの声がして、扉がバタンと閉められた。  待つこと暫し、ヴァイオラたちは頃合いを見計らって中に声をかけた。 「もう入ってもいいかな」 「どうぞ」  セリフィアの声がして二人が中に入ると、キスシーンは終わっていたが、セリフィアの腕はGに回されたままだった。Gはそこから少し身を離すと、 「今、キスしたでしょう!」  ビシッとセリフィアを指さした。  摩訶不思議会話がようやく終わって、4人は一階に下りた。 「ずいぶん遅かったな」 「ちょっとね」  ガウアーやトールたちと一緒にテーブルを囲み、一同は話に花を咲かせた。  カインがガウアーに「今、どのくらいのレベルなんだ?」と尋ねると、ガウアーは「騎士まであと2段階くらいかな」と答えた。 「うらやましいな」  カインはごく素直に羨望の辞を述べた。横から僧侶のルーウィンリークが口を挟んできた。 「この人たちについて回ってると成長するにはいいですよ。ええ、何度危ない目に遭ったか」  カインは笑った。  ヴァイオラは、久しぶりだし時間にも余裕があるし、今晩あたりどうかとトールに目で誘いをかけた。トールは(明日にしないか)と目で返してきた。 「……ふーん。ま、頑張るんですね、ガウアー」  二人を見てルーがそう言ったが、ガウアー本人はわからないでいるらしかった。  翌5月6日。  ラクリマは朝早くに「青龍」亭を訪れた。クリスタルスタチューを護衛につけてもらったため、送迎は必要なくなったということを仲間たちに断った。  セリフィアは一人だけ城外で10フィートソードの訓練を受けた。1日分の訓練が終わって戦闘技能訓練の道場へ向かい、他のみんなと合流した。そういえば、と、彼は思いだしてラクリマを脇に呼んだ。 「ラクリマ、頑張ったぞ」  開口一番、そう言った。  実はフィルシムに来る道中、ラクリマからGとのことで「結婚の約束はもうしたんですか?」と聞かれて困ったことがあった。ラクリマとしては、「結婚を前提にしたおつきあいを申し込んだんですか?」と聞いたつもりだったのだが、セリフィアはもっと直裁に捉えた。もっとも、そうでなくても、Gに「好きだ」と伝えはしたものの、それだけで終わってしまっていることにセリフィアも気づいていた。 「じゃあ、申し込んだんですか?」 と、ラクリマが無邪気に尋ねてきたので、彼はちょっと暗い顔をしてかぶりを振った。 「いや、それが難しくって。4枚、壁があるみたいなんだ」 「壁が?」  ラクリマは驚いた。好きあっているみたいだし、交際を申し込むだけかと思っていたら、いったいどんな壁があるというんだろう。だがすぐに同情して、「私では力になれないですか?」とセリフィアに申し出た。 「うん…難しいんだ……でも何かあったら相談するよ」  セリフィアはにっこり笑った。 「それと、その……昨日、Gと話したんだが……俺とラクリマはときどきこうして二人で話すことがあるだろう?」 「え? え、ええ……?」 「その、それについてなんだが、こうして---」  セリフィアがしどろもどろに何かを説明しようとし始めたそのとき、向こうでGと話していたヴァイオラから声がかかった。 「セイ君!! ジーさんが武器屋に行くからついてってあげて!!」  なぜかやや怒気を孕んだ声だった。  それもそのはずで、さっきから向こうではGが落ち込んでいた。 「また……」  Gがとても楽しいとはいえない様子をしているので、ヴァイオラは「どうしたの」と話しかけた。Gは、気づいたように「武器屋へ行きたいんだ」と努めて明るく返事した。 「じゃあセイ君と行ってきたら」  ヴァイオラがさりげなく提案すると、Gは「いや、迷惑になるからいい」ときっぱり否定した。ヴァイオラはわずかに違和感を感じて聞き返した。 「迷惑? どうして? セイ君はジーさんのことが好きなんだから、一緒に行けたら嬉しいに決まってるでしょ?」 「別に。好きだとは言われたが、それだけだしな」 (何を言い出すんだ、この娘は?)  ヴァイオラが何か口にしようとするのを、Gは遮った。 「恋人になってほしいとも言われてないし、それに、やっぱりラクリマさんがいいみたいだ」 「ラッキーが何?」  ヴァイオラが向こうに目を向けると、なるほど、ラクリマとセリフィアが二人で歓談している。 「ラクリマさんのほうが話しやすいみたいなんだ。だから、邪魔したくないから、いい」  Gはちょっと肩を落とした。 「そんなわけないでしょ。いいから一緒に行っといで」  ヴァイオラはそこでセリフィアを呼んだ。彼はどうしてGを不安にさせていることに気づかないのだろう。 「セイ君!! ジーさんが武器屋に行くからついてってあげて!!」  思わず怒気を孕んだ声になるのも無理はなかった。  ラクリマはクリスタルスタチューと一緒にトーラファン邸へ帰っていった。  Gが武器屋へ行くのに、セリフィアは喜んでついていった。武器屋の親父にGは尋ねた。 「ノーマルソード+1って、幾らするんだ?」 「1万gpだね」  親父は素っ気なく答えた。大して金も持っていないようだと見定め、「買うのかい」と冷めた声で聞き返した。 「いや。いいんだ」  Gはそれだけ聞いて、店を出た。Gと店の親父のやりとりを聞きながら、まだラグナーさんから借りた剣のことを気にしているのか、と、セリフィアは少し困ったように思った。  夜、5人が「青龍」亭でテーブルを囲んでいると、フィルシム市内警備隊のルブトン=フレージュが訪ねてきた。 「アレに対する功績が認められてな、今度抜擢されてクダヒに行くことになった」  ルブトンはそう言って、ヴァイオラたちに情報提供の礼を述べた。 「警備隊がクダヒに?」 「クダヒの警備隊から救援の要請があってな。俺は警察機構として行くが、軍も二個中隊が投入されるって話だ」 「クダヒの話は、ずっと前にしておいたはずだけど。ずいぶん対応が遅いね」 「まあな」  ルブトンは平静を保ちながらも、やや情けない口振りで答えた。 「上の奴らの決定が遅いのはいつものことだ。それより、噂ではクダヒの有力貴族がユートピア教の手に落ちたという話もあるみたいだな」  その「有力貴族」とは、妹の嫁ぎ先のフォアジェ侯爵家ではないだろうか。ヴァイオラは黙ってお茶をすすった。 「軍も行くと言ったな。どんな連中が行くんだ? 行く前に襲われたりしたら、話にならないぞ」  カインが思いついたように尋ねると、ルブトンは「まっとうな騎士が2名、つくから大丈夫だろう」と言った。  別れ際、ヴァイオラは、 「あなたのようなマトモな仕事をしている人材が少なくなると困るね。頑張って」 と、餞(はなむけ)の言葉を与えた。ルブトンはちょっと嬉しそうに笑って、 「マトモな仕事か? 俺以外にもたくさんいるぜ」  それまでほとんど黙っていたGが、口を開いた。 「……まぁ、死なない程度に頑張れ」 「殉死する気はないよ」  ルブトンはそう言って、去っていった。 4■天命語るべからず  5月7日。  ヴァイオラは朝帰りした。  日中は滞りなく戦闘技能の修行に励み、いつものように夕方にはラクリマと別れた。 「カイン、今日、暇か?」  Gはカインに声をかけた。 「ああ。なんだ?」 「よく当たるって噂の占い師のところに行きたいんだ」  カインが場所を尋ねると、彼にとっては馴染みのところだった。あの天幕の占い師だろう、と、彼は見当をつけた。 「つきあおう」  きわめて治安の悪い場所柄なので、カインは同道を申し出た。もとよりGもついてきてもらうつもりでいた。  と、「俺も行く」とセリフィアが言い出した。カインはかぶりを振ってそれを断った。 「セリフィア、お前は安全のために残ってろ。お前のやぶにらみは要らん喧嘩を引き起こすだけだ」  セリフィアは「大人しくしてるから」と、一緒に行くことを主張したが、 「Gのためを思うなら、お前は来るな」 と一喝されて、すごすご引き下がった。仕方なく諦めたが、「ああ、カイン、渡すものがあったんだ」と彼を手招きしたあと、こっそりと「背中に気をつけてな」と告げた。  どういう脈絡で言われているのか、今ひとつ判然としなかったが、カインは「大丈夫だ。俺は『生き残る』ための知恵を幾らでも持ってる。お前ら程度に殺られたりはしない」と言って、セリフィアを安心させた。  出かけていく二人を見送ったあと、宿の部屋でセリフィアはヴァイオラに相談した。 「ヴァーさん、カインについて来るなと言われた。どうすれば一緒に行けるようになるだろう」  ヴァイオラは答えて言った。道は二つしかない。一つは目立たずに行動できるようになること。しかし、それはセリフィアには無理だろう。 「人に嫌われないために、笑顔の練習をしたほうがいいのかな?」  セリフィアが真面目な顔をして言うので、ヴァイオラはぶーっと吹き出した。それから、「笑顔の練習」ではなくて、ザコが寄ってこられないほど強くなって威圧すればいいと、助言した。 「強くなんなさい」 「わかった」  返事はいい返事だった。  ひっそりとした区画の隅に、その天幕はあった。もとは公共の広場だったのが、向こうに大きめの広場ができてその役割を奪い去られた場所だった。往時の交流の場としてのぬくもりはなく、ただの吹き溜まりと化している。奥には、今にもひしゃげそうな木製のバラックがあり、天幕とたがいに支え合うように添いつつ立っていた。 「たのもう」  Gは天幕の帆布を捲り上げた。 「いらっしゃいませ。何をお望みですか?」  水晶の向こうには瞳以外を隠した女性---たぶん女だろう---が座っていた。 「占ってほしいことがある」  Gは手前に座りながら言った。カインは表の様子を十分に確認してから、続いて中に入り、幕を下ろした。 「何なりと」 「来年の今日、私、生きてるか?」 「………」  占い師が口を閉ざしているので、(これはダメだな)とGは思った。 「わからないなら、いい」  そう言って腰を浮かせたとき、占い師が声を発した。 「見料が高くつきますよ。いいんですか」 「構わん。合ってるなら、な」  Gは再び腰を下ろした。 「来年の春、ですね」占い師はちょっと考え込むようにしてから、「ではそれまで見料をお預かりしましょう。来年の今日まであなたが生きていて、私の占いが当たっていたら、見料はそのままいただきます。占いが外れていたら、全額お返ししましょう」 「構わないと言ってる。幾らだ」  Gはぽんぽんと言葉を発した。占い師が百gpだと答えると、無造作に金貨百枚を放って寄越した。 「来年の今日、あなたは生きています。生きているといえば、生きています」  占い師は、謎めいた言葉を口にした。それから「これ以上は言えません」と断った。Gはため息をついた。 「お前もか……。お前もヘルモークの仲間か?」  占い師はそれには答えず、 「あなたは非常に数奇な星の元に生まれている。あなたはこの世界を左右する選択を……」  ひゅっと喉の鳴る音がしたかと思うと、いきなり彼女はテーブルに突っ伏した。水晶が台座からはずれてごろりと落ちた。 「……おい?」  様子が変だと、カインは占い師に手をかけて揺さぶった。 「……死んでる!」  占い師は事切れていた。きっと自分のせいだ、と、Gは思った。人間には許されない領域に踏み込もうとしたから───。 「逃げるぞ」  いきなりカインの声がして、次の瞬間には、彼に抱え上げられていた。 「何するんだ、カイン! ヒトが死んだんだぞ! 下ろせ!」 (ヒトが死んだから逃げるんだろうが!!)  暴れるGを力で押さえ込み、カインは脱兎の如くその場を逃げ出した。 「止まれ! 何で逃げるんだ、何も悪いことしてないのに!!」  仮令(たとえ)悪いことをしていなくても、人死にのあった場所にいるだけで面倒ごとに巻き込まれるのは、目に見えていた。カインはそのまま「青龍」亭まで、息もつかずに走りきった。 「おかえりー……どうしたの?」 「ヴァーさん!! こいつ、ヒトが死んだのに逃げるんだ!!」  Gはプリプリ怒りながらヴァイオラに言いつけた。だが、予想に反して、ヴァイオラはカインを向いて言った。 「よくやった」 「どうしてー!!」  Gは叫んだ。 「何も悪いことしてないのに!?」  カインがちょっと意地悪くあとを継いだ。 「ああ、腕のいい占い師がお前を占って、運悪く死んだだけだ」 「死んだ?」  向こうでセリフィアも声をあげた。 「……何を占ってもらったの、ジーさん?」 「………」  ヴァイオラが訊いても、Gは答えようとしなかった。カインが横から割って入った。 「来年の今、生きてるかどうか」  セリフィアは「えっ」と小さく叫んだ。それから部屋のテーブルに突っ伏してしまった。 (言ったな!? 覚えてろ!! 今度ヒドイ目に遭わせてやる!!)  占い師のところまでついていってもらった恩などすっかり忘れて、Gはカインを殺気とともに睨みつけた。ヴァイオラの声が聞こえた。 「なるほどね」  ヴァイオラは、占い師がおそらく神の領域に達しようとして、命を奪われたのだろうと察した。なるほど、それは腕のいい占い師だったに違いない。彼女はテーブルに突っ伏しているセリフィアに目を向け、「がんばれ」と一言言った。 (………3ヶ月で1枚か…)  セリフィアは顔を伏せたまま、思った。4枚の壁をクリアしなければ、Gとは結婚できない。もし1年しか猶予がないのなら、3ヶ月ごとに1つの障壁を取り除いていかなければ………。 「君たち、ちょっとずれてるところで悩んでいるようだから、もっと外に目を向けたら?」  ヴァイオラの声がそう言うのが聞こえた。 「違うんだ! そうじゃないんだ!」  Gはまた叫んだ。今日はよく叫ぶ日だ。 「話せないことだってあるじゃないか!」 「本当に話せないことなのか?」  カインはわずかに揶揄するような気配をもって聞き返した。 「話せ話せっていうけど、ラクリマさん、笑ってたじゃないか!」 「何のことだ?」 「話したら、ラクリマさんが笑ったんだ!」  カインはめまいがした。ふっと、レスタトの記憶が甦った。そういえば『奴』もGの言動には振り回されていたな、と、少し可笑しいように思った。彼は辛抱強くもう一度尋ねた。 「何の話だ?」 「だから、ラクリマさんがヒトに作られたものだって……」  Gはそこまで言って、ハッと口に手を当てた。ヴァイオラはGの額を、ペン、と、はたいた。「だから……」 (余計なことを口にしたらいけないって、学習したんじゃなかったの?) 「……ラクリマが笑ってたのか?」 「う、うん…」  Gは決まり悪そうに肯いた。カインは先月、満月の夜に見せられた啓示の一つを思い出した。チューブの中で育てられている子ども……あれは、やはり……。 「それは、俺とセリフィアが寝ていた間の話か?」  スルフト村近くのハイブコアを潰した帰り、徹夜で番をしたカインとセリフィアは睡魔に負けて眠ってしまったことがあった。この辺りの話は、その間にされたらしかった。 「どんな夢だったか、訊いてもいいか?」  カインがそう言うと、ヴァイオラが答えて言った。 「本当に訊きたいの?」 「………」 「聞かないほうがいいと思うけど」 「わかった、聞かない」  向こうからセリフィアの声がして、カインもここで聞くのは無理のようだと判断した。だが、ちょっと食い下がりたく思って、Gに、 「どうせ俺にも話してくれないんだろう?」 と、粉をかけてみた。  Gはカインをまじまじと見たあとで、いきなり言った。 「もしかして、友だちになりたいのか?」 「え? 友だちじゃないのか?」  驚いて聞き返したのは、セリフィアのほうだった。  カインはまたしても妙なズレを感じていたが、相手がGだから仕方ないのだと観念した。手を差し出して、 「わかった。G、友だちになってくれ」 と、正式に申し込んだ。 「よし。お前に友だち第一号の栄誉をやろう!」  Gはほくほく顔でそう言った。 (どうして『友だち』になるのに、そんな申請が必要なんだ……?)  ヴァイオラとカインはちょっと悩んだ。ガラナーク育ちの人間は皆こうなのか?  カインは「よろしくな」とGに言ったあと、やおらヴァイオラに向き直って言った。 「なあ、ヴァーさん、こいつらダメだ」  彼は今の今、ひたすらにヴァイオラを尊崇していた。 (あんた凄いよ、ヴァーさん! こいつら、放っておけない! よく今まで一人で面倒みてきたな!)  そう思って感心することしきりのカインの耳に、セリフィアの呟きが聞こえた。「そんなこと言われると、哀しいなぁ…」  カインはセリフィアのほうに近づいていった。Gには聞こえないように、 「セリフィア、お前が弱いから、Gが頼れないんだぞ」  カインが言いたかったのは、腕っ節の強い弱いよりむしろ懐の深さのことだったが、セリフィアにそれが通じているかどうかは怪しかった。彼はただ、「強くなるように努力する」と返しただけだった。 「悩みを抱え込むな」  カインがそう言うと、セリフィアはどんよりと彼に目を向けた。それから、自分の悩みを少しずつ話し出した。 5■若き者の悩み 「さっきの話だけど。ジーさん、別に『友だちになる』って宣言しなくても、『友だち』っていうのは自然になるものなんだよ?」  ヴァイオラは一応、教育的指導を試みた。が、やはりというべきか、Gは全然わからないようだった。 「どうして? だって自分で『友だち』って思ってても、向こうが思ってなかったら困るだろう?」  ヴァイオラは、ここらで彼女の悩みを聞いておいたほうがよさそうだと判断した。ただ、通常の悩み相談と違って、Gの場合は何が飛び出してくるか予測不可能だった。彼女は腰を据え、Gの話を聞くための覚悟を整え、心に錨を下ろした。  Gの悩みは、大まかに3つあるようだった。  ひとつめは「つがい」のことだ。  騎士クラスの実力を身につける、つまりひとかどの人物として認められるくらいになったときに、鷹族は成人する。だがそれには「成人の儀式」を通過することが必要で、それはだれかと「つがい」になることに他ならない。そこでつがいにならずにいると、彼らは消滅してしまう。ちょうど泡になった人魚姫のように。  問題はその「つがい」になること、そのものにあるようだ。すべての記憶、すべての心情、それまでに蓄積された彼(彼女)を彼(彼女)たらしめる情報を、すべて交換し精神結合しなければ儀式は完成しない。つまり、すべてを相手にさらけ出さなければならないし、それをたがいに心から受け入れなければ、泡になるだけというわけだ。受け入れるほうはともかく、相手に何も隠し事をできないというのは、なかなかにきついオーダーだ。 「セイ君は知ってるんでしょ」  セリフィアは、あのダーネルの工房で、ジルウィンとつがい同士だったダルフェリルの追体験をしているのだから、当然「つがい」がどういうものかを知っているはずだ。そのうえでGに「好きだ」と告白したのだから、何もかも受け入れる覚悟はできているのだろう。  ヴァイオラがそう主張すると、Gのほうがイヤなのだと言った。どうしてもセリフィアさんには知られたくないことがあるのだ、と。  それもわからないわけではなかった。だれしも、知られたくないことはあるもので、それを他人にさらけ出してみせるのには余程の勇気が要る。  だがまあ、まだ時間があるのだし、セリフィアは受け入れようと頑張っているのだし、Gさんも頑張って自分自身をさらけ出しても悔いないような、いい大人になることだと、ヴァイオラは助言した。  ふたつめ。  ヴァイオラはGの、異常なまでの独占欲を知ることになった。  何しろ、セリフィアと雑談している相手、セリフィアと親しくしている友人や信頼している知人、セリフィアが笑顔を向ける人間のすべてに嫉妬するらしい。それも普通レベルの嫉妬ならかわいらしいが、本気で殺意を抱くとなると話は別だ。少し前にカインと盗み聞いた「奴(カイン)を斬っていいか」「斬るなら肩口からにしてくれ」の不可思議な問答は、どうやらこのことだったらしい。  それでいて、一番嫉妬し殺意を燃やしてしかるべきラクリマや、パシエンスのサラについては問題ないというのだから、聞いているほうは不可思議を越えて無明の境地に至ってしまいそうだ。彼女たちが「大丈夫」なのは、Gにとっても好きなひとだから、なのだろうか。  この恐ろしいような独占欲が原因で、Gは「母さん」を告発することになってしまったらしい。G自身も何とかしたいと思っているようで、それだけが救いだった。 「どうしても許せないっていう、許容範囲の狭さを克服しなきゃ。度量の大きな鷹族になったらいいんじゃない」  これだけ言うので精一杯だった。  そして3つめ。  どうして許可を得ないで勝手に相手を好きになることが、相手に悪いことだと思いこんでいるのか。どうしてだれかを好きになることが自分の「自由」だと思えないのか。ひとを好きになるのは当たり前の、日常の出来事のようで、しかしながらGにとってこれは根の深い問題だった。 「勝手に好きでいたら、相手は自分のこと嫌いかもしれないんだ」  Gは遠慮しながらもまくしたてた。ヴァイオラは根気よく、ひたすら彼女の話に耳を傾けた。 「だってメルはいろいろ教えてくれたし、とってもやさしかった……けど、私のこと嫌いだったんだ」  いきなり「メル」の名を出して---どうやらガラナークの財務大臣メルデル=アールブラウのことらしい---さらに、自分が勘違いしていただけだからメルは悪くないんだけど、と、庇うように前置きしてから、 「薄汚い獣人め、って……言われた」  ヴァイオラはそれを聞いて悲しいような気持ちになった。だがそれを微笑みで押し隠し、優しい声で言った。 「ジーさんはそのひとのことが好きだったんだね」 「いやっ、ちが…っ……お父さん、みたいだったから---」  言い訳めいたことを口にしながら、Gは自分の言葉が何か違うなと違和感を覚えた。彼女は「メル」への想いに、自分でも未だに気づいていなかった。彼が好きだった。だがその「メル」は、全く別のひとしか目に入っておらず、Gの子供じみた告発を政治と自分の思惑とに利用した。  そのうえ獣人に対する偏見を、こんな子どもにぶつけるとは、一国の大臣ともあろう者には信じられない行いだ。ヴァイオラは、獣人は決して薄汚くなんかないこと、そんなことを言う彼こそが「狭量」な人間であることをGに説明した。ヘビを嫌いなひとの例を挙げて、 「嫌いだと思ってそばに寄らなければ、そのウロコがきれいなこともずっと知らずに嫌いなままでいるでしょう?」  それから「ガラナークに生まれ育ったせいでそれが当たり前なのかもしれないけど、地位が高くても人間的には低い」と「メル」のことを評した。  Gはわかったようなわからないような顔をしていたが、もとの論点に立ち返って言った。 「でも……やっぱり、好きなひとに好きって言ったら、迷惑じゃないか」 「自分の心は自分のものなんだから、想うのは自由でしょう。それが相手に迷惑になるのは、その想いを押しつけたり、見返りを要求するからじゃないかな。そっと陰から手助けする分には問題ないと思うけど」  ヴァイオラがそう諭しても、Gはなかなか信じようとしなかった。  彼女は臆病になっているのだろう。そしてそれは彼女自身のうちに原因があると同時に、セリフィアの側にも原因があるのだ。ヴァイオラは向こうでカインと話し込んでいるセリフィアに怒鳴った。 「一言言っとくと、セイ君、君はジーさんを不安にさせている!」  セリフィアが吃驚して、次いで泣きそうな目をしてこちらを見た。 (泣きたいのはこっちだ)  ヴァイオラは容赦なく畳みかけた。 「とにかく大人になれ!!」  ヴァイオラの台詞のあとで「ほらな?」とカインがセリフィアに声をかけ、二人は再び語り出した。向こうは向こうで人生相談の最中らしかった。  セリフィアの悩みは、まとめるとこれだけだった。 「Gが俺の愛を信じてくれないんだ! どうすれば信じてもらえると思う?」 「Gにこの気持ちを信じてもらえないのが悲しい。何があってもGのこと好きなのに」  話を聞くにつれ、カインはセリフィアのことを---二つ年上であるにもかかわらず---視野の狭いコドモだなと思うようになっていた。いや、以前からそう思う土壌はあった。だが、ここまで自分の価値観でしか物事を量れないとは……。  実はそれだけではなかった。カインが悩み相談を始めるや、口調がまるきりコドモ調に変わってしまったのだ。セリフィアは「あのね、あのね、ボクね」「どうしたらいいか教えてよ」などと言うようになった。身の丈2メートルの大男の発言としては、気持ち悪いったらなかった。  カインはそれでも耐えて、「相手の言いたいことを理解しろ」というところから始めた。が、セリフィアにとって「相手」は「G」に限定されるらしい。「Gが何を言いたいか、理解する」ということになってしまい、どうやってねじれを戻そうかと困っていたところ、Gの嫉妬問題に触れることになった。  話によればGの嫉妬というか独占欲は凄まじく、セリフィアが親しくする相手すべてを殺したいとまで思うらしい。なぜラクリマが除外されるのかはわからないが、カインはもろにその対象となっているということだった。変わったヤツだと思ってはいたが、そういう面での脅威があるとは知らなかった。表立ってはそう見えないところが不気味だ。なおも聞いていると、「Gの言いたいことを理解する」からねじれた理論が、「Gが俺の親しい友人を殺したいと思うことも容認する」に発展してしまった。 「そうじゃないだろ!」  カインはややあせって制止した。 「いいか、いくらGのことが好きで理解したいといっても、Gのほうで直すべきことだってあるわけだろう?」  俺はいったい何だってこんな当たり前のことを説いて聞かせているんだと、カインはくらくらするような感覚を覚えながら、噛んで含めるように言って聞かせた。どう割り引いても前途は多難そうだった。セロ村で、二人で手をつないで帰ってきたときは、トントン拍子に話が進みそうだと思ったのに。  しかも、聞けば聞くほどセリフィアとGのずれっぷりが感じられて、頭が痛くなってきた。迷路から抜け出すために、カインは初心に返ることにした。 「とにかく相手が何を言いたいか理解しろ。相手ってのはGだけじゃない、周りの人間もだ」 「努力する」 「………(怪しいな)」 「………」 「いいか。とにかくだ、今度から行動する前にちゃんと考えろ(俺はなんだってこんなことを喋ってるんだ)。お前の行動いかんでGやヴァーさんが迷惑をこうむることだって十二分にあり得るだろう?」 「わかった。今度から我慢する」 「そうじゃないっ!! 我慢するとかしないとかの前に、ちゃんと考えて『判断』しろって言ってるんだ!(本っ当にわかってないな……)」 「………」 「お前は無力な存在だ。だからお前にできることを一から考えてみろ」 「カインや皆が殺されないように努力する」 「……お前、俺の言っている意味、全然わかってないだろ」  カインは呆れはてた。  興奮するとガキっぽくなる奴だと思っていたが、「っぽい」のではなくて、これではガキそのものだ。せっかくダルフェリルの人生も追体験したのだから、もう少し柔軟な発想もできそうなものなのに。 (全く、手のかかる坊やだ。仕方ない、これも縁だ、世渡りってヤツを教えてやるか……)  そして結局のところ、カインが授けたアドバイスは「ヴァーさんみたいに頼りがいのある男になれ」だった。  その、頼りがいあるヴァーさんことヴァイオラは、Gの人生相談における最終ステージに突入していた。  「メル」の「偏見」について、嫌悪や恐怖はほとんどの場合は無知と無理解から生じるのだから、G自身がいろいろなものを受け入れて周りに親しめば、相手もおのずと親しみを持つようになるはずだ、とにかく外に目を向けろというアドバイスを補ったあとで、今度は「善行」爆弾を落とされた。  これを言うとヴァーさんは怒るかもしれない、と、前置きしてからGは言った。「シルヴァを自分の独占欲で死なせた罪は消えない。生き返らせればいいのかな」  ヴァイオラは答えて言った。シルヴァは逃れようと思えば逃れられたのに、甘んじて処刑された。死はシルヴァの意志である。したがって生き返らせることは贖罪にはならない、と。 「じゃあ、セリフィアさんのお母さんを生き返らせたら? 善行にならないかな?」  ぐらりとした。そもそも生き返らせるって、どうやって?  どうやっても何もない。Gは「デスウィッシュ」を念頭においているのだった。その昔レスタトが行使した、自分の魂と引き換えに願いを叶えてもらう、あの反則技を。 「そんなものは贖罪にならない」  ヴァイオラはなんとかしてGにわからせようとした。安易な苦痛を背負おうとするのは、実は逃げである。結果を他人に認めてもらうことが贖罪になるのではない。贖罪とは自分で自分に科すべきものである、と。  Gは、とりあえずは「わかった」と言った。だが、「デスウィッシュ」の線がゼロになったわけではなかった。「どうせつがいにならなかったら死ぬんだし、もったいないから使う」との彼女の台詞に、さすがのヴァイオラも脱力した。仕方なく「ぎりぎりで使うならいいよ」とだけ答えておいた。 (そんなことにならないように、セイ君には頑張って早く大人になって欲しいものだ)  二組ともほぼ同時に終わったようだった。  Gが「がんばる!」と声をあげると、「うん、俺もがんばる」とセリフィアが呼応した。ヴァイオラは「ああ、がんばれ」と二人に言ったあとで、カインを向いて、心からの言葉を述べた。 「ボーヤがいてくれて助かったよー」  人生相談がようやく終わり、4人は食事を取るために一階へ下りた。 「よう、遅かったな」  トールが向こうから声をかけてきた。  どうも広々して見えると思ったら、先刻までのさばっていた僧兵50名がいずこかへ消えていた。 「僧兵はどうしたんだ?」  ヴァイオラが思わず口にすると、Gが「仕事じゃないのか」と答えた。 「こんな夜に?」 「夜討ちで強襲とかかけてるんだろ」  Gは当たり前のように言い放った。  ヴァイオラはどっと疲れた。トールに目で「今晩、どう?」と問い合わせた。OKをもらえたので、心の洗濯につきあってもらうことにした。 「ボーヤ、君も疲れただろうから、たまには息抜きしてきたら? 馴染みの娘とかいるんでしょ?」  ヴァイオラに勧められて、カインもこの晩は外出した。ジェラルディンと知り合ってからは足が遠のいていた相手のところへ行き、夜中までそこで過ごした。  ヴァイオラは再び朝帰りした。 6■助っ人  5月9日、夕刻。  いつものように少し早めに訓練を終えたセリフィアが、道場の前でみんなの出てくるのを待っていると、緑一色の装いをして、ハルバードを小脇に抱えた熟女が通りがかった。  彼女はいきなりセリフィアの前で立ち止まり、 「まあぁ〜、素敵なカ・ラ・ダ! やっぱ若い男はイイわねぇ、肌に張りがあって。きゃあ、その額を流れ落ちる汗もす・て・き。いかにも仕事上がりって感じがたまんないわぁ。もぉ、マコちゃん、メロメロよぉ」  べたべたと身体中を触りまくった。 「あっ、あのっ、どなたか存じませんが…」 「イヤ・イヤ!! そんな水くさい喋り方しないでぇ〜。ね、『マコちゃん』って呼・ん・で」 「な、何のご用ですか」  セリフィアはやっとのことでこの奇妙な生き物から身を引き剥がし、尋ねた。 「実はあなたを騎士団にスカウトしにきたの〜。最近、マトモな人間、いなくってぇ〜。マコちゃん、困っちゃう〜」  騎士団、と、聞いてセリフィアはちょっと興味を持ったようだった。 「どこの国ですか?」  奇妙な生き物は南の方を指した。セリフィアは首を傾げて、 「サーランド?」 「ん〜ん、いいわ、マコちゃんがこれからじっくり教えてあ・げ・る。だから一緒に来てぇ〜」  奇妙な生き物はセリフィアにすり寄り、彼の鼻の頭をツンツンと指で突いた。セリフィアはまた一歩後ろに下がって言った。 「強くなりたいのは山々なんですが、今、ここを離れるのはまずいんです」 「じゃあマコちゃん、セリフィアちゃんが騎士レベルになるまで待っててあげるぅ〜」  どうして俺の名を、と、聞くより前に奇妙な生き物は正面から抱きついてきた。とても女とは思えない力で背中に回された腕を外すのに四苦八苦していると、妙な顔つきの仲間たちの姿が視界の端に入った。  ヴァイオラたちは訓練を終えて、セリフィアが抱きつかれる数分前から出てきていたが、変な生き物がセリフィアに絡んでいるので様子を窺っていたのだった。 「なに、あのおばさん」  ヴァイオラが尋ねるでもなく口にすると、 「あれ、『彼』だからな」  カインがヴァイオラとラクリマに告げた。 「オカマは好かん!!」  ヴァイオラはわざと大きな声で言い放った。奇妙な生き物はその声に気づいたらしく、セリフィアに回した腕をゆるめて「何よぉ」とふくれっ面を見せた。咄嗟にGはヴァイオラの後ろに隠れた。顔見知りだった。 「オカマじゃないわよ! はぁとはちゃんと女の子だモン!!」  奇妙な生き物は鋭い眼光でヴァイオラを睨んだ。 (お、お、オトコ!?)  セリフィアは目をまんまるにした。奇妙な生き物はやっと身体を放した。なるほど、オトコの力というならわかる、と、セリフィアはぼんやり思った。相手の側から離してくれるまで、ビクとも動かなかったのだ。 「じゃあねぇ、セリフィアちゃん、考えておいてねぇ〜。マコちゃん、待ってるからぁ〜」  さんざん触りまくったあとで、奇妙な生き物は去っていった。嵐の吹き荒れたあとだけが残ったようだった。  Gは、彼が去り際に呟くのを耳にした。「こぉんなところにいた。マコちゃん、見ーっけ」ヴァイオラの後ろに隠れたのも、無駄だったらしい。 「あ、あれ……だれだ?」  セリフィアが茫然としながら尋ねるのに、Gとカインが同時に答えた。 「マーク=コーウェン、騎士団筆頭だ。あれでも」 「騎士団筆頭!?」 「あんなだが、奴は強いぞ。ディフェンシブ・グリーン筆頭で、あれに比べればバーナードたちなんか駆け出し扱いかもしれない」  ディフェンシブ・グリーンとはガラナーク王国の騎士団の一つで、名前の通り国防を主に受け持つ騎士団だ。セリフィアは仰天した。あのふざけたのが、騎士団筆頭だって? 「ああ、ちなみに、オトコだから。若作りしてるけど、35才のはずだ」  カインの説明を聞きながら、この場に本人がいたら張り倒されてたかもなと、Gは思った。 「で? 何を話してたの?」  ヴァイオラの問いに、セリフィアは騎士団に勧誘されたのだと答えた。 「どうして俺なんか……」 「セイ君、君は認識が甘すぎるよ」  ヴァイオラはやや厳しく言葉を紡いだ。カインがあとを引き取って説明した。 「その剣を持ってるだけでも、お前は目立つし、みんなから覚えられてるんだ。おまけに師匠がマリス=エイストと来ては、な」 (……この剣のせいなのか…)  セリフィアは背中の10フィートソードを顧みた。この剣を持っているだけで目をつけられてしまうのか。彼としては、自分はマリス=エイストに弟子入りした人間だから、「ショーテス」に与する者として見なされているだろうと考えていたし、そもそもこの特殊な剣を使えるといっても実力は騎士には及ばないのだから、戦力として目を付けられるはずもないと思っていた。  だが、ヴァイオラやカインにこんこんと諭されて、ショーテスを離れフィルシムで活動しているのは「フリーである」と言っているようなものであること、また、この世界で十指に満たない特殊武器の使い手であるということの意味をようやく理解し、自覚した。 「それで? どうするの?」  ヴァイオラは問いを繰り返した。セリフィアは少しの間、押し黙った。それから「もう少し考えます」とだけ答えた。  マコちゃん旋風のあとで、ラクリマはみんなと別れてトーラファン邸へ帰路を急いだ。日は長くなったとはいえ、今日は思わぬことで時間を取られたので、足下の暗さが増していた。  もうあと5〜6分で館に着こうというところで、道の真ん中にひとが立っているのに気づいた。戦士だろうということはすぐにわかるものの、あまり見かけない装いだった。フィルシム人ではなさそうだ。ガラナーク人だろうか。気にせず通り抜けようと一歩進んだところで、彼が抜き身の剣を手に提げているのが目に入った。  何やら不穏な気配を察して、ラクリマは道を変えようと後ろを向いた。途端に、路地裏から4人の僧兵が現れて退路を閉ざした。  ラクリマはもう一度向きを変えて、抜き身の剣を持つ戦士に目を向けた。 「そなたに尋ねたいことがある」  戦士は一歩詰め寄りながら、声を発した。 「私はガラナーク正教所属、異端審問会ムアト=ヴォスバー。この先にパシエンスという修道院があるのをご存じか」 「……はい。先日焼けましたが」 「そなたはパシエンス所縁のものではないのか」 「………」  どうもガラナークの異端審問会に引っかかってしまったらしい。大人しくして、掛かり合いを作らないようにと釘を差されていたので、ラクリマはどう返したものか答に窮した。 「パシエンスの教義は外道(げどう)である。今すぐに信仰を改めよ。さもなくば、審問のため同道願おう」  外道……それは、宗教の世界では「教えを信ぜぬもの、邪説、邪教を説くもの」を意味する。あまりの悪意と謂われなき非難に、ラクリマは涙があふれるのを留められなかった。 「悔悛の涙か……いや、そうとは見えぬな。されば一緒に来てもらおうか」  男は笑って言った。背後で剣を抜く音がした。 (なぜ、同じ宗教者なのに……)  信じられない光景だった。前方から、背後から、悪意がにじり寄ってくる。こんな、嬲(なぶ)るような悪意は知らない。ラクリマは覚悟を決めた。  と、突然、その場に透明な声が響いた。 「おいおい、物騒だな。女の子一人に大の男が5人がかりとは」  審問官ムアトの後ろの路地から、一人の戦士が現れた。 「ガラナークの男は女性に対する礼儀を知らんと見える」 「余計な口を出さないでもらおう。そなたには関わりないこと。我々は神の使徒、神の御名において大義を為すため、この者を捕らえねばならぬ」  現れた戦士は不敵に笑うと、 「大義も何も知ったことか。ここはフィルシムだ。フィルシムの流儀に従ってもらうぜ」  言い様、抜刀した。 「神の意に逆らうか! 掛かり合いにならねば見逃してやったものを」  審問官は剣先を戦士に向け直し、「お前たちはその娘を」と指示したと思うや、相手に打ちかかった。 「!!」  鈍い音が響いた。打ち合った審問官の剣は、真っ二つに折れていた。戦士は揶揄するように「結構な神のご加護だな」と笑った。 「何を!!」  審問官は顔を真っ赤にして歯を剥いた。 「おっと、折れた剣でまだやるつもりか?」 「…くっ」  先のない剣をパチリと鞘に納め、異端審問官は叫んだ。 「出直しだっ!」  お定まりの文句を合図に、バラバラと、彼らは走り去っていった。残った戦士はそれを見届けてから剣を腰の鞘に戻した。 「あ、あの、どなたか存じませんが、助けていただいてありがとうございました」  ラクリマは涙を拭いながら戦士に礼を言った。  戦士は「おう」と応じてから彼女のほうに歩を進め、「お前さんももっと気をつけなきゃ駄目だぜ。お供がそんなゴーレム1体じゃ不用心に過ぎるだろう」と意見した。 「ご、ごめんなさい。私が……」  あさはかでした、と、言うより前に新たな涙があふれて彼女は口を覆った。 「ティバート、その辺にしておいたら」  先ほど戦士が現れたと同じ路地から、女性が一人、姿を現した。僧侶のようで、いざというときには出られるように構えていたのだろう、手にはウィップを持っていた。 「そんな小さい子を泣かせるもんじゃないわよ」  そう言われて戦士は苦笑したようだった。女性はそばに寄って、話しかけてきた。 「私はベーディナ。あなたは?」 「ラクリマと申します」 「…あなたはパシエンス修道院の僧侶なの?」  ラクリマが「はい」と答えると、 「へぇ〜。あの修道院に他に僧侶がいるとは知らなかったわ。サラって娘がいるのは知ってたけど」 「サ、サラをご存じなんですか?」 「まあね。イイ男をうまく捕まえて結婚した娘でしょ」  隣で戦士が小さく吹き出すのが見えた。 「もっとも、いくらイイ男でもあんな貧乏修道院に捕まっちゃあオシマイね。すっかり妻の尻に敷かれてるって噂だし」  ラクリマは小首を傾げて、 「ラグナーさんはサラより大きいですから、お尻に敷くのは無理だと思います」 と、言った。ベーディナは一瞬、瞳を大きく見開いた。 「あ、アハハハハハッ!!」  彼女は朗らかな笑い声をあげた。 「いいわ、この子!! 気に入った!!」  言いながらげらげらと笑い転げた。暫く笑い止まなかったので、ラクリマは戦士のほうを向いて尋ねた。 「あの、よろしければお名前を聞かせていただけますか」 「ああ、俺はティバート=リンオット。……お前さん、見たところ冒険者のようだが、仲間はいるのかい?」 「あ、はい。仲間は宿におります」 「じゃあそいつらにちゃんと話して、今度からは護衛してもらえ。フィルシムは今、物騒だからな。甘く見たら命を落とすぜ。『これ』でさえ、一人じゃ危ないからって俺が護衛につくぐらいなんだ」 「ちょっと、『これ』とは何よ、『これ』とは!!」  ティバートと彼にじゃれつくベーディナを見ながら、ラクリマはようやく笑みを取り戻した。別れ際に、 「パシエンスは焼けてしまってありませんが、私たちはこの先のトーラファン=ファインドールという魔術師の館に寄宿しております。何かありましたらぜひお立ち寄りください」  変人で名の通るトーラファンの館と聞いて、ティバートとベーディナは「えっ」というように顔を見合わせたが、ティバートがすぐに答えて言った。 「わかった。何かあったら寄らせてもらうよ」  暮れなずむ街の佇まいの中を、二人は去っていった。ラクリマは彼らの後ろ姿が黄金と黒の境界に見えなくなるまで、ずっと見送った。  トーラファン邸に帰ったラクリマは、早速、姉弟子のサラにベーディナのことを話した。 「ああ、あそこの神殿のひとだね」  サラはそう言って、小さな神殿の名を挙げた。 「面識はないけど、同じ地区の聖職者だから、お互いに名前は知ってるよ。確か私よりも何歳か年上だったと思ったなぁ」  だから、神学校でも一緒にはならなかったのだと、サラは言った。 「………」 「サラ?」 「……いや、向こうの神殿も、確か特殊な教義を奉じていたはずだと思って。何事もなければいいけど」  サラはそう言ったあとで、今度会ったらよろしく伝えるようにラクリマに言い含めた。  この日の夕方、ヴァイオラはロッツと一緒に、ジールを斡旋した小修道院まで様子を見に行った。ジールはそこになじんでいるようで、太ったとはお世辞にも言えないが、以前見られた、顔を覆うような影は消えていた。何より、子どものアズの笑顔が前と比べてずっとずっとよくなっていた。  ヴァイオラは、彼女たちを煩わすこともないからと、たまたま表に出てきた下働きの人間を捕まえ、土産だけ言付けた。声をかけずにそっと宿に帰った。  宿には、昨夜姿を消していた僧兵50名が戻ってきていた。 7■ライニスの事情  5月10日。 「おはようございます。……あの、あとでちょっと皆さんにご相談があるんですけど……」  ラクリマがそう言うので、昼休みに皆で集って話を聞いた。ラクリマは昨夕の出来事を説明したあとで、「心苦しいんですが、その、やはり迎えに来ていただけないでしょうか」と、遠慮がちに頼んだ。  だれにも異存はなく、また、どうせだからと、朝夕とも全員で送り迎えをしてくれることになった。話のついでにカインはラクリマを誘った。 「ラクリマ、たまには一緒に夕飯を食べていかないか?」  どちらかと言えば、カイン本人の希望ではなく、少し寂しそうなGを気遣っての誘いだった。ラクリマは最初は「手伝いが…」と躊躇していたが、たまにはいいかしらと思って、結局は誘いを受けた。  夕刻、「青龍」亭で久しぶりに6人で食事しているところへ、ガラナークの騎士が2名、扉を開けて入ってきた。二人は宿の親父に何事か尋ねてから、真っ直ぐにカインのところへやってきた。 「カイン殿でいらっしゃいますか?」 「そうだが」  彼らは、ガラナーク王国ノーマル・ブルー所属ライニス派遣部隊騎士という長たらしい身分を述べ、エフルレス=ティルリッヒとケヴィッツ=アロヴァールと、それぞれ名乗った。服装や徽章からしてエフルレスのほうが上官のように見えたが、交渉は物腰柔らかなケヴィッツに任されているらしかった。 「何か?」  振り返ったカインを見て、騎士たちは驚きをあらわにした。 「グ、グィン様ではないですか」 「だれだそれは」  カインは食事中だったため、ちょうど覆面を外していた。しまったな、と、思いながら素知らぬ顔をしていると、ケヴィッツは再び問いを繰り返した。 「グィンレスターシアード様では……?」 「だからそれはだれだ」  ようやく、カインが別人であると得心したらしく、ケヴィッツは辞儀を正して口を開いた。 「失礼いたしました。グィンレスターシアード様とは、我々の領主様のご子息にあたられる方です。あまりにもよく似ておいでなので、驚いて間違えてしまいました。ご無礼、お許しください」 「気にするな」  カインは素っ気なく答えた。さっさと用事を済ませてほしかった。 「で、用は?」 「はい。実は、あなたのお仲間で、行方不明でいらっしゃるジェラルディン様のことで……」 「ジェラがどうかしたのか!?」  カインは叫ぶように言った。いつもの冷静さを失っていた。ジェラルディン、と、聞いて、ラクリマも彼を見たようだった。 「実はジェラルディン様は我が領主の血を引かれる方なのです」  全身から血が引いた。奈落へ落ちてゆくような感覚。そしてすぐに嘔吐と眩暈とをないまぜにしたような悪寒が、下方から背筋を這いのぼってきた。  近親相姦。  言葉と成らぬうちからめぐる言葉の痛み。立っているのがやっとだった。ケヴィッツの声が遠くに聞こえる。 「先頃、アンプール家お世継ぎのシャルレイン様がご逝去され、ジェラルディン様を新たに跡継ぎとして迎えに行くよう、我々が仰せつかったのです」 (まずい)  カインは瞬時に我に返り、「どういうことだ!」と声を荒げて立ち上がった。ケヴィッツからラクリマが見えないよう、自分の身体を移動させて彼に詰め寄った。 「何をする」  先ほどから黙って背後に控えていたエフルレスが、ケヴィッツを守るように間に割って入った。 「大丈夫です、エフルレス様」  ケヴィッツは上官をなだめ、カインと向き合った。 「どういうことか説明しろ。ジェラはトーマスの妹じゃないのか」 「実は、我が領主様は、まだ赤子のころのジェラルディン様をアルトーマスというひとの家に預けられたのです」  立て続けに頭を殴られているようだった。まるで悪夢だ。だが悪夢なら醒めるものを……。 「アルトーマスという方の家は没落し、ジェラルディン様の足跡は途絶えておりました。我々はアルトーマスという名前からジェラルディン様の行方を探し、ようやくここまでたどり着いたのです。こちらの冒険者ギルドでは、アルトーマス殿もジェラルディン様も行方不明となっているようですので、唯一生存が確認されているカイン殿に、お話を伺いに参った次第です」  ケヴィッツがそうして話す間、ラクリマは奇妙な悪意を感じ取っていた。ケヴィッツのほうではない、彼はカインと話すのに夢中でこちらを見ていない。見ているのは……エフルレスと名乗った強面(こわもて)の騎士のほうだった。彼はちらりちらりと彼女に目をやりつつ、視線を針のように突き刺してきた。 (こわい……)  ラクリマの両の瞳から涙がこぼれた。恐怖も涙も止められないまま、彼女は困り切ってヴァイオラとGを見た。 (こわい……)  ラクリマが何かに---いや、既にあからさまにエフルレスに対して怯えている様子を見て取ったヴァイオラは、やさしく腕を差しのべた。 「どうしたの、おいで」  そのまま彼女の頭を引き寄せ、自分の胸に埋めさせて彼らから顔が見えないようにした。「彼女のコト、思い出しちゃったんだね」とわざと話しかけて、ジェラルディンの死を悼んで泣いているように偽装したが、 (遅かったかもしれない……)  カインの声がした。 「…遅かったな。彼女はもう死んだ」 「えっ」 「ジェラルディンはふた月前に亡くなった」  彼は、本心から肩を落として言った。彼女が死んだことをわかってはいても、こうして口にするのはまだ辛かった。 「本当ですか」 「本当なんだろうな」  ケヴィッツとエフルレスは同時にカインに詰め寄って言った。Gが不機嫌に口を挟んだ。 「いい加減にしろ。お前らは知らないだろうが、ジェラルディンは私たちの目の前で死んだんだ。食事時に割り込んで、飯のまずくなる話を延々するなんてどういう了見だ」 「なんだと、小娘」  エフルレスは気色ばんだ。Gはすぐに剣に手を伸ばせるよう、身体をずらした。と、ケヴィッツが再び「エフルレス様、どうかここは……」と宥めた。  カインはどうしても確かめずにはいられなくて、ケヴィッツに尋ねた。 「本当に娘なのか?」 「はい、そうです」  ケヴィッツは特に引っかかりを感じないまま、反応したようだった。彼は一同を見渡すと、 「食事中にたいへん失礼いたしました。これは詰まらぬものですが、どうかお受け取りください」  そう言って袋を差し出した。金か、宝石だろう。ここで撥ねつけることもあるまいと、カインはそれを受け取り、「あなた方もここまで来たのに残念だったな」と、ケヴィッツを労った。  それから少し遠くを見るような目で口にした。 「……彼女はもう、帰ってこない」  ケヴィッツは一礼して回れ右した。エフルレスを促して外へ出ようというとき、エフルレスが「あの娘、ナルレイン様にそっくりだった」と呟くのを、全員、耳にした。エフルレスが出ていってからも、ラクリマは怖くて暫く顔をあげることができなかった。 「…おい、お前さん、もしかして昨日の?」  どこかで聞いた覚えのある声がして、ラクリマはゆるゆると泣き濡れた瞳をあげて相手を見た。 「やっぱり。そうじゃないかと思ったぜ。どうした、まただれかにいじめられたのか?」  ティバートだった。 「あ、さ、昨日はどうも危ないところをありがとうございました」  ラクリマは慌てて背筋を伸ばしながら謝意を表した。それで、他のメンバーにも、彼が話に聞いた、ラクリマを助けてくれた戦士なのだとわかった。  ティバートの後ろには、ベーディナと、他に4つの人影があった。ティバートは「せっかくだからお近づきになろうかと思ってな」と言いながら酒瓶を片手で振って見せた。一同に否やはなかった。 「昨夕はラクリマを助けていただいたそうで、ありがとうございました」  ヴァイオラが改めて礼を述べると、ティバートは「なに、相身互いだからな」と謙遜しながらも、 「それより、仲間だったら、彼女みたいな子をゴーレムと二人きりで行き来させるなんてのは感心できないな」 「ちっ、違うんです」  ラクリマは慌てて口を挟んだ。 「皆さんは悪くないんです。わ、私が、我が儘を言ったから…」  どこにそれだけの涙が溜められているのか、彼女の両目にまた涙が盛り上がった。 「おっと」 「また泣かせて」  ベーディナがさらりと割って入った。ティバートは少し笑って言った。 「よく泣く嬢ちゃんだなぁ」  ティバートたちは5人編成だった。全員フィルシム人で、年齢は20代中盤から後半くらいのようだ。最初に6人かと思った、あと1体の人影は、仲間の魔術師バルジが作り出したボーンゴーレムでゴンルマールと呼ばれていた。ティバートが調子よく「これがうちの主戦力だ」とゴンルマールを紹介する傍らで、2メートルを超す巨漢の魔術師バルジは「何言ってるんですか、うちの主力は間違いなくあなたですよ」と控えめに訂正していた。あとで聞くに、二人は幼なじみらしかった。  他に、長柄の先にでかい包丁をつけたようなバウルを主武器とする戦士のズヴァール、ウィップを使う僧侶のベーディナ、それに盗賊のヴォーリィがメンバーだった。  ヴォーリィの顔を見て、一同はだれかに似ていると思った。どこかで見た顔だ。 「ウィーリーさん?」  ラクリマが名前を間違えて呼ぶと、ヴォーリィはそれを訂正しながら、「ウィーリーは弟の名前だ」と言った。 「あっ。ウィーリーって、まさかウィーリー=ヴェルヴィル!?」  なんと、ヴォーリィはバーナードのパーティの盗賊、ウィーリー=ヴェルヴィルの実の兄だった。 「あの、ベーディナさん、サラがよろしくって」  ラクリマは落ち着いたところでベーディナに話しかけた。 「『より多くの幸運があなたの上にあるようお祈りします』と申していました」  これを聞いた、ヴォーリィ以外の男3人は爆笑した。 「何よ! 自分はさっさと片づいたからって!!」 「え?」  ラクリマが驚いていると、ヴォーリィがベーディナの肩を抱いて宥め始めた。 「まあ、そうカッカしないで」 「なによ、離しなさいよ!」 「ベーディナ」 「ああ、もうっ」  他の3人は「やれやれ、また始まった」というように肩をすくめた。 「……もしかして、お二人は結婚していらっしゃるんですか?」  ヴォーリィとベーディナを見ていて、ラクリマはふと感じたことを口にした。 「してないわよ」 「してもらえないんだよ、まだ」  二人はほぼ同時に口を揃えて言った。  フィルシム人らしい、あけっぴろげで、気質の明るい集団のようだった。  暫く酒を酌み交わしてから、ヴァイオラたちは自室にもどった。 「カイン、どうする? 私からさわりだけ話そうか?」  ヴァイオラはカインに問いかけた。アンプール家の話を、カインとしては触れられたくないだろうが、今後のことを考えるに全く知らせないわけにもいかないだろう。  カインはぼんやりと頭を巡らせた。見るとも見ないともなくヴァイオラに目を向け、佇んでいたが、「頼む」と一言言った。  ヴァイオラは他のメンバーに、先ほどの来訪者について簡単な説明を始めた。曰く、先刻カインのところにやって来た二人は、レスタトの実家アンプール家から来た騎士である。運命のいたずらか、ジェラルディンは実はレスタトの姉だった。騎士たちはジェラルディンを跡継ぎとして迎えるために探しに来て、ここでレスタト、すなわちグィンレスターシアードそっくりのカインを見つけてしまった。カインにも彼らの手が伸びてくることが予想されるが、ジェラルディンにそういう経緯がある以上、ラクリマも手を出される可能性がある、と。 「……カインさんは、だれなんですか」  ラクリマは消え入りそうな声で尋ねた。ジェラルディンがレスタトの姉であることはわかった。だが、カインは? カインはレスタトの何なのだろう? もしも…もしも双子であるなら、彼とジェラルディンとは……。 「俺は俺だ」  カインはあっさり返して向こうを向いてしまった。俺は俺だ。俺以外の何者でもない。禁断の罪もそれを犯した痛みもすべて抱えて。 「………」  ラクリマはそれを拒絶と感じた。これ以上は聞くこともできない。だから悲しみを知ることもできない。先ほどまでの涙の量はどこへやら、彼女は乾いた瞳でいったん心を閉ざした。その様子を見逃すヴァイオラではなかった。 「アンプールってことは、ライニスか?」  Gの声がした。 「ライニスなら私は関係ないな。追われてないから…ハッ!!」  Gはそこまで言って、慌てて口に手を当てた。ヴァイオラが後ろで「ばかだなー」という顔をした。  カインはふと思いついたような表情をして、「セリフィア、悪いがGを借りるぞ」と言った。それからGを部屋の外に連れて行き、いきなり尋ねた。 「お前の母さん、シルヴァ様?」 「なっ、なんで!?」  Gが狼狽するさまを見て、やっぱり、と、カインは確信した。  彼が口にした「シルヴァ様」とは、シルヴァ=ノースブラド、すなわちガラナーク王国前国王ヴィンデーミアートリクス=ノースブラドの双子の姉にあたる人物である。夫は銀色騎士団筆頭ウィリアム=ヴァロヴァルクスで、自身も青色騎士団の筆頭で聖騎士だった。黒い衣服を好み、異世界で装着したという真っ白い翼が生えていることから『黒衣の天使』という異名を持つ。だが、この世界にハイブを召還した罪を負い、先年、処刑された。  カインは続けた。 「なんでって、プラチナホーリーシンボルだろ、黒髪で、魔法の剣だろ、だったら俺の記憶ではシルヴァ様しかいないんだ」 「……なんでお前にそれがわかるんだ?」  Gは注意深く尋ねた。レスタトならともかく、フィルシム育ちのカインがそんなことを知っているはずがない。何より、カインの前で白金製の聖章(プラチナホーリーシンボル)を見せた覚えはなかった。 「なんでだと思う?」  カインに逆に尋ねられて、Gは、 「……レスタトが入ってるのか?」 「どうもそうらしい」 「夢枕で語られた?」 「まあ、それに近いかな。満月の夜、たくさんのヴィジョンを見せられたりした」  カインは淡々と語っていたが、Gは同情を禁じ得なかった。望みもしないものを無理やり見せられる辛さは、自分が一番よく知っている。 「それ、流れ込んできちゃったのか。お前……かわいそうなやつだな」  カインはふっと微笑ったようだった。  と、Gはハッとして、カインの胸ぐらを掴んだ。 「お前、母さんのこと、セリフィアさんに言ったらコロスぞ…!」  カインはGの好きにさせたまま、「言うわけないだろう。これ以上、あいつに考えさせてどうする」と答えた。Gは安堵して、彼から手を離した。  ラクリマがパシエンスに帰るというので、皆で送っていった。  ヴァイオラは「院長様にお話が」と言って館にあがり、クレマン院長と会って話した。 「ジールは元気でした。ありがとうございます」  ヴァイオラはまずジールのことを報告した。例の小修道院に紹介状を書いてくれたのは、他ならぬクレマン院長だったからだ。また、まだサラにはジールのことを言わないでほしいと言い置いてから、 「あの、ちょっと気をつけてあげてください」 と、意味ありげな発言をした。  クレマンにはそれだけで、彼女がラクリマのことを心配しているのだとわかった。彼の顔は曇った。「ちょっと、か……それが一番難しい……」と、半ば独り言のように口にした。 「昨日は異端審問会にも絡まれたようですし、かなり参ってるみたいです」 「異端審問会、か。面倒な奴腹だ」  クレマンは珍しく少量の怒気を見せながら言った。 「いっそ排除してくれるか……いや、排除はまずいな……どうもいけない。トーラファンのところにいると、昔に戻ってしまって」  彼は決まり悪そうに言って、ため息をついた。 「いいんじゃないですか、ばれなければ」  ヴァイオラは軽く返した。 「異端審問会のことはトーラファンとも相談して、何か手を考えることにします。いつもラクリマがお世話になって申し訳ない。私も気をつけて見ましょう」  院長は、ようやく常の彼らしい口調に戻って、彼女に告げた。ヴァイオラは簡単にいとまを述べ、外で待っている仲間のところへ戻った。 8■空白の襲撃  5月11日。  夕方、道場から帰ってくると、宿に僧兵たちの姿がなかった。また「仕事」とやらか、と、一同は思った。  この日、食事中に、一人の魔術師がセリフィアに近づいてきた。魔術師にしては体格のいい、壮年の男だった。 「セリフィア=ドレイク君だね?」  セリフィアは顔をあげて男を見た。覚えのない顔だった。 「どなたですか」 「ブランクといいます。君はセリフィア君だろう?」 「失礼ですが、俺はあなたを知りません。何かご用ですか」  男はうっすらと唇を歪めて笑った。 「私はあなたのことをよく知っていますよ」  セリフィアが何か言おうとするのを遮り、「手紙を預かっています」と、羊皮紙を畳んだものを差し出した。 「確かにお渡ししましたよ」  来たときと同じように、音も立てずにふらりと出ていった。 「………」  セリフィアはその背中を見送ったあとで、残りの食事を掻き込むと羊皮紙を開いた。 《お父さんの行方に興味ありませんか? もしもあるなら、明晩、一人で正門前へ来てください》  手紙にはこれしか書かれていなかった。彼は考え込んだ。 「どうするの?」  手紙を彼の手から取って、ヴァイオラは他の皆にも回覧した。 「行きません。怪しいから」 「行かないつもりなの? 罠にかかるのはまずいけど、わかってて罠に飛び込んでみるって手もあるよ」  セリフィアは答えなかった。 「何の勢力かも気になるし」 と、ヴァイオラが言うと、「ユートピア教じゃないのか?」と顔をあげた。 「待ち合わせ場所が『正門』でしょ。ユートピア教の罠だったら、そんな人目につくところに呼び出さないと思うけど」 「………」  考え込むセリフィアに、ヴァイオラは言った。 「正規のラストン勢力かもね。マーク=コーウェンのこともあるし、ラストンに仕えろってスカウトかもしれないよ」  ヴァイオラの言うとおりかもしれない、と、セリフィアは思った。それで「じゃあ行って、話だけ聞いてみる」ことになった。最後に彼はボソリと吐き捨てるように言った。 「くそっ。あのくそ親父め…!」  5月12日。  ラクリマには朝のうちに今晩の予定を話した。  夕方になって、まず全員でトーラファン邸へ行き、トーラファンに「見るだけ見ておいてもらえませんか」と頼んだ。それが済んでから正門へ向かった。  セリフィアだけ一人で正門を少し出た。他のみんなは、門の両脇に陣取って、門番と話をしたり、セリフィアの連れだと一目ではわからないように偽装した。  男が現れた。 「こんなところへわざわざどうも。しかし、一人で来なかったのは、感心しませんね」  来るなり彼はそう言った。ヴァイオラたちのことは、既にばれているらしかった。セリフィアは、 「それは申し訳ありませんでした。ですが、俺もいろいろと狙われている身なので、用心せざるを得ないんですよ」  男は薄気味悪い笑いを浮かべた。 「なに、構いませんよ。あなた一人で済ませてあげようかと思っていましたが、一人で来なかったご褒美に、あなたの仲間は皆殺しにしてあげますから」  口笛を吹くよりも簡単に、彼は言った。セリフィアは、一瞬、何を言われたのかわからなかった。 「なぜ俺を…?」 「あなたがルギア=ドレイクの血を引いているからですよ」 「親父? 親父が何をしたんだ!?」  男はうす笑いを浮かべ、「正当な復讐だよ、セリフィア君」と口にした。 「復讐なら親父に直接するのがスジだろう!」 「いいや、ルギアの血を持つ者は、一人として許さない。だれ一人としてな。すべてこの手で……簡単に死なせてなどやらぬ。もっと、もっと、苦しめて、苦しめて、壊してくれるわ」  氷のような声で言い放ったあと、男は指折り数え、 「君で最後。それが終わればルギア本人だ」 と、微笑んだ。 (俺で最後……まさか、こいつ…こいつが母さんやラルキアをっ…!!)  セリフィアは10フィートソードを抜き放った。男の笑いが深くなった。セリフィアのすぐ斜め前方に、両脇からミイラ男(マミー)が4体現れた。さらに、男の後ろにはヴァンパイアが2体出現していた。 「なっ、何だ、こいつら…!」  背後でだれかが叫んだようだった。ヴァイオラたちが談笑していた門番2名は、いつの間にかアンデッドモンスターに変化していた。 (これは、リヴェナント!? 冗談じゃない、勝てる相手じゃないだろう!!)  リヴェナントは高位のアンデッドモンスターだ。低レベルの呪文は一切効かないし、並の武器はもちろん、魔法の武器でも格下のものでは傷を負わせることができない。武器は使わないが毒があり、攻撃されて毒にやられでもしたら即死という、とにかく厄介な相手だった。  背筋を冷たいものが流れ落ちる。それでも、と、ヴァイオラとラクリマがターンアンデッドを試みようとしたとき、空から声が降ってきた。 「私の『おもちゃ』に手を出すなんて、赦さない。私と敵対する愚かさを後悔させてあげるわ。ふふふ」  この声に、セリフィアは聞き覚えがあった。 (ミーアさん!?)  忘れもしない、セリフィアに10フィートソードの手ほどきをしたショーテス領主マリス=エイストの妻、ミーア=エイストの声だった。  声は英霊召還の呪文を唱えた。Gのそばに、3本の剣を差した剣士が出現した。Gは小さく叫んだ。 「セリアス=ロイド=グーデルバーグ!?」  それはショーテス建国期の英雄、「三剱の剣士」と呼ばれるセリアス=ロイド=グーデルバーグだった。ショーテスで安らかに眠っていたものを、今の呪文で叩き起こされたらしい。 「ずるぅい〜! セリフィアちゃんはマコちゃんが目をつけたのにぃ〜!」  緊張感の欠片もない声がして、ヴァイオラの背後からマーク=コーウェンことマコちゃんも現れた。 「セリフィアちゃん、安心してぇ。こぉんな雑魚、マコちゃんがみ〜んな片づけてあ・げ・る。愛しのセリフィアちゃんのためだもの。きゃっ」  セリフィアは、この真剣試合の場でいきなり脱力しそうになるのを堪えた。何であろうと、この際、加勢はありがたかった。 「おやおや、一人では本当に何もできないんだね、キミは」  男は少し不満そうに口にしたものの、それでもこれらの勢力を目の前に、些かも臆するところがないように見えた。  セリアス=ロイド=グーデルバーグの剣の一つ、漆黒の剣グーデルバーグが、ヘイスト〔加速〕の呪文を唱えた。それが戦闘開始の合図となった。  ラクリマがブレスを唱え、ヴァイオラはブランクの立っている場所にサイレンス〔沈黙〕の呪文をかけた。その場所から移動しなければ彼は呪文を唱えられないので、少しは魔法の行使を遅らせることができるだろう。その間に、三剱の騎士の左手に握られた水晶の剣セリアスがストライキング〔打撃〕の呪文を唱えた。 「がんばれ、おっさん」  Gはセリアス=ロイド=グーデルバーグに声をかけた。彼は鹿爪らしく答えて寄越した。 「お前らも剣士だろう。その雑魚ぐらい、自分で片付けろ」  言い終わるや、手前のリヴェナントを屠り、さらに移動して数秒のうちにマミーを葬った。両手にはセリアスとグーデルバーグ、残る鏡の剣ロイドは主の手を借りずに自動攻撃を加えるという豪華さだった。  三剱の騎士が言った「雑魚」とは、あとからわらわらと湧いて出てきたゾンビたちのことだった。戦士たちはそれぞれ1体ないし2体のゾンビを沈めた。ヴァイオラたちのそばでは、マコちゃんがあれよという間にリヴェナントを葬り去り、マミーを倒しに移動していた。  ブランクがサイレンスの域外に移動した直後、彼の前に巨大なロックゴーレムが出現した。 (トーラファンか!)  ロックゴーレムは男めがけて堅固な腕を右、左、と振り下ろした。ひとたまりもなかった。ブランクは呆気なくへしゃげてその場に倒れた。だが最後に言い残した。 「壊してやる……お前のすべてを……死などくれてやるものか……」  一瞬の哄笑のあとで、彼は消えた。ローブだけが地に残されていた。  あとは呼び出されたアンデッドモンスターをひたすら片付けるばかりだった。  戦闘が終わって、セリアス=ロイド=グーデルバーグはぶつくさ文句を言いながら、霞のように消えていった。 「あれ、だれ?」  ヴァイオラが尋ねると、Gが「セリアス=ロイド=グーデルバーグだろう」と答えた。 「だれが呼んだの?」 「ミーア=エイスト……」  今度はセリフィアが答えた。台詞に力がなかった。 「ショーテスのババアか」  ヴァイオラの言い様にGは腰が引けたが、セリフィアはそれにも気づかず、はーっと大きなため息をついた。 「ミーアさんって……借り、作るとたいへんなんですよー」  セリフィアは半分泣きそうな声でそう言ってから、思い出したようにブランクが立っていた場所に近寄った。残されたローブは、ラストンでよく見かけるローブのようだった。  ぽん、と、肩を叩かれて振り返った先に、にこにこ顔のマーク=コーウェンことマコちゃんが立っていた。 「あ、ありがとうございました」  セリフィアが礼を言うと、マコちゃんはきゃっと両手で自分の頬を挟み、身体をくねらせた。 「いやぁん、もっと言って!!」 「ありがとうございましたありがとうございましたありがとうございましたありがとうございましたありがとうございましたありがとうございましたありがとうございましたありがとうございましたありがとうございましたありがとうございました………」  セリフィアは30回くらい「ありがとうございました」を連発した。マコちゃんはうっとりしながらそれに聞き惚れていた。  彼女というべきか彼は、「これくらいどうってことないわよぉ」と、今度は正面から肩をバシバシ叩いた。筋肉は男性仕様なので結構痛かった。 「後始末もマコちゃん、してあ・げ・る。セリフィアちゃんのた・め・に」 と、セリフィアの胸を人差し指でぐりぐりしながら言ってくれた。これも実は結構痛かったが、彼は耐えた。  セリフィアはもう一度マコちゃんに「ありがとうございました」と感謝を述べた。それから、やにわに空に向かって、 「ありがとうございましたーーー!!」  目一杯叫んだ。どうせミーア=エイストはこの場を見ているに違いなく、彼女に向けての感謝の言葉だった。 「マコちゃん」  Gはマーク=コーウェンに話しかけた。 「財務大臣、元気ですか?」 「元気よ」  答えてからマコちゃんは思いきりしかめ面をして、「何でアンタにそんなこと言ってやらなきゃいけないのよ」と、険のある声を出した。 「財務大臣って、そういえばあの家、なんかゴタゴタしてたわね……ひょっとしてアンタ、なんかしたの?」 「それ以上言ったら、コロスぞ」  Gは毛を逆立てて言った。 「あぁんた、あたしに何て言葉づかいよ」  マコちゃんはドスの利いた底冷えのする声とともにGを睨めつけた。Gはすぐに「ごめんなさい」と小さく謝った。 「あらぁ? あなたもステキね〜、お名前は?」  マコちゃんは今度はカインを振り向いて言った。カインは「名乗るほどの者ではありません」と答え、マコちゃんの問いをはぐらかそうとした。 「いやぁん、教えて教えてぇ」 「………」  カインは微笑って口をつぐんだまま立っていた。本人からは聞き出せそうにないと見たマーク=コーウェンは、セリフィアにしなだれかかった。 「セリフィアちゃあん、あのね、あちらの方は何てお名前?」 「えっ、い、いや、俺はその……本人に聞いてくださいっ」  セリフィアはへどもどしながら避けようとした。仕方ない、と、マコちゃんはGに向き直った。 「あれ、だれ?」 「………」 「言いなさいよ」 「カインですっ」  再びドスの利いた声に圧されて、Gはカインの名を口にした。 「まぁ〜、カインさんっておっしゃるのぉ〜。ステキなお・な・ま・え。どぅお? あなたも騎士団に入らなぁい?」 「俺にはその実力はありません」 「いやぁね、マコちゃん、ちゃあんと待っててあげるわよぉ。だ・か・ら、ね?」  ヴァイオラは思わず脱力感に襲われ、マコちゃんを無視して「ほらほら、長居は無用だからもう帰るよ」とみんなに声をかけた。 「じゃあぁねぇええ、セリフィアちゃぁああん」  マコちゃんのラブコールを背に、一同はその場をそそくさと離れた。 9■魔剣、三度  宿へ帰る前に、ラクリマを送りがてらトーラファン邸に立ち寄った。  Gが「中に入りたくない」というので、ラクリマはみんなが出てくるまでGと二人、門前で待っていることにした。 「お手数をおかけしました。頼んであってよかったですよ、本当に」  ヴァイオラはセリフィアやカインとともにトーラファンに会い、開口一番そう言った。 「いやいや、たいしたことではない」  トーラファンは飄々と返したあとで、「それにしても、あんなのに目をつけられて大変だな」と呟くように言った。 「あれがだれかご存じなんですか!?」 「ああ。君たちも知ってる人物だ」 「だれなんですか」 「君たちも会ってるだろう」 「だからだれなんですか」 「ダーネルだ」 「…ええーっ!!」  3人とも思わず叫んでいた。ダーネル……いや、ではなくて、ダーネルを最後に支配した不死者のほうか……? 「どういうことなんですか」 「それはこっちが聞きたいくらいだよ。彼と何をやりあったのかね?」  トーラファンはそう言って、ヴァイオラたちの口から先ほどの出来事について語らせた。 「その様子だと現世人格を完全になくしているようだな。それに相当恨まれてるね」 「俺じゃなくて、俺の親父みたいですけど」 「と、すると、ルギアは『持たざる者』の現世人格か。ルギアの裏人格と、アレが合体すると……」 「親父がいなくなるってことですか!」  セリフィアは悲痛な叫びをあげた。トーラファンは無慈悲に答えた。 「そうだね」  室内は一瞬、柩のような静寂で満たされた。 「トーラファンさん、実は、例の剣に弟のラルキアの気配が…」  相談を続けようと、セリフィアが勇気を振り絞って口を開いたとき、トーラファンの顔色がさっと変わったのが見えた。彼はセリフィアの後ろを凝視していた。セリフィアは振り向いた。そこには今まさに語ろうとした魔法の剣が、漂うように浮いていた。 「お兄ちゃん、ごめんね」  剣はこの間と同じように話しかけてきた。 「あのひとだよ。ブランクって、僕を殺して剣にしちゃったひと」  セリフィアは胸を抉られるような気がした。ラルキアはその彼を気遣うように、 「今、お父さんがいないから、ボク、お兄ちゃんのそばにいるよ」 と、言いだした。ヴァイオラは思わず尋ねた。 「『いない』って?」 「この世界にいないから」  何やら親父さんのほうも面倒ごとに巻き込まれているらしいな、と、彼女は推察した。 「だから、お兄ちゃんと一緒にいる。だってボクがいれば、あいつもお兄ちゃんには手が出せないもの」 「わかった」  セリフィアがぶっきらぼうに言うのを聞きながら、ヴァイオラはトーラファンに「本当ですか」と問いかけた。彼女はリズィとしての記憶から、ダーネルがその剣を探し求めていたことを思い出していた。 「その剣があると、『持たざる者』がそれを必要として寄ってくる。それは確かだ。だが、同時に彼を封じられるのもその剣だから、警戒するだろうな。そうそう手を出してはこないだろう」 「そうですか……」  ヴァイオラとトーラファンが語る脇で、セリフィアは剣に向かって話しかけた。 「ごめんな、こんなことさせて」 「ううん、ボク、お兄ちゃんを守れて嬉しいよ」  セリフィアはぐっと拳を握って小さく叫んだ。 「あのくそ親父ーっ!!」 「親父さんは悪くないだろう!!」  ヴァイオラもカインも同時に反論していた。  話題を変えようとしたのか、剣のラルキアはまたセリフィアに話しかけた。 「ごめんね、お兄ちゃん。ボク、お母さんがどうなったかは知らないんだ。最初に死んじゃったから」 「心配するな。母さんは必ず助ける」  セリフィアは安心させるように口にした。果たして本当に助けられるのか、自信はなかったが、今はそう言うしかなかった。ラルキアのためにも、自分にとっても。  ラルキアは安心したのか、床面に降りた。トーラファンが鞘を用意してくれたので、セリフィアはラルキアをそれに納め、腰に下げた。それから唐突に振り向いて、トーラファンに縋った。なりふり構わず大声をあげた。 「トーラファンさん! お願いです! 協力してください! 俺は、自分の命も仲間もあの化け物から守らなきゃいけないんだ! お願いです! 何か援助を!!」  トーラファンは渋い顔をした。カインも彼に口添えした。 「非常に厚かましいお願いとはわかっているんですが、俺からもお願いします。指輪でも何でもいい。何か援助してはいただけませんか」  トーラファンは「う〜ん」と唸ってしばらく考え込んでいたが、かぶりを振った。 「やりたくないな。あまり援助すると、こっちが狙われそうだ」  セリフィアは肩を落とした。トーラファンはそれを見ても悪びれた様子はなく、淡々と続けた。 「あと、君の師匠の奥さんか、あのキチガイだが、彼女はあれが精一杯だからあれ以上の支援は求められないと思っていたほうがいい」 「それは、ショーテスのカーテンがあるからですか」  ヴァイオラの問いに、トーラファンは頷いた。 「あんな遮断壁の中からは、いかにあのキチガイといえどそう簡単に動けるものじゃない。まぁ、それよりもさっきの…」  トーラファンはちょっと可笑しそうに笑った。 「例のマーク=コーウェンか、あれに頼るほうがいいんじゃないのか」 (手を借りた後始末が心配だが、背に腹は代えられないか……)  ヴァイオラがあごに手をやって考え込んでいると、彼の声がまた聞こえた。 「まぁ、援助はある程度考えよう」 「ありがとうございます」  カインが返事した。肝心のセリフィアはほとんどパニックに陥っているようで、心ここに在らずといった風情だった。 「ところで、このお願いは君も了解のことかね?」  トーラファンはいきなりヴァイオラに話を振ってきた。まさか心外な、という表情で、ヴァイオラは片眉を上げて見せた。(何万gpもの呪文を使ってもらっておいて、まだモノをもらうつもりか、このガキどもは)というのが彼女の正直な感想だった。 「私はどちらかというと、モノじゃなくてコネかツテをお願いしようと考えていたんですが」  それを聞いて、コネはあまりないぞ、と、トーラファンは言った。 「有望な魔術師を紹介してもらうとか…?」  カインが口を挟んだ。すると、鞘の中からラルキアが「ボク、魔法使えますよ」と声を発した。 「えっ、その状態でも喋れるの?」  ヴァイオラが驚いたように訊くと、「ええ、喋れますよ」と当たり前のことのように答えた。それから少し拗ねたように言い加えた。 「お兄ちゃん、ボク、まだ皆さんに紹介してもらってないんだけど」  セリフィアはハッと我に返って、今さらながら紹介を始めた。 「こっちは友だちのカイン。で、こっちが友だちのヴァイオラさん……友だち、で、いいんですよね?」 「『仲間』でしょ」  ヴァイオラは否とも応とも取れる返事をした。いい加減Gやラクリマが待ちくたびれるだろうと思い、話が切れたところでトーラファンに暇を告げた。 「大変助かりました。これからもまた、無理なお願いをするかもしれませんが、よろしくお願いします」  トーラファンは悪戯っぽく答えた。 「ま、若手を育てるのは大切なことだからな!」  ヴァイオラたちが屋敷から出てきて、入れ替わりにラクリマが中に入ろうとしたところ、何を思ったかGは、真剣な顔で彼女に言った。 「そろそろ一緒に暮らさないか?」 「えっ……?」  ラクリマも一瞬何を言われたかわからずにいたが、セリフィアの驚きはそんなものではなかった。立っているのもやっと、息をするのも忘れそうなくらい仰天している彼に、カインが小声で「ああやるんだ」と言って、今後の参考にするよう促した。 「一緒に……?」 「宿に来ないか」  ああ、そういう意味だったのか、と、全員、得心がいった。聞きようによっては、まるで同棲か結婚の申し込みだったからだ。 「………」 「一緒に暮らさないか」  ラクリマは答えられなかった。そうするべきなのかもしれないと思ったが、その場では決められなかった。  Gは仕方なく、「ラクリマさん、また明日なー」と言って踵を返した。皆を見送るラクリマを何度も振り返りつつ、帰っていった。  5月13日。  朝っぱらから暑苦しい声をあげてガウアーが寄ってきた。 「ヴァイオラ、なんで言ってくれなかったんだよー。君のところの四女、今度、結婚するんだって!?」 (ああ、その話か…)  ヴァイオラは笑おうとした。 「しかもお相手は侯爵様だって!? すごいじゃないか!!」  ガウアーは真っ正直におめでとうと言った。もちろん、彼は知らないのだから当然だ。「お相手」のフォアジェ侯爵が、ユートピア教の息のかかった者であるなどとは……。 「そう、大金星だよねー、はっはっは」  軽くいなそうと思ったが、さすがの彼女も乾いた笑いを発してしまった。すぐにトールが気づいた。 「どうした? 何かあったのか?」 「ううん、何でもない」  ガウアーは二人を代わる代わる見てから、「喜んでいないようだな」と、ヴァイオラの手を取って申し出た。 「何か俺にできることがあれば」  ヴァイオラは彼に微笑んで言った。 「じゃあ、贈り物を選ぶのを手伝ってもらえる?」  昼時に、セリフィアが道場までやってきた。昨日わかったことをGとラクリマに説明するようにヴァイオラから言いつかっていたからだ。道場の空き地で車座になって---ヴァイオラは少し離れて座っていたが---セリフィアは「ダーネルの本体がブランクだった」ことを、できるだけ冷静に喋った。それから、自分の父親ルギアが、その現世人格であることも。  話が一通り終わって、Gはぽつりと言った。 「ダーネルって、シェアレスだよね」 「知ってたの!?」  ヴァイオラはGに聞き返していた。シェアレスの名は、彼女はトーラファンから聞き知っていたが、まだだれにも言っていなかった。 「だって剣が……ルビーの挟まった剣だったから……」 「実はその…」  セリフィアは言いにくそうに口を開いた。 「ここにあるんだ。弟のラルキアなんだけど」  そう言って、腰の剣を引き抜いた。刀身にルビーのはさまった、だれもが一度は目にした魔剣の実物がそこにあった。Gははっと息をのんだ。 「紹介するよ。弟のラルキア。ラルキア、彼女が友だちのラクリマ……」と言ってしまってから、セリフィアはラクリマに聞き返した。「友だち、で、いいんだよな?」 「え? え、ええ…」 (どうしてそこでいちいち聞き返すんだ、またGに誤解されるじゃないか。ばかだなー…)  ヴァイオラとカインが内心呆れていると、セリフィアは次に、 「で、こっちがG」  それだけで紹介を終わらせた。 「ちょっと待て、それだけか!?」  カインは思わず抗議の声を挙げた。 「ちょっとセイ君、それはないんじゃない〜?」  さすがのヴァイオラもたまりかねて口を出した。当のGは、ぽかんと気の抜けたような顔をしたあと、今は諦め顔に変わっていた。 「どういう関係か、ちゃんと弟くんにもわかるように言いなさいよね〜」 「そうだよ、お兄ちゃん。『コッチガジー』って、真面目にボクに紹介してくれる気はあるの?」  ラルキアまでが加勢に回って、セリフィアがもごもご困っていると、カインが彼を脇に引き寄せ、「こういうことは女の子にとって大切なんだ。Gのためを思うなら、ちゃんと紹介をやり直してやれ」と耳打ちした。 「……わかった。やり直す」  セリフィアは宣言した。親の仇でも取るような力の入りようだった。しかし、実際にはうまく行かないようで、 「彼女がG。その、俺の……なんだ」 「聞こえないよ、お兄ちゃん」 「いちいち言わせるなよ。わかってるだろ」 「聞こえないのにわかるわけないよ。だいたい、そういうことは口でちゃんと言わなきゃだめなんだよ? それだからお兄ちゃんはいつも…」 「うるさい。だまれ」  兄弟のやりとりを聞きながら、カインは(弟のほうがうわ手だな)と思った。それにしても、あれだけ臆面なく「一番好き」だの「ずっとそばにいて」だの口にするくせに、なんだってこういうところではダメなんだ? (これじゃあ、Gだって不安になるだろうに)  カインがそう思ってGを見ると、その彼女は別な理由で真っ青だった。 「こ、こわいよー」  Gは泣きそうな顔をした。手がふるえている。ヴァイオラは思うところがあったので、それを見て見ぬふりして声をかけた。 「ジーさん、この剣のこと、もしかして知ってるの?」 「母さんが未来で一緒に旅したって。シェアレスはこの剣と、片目の女性にものすごく執着してるから、どっちにも絶対に関わっちゃいけないって」 「未来? 過去じゃないの?」 「未来って言ってましたよぉ」  ヴァイオラは首を傾げた。しかし、Gもその「母さん」も嘘を言うとは思えないから、何らか事情があるのだろうと考えることにした。 「ジーさん、どうして今まで知ってるって言わなかったの?」 「だっ、だって、本当だと思わなかったんですよぉ! そんな、未来を旅しただとか『死なずの』何たらとか、殺しても復活しちゃうとか毎回記憶なくしてるとか、そんなおとぎ話のようなことを聞かされて、信じますか普通ー!?」  Gは一気に喋ったあとで、「だいたい母さん、怖いように話すし…」と呟いた。手はまだふるえていた。 「ダーネルだって…ダーネルだって、本当に本当だったなんて……」  カインはセリフィアを引っ張って、「Gの手がふるえてるから、握ってやれ」と耳打ちした。さらに気を利かせて、 「ああ、その剣が怖いみたいだから、それは俺が持っててやる」 と、セリフィアからラルキア入りの魔剣を預かった。だが、セリフィアはその場で二の足を踏むばかりだった。 「おい。早く行ってやれ」 「いや、なんか今、ヴァーさんと話してる最中だし……」  セリフィアがボソボソと歯切れ悪く言い訳するうちに、ラクリマがGの手のふるえに気づいてしまった。 「Gさん、手が……」  彼女はそう言って、そっとGの手を握った。 「ラクリマさあああん!」  途端にGはラクリマに縋りつき、わっと泣き出した。ヴァイオラは心の中で溜息をついた。 (……せっかくその役をセイ君に取っておいてあげたのに)  向こうではすっかり出遅れたセリフィアが、呆然とした面持ちで女の子二人を見ていた。 「ああやるんだ。よく見とけ」  カインは半ば呆れた口調で、セリフィアを小突いた。セリフィアは項垂れた。  Gが落ち着いたところで、セリフィアはもう一度念を押すように二人に断った。 「だから、これから俺も、親父も、世の中に迷惑をかけまくるかもしれない。みんなのこともきっと危険に巻き込むと思う。……ごめんな」  Gは泣きやんでいたが、まだ涙の痕は乾ききっていなかった。セリフィアはそれを見て、抑制のきかない苛立ちを胸に泡立たせた。いつの間にか叫びが口を衝いて出てしまっていた。 「くそっ!! あのくそ親父ーっ!!」 「ちょっと待て!! 親父さんは何も悪くないだろう!!」  三方から突っ込みが飛んだ。ラクリマは一瞬押し黙ったあとで、「セリフィアさん」と彼に呼びかけた。 「これからブランクというひとがどれだけ害を為してきても、私たちはセリフィアさんを赦します。だから、セリフィアさんもどうかお父さんを赦してさしあげてください」  セリフィアはラクリマをマジマジと見たあとで、 「…わかった。赦す」 と、ようやく口にした。 「だいたいねー」と、ヴァイオラが棘のある声を出した。 「『持たざる者』との板挟みで本当に苦しんでいるのは、君のお父さん本人なんだからね」  ヴァイオラはダーネルそのひとの苦しみを思い出していた。 「一番辛いのは、お父さんなんだ。君なんかじゃない」  きっぱりと言い放ったが、果たしてセリフィアが理解したかどうかは怪しかった。  こうした光景を見ながら、カインはこっそりため息をついた。年上のくせにセリフィアときたら、彼が以前、ストリートで面倒を見てやっていた弟分にそっくりだった。きかん気だけは人一倍のくせに、周りの状況には疎いは、うまく気持ちを他人に伝えられないは、ここ一番のときに(つまり女の子相手に)勇気を奮えないは……全く、そっくりだった。 (仕方ない、暫く面倒見てやるか)  もう一つ、秘密のため息を洩らした。 10■いざこざ  帰り道、トーラファン邸のすぐ手前で、ラクリマは手紙を拾った。 「こんなところに手紙が…?」  不思議に思って見ると、さらに不可思議なことに、書簡には「ラクリマ殿 異端審問会」と表書きが記されていた。 「……私?」  ラクリマは手紙を開いた。 《パシエンス修道院を救うために、明晩、パシエンス跡へ一人で来られたし》  文面はこれだけだった。ラクリマは途方に暮れた。 「どうしたの」 「こんなものが…」  ラクリマは手紙をヴァイオラに渡した。ヴァイオラの後ろから、Gとカインがのぞき込んだ。 「何だこれは!!」  異口同音に叫びが洩れた。ヴァイオラは呆れ返って言った。 「ったく、どういう神経してるんだろうね、ガラナークの奴らは」 「行くな」カインは手短に釘を差した。「罠に決まってる。行く必要はない」 「え、ええ……私も、そう思うんですけど……」  でも、行かなかったらどうなるのだろう? もしも、万が一、行かないことでさらに状況が悪化したら……?  ラクリマは不安を隠せなかった。 「どうする、ヴァーさん?」  Gは「いや、もちろん行く必要はないと思うんだが」と慌てて付け加えつつ、ヴァイオラの顔をのぞき込んだ。 「とりあえず抗議だね」  ヴァイオラはあっさり言ってラクリマのほうを向いた。 「ラッキー、この書簡、預かっていいかな」 「あ、はい」  こんな呼び出しは無視していいと、全員から念を押されたあとで、ラクリマは邸内へ帰っていった。とはいえ、院長にはこの件を報告した。 「罠でしょう」  クレマン院長は一も二もなく断言した。そんなところへ行くことはない、というよりむしろ、危険だから行かないでほしいと言われ、ラクリマは了解した。  宿へ帰ると、うまい具合に僧兵たちが揃っていた。ヴァイオラは銀製の聖章を身につけたリーダーらしき僧侶へツカツカと歩を進め、彼の前のテーブルに、先ほどの書簡を文字通り叩きつけた。 「これは何だ」  青年僧侶は動じるふうも見せずに書簡を手に取り、また顔をあげた。 「あなたがたはパシエンス修道院係累の者ですか?」 「ちがう。だがこれは何かと聞いている」 「もう一度お尋ねしますが、パシエンス修道院所縁の方々ですか?」 「パシエンス修道院とは関係ない」 「ではこれもあなたがたとは関係ないでしょう。言いがかりをつけられる筋合いはありません」  青年は氷のような冷たさで応じた。 「パシエンスとは関係ないけどね---」ヴァイオラは一歩詰め寄って、「ラクリマは私たちの仲間なんだ。だいたい失礼だろう、女性を夜に、一人で来いと呼び出すなんて」 「こちらにも事情あってのこと。それとも…」青年は意味ありげな視線を向けた。「あなたがたも異端に与するつもりですか?」  周りの僧兵たちが身構えるのがわかった。 「異端がどうとかって、関係ないって言ってるでしょ。ただ、うちの仲間にこんな仕打ちをされる謂われはないって言ってるの」 「私たちは道をただすために必要なことをやっているだけです」  ヴァイオラは思わずムッとして言い返した。 「なら、私は私の信念に基づいて、仲間を守る」 「ではあなたも好きなように行動すればいい。我々も我々の道を行くまで」  ヴァイオラは話のかみ合わない青年僧侶を軽く睨んだ。 「あのですね、私が言っているのは教義なんかのことじゃありません。常識からいって、若い女性を夜中に一人で、それもあんな治安の悪い場所に呼び出すなんて、人間としてどうかって言ってるんです」  しかし、青年はビクともしなかった。まるで「理解しないほうが悪い」とでもいうように、彼は答えた。 「すべてはガラナーク正教のために行っているのです」 「……あなたがたのそういう行動が、かえってガラナークの権威をおとしめているんですよ。なぜ気づかないんですか」  ヴァイオラは思わず口にしていた。と、青年僧侶の目に険が加わった。 「敵対する、と、いうことですか?」  物静かな装いで聞きながら、彼の内面は殺伐として見えた。 「あなたがたがそうして引かないなら、私たちも引けません。そもそも彼女には」---彼女というのはラクリマのことらしかった---「改心のチャンスを与えたのです。だが彼女はそれを踏みにじった」 「そぉれはおかしいなぁ」  ヴァイオラは苛立ちを抑えながら、小馬鹿にした口調で応じた。 「大の男5人が抜き身の剣を持って小娘一人を囲むことを、ガラナークでは『改心のチャンスを与える』って言うんですか?」 「なんですって」  青年の目つきにさらに険が加わった。  僧兵たちだけでなく、周りにいた冒険者たちも、次の行動に対する準備を整えていた。掛かり合いを避けようとする人々はとっくにこの場を去り、残っているのはガウアーたちのパーティと、他に2組程度になっている。  彼らが固唾をのんで見守る中、派手な音を立てて表の扉が開いた。 「審問会のリーダー!! 出てこい!!」  怒声をあげて入ってきたのは、僧侶のベーディナだった。 「ここ、ここ」  ヴァイオラとGは咄嗟に目の前の青年を指さした。 「やめろ、ここで問題を起こすな!」  後ろから制止するティバートを振り切って、ベーディナは青年の前にドカドカと足音荒く詰め寄った。 「私が異端審問を任されております、ヴォルバーグ=ゲーレッツですが、いかがいたしました」  青年ヴォルバーグは胸が悪くなるほどの丁寧さで言った。 「うちの神殿が何したっていうんだよっ!!」  ベーディナはテーブルに拳を打ち付けながら叫んだ。 「はぁ……何か言いがかりでも?」 「関係ないひともいたのに、全部焼き払うってのはどういう了見だいっ!!」 (…そこまでやるか、この腐れボーズ……)  だれも驚きはしなかった。驚きはしないが、だからといって平気でいられるわけではなかった。青年の慇懃な声、胸くその悪い回答が耳に入ってきた。 「汚れた地は清めなければなりません。この地で我々は徐々に成果を上げています。あなたのいう神殿とやらも、その成果の一つとなるでしょう」  ヴォルバーグはギラリと瞳の底を光らせて言った。 「異端者を裁くのにためらう我々ではありませんよ」  それから、自分の台詞に満足したような表情でベーディナに、 「あなたにも今一度聞こう。あなたの誤った信仰を捨て、この場で正当なる信仰に帰順すると誓いますか?」 「あほか」  そう言ったのはベーディナではなくヴァイオラだった。 「神は何も規定していないだろ」 「うん、神は何も禁じていない」  Gが相づちを打った。  その瞬間、50人の僧兵が一気に立ち上がった。向こうでガウアーたちも武器を手に立ち上がったのが見えた。ヴァイオラの横顔に、ルーウィンリークが「こんな奴らとこんなところで揉め事を起こさないでくれ」と声にならない悲鳴を送って寄越した。が、もう遅い。 「フィルシム王家に礼をもって、法の及ぶ範囲では法に則って振る舞おうと思って我慢していたが……外法には外法で対さねばならぬということか」  ヴォルバーグは温かみの欠片もない声で、低く、その場の者に告げた。 「あんたたちって、大司教の下で動いてるんでしょ」  突然何を言い出すのかと、彼が訝しげな目を向けたところへ、ヴァイオラは一枚の羊皮紙を突きつけた。 「これが目に入らないのか! ガラナーク大司教御直筆の親書であるぞ!」  どうせ彼らは大司教の下で働いているに違いないのだ。 (大司教の命には従うのが当然、直命を受けてる私たちの邪魔はしないでもらいましょうか)  思ったとおりだった。ヴォルバーグは初めて動揺を見せた。  なぜフィルシムの一介の僧侶がそんなものを持っているのか見当もつかぬといった顔で、しかし、ここで屈するわけにもいかずに常套句を唱えた。 「そんなものは偽物に決まっている」  ヴァイオラはせせら笑った。「お望みならご自由に鑑定なさればいい。あなたがどう思おうと、これは正真正銘の本物なんですから」 「でたらめを……」  ヴォルバーグの隣で、これまで座りっ放しだった戦士風の、隊長らしき男が立ち上がった。(問答無用か)と、だれもが腰のものに手をかけようとした。そのとき、 「外で全部聞かせてもらったわよ!!」  バーンと華々しく扉が開いて、颯爽とマーク=コーウェンが登場した。彼というべきか彼女は、数歩ヴォルバーグのほうへ歩みを進め、彼を指さして言った。 「あなたの負・け」 「あ、あ、あなたさまは……な、なぜここに……」  ヴォルバーグは今度こそ心底動揺したようだった。 「マコちゃん、欲しいヒトがここにいるの。だからこの人たちに手を出しちゃ、ダ・メ」  マーク=コーウェンことマコちゃんは、意味ありげにセリフィアに流し目を送った。セリフィアはその場で硬直しかけた。 「ちなみにアレ、本物だから」  マコちゃんは事も無げに、ヴァイオラの手元の書簡を指して告げた。 「……っ…」  ヴォルバーグらはそれでも武器に手をかける気配を見せた。どうにも血を見なければ収まらないとでもいう勢いの彼らを見て、マーク=コーウェンはいきなりマントを裏返した。それまで鮮やかな緑だったそれは、一瞬にして銀に変わった。マントは宿の灯りを吸い寄せ、鈍く波打つ煌めきを周囲に返した。 「やるならいいわよ」  マーク=コーウェンは冷ややかな声でヴォルバーグに微笑してみせた。 「『外法には外法で』ってコトバ、マコちゃんも知ってるわよ。50人くらいカンタンよー」  僧兵たちは皆、冷水を浴びせられたようになった。  マーク=コーウェンが銀色騎士団も兼任していることを知らぬ僧兵はいなかった。銀色騎士団とは、「破滅の日」に行方不明になったウィリアム=ヴァロヴァルクス将軍を筆頭とした最強の騎士団だ。冗談ではなく、「一騎当千」の実力者ばかりがその構成員であるが、無法なことも平気でこなすため、ガラナーク国内でさえ、彼らをならず者の集団として見る者が少なくない。そのうえどんな無法で無体なことを冒そうとも、滅多にお咎めに遭うことがない、つまり特権持ちであった。 「あんたたちが法に則るなら『緑』で相手してあげる。でも、外法でっていうなら……」 「……見回りに行くぞ!」  ヴォルバーグは忌々しげに言い捨てて、逃げるように出ていった。僧兵たちもぞろぞろと後に続いた。一瞬、何もかもなくなったかのような空白の時間が流れた。  ふーっと、だれからともなくため息が洩れ聞こえた。ガウアーやリーンティア、他にもその場で立ち上がっていた冒険者たちが、順に座り直し始め、ガタガタという騒音が立った。心地よい騒音だった。 「ありがとうございました」  セリフィアはマコちゃんに礼を述べた。 「別にぃ。あんなのがガラナークだと思われたらイヤだしぃ。でも、悲しいことにあっちが主流なのよねー。だからぁ、セリフィアちゃんみたいなヒトが騎士になってくれるとぉ、マコちゃんとぉっても嬉しいんだけどぉ」  そこまで言ってから、やおらティバートたちのほうを振り向き、「あなたたちには悪いことしたわね」と一言言った。 「あ、あんたに謝られたって!!」  ベーディナは怒り収まらずといった向きで吠えた。マーク=コーウェンはそれを冷たく突き放した。 「牙剥く相手を間違ってんじゃないの」  ベーディナはぐっと押し黙った。盗賊のヴォーリィが彼女の肩にそっと手をかけたのが見えた。 「じゃあねぇええ、セリフィアちゃん、バイバ〜イ」  最後まで秋波を発しながらマコちゃんは帰っていった。マコちゃんがいなくなって、セリフィアはぐったりと机に突っ伏した。 「大丈夫だったか?」トールがヴァイオラに声をかけてきた。「喧嘩を売るのは---」「売ってないよ」  ヴァイオラは彼を遮って、 「でも、仲間は守らなきゃ」  きっぱりと言った。  異端審問会とのいざこざが終わって、ようやく一同は夕食にありついた。 「ああ、あんたに手紙を預かってるぜ」  宿の親父が席に寄ってきて、カインに紐の掛かった羊皮紙を渡した。カインは親父に軽く礼を言うと、紐を解いて中を見た。 「だれから?」 「……昨日のやつらだ」  手紙は、アンプール家から派遣された騎士たちからのものだった。そこには「カイン様の身分を確認いたしたく、明晩、指定場所に来られたし」とだけ書かれていた。指定場所は、カインの元のねぐらだった。  カインは手紙をヴァイオラに渡した。ヴァイオラはそれに目を通したあと、他の面々に回覧した。 「どうする?」  皆、カインを見た。カインは暫く考え込んだ。 「…取引をするか?」  そう口にした彼に、ヴァイオラは「危険だろう」と即答した。Gもそれに続いた。 「それに、欲しいものなんて、ないだろう?」  ヴァイオラは頷いて、制止した。「やめとけ」 「だが」と、カインは皆の顔を見回して言った。「『身分を確かめたい』というのが気になる」  今では自分はレスタトの双子の兄弟だろうという、無根拠な確信がある。それが事実だろうと事実でなかろうと構いはしない。ただ、彼らが何をどこまで知っているのか、それが気になっていた。カインは再び口を開いた。 「彼らが何を求めているのかを知りたい」 「行くならつきあうぞ」  Gが明るく応じた。セリフィアもようやく言葉を発した。 「行って、全部すっきりさせないか。無視したって、この先どうせつきまとわれるんだろう」  カインはヴァイオラに目を向けた。 「会いに行って構わないだろうか?」  それから、全員をもう一度見回して、「ついてきてくれるか?」  異議も異存もなく、行くことに決まった。  ヴァイオラが言った。「たとえばカインが何も知らなければ、向こうが何を言っても『何それ』になるでしょ。それで行ったら?」 「そうしよう」  ラクリマには、明日、話をしようと決まった。 11■血縁  5月14日、昼。 「そういうわけだから、ラッキーも今晩は一緒に来て」  ヴァイオラは異端審問会との顛末をざっと語ったあとで、カインのもとに届いた手紙の話をした。それで一緒に来るよう誘ったのだが、案に相違してラクリマはすぐにうんとは言わなかった。 「あの……それって、あのときの騎士の方々ですか…?」  ラクリマは浮かぬ顔でヴァイオラに尋ねた。 「そう。だから、カインにどんなことをされるかわからないから、全員で---」 「行ってもいいんでしょうか?」 「は?」  ヴァイオラは思わず聞き返した。 「私も行って、いいんでしょうか」  ラクリマは落とした視線の先で、指を絡めたりほどいたりしながら、 「あの人たちに会うのは……私……なんだかイヤな感じが……」 「そうだな。ラクリマは来ないほうがいい」  カインは、ラクリマがエフルレスに目をつけられていたことを思い出して言った。ただでさえ彼女はジェラルディンにそっくりなのだ。一緒に行ったところで、何をどう言われるかわかったものではなかった。ジェラルディンの身代わりとして拉致される可能性だってあるのだ。 「そうだね。ラッキーは、じゃあ、帰ったらトーラファンさんに『この間みたいに見ていてください』ってお願いして」  ヴァイオラの言葉に、ラクリマは頷いた。「私も、トーラファンさんと一緒に見ていることにします」  そのあとで彼女は、明日は戦闘技能訓練の道場がお休みだから、一日修道院の畑に行きたいと皆に告げた。 「俺も一緒に行くよ」  カインが即座に申し出た。異端審問団のこともあり、仮令(たとえ)修道院の大勢と一緒であっても、彼女だけで行かせるのは危険だと判断したからだ。ラクリマが「お願いします」と言って、その話はまとまった。  夕刻、一同がトーラファン邸に着いた際、フィーファリカが門まで出てきていた。 「ヴァイオラさんに、ご主人様とクレマン様がお願いしたいことがあるそうです。一度お時間をいただきたいのですが、今日はお忙しいでしょうか?」 「今日は生憎、これから用があるので……急ぎですか?」 「いえ、お暇なときにお立ち寄りくださいと、主が申しておりました」  どの話だかはわからないけれど、明日にでも立ち寄ろう、と、ヴァイオラは思った。ラクリマが館の中に入ったのを見届けてから、彼らは、手紙の指定場所であるカインの元の住居に向かった。  暗い路地を一本抜けて、女も立たぬ街角の、雨や鉄や叫びに削られ凸凹にゆがんだ道に出た。歩きにくかった。  カインの元の家に着くまで、一同は黙って歩いた。音は、自分たちの歩く音しか聞こえない。だがひとの気配はそこかしこからして、建物の陰から、先の曲がり角から、じっと見られている感じが消えなかった。  そうした感覚に慣れたころ、この狭い裏道に3〜4人の人間が立っているのが見えた。近づくうちにそれがガラナーク風の、騎士の従者らしいことがわかった。  カインは小声で「ここだ」と昔のねぐらを仲間に指し示した。先方の従者たちは不穏な気配をまといながらも空気のように突っ立っていた。前後左右に気を配りながら、カインを先頭に、一同は狭い家屋に入っていった。  中にはすでに先日の騎士2名があがりこんでいた。カインは思わずむっとした声を発していた。 「不法侵入だ」 「ここはもうお前の家ではないだろう」  エフルレスが嘲るように応えた。確かに、ずっと支払いを滞らせているから、ここの権利は自分から剥奪されているだろう。それでも、 「なるほど。ガラナークの騎士ってのは、人の心にずかずか踏み込んでくるのか」 「言うほどの家か」 「お前は黙ってろ」  カインがそう言うと、エフルレスは顔を上気させた。殺気立つ男は放っておいて、カインは今一人を手招きした。 「ケヴィッツ、来い」  ケヴィッツはエフルレスを宥めたあとで、カインのそばに寄った。 「勝手に乗り込んで申し訳ありませんでした」 「ああ。お前が相手だと話しやすい」 「恐れ入ります」 「で? 何の用だ?」  ケヴィッツは一同を一通り眺め渡したあとで、「お一人、いらっしゃらないようですが」と口にした。 「俺たちが何人で来ようと、お前らには関係ないだろう」 「いえ……」 「俺に用があるんじゃなかったのか」  ケヴィッツは暫し躊躇っていたが、「正直に申しあげましょう」と口を開いた。 「ジェラルディン様亡き今、我々は、アンプール家の後継者として、ラクリマ様をお迎えしたいと考えております」  だれかが息をのむ音がした。が、それより先に間髪を入れず、 「断る」  Gが拒絶の言を吐いていた。ケヴィッツの背後で、エフルレスが乱暴な気配を強めた。 「どういうことだ」  カインは冷静になろうと努めながらケヴィッツに聞き返した。 「ご領主様には公式に3人のお子さまがいらっしゃいました。そのうち、一番上の兄君は病気でお亡くなりになり、2番目のグィンレスターシアード様もフィルシムでお亡くなりになったことが確認されております」 「グィン、何?」 「グィンレスターシアード様です。ご存じかと思いますが」 「だれ、それ?」  素知らぬ顔で言い抜けるヴァイオラに、ケヴィッツは「こちらではレスタト=エンドーヴァーと名乗っておられました」と答えた。ヴァイオラは「ええっ、レスタトがそうだったの!?」と、まるで何も知らなかったかのように驚いてみせた。ケヴィッツはそれには特に興味を示さずに、淡々と続けた。 「世継ぎのシャルレイン様が事故でお亡くなりになったことは既に申しました」 「世継ぎなら、復活の儀式ぐらいすればいいじゃないか」 「それが……」ケヴィッツは言葉を濁した。「失敗いたしまして……」  気まずい沈黙が流れた。 「ジェラルディン様も……カイン様のお言葉を疑うわけではありませんが、神に直接お聞きして、その死を確認いたしました」  カインは無言でケヴィッツを睨みつけた。なら、最初から神に聞けばよかったじゃないか。ケヴィッツは少しカインの視線を躬すようにして続けた。 「カイン様も、実はご領主の血を引いておられます」 「………」 「カイン様はグィン様のご兄弟であられることがわかりました」  言葉のないカインの代わりに、背後でヴァイオラが「へぇ〜、カイン、君って貴族だったんだ」とまたしてもわざと驚いてみせた。 「同じようにして、ラクリマ様がジェラルディン様のお姉さまに当たることも確認されたのです」 「じゃあ、ラクリマとカインはきょうだいってこと?」  ヴァイオラの問いに、ケヴィッツは頷いて「そうなります」と答えた。 「ラクリマ様は、ご領主様が冒険中に不本意ながら作られたお子さまと伺っております」 (そりゃあ不本意だろうよ、勝手に実験材料にされちゃ)  ヴァイオラとGは、Gが見た夢のことを思い出していた。 「ジェラルディン様はそのあと望まれて作られたお子さまです」 「だれの子なの?」 「ラストンの魔術師との間にお作りになられたと聞いております」 「………」  ラクリマは培養されているからともかく、ジェラルディンと俺たちとは1歳違いだ、よくもそんなにボロボロと子どもを生んだものだと、カインは内心呆れ果てた。しかもその4人のうち3人までがうっちゃっておかれているのだ。 「証拠は?」  カインは口を開いた。 「神託のみです」  ケヴィッツの回答を聞いて、Gは笑った。 「本当はラクリマ様ご本人に直接お話をしようと思っていたのですが、いらっしゃらないので……」 「わざと隠したんじゃないだろうな」  エフルレスが後ろから刺々しい声を浴びせてきた。ヴァイオラは、 「だってねー、後ろの彼がそうやって睨むでしょー。怖いから行きたくないって泣かれてさー。とてもじゃないけど連れて来られる状態じゃなかったんだよねー」 「なんだと!! わっ、私は何もしてないぞ!!」  エフルレスは真っ赤になって怒鳴った。 「いやまぁ、そういう態度とか、ね……」  ヴァイオラは意味ありげに言葉を切った。 「わっ、私はただ---!!」「エフルレス様、その辺で……」  ケヴィッツは再びエフルレスを宥めると、一同に向き直った。 「ラクリマ様ご本人に、いらしていただけるようお話しさせていただきたいのですが」  冗談じゃない、と、Gは思ったが、ここで暴れてもカインやヴァイオラを困らせるだけだと思って、必死で我慢した。気を逸らそうと思い、さっきから赤くなったり青くなったりしているエフルレスを眺めてみた。エフルレスはまだ赤くなったり青くなったりを繰り返していた。可笑しくて少し気が晴れた。 「お前たちと行くかどうかは彼女が決めることだ。だが---」と、カインは言った。「俺たちは今、戦闘技能の訓練中だ。少なくとも、返事はそれが終わるまで待ってもらえるんだろうな?」  ケヴィッツは一瞬押し黙ったが、すぐに場を取り繕うように返答した。 「わかりました」  Gもセリフィアも一息ついた。 「それにしてもあんたたち、変だよ。変っていうか、回りくどいっていうか」  ヴァイオラはケヴィッツに向かって言った。カインも思いだしたように、それに続けた。 「そうだ。なんでわざわざこんなところに呼び出したんだ。宿の部屋で済む話だろう」 「ここに呼び出させていただいたのは、あなたたちが法に則らない行動をとるかもしれないという、一部の者の危惧によるものです。ご無礼はお許しください」  ケヴィッツはすらすらと答えたが、一同の疑念は晴れなかった。法に則った振る舞いを相手に要求するのであれば、宿のような公共の場を選ぶほうが自然だからだ。だが、カインもヴァイオラもその件についてはそれ以上聞いても無駄だろうと踏んだ。 「ああ、そうだ」  出ていく前にヴァイオラは騎士たちを振り返った。 「カインはいいの?」  同じ血を引くカインは跡継ぎとして連れ帰らなくていいのか、というのが表向きの質問、裏向きとしてはカインのことで何か物騒な企てをしていないか、という問いだった。 「はい」  ケヴィッツはごく自然に答えた。だが、後ろのエフルレスから、「殺してしまえ」という気配が読みとれた。ヴァイオラは短く「わかった」と答えて済ませた。ケヴィッツが背後から念を押すように言うのが聞こえた。 「では訓練が終わるまでお待ちしています」  貧民街を抜けて、商業区に入ったあたりで、ヴァイオラはカインに声をかけた。 「狙われてるね」  カインは苦笑を返した。 「ああ。俺を殺したいみたいだったな。だが、思い通りにさせるものか」  思い通りになどさせはしない。俺は殺されてなどやらないし、ラクリマは渡してなどやらない(彼女自身が望めば別だが)。あんな家は滅びればいい。  カインはふと顔をあげ、ヴァイオラに「一杯やっていかないか」と誘いをかけた。ヴァイオラが承諾したので、セリフィアとGには先に帰ってもらい、二人で適当な酒場に入った。  どうせ何か話があるんだろうと、ヴァイオラが思って待っていると、案の定、カインは水を向けてきた。 「Gが見た夢のことを、教えて欲しい」  ここまできたら、教えないわけにいかなかった。 「君はレスタトの双子の兄弟だ。あの家はああいう気風で---」ヴァイオラは「わかるだろ」と目でカインを促した。「男の子どもが要らなかったんだ。ガラナークでは双子は忌み嫌われるらしいし、そのうえ君は、生まれたときに不吉な予言をされた。それで捨てられた」  カインはまた苦笑した。 「凶運・女難・独善の星を持って生まれたんだそうだ」 「………」 「今までも、周りの人間が死んでいっただろう?」  ヴァイオラは、赤子のカインを庇って捨てなかった老婆がどんな末路を辿ったか、簡単に語って聞かせた。 「君の凶運はかなり強いらしいね。女難は……わかるだろ」 「至れり尽くせりだな」  カインはそう言って杯を呷った。 「でもいいじゃない、君に負けないくらい酷い星を持ってるやつらが、うちにはゴロゴロしてるんだから」  ヴァイオラの台詞に、カインは笑ったようだった。 「まあこれで、アンプール家に義理はないと、心構えができた」 「よかったじゃない」  カインはヴァイオラを見て、「ヴァーさんも大変だな」と言い足した。やせ我慢ではない、余裕のある物言いにヴァイオラは好感を持ち、安堵もした。いつの間にか、二人はお互いに、「ヴァーさん」「カイン」と呼び合うようになっていた。  翌5月15日、朝。 「カイン、今日は畑へ行くんでしょ。ラッキーに昨日のこと、話しておいて」  ヴァイオラはカインにそう言うと、次にGを脇に呼んで言った。 「セイ君を誘って、一緒に畑へ行っといで」 「ええ〜、でも〜……」  Gはどんよりとただ座っているセリフィアを見た。とても動かせそうにない。 「あれは気分転換させたほうがいい」  ヴァイオラに背中を押されて、ちょっと怖いように感じながらも、Gはセリフィアに近づいた。 「セリフィアさん?」  セリフィアは「うん」と言ってGを見た。見ているようで見ていないような瞳だ。 「ラクリマさんたちと一緒に、畑に行ってみましょうよ」 「……ううん、いい」  Gは挫けそうになる気力を奮い立たせた。 「だめですか? 私、行こうと思うんですけど、セリフィアさんが一緒だったら楽しいのにな……」 「……………Gが行くなら行く」  セリフィアはポツリと言って立ち上がった。 (確かに、あいつには気分転換が必要だ)  カインもそう思った。思いはしたが、お守りすべき子どもが一挙に増えたようで、ため息をつきたい気分でもあった。3人はヴァイオラとロッツを残し、ラクリマたちと合流すべく「青龍」亭をあとにした。 12■カモミール畑にて 「ラクリマは俺の姉さんだったんだ」  パシエンス修道院所有の畑へ歩いていく道で、カインはいきなり口にした。 「え?」  ラクリマはよくわからないという顔で、カインに聞き返した。 「どういう…ことですか…?」  カインは、昨夜、例の騎士たちと会ってわかったことを話した。ラクリマはアンプール家領主の血を引く娘であり、彼女にとってジェラルディンは父親違いの妹であり、カインとレスタトはまた父親の違う双子の弟であった、と。 「………」  ラクリマは言葉もないようだった。「託宣で」判明したと言われては、反論することもできなかった。  カインはさらに、アンプール家としてはラクリマを跡継ぎとして連れ帰るつもりであることを説明した。そして尋ねた。 「ラクリマはどうしたい? 貴族の跡取りになって、ガラナークへ行きたいか?」  どうしたいかと聞かれても、彼女には返答のしようがなかった。何もかも、まるで現実感がなかった。 「アンプール家に行きたいか?」 「…いいえ」  行きたい、とは思わなかった。ただ、どうしても行きたくないという強い思いがあるわけでもない。カインがまた言った。 「だったら、どうするか考えなきゃいけない。たぶん、ラクリマはこれからずっと狙われる。下手すれば力ずくで連れて行かれるだろう。それが嫌なら、とりあえずは奴らを片付けてしまってもいいと思う。もっとも、本家のほうには連絡が行ってしまっているだろうけどな」 「………」  ラクリマは歩きながら足下に目を落とした。力ずくで連れて行かれるのは怖いと思ったが、だからといって彼らを「片付ける」? それもまた恐ろしい考えではないのか。けれどもし……そうしなければ仲間に迷惑がかかるなら……。考えに沈むうち、彼女はぼんやりとした表情しか示せなくなっていた。自分が歩いているのかどうかもよくわからなかった。そもそも自分の存在が……… 「貴族はたいへんだぞ。礼儀作法なんかうるさいし、食事も食べる順番とか使う食器が決まってるんだ。ナイフやフォークが3本も4本も出てくるしな」  いきいきと貴族の悪印象を語る声が耳に飛び込んできた。ラクリマは驚いたように顔を上げた。それを見てカインも安心して続けた。レスタトの知識を使い、貴族特有のさまざまな作法やしきたり・慣習等について、彼なりに解釈しつつ、いかにも大儀そうに話をした。  ラクリマはとうとう弱りきって言った。 「わ、私、やっぱりそんなの無理です。行きたくありません……」 「そうだろう? だからどうするか、考えなきゃいけないんだ」 「…あの、ただお断りすることは、できないんでしょうか」 「その場合は、有無を言わさず攫って行くつもりなんだろうな」  カインはいずれも淡々と語った。ラクリマはそんな彼を力なく見た。 「あの……カインさんが跡を継がれてはいけないんですか?」 「アンプール家は女系なんだ。それに俺はどうやら命を狙われているらしい」 「え…? だって…同じひとの子どもなんじゃ……」 「俺は『凶運』の卦をもつ者だからな、始末してしまいたいらしい」 「そんな……」  そんな家へ行くのはイヤだと、ラクリマは思った。だがその意志もまだ弱かった。 「殺されてやるつもりはない。俺は生きてやる」  カインは語気強く言いきった。それから、少し口調を和らげて、 「とにかく、みんなに相談しよう。それでどうするか、みんなと一緒に決めればいいんじゃないか」 「………はい」  ラクリマはカインから目を逸らした。そのあとは黙って歩いた。畑までの道のりがいつもより長く、肌寒いように感じられた。  畑のカモミールは順調に育っていた。よい丈に伸び、そろそろ蕾がほころび始めているものもある。 「これがカモミールなのか?」 「ええ、そうです。もう少ししたら、一面に白い花が咲きますよ」 「カモミールかぁ……神様の花だな」  Gはそう呟いた。それからセリフィアをちらりと見た。彼は相変わらず元気がなく、押し黙ったままだった。 「よぉーしっ! いくらでも耕すぞー!!」  Gは元気よく叫んだ。だがやはりセリフィアはうち沈んだままだった。 「俺も、力仕事があればいくらでも手伝うぞ」  カインやGの申し出に、ラクリマは申し訳なさそうな表情で、 「ごめんなさい。今は耕すところはないんです」 と、断った。 「もしよければ、葉や茎についている虫を取ってもらえると助かりますけど」 「虫? そうか、虫を取ればいいんだな!」  Gは畑に入り、ぶちぶちと虫のいる部分をちぎりだした。 「あっ、待ってください、Gさん」 「G、ちょっと待て」  ラクリマとカインがほぼ同時に制止の声をあげた。 「葉や茎をむしったらダメだ。虫だけ取るんだ、虫だけ」  カインが少々呆れたようにアドバイスした。Gは少ししかめつらをしたが、「わかった」と答えた。 「面倒な作業ですよね。でも、葉っぱや茎を取っちゃうと、これから花が咲きにくくなっちゃうんです。だから……」 「うん、わかった」 「取った虫はこの袋に入れてくださいね。あと、ムカデとか毛虫には素手で触らないように」  ラクリマは小ぶりの麻袋を手渡しながら、Gに言った。Gは了解して畑に向かった。始めてみると、これはこれで没頭できる作業で、なかなか具合がよかった。何も考えずにひたすら虫を取った。  カインも虫取りを手伝ってくれた。セリフィアは、しばらくGの隣で同じように虫取りをしていたが、すぐに耐えられなくなってラクリマに頼んだ。 「ラクリマ、なんかもっと大雑把な力仕事はないのか」 「…力仕事ですか……。生憎、この時期は……」  ラクリマが困ったように考えている横から、カインが口を出してきた。 「お前は休んでていいぞ、セリフィア。もともと気分転換に来たようなものだろう」 「いや……」 「そうですね、よかったら休んでいてください。人手はもう十分ありますし」  そう言うと、セリフィアがとても情けない顔をしたので、 「じゃあ、ときどきこの小袋を回収して、中の虫だけあっちの大袋に集めておいてもらえます? そうしたらみんな、いちいち向こうに明けに行かなくていいですから、助かります」 と、力はいらないが大雑把な仕事を頼むことにした。セリフィアは、時折り人々のところを回っては虫袋を集めた。だが、働きたがった割にやる気が感じられなかった。Gのところへ行っては、しばらくそばに佇んでいたりした。それが彼にとって必要なことなのだろうと思ったので、カインもラクリマも何も言わなかった。  ヴァイオラはこの日の午後、トールの組のリーダーであり、親が勝手に決めた元婚約者であるガウアーと一緒に出かけた。妹の結婚祝を買うためだ。  ガウアーは紳士らしく、親切に根気良く買い物につきあってくれた。侯爵相手では何を贈っても見劣りするだろうから、本人が普段使いできるものがいいとヴァイオラが言うと、ちょっと粋な小物を置く店に連れて行かれた。  祝いの品は壁掛けの姿見にした。妹の名前ナルーシャにちなんで、水仙の意匠を凝らしてある鏡である。大きすぎず、洗練されていて、何より細工の出来がとても良い。ヴァイオラは百gpを支払い、カードを添えて送ってもらうように手配した。  買い物が終わって、「食事でも」と誘われたので、ヴァイオラは礼も兼ねて彼と夕食を共にした。いつもの冒険者の宿で食べるような食事とはちょっと違う、やや品のある店に連れて行かれ、久しぶりに洗練された料理を楽しんだ。  ガウアーは、終始、紳士として振る舞った。見立てどおりなかなかいい男だと、ヴァイオラは再認識した。夜、宿に帰るまで楽しい時間を過ごすことができた。 「そろそろあがりましょう」  夕方の早い時間に、畑の面々は店じまいを始めた。ラクリマは修道院の人々と何がしか打ち合わせたあと、カインのところへやってきた。それから彼に、確めるように聞いた。 「カインさんが私の弟って、本当のことなんですか」  カインは答えて言った 「俺がそのことで嘘を言う必要がどこにある?」  信じないのかと言いたげな物言いに、ラクリマは困惑した。彼女はただ話のきっかけを作りたかっただけだったのだ。が、気を取り直して伝えたかったことを口にした。 「私、自分には血の繋がった家族っていないと思っていました。だから、きょうだいができて嬉しいです」  なんだ、それを言いたかったのか、と、カインは納得した。 「そうだな。俺も家族ができて……嬉しいよ」  家族、と、口にしたときにラクリマの顔が亡き恋人の面影と重なった。 (ジェラ……)  生きていれば、本当は彼女も家族のはずだった。もういない彼女……ゆるされざる恋人。  胸が痛んだ。彼の瞳は昏い色を帯びた。  ラクリマはそれに気づいてさらに困惑した。彼がジェラルディンのことを思って辛いのだろうと、すぐに察したが、どうすればいいのかわからなかった。カインほどではないが、彼女自身もジェラルディンのことを思うと辛かった。ジェラルディン、そこから続けてレスタトの顔が思い出された。彼は血を分けた弟だった。弟だったのに……。ラクリマは何も言わずにそこから離れようとした。 「ラクリマ」  カインの声がして、彼女は振り返った。 「お前もひとりで悩みを抱え込むのはよせ」  何を言われているのか、わからなかった。悩みなんてありません、と、言おうとしたのに口が動かない。カインはさらに言った。 「もう『奴』のことに捕われるな」  ラクリマは目を見開いた。呼び名が『奴』であろうと『レスタト』であろうと、その人間の話題はタブーだった。  カインはラクリマが大きく動揺するのを見た。それでも今、ここで言うべきだと思い、話を続けた。 「レスタトは、お前を恨んでなんかいない。あれはどうしようもないことだったんだ。もうそのことで自分を責めるのは---」 「それでも、私が彼を見捨てた罪は消えないんです!!」  ラクリマは悲鳴のような叫びをあげた。涙がどうしようもなく溢れて、止められなかった。彼女は顔を覆って泣きだした。  泣かせて後味が悪い、とはカインは思わなかった。逆に、彼女が感情を迸らせたのを見て安堵した。 「お前が奴を見捨てたっていうなら、奴だってお前を見捨てたんだ」  カインの言葉にラクリマは少し顔を上げた。 「なんの…こと…です、か」 「レスタトはあのとき、お前のことは願わなかった。他の全員はセロ村に送り届けるよう祈ったが、お前のことは見捨てたんだ」 「それは……私が、ひとり…で…先に逃げ、た、から……」  ラクリマはそれだけ言ってまた下を向いた。そうする間も涙はとめどなく溢れ、頬を濡らしていた。 「カイン!! 貴様、ラクリマさんを泣かせたな!!」  怒涛の如く駆け寄ってきたGが、駆けつけ一発、カインに殴りかかった。カインはGの拳を左腕で受け流しながら、 「レスタトはお前を見捨てた。だからあいつに責任を感じる必要なんてないだろう。俺はむしろ、お前があの場でよく生き延びられたと思うよ。無事に村まで帰れて、本当によかったと思う」  そう言って微笑った。 「こっち向け、カイン!! 今度泣かせたら承知しないって言っただろ!!」  Gは腰の剣を抜いた。 「やるのか?」 「やる!!」 「お二人とも止めてください!!」  ラクリマが悲鳴をあげたが、二人はすっかりやる気だった。カインは言った。 「武器はなしだ。素手で来いよ」 「よし」  Gは剣を鞘におさめ、それを近場に放るなりカインと取っ組み合いを始めた。 「二人とも止めて……!」  ラクリマは泣きながら地に膝をついた。  だが、ラクリマの嘆きとは裏腹に、Gとカインの取っ組み合いはじゃれ合いに近いものだった。何故ならばGはただひたすらにカインの顔面を狙っていたし、喧嘩馴れしているカインにしても一度として急所を狙っていないのだ。  Gが抱くのは母から聞かされていた「持たざる者」に対する不安と恐怖。  カインが秘めるのは自らの出生にまつわる様々な事実に対する苛立ち。  要は双方ともにその決して声に出せないたぐいの鬱憤を、互いへぶつけ合っているに過ぎなかった。その手段が殴り合いだっただけのことだ。  そうとは知らずおろおろしているラクリマを余所に殴り合っていた二人だったが、ふとGに影が差した。思わず振り返った彼女の前には、相変わらず仏頂面のセリフィアがいた。二人の様子を認めてやってきたらしい。 「セリフィアさん、どうしたんだ?」  Gの問いにセリフィアは単純明快に答えた。 「ごめん、G、カイン貸して」  てっきりセリフィアが止めにきてくれたのだと思って安堵していたラクリマは、あてが外れて思わず叫んでいた。 「セ、セリフィアさん、お二人を止めてくださるんじゃないんですか!?」  その声はラクリマにしてはかなり大きい声だったのだが、Gの承諾を得たセリフィアはそれに頓着することなく、 「いくぞ」  一言言い捨てるなりカインに殴りかかっていた。  『貸して』とモノ扱いされたことに内心呆れていたカインは、慌てることなくその拳をかわしたが、それは「じゃれ合い」で片付けるにはあまりに剣呑な勢いだった。  明らかに本気の一撃だ。 (コイツ、正気か!?)  相手の正気を疑いながらも身構えた。そこにセリフィアがこめかみ、顎、鳩尾(みぞおち)を狙って拳を打ち込んできた。  10フィートソードを振り回すセリフィアの膂力は人並み外れている。その彼が本気で打ち込んでくるのだ。受け流すカインの表情から徐々に余裕が殺ぎ落とされていった。だがそんな様子にセリフィアは注意を払っていない。  セリフィアはカインなど見ていなかった。ただ激情のままに拳を振るっていた。  「ダルフェリル」としての記憶、「ダーネル」との戦い。  亡者を率いて現れた「ブランク」、空白を名乗る影の襲撃。  そして「ダーネル」を倒した剣に精神を封じ込まれてしまった弟ラルキア。  これらはすべて「持たざる者」の仕業。そしてGをあんなにも怯えさせる狂気の魔術師、「持たざる者」の現世での名はルギア---よりにもよって自分の実父なのだ。 (あンのクソ親父―!!)  彼は盲目に激情をぶつけた。 「…いい加減にしろっ!!」  ついにカインの忍耐も限界に達した。セリフィアの拳打を受け流すとその腕を掴み、投げを打った。咄嗟のことになす術もなくセリフィアは投げ飛ばされた。カインの怒りが込められたその勢いは相当なもので、下が地面だったからこそ、そしてカインが最後の冷静さで背中から落としたからこそ、セリフィアは胸を詰まらせる程度で済んだ。  だが、そんなことに気づく筈もなく、セリフィアは倒れこんだままカインの足を払い、馬乗りになってカインを打ちのめそうとした。その胸元をカインは渾身の力で蹴り飛ばし、滑るようにしてセリフィアに近づくや、腕の関節を極めようとする。そうはさせじとセリフィアもカインに掴みかかり---こうなるともう泥沼だった。  巻き起こる土埃。  肉を打つ鈍い音。  農作業を終え、帰り支度もほとんど終えた人々の奇異の視線を集めながらも、二人の喧嘩は続いていた。  能天気にセリフィアを応援するGの傍らで、ラクリマはひたすら涙を流していた。先に帰っていいか聞きにきたパシエンスの同胞に「先に帰っていてください」と返事するのがやっとで、実は頭の中が麻痺して、何も考えられないようだった。 「……だろ?」  Gの声がして、ラクリマは「え?」と彼女を振り向いた。 「別に恐くないだろ? あの二人、仲が良さそうだろ?」 「え……え、ええ……」  本当はまだ恐かった。だが、ラクリマは何とかして涙を止めようとしながら、そう答えた。 「終わったみたいだぞ」  Gが言うとおり、殴り合いはようやく終息したらしかった。カインもセリフィアも肩で息をしながら、無言でこちらに歩いてきた。ラクリマは二人に「帰りましょう」と言おうとしたが、口が開かなかった。  Gはそんな彼女の様子を見つめるようにしてから、やおら、 「ラクリマさん、やっぱり一緒に暮らさないか」 「え……」  前例があったにもかかわらず、セリフィアは再び動揺した。 「なあ、宿に来ないか」 「………」  ラクリマが躊躇っていると、Gは言った。 「今日は満月だから、一緒に泊まってくれないか?」  それを聞いて、ラクリマはあっさり答えた。 「あ……ええ、わかりました。今晩は宿に泊まります」  そういえば満月だった、と、彼女は思い出していた。このまま連絡なく宿に泊まれば、修道院では帰らぬ自分を心配するだろう。けれどもここでGの頼みを断るわけにはどうしてもいかなかった。修道院にどう連絡するかはあとで考えよう。今はGさんを優先しよう……。  そのGが慌ててうち消すように喋るのが聞こえた。 「あっ、でもっ、もしパシエンスのヒトに話とかしなくちゃいけないなら、いいんだ。私は大丈夫だから。もう慣れたし」  ラクリマは微笑んだ。 「院長様にはお話ししますが、別に今日でなくてもいいですよ。今日は宿に泊まります」 「そっ…か…」  Gは、安心したような申し訳ないような気分だった。 「帰りましょうか」  ラクリマがそう言って立ち上がった。その向こうで、セリフィアが棒のように突っ立っていた。Gも立ち上がって、彼のそばに寄った。 「……G」  セリフィアはGを見ないまま、彼女を呼んだ。 「俺、世界を不幸にするけど……」  セリフィアはブランク---「持たざる者」のことを言っていた。Gは一所懸命に否定した。 「それはセリフィアさんじゃなくて、セリフィアさんの家族が、だろ?」 「うん…でも……」 「…なら、私とお揃いだな!」  Gはすぅっと息を吸い込んだ。何も見えなくなっているセリフィアを、まっとうなやり方で引っ張り上げてやるのは無理なのだ。言うしかない。仮令(たとえ)これで嫌われたとしても、セリフィアさんさえ頭を上げてくれれば……。  覚悟を決め、彼女はビシッと指を突き出して言った。 「私の母さんは、シルヴァ=ノースブラドだ!!」  ハイブを召喚し世界に不幸を撒き散らしたと言われる、シルヴァ=ノースブラドだ、と。  後ろでカインが怒っているんじゃないかな、と、思った。カインにはこの間「セリフィアさんにこのことを言ったら殺す」と詰め寄ったばかりだったから。  セリフィアは顔を上げた。だが、どんよりと、Gの言葉を理解しているかどうかも怪しい目つきで彼女を見ただけだった。泣きたい気持ちを抑えて、Gは笑顔で明るく話しかけた。だって彼は私の笑顔が好きなんだから。 「……セリフィアさん、手をつなごうっ」  そう言って手を差し出した。セリフィアの大きい手がゆっくり動いた。 「うん、手をつなごう」  Gは彼の手をそっと握った。  帰り道、セリフィアはポツリと口にした。 「そばにいて。Gが一緒なら、どんな困難でも乗り越えられると思うから」  宿に戻って、Gはセリフィアに頼んだ。 「一緒に寝てくれないか?」  満月が出たらどうせまた倒れるのだろう。そのときにセリフィアにそばにいてほしかった。 「うん。一緒に寝よう」  セリフィアはまだ半分ほど上の空だったが、これについてはしっかり答えた。Gが喜ぶ顔を見たあとで、彼は処方の準備をしているラクリマのところへ近寄り、話しかけた。 「治療のあとでいいんだが、Gを貸して」  ラクリマは驚いた表情で答えた。 「え……か、貸すって……どうしてそんなことを私に聞くんですか?」 「俺、Gを独占したいんだ」  ラクリマはさらに困惑した表情になった。 「で、ですからあの、どうして私に断るんですか?」 「その……ラクリマにGが必要かと思って……」  セリフィアがもぞもぞと答えるのを聞いて、そばにいたカインは思った。 (どっちかっていうと、Gにラクリマが必要な気がするが……)  それにしても、「貸して」もひどいが、「独占したい」とはなんと子どもっぽい台詞か。それでGが喜ぶとでも思っているのだろうか---いや、案外、鷹族は喜ぶのかもしれないが。とにかく、この間からセリフィアは年下の、自分が面倒を見てやった10歳ぐらいのガキしか思い出させない。とても年上とは思えなかった。  カインがつらつら考えている間に、ラクリマは薬を調え、「あ、あの、Gさん、いいですか?」と二人に申し訳なさそうに聞いてから、Gに処方した。  やがて満月が現れて、Gはベッドの上に倒れた。セリフィアは、彼女に添うようにして同じ寝台に横になった。  ヴァイオラは宿に帰る前、トーラファンの館に立ち寄った。「いつでもいいから寄ってほしい」と頼まれていたからだ。  トーラファンと、パシエンス修道院院長が並んで彼女を出迎えた。  彼らは、ガラナークの異端審問団を政治的に追い払うつもりだと話した。ついては、何かその材料となりそうなものを持っていたら貸してほしいと、ヴァイオラに頼んだ。 「できることは全部やっておいたほうがいいからな」  トーラファンに言われるまでもなく、ヴァイオラも彼らにはうんざりしていたので、例の大司教からの親書を預けた。あとは二人のお手並み拝見といったところだ。  宿に帰ると、Gは睡眠中、セリフィアは添い寝、カインとラクリマと、ギルドから戻ったロッツが待っていた。 「ヴァイオラさん、お帰りなさい」 「ラッキー、どうしたの?」  ラクリマはパシエンスに帰ったものと思っていたヴァイオラは、軽く驚いて尋ねた。 「満月でGさんが心配だから、今日はこっちに泊まります」 「修道院には言ったの?」 「まだなんです。どうしたらいいかと思って」  ヴァイオラはロッツに向き直り、「ひとっ走り行ってきて」と指図した。ロッツはすぐに了解して部屋を出て行った。  異端審問団はまだのさばっているし、護衛付きでも必要以上にラクリマを出歩かせるのは危険だ。ロッツなら危険を避ける術を身に着けているから大丈夫だろうと、連絡に送り出したあとで、3人で夕食を摂りに階下へ降りた。 「ところで」  ヴァイオラはカインに尋ねた。 「セイ君は何をしてるの?」  カインはGがセリフィアに添い寝を頼んだことを話した。ヴァイオラは「あ、そう」と答えただけだったが、内心はあまり快くなかった。ダーネルの工房跡で体験したリズィの生を思うと、刺々しい感情を抱かずにはいられなかった。 13■そして、夢  Gは夢見ていた。夢---それは夢というよりは「禁断の果実」。彼女はそれに触れた。  何もかもが、ひとときに流れ込んできた。  あなたは、私がこわくない数少ない相手。  私の心をゆるせるひと。  お喋りしたり一緒に出かけたりするのがとても楽しい。  なんだかよそよそしいから、そろそろ「さん」ってつけるのもやめたい  けれど、「ジー」という呼び方がどうしてもできなくて、まだそのまま。  好きだと思う、とても。  泣いてる私をキライじゃないって言ってくれた。  ふつうの人たちは私が泣くと嫌がるのに。  あなたの前では泣いていてもいいんだって、そう聞こえた。  でも、決して弱音を吐いてはいけない。  何故なら、私には大きな負債があるから。  あなたは、私が償うべき相手なのだから。  私は君が好きです。  君とずっと一緒にいたい。  それは紛れもない私の気持ち。  しかし、いや、それゆえに今非常に不安を感じている。  君が私のことをどう思っているのか、これからどう思ってくれるのか。  どうしたらいいのか、どうしてほしいのか。  私には、何もわからない。  君が私をどう思っているかさえも。  私は君を独占したい。  君に私を好きになってほしい。  でも、そんな一方的に私の好きだという気持ちだけで、一緒にいられるわけではない。  そんなことはわかっている。  でも……  わからないならば、  私は、君が好きだということ、  君に選んでもらえる男になりたい、なろうという強い意志。  このふたつだけは、しっかり自分の心に刻み込んでいこう、と。  はっきり言ってそりが合わないやつだ。  それは、第一印象が尾を引いてるのもあるし、いちいちつっかかってくるってこともあるんだが、一番癇に障るのはやっぱり俺と『奴』を混同してること。  何かにつけて喧嘩腰だわ、喋ったかと思えば「うるさい、黙れ」、「喋るな」。セロ村じゃ「こいつレスタトそっくりだから」を連呼してくれたし……ああ「殺すぞ貴様」ってのもあった。  一体ひとをなんだと思ってるのかね?  顔も声も仕種も瓜二つだってことは---忌々しいが双子らしいから---理解できるとしても、だ。  俺は「レスタトじゃ」ない。  八つ当たりなんざいい迷惑だ。  まぁ、尤もこの間の記憶を見るに…ジルウィンだったか…どうやら鷹族ってのは一族揃ってこんな---何を考えているかわからない---連中ばかりのようだから、こんなことを気にするのがそもそもの間違いなんだろう。  それに『奴』の記憶通りなら「神託」の天使は間違いなくアレだ。となれば捨て置くわけにもいかないしなぁ。  まぁ、仲間になっちまった以上は仕方がない。  戦闘時のフォローくらいはしてやるから死ぬな。  それが正直な気持ちかな。  ------今は、満足かな。  ちゃんと自分の足で立っているから。  最初のころはとても危なっかしそうだったのが、嘘のよう。  ちょっと周りの枠からはみ出ることもあるけれど、一生懸命前へ進もうとする姿勢がわたしは好きだな。とても健気で。  「泡になって消えちゃうよ〜」の件がどうもひっかかっているんだけど。  できれば早めになんらかの対処をしたいと思っている。  さらに、彼女自身が大変危うい位置に立っていることもわかった。  例の泡の人が彼じゃなかった場合、どうなるのかな。  たとえ同じだったとしても、やっぱり種族の差は越えがたいものなのか。  せっかくああして仲良くなれても、そんなことで引き離されるのはなんだか嫌だなぁ。  だって、自分たちの意志以外の部分で「どうしようもない」なんて、とても癪にさわる。  私がその立場に立ったら、絶対に承服できないもの。  なんか良い方法ないかな……  まあ、彼が「つがい」の相手になるかどうかは別として、二人のじゃれあいは見ていて微笑ましいので、影ながらバックアップしているつもりなんだけど。  こっそりね。  でも、仲間内で最も気にかけている割に、あんまり懐いてくれないからちょっと寂しい。彼女の中では、懐く人とその他大勢にきっちり線引きされていて、自分はどうもその他大勢に分類されているような気がしているんだなぁ。  面倒見ていたやせっぽちの捨て猫が立派に育ったはいいが、  向かいの家に居着いてしまったような気分。  だからといって、自分から構ったりするつもりはないんだけどね…  彼女には、様々な人間関係も見えてきた。  好きだし頼りにしているし、尊敬している。やさしいと思うし、面白くて頭がいい。  が、いろいろ感じるところがあって、彼女には自分は・・・・・・・できない。  一つには、負債ある相手で、その集団の代表のようなひとだから。  弱音は、彼女の前では吐かないようにしなければ。  姉さんがいたらこんな感じかなぁ。  信頼しているし、なにか自分で考えてもわからないことがあれば彼女に相談する。  もっとも、無条件に頼るつもりもなく(頼らせてもくれないだろうけど)自分でできる限り解決する努力をするつもりではある。  無駄に反発することもないし、必要以上に頼りきったりもしない。  苦労人。面倒見の良さが仇になったとしか思えない。その世渡りのうまさは人生の先輩として学ぶところが多い。  『奴』の死を呪いと言ったが、実際は大義名分なのだろう。  対ユートピア教には欠かせない参謀役なので、悪いがすべてが終わるまではつきまとわせてもらおう。  信頼しているが、何かを相談したりはしない。  彼女には彼女の問題があり、それと戦っているんだろう。  なにか俺が役に立つなら手伝うよ。  ある意味でもっとも対等なのかもしれない。  外見こそジェラそっくりだったが中身は全然似ていなかった少女。  おまけに人造生命体で完璧な僧侶らしい。とはいえ、愛されて育てられただけでも十二分に幸福だと思う。『奴』の死に、精神的外傷を持っているらしく俺の素顔を直視できない。  何か色々揉め事を背負わせてしまっているようなので申し訳ない気もする。そのうち礼の一つも言わねば。  最近立て続けにいろいろあったせいで壊れが入って少し心配。が、きっとパシエンスの面々が手当てすると思うので手は出さない。  妙に後ろ向きだったり、神へ縋るところが時々いらつくことがある。他の人たちと違い、彼女にはパシエンスという「癒し」が用意されているので、割と手厳しく現実の冷たさを教えようと思っている。ただでさえ、「神」への信仰という心の拠りどころ(逃げ場)があるわけで、少なくとも自分の足で歩いてもらいたい。  まだ無い情動(割り切れない心の動きとか)や人間性の暗い側面(例えば嫉妬とか)を理解できたら、人間として一人前だろうと様子を見ている。本当の意味での感情を持った彼女は、さぞ「かわいい」娘になるんだろうな、と。  そうなればキャスリーン婆さんの希望通り、セロ村司祭になるといいんじゃないかとも思う。  自分にとってサラは姉に等しく、ラグナーさんはその夫で、彼はラグナーさんの弟分だそうだから、兄弟みたいに思えるようになった。少しずつ。  でも、ときどきむちゃくちゃ怖いことがある。  特にハイブの話が出るだけでその場を穿つほどの感情が迸る、その強さ激しさが恐ろしい。  そして、彼も負債のある相手。  俺もガキだがそれ以上にガキ。甘やかされたからか常識がなく、「ナントカに刃物」状態になること暫し。手より先に口を出せ。原始人かお前は。結局こういうとこでヴァイオラの気苦労が増えている気がする。おまけに変人同士気が合うようでGと熱烈恋愛中。とっとと番(つがい)でもなんでもなってくれれば揉め事が減るものを。これでこの組の主戦力なのだから、頭が痛い。  …そう言えば親父の行方探さなくなったな…。  子供。あきれるほどガキんちょ。ああいう性格に育てた母親と父親の顔が見てみたい。  最近は自分の意見も出せるようになってきたし、心の拠りどころもできたので、このまままっすぐ育って欲しい。  これで酒が飲めれば理想的な「親父と息子」だったのだが。  男は自分で強くなれ。だから私はあんまり気にかけていない。  遠慮してしまう。  彼は負の感情をあまり示さないので、とても話しやすい相手のはずなのだけれど、トーラファンさんに言われたことも気になって、容易に話しかけられない。  他の人たちの間で埋もれてしまいがちなところもある。でも私は彼も好き。  ただ、結局は彼も負債ある相手だから……。  彼は友人だ。自分にとって友人とは、 ・対等な関係であり、 ・互いの存在がなんらかのメリット(一緒にいて楽しいなど)があり、 ・やたらとくっつきすぎたりせず、 ・どんなに空白期間があっても、再会したらまた以前と同じ関係を瞬時に取り戻せる。  そういう関係だ。  彼が彼である以上、ずっと友人でありつづけよう。眠りから覚めても「よう」の一言で以前と同じように話しかけるだろう。  開けてびっくり玉手箱。一番バランスがとれている奴だと思ってたんだがなァ…。  やっと自分の道を歩き始めたようで、ちょっと肩の荷が下りた。いままでの「おろおろ」「ふらふら」は、本当にただの子犬で、「自分」を持っていない態度に時々いらついていたので。  しばらく前までクロムの発現にかなり危惧を抱いていたが、リズィとシンクロしたせいで気が楽になった。 「……あれにくらべりゃマシだよね」  しかし、いつまでも子犬でいてもらっては困る。彼には更なる努力を要求する。  男ならタイマン勝負で勝ち残れ。そうでないと、私の中では価値の軽い存在のままだ。  最近、自然に「彼」と別人であると区別できるようになった。  わりあい近くで暮らしていたらしいから、フィルシム市内の話とかもできそうだけれど、そっくりだったジェラルディンさんが亡くなってしまったため、傷口を広げてしまいそうで話しかけられない。  でもどうしても気になって、つい声をかけてしまう。同情は嫌いかもしれないけれど、それを止めるのは難しい。  彼からも負の感情は感じる。でも彼とは違う。もっと上向いた感情だから、彼よりは怖くない。  仕事仲間かな。  レスターとの類似性はとうの昔に気にならなくなった。あいつはあいつだ。  適度な距離を保っていると思う。  それなりに心地いい関係だ。  このところパーティに馴染んできたようで特に問題ない。  おバカなことをするのが玉に瑕だが、だれかに財布を預けるとすれば、彼。苦労しただけあって、基本的な生活の仕方、街の歩き方を理解していると見られる。ただし、最近レスタトとリンクし始めているため、この先印象がどう転ぶかわからない。  自分の中に言いたいことを全部溜めるタイプで、ある意味自分と似ていると思う。だからこっちからせっついて距離をつめる気はない。自分で納得して、信用ができると見極めるまでは、動かないだろうし。  男なら自分の傷は自分で治せ。だから私はあんまり気にかけていない。  面白いヒトだと思う。ヴァイオラさんといつも一緒のいいヒト。  でも、彼にも負債があることを忘れてはいない。  舎弟。彼は(組でいうところの)「身内」だと思っている。よく働くいい手下。  仲間内で最も信用度が高い。できの良い部下に対する情愛のようなものを抱いている。 ………………………………………………………………………………。 C......  思慕の情。家族としての情愛。そして絶対の信頼。  世界は彼を通して得られたから。  いつも優しく誠実。怒られたことは記憶にない。 S....  家族としての情愛。ほぼ全幅の信頼。  優しくしてくれる。いろいろ構ってくれて、言葉でわかるように説明してくれるのが嬉しい。あと、嘘をつかれたことがない。 T......  ほぼ無条件の信頼。院長様の古いお友だちだそうだから。今までにもいろいろよくしてくださっている。 C........  頼りになるおばあさん。好きな先生。 J.....  約束を破ってしまって、大変申し訳なく思っている。これも一応「負い目」。 L....  以前のように強い憎悪は今はない。  家族として、その安否と居場所を知りたいだけだ。  できることならまたかつてのようにみんなで暮らしたいし、親父もその中の大事な一人だから。  もっとも反発心がなくなったわけでもなんでもない。会えば文句も言うし、手も出るだろうが。 E....  その安全をもっとも案じている。  状況から絶望的なのはわかっているが、それでも僅かな望みを捨ててはいない。  母は自分にとって最大の理解者・擁護者であり絶対的な存在。  だが、独り立ちしなければと思う。 R......  なぜ剣に彼の精神が封じてあるのか理解できない。  ただ、もしそれが故に神の御許に向かえないのであれば自分の手で解放するつもりだ。  それは、自分が家を離れたときの出来事であり母のもとにいたのが彼だったという自分自身への負い目もある。 K......  自分の中で一等賞な人。完全なる信頼と信用を勝ち得ているため、どんな荒唐無稽なことを頼まれても二つ返事が返せる。 Fellows of K.....  「仲間」で「身内」。窮地に陥ったら必ず手を差し伸べ合う間柄。強い信頼の絆で結ばれている。  どこかで鬨の声が上がった。ざわめきはそれを機に遠ざかっていくようだった。 14■人恋しさに身も焦がれ  5月16日。  Gは身体のだるさが抜けず、この日は訓練を休んだ。  訓練を終えての帰り道、セリフィアは「Gに何かプレゼントしたい」と言いだした。 「ラクリマ、選ぶのを手伝ってくれないか?」 「え、ええ、私でいいなら喜んで」  カインが「俺も行こう」と言い、さらにヴァイオラもついてくることになった。どういうものを買いたいのか尋ねると、宝飾品が買いたいのだという。4人は大通りに店を構える中規模の宝飾品屋に入った。  セリフィアはぐるぐると見て回り、ぐるぐると悩んだ。 「ラクリマ、宝飾品って、どういう色のを選ぶんだ?」 「そうですねぇ。よく、目や髪の色に合わせたりしますけど」 「そうか」  セリフィアはそう言って、また暫く悩んだ挙げ句に、ルビーの嵌った髪留めを手に取った。 「おい、まさかそれにするんじゃないだろうな?」  カインはそれを見てつい口を挟んだ。ルビーはいいが、髪留めの台座は真っ白で、Gの白髪に留めても映えないだろうものだったからだ。それを説明してやると、セリフィアは困って「じゃあどんな色がいいんだ」とこぼした。  カインは「Gの好きな色の石でも贈ったらどうだ」とアドバイスした。途端にセリフィアは黙り込んだ。 (ははぁ、ジーさんの好きな色を知らないんだな。そのくせこんなところで贈り物を買おうなんて、なんとまぁ無謀な)  ヴァイオラが察した通り、セリフィアはGの好きな色を知らなかった。彼女の好きな花も好きな食べ物も、何も。我ながら愕然としているところに、ラクリマが助け船を出そうとして言った。 「Gさんって、確か青が好きですよね。パシエンスのフレスコ画を好きだって言ってくれたことがあります」 「青か……」  だがその情報もセリフィアの決断の助けにはならないようだった。何しろ青い石を用いた髪留めなど、いくらでもあるのだ。同じ「青」にしたって種々様々で、Gがどの「青」を好きなのか、違うものを買ったらどうしようかと、彼は悩みに悩んだ。  いつまで経ってもこれと決められない彼に、周りから「セリフィアが選んだものならGは喜ぶだろう」と励ましと督促がかかった。そうしてかなりの時間を費やしたあとで、セリフィアはようやく店の中の一品を選んだのだった。  それは、白金を扁平なハートのかたちに打ち出し、その周りをモザイクタイルでぐるりと囲み、さらにハートの両翼からこれも白金の小さな翼が左右に出ているデザインのものだった。モザイクタイルの石が明るいブルーで、目に美しい。  店を出てからカインが、「Gは寝込んでいるから、何か好きなものを買っていったらどうだ?」と提案した。セリフィアは、これも何が好きかわからなかったので、無難なところで果物を買い求めることにした。果物屋から果物かごを担いで出てきた彼を見て、ヴァイオラは口を滑らせた。 「…贈り物っていったら花じゃないの(特にジーさんには)」  セリフィアはすぐにその気になったらしかった。 「花ってどこにあるんだ?」  カインとラクリマは顔を見合わせた。彼らは花を買ったことなどなかった。二人はほぼ同時に口を開いて「そこら中に」と言った。実際、花の盛りだった。道ばたのあちこちで、白や桃色、黄色、うす青の花々が見られた。 「そうか」  セリフィアはそう言うなり、そこらの花を引き抜き始めた。3人は驚いて立ちつくした。  セリフィアが抜きっぱなしの花束を持ち帰ろうとするので、ヴァイオラは溜まらず口を出した。「リボンくらい付けたら?」  カインが古手屋に案内し、セリフィアは今度はそこでリボンを探すことになった。ちょっとして、彼が花柄のリボンを手にしているのを見て、3人とも声をあげて制止した。 「ちょっと待った、セイ君!」 「セ、セリフィアさん、花に花柄はちょっと」 「お前、もうちょっと見栄えのするものを選べ」  セリフィアは花柄のリボンを名残惜しそうに戻し、赤い無地のリボンに替えた。それで花をくくったところ、花束らしくなった。  宿に入る前に、カインはもう一言、さっきから気になっていたことを口にした。 「その果物籠を貸せ。あんまり色気がないから俺が持ってってやる」  プレゼントは喜ばれたようだった。ただ、Gがいちばん喜んだのは、最後におまけで付けたリボンだった。  贈呈式が終わり、食事も今晩は全員揃って取った。それから全員で部屋に戻ったところで、セリフィアはGに向かって言った。 「一緒に寝ないか?」  向こうでラクリマがものを取り落とした音がした。Gも驚いて思わず聞き返していた。 「え、なんで?」 (昨日は満月で調子が悪くなるってわかってたから、そばにいてもらえるようにお願いしたけど……今日は健康なんだけど……)  Gの問いに、セリフィアは臆面もなく言ってのけた。 「Gと一緒にいたいから」  それは嬉しかったが、Gは一応、聞いてみた。 「私は小さいけど、セリフィアさんは大きいから、ベッドが狭くて大変でしょう?」 「いや、それはいいんだけど」 「…よくないよっ」  だが、結局、彼女は「いいよ」と応じたのだった。セリフィアはそそくさとベッドに潜り込んで、Gに腕を回した。それを見ていてカインは、(これじゃあGが自分を「母さん」の代わりだと思ってもしょうがないな)と思った。 「あの、あの、私、一階へ行ってきていいですか」  ラクリマが所在なげに部屋を出ていこうとするのを、ヴァイオラは「どうして? そんな必要はないでしょ。ここにいなさい」と少し厳しい口調で遮った。 「でも、あの……」  居心地悪そうにおろおろとするラクリマに、ヴァイオラは言った。 「ラッキーが出ていく必要はないの。態度をあらためるべきは向こうなんだから」  ヴァイオラの言葉はセリフィアを刺した。それでも彼は立ち上がれなかった。 「ヴァ、ヴァイオラさん…」 「いいのよ。前に言ったでしょ、こういう集団では和が大事だって。彼は今、その和を台無しにしてるんだからね」  半分くらいはリズィの記憶による八つ当たりかもしれないが、セリフィアが和を乱しているのは本当なのだし、と、ヴァイオラは続けた。「だいたい抱き枕じゃあるまいし、ジーさんに失礼だと思わないのかね」  セリフィアはビクリと身を震わせた。どうしたことか、半身を起こすと、出し抜けにヴァイオラに向かって「ヴァーさん、酒をくれ」と声を掛けた。  このままじゃいけない、と、セリフィアも思ってはいた。だが、どうすればいいかわからなかった。とりあえず、と、思いついたのが、苦手な酒を飲むこと。苦手だからと、ずっと逃げてきたそれに立ち向かうことで、何かを変えようと思った。 「俺は、生まれ変わる」  そう言ってヴァイオラから差し出された一杯を、セリフィアは顔をしかめながら飲み干した。あたまがぐらぐらする。ぐらぐらして、目が開けていられない---。  彼はそのままベッドに倒れ込んだ。次の瞬間には寝息を立てていた。一寸の間、部屋には静寂が流れた。その静寂を破ったのはヴァイオラだった。 「やれやれ。何を考えてるのかな」 「なん…か……セリフィアさんのやり方って……」と、ラクリマも困惑気味に口にした。「本で読んだのと随分違う気がします」 「そうでしょ。本で読んだのとは違うでしょう?」  ヴァイオラはやさしく相づちを打ってやった。カインも口を開いた。 「信じられないくらい、ガキだな、こいつは」  Gはちょっと困った顔をして、セリフィアを弁護した。「でも、どうしてもだれかに甘えないと耐えられないときってあるだろう?」  ヴァイオラはGを気遣うように尋ねた。 「ジーさんはそれで平気なの?」  Gはセリフィアの腕をそっと解いて、ヴァイオラたちの元へ寄った。半分、寝台を振り返りながら、言った。 「あのひとは正解を探してるから……」 (あのひとは私との仲に正解を探してるから……)  それはヴァイオラにもわからないでもなかった。だが、今の彼の態度はただの甘え、ただの依存、やっていることは単なる問題のすり替えだ。 「あまり甘えさせないほうがいいんじゃないか。ダメだお前ら、今のままじゃ」  カインが再び口を開いて言った。Gは、「ダメって言うな」と少し怒ったように返した。 「だってダメだろ」 「どこが」  カインとGの言い合いが険を含みだしたので、ヴァイオラは割って入った。 「まぁ、セイ君がここまで自分をさらけ出すようになったことは、良しとすべきなんだけどね」 「どういうことだ?」  よくわからないという風情の子どもたちに、ヴァイオラは説明してやった。 「だからさ、彼がこうやって弱みを見せるようになったのは、私たちに心を許すようになったって証拠ではあるんだよね」  彼女はベッドに轟沈してしまったセリフィアを見ながら言った。 「やっとパンツ一丁になれたところなんだよ」  Gはこの台詞を聞いて、おや、と思った。むーっと唸っていたが、やがて意を決してラクリマに向かった。 「ラクリマさん、嫌なことを思い出させて済まないが……レスタトって恋人だったんだよな?」 「こっ、恋人!?」  ラクリマが驚く背後で、カインが苦笑した。 「違うのか!?」 「違います。…っ…」ラクリマはちょっと躊躇ったようだった。何かを嚥下するようにしてから、続けた。 「レスターさんはあのとき初めてお会いしたんです。恋人だなんて……」  レスター、と、口にするだけで胃が焼けるようだった。それでも、ようやく平常心で彼の名を言うことができた。ずっとずっと言えずにいた名前を。 「えええ!? だ、だって下着姿とか、パンツ一丁とか言ってたじゃないか!!」 「そ、それは例えです」 「たとえぇえええ!?」 「それに、あの例えはもともとヴァイオラさんが言い出したんですよ?」  そのヴァイオラはニヤニヤしながら二人の様子を眺めている。 「だって…っ……だから、絶対に恋人なんだと思ったのに………だから、だから私……」  何故だかがっくり肩を落としたGに、ヴァイオラが声をかけた。 「ジーさん、彼女にはそういう感情って、そもそもまだないんだと思うよ」 「そうなのかー?」  そうか、まだそういう感情を持ったことがないのか、と、カインはラクリマを見ながら納得した。Gはまたラクリマを向いて、 「恋人じゃなかったんだ! じゃあ、レスタトのこと、キライだったのか?」 「どっ、どうしてですか!?」 「だって恋人じゃなかったんだろ?」  相変わらず論理が破綻してるわ、と、ヴァイオラが聞いている横で、ラクリマが困りながら返事を返した。 「嫌いじゃありま……いえ、私、レスターさんのことは好きでした」  ラクリマはカインに目を向けて---あたかもそこにレスタトがいるかのように---言った。 「本当です」 (俺に言われてもなぁ)  カインは苦笑した。  Gは訝るようにまた「そうなのかー?」と口にした。それから彼女は出し抜けに質問した。 「どんなコトされたら、そのひとから好かれてると思えるの?」 「え……?」  そういえばラッキーはあの「人生相談」のときはいなかったっけ、と、思いながらヴァイオラは尋ね直してやった。 「ラッキーはどんなときにジーさんに好かれてると思う?」 「えっ……」  ラクリマは考え考え答えた。 「あ、あの、一緒に出かけてくれたときとか、お喋りしてくれたときとか、えーっと……」 「……『やさしくしてもらったとき』かな?」 「え、ええ。そう…そうだと思います。そういうヴァイオラさんはどうなんですか?」  ラクリマはヴァイオラに聞き返した。ヴァイオラは苦もなく答えて寄越した。 「触られたとき」 「え?」 「嫌いな人間には絶対に触らせないでしょ」  ヴァイオラの言うとおり、Gは無暗に触られるのを嫌がった。みんなは知らないが、エリオットにも「勝手に触るな」と説教したことがある。  カインが揶揄するように口を挟んだ。 「ああ、俺のことは嫌いだから触らないんだろう」 「握手、してるじゃないか! この間から!」  Gはむきになって言い返した。それからふっと話題を変えて、 「あのな、ヴァーさん、セリフィアさんには昨日、母さんのこと、言ったんだ」 「お母さんのことって…」 「私の母さんがシルヴァ=ノースブラドだってこと」  Gはそう報告してから、ハッとしてラクリマを見た。畑のときはきっと聞こえていなかった。でも、今、聞かれたことで嫌われたらどうしようと思ったのだ。  ラクリマの表情には変化がなかったので、Gは安堵してヴァイオラに目を戻した。ヴァイオラは微笑んで彼女の頭を撫でてやった。 「よく頑張ったね」 「うん」 と、普通に答えながら、Gは嬉しかった。ヴァイオラに褒めてもらえると、いつもこんなあったかい気持ちになれる。だれかを想うときのような激しさはないけれど、穏やかで、あたたかくて、心地よかった。 「それでセイ君は何も変わらなかったんでしょ?」 「…うん」 「ジーさんが好きだからだよ」 「でも、やっぱりラクリマさんのほうがいいみたいなんだ」 「えっ?」  突然、自分の名前を出されてラクリマは驚いた。 「まだそんなことを言ってるのか」  カインが呆れたように言うと、Gはみんなに向かって真面目な顔でこう言った。 「数日前からのデータを取っているんだ……」  何のデータかと思って聞けば、 「セリフィアさんがだれと喋ったか、なんだけど、ラクリマさんがトップなんだ。それからヴァーさんとカインが同じくらい……で、私」  一同は声もなかった。 「セロ村で統計を取ったときは、もう記録は捨ててしまったんだが、アルトがトップだったんだ。その次がラクリマさん」 「………」  ちょっとの沈黙のあとで、ヴァイオラは「大丈夫。セイ君はジーさんがいちばん好きだよ」と安心させるように言った。ヴァーさんの言葉なら信じようかな、と、Gは思った。 (彼にはさっさと成長してもらって、ジーさんを支えてもらわなければ……)  ヴァイオラはこっそりセリフィアに対する気構えを固めた。  カインも似たようなものだった。セリフィアにはさっさと「ガキ」の状態から脱してもらわないと、こっちの身がもたない、と、彼は思った。自分はこの中で最年少のはずなのに、逆に年下にしか思えない奴らばっかりだ。 (ヴァーさん、あんたは凄い、よく今までひとりでこいつらを引っ張ってきたよ)  カインは心からヴァイオラを尊敬した。  ふと、ラクリマと目が合った。先刻の話題を思い出した。 (まだひとを好きになったことがないのか……)  彼女は本来「姉」だが、彼には「妹」としか思えなかった。だから、妹を思うようなやさしい気持ちで、唐突に彼は言った。 「ラクリマがだれかを好きになるといいな。早くお前にひとを好きになってほしい」  ラクリマは困惑した瞳をカインに向けた。なぜ自分がそんなことを言われるのか、わからなかった。ヴァイオラもカインも好きだが、ときどき、彼らが何を言っているのかわからなくなる。それに、と、ラクリマはカインを見上げた。本当は自分なんかよりも…… (私より、あなたが、まただれかを好きになれるといいのに)  ジェラルディンの死を乗り越えて。  ひとを好きになる。それが、今、自分の中にある他人への好意とどう違うのかわからないラクリマには、望みはするものの、果てしなく遠い事柄のように思えて悲しかった。