[shortland VIII-09] ■SL8・第9話「無くした望み」■ 〜目次〜 1■ゴースト話 2■労働のよろこび 3■夢、そして啓示 4■無くした望み 5■ダーネル=リッシュオットの工房跡 6■ドラゴンの口の向こう <主な登場人物> 【PC】 ヴァイオラ‥‥僧侶・女・20才。生存率35%。高そうに見えるが実際はよく死にかける。他人を庇ったり陽動で前線に回ったりするからだろう。 ラクリマ‥‥僧侶・女・17才。生存率85%。弱そうに見えて真実死ぬ目に遭ってないのはこいつだけ。皆、見かけに騙されて守るからかも。 G‥‥戦士・女・17才。生存率50%。無謀なツッコミで死ぬ目に遭うことは流石になくなったが、何しろ戦士の割にHPが低い。 セリフィア‥‥戦士・男・17才。生存率55%。天は二物を与えずで、破壊力は桁違いだが精度が問題。戦闘が長引けば危険度が増すのは道理。 カイン‥‥戦士・男・15才。生存率70%。戦慣れしていて高いはずだが、ここ一番で武器を折ったりノックバックで窒息しかけたり芸が多彩。 アルト‥‥魔法使い・男・15才。生存率70%。怪しい術でシールド効果を常備し、下手な戦士よりACが高い。HPが低いのはご愛敬。 【NPC】 ロッツ‥‥ストリートキッドあがりの働き者の盗賊。パーティに参入、日がな駆け回る。 レスター(レスタト)‥‥僧侶・男・享年15才。故人にして未だ忘れられざるPCのくびき。実はカインの双子の弟。 ヘルモーク‥‥セロ村在住の虎族の獣人。年齢不詳(見た目40歳代)。迷宮の案内を生業とする。 ベアード=ギルシェ‥‥セロ村猟師ギルドのギルド長。人材不足のため引っ張り出された。 メーヴォル‥‥セロ村の「猟師募集」に応募してきたゴロツキーズのリーダー。人当たりは割とソフト。 ジウントル‥‥セロ村の「猟師募集」に応募してきたゴロツキーズの一人。詐欺師。 スーラトル‥‥セロ村の「猟師募集」に応募してきたゴロツキーズの一人。盗人。 ハルロリル‥‥セロ村の「猟師募集」に応募してきたゴロツキーズの一人。暴力男。 1■ゴースト話  4月11日。  朝食の席で、だれからともなく、迷宮行きの日取りをどうするかの話が出た。もうすぐ満月だ。満月になるとGが倒れることから、16日まではセロ村で過ごし、17日から出発するくらいの日程を目処にしよう、ということになった。 「そういえば、ヘルモークさんにお願いに行くんですよね?」  ラクリマが確めるように言うと、セリフィアとGが同時に「俺が行っていいか」「私が行こう」と声をあげた。 「ああ、じゃあ二人で行っておいで」  なんとなく嬉しそうに顔を見合わせている二人に、ヴァイオラが声をかけた。二人は食器をさげてから、うちそろって出かけていった。 「仕事しろ」  ヘルモークの家に招き入れられたなり、Gはピシャリと言った。ヘルモークは別段、気を悪くしたふうもなく、 「どんな仕事?」 と、聞き返してきた。 「迷宮のことをヴァーさんから頼まれてるだろう」  ぶっきらぼうに言い放ったGのあとをセリフィアが引き取り、 「来月上旬に、フィルシムでウェポンマスタリーをしたいんだ。そのために金が要る」 と、説明した。 「マジックアイテムがそこそこ手に入るようなやつで、全員がマスタリーできるくらいの金が手に入る迷宮を紹介しろ」  どういうわけか、Gはヘルモークにはぞんざいな喋り方をするのだった。が、ヘルモークは相変わらず気にかける様子もなく、二人に向かって尋ねた。 「金が手に入るやつ…ってことは、まだだれも入ってないやつのほうがいいよな?」  セリフィアが無言でうなずくのを見ながら、 「ああ、そうそう、上がりの1割は手数料として俺に入るから」 「1割? マジックアイテムなんかはどうするんだ?」 「マジックアイテムは実入りに換算しないから大丈夫。こう見えても信用商売だから」 「問題ない」  Gがあっさりと答えるのを聞いてから、ようやくヘルモークは本題に入った。 「だれも入ってないやつっていうと、アレだな……この半年くらいの間に新しい迷宮が見つかったんだ。どうも去年の雨の時期に土砂が崩れて入り口が出てきたらしい。最近はハイブでごたごただったから、まだだれにも紹介してないんだ。ピッタリだろ?」  セリフィアはヘルモークに尋ねた。 「何が出るか、わかってるのか?」 「何が出るかは、わかってるよ」  ヘルモークは飄々と答えて言った。 「ゴーストだ。ま、ニュートラルだったから、未練を解決してやればOKってとこだろ」 「どこに現れるんだ?」  今度はGが訊いた。 「入り口」 (それならやばかったら逃げられるな……)と、Gは思った。 「そいつから話を聞いたのか?」 「いやぁ、聞いてない。話を聞いたら深みにはまっちゃうかもしれないじゃないか。だから聞かないの」 「はまったっていいじゃないか」 「俺はただの案内人だから」 と、ヘルモークはGを見ながら答えた。  それから彼は、ゴーストが入り口にいる以上、迷宮は未踏破にちがいないこと、時代的にはサーランド中期か後期の研究施設らしいことなどを語った。 「契約するならこれに署名してね」  最後にそう言って羊皮紙をGに手渡した。Gとセリフィアは書面を手に、借家へ帰った。  セリフィアとGが戻ってきたとき、ちょうどうまい具合に全員がそろっていた。二人の報告を聞いて、アルトが声を上げた。 「ゴーストが出るんですか!?」 「ああ、だがニュートラルだから大丈夫だとかなんとか言ってたぞ」 「そ、それは…ニュートラルだったら大丈夫ですけど…」 「なら問題ないだろう」 「ケイオティックなゴーストがニュートラルの振りをしてるかもしれないんですよ?」  アルトは心配そうに言った。 「ゴーストって、そんな面倒なものなのか?」  カインが尋ねた。アルトはゴーストの説明をした。  ゴーストは、他の低級なアンデッドと異なって、どんな性格でもあり得るモンスターだ。ローフルのゴーストはこちらから攻撃しなければ危害を加えてくることはない。ニュートラルのゴーストは、何らかの理由により行き場がなくなって、休息することができないでいる人間の魂で、休息を得るための助力を授けると、自分の宝の隠し場所を明かしてくれたりする。  厄介なのはケイオティックのゴーストである。彼らは他のゴーストの振りをすることができる。そうでなければ、会った途端にマジックジャーの呪文を用いて攻撃してくるらしい。  ゴーストはマジックジャーの呪文の他にも、エクトプラズムネットを作り出すことができたり(ネットに触れた人間はイセリアルプレーンに引き込まれ無力化されてしまう)、凝視によって相手を麻痺させることができたり、攻撃した相手を老化させてしまったり、盛りだくさんの技能を持っているということだった。 「対イビル呪文以外は効きませんし、武器だって、+2以上でなければ傷つけられないんですよ」  アルトはそう締めくくって、テーブルに突っ伏してしまった。  確かに、と、ヴァイオラも心の中で思った。ケイオティックだったら面倒なことこの上ない。ゴーストはアンデッドの一種だが、自分やラクリマの未熟な力では昇天させてやることはおろか、追い払うこともできないだろう。 「その、説明に出てきた『マジックジャー』ってどんな呪文なんだ?」  カインが突っ伏しているアルトに再び尋ねた。 「マジックジャーの呪文を使うと、他人の身体を乗っ取って攻撃できちゃうんです」  アルトは詳細は省いて、手短に説明した。  ゴーストはだれか相手の身体を乗っ取り、それを使って仲間である他の者を攻撃させるだろう。ゴーストに乗っ取られた仲間の身体を攻撃することは可能だが、それで殺してしまうと、本来の持ち主の精神が死んでしまう。 「だが、ヘルモークがニュートラルだと言っているんだ、きっとニュートラルなんだろう」  セリフィアは楽観的な意見を述べた。それからアルトに、「ニュートラルだった場合は、どうすれば昇天できるんだ?」と訊いた。 「思い残したことを代わりにやってあげるとか、死体を埋葬してあげるとか、望みを叶えてあげれば……」 「つまり埋葬が必要なんだな?」 「ええ、まぁ、そう……です……」  アルトは歯切れ悪く答えた。 「それでどうするの?」  先ほどから黙って会話を聞いていたヴァイオラが口を開いた。 「やるの? やらないの?」 「行くだけ行ってみないか?」 と、カインが言うのに、皆、賛同の意を示した。ヴァイオラは契約書に署名し、朝方話し合ったように出発日は17日と決めた。  明けて4月12日。  セリフィアは朝からヘルモークの家を訪れた。昨日の契約書を届けるためだ。 「ああ、行くのね」  ヘルモークはヴァイオラの署名入り契約書を受け取り、あくびをしながら言った。 「よろしく頼む」 「出発は?」 「17日だ」 「あっそ。片道4日かかるから、準備しておいてね」 「わかった」  宿では、アルトが窓にウィザードロックの呪文を施していた。昨日は扉にかけたから、これで、パスワードを唱えない限り、表からは戸も窓も開けることができなくなったわけだ。アルトは共同生活者たちだけにそれぞれのパスワードを教えた。  カインは最近、夢をよく見た。夢……夢と言っていいのかどうか、わからない。夜となく昼となく、それらの映像は彼を襲った。あとから、音声までついていたことに気づくこともあった。何度も、何度も、繰り返し見る場面もあった。  それは彼の記憶ではなかった。彼が見るべき夢とも思えなかった。  迷宮の中を歩く自分。  文字通り家族同然の仲間、幼馴染の好敵手、そして……愛しのジェラルディンとともに……。  懐かしい『夢』だ……もうとうに喪われてしまった。  同時に視る。  迷宮の中を歩く自分ではない『自分』。  その手には、ウォーハンマー。胸には信仰の証である聖印。  神託の名の下に集まった仲間、世界の行く末を見つめる『神の眼』……。  これは、だれの記憶だ?  幼なじみ、いや腐れ縁のゴードンとともにガラナークを出発する『自分』がいる。  途中の隊商でショーテスを旅立ったセリフィアと出会う『自分』。  フィルシムの『青龍』亭で協力者のヴァイオラと出会う『自分』。  そして同じく『青龍』亭でラクリマと出会う『自分』。  セロ村への道中で雪に埋もれたGに駆け寄るラクリマと『自分』。  ジェイ=リードに殴りかかるセリフィアを必死で止める『自分』。  セロ村で強制労働をこなす『自分』。  セロ村近くの森で、ハイブと戦い、倒れてゆく『自分』………。  違う。  それは『俺』じゃない。  だが、『それ』が流れ込んでくるのを、カインは拒否できなかった。  私は『あなた』であり『あなた』は私である。  これは、『夢』? 『夢』ならば、違和感はない。しかし、違和感がないことが、今や『違和感』なのだ。  夢と現実が交錯し、目覚めていながら目の前が現実とは思えない。自分が『俺』ではなく『あいつ』であるかのように錯覚しながら、そのことに酷く腹を立てている『俺』を感じる。 (ああ、もう、だれも何も、俺に構うな)  カインは心の中で叫びをあげた。その叫びすら、だれの心から発したものともわからず、果たして自分が彼らの前で声に出していないかどうかも自信がないのだった。  そして今日もまた、『夢』の中で『夢』を見るように、カインのマインドは掻き回された。漆黒の夜でさえ、今は安らぎの時間ではなかった。 2■労働のよろこび  4月13日。 「今日はお天気も良さそうですし、お昼から野草を採りに行こうかと思うんですけど……」  朝食の席で、ラクリマはそう言ってGとアルトを交互に見た。 「うん、行こう、ラクリマさん」  Gは一も二もなく話に乗った。 「あの〜、ボクも行っていいですかぁ?」  アルトはいつものようにやや遠慮がちに申し入れてきた。ラクリマは嬉しそうに、 「じゃあ、決まりですね。私、またお弁当を作りますから」  朝食の片づけを終えたあとで、ラクリマがお弁当の仕込みにかかっていると、Gが寄ってきた。 「なぁ、この間の狩人の卵たちをまた誘ってみないか?」 「いいですね。今日は他の方も一緒にお誘いしましょうか」  ラクリマはいったん手を休め、Gと連れだってメーヴォルたちの家へ向かった。 「ごめんください」 「は〜い」 と、出てきたのはメーヴォルだった。 「おやおやこれはこれは。今日はナンのご用ですか?」 「今日、お昼から野草採りに行くんですけど、よかったらまたご一緒にいかがですか?」  ラクリマはにこにこと誘いをかけた。メーヴォルは即座に「いいですねぇ、行きましょう!」と声を上げた。 「よかったら他の方もいかがですか?」 「ええ、行きますとも、もちろん。なぁ、みんな?」  後ろから「え〜、わざわざ出かけるなんてゴメンだぜ」「なんで行かなきゃいけねーんだよ」などとぶつくさ罵る声があがったが、メーヴォルはそれらをすべて無視したようだった。 「3人とも行くそうです。ちょうど暇ですしね」  彼はそう、二人に向けて明るく答えた。 「暇じゃねーよ、忙しいだろうが」「今からかよ、めんどくせーよ」「ったく、みんな勝手に決めちまうんだからよぉ」  今度も後ろの3人は不平不満の嵐を述べ立てたが、メーヴォルは、 「全員喜んでうかがいますよ。実はね、明日から僕たちも仕事なんですよ。まだ森には入らないみたいなんですが、やっぱり今から慣れておいたほうがいいですよねぇ」 「あら、そうなんですか? じゃあちょうどいいですね。お昼前に呼びにきますから」  それで話はついた。 「えっ。4人全員来るの?」  ピクニックへのお誘いの首尾を聞いて、ヴァイオラは少し怪訝な顔をして聞き返した。 「ええ、お忙しいようなのに、メーヴォルさんがまとめてくださって。良い方ですね」 「………」 「………」  ラクリマの発言に、ヴァイオラもGも返す言葉が見つからなかった。  そもそもGがメーヴォルたちをこうやって誘っているのは、胡散臭いごろつきどもではあるが、うまく懐柔すれば彼らをこちら側に取り込めるかもしれないという、ヴァイオラと共通した思惑によってなのだ。ラクリマはもちろんそんなこととは知らないが、あのごろつき相手に「良い方」などという発言が出ると、目を剥きたくなる。  まぁ、アルトもGも一緒に行くわけだし、相手は4人とはいえ一般人、何の間違いの起きようもないだろうが…… 「私も行くよ。せっかくだから親交を深めておきたいしね」  ちょっと考えたあとでヴァイオラはGたちにそう告げた。  メーヴォルたち4人に、ヴァイオラ、アルト、G、ラクリマの4人で計8人となったため、お弁当は作るのに少々手間取った。それでも、Gにも手伝ってもらって、何とか昼前には準備ができた。 「行きますか」  8人は連れだって南側の森へ入った。北側はハイブが出ると、ヘルモークから聞いていたからだ。どのみち、あまり森の奥へ入り込むつもりはなかった。アルトとラクリマは相談しながら、適当な場所へ足を運んだ。  アルトの勘どころが冴えていたのか、一同はカンゾウの群生地を見つけることができた。 「本当にこんな草っぱが食べられるのかよ」「けっ。馬鹿馬鹿しい」  スーラトルとハルロリルという名の二人は、後方で舌打ちしながら何もせずに眺めていたが、メーヴォルとジウントルはさほど嫌な顔もせずに、アルトやラクリマの指示に従って採集を手伝った。  おかげで、短時間で約23食分のカンゾウの若葉と、約14食分のノコンギクを採取できた。 「これ、少しメーヴォルさんたちに分けてあげてもいいでしょうか?」  ラクリマはアルトに相談した。 「いいと思いますよ。ずいぶんたくさん取れましたから」  アルトの返答を受けて、ラクリマはカンゾウの若葉を適当に分けてメーヴォルに渡した。嫌いだといけないと思い、9食分程度に留めておいた。 「手伝ってくださってありがとうございます。これ、皆さんで召し上がってください。ゆでて塩をするだけでも美味しいですから」 「いやぁ、ありがとうございます。ボクちゃん、嬉しいなぁ。で、どうやってゆでるんです?」 「それは、お鍋に多めに水を張って……」  ラクリマがメーヴォルにカンゾウの調理法を教えている脇で、ヴァイオラは他の面々に雄弁を振るった。 「やはりちゃんと汗水垂らして働くと、こうやって報われるものだね」  ジウントルが目を輝かせて、「やはりそうか。うん、そうだよな」と納得顔に肯くのが見えた。 「いやぁ、誘ってもらってよかったですよ〜」  別れ際、メーヴォルは脳天気な声を出した。 「そういってもらえてよかった。明日からのお仕事、頑張ってくださいね」 「もちろんですよ。なぁ、みんな?」  ジウントルはうなずき、スーラトルは「けっ」と舌打ちし、ハルロリルは無言でメーヴォルを睨んだようだった。その様子を見ながら、ヴァイオラは、セロ村へ来る道中でキャリオンクロウラーに遭遇したとき「いい子ぶって点数稼ぎしやがって」と暴言を吐いた声は、どうやらスーラトルのものらしいと判断した。  ハルとスーはともかく、ジウントルはせっかく労働の醍醐味に目覚めたのだ。うまく誘導してやらねばなるまい。そう思ってヴァイオラは、晩に狩人の長ベアード=ギルシェを訪ねた。 「明日から例のフィルシムの連中にも仕事をさせると聞きましたが」  ベアードは肯いた。 「最初はだれでも何も知らないものだから。彼らにも一から教えていくつもりだ」  ヴァイオラは、今日、仲間と野草を採りに行ったことに触れて、そこで労働に目覚めたのが一人いると、ベアードに伝えた。 「ジウントルです。彼のことは誉めてあげると、ちゃんとやる気を起こすかもしれませんから、面倒見てやってもらえますか」 「そうか。ありがたい。そうしよう」  ベアードの顔に心なしかホッとしたような表情が浮かんだ。 「まぁ、やる気のないハル君もスー君も、そのうち真剣になってくるだろう。文字通り、生活がかかっているのだから」 「そうですね。私たちも何かあったら支援しますから、仰ってください」 「ありがとう」  ベアードはヴァイオラに頭を下げた。  4月14日および15日は、とりたてて何もなかった。  ただ、15日の夕刻から満月期に入ったため、セリフィアがまた躁状態になった。日常なら決してしないだろうに、彼は自分からグルバディたちのところへお喋りに行ってしまった。アルトもカインももう何度か彼の「豹変」を目にしているものの、今ひとつ慣れなかった。  夜、ヴァイオラが寝室に入るなり、ラクリマが声をかけてきた。彼女は心配そうに言った。 「カインさんが……最近、二重人格のようなんですけど……」  実は先日、「ああ、ラクリマは俺より年上だったんだよな」と言われたことがあった。そのときは気にしなかったのだが、あとから考えてみると、自分はカインと年齢の話をしたことがない。他の仲間から聞いたに違いないと思う傍ら、そんな世間話を、どちらかといえば無口なカインが他の人びととするものだろうかという疑念を頭からぬぐい去ることができずにいた。そればかりではなく、最近のカインは、折に触れ、まるでカインらしくない物言いをすることがあった。それでずっと心配して観察していた結果、この診断にたどりついたのだった。  治療師の知識を一通り持っているラクリマが言うのだ、気のせいなんかではないだろう、と、ヴァイオラは思った。実のところ、彼女も最近のカインにはおかしいところがあると思っていた。ヴァイオラは重々しく口を開いた。 「二重人格っていうか……私もちょっと気になってるんだよね。彼、この間、アルトのことを『ゴードン』って呼んだでしょ」 「えっ…」 「もしかすると……」  レスタトの記憶か意識が何らかの力によって付与されているのかもしれないと、声に出してはさすがに言えなかった。だがラクリマも察したようで、青い顔をして俯いた。 「……明かり、消すよ」 「あ、はい。お休みなさい」  明かりを消してからもしばらくは、ラクリマが眠れずにいるような気配をヴァイオラは感じ取っていた。  4月16日。  満月期最盛期である。通常は15日がこれに当たるのだが、4月と10月は、満月の夜が1日ずれて16日になる。  毎月満月の晩には、Gは、見たくもない夢を見せられるのが最近の常だった。 「提案があるんだ」  Gはそう言って、今夜、月の出の時刻にはみんなと一緒にいないようにしたい、と、希望を述べた。 「みんなと一緒にいると、また要らんものを見てしまいそうだからな。だから、その間、どこかへ避難しようと思う」  どうやらGは、自分の習性を逆手にとってやろうとしているらしい。ヴァイオラはGの前向きなことを心中喜んだ。 「そうですねぇ、避難できるところというと、神殿か、キャスリーンお婆さんの家だったら私からお願いしてみますけど」  ラクリマが口を開いた。彼女はヴァイオラや他のメンバーほど深読みをしていないようだった。つまり、Gが「月の出の時刻に一緒にいる人物を選び、その人物の過去を夢に見てやろう」としていることには、思いが至らないらしかった。 「キャスリーン婆さんはまずいんじゃないか」  セリフィアはGの思惑がわかっているらしく、訥々と言った。 「う…ん。じゃあ神殿にしようか」  それならカウリーの過去を暴けるかも、と、Gはセリフィアをちょっと熱のこもった目で見ながら答えた。 「じゃあ私とラッキーがつきそうから、月の出の直前に神殿へ行こう。それでいいね、みんな?」  ヴァイオラの言葉に、皆、それぞれ肯いた。  夕刻になって、Gはヴァイオラとラクリマに付き添われ、神殿へ入った。ムーンフラワーの薬草も、この晩は本人の希望で処方していなかった。 「おや、これは珍しいお人がお祈りにいらしていますね」  カウリーはヴァイオラとGを見るなり、丁寧ながら含みのある声で言った。ラクリマは朝夕の祈りにしばしば現れるので慣れっこだが、同じ神官でもヴァイオラがカウリーと神殿で顔を合わせるのは、故セロ村村長の葬儀以来である。 「明日から迷宮探索に出かけますので、そのご加護をお祈りしようと思いましてね」  ヴァイオラは適当な理由をよどみなく口にした。 「左様でございましたか。さあ、どうぞ、中へお入りになってください」  カウリーは親切そうに3人を招き入れた。だが、ヴァイオラは彼の目が全然笑っていないことに気づいていた。カウリーは礼拝堂の後方に控え、出ていく気配がない。 (見張っているな)  ヴァイオラはそう思ったが、何も気づかぬふりをして3人で祭壇の前に跪いた。祈りを少し捧げたころ、月の出がやってきたようだった。ぐらり、と、Gの身体が揺れた。 「Gさん!」  ラクリマが声を上げた。Gの顔は真っ青だった。  ヴァイオラはラクリマに「私はジーさんを連れて先に戻ってる」と小さな声で告げた。それからGを担いで、「気分が悪いみたいだから帰ります」とカウリーに一言言って神殿を出た。  あとに残されたラクリマは、普段どおりに祈りを捧げてから、カウリーに丁寧に礼を言って宿に戻った。 3■夢、そして啓示  その晩、Gは夢を見た。 「今日、アウジャイルが『成人の儀式』を無事済ませたよ。これで幼人はお前と俺の二人だけになったよ。俺も来月には、『成人の儀式』をするつもりだ。当然、女神様にすべてを捧げて『神の眼』となるんだ。お前も俺と一緒に『成人の儀式』を受けよう…」  …平和だが退屈な雲上での毎日。決まったことの繰り返し。変化に乏しい時が永遠に続いていく……耐えられない!  確かに人間はとても愚かだ。教育で見てきた人間の愚かしいこと、非道いこと、残酷なこと……神より賜れしショートランドを、我がものだと勘違いし好き勝手にやっている迷惑な種族。そしてその人間に振り回されて変化していく獣人たち。今回の件も人間たちの勝手な行いが蒔いた結果だとわかっているのに……。  商を司る『コイン』を賜った蝙蝠族、農を司る『ワンド』を賜った猪族、聖を司る『カップ』を賜った鮫族、権を司る『ソード』を賜ったバッファロー族。  女神より賜った四聖宝は、人間族との無駄な争いに巻き込まれ、バッファロー族と鮫族は絶滅し、四聖宝そのものも人間の手によって破壊された。  他の種族も似たようなものだ。力強き四大種族---虎族、狼族、熊族、鼠族は、人間社会に混じり、獣人族の理念とプライドを失うことによって、ようやくショートランドで生きていくことができるようになった。  しかし、神の力を使うゼブラ族は、その力を恐れた人間の手によって滅ぼされ、ただ一人残るのみとなり、神の声を聞く耳を持つ狐族は、人間社会に混じることによって『耳』を失った。神の声を話す口を持ったシール族は、その『口』を封印し、人間の近づけない海底でひっそりと暮らしている。  鷹族も同じではないか。人間と混じるのを恐れて雲上でコソコソと生きている。『神の眼』をもってショートランドを監視する任に当たっていると言い逃れて、その実、何もしていない。他の獣人族が滅ぶのも『見ているだけ』。四聖宝が失われるのも『見ているだけ』。人間たちが大地を汚すのも『見ているだけ』。異世界の悪魔が来ようと『見ているだけ』。そして今回も……全獣人が滅びの憂き目に会おうが、ショートランドが異世界の怪物に侵されようが、『見ているだけ』、『見ているだけ』、『見ているだけ』!  あのひとがどうなろうと……。 「おい、聞いているのか。結局、禁を破って地上に降りても不幸せなだけだぜ。狭量な人間どもには、獣人なんてまず受け入れられない。そうすれば、即座に消滅だ。魂を失うなんて、まさに神に対する冒涜以外の何ものでもないぜ。もし、まかり間違って『つがい』に成功したとしても、生き急いでいる……いや、死に急いでいるとしか思えない人間と同じだけしか生きられない。それに、力も得られないどころか今ある力も失ってしまう。全く無駄なだけだと思うぜ」  確かに無駄かもしれない。でも……この身を焦がす、この熱い気持ちは………  夢は終わりを告げ、徐々に遠ざかっていった。Gはようやく眠りについた。  同刻、カインの精神にも新たな何かが流れ込んできていた。今まで煩わされていた『奴』の記憶とは違う何か。『奴』の記憶はそれを「啓示」と名付けたが、カイン自身はその言葉から目を背けた。それでも、それらが流れ込んでくるのを留めることはできなかった。  ……………………………………………………………………………。  あのこは私に少し似ていた。  周りとは毛色の違う存在だった。  違いは、私は誰にも責められなかったこと、いじめられなかったこと。  貴重な雛。  色素がない…劣性の、生き物。  弱い存在、しろいしろい、生き物。  だれも表立って口にはしない、心にだって紡がない。  ただ、そう思っている……私のせいではないのは明白だし言っても仕方がないことだから。  あいつ以外のオトナたちが懸命に隠している……それが。  うっすらと、冷たく、ただ、伝わるだけ。  そして我が儘は笑い流され、身体は傷つかないように腫れ物のように…扱われる。  あのこは責められた、いじめられた。  けなされて、なじられて、それはあの子のせいじゃないのに。  根拠のない、ただの悪意が幾度もあのこを撫で、なぶり、叩く。  あのこは、でも、強かった。  あのこをあざ笑ったヤツはことごとく地に伏した。  胸がすっとした!  あのこを責めたヤツの恥辱、後悔、恐怖、恐慌……私はざまぁみろ!って舌を出した。  でもあのこは嬉しくはなかった。  悲しさと切なさがいっぱいで…。  あのこの好きなあのこを責めないひとたちは、そして勝利を喜んだりはしなかった。  どうして?  あのこはどんどん成長した。  ヒトはあっという間に変わってゆく。  でもあのこは変わらない…むなしさと悲しみを心の隅に抱えたまま。  あのこは…あのひと、に、なった。  あのひとを私はずっと見ている。  あのひとが何かするたびに……あのひとを見るたびに、私の心に複雑な渦巻きができる。  あのひとに会ってみたい。  あのひとに声をかけたい。  あいつは流行病みたいなモノだ…って思っているけど、そうじゃないんだ。  あのひとは私を救ってくれた……あのひとを見ている間、私はひとりじゃない。  あのひとは私に少し似てる。  それが私にとって、わたしが存在してもいいって……許してくれるすべて。  かみさまが私を嫌いでも、あのひとのことはきっと好きだから。  わたしはあのひとに語りかける。  いつも見てるから  君の味方だから  あなたはひとりじゃない。  がんばれ!…って。  ……………………………………………………………………………。 「遂に完成した! 今度こそ、今度こそ…」    私は、造られた。  あの男に造られた。  私はあの人の代わり…あの男の生み出した命。  還りたい…。  還りたい……。  月の見える場所へ、太陽の当たるところへ。  どうか私を連れて行って欲しい。  あの人は、強かった。  自分が何であるのかを忘れなかった。  その瞳の力を、その背の輝ける翼を失わず。  大事なものを無くさないため…だからあの男を捨てた。  穢れた者の手を拒んだ。  あの場所へ還るために…。  そして私が生み出される。  同じように聖地から連れ去られ、同じように躯体を造られ。  でも、一つだけ違っていたのは……あの男が恐れたこと。  私を…『あの人の代わり』を再び失うのを狂気のように恐れたこと。  私は瞳を固く縫われ、十重二十重に心を縛られた……。  何十もの呪文、繰り返される確認。  何にも縛られぬこの精神がその動きを鈍らされるまで。  従順に……あの男に従うように。  どこへも行かないようにと。  やがて、彼が来る。  青い瞳…灰色がかった髪。  あの男を殺し……私に手をさしのべた。  その手に引かれて私は還る……月の見える場所、太陽の当たるところ。  彼の瞳に私が映る。  私は思いきり躯を伸ばし……彼に向かって初めてのほほえみを浮かべた。  ……スミレの花の咲く頃。  ……………………………………………………………………………。  あの人は、いつもそこにいる。  あの人も、私と同じ。  どんなときも、動くこともできず。  管の中で与えられた栄養と与えられた知識を吸収するだけ。  私は瞳を開いた。  いつもと変わらぬ光景。  たくさんの人たちが忙しそうに歩き回り……でもだれも私を気に止めない。  だれも私を、人として見ない。  私はモノ。  造られし、モノ。  いつの頃からか。  私の隣にあの人が来た。  あの人は…トクベツ。  トクベツなあの人は、特に慎重に丁寧に大切に育てられ……私たちを造った偉い人が頻繁にやってきた。  その成長振りを見に来たのだ。  私のことは、作品としか見ないのに……あの人は愛された。  あの人の成長を見て、喜んでいた。  あの人は少し成長した。おとこのこだった。  私は、おんなのこ。  あの人は、魔術師になるんだって。  私は、僧侶になるの。  大きくなったらここを出る。  世界を歩く。  でも今は……私は子ども、あのひとは赤子。  ……………………………………………………………………………。 4■無くした望み  4月17日。出発の日である。  ラクリマは朝から忙しかった。現在残っている1日半相当の食糧を、すべてお弁当にこしらえなければならなかったからだ。詰めるのはアルトやカインに頼んだが、そこまでの調理は一人でやらなければならなかった。おかげで朝食はかなりおざなりなものになった。  Gはヴァイオラと、保存食のことで相談を交わしていた。帰ってきたときに食料が何一つないのは心細い。かといって、普通の食料を置いていけば腐ってしまうかもしれない。そんなわけで、これまでにいろいろな経過で溜まった保存食を置いていこうという話になったのだ。二人はそれぞれ余っている分を計算して、置き場を決めて出し合った。これで、帰ったときに「何も食べるものがない」状況は避けられる。もっとも、普通の食事とラクリマの煎れるお茶のほうがずっとありがたいのだが。  セリフィアは朝食後、トムの店へ買い物に行った。まだ保存食を仕入れていない人間の分も、代金を預かってまとめて購入した。何しろ全員が準備と家の戸締りとで忙しかったのだ。  そんなこんなで仕度が整ったのは、9時を過ぎていた。案内役のヘルモークはとっとと用意を済ませて待っていた。一同はセロ村を出発した。 「そういえば、昨日、どうだった?」  ヴァイオラはGにしか聞こえないように、声を潜めて尋ねた。 「カウリーの夢は見なかった。」Gはやや残念そうな声音で答えて寄越した。「代わりにまた変な夢を見たが。」  Gは、昨晩見た夢をざっとヴァイオラに話した。同じ鷹族の若者が語っていた「成人の儀式」……そして「つがい」……魂の消滅、力の喪失、それから寿命。これらがどう関わりあっているのか具体的にはわからなかったが、地上に降りたことや何かから、Gがかなり危うい立場にいるらしいことだけは察せられた。かといって、今の自分たちではどうしようもなかった。  他にもわかったのは、Gの「夢」もある程度コントロールされているらしい、ということだった。そうでなければ、今ごろはカウリーの過去を知っていただろうに。  何にせよ、対象の定まらない理不尽さが感じられた。  4月20日。  道中は何事もなく過ぎた。本当に「恵みの森」かと思うくらい、モンスターとは出会わなかった。  カインは、満月以来、もう一人の自分の夢を見なくなってきて、落ち着きを取り戻していた。自分に対する違和感は拭えずに残ったが、情報を整理して、それと向き合うための心の強さも取り戻した。  満月の晩に見た妙な夢---もう一人の自分が「啓示」と呼ぶところのものに対しては、正直、「馬鹿馬鹿しい」としか思えなかった。二つ目の「啓示」とやらがだれに関わるものであるかは全くわからなかったが、一つ目はG、三つ目はラクリマに関わるものだろうという点は、『奴』の記憶も手伝って見当がついた。他人の過去を勝手に覗き見たようで、自ら望んだわけではないにせよ、嫌悪を感じずにはいられなかった。 (だれがどんな過去を持っていようと、今が変わるわけではないし変えられはしない)  重要なのは、問題なのは「今」だけだ。彼はそう思って、「啓示」とやらを頭から追い払った。ただ、さすがに数日の間は、Gはともかくラクリマの目を見ることができなかった。 「そこだよ」  ふと、ヘルモークが穴を指し示した。ここが迷宮の入り口らしかった。  セリフィアが近づくと、どこから出てきたのか、ローブをまとった男が現れた。これがヘルモークの言っていたゴーストだろう。なるほど、ニュートラルに見える。 (胸に刀傷が……)  ラクリマは、ゴーストの胸に致命傷があるのに気づいた。  そのゴーストは、ゆったりと口を開いた。 「ようこそ我が工房へ。私はここの主、ダーネル=リッシュオット」  アルトはその名前を一所懸命に思い出そうとした。確か、サーランド時代中期の大魔術師だ。恵みの森で、怪物の研究および育成をしていた……そこまで思い出せたので、そっと周りに伝えた。 「招かざる来客以来、幾年月経ったことか……」  ダーネルと名乗ったゴーストは、そう言って視線を宙に彷徨わせた。 「我が工房は変わり果ててしまったが……そなたらに頼みたいことがある。我はどうも死んでしまったようだ。こうしてゴーストとなっているのだからな。だが、何が未練かわからない」 (何が未練かわからない!?)  自分のことなのに、と、カインは思った。 「我が未練を明らかにし、我を成仏させよ」  どうやら遺体を埋葬してやる程度では、話がつかないらしい。迷宮を探査しながら、この男の「未練」探しをしなければならない。こいつは結構、厄介かもしれないと、全員がぼんやり思ったようだった。 「どこで死んだのか?」  セリフィアが尋ねると、ダーネルは答えて言った。 「我は我が部屋にて朽ち果てた。我が部屋まで来てくれ…」  それだけ言い残して、ゴーストは消えてしまった。 「じゃ、そういうことだから。頑張れよ」  ヘルモークはそう言って、踵を返そうとした。 「えっ? ちょっと?」 「帰っちゃうんですか!?」 「だって俺の仕事はここまでだもん」 「外で待っててもらえないのか?」  ヘルモークはこちらに向き直った。 「いいよ。何日いてほしい? あ、1日10gpな」 「高い!!」  途端に非難の声が数名からあがった。 「こんな危ない森の中でずっと過ごすんだから、危険手当ぐらいもらわなきゃ。待ってるだけだって危ないんだよ〜」  戦士たる虎族で、古狸なみのくせに何言ってやがる、と、Gは不機嫌な声できっぱり言い放った。 「ま・け・ろ」  ヘルモークはう〜んと唸った。が、すぐに「じゃあ5gpでいい」と返事した。ヴァイオラが5gpならいいだろうと口を挟んだので、商談はそこで成立した。3日間、入り口近辺で待機してもらうことになった。 「がんばってこいよ〜」  ヘルモークの脳天気な声援に見送られて、一同は入り口から斜め下に続くスロープに足を踏み入れた。 5■ダーネル=リッシュオットの工房跡  入り口からの通路は、かなり傾斜していた。底の平たいものを置いても止まらずに滑り落ちてしまうような、急な坂だ。階段になっているわけではないので、以前は水平だったのが、地盤の変動か何かで傾いてしまったのだろう。  入り口から30フィートのところ、正面すなわち北面に両開きの扉があり、左右の壁には大きな木枠があった。ロッツが「通路に罠はない」と言ったので、とりあえず扉の前まで全員で進んだ。  左右の木枠はぽっかりと空いていた。おそらくここには姿見があったのだろう。姿見のガラスだけが失われ、窓のように開いた木枠の奥にはそれぞれ小さな部屋があるようだ。  カインとGは、正面の扉に向かって右側、つまり東側の部屋に入ってみた。この部屋も通路と同じように傾いていて、室内の物品はすべて北の壁に寄ってしまっていた。木製のテーブルが一台、椅子が4脚、武器が散乱し、また人骨らしきものがあった。北側の壁の東寄りの部分には戸があり、そこからも中へ入れるようだった。  二人は室内をざっと捜索して、めぼしいものが何もないのを確認してから、仲間のいる通路に戻った。  正面の扉の前には、瓦礫が押し寄せており、そのままではとても開かない。戦士たちで瓦礫をどける作業をしてみたが、全部なくすには3時間ぐらいかかりそうだとわかった。「ここは素直に脇の部屋から入ろう」ということになり、全員で今度は左、つまり西側の小部屋に入った。  この部屋は東の小部屋と対になっているようで、室内の様子は、左右がひっくり返っている以外ほとんど同じだった。机と椅子と武器が、重力に引かれてすべて北に寄ってしまっていた。  念のために部屋全体を捜索した。武器などは、放置されてから半年くらいの感じがした。部屋にはやはり人骨が転がっていた。ざっと見て3人分のようなのに、なぜか腕が5人分あった。 「これ……ボーンゴーレムみたいですね……」  ラクリマが大きめの上腕骨を手にとって言った。人間の骨は1体分で、残り2体はボーンゴーレムらしかった。道理で腕の数が多いわけだ。側にある鎧の残骸はやはり放置されて半年くらいに見えたが、骨のほうは半年なんかではない、もっとずっと遠い昔に亡くなった様子が見てとれた。  部屋の西北に半開きの扉があって、そこからこの「工房」の中へ入れるようだった。  扉を抜けたところは、東西に伸びる廊下だった。ふり返ってさっきの扉を見ると、「警備室」と書かれたプレートが貼られていた。おそらく東側の対になった部屋も同じだろう。  廊下は埃と塵がよく積もっていた。ざっとみても300年分はありそうだ。その中に、半年くらいの間に入ったらしい人間の足跡2組が見つかった。  ロッツが調べたところによれば、足跡は人間大の二足歩行のもので、一組は少数、もう一組は集団らしい。西側へ向かう足跡が多いというので、反対の東側から見てみることにした。  この廊下の真中、つまり瓦礫で開かなかった正面扉を入ってすぐの向かいに、まず部屋の扉があった。扉には「応接室」とプレートがかかっていた。  どうやら部屋の戸には必ずプレートがかかっているらしい。中を見るのは後回しにして、一同はプレートの調査から始めることにした。  Gとカインが最初に入った小部屋の扉を通り過ぎた。予想に違わず、「警備室」と書かれていた。  その戸から20フィート先が曲がり角になっていて、突き当たりの壁には何やら箱型のものがとりつけられていた。箱の蓋を引き上げてみたが、中にはレバーがあるだけだった。蓋のウラには字が書かれていた。 「クリーニング・所要40分」  工房の主は魔術師なのだから、どうせ室内の清掃にもモンスターを使役していたんじゃないかと見当をつけ、そのレバーは触らないでおくことにした。  角を曲がると通路は北へ向かって100フィートちょっと伸びており、左右に扉があるのが見てとれた。右、つまり東側の壁には3つ、左ないし西側の壁には4つの扉が配置されていた。  順に調べていったところ、東側の戸には、手前から「書庫」「食堂・バス・トイレット」「研究室」と書かれていた。西側のほうは、やはり手前から「アルナハト」「ジルウィン&ダルフェリル」「オルフェア&アルフレッドソン」「リズィ&ロルジャーカー」とあり、どうやら研究員たちの部屋のようだ。肝心の、工房の主ダーネルの部屋はなかった。  「オルフェア&アルフレッドソン」の戸から「リズィ&ロルジャーカー」の戸を調べに行こうとしていたとき、いきなり背後から矢と槍とが飛んできて、最後尾にいたカインと、そのすぐ前のラクリマを襲った。  振り向いたが、暗くてよく見えない。ヴァイオラがすかさずコンティニュアルライトのかかったコインを投げると、うまい具合に廊下の真中あたりに落ちた。そして、皆が目にしたのは、4人のカインと、2人のラクリマだった。 「ドッペルゲンガーじゃないか?」  咄嗟にGは口走った。  皆より先行していたセリフィアは、手近な部屋の扉---「研究室」の戸を開けに走った。ここの通路も北に向かって下り坂になっており、自分たちのいる場所からドッペルゲンガーたちのところへ上に向かって走っていくのはかなり負荷がかかりそうだった。いったん避難しようと、彼は扉に手をかけた---が、扉は重くてびくともしなかった。重くて重くて、開けるのに少なくとも10分はかかりそうだ。 「開かない!」  セリフィアの声を聞いて、Gは西側の戸に向かった。ちょうどそれは「リズィ&ロルジャーカー」の部屋だったのだが、やはり扉はびくともしなかった。 「こっちもだめだ」  正面切って戦うしかない。  ラクリマがブレスをかけ、カインとロッツは弓矢で応戦を始めた。 「ドッペルゲンガーですね」  驚きからやっと冷めた表情で、アルトが告げた。Gも弓を取り出した。セリフィアは接近を図って坂を登りだした。カインも弓の弦を切ってしまったので、接近戦に方針を転換した。  ドッペルゲンガーたちは徐々に倒れていった。アルトがマジックミサイルでニセカインを倒し、ニセカインとニセラクリマはあと一体ずつとなった。が、突撃をかけたカインの前から、彼らは西へ向かって逃げ出した。先ほど一同が手を触れずにおいたレバーを動かしてから、角を曲がった。 「あっ!」  追おうとしたカインの足もとで、廊下の角がまるごと穴に早変わりした。10フィート四方の大きな穴だった。運良く落下はしないですんだが、彼はその手前で大きく転倒した。その間にドッペルゲンガーたちは逃げてしまった。 「ここにゼラチンキューブでも入れてたんでしょうか」  アルトは、あとでその穴を見てそう言った。  ドッペルゲンガーが開けていった穴に落ちないように気をつけながら、一同は最初に入ってきた南の廊下に戻った。東の廊下は突き当たりが瓦礫で天井まで埋まっており、とても先には行けそうになかったし、それぞれの室内を調べるのは全部の部屋のプレートを確認してからでいいだろうということになったからだ。  西の角を曲がると、東側と同じように北向きに廊下が延びていた。東の廊下と違うのは、70フィートほど先で廊下が陥没していたことだ。  陥没地点までに右側の壁に3つ、左側に2つの扉があり、手前から順に各プレートを確認していった。右、つまり東側の壁には「飼育室D」「飼育室C」「飼育室B」、対する西側の扉群は「実験準備室」「実験室」と書かれていた。  「飼育室D」の扉は、5センチほど開いていた。また、「飼育室C」の扉は半開きだった。一同が「飼育室C」の扉へ近づいていったとき、不意に何かが攻撃してきた。  扉から現れたモノに不意打ちを食らい、最初は思うように動けなかったが、まずはアルトが叫んだ。「気をつけてください、シャドウです!」シャドウにダメージを与えるには魔法がかりの武器を使わなければならない。ラクリマはカインの長刀にブレスをかけた。  Gが早速突っ込み、セリフィアがそれに続いた。セリフィアは一撃で一体を沈めた。その後も調子よく、G、セリフィア、カインの3人でそれぞれ一体ずつを仕留め、全部で4体のシャドウを葬った。  戦闘後に気づいたが、「飼育室C」の扉の付近には、その部屋に出入りする大勢の足跡が残っているようだった。ただし最近のものはない。 「こっち向きの足跡がありますね」  ロッツの報告によれば、2名分の足跡が、廊下が切れている向こうから現れて、南(つまり入り口)に向かってずっと歩いているとのことだった。  廊下の陥没は、断層のように垂直にスライドしたらしく、崖下に降りればそのまま廊下の続きを歩いて行けそうに見えた。くさびとロープを使って、一同は下に降りた。西側の壁はガタガタだったが、東側の壁はきれいに残っており、「飼育室A」と書かれた扉も見つかった。  そこから50フィートほどで通路は右に折れた。曲がり角から東に向かって60フィートほどあったが、そこから先は瓦礫でほとんど埋まっており、とても進めそうにない。本来なら、この先の曲がり角が、東の廊下へつながっていたのではないかと思えた。  北面にある廊下は、角から見たところは、扉も何もないようだった。おかしいと感じたヴァイオラは、先にファインドドラップの呪文をかけた。  すると、廊下が瓦礫で埋まりだす部分のすぐ手前で、向かって左、つまり北側の壁に反応があった。位置的に、ちょうどこの工房の玄関と対称になるところである。  ヴァイオラの指図でロッツが調べたところ、壁に隠し扉のあることがわかった。扉を開けるとさらに60フィートほど北へ向かって通廊が延びている。一番奥にはドラゴンのレリーフがあるのが見えた。  ドラゴンの口の中は黒く塗られており、「いかにも」何かを吐きそうな気配だった。 「下に向かって開いてるみたいだな。」Gはドラゴンの口の中を遠目に見て、半分呟くように言った。「ひと一人、通れそうだ。」  どうやらこの先に工房の主ダーネル=リッシュオットの部屋があるようだ。まずは様子を見ようと、ラクリマにレジストファイアの呪文をかけてもらって、カインが中に入った。  やはりというべきか、中に入って少しするとドラゴンの口から炎が吐き出された。呪文のおかげで熱くない、ということは、少なくとも通常の炎であるということだった。  カインはドラゴンのレリーフまでたどりついた。炎を止める仕掛けがないか調べたが、本職ではないのでよくわからなかった。わかったことといえば、炎を吐くタイミングが20秒に1回であることぐらいだ。  レジストファイアがかかっているうちに、自分の身体で炎を防げないかというのも試してみたが、炎の勢いに押されて、転倒するか皆のいる廊下のほうへ押し戻されてしまうかだとわかった。 「明日にしようか」  だれからともなくそういう声があがった。休むについては、南の廊下にあった応接室が一番適当だろうと、全員で入り口まで戻った。  「応接室」とプレートに書かれたこの扉も、なかなか開かなかった。この工房がサーランド時代のものであることから察するに、これらの扉は「魔力」によって自動的に開閉していたのではないかと思われた。魔力の供給がないため、ただの重い金属のかたまりと化しているわけだ。  扉は、戦士が2人がかりでやっと開いた。部屋には赤いカーペットが敷かれており、東側の壁には大きな風景画が飾ってあった。ラクリマはそれを見て、ずいぶんと貴重な絵のようだと思った。  この部屋も例外なく北向きに傾斜していた。東西に身体を伸ばすとごろごろと下の壁に転がってしまうので、全員、足を北に向けるように寝て一夜を過ごした。 6■ドラゴンの口の向こう  明けて4月21日。  今日は、めぼしい部屋の探索から始めることになった。  手始めに、東の廊下の一番手前にあった「書庫」から調べた。この部屋には本棚が4つあり、北側にあった棚以外はすべて倒れていた。床一面に書物が散乱し、そのうえそれらは一様にかび臭かった。  一同はそれぞれ適当な本を漁った。専門書もあれば一般的な読み物もあり、大きさも価値もさまざまだった。ヴァイオラはイエローモールドに関連した薄い論文を発見した。Gは「ポリマーについての研究」という本を、アルトはキメラの作成法に関する書物を掘り出した。ヴァイオラが、これらを使えば自分たちでもキメラを作れるかもしれない、などと言い、商売しようかと皆で笑い合った。ラクリマはそれを聞きながら僅かに不快感を覚えていたが、何も言わず、ぼんやりと自分が手にした書籍---大ぶりの、当時の読み本---のページをぱらぱらと繰った。  次に、同じ廊下の一番奥にある「研究室」を調べた。これらの部屋の扉も、開けるのにいちいち時間と体力を費やした。  研究室の内部には、大きめの事務机と袖机のペアが4つ、やはり下の壁に片寄っていた。研究員は4人いたようだ。実験道具や計測機器らしきものも少しあったが、完全なかたちを留めているものはなかった。  机を調べていくうちに、4人の研究員の名前がわかった。一番奥の机は「リズィ」の机で、一番資料が多かった。インクやペンは割といいものを使っていたらしい。その手前は「ジルウィン」の机で、抽斗はなかなか開かなかった。Gが「こういうのはこうするんですよ」と言って、抽斗を下に押してから引いた。開いた途端に、中にぎっしり詰まっていた書類や何かがバラバラと落ちた。その隣の「オルフェア」の机には小間物が多かった。一つの抽斗に数種類のハサミがあったりして、他よりもデザインに凝ったような小物がたくさん格納されていた。一番手前は「アルナハト」の机で、新入りだったのか、あまり使い込まれていない様子だった。  資料をざっと見るうちに、ここの工房では主に4種類のモンスターを飼育していたことがわかった。ドッペルゲンガー、シャドウ、ウォーターウィアード、そしてポリマーの4種で、ドッペルゲンガー以外は警護用に商品として売ってもいたらしい。道理で、と、一同は昨日出会ったモンスターを思い出して納得した。  「研究室」のあとで、一つぐらい研究員の部屋を見ておこうかと、セリフィアが「リズィ&ロルジャーカー」と書かれた扉を開けようとした。が、びくともしないので諦めた。「研究室」の隣にある「食堂」の扉は、力の入れ方がよかったのか、Gが一発で引き開けた。 「すごいな」  セリフィアが微笑みかけるのに、Gは少し顔を赤くしたようだった。  食堂内には食卓用の長机が置かれ、周りに9脚の椅子があったらしいが、これまたすべて北側に片寄っていた。食器棚から食器が散乱している中を、Gとカインは使えるものがないか調べだした。  ラクリマは、1フィート四方くらいの箱に興味を引かれた。何の変哲もないボックスなのだが、それゆえに何の目的でこんなところに置かれているのかわからない。 「どうしました?」  アルトがそばにやってきたので、「これ、何でしょうね?」と聞いてみた。 「これは……」  アルトはじっとその箱状のモノを観察して、やがて言った。 「これは、サーランド時代にあった幻の名器、フードクリエイターじゃないでしょうか」  彼の説明によれば、何もしなくても魔法の力でただこの装置から食べ物を出すことができたということだった。 「料理しなくていいんですか!? じゃあ、材料を入れるだけ?」 「材料も要らないんですよ。本当に魔力だけで出てくるんです」  それを聞いて、ラクリマは持って帰りたがったが、この場に据え付けてあることと、 「それに、魔晶宮からの魔力の供給がないと動かないんですよ」 と、アルトに言われて、持ち帰るのは諦めざるを得なかった。  食堂をあとにして、今度は西の廊下へ向かった。「実験準備室」を開けてみた。家具類が片側の壁に寄っているのは毎度のこととして、何に使うのかよくわからない実験器具が、そこかしこに落ちていた。かなりのものが割れたり折れ曲がったりした状態で重なり合っており、室内を歩くのも大儀そうだった。北側の壁には、以前は使われていたのだろう、隣室に続く扉が見えたが、今は瓦礫に埋もれてまるで用を為さなかった。  隣の「実験室」は、大きなテーブル4台に、檻やら何やら大きめの器具類が、瓦礫と化して北側の壁をおおいつくしていた。  これ以上、見るところはないだろうと(飼育室は、下手に中に入ってモンスターと遭遇することもないだろうと、敬遠した)、一同はいよいよドラゴンのレリーフがあったところへ向かった。  ヴァイオラはロッツにレジストファイアの呪文をかけ、先行させた。ロッツはドラゴンのレリーフの周辺を調べたが、やはり炎を止める仕掛けはわからないと叫んで寄越した。 「このドラゴンの口、中はスロープになってて降りられやすよ」  続けてそう叫んできたのを聞いて、皆、ここに入るしかないと思った。だが全員分のレジストファイアの呪文などない。 「あの、ヘイストで動きを速くして駆け抜けるのはどうでしょう?」  アルトが提案した。ドラゴンのレリーフが炎を吐くのは20秒に1回だから、吐かれる前にスロープに飛び込んでしまったらどうかというのだ。  その案を採用して、全員で60フィートの廊下を駆け抜けた。先頭にセリフィア、それからアルト、G、ラクリマ、ヴァイオラ、カイン、ロッツの順に、竜の口に飛び込んだ。  ドラゴンのレリーフの口の中に飛び込むと、そこは暗いスロープだった。見つかりにくいようにという気配りから、全面が黒く塗られていた。途中で引っかかりを感じた。冒険者としての勘を信じ、迷わず引っかかったほうへ方向転換した。  降り立ったそこは3メートル×6メートルの通路だった。少し先には部屋が拡がっている。明かりの効果を半減させる魔法でもかかっているのだろうか、いつもの半分くらいしか目が利かない。そのため、先にある部屋の広さや、そのまた向こうを伺い見ることはできなかった。  今のところは、部屋の中には特に何もいないようだ。  仲間も全員無事にそろっていた。  簡単な状況確認をしてから、部屋の方へ慎重に進んで行った。縦6メートル×横9メートルの、横に広い部屋だった。床がガラスでできているようで、普通の石や岩とは明らかに違う光の反射を返してくる。  ちょうど正面に、部屋から出る通路が続いて見えた。気を引き締めて中に入ろうとした、そのとき、前方の通路からも同じような7人組が入ってきたのが見えた。  同じ身なり、同じ格好の冒険者かと一瞬思ったが、それより数段タチの悪いモノだった。顔や姿までうり二つである。……ドッペルゲンガーか。厄介な相手だ。乱戦になったら敵味方がわからない。何より自分と同じ顔をしたヤツがいるのが気にくわない。  ふと床面を見ると、足下でも同じ光景が繰り広げられていた。  鏡だろうか? いや、それならば逆さに映るはずだ。上から見下ろした光景というのはどういうことだろう?  しかし、疑問を突き詰めている暇などなかった。目の前の敵が今にも襲ってこようとしているのだから……………………………………………………………………………。  ドラゴンのレリーフの口の中に飛び込むと、そこは暗いスロープだった。見つかりにくいようにという気配りから、全面が黒く塗られていた。思っていた以上の距離を滑り降り、最後に着地に失敗してお尻を打ちつけてしまった。  素早く立ち上がって、周囲を確認した。  降り立ったそこは3メートル×6メートルの通路だった。少し先には部屋が拡がっている。明かりの効果を半減させる魔法でもかかっているのだろうか、いつもの半分くらいしか目が利かない。そのため、先にある部屋の広さや、そのまた向こうを伺い見ることはできなかった。  今のところは、部屋の中には特に何もいないようだ。  仲間も全員無事にそろっていた。何人かは同じようにお尻を打ちつけたらしい。  簡単な状況確認をしてから、部屋の方へ慎重に進んで行った。縦6メートル×横9メートルの、横に広い部屋だった。天井がガラスでできているようで、普通の石や岩とは明らかに違う光の反射を返してくる。  ちょうど正面に、部屋から出る通路が続いて見えた。気を引き締めて中に入ろうとした、そのとき、前方の通路からも同じような7人組が入ってきたのが見えた。  同じ身なり、同じ格好の冒険者かと一瞬思ったが、それより数段タチの悪いモノだった。顔や姿までうり二つである。……ドッペルゲンガーか。厄介な相手だ。乱戦になったら敵味方がわからない。何より自分と同じ顔をしたヤツがいるのが気にくわない。  ふと天井を見ると、眼上でも同じ光景が繰り広げられていた。  鏡だろうか? いや、それならば逆さに映るはずだ。下から見上げた光景というのはどういうことだろう?  しかし、疑問を突き詰めている暇などなかった。目の前の敵が今にも襲ってこようとしているのだから……………………………………………………………………………。  一同は戦闘態勢に入った。  どういうわけか、相手の(おそらく)ドッペルゲンガーたちは、自分たちと似通った攻撃しかしてこなかった。こちらのラクリマがブレスをかければ、あちらのラクリマもブレスをかける。こちらのアルトがウェブをかければ、あちらのアルトもウェブをかけてきた。  そのウェブは厄介だった。あちらのセリフィアたちは抵抗したが、こちらのセリフィアたちはしっかり捕縛されてしまった。 「G、カイン、燃やすぞ。いいか」  蜘蛛の糸を焼き切ろうとして、セリフィアが声を上げた。カインは「他に選択肢があるのか?」と消極的に肯定したが、Gが「私がいるんだぞ! いいわけないだろッ!」と怒鳴ったので、セリフィアは小魔法(キャントリップ)で火をつけるのをやめてしまった。  糸に絡まりながら、Gは叫んだ。 「…の私がいる! 変だと思わないか!」  ヴァイオラも変だと思っていた。彼女はまずディテクトマジックを唱えたのだが、部屋中が光って、目を開けていられなくなってしまった。それでも続けてディテクトイビルを唱え、薄目を開けて覗いてみたところ、あちらのヴァイオラだけが光って見えた。敵が普通のドッペルゲンガーであるなら、向こう側は全員が反応すべきではないのか。  彼女は、自分の神官としての知識を総動員して、目の前の事態を把握しようとしたが、こんな例はあとにも先にも聞いたことがなかった。  向こうでは、あちら側のロッツがこちらのロッツの射撃によって最期を迎えたところだった。戦いは着々と進むかに見えた。  ウェブを抜け出したこちら側のセリフィアが、あちらのセリフィアに斬りつけようとした。 「ちょっと待ってください、セリフィアさん!」  Gの声が響いて、セリフィアは攻撃の手を止めた。 「おかしいですよ、絶対におかしい!」  Gは連呼した。  確かに、この部屋に入ったときから、全員が奇妙な感覚をずっと持っていた。実は、自分たちのいる部屋の上(下)にもそっくりの部屋が見えていて、そっくりの人々がそっくりの動きをしている。ちょうど上(下)の映像をそのまま下(上)に投影している、そんな感じだ。だが、おかしいのはおかしくとも、とりあえずは目の前の敵を倒そうと、戦闘に突入したのだった。 「おかしいですよ!」  再びGが叫んだとき、全員の心に共通した思いが響き渡った。 (だが、ここで『私』が一人にならないと、ここから出られないかもしれない……) 「…やっぱり、ドッペルゲンガーじゃないんじゃないか?」  ヴァイオラは言った。  アルトも、相手のアルトにカプチーノを放ったあとで(本当にいいのかな?)と思っていた。ヴァイオラの言葉を耳にして、こういったモンスターがいなかったか、似たような事例がなかったかどうか、必死で考えた。だが、一つの例も思い浮かばない。 「だって、…にもいるじゃないですか!」  Gはそう言って、上下の仕切を壊そうと床を殴った。ガラスのように脆そうに見えて、床はびくともしなかった。ただ鈍い音を立てただけだった。こちら側のヴァイオラは「無理だよ。この部屋自体が魔法がかりなんだ」と言った。  だがもはや戦闘は止まっていた。だれもが疑問に思っていた。 (なぜ戦っているんだ?)  その刹那、何かが意識を吹き抜けた。ふぅっと気が遠くなって………  男は目を覚ました。  視界の先に、壁に立てかけられた馬鹿でかい剣---10フィートソードがあった。  隣にはすやすやと眠っている妻の肢体。  翼持つ者、鷹族のジルウィン。彼は彼女を愛していた。  魔力がなく剣奴だった自分は、妻と逃げている最中にダーネルに助けられた。  それ以来、ダルフェリルはこの工房で警備を、ジルウィンは研究の手伝いをしている。  今日も同じ一日が始まる。  少年は目を覚ました。  ここが工房の、自分に与えられた部屋であることを、ぼんやりと確認した。  工房の研究員として迎えられてから1週間。  記憶をなくした自分を拾ってくれたのは、この工房の主ダーネルだ。  彼は、胸元のペンダントに手を触れ、それがそこにあると安心したように息をついた。  今日は、何をすればいいのかな。  男は目を覚ました。  隣には愛する妻の寝顔。  工房の主ダーネルは、親殺しの罪で剣奴に落とされた自分の身を引き受けてくれた。  それ以来、アルフレッドソンはこの工房で主任衛兵として警備を担当してきた。  妻、オルフェアとも工房で知り合った。一目惚れだった。  貴族の孤児だった彼女も、ダーネルに引き取られたクチだ。  さあ、朝食をとって、警備を交替しなければ。  彼女は目を覚ました。  隣にはだれもいなかった。  相棒……いや、舎弟というべきか、とにかく相方のロルジャーカーは警備中なのだ。  リズィは貴族の家柄に生まれながら、相当の跳ねっ返りで、魔術師になる道を蹴った。  僧侶になって、勘当された……というより、自分から縁を切ったようなものか。  ダーネルとともにこの工房で暮らし始めて、もうそろそろ6年になろうとしている。  起きて、いつもと同じ一日を始めよう。  気がつけば、上の部屋にはセリフィアとヴァイオラとラクリマしかいなかった。 (Gがいない……!)  セリフィアは落胆を隠せなかった。ガラス張りの床からは下の部屋が見えた。Gはそちらにいた。  Gが気がついたとき、そこは下の部屋のようだった。周りにはカインとアルト、それにロッツしかいなかった。 (セリフィアさんが隣にいない……)  ガラス張りの天井の向こうにセリフィアの姿を認めながらも、Gは落胆を隠せなかった。  いずれにせよ、ダーネル=リッシュオットを昇天させるには、まだしばらくかかるらしい。一筋縄では行きそうになかった。