[shortland VIII-07] ■SL8・第7話「錯綜」■ 〜目次〜 1■先手 2■成果 3■知られざる過去 4■出立 5■青春の木陰 6■焼失 7■手配 <主な登場人物> 【PC】 ヴァイオラ‥‥僧侶・女・20才。胸も包容力も豊かすぎるほど豊か。 ラクリマ‥‥僧侶・女・17才。胸も包容力もまだまだ成長途上。果たして将来に期待できるのか? G‥‥戦士・女・17才。胸は意外と豊か、包容力は好き嫌いにより落差が激しい(つまり無いってことか?(笑))。 セリフィア‥‥戦士・男・17才。胸板は厚いが、包容力はなんとゆーかその………。 カイン‥‥戦士・男・15才。胸板も包容力も成長途上。早く成長しろって。 アルト‥‥魔法使い・男・15才。ノーコメント。あ、でも包容力はどでかいかも(何しろ内面にムニャムニャを包含している)。 【NPC】 ロッツ‥‥ストリートキッドあがりの働き者の盗賊。パーティに参入、日がな駆け回る。 レスター(レスタト)‥‥僧侶・男・享年15才。故人にして未だ忘れられざるPCのくびき。 ヘルモーク‥‥セロ村在住の虎族の獣人。年齢不詳(見た目40歳代)。 コルツォネート=カークランド‥‥スルフト村村長。故セロ村村長とは学友だった。 コーラリック‥‥カークランド村長の次男。父親と同じく魔術師。今回のハイブ討伐隊に志願した。 ガサラック‥‥スルフト村在住の若手狩人。仲間内でリーダーを務める。セロ村移住予定。 クレマン‥‥フィルシムにあるパシエンス修道院の院長。ラクリマの育て親。 トーラファン‥‥ラストン出身、フィルシム在住の高レベル魔術師。クレマンの旧友。 エリオット‥‥ガラナークの冒険者パーティのリーダー。「俺正義」パワーの持ち主。Gに気がある? ロウニリス‥‥フィルシム神殿のトップ。大司祭代理の苦労人。 ジェラルディン‥‥ラクリマに瓜二つの僧侶。享年16才。カインの昔の冒険仲間で恋人だった。 1■先手  3月14日、夜。  カークランド村長の館で夕食をいただいたあとで、一同はスルフト村近辺に播かれたハイブコアの退治を引き受けた。村長はこちらが引き受けることを確信していたらしく、食後に狩人たちと一同とを引き合わせた。  狩人たちは3人おり、3人とも明日から同道してくれるとのことだった。 「3人とも一緒にくるのか?」  Gがまず難色を示した。 「1人でいい。万が一のことを考えなければ。そもそも私たちの役目はセロ村に猟師を連れ帰ることだ。全滅したら元も子もないだろう」  Gはそういった意味合いのことを述べてから、2人は村で待つようにと言った。実は、ヴァイオラをはじめ他のメンバーもだいたい似たり寄ったりの意見だった。  一緒に来るなと言われ、狩人たち3人のうち、ラムイレスという手先の器用な若者が何か不満げに言おうとしたが、リーダーのガサラックがそれを制した。 「なるほど、それは一理ある。ならば道案内には私が行こう。ブローウィンとラムイレスはここに残ってくれ。……エルムレインの仇は必ず取るから」  ラクリマは残る二人に語りかけた。 「お二人も、ただ待つのは辛いでしょうが、どうか堪えてください」  ラムイレスはまだ不機嫌そうな表情を残していたが、ブローウィンが「よろしくお願いします」と言って、その話は決着がついた。  問題のエルムレイン---おそらくハイブに寄生されているだろう---については、村長が「癒しの準備はある」というので、生きて救出することを目指すことになった。  一同は村長の館を辞し、宿のスイートに戻って、まず贈与品・貸与品をだれがどう受け持つかを話し合った。結果、次のようになった。 【貸与品】 ・ダガー+1+フレイミング…ロッツ ・シールド+2…G ・ディスペリングスタッフ(チャージ10)…ラクリマ ・プロテクションリング+1…セリフィア 【贈与品】 ・アロー+1×10本…ロッツ×5、カイン×5 ・マジックミサイルワンド(チャージ10)…アルト ・スクロール(レベル11:マジックミサイル、ウェブ、ヘイスト)…アルト ・ヒーリングポーション×3…セリフィア、G、カイン各1 ・バグリペラントポーション…各自1本ずつ 「結局、何の呪文をもらったんだ?」  アルトの手許にあるスクロールを見ながらカインは訊ねた。 「マジックミサイルと、ウェブと、あとヘイストです」 「ヘイスト?」 「加速の魔法ですよ。この魔法がかかった人間は、いつもの倍の速さで動けるようになります」  アルトはヘイストの呪文について説明してから、「だからこの呪文をボクがかけても、皆さん、抵抗しないでくださいね」と、丁寧に断った。  一同はさらにたいまつを仕入れ、油瓶を火炎瓶に改造するなど、対ハイブの装備を整えた(ハイブが火に弱いことは、もはや全員が熟知していた)。  ハイブコアを特定できたら、バグリペラントポーションを服用して突入し、まず面倒なハイブマインドとブルードマザーを潰そうという、非常に大まかな作戦も立て、それぞれ武器の手入れなどを終わらせて眠りについた。  羊皮紙が一枚、ラクリマの寝台に無造作に伏せられていることにヴァイオラは気づいた。たぶん、セロ村で「ジャロスと何があったか書いてね」と言って渡しておいた羊皮紙だろう。ラクリマ本人はこの時間も居間にいた。「手紙を書いてから、少し縫い物をしますから先に寝てください」と聞いていた。  ヴァイオラは羊皮紙を取り上げ、表に返して読んだ。想像と違って、いきなりそれは懺悔の言葉から始まった。しかし内容はジャロスのことに触れていた。結局、懺悔文というかたちで知らせるのが彼女にとっての精一杯らしかった。  懺悔文には、1月25日の夜にジャロスが梟を飛ばしていたこと、梟は街道の方へ飛んでいったこと、ジャロスが彼女に対して「君の仲間にも俺の仲間にもだれにも言うな」と口止めしたことが書かれていた。 (1月25日……)  ヴァイオラはそれらを頭にたたき込み、羊皮紙を元通りにラクリマの寝台に伏せて置いた。  当のラクリマは、今し方やっと手紙を書き終わったところだった。姉代わりの神官サラに宛てて書いたものだが、書簡として出すつもりはあまりなかった。それを仕舞い込み、次に小袋を作る作業に取りかかった。布は、セロ村で服を仕立てるために買った布の端切れを使った。裁ちバサミで端切れの余分なところを切り落としているうちに、彼女はあることを思いついた。彼女が自分の寝床に入ったのは、袋を4つ縫い上げて、さらにその思いつきを実行に移してからだった。  3月15日の朝、Gは隣で着替えているラクリマを見て声を上げた。 「わあ!」  肩までゆうにあったラクリマの髪は、首に掛かるか掛からないかの長さに思い切りよく刈られていた。ふんわりと眉にかかっていた前髪もずっと短くなって、しかもギザギザにハサミを入れられていた。ぱっと見、少年っぽいような感じがした。 「さっぱりしましたねー」と、Gはラクリマに向かって言った。「似合いますよ。」  ラクリマは嬉しそうに、「森に入るのに、この方が楽そうでしょう?」と笑った。  二人が中央の居間に出ていくと、ロッツ、アルト、カイン、セリフィアの順で男たちも現れた。  アルトはラクリマを見て、内心やや吃驚したが、ここで何を言うべきかにきちんと思いを致すことができた。彼は常よりいっそうニコニコしながら「お似合いですよ〜」と声をかけた。ラクリマは「ありがとうございます」と笑顔で応えた。 「段々サラさんに似てきたね」  ヴァイオラが発言した。なるほど、パシエンスのサラはいつも短髪で通していた。大好きな兄弟神官に似てきたと言われて、ラクリマはまたにっこりした。その向こうでセリフィアが何かを言いかけたが、いったん口を開けたところで、何も言わずにまた閉じてしまった。 「おい、カイン」  Gはカインに呼びかけ、とりあえず一発殴った。 (ラクリマさんが髪の毛を切ったのは絶対にこいつのせいだ) 「なんだ、G」  カインはカインでGを殴り返した。 (泣かせてないのになんで殴られるんだ。……それは、髪を切ったのは俺のせいかもしれないが……)  昨日亡くなったカインの恋人ジェラルディンに、ラクリマは瓜二つだった。髪をばっさり切ったのは、少しでも死の哀しみを思い出さずに済むようにという気遣いに相違なかった。  アルトは目をぱちくりさせながら戦士二人の殴り合いを見た。端から見ているとじゃれあっているようだ。が、なぜか二人とも目が笑っていない。ヴァイオラは拳を交わしあう二人を後ろからじーっと眺め、「戦闘前だよ」と一言、釘を刺した。  朝食を終え、宿を出たところへ、向こうから村長と、村長の次男であるコーラリック---彼は今回のハイブ討伐に志願していた---、それからガサラックがやってくるのが見えた。コーラリックはローブ姿にスタッフを持ち、ガサラックは革鎧に矢筒を2つ、腰には短剣を帯びていた。  カークランド村長は、昨晩のうちに水晶で調べてわかったことを一同に教えた。  これから出発して夕方到着するあたりに、カートが2台放置されている。ハイブたちはそこから歩いて移動している。カートは放置されたばかりらしい。ブルードマザーやハイブマインドの移動能力が非常に低いことを考えると、丸一日移動したとしてもそう遠くまで離れてはいないだろう、ということだった。  一同は、ガサラックを案内役に、ハイブ討伐に出発した。  恵みの森に入るために、いったん上流へ向かった。半刻ほど歩いたところに、丸太の橋が見えてきた。この橋で、渓谷の向こう側へ渡るのだとガサラックは説明した。全員無事に渡り終え、今度は下流の方へずっと歩いた。  ガサラックは気丈に振る舞っていたが、やはり緊張を隠しきれないでいた。コーラリックも、ガサラックに親しく話しかけたりはするものの、同様に緊張しているらしかった。ハイブ相手では無理ないことかもしれない。  日が傾きだしたころ、アルトは向こうの方に20匹ほどネズミがいるのに気づいた。同時にコーラリックも気づいたようだった。アルトは皆に言った。 「あの〜、この先、少し危ないみたいなので、よけて行きませんか?」 「まだ気づいていないようですしね」  コーラリックが相槌を打った。一同はそこだけ道を迂回した。上手い具合にラットには気づかれずに済んだ。  その一時間後、前方に馬車が2台、黄昏に浮かび上がった。現場に到着したらしい。  カート2台はきれいに並んでいた。森という余裕のない場所柄で、これだけきれいに停めるには相当の技量が必要だろう。  馬の姿はすでになかった。地面に暴れたあとがあるので、彼らが最初にハイブの餌食になったらしいと予想がついた。  Gとセリフィアはふと、気配を察知した。ヤツらの気配だ。40ヤードほど向こうにヤツらが潜んでいる。セリフィアはさらに、向こうがまだこちらに気づいていないらしいと知った。それで、音を立てないように、身振りで他のメンバーに奴らの存在を知らしめた。  身振りといっても、ただの身振りではなく、ケイオティックな傾向を持つ人間同士で通じ合うボディランゲージ(アライメント言語)だったので、ケイオティックではないアルトとラクリマには何だかさっぱりわからなかった。だが、何かが起こりつつあることは理解したので、静かに次の展開を待った。 (あとの人間には私が伝える。君らは突撃していい)  ヴァイオラは戦士3人に身振りでそう伝えた。彼らの用意が整ったと見るや、ブレスの呪文を唱えた。それを受けて、Gとセリフィア、カインはハイブたちに向かって突撃していった。予告なしの突撃開始に驚いたのは、コーラリックとガサラックの2人だけだった。これまでの経験がものを言ったか、アルトやラクリマ、ロッツはすぐに対応した。それでうまいこと敵の不意を打つかたちにすることができた。呪文使いたちは後方支援のため、木陰を利用して散開した。  一番奥の一体は、スタッフらしき木の棒を手にしていた。他の5体とはやや異なる雰囲気で、あれがハイブリーダーに違いないと、戦士たちは一様に判断した。  その前に、扇状に拡がって位置しているハイブブルードたちは、鎧もなく、あからさまにハイブらしい姿形を曝していた。セリフィアの憎悪が掻き立てられた。  奥のハイブリーダーが何やらガス状のものを発散した。他のハイブたちに技能を伝播したのだろう。ハイブという種族は、すべての構成員にできるわけではないが、食べた生物の能力を、自分で取り込んで使うことができるという厄介な特性を持っている。それは呪文かもしれないし、戦闘能力かもしれない。「使い捨て」とはいえ、そうした能力をハイブ全員が伝えられ使えるようになってしまうのは脅威だった。戦士たちはぐっと気を引き締めた。  背後から呪文の詠唱が聞こえたかと思うや、前の2体が倒れた。アルトがスリープを使ったらしい。Gとセリフィアはそのまま突撃し、その2体に止めを刺した。カインは一番右端のハイブブルードに攻撃し、傷を負わせた。  ハイブリーダーは呪文を唱えた。呪文に対する知識がない人間にはそれが何であるかわからなかったが、おそらくヘイストではないかと、皆、判断した。  一番左端にいたハイブがスリープの呪文を唱えた。Gたちは懸命に堪えた。先刻、カインの刃を受けたハイブが反撃してきた。彼らの動きはめざましく俊敏になっており、ハイブリーダーの唱えた呪文が予測通りヘイストであったことはもはや明らかだった。カインは痛手を被ったが、ハイブ自身も、最後の攻撃で力加減を間違えたのか左手の鋭い爪を折ってしまったようだった。  左側の二体は、セリフィアを集中攻撃してきた。プレートメイルを着ているとはいえ、ヘイストで常の倍の攻撃を繰り出してくるハイブ二体を相手にするのは厳しかった。 (殺してやる!)  セリフィアは10フィートソードを大きく振りかぶった。しかし、憎しみに目が眩んだのか、今し方受けた傷が疼いたのか、この一撃は不発に終わった。  ハイブリーダーがまた何かを唱えた。今度は全員が理解した。光の矢が彼の頭上に3本現れたからだ。リーダーはそれらをカインに向けて放った。さらに先ほどから相対しているハイブの攻撃も受け、カインは満身創痍となりつつあった。だが彼は目の前の怪物に渾身の一撃を振るった。どさり、と、音を立てて怪物は倒れた。手足が幾ばくか痙攣したが、すぐに動かなくなった。  ヴァイオラはセリフィアの支援に、後方からボーラを投げた。ボーラは空を切って飛び、一番左端のハイブに命中した。革紐はきつく絡みついている。これでこのハイブも思いどおりには動けなくなるはず---有り体にいえば、ヘイストの効果をうち消したことになるはずだ。それでも、二体から受ける攻撃によってセリフィアはかなりの血を失った。  ロッツはセリフィアの援護に回った。ヴァイオラとは別なハイブを狙って射撃した。調子よく、立て続けに矢を打ち込んだ。と、ハイブの身体が傾いで、そのままゆるゆると地面に頽れた。  向こうでハイブリーダーがまた何かをやったようだったが、何をしたのかはっきりとはわからなかった。そのリーダーの後ろにGが回り込んだのが見えた。 (Gをひとりにはできない…!)  セリフィアは鬼のような形相でハイブにうち掛かった。一瞬、そのハイブは後ろに逃げようとしたようだったが、ボーラの革紐が低木の枝葉に引っかかった。その彼を、10フィートソードが真横から襲った。彼は上下真っ二つに断ち割られ、絶命した。  ラクリマがカインの背後に移動してきていた。彼女は治癒の呪文を唱えたが、とても傷のすべてを癒すことはできなかった。  「ありがとう。」後ろも見ずに言うなり、カインはハイブリーダーに突撃していった。正面から、長柄戦斧で醜い怪物の脇腹をえぐった。  ハイブリーダーは悲鳴をあげた。と、いきなり彼の姿が消えた。  Gはハイブリーダーのいた場所に剣を振り下ろした。手応えは何もなかった。 「透明になってる可能性もある」  彼女がそう言ったので、セリフィアとカインもその場を斬ってみたが、やはり手応えはなかった。何らかの魔法で、空間を超えて逃げたようだ。あとにはハイブブルードの死体が5つ残った。  証拠として持ち帰るために(そしてその唾液と引き換えに報奨金を手に入れるために)、ハイブたちの首を落とさねばならなかった。Gは顔を背けた。大好きなセリフィアが、必要なこととはいえ「首を落とす」という作業をするかと思うだけで、胸焼けがするようだった。Gの「お母さん」---記憶を失っていた彼女を拾い、育ててくれた「お母さん」、Gが大好きだった「お母さん」は斬首刑に処せられて死んだ。だから、それがハイブであれ、首を切るのは嫌なことだった。  だが、そっと視線を戻したとき、首を落としているのはカインだった。セリフィアはすべてカインに任せていた。Gは心からほっとした。  セリフィアは、以前セロ村でヒヒ退治をしたときに、ヒヒの死骸を曝すことをGがものすごく嫌がったのを覚えていた。それでこの場でもGの嫌がりそうなことは、避けたいと思っていたから、カインがハイブの始末を進んで引き受けてくれたのは非常にありがたかった。  戦士たちが首を落としたり周囲を警戒したりしている間に、他の人間たちでカートを調べた。カートはフィルシムで商人たちが一般に使う型式のもので、それほど古くはないが新品でもなかった。中はがらんとしてすでに何もなく、ただ、見覚えのある粘液があとを引いていた。  だが、片方のカートの入り口には粘液が認められたが、もう片方にはそれがなかった。どういうことだろう……一同は頭を悩ませた。セロ村付近で発見したときは、カートは1台だった。なぜ2台あるのだろう。まさか、餌か宿主---つまり人間の献体---を積んでいたとでもいうのだろうか。  ロッツとガサラックは、粘液のあとを追った。「こちらに続いている。」  一同は彼らに従って、そのままハイブたちを追跡することにした。何しろ、時間の余裕がなかった。エルムレインが生きているなら、せめてブルードリングであるうちに彼を捕獲して連れ帰らなければならない。ハイブブルードに変態してしまっては、キュア・ディジーズやキュア・オールの治癒呪文をもってしても、人間に戻すことが不可能になるからだ。  ラクリマが残った呪文で、戦士たちの傷を、治しきらないまでも回復させた。それから追跡を始めた。 2■成果  夕暮れに近かった。あと1〜2時間で日が落ちきるだろう。その前に何とかしてハイブコアを見つけたかった。  春を告げるように生えだしている下生えの草草は、並んで歩く一行の足に静かに踏まれていった。遠くで鳥がひとつ、ふたつ、鳴き交わすのが聞こえた。だが他に何の音もなく、近在には生き物の気配がまるで感じられなかった。 (ハイブの巣に近づいているって証拠かもしれない)  そう考えた途端に、ヴァイオラは何かピリッとするものを感じた。注意して見ると、背後に迫るハイブたちの姿があった。その中に、狩人らしい服装をした者が一名、混ざっているのにも気がついた。  カインも同時に気づいたようだった。「どうする」と目で問うてきた。ヴァイオラは先ほどセリフィアがやったように、身振りで敵の存在を知らせたが、さすがに今回は相手もこちらの存在を熟知しており、不意は打てなかった。 「エルムレイン!」  ガサラックの叫びが聞こえた。狩人の服装をしたブルードリングは、エルムレインに相違なかった。  さっきと似たようなボディランゲージが繰り返されたときから、ラクリマは呪文の心構えをしていた。それで、すぐにブレスを唱えることができた。  戦士たちは皆、バグリペラントポーションを飲んだ。今回、まともに攻撃を受けて耐えきる自信はなかった。この虫除けポーションを飲むと、どんな形態の虫であれ---ハイブは虫の一種である---服用した者を「無視」するようになる。彼らがよほど注意を払って存在を確認しようとしないかぎり、服用者は彼らにとって透明な存在になるわけだ。  ヴァイオラはプロテクション・フロム・イビルの呪文を唱え、自分の防御を固めた。アルト、コーラリック、ガサラックらは、まとめて攻撃されるのを防ぐため、かつ、戦士たちの邪魔にならないようにするために、近くの木陰にそれぞれ移動した。ロッツは向かって右側の奥にいるスタッフと思われる棒を持つ1体、ハイブリーダーらしき存在に矢を射かけた。  矢を射られたハイブリーダーは、ガス様の物質を発散したようだった。何らかの技能を周りのハイブブルードたちに伝えたらしい。前回と同じく、リーダーを囲んで5体のハイブが扇状に並んでいた。彼らと逆サイド、一同に向かって左側には、エルムレイン(すなわちブルードリング1体)と、ハイブリーダーらしき者が1体見えた。こちらのハイブリーダーは手傷を負っており、どうやら先ほどの戦いで逃げ出したリーダーと同一人物のようだった。とすれば、こちらの手の内はある程度読まれ、仲間にも伝えられてしまっているだろう。  エルムレインは弓を放ってきた。放った相手のコーラリックが、かつての友人であることも今はわからなかった。先刻逃げた方のハイブリーダーは、一同に向けて歩を進めてきた。  中央にいたハイブが2体、何かを唱えた。光の矢が彼らの頭上にそれぞれ3本ずつ現れた。  光の矢は6本が6本ともヴァイオラめがけて飛んできた。かわしようがなかった。  突然、セリフィアの背後に身の丈32フィートもあるつむじ風のような生命体が現れた。風を司る精霊、エア・エレメンタルだ。マジックミサイルの本数から考えて、魔術師呪文も最低で5レベルのものを取り込んでいることは想像してしかるべきだった。これもまた、他人から掠め取った能力で、ハイブが召喚したのだろう。  コーラリックはスリープを唱えた。左端のハイブが2体、眠りについた。ロッツはまた弓を引き絞ったが、運悪く弓弦が切れてしまった。  アルトはカークランド村長からもらったスクロールを使い、ヘイストの呪文を唱えた。味方の動きが加速され俊敏になった。  ラクリマはセリフィアの武器にブレスをかけようとしたが、ふっと気がついた。彼女が今持っている杖、ディスペリングスタッフで攻撃すれば、エアエレメンタルはこの場から消えるのではないか? 「Gさん、これでそれを叩いてください!」  ラクリマはエアエレメンタルのそばにいるGに杖を渡した。Gはそれを受け取って、エアエレメンタルを攻撃した。杖が触れるや、召喚術は無効化され、エアエレメンタルは姿を消した。  この間、ヴァイオラは足元がふらつきながらもボーラを投げ、エルムレインに命中させていた。エルムレインは革紐が絡まって、のろのろとしか動けなくなった。  カインはまず生き残りのハイブリーダーに向かって突撃し、彼を屠った。返す刃でコーラリックによって眠りについていたハイブ1体にも止めを刺した。  なおも続けざまに彼はもう1体の眠れるハイブにも止めを刺した。素早く移動して、右奥のハイブリーダーを長柄で突き通し、引導を渡した。ハイブリーダーは、思うよりあっけなく息絶えた。4体を死の深淵に沈めた連続攻撃は、言葉通り、目にもとまらぬ早業だった。  Gはボーラの絡まったエルムレインの背後に移動し、ラクリマから手渡された杖で彼の頭をしたたか殴った。エルムレインのなりをしたブルードリング---あるいはブルードリングのさまを呈したエルムレインは、たまらず気絶した。それを見て、ロッツはエルムレインを縛りに行こうと、移動した。  アルトはヴァイオラを心配して、彼女のそばに寄った。そのヴァイオラは自分に治癒呪文をかけたが、気休め程度にしかならなかった。  セリフィアは突撃し、右端のハイブをざっくり斬った。さすがに一撃で倒すことはできなかった。と、突如として目の前のハイブが消えた。彼らよりやや奥にいたはずのハイブも消えていた。  ハイブたちはディメンジョン・ドアの呪文によって、奥の1体はセリフィアの背後に、セリフィアの前から消えたハイブはヴァイオラの背後に飛ばされたのだった。 (しまった…!!)  ヴァイオラが振り返るより一瞬早く、ハイブは鋭い爪を彼女の背に食い込ませた。ヴァイオラはしたたかハイブを睨みつけたが、そのまま意識が遠のくのを感じた。ハイブはハイブで、すでにセリフィアの一撃でかなりのダメージを受けていたせいもあるが、ヴァイオラの眼力ゆえか誤って自分で自分をも傷付けてしまい、そのまま昏倒した。 「ヴァイオラさん!」  アルトとラクリマは同時に叫んだ。  先ほどから戦況を見守っていたラクリマは、ヴァイオラに駆け寄り、取るものも取り合えず止血を施した。だが、止血までしか彼女にはできなかった。治癒の呪文は、先に戦士たちを回復させるので使ってしまっていたからだ。 「ボクが」  アルトの声でラクリマは顔をあげた。そういえばアルトは治癒の術が使えるのだと、思い出して安心した。  アルトはヴァイオラに治癒の術を施した。ヴァイオラはうっすらと目を開けた。 「だ、大丈夫ですか」  ヴァイオラはかすかに肯いた。だが、意識を集中させなければ手も動かせないくらい億劫だった。  その向こうで、セリフィアは自分の背後に移動してきたハイブを屠り、カインも最後の一体に止めを刺していた。  コーラリックの叫ぶ声がした。 「向こうにもう一体います!!」  ハイブたちがいたのとは逆の方向、先ほどエアエレメンタルが現れたよりも右よりの樹上を、コーラリックは指した。  樹上には、細胞質の複眼を持ち、触角を生やした昆虫のような顔をした怪物が1体、鎮座していた。顔はハイブブルードやハイブリーダーと同じだが、身体は違った。ハイブブルードたちが、皮膚は変質しているとはいえヒューマノイドの体型をとっているのに対し、樹上の怪物の体躯は、まるで蛾の幼虫の体か、蜂や蛾の腹の部分のようだった。いくつもの節を持ち、それぞれの塊がぶよぶよと蠢いている。  これが彼らのうちで最も恐るべき敵、ハイブマインドだった。呪文などの他者の能力を取り込んだり、そうして取り込んだ他者の技能を、ハイブブルードたち他の構成員にも使えるようにしたりするのは、すべてこのマインドの仕業なのだ。 「近寄るな! 遠くから狙え!」  セリフィアの声に呼応して、Gとカインは武器を弓に持ち替え、矢を放った。マインドは苦し紛れにダークネスの呪文を唱えた。ロッツのあたりに闇を生ぜしめたが、ロッツは咄嗟にその場を逃れた。  マインドの抗いもそこまでだった。カインの放った矢がその怪物の生を終わらせた。  ガサラックが言った。 「おかしいな……この近くに窪地があるはずだが……」  それを聞いて、ヴァイオラは弱々しい声でディテクトマジックを唱えた。身体は思うように動かなかったが、頭の冴えは衰えていなかった。 「向こうに魔法のかかった領域がある」  彼女はアルトを通じて皆にそう伝えた。Gは手にしていたディスペリングスタッフで、ヴァイオラが指示した辺りを触れた。  途端に窪地が現れた。魔法でまるごと隠されていたのだ。  窪地はすり鉢状で、斜面の半径は20ヤードくらいありそうだった。その中央に、グロテスクな怪物がいた。ブルードマザーに違いなかった。  マザーがいると聞いて、全員がその怪物を見ておこうと、窪地の縁に集まった。ヴァイオラも貧血を起こしそうだったが、なんとか自分をだましだまし歩いた。  ブルードマザーは、遠目に見ているのではっきりしないが、ハイブマインドよりさらに一回り大きいようだった。胴から上の部分は、他の構成員たちと同じようなサイズだ。が、何といってもかさが張るのは腹部で、これだけ大きなお腹を引きずっていては、1分間に10フィートしか動けないというのも頷けた。  危険を感じたのか、彼女は自分の周りに毒雲を発生させた。だが直径30フィートにしかならないそれらは、とても冒険者たちのところまで届かなかった。あとはカインの弓矢攻撃と、ヴァイオラのバーニングオイルで決着がついた。  弓といえどカインの攻撃は凄まじかった。怒りと憎しみのすべてをブルードマザーぶつけているかに見えた。やがて、毒の霧の中で、醜い怪物が動かなくなったのが見えた。 「これでちょうど数が合いまさぁね」  ロッツがハイブたちの死体を数えて言った。  先ほどと同じように、ハイブの頭を落とす作業はカインが受け持った。ブルードマザーについては、毒が消えるまで待っていられないだろうと、コーラリックが「私が証人になりますから」と請け合ったのでそのまま放置した。  これから休みも取らずに村に帰るのは無理と判断し、一同はガサラックの案内で適当な野営場所に向かった。コアから四半刻ほど歩いた先で腰を落ち着けた。ブルードリングと化しているエルムレインについては、すでにロッツがロープでぐるぐる巻きにしてあったものをカインが担いだ。  火をおこし、簡単な夕食をとった。  夕食後、Gが倒れた。ムーンフラワーの処方を忘れたわけではなかった。それを遥かに上回る何かが作用したのだろうか。  ラクリマがアルトに手伝ってもらって、Gの寝るところを設えていると、 「ラクリマ」  呼ばれてラクリマは振り返った。カインが立っていた。 「短い方がいいな。よく似合ってる」  カインはそれだけ言うと、ふいと焚き火の向こう側へ戻っていってしまった。ラクリマは何を返事する暇もなく、少し寂しそうに微笑った。  夜直は、カインとセリフィアがぶっ通しでやると志願したので、彼ら二人に任せて、あとの人間は全員寝ることにした。 3■知られざる過去  3月16日。  朝、ぶっ通しで夜の見張りに立っていた二人は、うっかり睡魔に負けてしまった。 (結局、普通に夜営した方が時間がかからなかったんじゃ……?)  ヴァイオラは呪文を使って、自分の怪我を治した。ようやく身体が普通に動くようになった。  そういえば昨晩は満月だったから、と、ヴァイオラはGに「昨日はどんな夢を見たの?」と尋ねた。ちょうどガサラックとコーラリックは、少し離れた場所で話し込んでいた。ロッツはそばにいたが、見張りに立ってくれていたので、話の輪からは外れていた。  Gはまず、アルトに「エクシヴってひと、知ってるひとか?」と尋ねた。 「お師匠様がどうかしたんですか?」  アルトはおずおずと聞き返した。 「よくわからないけど、博学王だって言ってた。ジャガーノートマスターのハーヴェイ、マジックエンチャンターのトーラファン、博学王のエクシヴ、それにクロム=ロンダートってひとで、何かやってたけど、クロム以外の3人は隠居しちゃったって」  ラクリマはトーラファンとハーヴェイの名前が出てきたので少し驚いた。その彼女に向かって、Gは言った。 「よくわからないけど、ラクリマさんは完璧です。108体目で完璧だって」  これはまずいかも、と、ヴァイオラが思ったときには遅かった。Gは止めどなく喋った。 「よくわからないけど、研究所に乗り込んできた女性の卵を使ったって言ってました」 「よくわからないけど、マウエッセンってひとが転生に失敗して、娘に前鬼と後鬼と魔力も全部とられたって。娘は死体に産ませたって言ってました」  わからないのは寧ろ、まわりで聞いている人間の方だった。だがそれはまだ続いた。 「カインは女難です。占い師が占ったかなんかで、女難で凶運で独善だから捨てられたんです。双子で、どっちも要らないって言われたけど、占いを聞いた母親が『じゃ、そっちを捨てといて』って」 「占ったのはライニスのなんとかいう大司祭でした」 「お産婆さんがかわいそうだからって、カインを持って逃げたら、夜盗に殺されちゃって、カインは盗賊の手に渡っちゃいました」  その後、巡り巡ってフィルシムに流れ着いたのだろう。それにしても酷い親だ……ヴァイオラは軽い眩暈を覚えた。 「ヴァーさんは……毎回一緒ですぅ」 「…なに?」 「またお説教でしたぁ。貧民街に出入りしてるからって怒られてました。こないだよりもうちょっと大きくなってました」  それはたぶん、クダヒの女子修道院---パシエンスのようなところではなく、良家のお嬢様方が礼儀作法などをお習い遊ばすところ---だろうと、ヴァイオラは見当をつけた。が、それもどうでもいいことだ。家も、修道院も、たいして変わりはなかった。  Gは再びラクリマを見て言った。 「ラクリマさんはガラナーク王家に近しい血筋だって言ってました。ラクリマさんの前の107体目は失敗したって。完璧な僧侶にならなかったって。8体目で完璧な僧侶を作ることができたって。だから大丈夫です」  ラクリマの心の中はとても「大丈夫」とは言えなかった。 (私は……人の手でつくられた……つくりもの……?)  それは彼女にとって正視に耐えない現実だった。  Gはそんな様子には気づかず、今度は「虚無の杖 null staff って知ってますか?」とヴァイオラとアルトに尋ねた。  アルトは聞いたことがないと、Gに答えた。 「それが何か?」 「クロムとかハーヴェイとか、さっきの4人がやってたみたいです」  何やら4人でやんちゃを働いていたのが、そのうちの3人は隠居して、クロムだけが「自分はまだやる」と息巻いていたらしかった。 「ショーテスにもそういう研究施設があるって言ってました。その研究室の、ラクリマさんのガラス管の隣が人間の卵で、それはマティスってひとの奴隷から持ってきたやつで、サーランド王家の血を引いているから自分用にするって、そのクロムってひとが言ってました。22枚カードを持ってて、そのカードの所為で自分は一度死ぬからって」 「エクシヴさんってひとは、研究所の焼け跡で赤ん坊を拾ってました」  アルトはヴァイオラと顔を見合わせた。どうもそれは自分のことらしいと、アルトは思った。ヴァイオラもほぼ確信した。アルトは、クロム=ロンダートという人間の転生体に違いない。そのクロム=ロンダートは、禁断の術---人間の創成に手を染めていた。その結果が、目の前の二人なのだ。 「確認させてください」と、アルトが言った。「てことは、ボクはサーランド王家の血を引いているってことですか?」 「確認なんてできません、そんなこと〜」  Gはやや突っけんどんに答えた。それを聞いていて、アルトは、自分はやっぱりGに好かれていないみたいだと思った。 「セ、セリフィアさんは……」  セリフィアの話になって、Gは少し躊躇いを見せた。 「兄弟がたくさんいました」 「ああ、たくさんいるね」 「ラルキアってひと、いますか?」 「セイ君のすぐ下の弟じゃなかった? ……彼がどうかしたの?」 「……ハイブに噛まれちゃって痺れてました。あと、お母さんも毒牙にかかってました」  沈黙が流れた。Gはそれを払うように、再び喋りだした。 「セリフィアさんのお父さんってひどいんですよ〜。占いで女の子が生まれるって言われたからって、女の子の名前しか考えてなかったって。それで女の子の名前をつけちゃったんですよ〜」  それもなんだかなぁ、と、ヴァイオラは思った。本当にそれだけのことで女名をつけたんだろうか? 「あと、あの二人も大変そうです」  Gは向こうにいるコーラリックとガサラックを見やった。 「コーラリックはなんか自分の道はどうしようって悩んでました」 「は? だって村長になるのを目指すんじゃなかったの?」 「それも、お父さんの期待に応えなきゃだめかとか、なんとか。決断が一番難しいって」  どこの村長の息子(次男)も、悩みは深いらしい。継ぐべきか継がざるべきか、それが問題というわけだ。 「ロッツも……」  Gは黙り込んだ。 「ロッツ君がどうしたの」  ヴァイオラにとってロッツは「舎弟」だったので、彼女は少し強めの口調で訊いた。 「ファーカーさんは冷酷なひとみたいです」  Gは突然、方向転換した。 「エドウィナとお兄さんは、昔、ロッツのグループと対立してた。ロッツは……彼は大変だったんだと思う」  Gはそれしか言わなかった。ヴァイオラはロッツを呼んだ。 「お呼びですか、姐さん」 「よしよし」  そう言って彼女はロッツの頭を両手で抱え込み、かいぐりかいぐりしてやった。ロッツは不思議そうな顔をして、持ち場に戻っていった。 「他は?」  毒食らわば皿までよ、と、ヴァイオラはGに問いただした。Gはこれしか覚えてないと言った。 「……無理矢理私をこじ開けたのは、『強い感情』だったみたいなんだ。だけど、それはだれのモノだったんだろう?」  Gは首を傾げた。ヴァイオラは答えて言った。「だれのモノでもあり得るよ。」 それはハイブを憎むセリフィアのモノだったかも知れず、ジェラルディンを喪ったカインのモノだったかも知れないのだから。  クスッと笑う声がした。  ラクリマだった。 「そう……そういうことだったんですか」  彼女は可笑しそうに言った。ただならぬ様子に、混乱気味だったアルトも振り向き、目を瞠った。Gですら自分の発言を後悔することになった。 (どうしてこの身に哀しみばかりが感じられて、神の愛が感じられないのか不思議に思ったこともあったけれど……) 「私は神の被造物ではなかったんですね」 「なに、馬鹿なこと言ってんの」  ヴァイオラが呆れたように反論した。 「そんなこと言ったら、最初に作られた人間以外、みんな被造物じゃなくなっちゃうじゃないの」  ラクリマはただ笑っていた。 (そう、彼女ならゴーレムにも洗礼を授けるかもしれない)  ヴァイオラがゴーレムたちに洗礼を授け説教を賜っている姿を想像して、ラクリマは可笑しくなった。もうひとつ、くすりと笑った。フィーファリカの姿が脳裏を過ぎった。 (でも……)  いや、そんなつまらぬ理由で悩むことは自分には赦されていない。だから彼女も「馬鹿なこと」と言ったではないか。笑顔のまま、ラクリマは「それ」から来る痛みを、自分でも気づかぬうちに意識の底へと追いやっていた。  カインとセリフィアが起きたとき、カインは他の人びとの様子が少々おかしいのに気がついた。ヴァイオラとラクリマはいつもと同じようで、まとっている雰囲気が違う気がしたし、アルトは通常に輪をかけて落ち着きがなかった。しかし、だれよりも妙なのはGだった。彼女はラクリマと目を合わせようとせず、そうでありながらその背後を離れずにいた。何やら後ろめたそうにしていた。 「どうかしたのか、G?」 「どうもしない」  カインに訊かれて、Gはぶっきらぼうに答えた。  ヴァイオラには先刻、「今度からやばそうな情報があったら、まず私だけに教えるように」とクギを刺され済みで、「言わない方がいいこともある」ことは学習済みだった。が、言ってしまったことは取り返しがつかない。  ふとラクリマが振り返ってGを見た。彼女は首を傾げ、「どうかしたんですか、Gさん?」と普通に尋ねた。  Gは一瞬黙したあとで、 「話してしまって……傷つけてしまって済まなかった」 と、真面目な顔で謝った。が、謝罪された当人はよくわからないようで、 「私は何も傷ついてませんよ? 大丈夫ですから心配しないで」  Gはそれでも浮かぬ顔のままだった。ラクリマは言った。 「話したって……何か話しましたっけ?」 「……生まれのことを」  端切れ悪く答えるGの言葉を聞いて、また何か夢を見たらしいと、カインにも予測がついた。 「他人の事情を考えなしに口にすべきじゃなかった。反省している」  Gはしおらしいことを言った。ラクリマは相変わらずGの言いたいことがよく飲み込めないでいるようだったが、 「他人の事情を無理矢理見せられちゃうなんて、Gさんも本当に大変ですよね……」 と、しみじみ語った。  どことなく噛み合わないやりとりを聞いていて、セリフィアも「またGが夢を見たらしい」とわかった。近くにいたアルトに、 「Gはまた夢を見たらしいな。俺について何か言ってなかったかだけ教えてくれ」 と、頼んだ。アルトは逆に聞き返してきた。 「ラルキアさんっていますか?」 「弟だ」 「夢に出てきたみたいですけど、詳しいことはわかりません」  いつの間にかそばに寄ってきたカインが割って入った。 「俺のことは?」 「何か言っていたようですが……ボクにはわかりません」  そう答えるアルトの様子が、半分、心ここにあらずであるのに、カインもセリフィアもようやく気づいた。実際、アルトには他人の事情に構っていられる余裕がなかった。彼は彼自身の事情で手一杯だった。  アルトにはそれ以上聞けず、かといってあのGの様子では口を開きそうにないと見て、カインもセリフィアもそれ以上追求するのはやめた。  ヴァイオラも、先刻話を聞いていなかった人間には、わざわざ夢の内容を伝えるつもりがなかった。知らない方が幸せということもある。ラクリマの様子は普通に戻っていたが、彼女が少なからず衝撃を受けたことは---気持ちはわかるものの、そこまで衝撃を受けなくてもいいのにとヴァイオラは思ったのだが---明白な事実だった。ヴァイオラは自らの知識から、人間および亜人間を人為的に作ろうとした奴腹にはこれまで必ず何かしらの神罰が降っていること、作られた人間たちは神に愛されるものの、ほとんど例外なく数奇な運命をたどるらしいことなどを思い出した。だがそれがどうだというのだろう。要は自分をしっかり持てばいい。それだけのことだと、彼女はそれ以上考えるのをやめた。  ほどなくしてその場を発ち、一同はスルフト村へ戻った。もう夜になろうとしていた。  村の入り口に二人の人間が立っているのが見えた。近づいていくと、一人は村長の館の執事だとわかった。もう一人は服装から僧侶のようだった。声が聞こえてきた。 「本当に帰ってくるんですか?」「領主様が確認済みです」  一同がさらに近づいていくと、僧侶は一行の中のエルムレインに目を留めた。 「おお、こちらか。早速神殿で預かろう」  キュアディジーズをかけてくれようというのだろう。ガサラックはカインからエルムレインを引き取って抱き上げ、僧侶の後ろについて神殿へ向かっていった。  一同はいったんコーラリックや執事とともに、報告がてら領主館を訪れた。応接室には村長が待ち受けていた。早速、ハイブマインドやブルードマザーまで含めて総数14体のハイブを倒した報告を行った。村長は即座に報奨金1300gpを用意させ、その場で支払った(ブルードマザーは、錬金術の素材となる唾液を持たないため、報奨金の数には入れられなかった)。  エルムレインについては、4人の狩人たちのうち、唯一両親が健在であることもあって、スルフト村に留まることになった。カークランド村長はヴァイオラに、移植者が4人から3人に減ってしまうことを詫びた書簡を託した。 「明日だが、どこかの隊商と一緒に行くか?」  村長に尋ねられ、ヴァイオラはそうしたい意向を口にした。村長は執事に指示し、明日出発する隊商を探させた。食事も何もつかず、一人頭2gpという条件でよければ一件あるというので、ヴァイオラはパーティの安全のためにその話を受けた。  一同は宿に戻り、風呂と食事を満喫した。交わす言葉は少なかったが、だれしも大なり小なり達成感を得ていた。  ヴァイオラはまたひとりになったところを見計らって、コミュニケーションスクロールをひもといた。 <コア殲滅>  それだけ書いた。 <よくやった>  ロウニリス司祭はやはり気にしていたのだろう、すぐに返事を書いて寄越した。  一同は久しぶりに安眠を貪った。 4■出立  3月17日。  出発の時間になった。  若い狩人3人が、レザーアーマーにロングボウ、大きなバックパックという出で立ちで現れた。  巨漢のブローウィンは、何人もの子どもたちの見送りを受けていた。少女がひとり、彼に花で編んだ首飾りを贈った。ブローウィンは恥ずかしそうだったが、頭に飾られるままにしていた。ほとんどは孤児院の子どもたちということだった。皆、彼と別れるのはとても寂しそうに見えた。  ラムイレスは母親が見送りに来ていた。それから娘がひとり、心配そうに見送りに現れて彼に話しかけていた。顔立ちが全く似ていないので、妹というわけではなさそうだ。彼は女性にもてる、という話だから、恋人かもしれない。が、ラムイレスは彼女に対して「来るなよ」と冷たい態度を取っていた。照れ隠しなどではなく、心底嫌だという風情だった。  リーダーのガサラックは、壮年の男女と話しこんでいた。二人は実は、ハイブの被害にあったエルムレインの両親だった。「息子の分もがんばってくれ」と、男が言うのが聞こえた。ガサラックは肯いた。彼自身の家族はいないようだった。  隊商は馬車4台、総勢11人と大規模だった。これにヴァイオラやガサラックたちが加わって、21名で街道を粛々と進んだ。  昼ごろ、隊商の左斜め前方に、6本足で肩から2本の触角を生やした黒いヒョウのような獣---ディスプレイサービーストが現れた。2体いるようだ。ヴァイオラも気づいたが、前方を護衛していた別パーティの面々も早々に気づいたらしい。 「どうする?」 「まぁ、とりあえず説得してみろや」  前のパーティのリーダーはシーフにそう言った。シーフは、岩陰に潜みながら移動している獣たちの方へ、一歩進んで呼びかけた。 「おい。襲わないなら、こっちも襲わないぞ!」  驚いたことに、それほど空腹でなかったのか、それともこちらの人数の多さが一応は脅威となったのか、ディスプレイサービーストはそのまま踵を返した。数秒後には彼らの気配は跡形もなく消えていた。怪物を隣人とするフィルシムらしい光景だった。  夕食時、セリフィアはアルトに尋ねた。 「昼間のディスプレイサービーストって、毛皮を取ると売れるのか?」 「そうですね……6000gpくらいで売れると思いますよ」  ディスプレイサービーストの皮膚は光線を屈折させる特性を持っており、そのせいで見る者の距離感が狂わされる。実際には目の前にいても、数メートル向こうにいるような錯覚を起こしたりするのだ。その特性に目をつけ、彼らの皮革を加工して魔法がかりの防具が作られることがあった。  それなら仕留めていれば金になったのに、と、セリフィアは残念そうな顔をした。  3月20日。  何事もなく進んだ。街道は相変わらず、視界が広く、整備が行き届いていて歩くにもあまり苦痛を感じない。  夜、ヴァイオラはコミュニケーションスクロールに書き込んだ。 <明日、着く>  半刻ほどして、ロウニリス司祭から返事が返ってきた。 <了解。今のところ動きが取れない>  相変わらず苦労が耐えないようだ。  3月21日、夕刻。  何事もなく無事にフィルシムに到着した。  隊商のリーダーは約束通り、一人頭2gpずつを支払った。  2gpを手にするなり、セリフィアは「行くところがあるから」と言ってアルトの首根っこを掴み、皆と別れた。 「ど、どうしたんですか」  アルトは首根っこを掴まれたまま尋ねた。 「原材料を仕入れに行く」 「原材料…? あ、あれですか」  どうやらセリフィアは花の種のことを言っているらしかった。  アルトの案内で、セリフィアはエステラ嬢の家までやってきた。臆面もなく扉を開け、ずかずかと入り込んだ。新米なのだろう、可愛らしい丁稚が驚きつつもすぐに寄ってきて声をかけた。 「何のご用でしょうか?」 「エステラさんはいますか」 「エステラお嬢様は、ただいまお留守です」 「どこへいった?」 「あ、あの……」丁稚は慣れない手つきで帳面をめくり、「セロ村です」と答えた。 (何だって…!!)  セリフィアは鬼のような形相になった。丁稚は一歩後ずさった。 「あの、ミットルジュさんもですか?」  アルトが間に割って入った。 「は、はい、ミットルジュさんもお留守で……」 「預かってるものはっ!?」  セリフィアは丁稚に詰め寄った。丁稚はひぃと小さい悲鳴をあげた。アルトがまた間に入って聞き直した。 「済みませんが、エステラさんから、セリフィアさん宛てに預かっているものが何かありませんか?」 「いいえ、特にありません」 「そうですか……ありがとうございました」  アルトは丁寧に礼を言った。セリフィアの方は礼どころか挨拶すらせずに、乱暴に扉を開けて出ていった。 (約束したのに……!!)  冬眠を邪魔されたクマのように不機嫌な顔で、彼は町中を歩いた。道行く人びとは皆、彼を恐れて避けて通った。アルトはその後ろから、遅れないように小走りについていった。  他の面々は、まず「青龍」亭に入った。 「ラッキーはどうするの」 「私は、修道院に泊まっていいですか」  それを聞いてカインが申し出た。 「送っていこう」  ラクリマは「ありがとうございます」と言ってから、「先にトーラファンさんのお屋敷に寄ってもいいでしょうか」とカインに尋ねた。 「ああ、その魔術師のひとのところへ行くなら、私も一緒に行くよ。指輪のお礼もしたいしね」  ヴァイオラは荷物を降ろしてからラクリマの方を振り向いて言った。 「私は道場を見て来たいなぁ」  Gはトーラファンの館へは行きたくなく、かといって宿屋で留守番をしているのも嫌だったので、そう提案した。「青龍」亭まで歩いてくる途中、ウェポンマスタリーの道場で訓練中のエリオットたちを見かけたのだ。 「あっしも道場までついて行きやすよ」  ロッツの台詞で、全員、いったん宿を出払うことに決まった。不在のセリフィアとアルトには、だれがどこに行ったかを書き置きにして残した。  ラクリマとカインとヴァイオラの3人は、トーラファンの館を訪れた。道々、ラクリマは今日はトーラファンにブラスティングボタン---ユートピア教がよく使うボタン型爆弾---の実物を見せてもらえないか聞いてみるつもりだと告げた。  館の入り口にはいつものようにクリスタルスタチューのフィーファリカが現れた。フィーファリカはヴァイオラを見て「初めての方ですね」と言ったが、別に問題なく3人を応接間に通してくれた。 (ははぁ、これがラッキーのおかしな発言のモトか)  ヴァイオラはフィーファリカを見ながら思った。先だってスルフト村の宿で、ラクリマがゴーレムやクリスタルスタチューに話しかけ、「ここの方はお話しなさらないんですね」などという妙ちくりんな発言をしていたのを思い出したのだ。  トーラファンはすぐに現れた。 「元気だったか」 「はい、おかげさまで」  近況報告をするラクリマを見ながら、トーラファンはほんの少しだけ首を傾げたようだった。  ラクリマはそんなことには気づかず、他愛ないお喋りをしたり、トーラファンの話を聞こうと耳を傾けたりした。ここへ来た一番の理由は、実は彼の話し相手になることだったからだ。 (いろいろお世話になっておきながら、何も返すことができない。私は話し相手になるくらいしか能がないけれど、せめてそれだけでも……)  トーラファンは見た目と裏腹に話好きで、あっという間に1時間が経過してしまった。ヴァイオラはラクリマを横からつついた。あまり長居するわけにもいかない。 「トーラファンさん、ブラスティングボタンはお持ちでしょうか? もしあったら見せていただけませんか?」  トーラファンはフィーファリカに言いつけて、ブラスティングボタンを取って来させた。「これだ」と言ってラクリマに渡して見せた。  ラクリマはヴァイオラとカインにも見せた。そのブラスティングボタンはチョッキに取り付けられていて、一見しただけではただの赤いボタンとしか見えなかった。 「これ……本当はアルトにも見せた方がいいけど……」  ヴァイオラが呟いたのを聞いて、ラクリマはトーラファンに向き直って言った。 「あの、これ、ちょっとだけ貸していただけないでしょうか?」 「何のために?」  トーラファンはやや険しい表情になって聞き返してきた。 「アルトさんに、見た目を覚えていただきたいんです」 「アルトというのはあの……彼のことか。もしかしてロケートで使うためにか?」 「はい」 「それはいい案かもしれんな……」  トーラファンは少し考えてから、 「返してくれるということかな?」 と、ラクリマに尋ねた。ラクリマは「アルトさんに見せたらお返しします」と答えた。 「いいだろう」  トーラファンはそう言ってラクリマにブラスティングボタン付きのチョッキを貸し出した。 「そういえば、トーラファンさんは、アルトさんのお師匠様のこともご存じなんですか?」  ラクリマは突然思いついたことを質問した。 「彼の師匠の名は?」 「エクシヴ=ステップワゴンさんとお聞きしました」 「なるほど。知っている」  トーラファンはまさに得心がいったという顔をした。それからヴァイオラに向かって「君がこのパーティのリーダーか?」と訊いてきた。 「リーダー……なの?」  ヴァイオラはラクリマに訊いた。 「違うんですか?」  ラクリマはそう答え、ちょっと考えてからトーラファンに言った。 「リーダーというのはお嫌みたいですけど、いろいろなとりまとめ役はヴァイオラさんがやってくださっています」 「そうか。……君と少し話がしたいな」  ヴァイオラも、もう少しトーラファンに訊きたいことがあった。しかし、先日の件で懲りていたので、ラクリマを同席させない方がいいかもしれないと思い、 「ラッキー、そろそろ遅くなるから、修道院に帰った方がいいんじゃない?」 と、言い出した。ラクリマは素直に「そうですね。じゃあ私はお暇します」と言って立ち上がった。 「……彼女を送ったあとで戻ってきます」  ヴァイオラはトーラファンにそっと告げ、カインと二人でラクリマをパシエンス修道院まで送りに出ていった。 5■青春の木陰  セリフィアとアルトが「青龍」亭に戻ると、全員出かける旨が書かれた紙だけが残されていた。 「Gを迎えに行ってくる」 と、セリフィアが言うので、「ボクも一緒に行きますよ」とアルトもついて出た。  日が沈むまで、もう幾ばくもなかった。ウェポンマスタリーの訓練場に着いたところ、Gは立木の根もとで平和そうに眠っていた。その前に、彼女をじっと見つめる男がいるのに、セリフィアもアルトも気づいた。エリオットだった。  エリオットの方は二人には気づかず、Gを抱き上げた。Gはすやすやと寝ており、起きる気配もなかった。 「おい」  セリフィアはやや棘のある声でエリオットに呼びかけた。 「なんだ。お前らか」 「Gをどうするつもりだ」 「どうも。寝てしまっているから、ベッドに運んでやろうと思っただけだ」  だれのベッドに運ぶのかとは怖くて聞けなかったが、セリフィアは、 「世話を掛けた。あとは俺たちがやるから」 と、Gを引き取ろうとした。 「いや、せっかくだからこのまま送っていく。宿はどこだ」 「お前に言う必要はない」  セリフィアはけんもほろろに言い捨てたが、エリオットはこたえていなかった。 「どうせ『青龍』亭だろう。そこまで送ろう」  そう言って勝手に歩き出した。 「あ、よ、よろしくお願いします」 「お前に送られたくなんかない」  アルトとセリフィアは同時にばらばらな答を返した。セリフィアはアルトを睨んだ。エリオットは、 「疲れているようだから、私たちのスイートルームで休息させてやろう。我々の部屋は眺めがいいぞ。フィルシムが一望できる。お前らはどうせ2階どまりだろう?」 「余計なお世話だっ!!」  エリオットは一歩踏み出した。が、セリフィアは仁王立ちでその前にはだかった。彼はエリオットに向けて殺気を放った。そばではアルトがおろおろとことの成り行きを見守っている。 「Gから手を放せ」  セリフィアの威しに、エリオットは頭を巡らせた。こいつらは俺様より弱い。が、向こうは2人、こっちはひとりだ。しかも自分は今、両手が塞がっている(Gを抱いているから)。こんな状態で襲われたら、いくら俺様がすばらしい腕の持ち主でも危ういかもしれん。卑怯なテロリスト(複数)には勝てんな……… 「仕方ない」  エリオットは実に残念そうに、もとの木の根本にそっとGを横たえた。 「ん……」  Gが目を覚ました。彼女は、目の前にエリオットがいるので、少し吃驚した。 「…あれ?」 「よく寝ていたな」と言って、エリオットは微笑した。「G、私も『青龍』亭に泊まっているから、またいつでも話を聞きに来てくれ。」 「あ、ああ……」  セリフィアはエリオットに向けて、こっそりキャントリップを使った。「Twitch」といって、身体の一部がうずいて不快感を発生させる小魔法だ。 「んっ? んん?」  エリオットは怪訝な表情になり、そわそわと腕を動かしたあとで、「そ、それでは私はこれで失礼する」とようやく暇を告げた。  ぼんやり見送るGを後ろに、エリオットは去っていった。 「眠ってしまったらしいな……」  そう呟くGに、セリフィアは、 「G。今度から一人で出かけるのはやめてくれ」 「ロッツが一緒だったんだが、ギルドに行ってしまったんだ……どうかしたか?」 「今度またエリオットが何かしたら、自分を抑えていられる自信がない」  Gの目がすっと細められた。 「エリオットが何かしたのか…!?」 「Gさんを宿に運ぼうとしてくださってたんですよ」  アルトが割って入った。 「触ったのか……!?」  Gは兇悪な瞳になって訊いた。アルトは言葉に詰まった。 「とにかく、外で寝るのはやめてくれ」  セリフィアは強い口調で言った。Gがエリオットのそばであんなに無防備に眠っていたことが、彼には何より腹立たしくてならなかった。 (花の種は手に入らないし、今日は最低の日だ)  Gもセリフィアも、すこぶる不機嫌なようすを、まるで隠さずに歩いた。兇悪なクマが1頭から2頭に増えたようで、アルトはさらにおろおろしながら二人のあとについて宿へ帰った。  その後、2時間ほどしてカインがひとりで帰ってきた。すでに日は暮れきっていた。アルトはカインに尋ねた。 「ヴァイオラさんはどうしたんですか?」 「トーラファンさんと話をしている。あとで迎えに来てくれとのことだった」 「あとでって、何時頃だ?」  セリフィアが尋ねた。 「さあ、そこまでは聞かなかった」  言いながらカインは、トーラファンが相手ではゆうに2時間はかかるのではないかと思った。 「遅くなったらみんなで迎えに行けばいいじゃないか」  Gの提案が採用され、4人はしばらく宿で待機することにした。  話題の人、ヴァイオラは、トーラファンと差し向かいで話をしていた。 「さて。何をどこまで知っているのかな」 「よく知りませんが、あなたが昔『ヌル・スタッフ』にいたことは知ってます」  ヴァイオラはGの夢から得た知識を披露した。 「その名前は口にしない方がいい」 「そのようですね……ですが、それが何であるかも私は知らないのです」 「ラストンの非合法組織だ。要人暗殺など、裏向きのことをやっていた。現在はないし、そのことを知っている人間もほとんどいない。そもそも存在しないということで、虚無 null といわれた」  トーラファンは全く悪びれた様子もなく言ってのけた。ヴァイオラは尋ねた。 「結局、クロム=ロンダートという人間は、どこまで酷いことができる人間なんですか?」 「彼はラストンの平均的な魔術師だ」  そう言われてもヴァイオラにはすぐにピンとはこなかった。トーラファンはお構いなしに続けた。 「フィルシムやガラナークでは理解されないだろうな。私は、同意はしないが理解はできる」  ヴァイオラは質問を少し変えた。 「少なくともあなたはうちのちびが---アルトのことですけど、クロムの転生体だとすぐにわかりましたよね。何故なんですか?」 「魔力の質かな」と、トーラファンは答えた。 「魔力の質?」 「人間、だれしも雰囲気というものを持っている。容貌や声、そういったかたちとして表される以外の何かというか……。それが知り合いのものに非常によく似ていた。さっきのラクリマの発言で、決定的になった」 「……クロムであることは確定、ですか」  ヴァイオラは淡々と口にしたが、あまりいい気分ではなかった。 「そのクロムですが、あなたがあの指輪を与えるほど邪悪なんですか?」  トーラファンはそれに答えて言った。 「だいたい『神を超える』だの『人間を作る』だのというのは、道義的にどうかと思うが?」  「人間を作る」という発言が出たところで、ヴァイオラはまた尋ねた。 「それで、その雰囲気とやらでラクリマのことも見破ったんですか」  ラクリマからは話を聞いていなかったが、彼女の出生にトーラファンも関わっているらしいことは、彼女がこの男に聖章を直してもらったり、自分用のプロテクションリングをもらってきたりしたことで、予測が付いていた。  トーラファンはあっさりと言った。 「彼女の出生のことは、ハーヴェイから聞いている。修道院に預けたのは、普通の人間として育ってほしかったからだ。実際、それは成功した。ここで育てたら、あんなふうに人間らしくはならなかっただろうからな」  トーラファンは、そう満足げに語った。  ヴァイオラはショーテスにあったという施設のことについても尋ねた。 「あの施設では、クロムの集めた子どもたちを育てていたらしい。クロムは『神殺し』の血筋を持つ者を集めようとしていた。『神殺し』は22人、必要だった。それで集められなかった分を作ろうとしたのだな」  狂ってる、と、ヴァイオラは思った。 「世界に何度か神は降臨しているが」と、トーラファンは語った。「神」とは「エオリス」ではなく月の女神---ガラナークの教義では邪神---「リムリス」のことのようだった。「いずれも人間によって退けられている。そのときどきに神を退けてきた人間の血筋を、『神殺し』として集めようとしていたのだろう」 「神を殺して何をしたかったんですか」 「新しい世界を作りたいと言っていたな」 「リムリス神を殺しても、この世界を司っているのはエオリス神なんだから、しょうがないでしょうに」  ヴァイオラは幾分、呆れたように言った。トーラファンはそれを見て、「そうだな」と言葉を濁したようだった。 「……どうして」と、ヴァイオラは最前から感じていた疑問を口にした。「なぜそんな連中ばかりうちのパーティに……」 「どういう経緯で集まったのかね?」  トーラファンに訊かれ、ヴァイオラはいささか逡巡したあとで、「もとは御神託でした。あとは二、三人、途中で拾っているんですが」と答えた。 「それは無意識か、神託によって集められた可能性がある」  トーラファンは言いながらヴァイオラをじっと見つめた。が、彼女が全く普通の人間であることを認めて言った。 「君は代理かね?」 「は? あ、いえ、私は厄介払いで選ばれたのです」  ヴァイオラは即答した。クダヒの神殿の神殿長に呼ばれたときのことをちょっとだけ思い出した。 「ふむ…? だれか他の者が行くはずだったかもしれん」 「それがどうして私が……」 「それも運命だろう。だがそのせいで女神の織り糸に狂いが生じているかもしれんな……」 「私は運命はキライです」  ヴァイオラはきっぱりと言い捨てた。 「では『神の御意志』と言おうか?」  トーラファンは面白そうに言い換えた。 「神の意志もキライです」  再びきっぱりと言い捨てるヴァイオラを見て、トーラファンは「よい心がけだ」と彼女を誉めた。 「獣人族の問題は何か、ご存じですか」  ヴァイオラは質問を180度転換させた。 「滅びの一途を辿っていることだろう」と、トーラファンは答えて言った。「子供が生まれないのだ。」  それは大ごとだ、と、ヴァイオラも思った。 「大元は、魔力が減退期に入ったのが原因だ。神を降臨させるのに、魔力を使いすぎた。クロムは減退期を脱したと発表したが、実はそうではなかった。前の神の降臨以来、彼らには子どもが生まれていないはずだ」 「でも、今、月の魔力は増えていませんか? 満月になると魔力が……」  ヴァイオラを遮ってトーラファンは断言した。 「毒だな、あれは。だいたいあれはミーア=エイストが無理矢理に引き出したものだったし、魔力が強まったのは、1月の満月のとき、一回きりだったはずだ」 「ではショーテスの魔力のカーテンを取り払っても……関係ないのか……」  トーラファンは少し黙ったあとで、また口を開いた。彼は一気に喋った。 「ただ、この危機的状況を獣人族が総意として放っておくかどうかは、疑問だ。ショーテスのカーテンを取り払うよりも、もっと劇的なことをする可能性もある」 「……もっと劇的なこと?」 「たとえば、人間を全滅させるとか、な」 「そんなことが可能なんですか!?」 「獣人が全員で本気を出せば、可能だろうな」  ヴァイオラが黙っていると、トーラファンはさらに言った。 「君は獣人に会ったことがあるか?」 「虎と狼ならときどき……」 「もし彼らと戦ったことがあるなら、それは眠った状態の者と戦っていたと考えてくれ。本当の彼らの力は、そんなものではないのだ」  トーラファンは今までと変わらず、飄々と語っていたが、面差しは今までよりも幾らか真剣に見えた。  ヴァイオラは獣人の問題を頭にたたき込んだあと、以前、アルトに見せた巻物の写しをトーラファンに差し出した。それは「青龍」亭で、さらに半分に割いてあった。 「これは何かおわかりですか」  トーラファンは羊皮紙をじっと見つめ、おもむろに言った。 「これは二枚……三枚か? いや、やはり二枚でひと組のものだな」 (なぜそんなことがわかるんだ!?)  心の叫びが顔に表れていたのだろう、トーラファンは、 「まあ、君にもわかりやすくいうならばだな、『extinct』のうちの『e_ti__t』しかこちらには書かれていなくて、もう1枚の『_x__nc_』と合わせて初めて言葉になるようになっている。実際にはちょっと違うのだが、だいたいそんな仕組みだと思ってもらえばよかろう」  ヴァイオラは動揺を押し隠しながらさらに尋ねた。 「これは何ですか?」 「これだけじゃわからん。」トーラファンはにべもなく言った。それでも彼は親切に、「何かの起動スイッチのようだ。言い回しからするとサーランド時代のものだろうな」と、教えてくれた。 「興味があるなぁ。もっと見せてくれないか。まだあるんだろう?」 「ええ、おそらくはまだあるんでしょうね」  ヴァイオラはトーラファンに尻尾を掴ませないようにさらりとかわした。 「……隠したいならしょうがない。………もうひとりのおばあさんにも気をつけてあげることだ」 (!! こいつ、ESPの魔法で心を読んだな!!)  ヴァイオラは今度は動揺を隠せなかった。ドスの利いた声で彼女は言った。 「おわかりなら仕方ありません。裏切らないでくださいよ」 「まぁ、これが本当で、効力を発揮するのであれば、欲しがる者は引く手あまただろう。特に魔術師には毒だ。うまく隠し通すことだな」  ヴァイオラはそのあと、巷を騒がせているユートピア教のことと、先日出会ったアラファナという怪しい少女のことを尋ねた。が、ユートピア教については「バックに何者かがいるのだろう」ということぐらいしか聞けなかった。「ああいうことはラストンの人間がやりそうだが、ラストンはあのありさまだしな……」アラファナについては、トーラファンは思い当たる節がないようだった。 6■焼失 「頭の中がパンクしそうなので、もう帰ります」  ヴァイオラはそう言ってトーラファンに暇を告げた。 「そうか、ではフィーファリカに送らせよう」  ローブにすっぽり身を包んだフィーファリカと一緒に、ヴァイオラは魔術師の館を出た。出てすぐのところで、彼女を迎えに来た仲間たちとばったり出会った。フィーファリカはそこでUターンして帰った。  「青龍」亭に帰り着くと、意外な客が待っていた。ドルトンだった。ドルトンはあからさまにイライラしながら待っていたが、ヴァイオラが入っていくなり寄ってきて、「護衛を頼みたい。引き受けろ」と高飛車に依頼してきた。 「は?」 「危険度があがっているので、君たちに護衛を頼むと言っているんだ。一人10gp、食糧はセロ村から支給されているだろうから、出さん。いいな」  ヴァイオラはすぐさま応じて、 「でもね、ドルトンさん。私たち、セロ村でも値上げ交渉中なんですよ。一人10gpというのはね……」  ドルトンは後ろについてきていた仲間を振り返り、「相場は幾らだ」と尋ねた。「普通の相場だと、そいつらのレベルならひと月で一人あたま250gpだろう」と、従兄弟で魔術師のガルトンが答えた。 「それはとても無理だ」  ここでGが話に割って入った。 「なぁ、ヴァーさん、これだけ頭を下げているんだから、一緒に行ってやってもいいんじゃないか?」  ヴァイオラは、 「もちろん、あなた方はセロ村にとって重要な人間だから、相場よりお安くしますよ。こうしてはいかがです。パーティ全体で100gpということで」 「だめだ、アシが出る」 「……物資を少しお分けしますよ。それを補充すればいいでしょう」 「物資? どこにそんなものが?」  ヴァイオラは、小魔術(キャントリップ)で生成するはちみつのことを考えていた。ドルトンたちは商人なのだから、渡せば商売のタネにするだろう。その分の差益を自分たちの報酬に充ててもらえばいい。 「明日、お見せしますよ」  今、この場で見せるわけにもいかないので、ヴァイオラはそう応えた。 「……いいだろう。出発は26日だ」  一同は思った。(そんなにあとなのか?) 「もう少し前にずらした方がいいですよ」  ヴァイオラは一同を代表して意見した。 「それはできない。セロ村との約束があるし、月の運行を見て一番安全な日を選んであるんだ」 「ですが、先日、セロ村付近でロビィたちがハイブに連れ去られたのを覚えているでしょう。ロビィの記憶から、あなた方の隊商のスケジュールもハイブには知られています。全く同じ日取りにすると、待ち伏せされる可能性があるんですよ」  ドルトンは少し青ざめた。 「わかった。日にちのことは計算してから返答しよう。明日、また来る。その『物資』とやらも見せてくれるんだろう」  そう言って、彼は踵を返した。 「あ、ドルトンさん」  ヴァイオラは彼の背中から追いかけるようにして尋ねた。 「どうしてうちのパーティなんですか? 他のパーティには断られたんですか?」 「いろんな事情があって、君たちが最適と判断したんだ」  ドルトンはそれだけ言い捨て、宿を出ていった。 「さて、ご飯にしようか」  ロッツもちょうど帰ってきたので、一同は「青龍」亭の一階で食卓を囲んだ。 「ラクリマさんは?」  Gの質問に答えてカインは言った。 「彼女は修道院だ」 「一緒に夕飯を食べないのか…?」  Gは少し寂しそうに言って、平たく切られた芋の焦げ目をわびしげにつついた。 「あ、ロッツさん、お願いがあるんですが……」  アルトはロッツにそっと話しかけた。 「ロフという占い師のことを、もしできれば調べていただけませんか?」  そう言って、情報料を前もって渡した。  ヴァイオラもロッツに頼みごとをした。 「ジールという娘の消息を、できたら調べておいて」 「合点でさ」  彼女はいつものように、ロッツに100gp相当の宝石を一つ渡した。他に何事もなく、夜は更けていった。  ラクリマが修道院に帰ったとき、クレマン院長はちょうど外出の準備をしているところだった。 「どちらかへお出かけですか?」  ラクリマが尋ねると、クレマンは中小規模の修道院院長の寄り合いに出かけるのだと答えた。 「………」  ラクリマは何やらもの言いたげにしていたが、そのまま言葉を呑み込んでしまった。クレマンはそれには気づかず、「あとを頼みましたよ」と出ていった。 「お帰り。ずいぶんさっぱりしたね」  サラがラクリマに気づいて言った。さっぱり、というのは髪の毛のことらしい。 「ただいま帰りました。今そこで院長様が出かけられるのにお会いしました」 「ああ、寄り合いで遅くなるから先に寝ていてくれって」 「……ラグナーさんはもうお休みなんですか?」 「ラグナーは出かけてる」  サラの夫ラグナーは、戦士であり、セリフィアの父ルギアの親友でもあった。 「どちらへ?」 「食糧が高騰してるの、知ってる? うちもやりくりが大変で……彼、稼ぐために、冒険に出てくれているんだ。もう少しの間、帰ってこないだろうね」 「そうですか……寂しいですね……」  サラはふっと笑ってラクリマの腕を軽く叩いた。 「そんな心配しないの。疲れてるでしょう、夕飯を食べてゆっくり休みなさい」 「はい」  やはりここへ帰ってくるとホッとする……ラクリマは安堵感を胸に、自分の部屋へ荷物を置きに行った。  夜半、クレマン院長が帰ってきた。少し酔っているようだった。 「いつまで経っても終わりそうにないので、切り上げて帰ってきました」 と、彼は言った。 「もう夜も遅い。君も休んだ方がいい」  院長の言葉に従い、ラクリマは眠りについた。  何かの音がしていた。  それから匂い。熱気。  息苦しさで、ラクリマは半分目を開けた。赤い。  自分が何を目にしているのか、最初はわからなかった。その赤は、扉と反対側の窓の外にあった。炎だった。 (………!!)  ラクリマは目を覚ました。火の手が上がっていた。 「た、たいへん…!」  そのへんに置いた荷物を掴み、僧坊を出た。他の人を起こさなければと思って見回すと、両隣の住人と目があった。皆、ちょうど部屋から出てきたところだった。 「早く! こっちへ!」  下のテラスでだれかが叫んでいた。 「ラクリマ、こっちだ」  いきなり横から腕をがっしり掴まれた。修道院に居候しているナフタリの声だった。「こっちから降りよう!」彼はラクリマの頭越しに向こうにいる人びとにも叫んで伝えた。2階の住人たちは、火の手のまだ弱い階段を選び、急いで降りた。  下では、サラが子どもたちを集め、安全なところへ移動させていた。その背後では礼拝堂が音を立てて燃えゆくさまを見せていた。炎は大蛇の舌のように、自在に蠢いていた。 「君たちも無事か、よかった」  今しがた、大部屋から子どもを二人抱えて出てきた院長が、ラクリマたちに声をかけた。  僧坊、食堂、貯蔵庫、古式浴場、礼拝堂のいずれもが、止めようもないほどよく燃えていた。炎は勢い余って天までなめつくすかに見えた。火の赤が暗い夜空に照り映え、煙さえなければまるで昼のような明るさだった。 「これで全員か」 「ええ、みんな無事です。よかった」  院長とサラが交わす言葉を耳にしながら、ラクリマはこの事態がおそらく自分の所為であることを感じ取っていた。まさか……ユートピア教が……。 「院長様」  ラクリマはクレマンに寄って行った。泣くまいとしても涙を留められなかった。 「ごめんなさい……私……私のせいで、こんな……」 「気にすることはない」  クレマンは落ち着いた声でラクリマの涙を引き取った。 「こういうこともあります。君が気に病むことはない」  そうは言われても責任を感じずにはいられなかった。クレマンや代代の院長たち、それに多くの神官たちがこれまでここで作り上げてきたもろもろはすべて否定され、うち壊された気がした。しかも自分がそのきっかけとなってしまったのだ。  このころになると、近隣から人びとが集まってきていた。  ふと、彼女は視線を感じた。人びとの中に混じって、鋭い視線を投げる4つの存在があった。しばらくねっとりとこの身にまとわりつくような視線を投げかけてきていたが、やがて貧民街の方向へ去っていった。  ラクリマは思わず身体をそちらへ動かした。と、肩に手がかかった。院長だった。 「気づいたのですか。追わない方がいい。彼らはわざと自分たちの存在を知らせていた。君が一人で追っても、危険なだけです」  クレマンも敵の視線に気づいていた。それに気づいてから今まで、彼はずっと気を張りつめていたようだった。  火消しの一団が到着した。建物を壊して炎の沈静化をはかる彼らの横で、ラクリマは子どもの面倒を見たり、瓦礫をどけるのを手伝ったりと、夜を徹して働いた。鎮火には一晩かかった。暖を取る焚き火も暗闇を照らす灯りも必要ないほど、修道院はよく燃えた。 7■手配  3月22日。  一同が「青龍」亭で朝食を取っていると、警備隊隊長のルブトン=フレージュが入ってきた。 「おう、いたいた。お前らが戻ってきたって聞いてな」  ルブトンは気さくに声をかけ、すぐそばの席に腰を下ろした。 「その後、アレがらみの情報はないか?」  ルブトンの「アレ」とは「ユートピア教」のことらしかった。ヴァイオラは彼に答えて言った。 「ないねぇ。とりあえずスルフト村でコアをひとつ潰したけど」 「そうか……」 「そっちこそ、どうなの?」 「下っ端は何人か捕まえたんだが、大物がいつの間にか消えちまってな。エドウィナも最近見ないし……」 「ああ、エドウィナは倒しちゃった」  ヴァイオラは素っ気なく言ってのけた。 「倒した!?」 「隊商の護衛中に『兄さんを助けてくれなかった』とかなんとか因縁つけて襲ってきたから。街道脇に埋めてあるよ」 「……道理で見ないわけだ。そうだったか」  ルブトンはそう言って暫し考え込んだようだった。やがて再び口を開いて、 「実はな、フィルシムでもアレがらみの事件は最近減ってきてるんだ。それよりも食糧事情の悪化が問題になっていて、俺もアレがらみの担当を外されそうなんだ。ここで捜査を縮小するのはヤバイと思うんだが、何しろなりを潜めちまってるもんでなぁ……」  ヴァイオラはそれに対して、 「まぁ、すっかり居なくなってるわけじゃないと思うけど、次の活動の中心地はクダヒみたいだからね」 とだけ、伝えておいた。 「そうか……お前らが何か情報を掴んでいれば、それを使って捜査縮小を止めようと思っていたんだが」  ルブトンは心から残念そうに口にした。 「ところでお前ら、パシエンス修道院に知り合いがいたよな?」 「パシエンスがどうかしたか」  セリフィアが割って入った。 「言い忘れてたが、昨晩火事で全焼したぞ」 「早く言えっ!!」「なんでそれを先に言わないんだっ!!」  Gとカインの二重唱に、ルブトンは思わず身を引いた。ヴァイオラは猛スピードで食べだした。セリフィアは食事もそこそこに立とうとしたが、「ちゃんと食べないともったいないし、食べておかないといざってときに力も出ないよ」とヴァイオラに諭されて、やはり早食いを始めた。アルトは「だ、大丈夫でしょうか、ラクリマさん」と、おろおろしながら、見た目とは裏腹に手早く食事を終えた。  ルブトンが呆れかえって見守る中、一同は5分で食事を終え、修道院に駆けつける仕度を整えた。  日の光が目に痛かった。  いつもだったら朝食もとっくに済んでいる時間だった。やっと最後の火が消え、火消しの一団は睡眠を取るためにおのおのの家へ帰っていった。 「ラクリマ、顔がまっくろだ」  起き出してきたアシェルが彼女にまとわりつきながら言った。確かにそうだろう、手も顔も、黒く煤けていた。だれもきれいな顔のままでなどいられなかった。 「アシェルも鼻の頭が黒くなってますよ、ほらここ」  ラクリマは笑顔をつくって返した。 「ラクリマ、手も見せてみろよ。うっわ、まっくろ!!」  別の子どもがそう言って囃した。ラクリマは彼にも笑顔を向けたあと、眠い目をあちらに向けた。  向こうではサラとクレマン院長とが、今後のことを相談しているようだった。彼らも彼女と同じく一睡もしていないはずだが、どこにそんな力があるのか、一向に眠そうな気配を見せていなかった。 (これからどうなるんだろう……) 「おなかすいたな〜」「腹減った〜」  子どもたちの食事をねだる声が聞こえてきたが、ラクリマは上の空だった。もはや起きているだけで精一杯だった。彼女を見限って、アシェルは「サラねえちゃん〜、朝ご飯はぁ?」と向こうへ駆けていってしまった。 「ラクリマさん、これ…」  後ろから声がかかって、ラクリマは立ち上がりつつ振り向いた。半年くらい前から修道院で起居している女性が、手斧(ちょうな)を持って立っていた。 「どうしたんですか、それ?」 「あそこに落ちてたんですけど……」 「さっき、火を消すのに使ったんでしょうか」 「そうかもしれません。どうしましょう、置いておくと子どもがさわって危ないですよね?」 「そうですね…。だれかあとで取りに来ると思うので、院長様に---」 「ラクリマさん!」  別の声が彼女を呼んだ。振り返った先に、仲間たちの姿があった。Gが真っ先に駆け寄ってきた。 「ラクリマさん、大丈夫ですか!?」  ラクリマは笑顔を浮かべた。そのままぐらりとGの方に倒れ込んだ。 「ラクリマさん!?」  ヴァイオラはすぐに彼女の様子を見て言った。 「ああ、大丈夫。寝てるだけだよ。……寝かせておきたいけど、いいのかな」 「構いませんよ」  いつの間にかすぐそばにサラが来ていた。簡単な挨拶のあとで、彼女も意識を失ったラクリマを診て、 「このまましばらく寝かせておきましょう。昨日は夜通し手伝わせてしまったから。すみませんが、向こうに運んでやってくださいますか。あそこなら、今、日が当たらないから」  そう言って、向こうの塀ぎわを指さした。カインはGの方へ腕を差し出し、 「代わろう」 と、ラクリマの身体を抱え上げた。「こちらへ」というサラのあとについて、彼女を運んだ。サラは小石を二つ三つ取り除けて、「ここなら何も当たらないだろうから…」と、彼女を横たえられる場所を指示した。建物はすべて焼け落ちており、「屋根」であるとか「室内」であるとかいったものは、今、ここには全く無かった。柔らかい草の絨毯すらなく、カインは遠慮がちに焦土の上に彼女の身を置いた。  向こうから呼び声がして、サラは「ちょっと失礼しますね」と断り、声の主の方へ去った。声の大きな、太めの中年女性との話が聞こえてきた。「子どもたちのご飯を用意したからさ。5人はひとまずうちで預かるよ。」「いつもありがとう。助かります。」「ビルハもすぐに戻ってくるからさ。あんたも適当に寝るか食べるかしないと、身体に障るよ。」「ええ、そうします。」 (ご飯も食べてないなんて……)  アルトは気の毒に思って、お腹を空かせた子どもたちの八つ当たりを甘んじて引き受けた。  修道院の敷地を調べて回っていたロッツが、ヴァイオラに報告しに戻ってきた。 「これは入念な火付けですね。見事なくらい、何も残ってませんや」 「やっぱりね」 「姐さん、あっしはこれからギルドへ行ってきやす。お嬢をお手伝いできないのは心苦しいですが……」 「頼んだよ。こっちのことは任せて」  ヴァイオラにぽんと肩を叩かれて、ロッツは去っていった。ヴァイオラはぐるりとそこらを見渡し、修道院の院長の姿を見つけると彼の方へ歩いていった。クレマン院長は、集まってきた近在の住人たちや信者の人びとと言葉を交わしているところだった。 「最近は食べ物が手に入らないから」「みんな心が荒んでるよねぇ」「こんな罰当たりなことをして、『すっきりした』なんて笑って見てるヤツがいるかと思うと腹立たしいよ」  人びとのそんな慰めや不満を、クレマンは穏やかにいちいち聞き届けていた。  ヴァイオラが挨拶すると、彼は周りの人びとに断りを言って、彼女のそばへやってきた。ヴァイオラは悔やみを述べたあとで、 「おそらくこの火事はユートピア教がらみでしょう」 と、明言した。クレマンは苦笑しながら、 「考えないようにしていたのですが」 と、言った。 「ところで、これからどちらに身を寄せられるおつもりですか?」 「まだ決まっていませんが、他の神殿に協力を仰ぐことになるでしょう」  ヴァイオラはここで提案を述べた。 「及ばずながら、皆さんの身を寄せるところについて、私はこれからトーラファンさんに相談に行こうかと思っているのですが…」 「ああ…!」  クレマンは得たりという表情になった。 「トーラファンか。……考えていなかったが、それはいいかもしれないな。あの館は無意味に広いし」  ヴァイオラは「そうですね」と笑った。  「サラ」と、クレマンはサラを呼んで言った。「私はこれから友人のトーラファンのところへ行ってくる。あとを頼む。」「お気をつけて。」  それからヴァイオラを振り返って、「よろしければ一緒に行きますか」と微笑んだ。ヴァイオラはヴァイオラで、セリフィアとGとアルトに魔術師の館へ行くことを告げ、クレマンと並んで修道院をあとにした。 「クレマン、久しぶりだな」  応接室に現れたトーラファンはそう挨拶してから、クレマンの煤けた顔を見て、 「しばらく見ないうちに男前になったな」 「もとからだ」 「修道院で何かあったのか?」 「火事で全焼した」 「ああ、そういえば昨日、赤かったな」 と、二人とも、これまでのイメージを覆すような話しぶりを展開した。ヴァイオラの存在はすでに有って無きがごとしだった。 「で? 今日は何の用だ?」 「ここを仮住まいとして貸してほしい」 「ふむ……見返りは?」 「見返りは、そうだな……」クレマンは考え考え、言葉を継いだ。「掃除洗濯……料理…は、彼女がやってるのか、それから蔵書の整理…どうせ手入れしてないんだろう? あとは……仕方ない、大盤振る舞いで、研究の手伝いもつけるので、どうだ?」 「やっとその気になってくれたか!」  トーラファンは子どものようにはしゃいだ。 「いやぁ、助かる! お前が手伝ってくれれば話が早い!」  クレマンは苦笑した。 「俺もそんなに暇なわけじゃないんだぞ。机の前にふんぞり返っているだけが院長なら、やりはしないさ」 「ああ、知ってる」 「お前の手伝いはとにかく時間が取られるから避けていたんだが……こうなってはやむを得まいな」 「そういうことだ。館は好きなように使ってくれ」  交渉は成立したらしかった。 「ああ、そういえば」 と、トーラファンがまた口を開いた。 「ガラナークが、今回のユートピア教騒動をきっかけに、邪教の神殿を潰しにかかってるぞ。お前のところは大丈夫か?」  クレマンはトーラファンに聞き返した。 「今のガラナークにそんな国力があるのか?」 「国力がないから他で何かやろうとするんじゃないか」 「ああ、表面だけ箔をつけようということだな」  二人のやりとりを聞きながら、ヴァイオラは(そうそう、わかるわかる、無能な奴ほどそういうくだらないことをやるもんだよね)と心の中で肯いていた。特に考えたことはなかったが、どうやらパシエンス修道院は異端に属するらしい。フィルシムではさほど目立たなくても、ガラナークからすれば「邪教」扱いされるのは目に見えていた。クレマンの声がふたたび耳に入った。 「まぁ、それは何とかしてくれるんだろう?」 「この館にいる間は、な」  朝食の提供を引き受けてくれた信者の家に子どもたちを送り出したあとで、サラはいったんどこかに腰掛けて休もうと、瓦礫の中を歩いた。やるべきことは一通りやった。あとは院長が戻られるのを待ってからだ。  何気なく入ったそこは、もとは礼拝堂だった。天井の瓦がすべて落ち、青空ばかりが目に飛び込んできた。  堂内の椅子は木製だったので、すべて焼けてなくなっていた。後陣に入る手前には、貧乏な修道院には珍しく、継ぎ目のない高価な大理石の柱があり、この二本だけがにょきにょきと元気に天を衝いていた。後陣の基壇に彼女は腰掛けた。頬杖をついてあたりを見回した。礼拝堂の壁や天井を飾っていた美しいフレスコ画は無惨に焼け落ちていた。残った部分も、あるものは黒く煤け、またあるものは炎に赤く染まって、以前の美しさは見る影もなかった。 「あの、サラ、さん」  サラが振り返ると、ラクリマの仲間である娘が立っていた。ここのフレスコ画を気に入って見入っていた子だな、と、サラは立ち上がりながら思い出した。自分のせいではないが、壁画を守れなかったことを彼女に対して済まないように思った。 「はい、何でしょう?」 「あの……これ……寄付します」  白髪紅瞳の娘---Gは、半分泣きそうな顔で、きれいな袋を差し出した。サラは受け取って中身を確かめた。ガーネットが7個入っている。彼らのパーティの総意なのだろう、と、彼女は理解した。サラは微笑んでその好意を有り難く受けた。 「ありがとう。とても助かります」  実を言えば、この宝石類---全部で700gp相当になる---は、Gが自分だけで出したものだった。Gはまだ泣き出しそうな顔で、 「こんなことになるなんて…」 と、呟くように言った。 「大丈夫ですよ。大丈夫だから、そんなに心配しないで」  この火事が、ラクリマたちが敵対している(らしい)ユートピア教の仕業であろうことは、サラもわかっていた。だがその原因を作った彼女たちを責める気は毛頭無かった。サラはGの手を取って、 「本当にありがとう」 と、繰り返し礼を述べ、彼女を慰めようとした。Gは、頭を下げてその場を去った。  次にやってきたのはセリフィアだった。 「サラさん」  彼は真剣な面もちで、袋を突きだした。 「これ、使ってください」  サラはとりあえず袋を手にして、内容を確かめた。金貨が100枚くらい入っているようだ。  彼女が何か言うより前に、セリフィアは喋りだした。 「子どもたちの食費にしてください。あと、修道院に畑はありますか?」 「え? ええ、ありますが」 「俺、ラストン育ちなので、小さい魔法が使えるんです。ちょっとなら、イモとか食べるものを1日で収穫までできると思います。魔法はお嫌かもしれませんが、よかったら食物の生産にも協力させてください」 「ありがとう、セリフィアさん」  サラは笑顔で応えた。が、金貨の入った袋は、彼の手に戻した。 「寄進は、先ほどお仲間の方から十分にいただきました。これはあなたが自分たちのために役立ててください。物価が高騰しているのはご存じでしょう? あなたたちにはあなたたちでやらねばならないことがあるはずです」 「でも、俺、ここのみんなの力になりたいんです」 「その気持ちだけで十分ですよ」  サラはそう言ったが、セリフィアが納得行かないような顔をしているので、 「それよりも、その魔法で食べ物を育てる方に協力していただけますか? お金も助かりますが、畑の話は本当にありがたいことですから」 と、依頼した。  セリフィアはパッと表情を明るくして、「仲間と相談してやります。あんまりたくさんはできないんですが、畑ってどこにあるんですか?」 「畑は、広いものはここからしばらく歩かないとありませんが」 「あまり広くなくていいんです。近くでは?」 「この敷地内にも小さい菜園がありました」と、サラは今の様子を思い出しながら言った。確か、生えていた作物がすっかり焼けてなくなっていただけでなく、塀ぎわだったので、石積みの石が落ちてきて、すぐには使えない状態になっていたはずだ。  そのことをセリフィアに伝えたが、セリフィアはそこで構わないと答えた。サラは菜園だった西南の角地を使ってくれるように伝えた。セリフィアは「今日は無理かもしれないけど、明日には…」と、勇んで去っていった。 「……よかったね。いい仲間で」  サラは呟いた。ラクリマに向けた言葉だった。  彼女はもう一度、基壇に座った。もう少しだけ休みたい。 「ごめんね、寝かせてあげられなくて。もうちょっと頑張って」  ふと、彼女は自分のお腹に---お腹の中の子どもに話しかけた。この子が生まれてくるころには、ここに戻れるといい。またみんなの帰れる場所を作ろう。  しばらくして、向こうからざわめきが聞こえてきた。彼女は立ち上がった。扉のない礼拝堂を出ると、院長が戻ってきているのが見えた。表情からして話がうまくついたらしい。また忙しくなりそうだ。 「ラクリマさんを起こしてきますね〜」  Gが駆けてゆくのが見えた。その先には、死んだように眠るラクリマと、そばで番をするカインの姿があった。ひとときひとときが、善意の積み重なりのようだった。それを祝福するように、太陽は惜しみなく焼け跡に光を降らせていた。