[shortland VIII-06] ■SL8・第6話「訣別」■ 〜目次〜 1■弔い 2■話の話 3■魔剣 4■菜の花 5■道中難あり 6■語らい 7■転生 8■長い訣(わか)れ 9■曇天 <主な登場人物> 【PC】 ヴァイオラ‥‥僧侶・女・20才。瞳は菫青石(アイオライト)の青紫色。 ラクリマ‥‥僧侶・女・17才。瞳は金緑石(クリソベリル)の淡黄緑色。 G‥‥戦士・女・17才。瞳は紅玉(ルビー)の紅。 セリフィア‥‥戦士・男・17才。瞳は琥珀(アンバー)の褐色。 カイン‥‥戦士・男・15才。瞳は翠玉(エメラルド)の緑。 アルト‥‥魔法使い・男・15才。瞳は青宝玉(サファイア)の青。 【NPC】 ロッツ‥‥ストリートキッドあがりの働き者の盗賊。パーティに参入、日がな駆け回る。 レスター(レスタト)‥‥僧侶・男・享年15才。故人にして未だ忘れられざるPCのくびき。 ヘルモーク‥‥セロ村在住の虎族の獣人。年齢不詳(見た目40歳代)。 ガルモート‥‥故・村長の長男。レベルアップして帰ってきたかに見えるが本質はただの乱暴者。 ブリジッタ‥‥故・村長の次女。冒険者と駆け落ちして勘当されていたが、一応村長候補の一人に。 ベルモート‥‥故・村長の次男。決断力0の村長候補者。 バーナード‥‥ブリジッタの夫で無口な高レベル冒険者。パーティリーダーを務める。 エリオット‥‥ガラナークの冒険者パーティのリーダー。「俺正義」パワーの持ち主。Gに気がある? キャスリーン婆さん‥‥セロ村在住の老婆。村唯一の薬剤師で、陰の実力者。 ロウニリス‥‥フィルシム神殿のトップ。大司祭代理の苦労人。 ジェラルディン‥‥カインの昔の冒険仲間で恋人。ラクリマにそっくりらしい。 1■弔い  聖堂は鎮魂の響きで満たされ、哀しみがその場を覆った。    永遠の安息を死者に与え、    絶えざる光を彼らのうえに照らし給え    私の祈りをきき給え    総て肉体を具えたる者は御許へ向かわん    主よ、彼らにとこしえの安息を与え給え  彼女はいつものようにひっそりと、涙ながらに唱した。  どれだけこうして送ってきただろう。送られるのは肉体を離れた魂。それはこの世の理である。だが当たり前でありながらそのなんと哀しいことか。ましてや今は……    ++++++++++++++++++++++++++++++  2月28日。  日々のうちに春の息吹が感じられるようになっていた。朝晩は冷え込むが、日中は晴れれば温かさを身に感じるし、霜柱を踏む回数も減ってきたようだった。残り少ない霜柱をだれが踏むか、子どもたちの競争が見られることもあった。  今日は特に風もなく、いい天気だった。村長の葬儀は好天気のもと、セロ村をあげて大々的に行われた。喪主は決めずに「村葬」というかたちをとったが、実質は3人の子どもたち---同時に3人の村長候補者でもある---を中心に行われた。  3人の中では、特にガルモートが目立った。彼はこれまでの冒険で積んだ経験を活かし、ヴァイオラが見てもそつなく全体を仕切っていた。よく考えると、あれこれ強引に指図しているだけなのだが、こうした場では好感を持って迎えられ、村人の何割かは「あの乱暴者のガルモートが立派になって…」と評価を上げたようだった。  弟のベルモートは、そのガルモートにいいようにこき使われていた。何もしていないと居場所がなくて居心地悪いらしく、ガルモートに雑用を押しつけられて、逆に喜んでいるように見えた。ブリジッタは疲労の色が濃かった。式についてはすっかりガルモートに任せっきりだった。  葬儀の主祭はブリジッタの夫バーナードのパーティの僧侶、スコルが務めた。ただし彼はガラナーク出身だったため、葬儀はガラナーク風になってしまう。そのサポートに、と、ガルモートは自分のパーティの僧侶、カウリーを助祭に押し上げていた。それに引きずられてヴァイオラも助祭を務めるよう頼まれ、今日は一日、執行側に立つ予定だった。  ヴァイオラに助祭役を頼んできたのは、村の重鎮であるキャスリーン婆さんだった。「あんな奴に助祭をさせるなんて我慢がならない。せめてお前さんも壇上にあがっておくれ」と頼まれ、ヴァイオラは断れなかった。引き受けた以上、カウリーに大きな顔をさせないためにも、彼女は念入りに身支度を整え、一番引き立って見えるように装った。持ち前の美貌も手伝って、事実、その思惑通りに彼女はだれよりも注目を集めたのだった。  村人には馴染みのないガラナーク風とはいえ、スコルは生来の美声と容貌とを活かし、立派に葬儀をまとめあげた。葬儀に参加していない人間は、警備中のグリニード、何やら調理中の「森の木こり」亭の主人アルバーン、それに元司祭のスピットと警備隊員のレイビルだけだった。  教会内での葬儀は終わり、村人たちは棺のあとから墓地へと続く橋を渡っていった。  Gは彼らを見送り、自身はアルトとロッツと共に橋を渡らずに手前に残った。エリオットはGのそばにいたいのか、やはり橋を渡らなかった。エリオットに準じて、彼のパーティの構成員もみな村内に居残った。  ラクリマは、セリフィアやカインと共に墓場まで赴いた。彼らの間で涙を流しながら、ガルモートが演説し始めたあたりでヴァイオラの依頼通り、ひそかにノウアライメントの呪文を唱えた。3回唱えて、カウリー、バグレス、ガルモートらのアライメントを掴んだ。 「食事が用意されている。皆、宴に参加し、亡き父を偲んでほしい」  ガルモートが埋葬の場を締め、村人たちはぞろぞろと村内に戻っていった。広場には篝火が焚かれ、「木こり」亭の親父の手になる料理が用意されていた。村の古い世代はしんみりと村長の思い出を語り合い、若い世代は「これからこの村はどうなるんだ」と行く末談義に余念がなかった。カインやアルトたちもその場で、村人たちからいろいろと話を聞かされた。  Gは喧噪を避けて、ひとりでレイビルの家へ向かった。  ノックしても返事はなかった。だが、中に人のいる気配がある。  Gは扉を力ずくで開けようとしたが、これには失敗した。そこで窓に目をつけ、窓板を壊して中に入ることにした。壊れた窓からは、中で剣を構えるレイビルの姿が見えた。 「なんだ、元気そうじゃないか」  Gはそう言って窓からずかずかと彼の家にあがりこんだ。 「出ていけ!」  レイビルは怒って剣を振りかぶった。Gも咄嗟に剣を抜いた。レイビルは二太刀ほど振るって、自ら転んだ。 「大丈夫か? やっぱり具合が悪いのか?」  Gの声にレイビルは脱力し、剣を鞘に収めると黙って外へ出ていった。 「どこへ行くんだ?」 「グリニードに報告に行く。お前のしたことは器物破損と住居不法侵入だ」 「そうか」  Gはあっさりそう言った。とりあえず直しておこう、と、壊した扉と窓に接ぎ木をあててから、レイビルのあとを追った。  正門の詰め所に着いたとき、レイビルはすでにあらかた話したあとらしかった。グリニードに「君の言い分を聞こう」と言われ、Gは素直に椅子に腰掛けた。 「レイビルの家を襲ったそうだな」 「襲ってなんかいない。警備にも出てこないというから、心配して様子を見に行っただけだ」 「……扉と窓を壊して、か?」 「そうだ。何かあってからじゃ遅いだろう。だが入ろうとしたら扉が閉まっていたので窓から入った」 「剣を抜いたまま?」 「最初は抜いてない。でもレイビルが剣を構えていたので、こっちも一応構えた」  Gは悪びれずに喋った。グリニードはつかの間彼女を注視していたが、 「どんな理由であれ、君がやったことは犯罪だ。器物破損が2箇所、それから住居不法侵入と傷害未遂。誉められるべきことではない。騒ぎの責任はとってもらうぞ」 「構わないが、すぐにエステラさんの隊商と一緒にフィルシムに戻る予定だ。スルフト村に猟師をもらいに行くから。それに障らない罰にしてくれ」 「そんなことを言える立場か…?」 「ヴァーさんとヘルモークが困るのは、あんたらも困るだろ?」  グリニードは思い切り嫌な顔をした。「そっちがらみか…」と呟いてから、溜息をついた。 「とにかく、宿に戻って謹慎していろ」 「わかった。じゃああっちのことは頼んだ」  Gはレイビルを指して言った。グリニードは努めて冷静に、 「頼まれなくてもやる。仕事だからな」 「ちゃんとやってないじゃないか。だからヴィセロ事件なんか起きるんだろ」  Gは容赦なく畳みかけた。別に責めているつもりではなく、自分の思うところを羅列しているに過ぎなかったのだが、思惑がどうあろうとグリニードの神経を逆撫でしないはずがなかった。  だが、グリニードは意志の力で声を抑え、一呼吸置いてからGに向かって言った。 「村の中にいる以上、村の掟に従ってもらう。それができないならどこへなと出て行けばいい」  目の前の小娘ひとりに声を荒げるには、彼は経験を積みすぎていた。 「わかった。騒乱を起こして済まなかったな」と、Gは相変わらず屈託なく語った。「で、村の掟って、どこにあるんだ?」 「君たちのリーダーに以前、教えたはずだが……」 「ヴァーさんからは何も聞いてないぞ?」 「ヴァイオラじゃない、以前のリーダーだ」 「………」  グリニードが言っているのはレスタトのことらしかった。 「とりあえず掟を教えてくれ」  Gは気を取り直して言い、手を差し出した。グリニードは無言で、村の法律が書かれた書面を渡してやった。  ヴァイオラはベアード=ギルシェの姿を認めると、中央から少し離れた場所に彼を誘った。 「明後日、スルフト村へ猟師を迎えに出発します」 「よろしくお願いする」  ベアード=ギルシェは丁寧にヴァイオラに礼を取った。 「跡を継ぐ若者がいなくなってしまったのは、猟師ギルドだけでなく村全体としても危機的なことだ。スルフト村からの移民には、この村の存続がかかっているといっても過言ではない」  ベアードは溜息混じりに語った。 「そのことですが、こちらでの受け入れ態勢はもう万全なのでしょうか?」 「受け入れ態勢はできている。住居もな」  ヴァイオラはひとつ安心をして、別な話題に移った。 「ハイブコアが移動した話はもうご存じだと思いますが…」  ベアードは無言で肯いた。 「私たちの留守中に、その場所の特定を、ヘルモークさんと協力してやっていただけないでしょうか? ヘルモークさんの話によれば、以前よりも獣人の村に近づいたようです。そうしたところからある程度推測できるはずです。もちろん、できる範囲で構いません」  ヴァイオラはそう言ってから、ハイブコアが設置されやすい地勢の情報をベアードに伝えた。ベアードは少し考えるようにしていたが、ヴァイオラに目を向けて、 「わかった。仕事しながら、合間に彼らの痕跡がないか探してみよう。ハイブのこともヘルモークに教えてもらうつもりだ」 「お願いします。ただし、新しい痕跡を見つけたら、深追いしないですぐに逃げてください」  ベアードは再び肯いた。そして最後に言った。 「何から何まで済まないな」 「アルト、ヘルモークさんを見なかったか」 「ヘルモークさんならさっきからずっと真ん中にいらっしゃいますよ」  アルトはセリフィアに答えて言った。彼の言葉通り、ヘルモークは村の幹部が集まっているあたりにいた。以前のヘルモークならやや離れたところから見守っていたはずで、セリフィアもまさかそんな真ん中にいるとは思わなかったので、そのあたりは最初から見てもいなかったのだった。 「………」 「どうしたんですか?」 「ヘルモークさんに訊きたいことがあったんだ。でもあそこって……酒臭いよな」 「……でしょうね」  セリフィアは極端に酒の匂いが駄目な人間だった。 「ヘルモークさんに何を?」 「うん……俺、半分獣人らしいんだ」 「ホントですか?」 「ああ。だから何の獣人か、ヘルモークさんなら教えてくれるかと思って」 「そうですね。でも……なかなか離れそうにないですね」  アルトたちが見守る中でヘルモークは次々に杯を空け、その場を去ろうとする気配もなかった。 「……行ってくる」  セリフィアは意を決したように言い捨て、歩き出した。後ろから「気をつけて」とアルトの声が聞こえた。  中央に行くに従って、酒の匂いがたちこめるようだった。セリフィアはできるだけ鼻で息をしないようにしながら、ヘルモークへ近づいていった。 「ヘルモークさん」 「おう? なんだ?」  ヘルモークの口から言葉と共に、それまでの大気とは比較にならないくらい濃度の高い酒の香りが発せられた。セリフィアは必死に耐えた。 「は、話をしたいんだ…」  やっとのことでそれだけ言うと、ヘルモークはふたたび酒臭い息と共に「今かぁ?」と訊いてきた。 「い、今じゃなくていい。いつが都合がいいだろう?」 「そうだなぁ、明日の朝でどうだ」 「わかった。頼む」  それだけ言うと、セリフィアは脱兎の如くその場を離れた。アルトのところまで戻って深呼吸した。 「どうでした?」 「あ、ああ、明日の朝、会ってくれるって」 「よかったですね」 「うん……」  明日の朝はヘルモークの吐く息がアルコール臭くないといいな、と、セリフィアは思った。  中央に戻ったヴァイオラは、頃合いもよしと見計らって、3人の村長候補に所信表明をさせることにした。まずガルモートに「村長になる気があるか」と尋ねた。  ガルモートは意気揚々と「当然、私は」と声を張り上げ、演説し始めた。おかげで村人全員の注目が壇上に集まった。「ありがとうございました」とヴァイオラは素早く話の腰を折り、すぐに「ベルモートさん、あなたはどうですか。村長になる意志はあるんですか」と弟のベルモートに話を振った。村人たちの注目はうまいこと彼に移った。 「ぼ、僕はフィルシムで2年、そのあとずっと父の元で帝王学を学びましたし、ち、父の遺志を継ぐためにも、村長になる、つもり、です」  その場にいた全員が、軽い驚きを感じていた。優柔不断で決断力ゼロのベルモートが、自分の口できちんと村長になる意志を表明するとは、だれも期待していなかったからだ。 「何言ってんだ、ベルモート」  ガルモートが弟に詰め寄った。 「俺に譲れって言っただろ! 3年なんて長いこと待たないでいいんだ、お前はとっとと降りろよ!」 「え、で、でも…」  ブリジッタが二人の間に割って入った。 「ちょっと兄さん、そういう言い方はないじゃない。だいたいこんな場でそんな……」 「なんだお前は!」ガルモートは今度はブリジッタに突っかかった。「お前なんかの出る幕か! 一度村を捨てやがったくせに、なんだ今さら! しかもあんなどこの馬の骨とも知れない男とガキまでこさえやがって!!」 「なんですって!!」  今度はブリジッタも引いてはいなかった。 「兄さんとはいえ、言っていいことと悪いことがあるわよ!」 「本当のことだろうが!」 「謝んなさいよ!」 「なんだその口のきき…」  ガルモートは最後まで言うことができなかった。ブリジッタの夫であるバーナードが中央に進み出てきたからだ。バーナードは何をしたわけでもなかったが、居るだけで滲み出る存在感はガルモートを圧倒し、口を噤ませるに十分だった。 「お前も領主の息子なら、言葉ではなく行動で示せ」  バーナードは口を開いた。 「お前が村長にふさわしいかどうかを決めるのはお前じゃない、村人たちだ。履き違えるな」  ガルモートは一言も返せなかった。  バーナードは次にベルモートの方を向いて言った。 「お前も候補に選ばれたんだ。この村にとって一番いいことをしろ」  ベルモートは目を見開いて聞いている。バーナードがまとめてこれだけ喋るのは、滅多にないことだった。バーナードはベルモートの様子にお構いなしに告げた。 「それができないなら去れ」 「ではちょうどいいので、ブリジッタさん、あなたは村長になる気がありますか?」  ヴァイオラはブリジッタに尋ねた。ブリジッタはちらりとバーナードを見てから口を開いた。 「あります」  向こうでガルモートが舌打ちした。 「私たちが生まれたこの村を良くしたいと思わない者はいないと思います。ですが、だれが一番この村を本当に良くできるかは、これからの3年間で示すつもりです」  ベルモートも吃驚した表情をしていた。バーナードはブリジッタを見つめて微笑んだようだった。彼女の成長を見届けた、そんなあたたかい笑みだった。 「ありがとうございました。それだけ聞ければ結構です」  ヴァイオラはそう言ってその場を収めた。宴もたけなわを過ぎ、だんだんと人の波が引き始めたようだった。  ヴァイオラはヘルモークのそばに行った。ヘルモークの方が先に話しかけてきた。 「おう、さっきセリフィアが来たぞ」 「……何しに?」 「なんか話があるとか言ってたな」 「よく来られましたね、こんな酒臭い中を」  セリフィアが酒の匂いに弱いのは、ヴァイオラもヘルモークも承知済みだった。 「おお、あいつも根性ついてきたんじゃないかぁ?」  ヴァイオラはふっと微笑んだあとで、ヘルモークに言った。 「さっきの、面白かったでしょ」 「ああ、楽しみだな」 「私たち、明後日からスルフト村へ出かけますけど……」 「そうだってな。気をつけてな」 「何か用はありますか?」 「いや。今のところ何もないな」  ヴァイオラはそれから、ベアード=ギルシェと話をして、ハイブコアの絞り込みへの協力を要請したことを話した。 「ヘルモークさんにも協力していただきたいんです」 「まぁ、そりゃ……」 「ハイブコアの設置される迷宮は、これまでのところ、必ず近くにカートが入れるくらいの場所があるようです」  ヴァイオラがそう言うと、ヘルモークは天を仰ぐようにして言った。 「カートが近くに入れられる………そんな迷宮もいっぱいあるなぁ。まぁ、探してみるよ」 「あと」と、ヴァイオラは尋ねた。「獣人がハイブに寄生された場合、ポテンシャルはどうなるんですか? いざというときのためにそれも心づもりしておきたいので…」 「そうだなぁ」  ヘルモークは再び、朱に染まった空を見上げた。 「弱くなるか強くなるかと訊かれれば、弱くなる、かな。一番厄介なのはブルードリングだな、獣人の能力も使えるだろうから」 「わかりました。心しておきます。獣人の犠牲者は、現在何人くらい出ているんですか?」  ヘルモークはぶつぶつと口の中で数を数えてから、 「人間の犠牲者がざっと15人くらいだろう。獣人はたぶんその1.5倍から2倍くらいだ」 「そんなに犠牲になっているんですか…!」  ヴァイオラはやや驚いた。いよいよ見過ごせないと思い、 「実はフィルシムでバグリペラントポーションを手に入れました。ご存じですか」 と、虫除け薬の話をした。 「ポーションか……ちょっと調べてみよう」  ヘルモークは神妙な顔つきで答えた。それからいつもの軽い調子に戻って、 「そういやエリオットのパーティもフィルシムに戻るらしいぞ」 と言った。 「何をしに行くんです?」 「ウェポンマスタリーに行くみたいだったな」  エステラの隊商と、自分のところのパーティと、ヴィセロ事件で村を出るスピットの家族、それにエリオットのパーティときては、実に大所帯の復路になりそうだった。 「行ってる間にヘルモークさんにお願いしたいことがあるんですが」  ヘルモークと別れる前に、ヴァイオラは申し入れた。 「うん?」 「私たちも強くなりました。ついては、手当を値上げしてもらえないか、合議の場で諮っていただけないでしょうか」 「………」 「私としては今のままでも構わないんですが、さすがに他のメンバーが嫌がると思うので……誠意を見せていただくだけでもいいんです」 「誠意ねぇ……誠意を見せるったって……まぁ、言うだけ言っとくよ。そのうちにね」 2■話の話  ラクリマはキャスリーン婆さんに教えてもらって、レイビルの奥さんの方へ寄っていった。レイビルの具合を尋ねるためだ。  レイビルの奥さんは、ちょうどエステラ嬢と話をしているところだった。 「それではよろしくお願いします」 「こちらこそ」  そんなやりとりが交わされていた。 「あの、こんにちは。昨晩は遅くに申し訳ありませんでした」  ラクリマが挨拶すると、レイビルの奥方は声からもわかったらしく、「わざわざ来ていただいたのにこちらこそすみませんでした」と答えた。 「レイビルさん、具合はいかがですか? ここにも出ていらしてないみたいですけど」  奥方は、体の具合は悪くないのだが、と、言って、口を濁した。 「……ところで、お二人はお知り合いなんですか?」 「いいえ」と、エステラは柔らかい笑みを浮かべながら答えた。「レイビルさんたちも今度一緒にフィルシムへ行かれるので、その話をしていたんです」 「フィルシムへ!?」  今度は奥方が「ええ」と言った。「セロ村を出ると主人が言うものですから。」 「そうなんですか……あの、もしかして私たちも一緒かも知れないので、よろしくお願いします」  ラクリマはそう挨拶すると、ヴァイオラを探しにその場を離れた。  カインは村人につかまっていた。目の前の村人はやや呂律の回らない様子で喋った。 「村長の家にいる女戦士な……ここだけの話だが……ありゃあ村長の愛人だってよ」 (これで同じ話を3度は聞いたぞ……)  どういうわけか、村長にまつわるうわさ話を、それも同じ内容のものを別の人間から重ねて聞かされるはめに陥っていた。そろそろ宿に戻ろうかと思ったそのとき、広場で髪の長い娘が歌を歌い出した。宿に帰る途中だったセリフィアとアルトも振り向いた。その場にいた全員が静まりかえって歌を聴いた。  リールの歌だった。    回り始めた「運命の輪」 もう止めることは出来ない    私は夜鷹 暗き世界を飛んでいく    『真実の目』を持って 『審判の日』その時まで    女神は人を選ばれた 女神は獣を選ばれた    「世界」はどちらを選んだの 「月」と「星」と「太陽」と    「世界」と「愚者」と 悲しき記憶は繰り返す    回り始めた「運命の輪」 『審判の日』その時まで    もう誰にもそれを止めることは出来ない  「夜鷹」という言葉を聞いて、ヴァイオラは、先日パシエンスのサラから聞いたことが本当だったと確信した。村の男たちも心なしか済まなさそうな顔をリールに向けていた。  天上の音楽は終わった。リールは幼児のような声で「う〜ん、眠い」と言うなりその場で眠ってしまった。  宿に戻る途中で、ヴァイオラはラクリマに呼び止められた。 「ヴァイオラさん、探してたんです」 「どうだった?」  ヴァイオラはまず頼んであったアライメントの別を尋ねた。彼女自身は今日はバーナードのアライメントを調べてあった。  二人で情報を交換しながら宿のすぐ手前まできたとき、ヴァイオラは「スピットに会ってない」と、一件用事を思い出した。 「私はスピットに会ってくるから、先に帰ってて」 「あ、私も一緒に行きます」  二人は神殿へ向かった。ちょうどスピットがレイビルと一緒にやってくるところに鉢合わせた。彼らも今しがた外から帰ってきたらしかった。村長の墓に詣でていたんだな、と、ヴァイオラは即座に察した。  スピットはヴァイオラを認め、丁寧に挨拶した。 「このたびは私の不手際で皆さんにご迷惑を…」 「いいえ、スピットさんの所為ではありません」  ヴァイオラははっきりと口にした。 「ヴィセロのことは私たち冒険者全員の責任です。見破る術があったのに、失敗して見破れずにいたのですから。それに、エリリアのことは本当に気の毒でしたが、ここで私たちが自らを苛んでいても、彼女の魂が浮かばれるわけでもありません」  そう言ってから、彼女はスピットに尋ねた。 「フィルシムへ向かわれるそうですが、エステラ嬢の隊商と一緒に行かれるのですか」  スピットはそうだと答えた。 「では私たちも同道しますので、よろしくお願いします」  その横で、ラクリマがレイビルに話しかけた。 「レイビルさんも一緒に行かれるとおききしましたが…」  ヴァイオラはレイビルを振り向いた。 「ああ。スピットたちと一緒だ。もう一軒、空き家が増えることになる……君たちの仲間が最後に少々壊してくれたがな」  ヴァイオラはそれを聞いて、Gかセリフィアか、どちらかが何かやったらしいと見当をつけた。レイビルをよく見たが、取り立てて敵意もなく、それに関してどうこう言うつもりはなさそうだったので、 「仲間が無礼を働いたのなら申し訳ありませんでした。ところでアンデッドの件についていささかお伺いしたいのですが、6体もアンデッドが発生するのは不自然ではありませんか?」 「困ったことに珍しいことではない」 「ですが、アンデッドを作ることができるのは、高位の僧侶でしょう」 「力のあるアンデッドにも作ることができる」  レイビルはそう言って続けた。曰く、この村の近くにはヴァンパイアが山ほど居る。スカルシ村には2名、常駐のヴァンパイアがいるし、恵みの森の中にも何名かうろついている。彼らが僕(しもべ)を作ろうとして、通りがけにここの墓地で儀式を行い、作り出したものの連れて行けない僕を置き去りにするようなことが、断続的にあるのだという。 「そうでしたか…」ヴァイオラは何やら考え込むようにしながら口にした。「私はてっきり、外的要因によって、人為的に作られたのかと思っていました。」  レイビルは、そういう事例もある、と、答えた。 「報奨金目当てで、自分で作り出す冒険者もいないわけではない。が、どちらでも結果は同じことだ」 「………」 「フィルシムに行くのは、今回の責任のせいだけじゃない。古い約束があるからだ」 「あの…」ラクリマが口を挟んだ。「お二人とも、フィルシムで住居が決まるまで、よかったらうちの修道院にどうぞご滞在ください。」 「私は自分の神殿に連絡してあるから大丈夫です」  スピットはそう答えた。レイビルは一言、「心配無用」とだけ口にした。 「だれが騒乱を起こしたの!?」  宿の大部屋の扉を開けるなり、ヴァイオラは声を発した。「はあい」とGが手を挙げた。  ちょうどそこへ現れた村の警備隊隊員スマックが、ヴァイオラの後ろから肩を叩いた。 「おう、その騒乱だけどな…」彼は全員に聞こえる大声で言った。「20gpと1週間の強制労働で済むことになった。ただし強制労働の方は、お前さんたち、スルフト村に行くんだろ? だから特別に、フィルシムまでエステラ嬢の隊商の護衛で代替するってことになったぜ」 「それはありがたい…」  ヴァイオラは胸をなで下ろした。とにかく強制労働で足止めされるのだけは免れた。 「礼はレイビルに言っときな。ま、村の掟をちゃんと伝えられてなかったってのもあるが、特に大きな賠償を求めないでいいって言ってくれたのはあいつだからな」  スマックはそう言って去っていった。 「さて」  ヴァイオラは部屋に入った。にこにことGの前に進み、 「ジーさん、何をやったの? 一から説明しようね?」  Gは素直に話し出した。 「レイビルを心配してレイビルのところへ行ったらドアが閉まってた。ドアを開けようとしたら開かなかったので窓を開けた」 「どうやって?」 「手で、板を剥がして」 「……それで?」 「窓を開けて中に入った。そしたら中にレイビルが剣を構えて立ってた。だから私も剣を抜いた」 「あ、そう。抜いたの。ふぅん……で?」 「レイビルが攻撃してきたので元気なんだと安心してたら、レイビルが勝手に転んだ。それから奴がグリニードのところへ行ったのでついてった。以上」 「………」  ヴァイオラは一呼吸おいてから、Gに語った。 「ジーさん、巣穴には巣穴の礼儀ってものがあるだろう」 「うん」 「他人が自分の巣穴に突然入り込んできたら、嫌だろう?」 「うん」 「わかったらこれからはやめなさい。ちゃんとその巣穴の礼儀にしたがうこと」 「わかった。でも、どうして『家』って言わないんだ?」  そのあとはお喋りから、情報交換の場になった。  カインは3度も聞かされた噂話、警護の女戦士フェリアは村長の愛人だったらしいことを披露した。 「えっ? 愛人じゃなくて、隠し子ですよね?」  ラクリマはラクリマで、別な噂を聞いてきたらしかった。 「君たちね」と、ヴァイオラは一応口を挟んだ。「そういう流言飛語は安易に信じないの。獣人が出てったのが村長と喧嘩したからとか、いろいろ言われてるけど、結局はただの噂なんだから。」  そういうヴァイオラは、実は「村長とキャスリーン婆さんが昔付きあっていた」という噂も聞かされていたが、これこそ流言飛語の最たるものだろうと思ったので、それは言わずにおいた。 「あの〜」  アルトがおずおずと口を開いた。 「これも噂なんですけど、ここの村の地下には広大な迷宮が隠されているって話を聞きましたよ」 「あ、それ、私も聞きました」  ラクリマが相づちを打った。 「それでその地図を村長さんが持ってるとか、あと、迷宮があるせいでモンスターが出やすいんだとか言ってませんでした?」 「ああ、そんな話でした、確か」 (……迷宮の地図、ねぇ)  ヴァイオラは村長から預かった巻物のことを思い出しながら、話に耳を傾けた。再びカインが言うのが聞こえた。 「……ずいぶん、面白い村だな、ここは。俺は、『あの村長は本当の村長じゃなくて、影の村長が居る』って噂も聞いたぞ」  ラクリマが、 「村長さんって、本当は昔、冒険者になりたかったんですって」 と言ったところで、村の噂話は打ち止めになった。 「そういえば、エリオットに聞いたんだが、エイトナイトカーニバルの近辺ではハイブに会わなかったそうだ」  Gは、そう言って、昨日エリオットから聞き出した情報を皆に公開した。  明日は休日だったが、いい加減に寝ることにして、バラバラと寝床に入った。ヴァイオラは寝る前に、故村長から預かった巻物の一文(と思われる箇所)を無作為に抜き出し、羊皮紙に書き取った。 3■魔剣  夜半。  セリフィアは何かの気配に目を覚ました。 「!」  目の前に、一本の剣が浮いていた。  刀の部分はかなり腕の良い者が鍛えたとわかる。一見したところ普通の刀のようだが、よく見ると刀身の中央はルビーだった。刃の芯の部分に、極薄のルビーが「はさまって」いる。かなり古いものらしいと、セリフィアは感じた。手入れする者がないようで、血で汚れているが、では酷い状態かといわれれば錆一つ浮いていない業物だ。  刀身に対して柄の方は明らかにあとから新しく取り付けられた様子だった。セリフィアにはよくわかるのだが、ラストン風の装飾が施されており、ラストンで加工されたことは明白だった。  セリフィアは、触れない程度に、剣へと手をさしのべてみた。剣は逃げるように少し離れた。 「どうしたんですか」  小さな、小さな声がした。アルトが起きていた。  アルトは咄嗟にセリフィアの前の剣を鑑定した。ノーマルソード+3……それにさらに何か付加価値がある。だがそこまでしかわからなかった。 「何してんの」  今度は女性側のエリアから、カーテンがそっと引き揚げられた。ヴァイオラだった。 「……何、それ」 「わからない。起きたら目の前にいたんだ」 「……で、なんで手を伸ばしてるのかな? カインと同じことになったらどうするつもり」 「だから触らない程度に伸ばしてるんだ」 「………」  ヴァイオラはようやくはっきりと目が覚めた。いつものようにディテクトイビルとディテクトマジックの呪文を相次いで唱えた。剣は最初はディテクトイビルには反応しなかったが、ディテクトマジックをかけたところ、反応があった。 (……呪文をかけられて怒ってるみたいだな)  とりたてて害を為そうというものではなさそうだった。 「セイ君、掴んでごらん」 「えっ!?」  いきなり180度違うことを言われて、セリフィアはたじろいだ。 「悪意はないらしい。大丈夫、掴んで、マスターとして名乗りをあげておいたら」  セリフィアはなお一瞬躊躇った。  だが意を決して、はっしと掴んだ。途端に何かの「意識」が流れ込んできた。    …ここは、どこ? 僕はなんでここにいるの。    …僕は…    僕は、なに?    …何で、こんな…    いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!    やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめてー    いたいよぅ、いたいよぅ、いたいよぅ、いたいよぅ、いたいよぅ…  その声は徐々に弱まり、消えてしまった。気がつくと、この手に掴んでいたはずの剣も姿を消していた。ほんの一瞬のことだった。 「……激しく拒絶された気分だ」  セリフィアはやっとそれだけ言った。 「拒絶ってどういうこと?」  ヴァイオラはセリフィアに尋ねた。 「剣を掴んだら、とてつもない感情が流れ込んできたんだ。悲鳴をあげていた」 「ふぅん……」  ヴァイオラは少し考えるようにしてから、「向こうにもいろいろと事情があるんじゃないの」と言った。 「あの剣、結構いい剣ですよ」  アルトがそう言うとセリフィアは、 「高価なのか?」 と、問い返してきた。どうやら先日負債を負って以来、何でも金に換算する癖がついているようだ。 「ノーマルソード+3です。他にも何かあるみたいでしたけど、詳しくはわかりませんでした」 「+3か! ……売ると幾らだ?」 「そんなことより」と、ヴァイオラは半ば呆れながら話をまともな路線に戻した。「感情があるってことは、さっきの、インテリジェンス・ソードかもしれないね。」 「そうですね。少なくとも魔法の剣であることは確かです」 「セイ君、心当たりはないの?」 「ない」  セリフィアは即答した。心当たりなどあるわけがなかった。 「これでもう出てこないんだろうか……」  少し寂しいような、何かを手に入れ損ねたときのような気持ちがして、セリフィアはポツリと呟いた。 「またそのうちに現れるでしょ。じゃあ私は寝るから」 「あ、おやすみなさい」 「おやすみ」  また現れる……そうなんだろうか……あの悲鳴……だれの悲鳴だったんだろう……一体、だれの………。  布団の上で考えを巡らすうちに、いつの間にかセリフィアも眠りの世界に落ちていた。  明けて2月29日。  朝食の席で、皆はアルトが肩になにか妙な生き物を乗せているのに気がついた。オレンジイエローに光っており、小さな竜のように見える。 「どうしたんだ、これ?」  セリフィアがそう尋ねると、アルトは「危ないですから、触らない方がいいですよ」と言った。 「あれ、マジックミサイルじゃないですか?」  Gは訝しげに言った。みんな驚いて、 「マジックミサイル!?」 「そうだよな、アルト?」 「ええ、まあ……」  カインはアルトに向き直って言った。 「お前、何でそんなことできるんだ? ……何者だ?」 「ボ、ボクはただのアルトですよ〜」  カインは次にセリフィアの方を向いた。 「セリフィア、ラストン人っていうのは、こういうことができるものなのか?」 「ラストン人として言うが…」セリフィアはそう前置きしてから断言した。「そんなことができる奴はいない。」  一同は再びアルトに注目した。 「ああ、まあ、ちびももしかすると人間じゃないだけかも知れないじゃないか。みんな、そんなに気にしないことだよ」  ヴァイオラは慰めともつかぬ言葉を口にした。アルトは情けない声を出した。 「人間ですよぉ」 「いやほら、知られざる種族ってこともあるし…」 「知られざる種族なんて言わないでくださいよ〜」 「大丈夫、フィルシムでは人間以外も一緒に暮らせるから」  カインは二人の間に割って入り、再びアルトに尋ねた。 「アルト、他に何ができるんだ?」  アルトはちょっと躊躇ってから、「傷を治せます」と言った。  そう言えばあのとき……セリフィアは思い出した。エドウィナと戦ったあとで、アルトが触れた途端に身体が楽になったことがあった。あれがそうだったのか。 「傷を治せる!?」  さすがにラクリマも驚いていた。だがアルトは珍しくいささかも動じずに言ってのけた。 「だって、ヴァイオラさんも言ってたじゃないですかぁ。魔力と神の力とは同じものだろうって。それならそんなに不思議じゃないでしょう?」  いや、それはやっぱり不思議だろうと思ったものの、ヴァイオラは発言を控えた。 「不思議といえば…」  セリフィアは昨夜の剣のことを話し出した。意図していたわけではなかったが、ちょうどアルトへの助け船になったようだった。彼は、自分の中に流れ込んできた悲鳴のことも詳しく説明した。 「『いたい』、ですか?」 「うん、確かに『いたい』って悲鳴をあげてたと思う。あとは『いやだ』とか『やめて』とか」 「……何なんでしょうね…」  Gはさっきから黙って話に耳を傾けて、じっと考え込んでいた。と、セリフィアが自分を呼ぶ声がして、ハッと顔を振り向けた。 「一緒に行かないか?」 「どこへ?」  Gが思わず聞き返すと、セリフィアは「ヘルモークさんの家だ」と答えた。 「ヘルモークさんのところへ何しに行くの?」  ヴァイオラはセリフィアに尋ねた。 「俺、実は半分獣人みたいなんです。だから何の獣人か、聞きに行こうと思って」 「半分獣人〜?」  ヴァイオラが訝しがる脇でラクリマが、 「ああ、半分人間じゃないって、そういうことなんですか」 と、一人で納得していた。  よく聞いてみると、先だってフィルシムでトーラファン=ファインドールという老魔術師に、「魔力が強いから片親が人間ではないのだろう」といわれたとの話だった。そのとき、その場にいたカインとラクリマはその話を知っており、アルトは昨日話を聞かされ、Gには先日告白済みということで、その情報を知らないのはヴァイオラだけという、いつもと逆のパターンを踏んでいた。  話をきちんと把握したヴァイオラは、Gに向かって 「君もヘルモークさんのところへ一緒に行ってきたら」 と、水を向けた。 「何故だ?」 「実はヘルモークさんには、新しいハイブコアの位置の絞り込みをお願いしてあるんだ。だから、エリオットから聞いた情報を、彼にも伝えてくれるとありがたい」 「わかった、私も行こう」  Gは答えた。 「はいはい」  ヘルモークは調子よく出てくると、ドアを開けて二人を招き入れた。それから揶揄するように、 「座って座って。で、酒とミルクとどっちがいい?」 と、聞いてきた。 「ミルクでお願いします」  セリフィアは真面目に返答した。ヘルモークは本当にミルクを出してきた。セリフィアはなみなみとミルクの注がれた椀を受け取ると、腰に手を当てて一気に飲み干した。 「イイ飲みっぷりだねぇ」  からかうように言ったあとで、ヘルモークは話を聞く態勢に入った。 「で、何だい?」 「俺、半分、獣人の血が流れているみたいなんですが」  セリフィアがそう言うと、ヘルモークはにべもなく言い切った。 「獣人の血は混じってないよ」  セリフィアは驚いた。 「えっ……でも、半分人間じゃないって言われたんですが」 「でも獣人の血は流れてないよ」 「じゃ、じゃあ、変身したりとかはしないんですか?」 「しないね」と、言ってからヘルモークは意味ありげに付け加えた。「いや、剣になったりはするかもね!」 「ふざけてないできちんと教えたらどうだ」  Gがやや不機嫌な調子で詰め寄ると、 「人間じゃないからって、気にせず生きればいいさ」 と、調子よくはぐらかした。セリフィアは諦めて「話はそれだけです」と言った。 「ヘルモーク、コアの場所を特定するよう、ヴァーさんに言われたろ?」  今度はGがヘルモークに話し出した。 「あ? ああ、そうだよ」 「エリオットからエイトナイトカーニバル周りの話を聞いたんだ。参考にしてくれ」  そう言って、エリオットから得た情報を逐一ヘルモークに伝えた。  二人はヘルモークの家を出た。Gは「私はこれから警備を手伝ってくる」と言い、セリフィアは宿に戻るというので、そこで別れた。Gは警備の詰め所へ行き、手伝いがてら自分に課せられた騒乱税20gpを納めた。 4■菜の花  ヴァイオラとラクリマは、今日もアライメント調査を行っていた。まず「森の女神」亭にバーナードたちがいることをヴァイオラが確かめ、一旦出て、今度は二人で扉の前でこっそり呪文を唱えてから中に入った。ヴァイオラはレイを、ラクリマはスコルを調べた。  その後、表に出て、今度はエリオットたちのパーティが「森の木こり」亭から「森の女神」亭へ帰ってくるところを待った。「女神」亭の角にヴァイオラが半分隠れながら立ち、ラクリマはさらにその後ろでそっと呪文を唱えた。アナスターシャを見ていると、突然エリオットが「おや、こんなところでどうしたのかな」と寄ってきたが、特に何も気づかれなかったようで、その場からうまく退散した。  あとでラクリマはダルヴァッシュのアライメントも調べ、結局全部で8人分の性格をざっと調べたことになった。結果、次のようだとわかった。  バーナード   ニュートラル (関係主義的傾向)  スコル     ローフル   (全体主義的傾向)  レイ      ニュートラル  ガルモート   ニュートラル  カウリー    ケイオティック(個人主義的傾向)  バグレス    ニュートラル  ダルヴァッシュ ローフル  アナスターシャ ニュートラル  ヴァイオラはこの日、ディテクトマジックとディテクトイビルとを唱えたあとで、村を巡回した。冒険者たちの様子も伺い、だれが魔法の装備を身につけているか、だれがイビルな人間であるかをつかんだ。だいたい予測通りだった。だが予測通りだからといって有り難いわけでは全然なかった。  ヴァイオラは宿に戻り、昨晩、巻物の一文を抜き書きしておいた羊皮紙をアルトに見せた。「何て書いてあるか読んでほしい。」  アルトはリードマジックの呪文を行使し、ヴァイオラに渡された羊皮紙の中身を読もうとしたが、そもそもそれはまともな文になっていないようだった。 「何らかの魔術語で書かれてるみたいですけど……まっとうな文章じゃなかったですよ」 「そう。わかった」 「何の文なんですか?」 「まあ、ちょっとね」  ヴァイオラはそう言って羊皮紙をアルトから取り上げ、懐にしまい込んだ。無作為に選んだ部分が、たまたま文章になっていなかったのか、それとも全文が一読しただけでは文章にならない、意味のない言葉の羅列にでもなっているのか、あるいは無意味に見えて実は論理的な暗号になっているのか、どれともわからなかった。とりあえず、今の時点で、セロ村の巻物が何であるかを調べるのは無理そうだった。  ラクリマはアルトが難解な文字を読むのを見ていて、自分がトーラファンにもらった指輪の言葉も読んでもらえないかと考え、アルトに相談した。アルトは彼女の指輪をざっと見て、やはり呪文が必要だと判断したので、 「今日は無理です。明日でもいいですか?」 と、この件を明日に延ばした。  セリフィアはGと別れてから、結局、宿には戻らず、そのままトムの店へ行った。彼は雑貨のコーナーで、植木鉢代わりになりそうな器を物色した。径が広めの、浅型の土器を見繕い、カウンターに持っていって料金を支払った。そのあとでトムに尋ねた。 「花の種はないだろうか?」 「花の種、ですか?」 「できるだけ綺麗な花のヤツがいいんだ」 「綺麗な花、ねぇ……」  トムJr.は考え込んだ。実用一辺倒のフィルシムで「綺麗な花」という注文をされることはこれまでなかったので、何を売っていいやら判断がつきかねた。しかも春咲きのタネはもう売り切れている。 「明日、もう一度来てもらえますか? それまでに用意しておきましょう」  トムJr.はセリフィアにそう言った。倉庫をひっくり返せば、何か出てくるだろう。あるいは、これからその辺で種を採取するのも手だてだ。 「わかった。」セリフィアは短く答えた。店を出ようとして、思いついたようにカウンターに戻ってくると、「このことはだれにも言うな」とトムJr.に口止めした。トムJr.は簡単に請け合った。 「お客様の秘密は守りますよ」  セリフィアはそこを出て、次にキャスリーン婆さんの家を尋ねた。場所は、セロ村に来たてのころ、ムカデの毒で熱病にやられ、その薬を買いに来たことがあるので覚えていた。 「何の用だい」  ノックに応えて、キャスリーン婆さんが中から顔を覗かせた。扉は半分までしか開けてもらえなかった。 「花のことを教えてもらいたいんだ」  キャスリーンは怪しむようにセリフィアを見た。それから、「花や草のことならお前さんのところのラクリマに全部教えてあるよ。あの子に聞きな」と、突き放すように言った。 「ラクリマに聞けるものなら聞いてます! ラクリマに聞けないから、お婆さんに教えてほしいんだ!」  セリフィアは熱っぽく言い募った。だがキャスリーンは、「そういう怪しい話には乗らないよ」とだけ言って、バタンと扉を閉めてしまった。 (……仕方ない。自力でやるか)  セリフィアは肩を落として、その場をあとにした。  セリフィアが玄関先からとぼとぼと立ち去ろうというそのとき、ヴァイオラはキャスリーンの家に回ってきたところだった。 (……最近、行動がアヤシイな、うちの坊主は)  その坊主の後姿を見送って、ヴァイオラは扉をノックした。 「まだ何か用かね…」キャスリーンは不機嫌な様子で戸口に現れたが、すぐに表情を和らげ、「あんただったのかい」と、彼女を中に招き入れた。 「うちの坊主が何かご迷惑を?」 「たいしたことじゃないよ……で、なんだね?」 「スピットが去ったあとの教会の管理はどうなりましたか」  ヴァイオラの質問に、キャスリーンは顔を曇らせた。 「カウリーがやることになったよ」 「カウリーが? それは……」 「スコルに頼んだんだが、断られてね。まさか断られるとは思わなかったんじゃが……」  キャスリーンは気落ちした様子を隠さなかった。ヴァイオラは慰めて言った。 「……スコルにはスコルの思うところがあるのでしょう」 「そうかね。とにかく、心苦しいばかりじゃが、カウリーがやることになってしまったよ」  少しの間、沈黙が流れた。 「カウリーに全任なさらないようにしてください」 「ああ、まぁ、ガルモートがいる間だけ、という話になってはいるようじゃが……」 「いえ、それだけでは不十分かもしれません」  ヴァイオラはきつい目をして言った。 「彼は自分の欲望のためなら何でもする男です。血を見ることも辞さないでしょう」  ヴァイオラの言葉には根拠があった。先ほどディテクトイビルの有効時間内に彼を見たとき、予想どおりに彼が邪悪な性向を持つ人間であることがわかったのだ。しかもラクリマに聞いたところによれば彼はケイオティックであり、すなわち自己を最優先する人種に分類される。  キャスリーンの顔色はますます悪くなったようだった。 「そんな人間が教会を司るなんて、全く情けない……」  キャスリーンは大きな溜息をついた。それからヴァイオラを見て、「本当はおぬしのような者がやってくれるのが一番いいのじゃが…」と口にした。ヴァイオラは黙っていた。キャスリーンはもう一つ溜息をついた。 「そうじゃ、ラクリマはどうかね?」  キャスリーンは明るい声で、突然思いついたように言った。ラクリマが彼女に気に入られているらしいことはすでにだれの目にも明らかだったので、ヴァイオラはことさら驚かなかったが、 「彼女を推すには私も吝かではありませんが、これから私たちはスルフト村へ行かねばなりません。その間にカウリーが地歩を固めてしまうでしょうね」 と、冷静に所見を述べた。 「それに、彼女は司祭となるには人間的にまだまだ未熟なところがあります。もっと人生経験を積んで、成長してからの方がいいでしょう」 「………」  キャスリーンは黙り込んだ。が、再び口を開いて言った。 「あの子を一人前に育てることが、わしの最後のご奉公かもしれんの……」  ヴァイオラはどきりとして、「気弱なことを仰らないでください。まだあなたに死なれては困ります」と口走った。 「まだ死なないよ」  半ば諦めたような口調でキャスリーンは言った。「こんな状態の村を残して、まだ死ねるものかね。まだまだ、しばらくはこの世に居座るさ。」  ヴァイオラはその言葉を聞いてホッとした。  夕刻、みんなのいる離れにエステラ嬢が挨拶に訪れた。 「明日からまたよろしくお願いします」  エステラが頭を下げる様子を見ながら、アルトは朗らかに応えた。 「構いませんよ。こちらこそよろしくお願いします」  挨拶はそれだけで済んだが、エステラが離れを出たところを、セリフィアが追ってきた。 「エステラさん、お話が……花の種って、手に入りませんか?」  いきなりそういわれて、エステラは軽い驚きを示したが、すぐに商人の顔つきに戻り、脇にいたミットルジュ爺さんに声をかけた。 「ご隠居、花の種ってありますかしら?」 「今、手許にはございません。が、フィルシムへ戻れば都合できましょう」  ミットルジュ爺さんはすらすらと答えた。 「フィルシムで構いません。売ってください」 「どのようなものをご所望ですかな」 「できるだけ綺麗な花を」  セリフィアは、トムの店で頼んだのと同じことを繰り返した。 「1gpくらいのもので、色はお任せします。いつごろ手に入りますか?」 「そうですな……フィルシムではどのくらい滞在されますか」  ミットルジュ爺さんは顎をさすりながら尋ねた。 「実はそのあとすぐにスルフト村へ行くんです。スルフト村からまたセロ村に戻るんですが…」 「では、復りにフィルシムに寄られたときにお渡ししましょう」 「ありがとうございます」  セリフィアは本当に嬉しそうに礼を言った。それから声を低めて、 「このことはだれにも言わないでください」 と、真剣な面持ちでつけ加えた。 「お客様の秘密は守りますよ。ご心配なく」  ミットルジュ爺さんに請け合ってもらって、セリフィアは、安堵したようにその場を離れた。  夜、ラクリマはセリフィアから「エオリスの訓えについて教えてくれ」と、突然頼まれた。最初は少し驚いたが、すぐに「何を知りたいんですか?」と了承した。セリフィアは「最初から全部」と言った。ラクリマは2、3の質問をしてから、彼が本当に基本中の基本---エオリスとリムリスの名前くらい---しか知らないことを把握した。それなら、と、通常、子どもたちに教えている内容から始めることにした。  1時間ばかり教えて、「このへんにしておきましょうか」と言うと、セリフィアは、 「ありがとう。また続きを教えてくれ」 と、言って、立ち上がった。どういう風の吹き回しだろう。見たところ、信仰に目覚めたというのとは一寸違うようなのだけれど……。  セリフィアには彼なりの思惑があった。  セリフィアはハイブが憎かった。それをばら撒くユートピア教は許せなかった。だがどうして彼らがハイブをばら撒くのかがまるで理解できない。そのとっかかりさえ掴めないのだ。ユートピア教が何故、何の目的でハイブをばら撒いているのかがわかれば、対抗策を講じやすくなるかもしれないと彼は考えた。それにはユートピア教の考え方を知ることが必要で、そのためにはまず正統なエオリスの教えを学び、対するユートピア教の異質さを知るようにした方がいいのではないか、というのが、今宵の「入信」の動機だった。  ヴァイオラにも聞こうと思っていたのだが、彼女が酒の臭いをさせていたため、今回はラクリマひとりに聞くことになった。 (でもそのうちに向こうにも聞いてみよう)  ヴァイオラにも酒を呑まない日があるといいな、と、セリフィアは思った。それがかなり困難な望みであることもうすうす感じながら。  セリフィアへの授業のあとでラクリマが宵の祈りに教会へ行くと、ちょうどガルモートのパーティがわいわいと、カウリーが使いやすいように、内部の模様替えをしているところだった。  ラクリマは遠慮して帰ろうとする気配を見せた。と、カウリーが引き留めた。 「散らかして申し訳ありませんが、どうぞお祈りは自由になさってください」  彼の言葉の裏には、教会を我がものとした自負と、それ以外の何かとが隠されていたが、ラクリマはいずれにも気づかず、素直に好意と受け取った。「ありがとうございます」と祭壇の前に額づき、それでもいつもの半分ほどで祈りを切り上げて宿に帰った。  2月30日。  この日のセリフィアは常になく早起きだった。手早く身支度を整えて、彼はトムの店へ駆けていったが、早朝のこととて扉は閉まっていた。 「おい、開けてくれ」  セリフィアは扉を容赦なく叩いた。やがてナイトキャップとナイトガウン姿のトムJr.が現れた。 「あ…ああ、あんたですか……なんですか、こんな朝早く……」  トムJr.はあくびを押さえながら言った。 「種! 種を売ってくれ! 俺は早く出かけちゃうんだ!!」 「はいはい、タネ、ね…」  トムJr.は諦め顔でセリフィアを中に入れた。カウンターの奥から何やら取り出して、セリフィアに渡した。 「今年、蒔き損ねた菜の花の種です。花は咲くが……」 「咲くが…?」 「実も生りますよ」  セリフィアは短く「ありがとう」と言って代価を支払い、急いで表に出た。  宿の裏手へ回り、昨日用意しておいた鉢に種を植えた。それからパチンパチンパチンと3回指を鳴らし、草花を育てる小魔術(キャントリップ)を使った。種は一つ目のパチンで芽を出し、二つ目のパチンでぐいぐい伸びて花が咲き、三つ目のパチンでは花が枯れて実がなってしまった。 (しまった、やりすぎたか!)  セリフィアは鉢の中身をその辺にあけた。 (でも……これでだいたいわかったぞ。3回は必要ないんだな…)  考えながら部屋に向かったので、ちょうど川原の「坊ちゃん塚」から帰ってきたヴァイオラが、向こうからじっと見ているのにも気づかなかった。ヴァイオラはセリフィアが離れの部屋に入ってしまってから呟いた。 「……何がやりたかったんだ、彼は?」  さすがのヴァイオラも測りかねた。  朝食の席で、彼女はセリフィアに尋ねた。 「そういえばセイ君、菜種油が欲しかったの?」  どうやら見られたらしいと思いながら、セリフィアは、「は? 何のことですか?」と空っとぼけてみせた。そこへマルガリータが元気よく入ってきた。 「ねえねえ! 裏の畑の菜の花が、花も通り越して全部実になっちゃってるんだけど!!」  どうも鉢植え以外まで、広く影響を与えてしまったらしかった。 「……失敗したんですか?」アルトがセリフィアにそっと尋ねた。それから彼は魔術の専門家らしく、「相談に乗りますよ」と申し出た。セリフィアは小さい声で「うん」と答えた。 「これ、おひたしにしようか〜」「あら、だめよ。もう育ちすぎちゃってるもの。あとは油を搾るしかできないわ」  マルガリータとヘレンがそんな会話を交わしているのを耳にして、ヴァイオラは(やっぱり菜種油が欲しかったのかな…)と思った。 5■道中難あり  隊商は見たこともないくらいの大所帯だった。荷馬車は、往きはたくさんの品物が積まれていたが、帰りは空っぽだった。代わりにスピットとレイビルの家族を載せることになっていた。通常の隊商と、フィルシムへ移住する2家族、自分たちのパーティに、さらにエリオットのパーティが列に加わった。 「我らが前を行こう。そなたたちは後ろを任せた」  エリオットはそう言ってさっさと前へ行ってしまった。一同は、前方はそのままエリオットに任せて、馬車の側面と後方とを固めることにした。  アルトは右手に黒いカバーのかかった鳥かごをぶらさげていた。籠もカバーもトムの店で買ったものだ。中には例のポケットドラゴンもといマジックミサイルが入っていた。 「ラクリマさん」  彼は自分の後ろを歩くラクリマに話しかけた。 「リードマジックの呪文を取りましたから、その指輪の文字も読めますよ。夜にでも見せてください」  夜になって、Gとセリフィアの様子に変化が現れた。新月期に入り、鬱状態になったらしい。  一同は夜直の順番を決めた。  エリオットのパーティは、一直目がエリオットとギルティ、二直目がアルバン、三直目をダルヴァッシュとアナスターシャが担当するという話だった。それも鑑みて、こちらは一直目にアルトとラクリマ、二直目にセリフィア、カイン、ロッツ、三直目にヴァイオラとGという順番にした。Gの番はわざとエリオットと別にした。悪さはしないだろうが、恐らくずっと話しかけてきて煩わしいだろうからだ。  ラクリマは夜直のときにアルトに指輪を見せた。アルトは呪文を唱え、指輪の表面に刻まれたルーン文字を読んだ。 「これは……プロテクションリングですよね?」  ラクリマはそうだと答えた。 「防護の効果を発揮するための文言ですね。あと、最後に製作者の名前が入ってます」 「なんて書いてあるんですか?」 「トーラファン=ファインドール」  指輪は、トーラファンその人が作ってくれたものらしかった。ラクリマはアルトに礼を言ってから、思い出したことがあって彼に尋ねた。 「アルトさんはラストンの方ですよね。あの、ハーヴェイ=バッカスというお役人さんをご存じですか?」 「ハーヴェイ=バッカス?」  アルトは何か記憶に引っかかるものがあって、じっと考えた。そして言った。 「そのひとは確か、ラストンが出した第一次ハイブ討伐隊に参加されてたと思います」 「第一次ハイブ討伐隊……その……戻られてないんですよね?」 「ええ。」アルトは首を振った。「そのあとで第二次、第三次と討伐隊が出てますから、まだ帰ってないんでしょうね。」  ハーヴェイ=バッカスは、トーラファンの話によれば、幼児だったラクリマを彼のところに連れてきた人物で、彼女の出生について語りうる唯一の(少なくとも現在彼女が知っている中では)人間だったが、ハイブ討伐から帰っていないということは、おそらく死亡したのだろう。ラクリマの中で、自分の出自に対する知的好奇心がこの瞬間にはっきりと、しかも急速に色を失った。 「そのひとが何か?」 「トーラファンさんの古いお知り合いなんですって」 「……トーラファンさんって、どういう魔術師さんなんですか?」  アルトの問いに応えて、ラクリマはトーラファンのことをずっと話した。特にゴーレムとマジックアイテムに関する造詣が深く、マジックアイテムを作るコツや特殊な力、簡便性や有効性まで教えてくれたこと。ゴーレムにもかなりの愛情を注いでおり(館の中に入ると一目瞭然なのだが)、ゴーレムの原材料の特徴と長所短所、やはり作るときのコツと使い方や戦い方、はてはゴーレムに個性を持たせるやり方---まるで子育てのようだった---まで、幅広く話してくれたこと。 「今度、機会があったらアルトさんも一緒に行ってみましょうよ」  アルトが好奇心丸出しなのを見て、ラクリマは彼を誘った。アルトは「ええ、ぜひ」と喜んだ。  3月2日。  昼頃、前方から馬車がやってきた。ドルトンたちの隊商だった。 「これはこれはエステラお嬢様」  ドルトンは慇懃無礼に挨拶して寄越した。 「初めてのお仕事はいかがでしたか。あ、もっとも初めてでは取引も何もございませんな」  ミットルジュ爺さんが皺だらけの顔にさらに眉間の縦皺を刻んだ。 「おや」と、ドルトンはエステラの荷馬車を見て声を上げた。「ずいぶんとまた大荷物ですなあ!」彼の背後でげらげらと品のない笑い声があがった。  エステラは顔色も変えずに、「おかげさまで無事に挨拶も終わりました。皆さんに助けていただいて、感謝しています」と述べた。 「いつまで助けてもらえるやら……ま、お金持ちなら問題ありませんかな。はっはっは。せいぜい頑張ってくださいよ」  ドルトンは四半刻近く嫌味を述べ立てたあとで、エステラたちの馬車を難なく避けてセロ村へ向かっていった。 「……大きなお声でよく笑う方たちですねぇ」  彼らの後ろ姿を振り返って、ラクリマが口にした。ヴァイオラはそれに答えて言った。 「脳に空気が足りないんだよ、きっと」  この日は、ロビィたちの荷馬車がハイブに襲撃された、その跡地で夜営する日だった。夕方の滲むような光のもとで目にする荷馬車の残骸は、ますます風化して、遺物のように見えた。 「ロビィ……無事に半分までやってきました。どうか残り半分、フィルシムまで守ってくださいね」  エステラは荷馬車の前で手を合わせ、祈った。アルトも彼女の斜め後ろにちょこんと並んで、一緒に手を合わせた。 「ああ、これがハイブに襲われたという隊商の荷馬車か」  エリオットの声がした。エリオットたちがこの残骸を見るのは初めてらしかった。 「ダルヴァッシュ、祈りを済ませておけ。アナスターシャ、お前もだ」  エリオットは相変わらず高飛車に、二人の僧侶に告げた。ダルヴァッシュは「仰せの通りに」と答えると、すぐさま祈りの姿勢に入った。アナスターシャは少しやる気のない様子が見え隠れしたが、エリオットの目を憚ってか、神妙な面もちでやはり祈りをあげ始めた。  スピットもその場にやってきて、祈りを捧げた。  ヴァイオラはツェーレンのために持ってきた酒を地に撒いた。  3月3日。 「ツェーレンにお詣りしておくと、道中安全になるよ」  昨日ヴァイオラが言ったとおり、何の障害もなく進んだ。  途中で蜂の大群が現れたが、運良くだれも襲われずに済んだ。  夕方、月の出と共に新月期が終了し、Gとセリフィアの鬱状態も終わった。  3月4日。  昼、街道の真ん中に一人の青年が突っ立っている。遠目に見たところ、20歳代後半くらいのようだ。鎧も武器も持っておらず、ただ首に紐の短い聖印を提げていた。足元には二匹のダイアウルフを従えていた。 (ウェアウルフか……? ここは虎族のなわばりじゃなかったのか?)  一同がそんなことを考えていると、向こうの青年が口を開いた。 「ここを通りたければ一人5gp置いていけ」  いきなり追いはぎタカリとは、高貴な獣人らしからぬ振る舞いで、一同は呆気にとられた。 「払わないと言ったら?」 「痛い目に遭うかもしれないな。」青年はニヤニヤして言った。「払えばもちろん何もしないで通してやる。実際、金を払ったヤツもいたぞ。」 「君たちの縄張りはスカルシ村じゃなかったのか」  ヴァイオラに青年は答えて言った。 「族長の意志でこっちにも手を広げることになった。最近、虎族がだらしないからな」  そんな仲間割れをしている場合じゃないだろう、獣人全体の問題とやらはどうなったんだ、と、言いたかったが、言っても無駄に終わりそうだった。  前にいたエリオットが、突然一歩進み出て、「金ならあるぞ」と言ってのけた。隠しから宝石を取り出し、地面に放った。 「だがお前の言うことには正当性がない。したがってこの金はやらん」  そう言って地に転がった宝石を足で踏みつけた。 「なるほど。痛い目に遭わないとわからないみたいだな」  言うなり、青年は狼の姿に変身した。  ヴァイオラはすかさずディテクトイビルを唱えた。今のところは目の前の3体だけのようだが、いつ背後や側面から奇襲を受けないとも限らなかった。  ラクリマのブレスがかかってから、Gは前へ移動した。  エリオットとアルバンはダルヴァッシュとアナスターシャからそれぞれストライキングの呪文をかけてもらい、目の前の狼青年目指して走り出した。狼青年はホールドパーソンを唱えた。エリオットとアルバン、ダルヴァッシュとアナスターシャはその場で凝固した。  セリフィアとカインが弓で相手を攻撃していたそのとき、ヴァイオラは新たな敵の存在を感じ取った。思った通り、側面に3体ずつ狼の伏兵を置いていたらしい。 「左右から敵、3体ずつ!!」  それだけ叫んで、背後のロッツとレイビルを守るために、自分も武器を取った。  予告通り、馬車の両側面に、それぞれ3体ずつのダイアウルフが現れた。  ラクリマがフリーパーソンを唱え、エリオットたちは行動の自由を取り戻した。エリオットはダルヴァッシュらを振り返り、「よくやった」と誉めたが、ダルヴァッシュは「私ではありません」と首を横に振った。エリオットは首を傾げながらも、正面の狼青年に向かって歩を進めた。  セリフィアとカインは武器を持ち替え、アルトは鳥かごからマジックミサイルを飛ばした。それに耐えて、狼青年は再びホールドパーソンを唱えた。今度はエリオットは抵抗したが、アルバンとGが固まってしまった。アナスターシャがフリーパーソンを唱え、二人は解放された。  ロッツは側面中央のダイアウルフに矢を射掛けたが、相手が堪えていないようなのに気づいた。 「こいつは普通の武器が効きませんぜ!」  どうやら3体ずつ現れたそのうち各一体は、ウェアウルフの変身形態のようだ。であれば銀か魔法の武器でなければ、攻撃しても相手は傷つかないはずだった。  ヴァイオラはこの間、ダイアウルフ相手に必殺の一撃を繰り出して、昇天させていた。  アルトはラクリマの前のダイアウルフにウェブをかけ、その行動の自由を奪った。  ラクリマはセリフィアに頼まれて、彼のグレートソードにブレスをかけてやった。セリフィアは目の前の狼---おそらくはウェアウルフ---に斬りつけたが、運悪く、そのグレートソードが折れてしまった。  正面の狼青年が、三たびホールドパーソンを唱えた。今度はエリオットだけが抵抗に失敗し、その場で動かなくなった。  ヴァイオラは自分の前方にいる狼形態のウェアウルフにボーラを投げ、首に巻き付けて気絶させた。すぐにそのウェアウルフを縛り上げに行った。  アルトは、先ほどウェブをかけたダイアウルフに油を撒き、キャントリップで火を点けた。ダイアウルフは生きながら燃やされ、死亡した。生肉の焼ける匂いが立ちこめ、お世辞にもいい気持ちとは言えなかった。  ここへ来て負けを悟ったらしく、正面の狼青年は逃亡した。あっという間のことで、Gには止められなかった。仕方なく、Gは背後の馬車を省みて「おーい、だれかフリーパーソンを使えるひと、いないか?」と呼ばわった。エリオットが相変わらず呪縛されたままだったからだ。  気絶したウェアウルフを治療していたラクリマはその声に顔を上げたが、「私、さっき使ってしまいました。ヴァイオラさん、お持ちですか?」と、隣にいたヴァイオラに尋ねた。 「ああ、じゃあ使うか」  エリオット一人に使うのはもったいないなぁと思いながら、ヴァイオラはフリーパーソンを唱え、エリオットに自由を与えた。  エリオットは縛を解かれるなり、「皆の者、よくやった!」と全員にお褒めの言葉を賜った。彼はさらにGに近寄って「G、手柄だ」と特に彼女を誉めた。 「だが、リーダーには逃げられてしまった」  Gがそう言うと、 「なに、上出来だ」 と、上機嫌で笑い声をあげた。先ほど地に転がした宝石は、ちゃっかりギルティの懐に収まっていたが、そんなことは気にもしていないようだった。 「彼が言ったこと、ホント?」  ヴァイオラは、ラクリマの治療で意識を取り戻したウェアウルフに尋ねた。 「本当だ。虎族の動きが鈍いから、領土を拡大しようとしてるんだ。族長が決めたことだ」 「ふぅん……君たち、そんなことしてていいの? 獣人族全体で重大な問題が持ち上がってるんじゃなかったの?」  ウェアウルフはそれには答えず、 「これだけ豊かな森を手に入れれば、もうだれも飢えなくなるんだ」 と、お題目を唱えた。セリフィアが横から口を挟んだ。 「どうする。殺すか?」  さすがにウェアウルフも怯えたような目をした。 「殺すことはないでしょ。でも今すぐ放すと報復が怖いし、もう少し話を聞きたいから、ちょっとの間、一緒に来てもらおう」  ヴァイオラがそう言ったので、一同はウェアウルフの四つ足をロープで縛り上げ、荷馬車の尾板に転がした。 「ジーさん、ちょうどいいから、いろいろ話を聞きだしておいて」  ヴァイオラの言に、Gは困ったような顔をした。 「何を聞けばいいんだ? あいつ、そんなにいろいろ知らないと思うけど…」 「何でもいいんだよ。そうだね、狼族に伝わる伝承でもいいんだ。それだってジーさん、きっと君が自分を取り戻すのに役立つと思うよ」  Gはなおも訝しげにしていたが、「わかった」と答えた。ウェアウルフに向き直り、 「ほら、狼族の伝承を話せ」  ストレートに、話を聞き出そうとした。  ウェアウルフは、「その程度の話で命が助かるなら……」と、べらべらしゃべり出した。  曰く、狼族は四大氏族のひとつで、獣人としてはクレリック能力を司る。また、彼らの一族は聖剣を有していた。「ザ・ソード」と呼ばれるそれは「四聖宝」のひとつであるが、もともとは他の種族の持ち物だった。彼らが滅びたために「その聖宝を奪ってやったんだ」と、下っ端ウェアウルフことガーウは自慢げに語った。だが、結局のところ、ザ・ソードを含めた「四聖宝」は今はすべてが失われていた。 「ある人間が全部集めて、どこかにやっちまいやがった」  もともと「四聖宝」は、獣人族が世界の覇王になるために必要なアイテムだったが、一人の男の所為で、すべて行方不明になったというのが彼の説明だった。  狼族の動きについては、Gが「知らないだろう」と言ったとおり、「上の意向通りに動いているだけ」のようだった。先ほどの若いリーダーがダーウォグフという名であることくらいしか聞き出せなかった。 「そういえば、2ヶ月くらい前にセロ村を襲ったでしょ。なぜ襲ったの?」 「それは……人間を村から追い出すつもりだった。虎族はいないし、人間を追い出せばあの一帯はおれたちのものだ」  本当にそれだけだろうか、と、思いながらヴァイオラは話を聞き続けた。その結果、彼らの一族を除いて、獣人族は人間社会と手を切ろうとしているということがわかった。 「で、君たちの一族は手を切らない方に決めてるわけ? スカルシ村が居心地いいから?」 「上の考えてることだからわからないって言ったろ。もっとも今はスカルシ村にはいないんだが」  そこまで言ってから、彼はハッと口を噤んだ。が、遅かった。 「ふぅん、そう。狼族って、今はスカルシ村にいないんだ」  ヴァイオラはにっこり微笑んだ。  3月5日。  さらに丸一日歩かせてから、ガーウを解放した。  ラクリマが「もう悪いことをしないでくださいね」と言うと、彼は遠くへ去りながら「それは無理だと思うなぁ〜!」と反省のない態度を露わにした。 「今度会ったら、さっさと逃げろよ〜」  ヴァイオラやGの風変わりな声援を背に、彼は森の中へ消えていった。 6■語らい  3月7日の夜。  食事が終わって、ラクリマはカインを見た。彼が覆面をまた引き上げているのを確認してからそばに寄って、言った。 「カインさん。よかったら前のお仲間の話を聞かせていただけませんか……もしよければ、最後に離れ離れになったときのことも」  カインは一瞬押し黙ったあと、落ち着いた声で語りだした。  リューヴィルは俺の親友だ(言いながらカインは彼の遺髪に目をやったようだった)。俺たちのパーティのリーダーだった。いいとこの商人の息子のくせに、よく裏町の、俺なんかの溜まり場に遊びに来ていた。気兼ねなくつきあえるいいやつだった。口数は多いがそれだけじゃなく実行力もあった。大胆なやつで……。女にはちょっとだらしなくて、ファラとよく喧嘩してた。俺たちは「夫婦喧嘩」って笑ってたが。  ファラは、俺と同じストリート上がりで、きっぷのいい女盗賊だ。度胸はリューヴィル以上、だが徹底したリアリストで、よく冷めた台詞を吐いた。そのくせリューヴィルとのつきあいはやめられないみたいで、逆に俺たちが「目を覚ませ」って言ってやることが多かった。パーティの財布は彼女が握ってた。  ディートリッヒって名前の魔術師も仲間にいた。無駄なことをすごく嫌がるやつで、少し冷たい感じのするやつ……。俺たちとはいつも少しずつ距離を置いていたかもしれない。彼も若かった。もともとラストンの貴族出身だったらしいが、ハイブのせいで故郷を失い、やはりハイブを憎んでいた。  アルトーマスも、俺やリューヴィルと同じ戦士だった。トーマスは---俺は彼のことはトーマスと呼んでいた---彼はのんびりした穏やかなやつで、どこかの貴族のご落胤じゃないかって仲間では噂してた。一番年上で、だからってわけだけじゃないだろうが、彼がいるといつも落ち着けた。変に頑固なところもあるやつだったけど……。お茶を飲むのが好きだったな。  ジェラルディンはトーマスの妹で…………君にそっくりだっていった女の子だ。君と同じ僧侶で……。ジェラは俺の恋人だ。見た目は君とそっくりだが、中身は全然似てない……と、思う。何でもはっきり口にする子で、最初の頃はよく喧嘩した。すぐに「これだから冒険者は」って言うからこっちもかっとなったりして。ああ、そうだな、冒険に関してはあまりいい感情を持ってなかった。ただ、ハイブに家を焼きだされてしまって、トーマスと二人で仕方なく冒険者になったんだ。でも決してくよくよしたりしなかった。いつも前向きでしっかりしてて面倒見がよくて…………  カインは少しの間、口を噤んでいた。ラクリマは静かに言った。 「早く会えるといいですね」 「ああ…」  カインはそれから、彼らと離れ離れになったときのことについても語った。突然現れたハイブたちのこと。繰り出される魔法、麻痺毒にやられ倒れる仲間、逃げようとしても執拗に追ってくる不気味な怪物たち、トーマスの最後、そして……崖上でのジェラルディンとの別れ。  一気に語り終えて、彼は息をついた。そして最後に、 「俺は仲間のために戦う。生きて、めぐりあうまで。……きっとめぐりあったあとも」  カインはそう言って言葉を結んだ。  ふっと、彼はラクリマを見た。彼女は、ハイブコアでの話からこっち、声はあげないけれどほとんど泣き通しだった。 「聞いてもらえて楽になった」  カインは言った。 「君も……何か悩みを持っているなら……俺では無理かもしれないが、できればヴァイオラさんかGに相談するといい」  ラクリマは驚いて涙を止めた。が、うまく答を返せず、「え、ええ……いえ、私は……」などとまとまりのない言葉を並べた。  先ほどからやや離れた場所で二人を見ていたヴァイオラとGは、カインのことでひそひそと話をしていた。自らが喋り終えたせいか、その断片が彼の耳に届いた。 「カインは‥‥‥‥にそっくりな時点で怪しいよな」 「そういえばヴァイオラさん、ガラナークでは双子ってすごく嫌われるんですよ。『不吉だ』とかってこっそり里子に出したりするみたいです。実際にそういう話も知ってるし…」 「ガラナーク人はどうしてそう、しょうもない迷信に振り回されるんだろうね……しかし双子か。あれだけそっくりだと、あり得ない話じゃないね」 「俺の顔がどうとかって、何の話をしているんだ」  カインは座ったまま声を上げた。ヴァイオラとGは話すのを止めた。 「陰で話すのはやめてもらいたい。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」 「単に、君は本当によく似ているって話だよ」 「レスタトにか?」  その名前を口にした瞬間、ラクリマが動揺するのが見えた。手で手を拭うようにしながら、彼女は「わ、私、あと片づけをしてきます」と言って立ち上がった。立ち上がるところから転びそうで危なっかしかった。 「ばーか」 「ばーか」  ラクリマがよろよろと立ち去ったところで、ヴァイオラとGがカインに畳みかけるように唱和した。カインがムッとしながら、それでも大人しく次の言葉を待っていると、まずGが口を開いた。 「ラクリマさんの前で奴の名前を口にするな。理由はお前だってわかってるんじゃないのか? この間、ヴァーさんから全部聞いただろうが。今度彼女を泣かせたら、お前を殺すぞ」 「まあまあ、ジーさん、そこまで言わなくても」 「だってラクリマさんが可哀想じゃないですかっ!」  Gは声を荒げた。ヴァイオラはこれに応えて言った。 「いや、ラッキーもね、あのくらい耐えられるようにならなきゃ駄目だから」 「だって、あんなに傷ついてるんですよ…!」 「司祭は人間的に成長しなければいけないんだから、これくらいの困難も何てことないと感じられるようにならなきゃ駄目なんだ」 「………」  短い沈黙のさなかに、向こうで湯を沸かす銅鍋のがらんがしゃんと転がる音がして、皆、思わずそちらに気を取られた。続けてアルトが「いいですよ、ラクリマさん、ボクがやりますから」と言うのが聞こえた。Gはもう一声、こっそりと口にした。 「…ばーか」  カインはそれを聞き流して話を戻した。 「……それより、俺の顔がどうとかって、何の話だ。もともとそっちがそういう話を持ち出したんだろう」 「そのことは決着がついたときに話す」  Gは突き放すようにカインに言った。 「決着? 何の決着だ」 「ジェラルディンの」  カインは「どういう意味だ」と訝しげに問うた。 「ジェラルディンは生きてるかもしれないんだろう? 彼女と再びめぐりあったときに、カインがこのパーティから離れるかどうか、それが決まってから話す」 「俺はこのパーティを離れる気はない」  カインははっきりと二人に告げた。 「それにここまでにもう十分、巻き込まれているだろう」 「巻き込まれていても、自由意志で離れるのは構わないと思ってるからね」  今度はヴァイオラが口を利いた。カインはそれに応えて言った。 「俺は、ここで、あなたたちと一緒に真実に到達したいんだ」  Gとヴァイオラは顔を見合わせた。 「実際の話、ジェラルディンが見つかったら、ボーヤと彼女はどうするんだ?」 「できれば……彼女も仲間に加えて欲しい」 「……それはラッキー次第だね」  ヴァイオラはそう言ってラクリマを呼んだ。 「ラッキー、もしもそっくりなひとがパーティに入りたいって言ってきたら、どうする?」 「…そ、そっくりって、だれにですか?」  ラクリマは相変わらず手で手をいじりながらこわごわ聞き返した。これ以上レスタトのそっくりさんに増えられては、さすがに耐え切る自信がなかったからだ。 「ラッキーのそっくりさん」 「ああ」と、彼女は吐息をついた。「構いませんけど。」 「ありがと。それだけだよ。アルトを見てきてくれる?」  ラクリマは「はい」と言って再び離れていった。彼女が十分に離れたのを見届けて、Gはカインに言った。 「お前はレスタトの兄弟だ、たぶん。顔もだが、声も体つきもそっくりなんだ。他人というには似すぎている。双子としか考えられない」  ヴァイオラはそのあとを継いで言った。 「ガラナークでは双子が不吉とされる話があるというから、そのせいだろう。ボーヤは里子か捨子か…問い合わせてみればわかるだろうね」  カインはしばらく考え込んでいたが、 「今の俺は俺だし、それ以外に不満もない。問い合わせてまで知る必要はないと思うが」 と、述べた。  その日はそれでお終いになった。  就寝前、ヴァイオラは、だれにも見られないようにしてコミュニケーションスクロールを取り出し、ロウニリス宛に通信文を書き込んだ。 <明日フィルシムに着く> <了解>  返答は簡潔にして迅速だった。そのあとで、もうひとつふたつ思い出したことがあって、ヴァイオラは再び書き込んだ。 <セロ村村長死亡。狼族勢力拡大中>  今度も返答は早かった。 <前者既知。後者無視できないので調査継続>  3月8日。  夕刻、無事にフィルシムに到着した。さすがにエステラ嬢はホッとしたさまを隠せなかった。肩の荷が降りた感じだった。  城門のところで、セリフィアは呼び止められた。 「セリフィアさん! お元気でしたか、師匠!」  振り向くと、以前、一度だけ一緒に夜間警備をしたことのある駆け出し戦士、グルバディ=パースがいた。今日も門衛として働きに出ているらしい。彼が子犬のようにじゃれつこうとするのを、「悪いが、受付をさせてくれないか」と言ってセリフィアは通り抜けた。  門内に入って、皆、それぞれの向かうところへ別れていった。エリオットたちは即刻、マスタリーの道場へ向かったらしかった。  一同は勝手知ったる「青龍」亭に宿をとることにした。ラクリマだけ、パシエンス修道院に泊まることになった。 「明日、発つんだろう? それなら今日のうちに修道院へ挨拶に行ってくる」  セリフィアがそう言うのを聞いて、ヴァイオラはクスッと笑った。  Gは「青龍」亭の部屋に入ったあと、ヴァイオラに「さっき、どうして笑ったんだ?」と尋ねた。 「いや、セイ君がパシエンスのサラさんに懐いてるなぁと思ってね」 「サラさんって……あの、エライひとか?」  Gの中ではサラは「エライひと」になっていた。特に訂正する必要も感じなかったので、ヴァイオラはそうだと答えた。 「だって、あのひと、セリフィアさんより年上じゃないか」  いきなり話が変な方へ行くなと思いつつ、ヴァイオラは、 「年上だって問題ないでしょ。セイ君なんか年上の方がかえって安心するんじゃないの」 と、適当に答えた。 「そういえば……セリフィアさんって、ミーア=エイストに世話になったって……あの女のことも好きみたいだった。もしかして……」 (もしかしてセリフィアさんって、おばさんコンプレックス…!?)  Gは心から驚いた。ショックだった。せっかくラクリマさんとお似合いだと思ってたのに……。 (……何を考えてるんだろうね、この娘は)  普通なら、サラに対して嫉妬しているかと思うところだが、どうもそういう色合いではなさそうだった。相変わらず鷹族の考えることは謎だ、と、ヴァイオラは思った。  ラクリマは修道院に帰る前に、セリフィアとカインと一緒にトーラファンの館を訪れた。  今日、フィルシムに到着する前に、カインの指輪---一同に倒されたユートピア教幹部・故エドウィナの持ち物で、はめた途端に外れなくなった---をどうすればいいかヴァイオラに相談したのだが、その折に「だれかレベルの高い魔術師にでも見てもらうといいかもしれない」とアドバイスを受けた。それでカインも一緒に行かないかと誘ったのだった。 「おや、あなたたちでしたか」  玄関口に現れたクリスタルスタチューのフィーファリカは、ラクリマたちの顔を一通り眺めてからそう言った。 「あの、お邪魔でなければ、トーラファンさんにお話ししたいことが…」  ラクリマが遠慮がちに言うと、フィーファリカは「大丈夫ですよ。どうぞ」と言って一行を館の中に招き入れた。  いつもの応接室に通され、ソファに腰掛けて待った。ほどなくしてトーラファンが現れた。 「久しぶりだな。元気か?」 「はい。ありがとうございます。あの……実はご相談したいことがあって……」 「何かな?」 「カインさん…」  ラクリマに促され、カインは簡単な説明と共に、指輪のはまった指を彼に見せた。 「ほう…スペルストアリングか。ユートピア教の紋が入っているな。ふむ、なるほど、ふたつ呪文が残っているが、もともと4つ入るようだな」  トーラファンの見立て通りで、4つあった呪文のうち、ソードとディスペルマジックの呪文は空になっているはずだった。トーラファンはカインの顔を見て告げた。 「そなたとはアライメントが合わないようだ。アライメントが合わないと、自動的に攻撃を受ける仕組みになっている」 「ええ、もう受けました」 「そうだろうな」  トーラファンは何か諳んじてから、ラクリマたちを見回した。 「どうしたいかね? 外したいなら、鑑定料を差し引いて2万gpで引き取るが」 「2万gp!?」  突然の高額な申し出に、一同は驚いた。トーラファンは付け足して言った。 「そのままはめていても特に問題はないぞ」  ラクリマは尋ねた。 「あの…場所がユートピア教のひとから探知されるとか、そういうことはないんですか?」 「それはない」  カインは迷った。探知される危険性がないなら、このまま持っていた方が役に立つかもしれないと思ったからだ。だがそうやって逡巡していたとき、 「いや、やはり外した方がいいだろう。ユートピア教の紋が入っているんだ、何かのときに面倒に巻き込まれないとも限らない」 と、セリフィアが言うのが耳に入った。 「とりあえず、一度宿に戻ってみんなに相談したらどうだろう?」  セリフィアは続けて意見した。カインもその方がいいと思ったので、一旦、「青龍」亭に話を持ち帰りたいとトーラファンに頼んだ。 「じゃあ、私はここで待ってますね」  トーラファンと雑談するラクリマを残して、セリフィアとカインは「青龍」亭へ急ぎ戻った。  話を聞きながら、ヴァイオラは別なことを考えていた。 (わざわざ仲間の意見を聞きに戻るなんて、セイ君も成長したね) 「どうする? 換金してしまっていいだろうか?」 「いいんじゃないの」 「いいと思います」  ヴァイオラとアルトは立て続けに賛意を表明した。 「じゃあもう一回戻って、これを外してもらってくる」  ヴァイオラはアルトを向いて言った。 「ついでだから指輪を見て覚えてきたら? ロケートオブジェクトとか覚えたときに使うかもしれないんだし」 「あ、じゃあボクも一緒に行きますね。いいですかぁ?」 「ああ…構わないんじゃないか」  カインはアルトに答え、今度はアルトも同道することになった。と、今まで黙っていたGが、 「ラクリマさんはどうしたんだ」 「向こうで待ってる」 「置いてきたのか…?」  Gは信じられない、という顔をした。  ともあれ、3人はトーラファンの館に向かった。 7■転生  トーラファンは驚愕も顕わにアルトを見た。 「そなたは私が戻るまで必ずここで待っているように!」  強い口調でアルトに言い置くと、フィーファリカを呼びながら彼は魔法の絨毯を呼び出した。カインに向かって「乗り給え」と早口で言い、フィーファリカと自分も絨毯に乗り込んだ。 「あの、ボクも一緒に行っちゃいけませんか?」  アルトがおずおずと申し出ると、トーラファンは一寸逡巡したあとで、「フィーファリカ、悪いが彼女たちの相手をして待っていてくれ。絨毯の運転は私がしよう」と言って、アルトを代わりに乗せた。どうやら絨毯は3人までしか乗れないらしかった。  空飛ぶ絨毯はほどなく中規模の神殿に到着した。トーラファンはずかずかと中に入って行き、そこにいた神官に呪文の代価を支払うなり、「ディスペル・イビルをかけてくれ」とカインの指を差し出して言った。  ディスペルイビルの呪文によって、エドウィナの指輪はカインの指から外れた。アルトはそれを見せてもらい、後々に役立てようと記憶に刻んだ。 「近頃お騒がせのユートピア教のものらしいぞ。奴ら、こんなものまで作っておるとは……もっともわしだったらこのくらい、幾らでも作れるがな」 「ええ、貴方でしたら、そうでしょうね」  トーラファンと神官の会話を聞いて、カインもアルトも改めて彼が高位の魔術師であることを認識し直した。 「では戻ろう」  フライング・カーペットはあっという間に3人を元の館に運んだ。 「さて」と、トーラファンは言った。「支払いはどうするかね。悪いが、金貨は持ち合わせておらんが」 「宝石でお願いします。できれば7人に分けられるようにしていただけるとありがたいのですが」  セリフィアがそう言ったので、トーラファンはフィーファリカに、2万gpを適当に宝石で7等分した袋を作るように言った。 「あの……ボクが何か……?」  アルトがまたおずおずとトーラファンに訊ねると、トーラファンはおもむろにアルトの方を振り向いた。 「そなたは今、何歳だ?」 「ええと……」  アルトが答えに詰まっていると、ラクリマが横から「15歳ですよね」と言った。トーラファンは訝しげに目を細めた。 「……何か他と違ってできることは?」 「傷が治せるんですよ!」  今度も発言したのはラクリマだった。その彼女を指して、トーラファンはアルトに訊いた。 「…彼女に見覚えは?」 「えっ? えっと、2ヶ月前にあったばかりです。そうですよね、ラクリマさん?」 「え、ええ……」  トーラファンはやや考え込んだ。それからラクリマに向き直って言った。 「気をつけるように」 「…え?」 「大丈夫なのか……いや……本当は彼と一緒にいない方が……」  トーラファンはさらに不気味な呟きを洩らした。アルトは不安に駆られた。 「ボクは人間じゃないんですか?」  いきなりそう訊ねた。 「皆の前で言っていいのかね」  トーラファンはアルトに聞き返した。アルトは考え、自分だけで知ったとしても結局は報告することになるのだから、と、「お願いします」と答えた。  トーラファンの回答は、全く予期せざるものだった。 「そなたは人間だ。100%、な。単にそなたは生まれ変わりなのだ。だれの転生かは知っているが……儂の口からはとても言えぬ」  トーラファンはそう言っておきながら、堰を切ったように喋り出した。 「転生前の奴はマジックマスタリーを使えなかったが……その能力を手に入れることに成功したわけか」 「マジックマスタリー…?」  ラクリマは思わず聞き返してしまった。 「君たちが知らぬのも無理はない。これはサーランド時代の人間ならだれでも使えた能力だが、今の世では失われているからな。もっとも、完全に失われたわけではない。一番最近の人間でこの能力を持っていたのは、ステビア前国王か。あとはショーテスのキチガイも使えるという噂だが、真偽のほどは知らん。だがそれは問題ではない。問題は……」  トーラファンはアルトを凝視した。一息ついて、再び口を開いた。 「今のまま生きていてくれ。昔のことは思い出すな。本当はラクリマと一緒にいない方がいいのだが……彼女の存在が以前の記憶を誘発する恐れがある」  アルトたちはただ呆然としていた。言葉もなかった。 「その…」やっとカインが口を開いた。「昔の記憶が戻るとどうなるんですか。何か問題があるんですか」 「彼は邪悪なことも平気でやれる人間だった」  トーラファンは端的に答えた。 「昔の意識が目覚めた途端、君たちに襲いかかる危険もある。本当は……本当はやはり一緒にいてほしくないが……」  彼はそう言って最後にラクリマを見た。ラクリマもどう答えていいかわからなかった。  ヴァイオラとGは「青龍」亭から隊商ギルドへ向かった。スルフト村までの道のりで、隊商を護衛する契約を結ぶためだ。  故アズベクト村長が言っていた通り、スルフト村へは毎日隊商が出発しているという話だった。実質はクダヒ行きの隊商が村を中継して向かうというのがほとんどだったが。ヴァイオラは明朝出発の隊商の護衛としてついて行きたい旨を伝えた。ギルドの受付は、 「他にも申し込んできたパーティがいるが、君たちの話は聞いているから、隊商も優先的に契約するだろう。ただ、スルフト村までだと報酬は少ないが、いいか?」 と、述べた。少しずつ、ヴァイオラたちも実力を認められだしているようだ。  聞けば、食事は向こう持ちで、往路だけで護衛代一人頭2gpとのことだった。 「食事が出るなら十分ですよね、ヴァイオラさん」  ヴァイオラは肯いて、「契約をお願いします」と受付に頼んだ。  二人は「青龍」亭に戻った。部屋にはロッツしかおらず、セリフィアたちはまだ帰ってきていなかった。それから暫く待ったが、彼らは帰る気配もなかった。 「先に食べてしまおう。どうせ向こうでいただいてるんだよ」  ヴァイオラはGに夕食を促したが、Gは「待ってます」と言って食べに行こうとしなかった。ヴァイオラはロッツと二人で階下で夕食を済ませ、食いはぐれないようにGの分の食事を部屋に運ばせた。  ヴァイオラの推測通り、ラクリマたちはトーラファンの館でもてなしを受けていた。 「以前、俺が半分人間じゃないと言われましたが、どういうことですか」  セリフィアはテーブル上で、この間から疑問に思っていたことを口にした。 「まぁ、そなたも人間だ。そなたの場合は半分ほどに薄まっているしな…」 「何がですか?」  トーラファンは謎掛けのような答を返した。 「普通の魔術師とサーランドの血を引く魔術師とでは全く違うものだ」  自分にはその「サーランドの血」が混じっているということだろうか、と、セリフィアは思った。それから、もうひとつ、この間の夜中に現れた魔法の剣のことも話してみた。 「サーランド時代に狂った魔術師がそんな剣を作ったと聞いたことがあるな……」  トーラファンは考え考え口にした。 「柄と刀身は別物のようでした。柄ははっきりラストンであとから作られたものだと思います」 「例のノーマルソード+3のことですよね?」  アルトが口を挟んだ。 「+3? 儂が知っているのは+5だが……。ではラストンで鍛え直して、加工に失敗して実力が発揮し切れていないということか。ラストンの方に探りを入れてみるか…」  セリフィアは続けて、自分の持っている以外の10フィートソードの行方も知らないか尋ねてみた。その結果、+1がスカルシ・ハルシアの手許に、+2がグッナード=ロジャス、+3がマリス=エイストの所有となっていることが確認できた。+4および+5は相変わらず行方不明のままらしかった。  晩餐も終わり、暇を告げる前に、アルトはトーラファンに尋ねた。 「ロフという占い師を知りませんか? お師匠様に『彼に会え』と言われているんですけど…」  トーラファンは知らないと答えた。それから、帰ろうとする一同を引き留め、どこかへ姿を消した。すぐに戻ってきて、アルトにひとつの指輪を渡した。 「これをはめるがいい。これはイビルな人間にはつけられない指輪だ。イビルになると黒く変色し、痛みを伴う。そなたが昔の記憶を取り戻して、ラクリマたちに害を為そうとするようなときに、何とか数秒間は保たせられるだろう。彼の力をもってすれば、こんな指輪などものの十秒で処分されてしまうだろうがな」  それから思い出したように、 「さすがに無料で渡すわけにはいかん。先ほどのスペルストアリングの代価のうち、君の分の宝石をそっくり差し引かせてもらおう」 と、アルトに告げた。アルトに異存はなかった。彼はその場で指輪をはめた。  ラクリマをその本拠地であるパシエンス修道院に送り届けたあと、3人は「青龍」亭へ戻った。セリフィアはパシエンスでラグナーに挨拶しようと思っていたが、トーラファンの館で時間を取りすぎて、彼はもう寝たあとだった。 「遅かったじゃないか」  ヴァイオラはわざと棘のある声で言った。出ていったきり戻らないなんて、まるで子どもの遣いだ。先ほどちらりとセリフィアのことを「大人になった」と思ったが、その評価は撤回した。  セリフィアたちは今になってやっと反省したようだった。 「夕食は?」 「トーラファンさんのところで…」 「ほらね、ジーさん。待ってたって無駄だって言ったでしょ。もう遅いし冷たくなっちゃったけど、食事はした方がいいよ」  ヴァイオラはGに向かって言った。セリフィアもカインもアルトも、Gが食事も取らずに自分たちを待っていたのだと知って、済まなさでいっぱいになった。 「なに、7人分に分けてもらったの? そんなことしないで、全体でいい使い道を考えた方がいいんじゃないの?」  トーラファンからの指輪の代金について話をしたところ、ヴァイオラからそのような意見が出たので、一同は改めて17250gpの用途について話し合った。結果、実用面でも、他に対する体面からも、魔法の武器を購入した方がいいのではないかということになった。「明日の朝早く、もう一度トーラファンさんのところへ行って、購入できないか相談してみよう」という話に落ち着いた。  そのあとで、セリフィアはトーラファンのところで知った自分に関する情報を、ヴァイオラとGにも公開した。  それに続いてアルトも自分のことを話した。自分が転生体であること。しかも転生前の人格は悪人であるらしいこと。イビルになると黒く変色する指輪をもらったこと。 「つまり、それが黒くなったらもう猶予はならないってことだ」  ヴァイオラはアルトに確認した。 「その転生前の人格が現れると、ちびはどうなっちゃうの?」 「たぶん、消えるんじゃないでしょうか」  アルトは説明した。普通の転生体の場合、アルトのように別人格が生まれたりはしないで、最初からそのひと本人の人格として意識を持つ。自分の場合は特殊のようなので、今ある人格と転生前の人格とはおそらく相容れないだろう。 「そうか。じゃあやることは一つだ」  ヴァイオラは断言した。 「自分をしっかり持て。アルトが消えなければ、きっと元の人格も現れられないんだろう? もっと修行するんだね」 「はい」  アルトは神妙に答えた。  その晩、アルトは夢を見た。  彼の意識はある一室を覗き見ていた。  その部屋に集ったのは3人の人間たち。僧侶らしい初老の男性と、やはり初老の女性の魔術師---彼女のことはとても懐かしい感じがした---、それに戦士風にはとても見えない服装をした、一見若々しく見える青年戦士。いずれ劣らぬ実力の持ち主のようだ。 (…よくも<私>のために揃えてくれたものだ。ふふふ、来るがよい。待っているぞ…)  アルトは、いや、「彼」の意識はそう思ったようだった。  次の瞬間、視点は別の場所に移っていた。  それはどこかの迷宮のようだった。竜王山……なぜだかその名前が頭に浮かんだ。  先ほどの3人は、ゴーレムたちの助けも借りて、フロストサラマンダー12体を屠ったところだった。軽く始末をしてから、扉にブロンズゴーレムとアンバーゴーレムとを向かわせる。が、扉を開けた瞬間、天井が崩れ落ちて2体のゴーレムは瓦礫の下に消え去った。扉と見えたものの向こうが壁であるのを認め、初老の男が言うのが聞こえた。 「さて道が無くなったか。一つ呪文に頼るか」  そうだ、こっちだ。  『ファインドパス』の呪文は何もない壁を指し示し、掻き消えた。また男の声。「さすがに、最後までは見せてくれぬか。」  あとの二人もトラップ、シークレットドアについて調べたが、見つからない。だが女魔術師がマジックドアと看破し、呪文でこちらの内部を探ってきた。先にある広い部屋にはヒュージグリーンドラゴン。  ここまで来たか……  彼らはまたしてもブロンズゴーレムの力を恃み、呪文で強化してから先行投入してきた。ゴーレムが攻撃を叩き込んだあと、青年が「とぅ」とわざとらしい掛け声と共に飛び込んできて、ドラゴンに止めを刺した。そろそろ出番だ。  <私>は彼らの背後に自らを投射し、『タイムストップ』の呪文詠唱に入った。 「しまった! ……気配が全くなかったというのに……」  呪文は成立し、男の声は止まった。  3つの赤い宝石の輝きと、『アイスストーム』の嵐……総ての光と轟音、嵐が収まったとき……だがまだ青年を除く二人は立っていた。 「リナールはさすがにくたばったか……しかし、お前の呪文も『サイレンス』で封じたぞ。」  馬鹿め。  <私>は、次の呪文詠唱に入った。  アートンとマジェンダのまわりに再び『アイスストーム』を……だが、嵐はマジェンダのスタッフの中に吸い込まれていった。 「気をつけて、『プロジェクトイメージ』よ。この近くに本体がいるはずだけれど」 「そうか、ならば『トゥルーサイト』!」  女の方は、その間に『マジックミサイル』を滞空させている。 「そのドラゴンの中に隠れておる。……ドラゴンも動き出すぞ、気をつけろ」  いったん倒されたドラゴンはアンデッドドラゴンとして復活させた。が、彼女の11本の『マジックミサイル』によって再び動かなくなった。 「いい加減出てこい。一人でここまでやれたことは称賛に値するが、もう潮時だ」  潮時……なぜだ……なぜ<私>が……  ドラゴンの死体の中からふらりと浮遊する『スタチュー』。  『ライトニングボルト』。女魔術師は、有無をいわさず呪文を放った。  電撃は『スタチュー』を貫いた。<私>は元の姿に戻って、落下した。耳障りな音がした。  …<私>が…負ける…<私>の研究は…完璧なはずだ…<私>は正しい…  …これが有れば神をも超える…超えられるのだ…  …確認しよう…<私>が作り替えた世界を…  …そうだ…確認しよう…新しい身体で…  金属板の共鳴のような声……だれの意識ともわからない、自分の声とも思えない、だが存在に肉薄したそれは、やがて他の夢と混ざり合い、薄れ、そして遠ざかっていった。 8■長い訣(わか)れ  3月9日、早朝。  セリフィアとカインは早朝に再度トーラファンの館を訪れ、+1のグレートソードを買いたいと申し入れた。トーラファンはちょうど在庫があるといって、大きな剣を3振り、出してきた。セリフィアは柄に赤の装飾が施されているものを選んだ。 「ラクリマの大切な友人だから、5%引でいい。14250gpだ」  余った3000gpで何か適当なものが買えないかと思い、ポーション類について何があるか聞いてみたが、とりあえず買わなくてもよさそうなものばかりだった。一番欲しかったバグリペラントポーションは今はないとのことだった。  3000gpについてはアルトを除いた6人で分けることにし、ガーネット30個のかたちでもらい直した。パシエンスに寄ってラクリマを伴い、「青龍」亭に戻った。  この日、アルトは起きるなりGを見て思った。 (ライカンスロープか……鷹族だな。珍しい能力だ。この力を自分のものにしたい……いやいや、そんなことを考えてはいけない)  また、セリフィアを見て思った。 (魔力が強いな……この力も自分のものにしたい………いやいや、そんなことを考えてはいけない)  最後に修道院から戻ってきたラクリマを見て、 (自分の色がする……? うむ……わからん……)  だが、これらはほんの閃きのようなもので、次の瞬間には彼は自分が思ったことを忘れてしまっていた。  ラクリマはヴァイオラに、 「トーラファンさんのご厚意で、ムーンフラワーを10回分いただきました」 と昨日のことを報告した。本来1つあたり1gpの売値のものを、無料で譲ってもらったということだった。ヴァイオラはよかったねと応じたあと、「今のうちに、手に入れられるだけ手に入れておいた方がいいかもしれないね」と言った。  結局アルト以外は皆500gpずつの収入を得たので、セリフィアとラクリマはウェポンマスタリーのときに借りた500gpをそっくりGに返すことができた。Gはそれら1000gp分のガーネットをヴァイオラに渡して言った。 「いろいろと入り用だろう? 使ってくれ」  朝というにはやや遅い時間帯に、一行は出発した。待ち合わせに遅れてしまったが、スルフト往きの隊商は文句も言わずに待ってくれていた。  3月13日、夜。  街道は広く、どこも整備が行き届いていた。セロ村へ至る街道とは大違いだ。平らかな道を足に踏み、森林を1日半、平原を2日、アリスト丘陵をもう1日半かけて歩いて、一行はスルフト村に辿りついた。村はゆるやかな丘陵の盆地に位置している。大きさをざっと見るに、セロ村の4倍はあるようだ。  スルフト村は低めのがっしりした石壁で囲まれていた。正門は村の南、街道沿いに置かれているが、この時間はすでに閉まっており、一同はすぐ脇の通用門へ向かった。門には2人の戦士が見張りに立っていた。時間外であるため、入村審査には少々時間を取られた。  と、村内から、いずれ見たことのあるような15〜16歳の少女がふらりと現れた。 「あ……」  G、ラクリマ、カイン、アルトの4人にはすぐにわかった。セリフィアがセルレリア殺しでしょっぴかれたあの晩に、フィルシムの「青龍」亭から出ていった不思議な少女だった。少女は相変わらず薄手の白いワンピース一枚で、門衛に冒険者パスを見せるとそのまま出ていこうとした。 「ヴァーさん、あの子だ」  Gはヴァイオラに軽く耳打ちした。続けて言った。 「とても人間とは思えない」 「わかんないよ。あれがミスティックってやつかもしれないじゃないか」  ヴァイオラの言葉にGはすぐさま反応した。 「ミスティックは世界に4人しかいませんよ。女性は、私のおばあちゃん一人しかいないはずだし」 「あ、そう。ふぅん……」  相変わらず偏った知識だと思いながら、ヴァイオラはディテクトマジックをかけ、次いでディテクトイビルを唱えて少女を見た。  ディテクトマジックに対しては、少女の指輪が2つ、それから足元の影のような何かと、正面に立ち上がるヒトガタ状の何かが反応を示した。インヴィジブルストーカーだろうか……少なくともアンデッドではないようだった(少女本人も)。  ディテクトイビルには反応しなかった。いや、少女には反応はなかったが、足元の影は反応を示した。それは魔法をかけられたことに対する反応のようでもあった。  出し抜けに少女は声を発した。 「いいですよぉ、別に気にしないでも」  その言葉は、歩みを止めず、一同には背中を見せたまま独り言のように発せられた。 「ごめんなさいねー」  ヴァイオラは背後から声をかけたが、少女はもはや何も反応しなかった。そのままゆうゆうと一人で去っていった。  一同はほどなくして審査を終え、村の中に入った。  入るなり、正面の奥まったところにそびえ立つ塔が見えた。村の中央やや北側には領主館があるらしいから、その付属の塔だろう。背後にはゆるやかな斜面がそそり立ち、威容を演出していた。門から入ってすぐのところにある商業区は、もう夜だというのに賑やかで人通りもまだまだ多い。普通の店舗は閉まっているものの、道の両側に立ちならぶ宿屋、居酒屋、遊戯場などには「このご時世に」と首を傾げたくなるほどひとがあふれていた。  よく見ると、店や街路の灯りは、魔法のそれのようだった。灯りだけではない、さまざまなところにちょっとした魔力による仕掛けがあって、フィルシムにありながらまるでラストンのような様相を呈していた。  一同はこの村で一番信用の高い宿、「百年紀」亭に入った。入り口にはゴーレムが2体、中に入ると仲居代わりにクリスタルスタチューが何体も立ち働いていた。 「こんにちは」  ラクリマはフィーファリカを思い出してクリスタルスタチューに挨拶したが、返事はなかった。 「…ここの方はお話しなさらないんですね」 (普通は話さないだろう!)  ラクリマの発言に、ヴァイオラもGも目が点になった。  ヴァイオラは受付まで進んだ。「いらっしゃいませ。空き部屋はございますよ」という受付に、「支配人はいらっしゃいますか」と尋ねた。受付はことさら用向きを追求したりせずに、素直に支配人を呼んだ。 「ご用の向きはなんでございましょう」  支配人は洗練された態度でヴァイオラに向かって尋ねた。 「到着が大変遅くなってしまいましたが、村長にお会いするのにこちらから取り次いでいただけるでしょうか」 「何か親書でもお持ちですか?」  ヴァイオラは支配人に故・セロ村村長から預かった親書を渡して見せた。支配人はそれにざっと目を通し、 「こちらでご報告しておきましょう。明日には面会していただけると思います」 と、ヴァイオラに告げた。そのあとで「できればこの親書をお預かりしたいのですが」と申し出た。ヴァイオラが「お預けしましょう」と言うと、支配人は自ら先に立って「部屋へご案内いたします」と一同を案内した。  部屋は最上階のスイートだった。中央に居間があり、その周りに寝室が3つつながっている。居間には立派な暖炉があって、明々と燃える炎はコンジュア・エレメンタルの魔法で縛られていた。ラクリマやカインはこうした贅沢な部屋を見るのも初めてで、驚くばかりだった。 「お食事もご用意しますか? 急なことでしたので、20分ほどお時間をいただきますが」  ヴァイオラは食事も頼んだ。支配人は最後に「何かございましたら部屋係にお申し付けください」と言って去っていった。 「すごいお部屋ですね……あの…お代は大丈夫なんですか?」  ラクリマが心配そうに聞くのに、ヴァイオラは「私たちはセロ村からの正式な使節なんだから、そんな心配しないでいいんだよ」と答えた。  セリフィアはスルフト村に入ったときから、何とはなしに軽い嫌悪感を覚えていた。灯りや扉の開閉を魔法仕掛けにする、そのやり方が彼に故郷のラストンを、そこで味わった苦い思いを思い出させていた。ラストン……何もかもを魔法で処理しようとする土地……魔法以外に価値を認めようとしない人びと……。 「どうした?」  カインの声で彼は我に返った。「何でもない」と手短に答え、荷を降ろした。  夕食までは間があるのでお風呂にでも入ろうということになり、一同はそれぞれ久方ぶりに身体を洗い、身繕いを済ませた。ところへちょうど支配人が現れ、食事の用意ができたことを告げた。  支配人はまた、ヴァイオラに先ほどの親書と、それに対する返書とを渡した。返書には「明朝来られたし」との旨が書かれていた。  食事はフルコースで、経験はないが知識のあるアルト、知識としては知らないが経験のあるセリフィア、知識も経験もあるヴァイオラとGはともかく、知識も経験もないカインとラクリマはマナーも何もわからず、食事するだけで神経をすり減らしてしまったようだった。  食後、ヴァイオラが酒場に繰り出すというので、カインもついていった。二人で酒場へ行き、それとなくこの村について話を聞いてみた。コルツォネート=カークランド村長は魔術師であること、そのカークランド一族がサーランド時代からこの村を守っていること、村はクダヒ〜フィルシム間の中継点であるためほとんど交易と商業で成り立っていること、等がわかった。 「村の見所はなんですか」 「そりゃあ、フィルシム国内では珍しく、魔術のレベルが高いってことだろうな」  目の前の親父は酒を呷りながら答えた。 「ここの魔法はラストン並みだろ。魔術師学校もあるしな」  ヴァイオラは、ユートピア教の動向についてもそれとなく探ってみたが、ここではまだあまり危機感がないようだった。ほとんどの人間は「ハイブ? 見たことねえな」といった答を返してきた。 (まだこの辺りは禍を被っていないらしい)  ホッとしたような、逆に危うさを感じるような、妙な気分だった。  帰るさ、ヴァイオラはツェーレンのお供え用に、この村で売られている中で一番美味いという酒を土産に買い求めた。  3月14日。  朝食の用意が出来たと告げられ、一同は部屋を出た。  部屋から廊下に出たところで、カインは向こうのロイヤルスイートから、娘がひとり出てくるのを目にした。プレートメイルとシールドとクラブという装備に身を固めたその娘は、ラクリマにそっくりだった。 (…ジェラルディン!?)  呼びかけたかったが声が出なかった。  ラクリマも向こうの少女に気がついた。自分とそっくりな顔を見て、カインから話を聞かされていたにも拘わらず、吃驚して立ち止まった。  様子のおかしいカインの視線を追って、一同は少女の姿を認めた。カインを拾ったときも驚いたが、今度も驚かないわけにはいかなかった。  ラクリマとその少女とは、まるで鏡に映したようで、実の親がいても見分けがつかないだろうと思えるくらいそっくりだった。ただ、あちらの少女の髪が5〜6インチ長い、それだけが二人を見分けるよすがとなっていた。  ヴァイオラは一同の陰に隠れてディテクトマジックを唱えたが、何も反応しなかった。 「カイン、生きてたの!!」  動こうとしないカインの気配に、少女はふと振り向いて---ラクリマと全く同じ声で、彼女は喜びも顕わに叫んだ。  カインは混乱した。どちらが声を発したのか、自分の判断に確(しか)と自信が持てなかった。 (姿も声もそっくりだ……)  ただ呆然と、立ちつくした。  一同も言葉がなかった。最初に口を開いたのは、ラクリマだった。カインを軽く揺さぶりながら、 「カインさん、本当に生きてたじゃないですか。よかったですね!」 と、祝いの言葉を述べた。 「どうしたんですか? 早く行ってさしあげなきゃ」  ラクリマはそう言って彼の背を押した。カインはようやく一歩前に踏み出した。 「カイン…? そのひと、だれ…?」  ジェラルディンもラクリマに気づいたようだった。彼女ははっきりと不信感を口にした。 「ほら、行ってあげてください。あ、私たち、席を外した方がいいですよね? じゃあ先に向こうへ行ってますから。ね?」  ラクリマは面倒を避けるように申し出て、他のみんなと一緒にこの場を離れようとした。 「ああ、じゃあ先に行ってるよ」  ヴァイオラの声に反応して、カインが振り返った。彼は目で何か訴えていた。 (…ディテクトイビルをかけてほしいのか)  ヴァイオラは軽く肯き、廊下の扉を出て呪文を唱えた。それからもう一度中を見たが、ジェラルディンは何も反応しなかった。ヴァイオラは(何も反応しない)と首を振ってみせた。カインもようやく安堵したようだった。目の前の彼女が、ユートピア教の罠ではないかという疑念をずっと払えずにいたのだ。  他の面々が去ったあと、カインはジェラルディンのそばに寄り、彼女をとくと眺めた。 「よかった、生きててくれて」  カインが言おうと思ったことは、先に彼女に言われてしまった。 「私、あんなところであなたを突き落としてしまって…」 「いいんだ、おかげで助かったんだから。君こそ……生きててよかった」  言いながら、カインは実感が徐々に身のうちに湧き上がってくるのを感じ取っていた。目の前にジェラルディンが生きて立っているという心地よい実感が。生きていた。生きていた。生きていたんだ。 「よかった……」 「カイン……」  二人は暫し無言で抱き合った。  やがてカインは身を引き剥がすと一番訊きたかったことを尋ねた。 「どうやってあそこから助かったんだ?」 「もう駄目だって思ったとき、ファザードさんっていうひとの高レベルパーティに助けられたの。その人の仲間の魔法使いが、私を取り囲んでいた化け物を一掃してくれたのよ」 「……トーマスは?」  カインの問いに、ジェラルディンは少し表情を曇らせた。アルトーマスは彼女の兄だった。その表情から、彼はやはり生きていないのだろうとカインは察した。 「みんな、一応は助けてもらったの。そのときにはもう息絶えてたひとも……」 「みんなはどこにいるんだ?」 「今はフィルシムで療養してるわ」 (フィルシム……では、パシエンス修道院の子どもが見たのはやっぱり……)  カインは彼女にいつフィルシムに戻ったのか尋ねた。ジェラルディンは一寸首を傾げて、「2月4日だったと思うわ」と、答えた。 「療養って言ったな。費用はどうしてるんだ?」 「それはファザードさんが払ってくださってるの。死んでいる人もそのうちに生き返らせてくれるって約束してくれたの」  カインは後頭部がチリチリとするように感じた。話が……変だ。 「どうして彼らはハイブにやられなかったんだ?」 「あの人たちはハイブが近寄らないポーションを飲んでいたわ。私もそれをもらって、逃げられたのよ」  カインが考え込んだのを見て、ジェラルディンは「カイン?」と声をかけた。 「君はこれからどこへ行くんだ」 「クダヒへ行くわ。ファザードさんたちが先に向かっているから」 「………一つ訊きたいんだが……君たちが助けられたとき、リューヴィルは生きていたのか?」 「え? え、ええ、毒にやられてはいたけど、生きてるわ。死んでしまったのは……トーマスだけよ」 「リューヴィルは生きていたんだな?」カインはもう一度念を押してから、ジェラルディンの肩を支えた。「落ち着いてよく聞いてくれ。俺は……ひと月前にアンデッドになったリューヴィルと戦って、彼を倒した。」  ジェラルディンの目が大きく見開かれた。廊下の灯りを吸って、黄金に弾けた。黄昏の色だと、カインは思った。 「うそ……うそよ……」 「嘘じゃない。この手で彼の亡骸を埋めたんだ」 「うそ……だってあの人たちは……私が一所懸命働けば、みんなを治してやるって……トーマスも生き返らせてくれるって……」 「彼らがそう言ったのか」 「…そういえば……」  ジェラルディンの目から涙があふれ出た。大粒の涙は留まるところを知らず、それを見て、こんな表情は本当にラクリマとそっくりだと、カインは頭のどこかで思ったようだった。 「ジェラ……」  ジェラルディンはカインの腕を払い、いきなり階段の方へ走った。 「来ないで!!」 「ジェラルディン!!」  カインは彼女を追った。腕を掴み、やや乱暴に彼女を引き寄せた。 「だめーっ!! 私から離れて!!」  カインは泣き続ける彼女を抱きしめた。ジェラルディンは涙声で、 「カイン、私、ハイブを……!」  その先は言葉にならなかった。少女の体内でドン、ドンと音が二つして、それきりだった。カインの口から絶叫が迸った。 「ジェラーーー…ッ!!」  悲鳴を聞いたのは、食堂付近でだった。 「今のは…!?」  一同は顔を見合わせ、走ってカインたちの居る場所まで戻った。  カインは呆然と、ただ涙を流して立っていた。彼が抱きしめている少女の腕は二つながらだらりと垂直に下がり、身体には大きな穴が二つ空いていた。下の絨毯は鮮血で朱に染まっていた。  呆然とする一同の前を、ラクリマが彼らに駆け寄るのが見えた。 「カインさん…!」  カインは何も反応しなかった。ラクリマは「診せてください」と、何とか彼の腕からジェラルディンの身体を引き取った。絨毯に横たえて生命を繋げないかと様子を診たが、無駄だった。  一体なんという血の量だろう、こんな小さな身体に、こんなにたくさんの血があるなんて。そして、これだけ血を失ってしまっては、手の施しようがない。わかってはいたけれど、診ずにはいられなかった。できることなら彼女を生かしたかった、カインのために。生命の抜け殻を前に、ラクリマは思った。 (……なんて惨い…)  エドウィナと同じく、これもブラスティングボタンに相違なかった。つまりはユートピア教ということだ。ラクリマは俯いた。涙があとからあふれ出た。悲しくて、目の前に自分と同じ顔の死体があることに対する生理的嫌悪すら感じる余裕がなかった。  カインが床に膝をついた。彼の胸から膝まで、前一面は血で真っ赤だった。声も立てずに泣きながら、彼はジェラルディンの目を閉じてやった。哀しみと怒りが彼の中で音もなく吹き荒れていた。 (ラクリマさんが……ううん、違う、あれは…あそこで死んでいるのはラクリマさんじゃない……違う……でも……)  Gはよろめくように半歩あとずさった。ジェラルディンの死体は、まるでラクリマの死体のようだった。親しい者を再び失うかもしれないという恐怖が彼女を満たし、雁字搦めにしていた。  あとは立ちつくすばかりだった。皆、近寄ることすら憚られた。  ジェラルディンは失われた。今度こそ。共有しきれないほどの痛みがその場に充満していた。 9■曇天  朝食は無言だった。全員、食べた気がしなかった。もっとも、カインは先から食事できるような状態ではなく、ラクリマも彼と遺体に付き添って不在だった。ヴァイオラは、ジェラルディンそっくりのラクリマを付き添わせるについては悩むところもあったのだが、結局他との兼ね合いもあって「付いててあげて」と頼んだのだった。固よりラクリマに異存はなかった。  村長との面会を反故にするわけにもいかず、ヴァイオラは朝食後早々に領主館を訪れた。セリフィアが一緒に来たいというので、付いてこさせた。Gは「具合が悪い」といって寝てしまったので、アルトにはGに付き添って大人しく宿で留守番してもらうことにした。  コルツォネート=カークランド村長は、いかにも冒険者上がりといった雰囲気の人物だった。嫌味のないにこやかな顔で二人を迎えた。ひととおりの挨拶が済んだあとで、彼は早速セロ村に移住することになる若手の狩人4人について、ざっと紹介した。  まずガサラック。若者のリーダー格で、村長の下の息子とも仲がいい。ブローウィン。膂力体力に優れた大男だが---セリフィアと同じくらい背丈があるらしい---気は優しくて力持ちの典型。エルムレイン。森の知識にかけては中堅の狩人たちも一目置くほどで、ガサラックの右腕。ラムイレス。罠設置のエキスパートで、村では彼の右に出る者はいない。 「4人とも、古い奴隷階級出身なので、名字がない。自ら率先して名乗ることはしないのだが、もしもセロ村で姓が必要であれば変えてもらって構わない」  カークランド村長はそう言って、いったん話を締めた。 「ずいぶん有望な人たちみたいですけど、手放していいんですか?」  セリフィアがやや気がかりなようすで尋ねた。それはヴァイオラも訊きたいと思っていたことだった。 「うむ。これは本人たちの希望でもあってな。まあ、そなたたちにはここの事情を知っておいてもらわねば納得してもらえぬだろうから話すが……見ての通り、この村は交易のポイントで、ほとんどが商業で潤っている。魔法もラストンとは行かぬまでもかなりのレベルを誇る。そのような中では、わざわざ危険な恵みの森に出向いて、日々の糧を得ようとする者は少ない。狩猟のような危険な職業は廃れる一方なのだ。実際、狩猟ギルドも数年中になくなりそうな気配だ。セロ村やスカルシ村で獣人が姿を消してしまったことも関わっているのだが……」 「スカルシ村でも獣人が姿を消したのですか」  ヴァイオラは聞き返した。フィルシムへ向かう途中で捕獲したウェアウルフからそれらしい話は聞いていたが、きちんとした情報を聞くのはここが初めてだった。 「うむ。本当のことらしい。これだけ一度に姿を消すとなると、何らかの理由があって撤退したとしか思えぬ。こういうことについては古来ラストンが研究していたのだが……今はあのありさまだからな」  村長は息を継いだ。 「もうひとつ、今回の移住には理由がある。私とアズベクトは」---アズベクトとは故セロ村村長の名前だった---「学友だったのだ。フィルシムの魔術師ギルドで机を並べて学んだ仲だ。向こうは兄弟が全員冒険で死亡してしまって村長を急遽継がねばならなくなり、途中から帝王学に移籍してしまったが。結局、アズベクトは魔術師になれなかったが、私にとっては大事な旧友だ。彼の頼み……それも最期の頼みとあっては、それを聞くに吝かではない」  ヴァイオラもセリフィアもいたく納得した。カークランド村長は隣室からだれかを呼び入れた。二十歳前後の青年が部屋に入り、礼儀正しく挨拶した。 「私には息子が2人いる。兄のキッシンジュは戦士で冒険中のため不在だが、弟の方を紹介しておこう。コーラリックという」  コーラリックと呼ばれた青年は、再び頭を下げた。 「次の領主は年齢でなく実力で決めると言ってある。今のところ兄の実力には敵わないようだが…」  コーラリックは柔らかな笑みを湛えながら「まだ私にも兄さんを追い抜く余地はありますよ」と口にした。  村長は、食事を用意させたからと、一同を別室に誘った。卓上には、昨日の晩餐もかくやといわんばかりの御馳走が並べられていた。 「コーラリック、君から見たあの4人はどうか、教えてあげてくれ」  食事中に村長は、やや意地悪とも思える質問を息子に投げた。コーラリックは「他人の評価を口にすることはあまりよいことではないのですが」と断ってから、4人の詳しい紹介を始めた。  ガサラックとは特に親しいが、リーダーシップがあり、行動力判断力共に優れているので、他の3人からも信頼されている。村の外に出たいという思いは殊のほか強かった。今回の話に申し出たのも、彼が一番最初だった。  ブローウィンは、身体こそセリフィア並みに大柄でこわもてな印象を与えがちだが、内実はとてもやさしい人物だ。年下の子どもに良く好かれることからもそれはわかる。酒の席は好きだが、酒自体は全く飲めない。  エルムレインは本を読むのが好きな青年だ。一緒に魔術師になろうと誘ったが、親の跡を継いで狩人になると言い張った。見た目によらず頑固なところがある。他の3人に較べてやや身体が弱いが、その分は頭脳でカバーしている。ガサラックのよき右腕で、4人のうちで唯一両親が健在である。  ラムイレスは、罠の仕掛けの腕は実質村一番だろう。本人は少しお調子者のところがある。顔はとりたてて美形というわけではないが、一緒にいて楽しいのか、よく女性にもてる。  話ぶりから、コーラリックがその4人ともずっと一緒に過ごしてきただろうことがよく伺えた。  デザートが出てくるあたりで、現れた執事が村長に何事か耳打ちした。 「コーラリック、しばらく頼みますよ」  村長は客人の相手を息子に任せ、中座した。デザートも終わり、食後のお茶も味わい尽くしたころ、執事は今度はコーラリックに耳打ちした。コーラリックは肯き、 「こちらへおいで願えますか」 と、ヴァイオラとセリフィアを別室へ誘った。  別室には先ほど退席した村長と、その前に3人の若者が跪いていた。いずれも一目で狩人とわかる服装をしており、疲労の色が濃かった。これが例の若者たちかと二人は判断した。だが一人足りない。いやな予感がした。 「大変残念な報告をしなければならない」  村長は二人を正面から向いて言った。セリフィアは鳩尾(みぞおち)がいっそう落ち窪んだ気がした。村長の口からは予想通りの言葉が発せられた。 「セロ村に移住する予定だったうちの一人が、怪物に襲われた。どうやらハイブのようだ。とうとうこの村の付近にまでやってきたということか。残念なことだ」  話をざっとまとめると、ガサラックたちは4人で狩猟に森に入っていた。とある場所でうち捨てられた荷馬車を発見したが、その付近でハイブ5体に襲われた。運悪くエルムレインが彼らに捕まってしまった。ガサラックは身を切るような思いで、彼を残してあとの二人とともに無事に逃げるという果断を下した。そうして命からがら村にたどり着いたということらしかった。若者たちは皆、悲痛な表情をしていた。無理もなかった。  村長は言った。「村としては守備を固め、村人には『怪物が出た』と触れて森に入ることを禁じる予定だ。」  コーラリックがここで口を挟んだ。 「討伐隊を編成するときは私もぜひメンバーに加えてください」  彼の父親は簡潔に答えた。「わかった。考慮しよう。」  村長はそのあとでヴァイオラに向き直った。 「ヴァイオラ殿、私の方からお願いする。このハイブ退治をそなたたちに依頼したい。クダヒかフィルシムから冒険者を募れば、もちろん高レベルの実力者を頼むことができよう。だが、そなたたちはそこまで高レベルではないといえ、ハイブとは戦ったこともある、いわば経験者だ」 (全滅したけどな……)  経験者などといわれるのは、セリフィアにはこそばゆかった。村長はさらに続けた。 「それに何より時間が問題だと思うのだ。フィルシムやクダヒから冒険者を呼ぶには時間がかかる。状況から察するに、ここのハイブコアは播かれたばかりだろう。規模が大きくならないうちに、村人たちの被害が出ないうちに、何とかしたい」  村長はそこで言葉を切ると、ちらりとコーラリックを見たようだった。 「今言ったとおり、そなたらに頼みたい一番の理由は時間を割きたいということにある。が、息子のこともある。コーラリックはわしがなんと言おうと討伐隊に加わって行くだろう。息子を任せる以上、身元のしっかりした相手に頼みたいという親心もあってな」  カークランド村長は、続いて報酬の話に移った。  まず、成功報酬は、唾液1体分につき100gp。「要するに倒した数1体あたりに100ということだ。」  この他に前払いの報酬として、以下のものを贈与する。    アロー+1 ×10本    マジックミサイルワンド(チャージ10)×1    スクロール(レベル11:マジックミサイル、ウェブ、ヘイスト)    ヒーリングポーション ×3  また、これとは別に、討伐用に以下のアイテムを貸与する。    シールド+2 ×1    ダガー+1+フレイミング ×1    ディスペリングスタッフ(チャージ10)×1    プロテクションリング+1 ×1 「討伐隊にファイアーボールを打てる魔術師は参加する予定がありますか」  セリフィアは村長に尋ねた。村長がないと答えると、意見して言った。 「それでは、俺たちと息子さんくらいの人数では、いかにも戦力不足です。彼らを甘く見てはいけません」  ヴァイオラも質問を投げた。 「バグリペラントポーションはありますか? いざというときのために、もしあれば討伐隊に携帯させた方がいいと思いますが」  村長は考え込んでいたが、「わかった。それはなんとか明日の朝までに人数分を用意させることとしよう」と約束した。 「明日出発なのですか?」 「今日、これから出発してもおそらく現場に着くのは夜になってしまうだろう。だれもハイブと夜間に戦いたくはあるまい。彼らにも…」村長は狩人たちを指して言った。「彼らも一緒に行くと言っておる。どのみちその場へ案内してもらわねばならぬし、今日は休んで英気を養ってもらう方がよかろう。ハイブコアの様子は、明日の朝までにもう少し詳しく調べておくとしよう」  村長はそう言って、水晶球を取り出した。最後に彼は、 「今晩、皆でもう一度館に来て欲しい。夕食を用意させるので、この件への返事もそのときに聞かせて欲しい」  会見はそこで終わりになった。  ヴァイオラたちが宿へ帰ったのは、昼を幾分過ぎてからのことで、カインもラクリマももう葬儀を終えて部屋に戻っていた。ヴァイオラは皆にハイブコアのことと、その退治の依頼をされていることを話した。 「やりましょう」  ハイブを憎むGはすぐさま話に乗った。セリフィアももちろん異議はなかった。 「あっしは姐さんについてきますぜ。坊ちゃんの敵討ちもしなきゃ」  そう言ったのはロッツだった。ヴァイオラはアルトとラクリマを向いて尋ねた。 「アルトとラッキーはどうする?」 「ボクは、やります」  アルトがそう答えるのに続いて、ラクリマも「私は皆さんについていきます」と答えた。 「……ジェラルディンが…ハイブのことを言っていた」  亡霊のように、カインが口を開いた。 「彼女もここでハイブを見たんですか?」  ラクリマが尋ねるとカインは答えた。 「いいや……彼女は……ハイブを運んでいたかもしれない」 「じゃあ、仇を討たなきゃな」  ヴァイオラはそう言ってカインの肩に手をかけた。カインはふいとヴァイオラの手から顔を背けた。彼の横顔を見ながら、ラクリマは先ほどの葬儀を思い出していた。    ++++++++++++++++++++++++++++++  スルフト村の教会は、ステンドグラスと灯りの美しい聖堂を持っていた。魔法の灯りはやや強いため、飾り穴の付いた金属製のカサを被せられ光量を調節されていたが、それでも迸る光線の強さは隠せずにいた。  村の好意で、ミサは無料であげてもらった(あるいは村長が支払ってくれたのかもしれなかった)。死化粧を施したジェラルディンはすっかり青ざめ、蝋人形のように、冷たい物体と成り果てていた。  死者への祈りを聞きながら、ラクリマは一時も涙を留めることができなかった。ステンドグラスの輝きが茫洋と瞳を刺して辛かった。  横にいるカインはもはや泣いてはいなかった。だが彼から、哀しみが空気を通して伝わってくる。それは、まるで大河のように広く、大きなうねりで彼自身を呑み込もうとしているように思えた。先ほど感じた激しい哀しみよりも遙かに暗くて冷ややかなそれは、ラクリマにとってはよほど恐ろしかった。  祈祷文が終わり、司祭がカインに「お別れを」と告げた。カインはジェラルディンの前に進み出た。ラクリマは背後でそっと鎮魂歌を口ずさんだ。 「………」  カインは何も語らず、ただ愛しい者の死に顔を見つめていた。それから最後に彼女に別れの口づけをした。万感の思いを込めて。 「このままこちらで埋葬してよろしいですか?」 「はい……」  カインは埋葬の前に、彼女の頭髪を一部切り取り、先日のリューヴィルの頭髪の隣に並べて提げた。それらの遺髪の横には彼の決意が並んで下がっていた。  ジェラルディンの亡骸は村の共同墓地に葬られた。白っぽい麻布にくるまれたそれが深くて暗い坑に降ろされるのを、二人は黙って見守った。その上に土が形式的にかけられたあとも、しばらくその場に佇んでいた。  ひとが死ぬとはなんと悲しい。パシエンス修道院で育ったラクリマにとって、そしておそらくフィルシムの貧民街で育ったカインにとっても、死はごく身近な存在だった。だがその同じ死に対して、カインは熱い憤りや哀しみやさまざまな色の感情を感じているようなのに、ラクリマはいつもと同じように凍るような哀しみしか感じないのだった。 「………」  カインは無言で背を向けた。宿へ帰るのだろう。ラクリマはもう一度、かつてジェラルディンだった物体に目を落とした。私もいずれはあそこへ帰る。そう思うや思わざるや、口から鎮魂歌の一節が流れ出た。    灰のように砕かれた心をもって    ひれ伏し願いたてまつる    私の終わりの刻(とき)を計らい給え  彼女は墓地の坑に背を向け、一定の距離を置きながらカインのあとを追った。曇天ばかりが地上の営みを見下ろしていた。