[shortland VIII-05] ■SL8・第5話「転機」■ 〜目次〜 1■ラグナー 2■好意さまざま 3■搦め手 4■身の代金 5■魔術師は語る 6■近き過去、遠き過去 7■待ち伏せ 8■とばっちり 9■風雲急を告げる 10■2月の静かな夜 <主な登場人物> 【PC】 ヴァイオラ‥‥僧侶・女・20才。手先は器用(でも口の方がもっと…)。 ラクリマ‥‥僧侶・女・17才。手先は普通(口先は不器用)。 G‥‥戦士・女・17才。手先は不器用(ついでに生き方も?) セリフィア‥‥戦士・男・17才。手先は器用(だが性格が大ざっぱなので…)。 カイン‥‥戦士・男・15才。手先は器用(わりかし口の方も…)。 アルト‥‥魔法使い・男・15才。手先は……本人の名誉のためコメントを控えます。 【NPC】 ロッツ‥‥フィルシムのストリートキッドあがりの盗賊。パーティに参入、日がな駆け回る。 レスター(レスタト)‥‥僧侶・男・享年15才。故人にして未だ忘れられざるPCのくびき。 アズベクト‥‥セロ村村長。ハイブ禍に、後継者に、村の存続に、と頭を痛める日々。 ベルモート‥‥村長の次男。決断力0の後継者(予定)。 ブリジッタ‥‥村長の次女、ベルモートの姉。冒険者と駆け落ちして被勘当中。 ヘルモーク‥‥セロ村在住の虎族の獣人。年齢不詳(見た目40歳代)。 キャスリーン婆さん‥‥セロ村在住の老婆。村唯一の薬剤師で、陰の実力者。 ロウニリス‥‥フィルシム神殿のトップ。大司祭代理の苦労人。 サラ‥‥ラクリマの姉代わりの神官。現在は身重で、フィルシムのパシエンス修道院在住。 ラグナー‥‥サラの夫。セリフィアの父ルギア=ドレイクの親友。パシエンス修道院在住。 エドウィナ‥‥ユートピア教の疑いで捕縛されたバカン=スースリーゼの妹。PCたちに「兄を助けて」と頼みに来たが引き受けてもらえなかった。 1■ラグナー  2月5日。 「おはようございます」  ラクリマは朝食前に「青龍」亭に現れた。彼女は現在、元の住処であるパシエンス修道院に起居している。 「朝食は?」 「私はもういただいてきました」  そういえば、修道院の朝が早いのは、先日厄介になったときにみんな経験済みだった。ラクリマはふと、部屋の隅に積まれた瓶の山に気づいた。 「…なんですか、これ?」 「あ、こ、これですか」  アルトが説明を引き受けた。彼とセリフィアはラストン出身なので、日常的に小魔術(キャントリップ)が使用できる。それを利用して「はちみつ」を作り出し、売って儲けようということに決めた。何しろ実入りが何もなく、日々生活するだけで金は出ていくばかりなのだ。 「それで、はちみつを作ったときに入れる瓶をロッツさんに調達してもらったんです」 「はちみつですか……」  ラクリマはそう言ってちょっと考えるような顔をした。  一同が1階に降りて朝食をとりだしたころ、カインも現れた。彼はまだ食事していなかったので、一同と同じテーブルに座り、自分にも朝食を注文した。  食事している一同の耳に、前日の捕り物は失敗したらしいという話が入ってきた。  ちっ、失敗しやがって。ヴァイオラは心の中で舌打ちした。 「なんだか彼女……いえ、その、確かに一般人とは思えない身のこなしだったとの話ですけど、でも…もし本当にお兄さんが冤罪だったら……」  相変わらず水だけいただきながらラクリマはだれに言うともなく、周囲の話に合わせてどこからか仕入れてきた噂を披露した。だがだれも答えなかった。そのまま少しの沈黙が流れた。  ラクリマは気を取り直し、今度はセリフィアの方を向いて笑いかけた。 「セリフィアさんのお父様って、サラとラグナーさんのお友達なんですって!? 私、知りませんでした」  セリフィアは顔をあげて「ああ」と答えた。 「ラグナーさんが一度会いたいって言ってましたよ。よかったら今晩にもいらっしゃいませんか? あ、急ぎってわけじゃないですけど…」  ラクリマの台詞を聞いて、セリフィアは珍しくも目に見えて嬉しそうな顔をした。 「じゃあ、今晩伺うことにしよう。…皆も一緒に来る?」  セリフィアは言いながらGを見た。Gはそれに気づいて顔を上げ、申し訳なさそうに首を振って言った。 「夜は歌うつもりなので…何時になるかわからないし……」Gは向かいの「赤竜」亭で、夜のあいだ歌姫のバイトをすることになっていた。彼女が「遠慮します」と言うと、セリフィアは「そうか……」と黙り込んだ。それから少し間があいたあとで「それでは仕方ないな」と、踏ん切るように口にした。 「お稽古が終わったあとすぐ、一緒に行きますか?」 「いや」と、セリフィアはラクリマに答えた。「フィルシムにいる間、夜間は働こうと思っているんだ。だから、冒険者ギルドへ登録に行ってからにする。そこで待ち合わせないか」 「わかりました」  ラクリマは自分も働き口を探したいと思った。だが、自分に何ができるだろう? 戦士だったら夜間だけでも警備や護衛の仕事があるだろうが、それは自分には無理だ。Gのように酒場で歌を歌うことも考えられなくはないが、修道院の院長様にご迷惑がかからないとも限らないし……夜間だけでもできる写本の内職とか、ないのかしら…… 「……私も、冒険者ギルドに一緒に行っていいですか」  そんな都合のいい話はないだろうけど聞くだけ聞いてみようと思い、ラクリマはセリフィアに尋ねた。セリフィアは黙ってうなずいた。向こうからカインが「俺も一緒に行かせてください」と申し出た。  ラクリマはカインを見た。カインはすでに朝食を食べ終わり、顔の下半分を覆面で隠していた。そうしていると亡くなったレスタトに生き写しであることも多少は感じないで済んだ。声は相変わらずレスタトそっくりな声だったが…。 (大丈夫……カインさんがいても私は大丈夫だわ…)  ラクリマは胸に手を当て、自分に言い聞かせた。  ヴァイオラはそれらのやりとりを聞きながら、(手に汗して稼ぐのはいいことだ)とゆったり構えていた。全員、いま少しの経済観念を身につけてもらわないと困る。 「そう言えば」と、またラクリマが口を開いた。「昨晩、サラとラグナーさんが話しているのをちょっと耳にしたんですけど、お二人で『またセロ村にハイブが』って仰ってました。セロ村ってハイブが出やすいんですね」  そんなはずないだろう、ハイブはこの世の生物じゃないんだから、と、Gは思ったが、とりたてて口にはしなかった。サラとラグナーという人物がなぜそのような会話をしていたのか、疑問の残るまま朝食を終え、皆でマスタリーの道場へ向かった。  道場で受け身の練習をしながら、アルトはふと思った。 (こんなことしてていいんだろうか?)  一旦思ったが最後、疑念はどんどん膨らんでいった。そして、曖昧だったものがゆるやかに、だが明瞭なかたちを取るようになってきた。 (こんな、「ウェポンマスタリー」なんかやってていいんだろうか?)  アルトは思った。 (他に活かすべき「才能」が、自分にはあるんじゃないか)  疑念はだんだん確信へと変わりつつあった。とうとう彼は決心した。 (ボクはボクのやり方で行こう。お金を出してくれたGさんには申し訳ないけど……)と、思って一瞬胸が痛んだ。(でも、きっとGさんも許してくれる。ボクがみんなのために役立つには、ウェポンマスタリーじゃなくて、‥‥‥‥マスタリーをやらなきゃ。)  自分でも何と思ったか、次の瞬間にはわからなくなっていた。ただ、今この瞬間に別な道を選んだことだけをはっきり認識した。帰り際、アルトは修行を中途で辞めることを告げ、半金の返済を受けた。 (ごめんなさい、Gさん)  アルトは心で謝った。 (必ず、必ずそのうちに返しますから。今はまだ貸しておいてください。お願いします)  まだこの半金すらGに返すわけには行かなかった。明日から‥‥‥‥マスタリーのために図書館通いをしなければならない。ウェポンマスタリーほどではないにせよ、それもお金のかかることだった。それでも、何を排してでもやらなければならない。強くなるために。アルトはそう心に決めて宿に戻った。  夕刻、セリフィアとカインとラクリマは、朝の打ち合わせどおり冒険者ギルドを訪れた。シーフギルドほどではないが、ここも夜は夜で昼と違ったにぎわいを見せていた。  受付はセリフィアを一瞥した。セリフィアは彼にできる精一杯で愛想笑いをしたが、そのときには向こうの視線は書面に移っていた。  セリフィアがバイトをしようと思い立ったのは、もちろんGに一刻も早く借金を返したいからであったが、それだけでなく、体を動かしている方が余計なことを考えずに済みそうだからだった。余計なこと……本当のところ、彼は兄のアーベルが心配でならなかった。ユートピア教の調査後行方不明と聞かされて、心配するなという方が無理というものだ。考えまいとしても、悪い方へ悪い方へ考えてしまう。それを何とかしたかった。だから働こうと思った。金は手に入るし、くたくたになれば嫌なことも考えずに済む。一石二鳥だ。 「…があります」  受付の声で、彼は意識を眼前に戻した。「えっ?」と聞き返すと、受付は事務的に繰り返し、彼に2通の書面を見せた。 「その条件だと、この2件です。どちらも日雇いで当日受付。人数の上限はないからやりたい日の夕方に来て下さい」  1つ目は城門の警備だった。城門というより、街の外の警備だ。夜間のモンスターの侵入を防ぐのが目的で、条件は基本給5sp、他に何かあった場合に危険手当がつく。「危険ランクD」と書かれていた。  2つ目の仕事は、水路調査だった。二又川およびその水路の調査に随行する。まれに大型怪物に会う危険があるらしい。こちらは基本給がなく、完全歩合制とのことだった。危険ランクは「C」になっていた。  あまり疲弊して訓練に障っては本末転倒になってしまうので、セリフィアは1つ目の城門の警備をやることにした。だいたい水路調査では自分が得意とする長物が使えそうにない。今日はこれからパシエンス修道院へ行くため、明日から始めると受付に告げた。  カインはカインで別な受付にかかっていた。彼はとても丁寧に言葉を選んで希望を申し述べたので、受付の心象もすこぶる良かったらしく、セリフィアが紹介されたと同じバイトのほかに、あと2件の勤務先を紹介された。そのうちの一つは地下にある酒場のガードマンだった。1日2gpと、かなり実入りがいい。それだけ揉め事が多いのだろう。いま一つは、市内に住む魔術師の館の警護だった。こちらは1日1gpだが、あまり疲れなくて済みそうだ、と、彼は判断した。どちらを選ぶか迷いながら、実入りのいい方に手をのばしかけたとき、隣からラクリマの声が耳に入ってきた。 「トーラファン=ファインドールさんとおっしゃるんですね? やります。やらせてください」  カインは一瞬耳を疑った。トーラファン=ファインドールとは、彼の前に出された「館の警護」の方の募集主だったからだ。 「ではこちらを…」  最初に引き受けようと思った酒場の警備を脇によけて、カインは半ば無意識に館の警護を選んでいた。  彼は同じく受付を済ませたラクリマに話しかけた。 「何か仕事があったんですか?」  ラクリマは嬉しそうに答えた。 「ええ。夜間の写本の手伝いを募集していらっしゃる方が。トーラファン=ファインドールさんと仰るお歳を召した魔術師の方なんですって。パシエンスからも近いですし、歩合制で、短時間でもいいそうなので明日から行こうと思います」  それは話がうますぎる、と、カインは思った。が、ここで論じても始まらないので、 「実は俺もトーラファン=ファインドールという人の館の警護をすることになったんです。一緒に行きましょう」 と、申し入れた。ラクリマは「まあ、偶然ですね」と本心から驚いたようだった。 (偶然かどうかは行ってみればわかるだろう)  カインはそれ以上、何も言わなかった。  3人はそれからパシエンス修道院へ向かった。カインは修道院には用がなかったが、帰り道が同じなので途中まで同道した。  セリフィアはやや緊張の面もちで歩いていた。ラグナーに会うのは数年ぶりだ。彼は自分に最初に冒険を意識させた戦士だった。ラクリマから「会いたいと言っている」と聞かされて、今朝は嬉しかった。自分のことなんか覚えていないかもしれないと思っていたからだ。早く彼に会いたい。期待と不安がないまぜになったようなふわふわとした足取りで、彼は進んだ。 「やあ、よく来てくれた。久しぶりだね。ラストンで会って以来だから…4年ぶりかな」  ラグナーは、驚きと喜びの入り混じったような表情でセリフィアを迎えた。  修道院で、先だってサラと話した部屋の隣室で、彼は待っていた。同じ修道院の部屋でも、ラグナーがいるだけで力強さが感じられるようだ。他の人間は席を外し、今は彼と二人きりだった。  セリフィアは落ち着かなかった。ラグナーに会えて嬉しい。だが何を話したらいいかわからない。喋らないのは失礼にならないだろうか。いや、喋ったら何か失礼なことを言ってしまわないだろうか。 「君の事をラクリマやサラから聞いたときは驚いた。なんせ、死んだと聞かされていたからね。正直落胆したよ。ラストンで最初に君と会った時のことはよく覚えていたから。さすがルギアの息子、面白いのがいたもんだというのが正直な感想だったからね」  ラグナーは話し始めた。セリフィアは一心に聞き取ろうとした。 「で、だ。なぜ俺が君が死んだと思っていたかというと、ルギアからそう聞いたからだ」  セリフィアは一瞬、耳を疑った。親父が、なんだって? 「フィルシム近郊に出来たハイブコアの掃討をルギアといっしょにやってね。そのときに聞いた。半年ぐらい前の話だ。そのときのルギアの様子があまりにもおかしかったんで…そうだな、まるで別人のごとく性格が変わっていた。ラストン出身であることは知っていたからあまり深くは聞けなかったけどね。彼は家族全員を失ったと思っていたようだ」  ラグナーの顔が心持ち翳った。話を聞いているセリフィアも辛かった。親父は、俺たちが全員死んだと思っている……今も、どんな気持ちでいるのだろう。それを思うと胸が痛かった。ラグナーも同じくらい、あるいは本人を目前にしただけ余計に辛いのかもしれなかった。 「当時の彼は、感情を無理矢理押し殺してハイブへの復讐に全霊を注ぐというか……見ていてこちらの胸が痛くなるようだった。以前のルギアを知っているだけにね」  彼はやや固い調子でそう言った。それからセリフィアに目を据えて、 「だが君は生きている。ということはすべてに悲観的に考えなくても良いということだ。あきらめるな、何に対しても」  セリフィアには彼が何を言いたいのかよくわかった。自分がきっと父親と同じ気持ちでいるだろうと、彼は察して慰めてくれている。その気持ちが嬉しかった。セリフィアは無言のままゆっくりと頷いた。 「よし。じゃあ本題に移ろうか。君に来てもらったのは実は渡したいものがあったからなんだ。これを使ってもらおうと思ってね」  そういって彼が取り出したのは一本の剣だった。彼は続けて、ラクリマから話を聞いたこと、自分も助力したいが妻であるサラが身重のためここから離れられないことを前置きして、 「その代わりといってはなんだがこれを持っていってほしい。ノーマルソードの+1だ。サーランド時代からハイブと縁のある剣でね。名をセフィロム・バスター・コンプリートという。ルギアや、サラと出会った冒険で手に入れたものだ」 と、セリフィアの目の前にそれを置いた。 「ハイブと戦うには少しでもいい武器があったほうが良いだろう。あげるといいたいところだが、修道院もなかなか厳しくてね。必要なくなったら持ってきてくれ」  セリフィアは驚きを隠せなかった。魔法の剣は非常に高価なものである。それを預けてくれるというのか。自分もいつ倒れるか知れないし、もしかしたら剣を折ってしまうかもしれないのに……。 「こんな高価なものをお借りするわけにはいきません。それに…」  セリフィアは傍らに目をやった。そこには巨大な剣と長剣が2本並んで置かれていた。 「そうだったな、君はグレートソードと…その巨大な剣が専門か。…まあ、でもパーティーに1人くらいノーマルソード使いがいるだろ? 君が信頼できる人物なら、俺は構わんよ」  咄嗟にGの顔が浮かんだ。 「しかし、必ずお返しできるとも限りません。戦いの中で折ってしまう可能性もあります」 「その時はその時。君は友人の息子だ。剣1本くらい惜しくはないさ。ラクリマも一緒だしね。最悪、君たちが金に困ったときは換金しても構わない。…大丈夫。そのときはルギアに払ってもらえばいいだろ? 君の力になれるなら、ルギアもそのくらい何とも思わないよ」  ラグナーは明るく言ってのけた。 「…本当によろしいのでしょうか?」 「ああ、もちろんだ。ラクリマのこともよろしく頼む。生きて帰って来るんだぞ。ルギアに会って、小遣い目一杯ふんだくってやれ」 「その時は一発殴ってやるつもりでいます」 「ははは。ほどほどにしてやってくれよ」  ラグナーは笑ったが、すぐまた真剣な面もちになってセリフィアの手に剣を握らせた。 「…フィルシムに戻ったらいつでも会いに来てくれ」 「はい。ありがとうございます。必ず、お返しに戻ります」  セリフィアは立ち上がり、一礼して部屋を出た。 「セリフィアさん」  部屋を出て歩こうとしたところで声がかかった。振り返ると、ここの僧侶でありラグナーの伴侶でもあるサラが立っていた。 「失礼ですが、はちみつを売る予定があるというのは本当ですか」 「ラクリマがもう話したんですか?」 「あの子は私たちには何でも話しますよ」  サラはそう言って笑った。 「もしよかったら、私たちにも売っていただけませんか。はちみつは必需品です。ご存知のように今は非常時で、食糧もすべて高騰しています。はちみつにしても単位当たり10gpもするんですよ。できればそれを半額で、単位当たり5gpくらいで引き取らせていただけると大変ありがたいのですが…。無理にとはいいません。よかったら帰って、みなさんと相談なさってください」  セリフィアは、はちみつの買取の相場がいくらか知らなかったので、ただ肯いた。 「なんだ、まだこんなところで引き留めてるのか?」と、ラグナーが部屋から顔を出した。「だから一緒に部屋にいろって言ったのに。」これはサラに言ったらしかった。 「二人の方が遠慮なく話ができただろう? 大丈夫、私の話はもう済んだから、これ以上お引き留めはしないよ」  サラはいきなりざっくばらんな話しぶりになった。セリフィアが驚いているのに気づき、ちょっとだけ決まり悪そうに笑った。それからラグナーを振り返って、 「ラグナー、彼を送ってあげては?」 「とんでもない…!」セリフィアはあわてて辞退した。「大丈夫です、ひとりで帰れます。」 「そうだな」 と、ラグナーが応じた。 「もう一人前の戦士だ。俺が送る必要はないさ」  幸福な大気がセリフィアを包んだ。父親が失意の底にあることも長兄がユートピア教の手にかかったかもしれないことも母や弟たちがハイブの餌食となっただろうことも、忘れたわけではなかった。だが、今この瞬間だけは幸福感が勝った。世辞も含まれているだろうが、ラグナーというひとかどの戦士に一人前と言われて喜びを止めることはできなかった。 「だがサラが心配だというなら、いつものおまじないをしてやってくれ。よく効くから」  ラグナーの声が言った。 「あれは『おまじない』じゃないって、何度言ってもわからないみたいだね……」サラはラグナーに溜息をついてみせたあとで「ま、いいでしょう」と微笑し、セリフィアを見上げた。 「セリフィアさん、少し屈んでもらえますか」  セリフィアは素直に背を低めた。 「あなたに神の恵みと平安がありますように」  サラはセリフィアの額に接吻し、祝福を与えた。帰る道中も帰ってからも幸福の余韻は続き、彼が頼まれていた「はちみつ」の話を思い出したのは、翌日になってからだった。 2■好意さまざま  2月6日。 「いくらだって?」 「5gp」  セリフィアはいつものように無表情に答えた。  朝、起きるなりはちみつの話を思い出して、朝食に降りる前にみんなに話をしたところだった。 「ロッツ君、はちみつの買取価格って、今、いくらなの?」  ロッツはヴァイオラに「買取の相場はだいたい売値の3割前後でさ」と答えた。「はちみつはもともと12オンスで5gpでやしょう。今は倍に跳ね上がってますから、市価10gpくらいとして、買取価格は3gp前後じゃないですかね。」 「単位当たり10gpだとサラさんも言っていた」  セリフィアが思い出しながら言っているところに、「おはようございます」とラクリマが入ってきた。 「ラッキー、サラさんにはちみつの話をしたの?」  ヴァイオラはラクリマに尋ねた。 「はい。いけなかったですか?」 「いや、いけなかないけど、サラさんから、はちみつを買い取りたいって申し入れがあったんだけど」 「あ、知ってます。お金に困ってるって言ったら、いくらかだったら相場より高く買ってくれるって言ってました」  セリフィアは「えっ」と驚いてラクリマを振り向いた。  ヴァイオラは別に驚かなかった。たぶんそうだろうと、アタリはつけてあった。買うことが目的ではなくて、援助が目的なのだ。「買いたい」というかたちで話を持ってきたのは、こちらが遠慮しないで済むようにだろう。そういうことならありがたく援助をいただくか…。  それでも、一応ラクリマに質問した。 「はちみつはよく使うの?」 「そんなしょっちゅうじゃないですけど、常備してますよ。風邪薬代わりに使うこともありますし、うまく物を食べられないお年寄りや病人の方にさしあげたりしてます。」ラクリマもセリフィアの遠慮に気づいたようで、あわてて付け足した。「あの、お金の話は別として、サラが言うんだったら、必要なのはきっと本当のことです。」 「…わかった」  セリフィアは独り言をいうように返事した。修道院で受けた好意が、何から何までありがたく感じられた。だが、受けるばかりだ。自分は彼らのために何ができるだろう? 「じゃ、この話、受けていいね」  ヴァイオラの確認にセリフィアもアルトも肯いた。ラクリマが、修道院で引き取れるのは総額100gpまでだと言い足したので、それとは別に普通の販路も開拓することにした。販路の開拓はロッツが担当することになった。  夜、アルバイト組が出ていったあとでヴァイオラは、アルトを呼んだ。何の話かと思ってアルトがそばに寄ると、ヴァイオラは、 「今日の訓練に出てなかったね」  単刀直入、アルトがウェポンマスタリーの道場にいなかった理由を尋ねた。アルトは答えた。 「もっと、自分は自分の勉強をしなきゃいけないと思ったんです」  ヴァイオラはつかの間、彼の顔を眺めていたが、息を吐いてこう言った。 「魔術師の勉強だね?」アルトはコクコクと肯いて見せた。「じゃあついでにこの間頼んだこと、調べておいて。図書館に通うんでしょ?」  ヴァイオラが言っているのは、ハイブコアとなった二つのダンジョンと、エイトナイトカーニバルの迷宮についての調査のことだった。  アルトも、図書館へは自分の勉強をしに行っているわけだから、そう暇があるわけでもないのだが、 「わかりました。ダンジョンのことでしたね? 時間を見て調べておきます」 と、返事した。  セリフィアは今晩は城門の警備に立った。他に4人の、見るからに「駆け出し」の冒険者がいた。戦士3人、盗賊1人と、バランスが妙に悪い。4人のうち、リーダーにあたる若者は、自らをグルバディ=パースと名乗り、さんざん話しかけてきた。彼らには僧侶と魔術師のあと二人の仲間がいるのだが、少し前の冒険で負傷し、現在療養中なのだという。残った戦士たちは、暇を潰すのにこうしたバイトをやっているらしかった。  グルバディは、よっぽどセリフィアに好意を持ったのか、ずっと纏わりついていた。「すごいですね、その剣! ちょっと振ってみてください!」という彼のリクエストに応えて10フィートソードで素振りをしてみせたところ、ますます気に入られたようだった。 「明日もぜひ一緒に警備させてください!」  熱心にそう言ってくるのを、セリフィアは「明日のことはわからない」と受け流した。グルバディはさらに「どこにお泊りですか?」「お名前は?」と立て続けに質問してきた。宿のことは教えなかったが、名前は教えてしまった。そのあとは「セリフィアさん、セリフィアさん」と五月蝿いくらい名前を呼ばれた。「女みたい」とは言われなかったので、あえて気に留めないことにした。出自を尋ねられて「一介の役人の子供だ」と返したところ、「役人=騎士」という思考回路らしく、「やっぱり騎士の家の出なんだ! すごいすごい!」としきりに感心された。 (いくらなんでも大げさじゃないか…?)  肝心の警備の方は何も出ず、至極平和裏に終わった。ほとんど疲れずに済んでよかったといえばよかったが、当然、基本給の5spしかもらえなかった。  ラクリマとカインは揃って魔術師の館を訪れた。  二人を出迎えたのはクリスタルスタチューだった。彼女はフィーファリカと名乗り、「こちらへ」と館の中へ案内した。「ご主人様と私しかいないので散らかっていますが…」との言葉どおり、館内はよく散らかっていた。もともと広いホールだったはずの場所では、そこかしこに木像、石像、宝石の像や泥の塊が散乱し、まさに物置と化していた。  ホールを通過して案内された一室は応接室で、ここだけがよく片付けられていた。むしろ、応接室にしては物が無さ過ぎるきらいがあった。立派なソファとテーブルしかない。  その立派なソファに座って待っていると、すらりとした長身細身の老人が現れた。髪はごましおまだらより若干白髪に近い程度、歩き方は矍鑠としており、魔術師にしては体格がいいな、と、カインは思った。若いころはそれなりにもてただろう、ダンディーな雰囲気を身にまとっている。  トーラファン=ファインドール老魔術師は、簡単に挨拶を述べたあと、まずカインの方を向いて言った。 「臨時にひとを雇っている間、館の夜間の警護と、その娘の送り迎えを頼みたい」  カインは老人の真意を測りかねた。臨時手伝いを雇って、そのパートタイマーのために警護と送迎まで雇うというのは、どう割り引いても常識的な話ではなかった。おかしい。何が目的なんだ。  カインの疑念には気づかぬふりをして、トーラファンはラクリマの方を向いた。 「ラクリマさんだね」  そう言って彼はラクリマを頭の天辺から足のつま先まで観察し、一言、「合格だ」と言った。 「好きなときに好きなだけ働いてくれればいい」  さすがにラクリマも不思議そうな顔をした。が、カインの猜疑心はそんな段階を通り越して爆発しそうだった。何が「合格」なんだ。こんなうまい条件で、護衛までつけて彼女を働かせる理由はいったいなんだ。  ……「彼女を」? 妙な話だが、最初からラクリマがここに来ることがわかっていたかのようだとカインは怪しんだ。だが、よしんば彼女本人がお目当てだとしても、金を払って警護をつけるくらいなのだから、害を与えるつもりはないらしい。そう思い直して、彼は暫く静観することにした。その間にもラクリマとトーラファンの話は進んでいた。だいたい説明が終わったらしく、トーラファンがこう締めくくるのが聞こえた。 「何か質問があるかね?」  カインは「入ってはいけない場所などありますか」と尋ね、入ってはいけない場所はないが、裏庭や鍵のかかった部屋は、命が惜しければ入らない方がいいと忠告を受けた。 (なるほど、魔術師らしい物言いだ)  先ほどは体格を見て、魔術師らしくないように判じたが、こうして言葉を交わしてみるとまさに魔術師そのものだった。その日は夜の10時ごろまで館で過ごし、それぞれの家へ帰った。  2月7日。  ヴァイオラ宛てに、ガラナーク大神殿から親書が届いた。親書にはあたりさわりのないことしか書かれていなかった。 _________________________________      親 書 親愛なる同志 ヨカナン・トルゥ=ヴァイオラ殿  この度の報告ご苦労であった。  今後の支援に関してだが、フィルシム国内のことであり、政治的な意味合いでもガラナーク神殿が積極的な関与をする事は大変難しい状況となっている。  しかし、ハイブは女神エオリスに認められていない、全世界共通の敵であり、このショートランドから駆逐しなければならない存在である。  同志が、貴国内のセロ村にあるハイブコアを駆逐し、世界平和に貢献することを期待する。  同志の未来に女神エオリスの祝福があらんことを。      ガラナーク大神殿 大司教 フィッツ・G・トゥルシーズ 同志の質問事項に対する返答を以下に記す。 解釈についてだが、神託の解釈は大変難しいモノであり、ガラナーク神殿は神託を受けた本人に解釈を委任してあった。 北の大地、深い森の中、前方には雪を被った山脈 見上げれば、降り始める、白き雪 翼をもがれた天使が、大空を飛ぶことを忘れ大地に横たわる 雪は全てを覆い隠す 深き森の北の端、魔導師達の夢の跡 いにしえより旅人達で賑わう村 深きところ、浅きところで人々の生業に寄生する 静かに、徐々に、しかし、確実に 心に光を持ちし者達 かの地で、真実を見付けるだろう それが、正しき『道』? それともまがいものの『道』? それらを見る『眼』はきっとそなた達の中にある _________________________________ 「こ…の、役立たず…っ!!」  読み終わって、ヴァイオラは思わず罵りの声をあげていた。アルトが吃驚してこちらを見た。「なんでもないよ」と言ったその声も少々うわずっていた。続く罵りは全部胸の中で吐いた。 (要は全部「自分でやれ」ってことじゃないか。この未曾有の危機に傍観を決め込むなんてどういう無神経だ……ええい、この役立たずっ!!)  憤懣を溜め込んだまま道場へ行き、いつもより精出して訓練を終えた。  道場を出て、みんなで城外で稽古をつけてもらっているセリフィアと合流しに向かったところ、向こうから男女の諍う声が聞こえてきた。  なんとその片割れはセリフィアだった。もう片割れは、だれがどう見ても「その道のおねえさん」とわかる格好の、それもどちらかといえば高級そうな街の女だった。 「とにかく帰ってくれ」  セリフィアが邪険に扱うのを聞いて、ヴァイオラは眉をひそめた。そんな物言いじゃだめだよ、セイ君。ああ、これだからお子さまは……。  案の定、相手のおねえさんは激怒なさっていた。 「だからどうして嫌なのか、ちゃんとした理由を言いなさいよ! それとも私がこういう女だから、バカにしてるの!?」  つと、カインが進み出た。 「どうなさいました」  彼は街のおねえさんから事情を簡単に聞いた。それによれば、どなたか奇特な方がセリフィアを男にしてやろうと一肌脱いでくださったらしく、セリフィア本人には覚えがないながら、おねえさんのところに彼の相手をするよう指令が下ったらしかった。 「ちゃんと朝までお金はいただいてあるの。これ以上払う必要はないんだし、気兼ねなく楽しめばいいじゃないの。それがどう? さっきから『帰れ』の一点張りなんだから!!」  彼女はいたくプライドを傷つけられた様子でまくし立てた。 「お話はよくわかりました。だれか親切な方が彼に好意を贈ってくれたのでしょうが、あいにく今はその気になれないようです。申し訳ありませんが、今日のところはお引き取り願えませんか」  セリフィアよりはこうしたやりとりにずっと慣れているらしく、カインは丁寧に詫びて断りを述べた。  が、もはやそれくらいで彼女の気は収まらなかった。 「私もプロですからね、金がもらえりゃいいってものじゃないのよ! ちゃんと仕事しなければ気が済まないわ!!」 (お〜、さすがプロ、あっぱれあっぱれ) と、ヴァイオラが心で拍手していたところ、「お仕事なさりたいんですか?」とラクリマが場にそぐわない質問を出してきた。  彼女はラクリマの問いかけに、あっけにとられたようだった。ちょっとの間、ラクリマを見、セリフィアを見、カインを見たあと、一同の中で一番話がわかりそうなヴァイオラに目顔で問いかけてきた。 『彼、もしかして彼女(ラクリマ)と恋仲なの? それとも彼(カイン)と?』  ヴァイオラはすかさずカインを目で示し、「困ったものだ」というように首を振ってみせた。もちろんそのような事実はなかったが、おねえさんに諦めていただくには一番手っ取り早い方法だった。 「…何よ。そうならそうと最初から言えばいいじゃない!」カインを向いて、「だから庇ったのね!? フン! 馬鹿みたい!」  さすがに彼女も諦めたようだった。怒りを収め切れぬまま、踵を返して去っていった。 「みんな、ちょっと先に戻ってて」  そう言ってヴァイオラはひとりで彼女のあとを追い、追いついて「失礼」とまじまじと彼女を観察した。この手の人種に詳しいヴァイオラは、確かにこの女性が高級な方に属する娼婦であることを見抜き、 「ずい分、高いランクの方とお見受けしましたが」 と、挨拶代わりに述べた。 「そうよ」  彼女は憮然として答えた。 「それなのにあなたの仲間ときたら…! あの朴念仁!」 「仰るとおりです。申し訳ない。ぶっちゃけた話、彼はまだコドモなんですよ。あなたのような佳い方を相手にするには早すぎます」  彼女はちょっと驚いたような表情をして、 「体はもう十分大人だと思うけど?」 「ええ、まあ、体は……」ヴァイオラはわざと言葉を濁した。「体は大人でも、心がコドモですし……しかも今、ちょっと男色家に誑かされてましてね…」 「まあ……」  一転、彼女は気の毒そうな顔をした。 「だから待っててもらえませんか。準備が整ったら、必ずあなたを指名させますから」 「わかったわ」  彼女はゆっくり頷いた。ようやく怒りが収まったようだ。 「彼が指名してくれるなら、お安くするから。何だったら一晩10でもいい」  それはとんでもなく破格だ、よかったねセイ君と思いながら、ヴァイオラは彼女の名前と、どうすればツナギを取れるのか尋ねた。彼女はセルレリア=ルーラフィアと名乗り---名前までお似合いじゃない、セイ君---、予約を入れたければ「青龍」亭で頼めばいいと教えてくれた。 「ありがとう。あなたのおかげで少し心が晴れたわ」  妖艶な笑みを浮かべて、セルレリアは去っていった。やれやれ、と、ヴァイオラは肩を落とし、結局少し離れた場所で待っていた仲間のところへ戻った。 3■搦め手  「青龍」亭からパシエンス修道院までの道のりを、二人は黙って歩いた。  道場を出てからというもの、カインは少し落ち着きを欠いていた。ラクリマもそれに気づいていた。「どうかしましたか」と話しかけようと思うのだが、声にならないでいた。聞かなければ、聞かなければと思ううちに、修道院に着いてしまった。 「あの…」  ラクリマはカインを見上げた。上の空の彼に無言で見返され、身が竦んだ。このまま塩の柱になってしまいそうだ。 「あの、よかったら夕食もここで食べていきませんか?」  それだけやっと言った。カインは「いいんですか?」と確め、ラクリマと一緒に門の中に入った。彼としても、食事をしてからトーラファンの館へ送るためにわざわざ戻るのは面倒だなと思っていたし---彼のねぐらはここから10分ほどの、トーラファンの館とは別の方角にあった---、何より食費が浮くのはありがたかった。  門をくぐった途端、ラクリマのところに小さい子どもが数名、駆けてきた。 「あっ、ラクリマのおねえちゃんだっ。おねえちゃん、おかえりなさぁい」 「ほらぁ、だからちがうって言っただろぉ?」 「だってほんとにそっくりだったんだよ。みまちがいなんかじゃないもん」  ラクリマが「どうしたの?」と尋ねると、子どもたちは口々に言った。 「こいつが昼間、ラクリマが北門へ歩いてくのを見たっていうからさぁ」 「だってほんとだもん。このあいだ帰ってきたときみたいに、重そうなヨロイを着てたの。ちゃんとそのペンダントもさげてたよ。だからてっきりおねえちゃんが家出しちゃうんだと思ったんだよ」 「だ〜か〜ら〜、みまちがいだって。サラねえちゃんならともかく、ラクリマにひとりで出てくドキョウがあるわけないだろぉ?」 「だってほんとうにおねえちゃんにそっくりだったんだってばぁ」 「おいっ、それはいつどこで見たんだっ!」  突然、カインが子どもに詰め寄って怒鳴った。 「ラクリマにそっくりだったって言ったのかっ!?」 「ふ…え…うえええええん!!」  子どもは脅えて泣き出した。ラクリマは慌ててその子を庇った。 「やめてください、カインさん! どうなさったんですか!」 「頼む、もう一回話を聞かせてくれ!」 「カインさん!!」  カインは我に返った。 「ダン、ガドが何を見たか、もう一度説明してくれる?」  ラクリマはガドをあやしながらもう一人の、やや年かさの子どもに頼んだ。 「だからさ、大通りでラクリマそっくりのひとを見たんだって」 「いつだ」 「にいちゃん、さっきからシツレーだぜ。ま、教えてやるけどさ。昼頃だよ。ラクリマとおんなじヨロイで、こーゆーのもさげてたって。」言いながら、子どもはラクリマのホーリーシンボルに手を伸ばした。「パンパンにふくれた背負いぶくろを背負って、北門の方へ早足で歩いてったって。こいつ、ひきとめようとして走ってったんだけど、人ごみでみうしなっちゃったんだ。でも全部ガドが言ってることだかんなぁ。おいらは絶対、みまちがいだと思うな。」 「ほんとだもん!」  ガドと呼ばれた子どもは泣きながら反論した。  カインは懐から1枚の羊皮紙を取り出し、軽く目を走らせた。紙片は主の手から滑り落ち、ラクリマの目の前の地面に横たわった。ラクリマはそれを拾って読んだ。 「…お前の昔の仲間を預かっている……って、大変じゃないですか、カインさん!」  続きはこうだった。「その者は『お前に会いたい』と言っていた。どういうことだか判るな。その者は生きているということだ。」最後に、治安の悪さで有名な貧民街の裏通りを指定して、「今晩、一人で来い。そうすれば会わせてやろう。さもなければ…」手紙の末尾には、どす黒く変色した血の斑点がついていた。 「これ、どこで?」 「マスタリーの道場で、帰りに渡されました。盗賊風の、印象の薄い男が届けにきたと受付は言っていたが…」 「心当たりが…?」  カインはゆるゆると首を振って、ラクリマを見つめて言った。 「ありません。が、実は、昔の仲間たちのなかに、あなたによく似た少女がいました。その子が見たのは、もしかするとジェラルディンかも……いや、生きていれば、だが……」 「生きているかもしれないんですね」 「ええ、可能性はゼロじゃない」  そして俺はそれを信じたい。だがもし生きているとすると、あの呼び出しは……。  カインはラクリマの手にある羊皮紙を見た。ラクリマは心配そうに尋ねた。 「…どうなさるんですか。まさかひとりで行ったりしませんよね?」 「だが、『ひとりで来い』と書いてある…」 「だっ、ダメです! ひとりで行ったりしたら…!」 「………」 「みんなにも相談しましょうよ。ね? 私、急いで仲間を呼んできますから」  カインは迷い続けていた。もし仮に、リューヴィルたちが生きているのなら……そして呼び出し状のいうとおり、だれかに捕まっているのなら……ここで俺が行かなければ、見殺しにすることにならないか……。 「ダン、お兄さんを食堂へご案内してくださいね。カインさん、夕飯を食べて待っててください。その間に私、『青龍』亭まで行ってきますから」  良い案も見つからず、カインは肯いた。ラクリマは子どもたちにカインの手を預け、「絶対に待っててくださいね」と念を押してから駆け出して行った。  一同が「青龍」亭で食事していると、セルレリアが入ってきた。 「やっぱりここだったの」  セルレリアはヴァイオラの姿を認め、会釈した。ヴァイオラは微笑み返した。 「お仕事?」 「ええ、おかげで今日は2件こなせるわ」 「気をつけて」 「ありがとう」  勝手知ったる場所柄と見えて、彼女は平気で宿の主人の前を通り抜け、階段を上り、2階の廊下に消えていった。 「そういえばセイ君」  彼女がすっかり見えなくなったのを確認してから、ヴァイオラはセリフィアに向き直った。 「セイ君は、『そういうの』って気にならないの?」  気分を損なうかと思ったが、セリフィアは怒るでもなく「少なくとも今は先にやる事が…」と、淡白に答えて寄越した。 「だからって、彼女のカオを潰しちゃいけないよ」  ヴァイオラは諭すように言った。 「だって、暗殺者かも知れないじゃないですかー!」 「彼女は彼女で自分の仕事に誇りを持っているんだから、あんな対応をしたらそれこそ後で刺されるよ」 「…それはこまった…じゃあ、後で気をつけよう」  どうも話がずれている気がするな、と、ヴァイオラが思っているところへ、「ごちそーさまでしたっ! それじゃ私、お向かいに行ってきます〜」と元気に、Gが立ち上がった。「あ、あっしも出かけてきやす。」ロッツもナプキンをテーブルに放り出すと、素早く出て行ってしまった。パーティは一気に3人に減った。 「今日はバイトはどうするの?」 「これから行きます。できるときにやっておきたいから」  セリフィアもそう言って立ち上がった。彼は仕事道具---要するに武具防具---を取りに、階上へあがった。  部屋の扉に手をかけたところで、ふと、何かを感じた。血の匂いだ。扉を少し開けた。中は真っ暗で何も見えない。 (おかしい……)  部屋の中には、魔法で光を放ちつづけるランタンを置いてあったはずだ。真っ暗になるはずがなかった。  セリフィアは咄嗟に、Gからもらった魔法の光付きのコインを取り出し、扉の隙間から中に投げ入れた。パッと部屋の中が明るくなり、血の匂いの元が見えた。  セルレリアの死体が、セリフィアのバックパックにもたれていた。両手剣のような強い武器でばっさりと袈裟懸けに斬られており、まだ血は止まっていなかった。 「きゃああああ!! だれかぁー! ひとごろしー!!」  タイミングよく、だれかが叫び声を上げた。あっという間にそこかしこの部屋から人が集まり、セリフィアはすっかり取り囲まれてしまった。 「なんか騒がしいね」  ヴァイオラは階上を見上げた。 「あ、ボク、見てきます」  アルトが席を立った。彼もまた階上へ消えたとき、扉が勢いよく開いてラクリマが転がり込んできた。 「た、たいへんです…!」  ラクリマは走ってきたらしく、息を切らしながらヴァイオラに寄って言った。 「どうしたの、ラッキー。カインは?」 「カインさんに…こんな手紙が…」  ヴァイオラはラクリマから羊皮紙を受け取った。彼女がそれを読む間もラクリマは切れ切れに喋りつづけた。 「あの…カインさんのお仲間に…私そっくりのひとがいて…うちの子どもたちが今日…私にそっくりなひとが北へ向かうのを見たって…だからその手紙も…本当かも…」  ヴァイオラは眉をひそめた。 「で、カインはどうしてるの」 「カインさんには…修道院で待ってもらってます。…どうしましょう? できたらみなさんも…あちらへ来ていただけませんか?」  と、急にガヤガヤ騒ぐ音が大きくなり、階段から大勢の人間が降りてきた。その真中に、両手を縛められたセリフィアがいた。 「どうしたんですか、セリフィアさん!!」  ラクリマが悲鳴をあげた。 「俺たちの部屋でセルレリアが死んでたんだ。もちろん、俺は何もしてない」  謀られた、と、ヴァイオラは瞬時に理解した。なんてこと。無辜の人間を、他人の命をそんなことに利用するなんて。だが、わかっていたじゃないか、ユートピア教がそういうやり方をするってことは…! 「申し開きは詰め所でするんだな」  宿屋常駐の警備兵がセリフィアを促した。 「その子はパーティの仲間なんです。後見に私もついていっていいですか」  ヴァイオラは警備員に尋ね、許可を得た。ラクリマと、あとから降りてきたアルトに「私も一緒に詰め所へ行ってくるから」と告げた。 「じゃ、じゃあ、こっちはどうすればいいんですか!?」  ラクリマは困り果てて聞いた。 「まずは」と、ヴァイオラは振り返って言い加えた。「Gさんに連絡して。今夜はみんなで一緒に固まって大人しくしてた方がいい。ロッツ君が戻るまでとりあえずここで待機してて。」  アルトがしっかり肯いたのを見届けて、ヴァイオラは連行されるセリフィアのあとを追って出て行った。 「どうしよう…」 「ラクリマさん、まずはGさんにこのことを知らせに行きましょう」  アルトはきっぱりと言って、「青龍」亭から「赤竜」亭へ向かった。ラクリマもそのあとに従った。 「あれぇ、どうしたんですか?」  折りよく休憩中だったGは、歌姫の衣裳のまま二人に話しかけた。アルトはまず、セリフィアが捕縛されたことを話し、ヴァイオラから「全員で固まっているように」言われたことを告げた。Gはすぐさま了解し、「赤竜」亭の主に断って二人と共に「青龍」亭へ戻った。 「そういえば、どうしてラクリマさんもいるんですか? 帰りに何かあったんですか?」  Gに訊かれて、ラクリマはカインの呼び出し状の件を二人に語った。 「それでカインさんは?」 「修道院で待ってもらってるんです……それにしてもロッツさん、遅いですね」  ロッツはなかなか帰ってこなかった。いつもならとっくに宿に戻っている時刻だ。3人はそこはかとない不安を覚えた。 「……ああ、こんなに時間が経ってしまっては……私、一度戻らなきゃ。ごめんなさい、修道院に戻らせてください」  ロッツを待ちきれず、腰を浮かせるラクリマをGが引き留めた。 「ひとりは危ないですよ。ロッツさんには書置きをして、修道院には三人でカインさんを迎えに行きましょうよ」 「その方がいいですね」  アルトも賛成したので、三人はロッツ宛に書置きを残し、修道院へ向かうことにした。  詰め所ではセリフィアがひととおりの尋問を受け終わって、とりあえず地下の獄に繋がれたところだった。  夕方、セルレリアと言い争いをしていたという証言もあり、彼の立場はあまりよくなかった。  さらに、セリフィアがラストン生まれということは、取調官に芳しからぬ印象を与えた。ラストンの人間は小魔術(キャントリップ)を使えるため、その場で剣から血のくもりを取り除くことが簡単にできるからだ。  動機としては、「金目当て」という目的が考えられるというのが取調官の意見だった。これはセリフィアが取り調べの最初に「俺には花代を払うだけの金がないから、彼女を断った」という説明をしたからだ。では取調官が本気でセリフィアを犯人と思っているかといえば、そういうわけでもなかった。要は、「殺った」という確証もないが、「殺らなかった」という確証が得られない以上は、重要参考人として留置するということらしかった。  ヴァイオラは詰め所の上官に、セリフィアと少し話がしたいと告げた。もちろん、許可されることではなかった。しかし彼女の麗しい笑顔と、握られた手に残った白銀色のカタイものの感触が上官の気を変えた。あとでばれたら知らぬ存ぜぬで通すことにして、彼は「面会させるように」と部下に命じた。  ヴァイオラが地下へ降りていくと、セリフィアは不機嫌な熊のように獄の中を歩き回り、ときに拳で壁を打ちつけていた。  ちっとは成長したかと思ったけど、結局はまだコドモか… 「セイ君」  ヴァイオラの呼びかけにセリフィアが振り返った。いつもの無愛想が兇悪な顔つきになっていた。 (これじゃ殺人犯扱いされても仕方ないわ…)  ヴァイオラはまず彼に落ち着くようにと諭した。反抗的な態度を見せれば、ますます釈放から遠ざかるからと。だが、その実、いい子にしていたからといって釈放されるとは限らなかった。一番手っ取り早い方法は保釈金を積むことだが、先ほど上官に尋ねたところ「1000gp」と言われた。そんな財産はどこにもない。 「死人に証言してもらうことはできないんでしょうか」  出し抜けにセリフィアが聞いてきた。どうやら彼は僧侶が使う「スピーク・ウィズ・デッド」の呪文のことを考えているらしかった。 「セルレリアさんが犯人を目撃してるとは限らないよ」 「ええ……でも、体格が違うくらいわかるかもしれない…」  それはそうかもしれないな、と、ヴァイオラは思った。何しろこの坊ちゃんは身の丈2メートルの大男なのだ。背の高さを確認するだけでも足しになるかもしれない。 「で、だれに頼むの」  ヴァイオラもラクリマもまだその呪文は使えなかった。セリフィアはつかの間、口を閉ざしていたが、やがて「サラさんにお願いできないでしょうか」と洩らした。確かにサラならその呪文も使えるだろう。だが無償奉仕してもらえるか、そもそも身重の女性に死体を見せるのはどうだろうか……。  他にいい案も浮かばなかったので、ヴァイオラはパシエンスのサラに呪文のことを頼んでみるとセリフィアに保証し、「くれぐれも短慮は慎むように」と釘を刺して階上にあがった。  3人が修道院に着いたとき、カインは不安げに、だが大人しく待っていた。  戻るまでにかなり時間がかかってしまったので、ひとりで指定場所へ出かけてしまったのではないかと、ラクリマは気が気ではなかった。それが杞憂だったと知って、ホッとした。 「他の人は?」 「セリフィアさんが捕まって、ヴァイオラさんは一緒に詰め所について行っちゃいました」 「…捕まった?」  アルトはことの次第を説明した。カインはそれを聞いて考え込んだ。 「カインさんはどうするつもりですか?」  Gが尋ねた。 「…俺は行きません」  カインは面をあげてきっぱり言った。ラクリマは吃驚してカインを見た。さっきは今にも飛び出していってしまいそうだったのに。 「い、いいんですか…?」 「俺は行かないことにします。話を聞く限り、罠としか思えない。それに…」カインは3人を見回すようにして言った。「俺のせいであんたたちに凶運を呼び込むわけにはいかない。」  俺のせいでだれかが死ぬなんて、二度とごめんだ。もう騙されない。だれも死なせない。俺も死なない。恩と仇に報いるまでは。 「それじゃ問題ないですね。『青龍』亭に戻りましょう。ロッツさんが帰ってるかもしれないし」  Gの一声で、一同は再び「青龍」亭へ戻った。惨劇のあった部屋に入る気にはなれず、新しい部屋をわざわざ用意してもらうのもなんとなく憚られて、4人は1階の酒場でまんじりともせずにロッツの帰りを待った。  真夜中になって、階上からひとりの女の子が降りてきた。金髪碧眼の美少女で、真冬だというのに半袖の白いワンピースしか着ていなかった。  アルトとGは咄嗟に彼女の正体を見定めようとしたが、人間であるらしいことくらいしかわからなかった。だが近寄らない方がよさそうではある。周りの冒険者たちもそれを察してか、シンと静まりかえっている。  美少女は宿の親父に「お世話になりました」と言って、そのまま軽い足取りで宿を出ていこうとした。 「あ、あの、危ないですよ」 「どこへ行くんだ」  ラクリマとカインがほぼ同時に少女に声をかけた。周りが無言ながらどよめき立った。  肝心の少女は、二人の言葉など気に留めるふうもなく、今にも扉を出ていこうとした。 「ひとりで出歩くのは危ない…」  カインは彼女の肩に手をかけた。瞬間、彼の頭に危険信号が走った。と、同時に何かが体の芯を走り抜けたようだった。カインはそれに耐えた。 「大丈夫」  少女は振り向いてそれだけ言った。カインは手を放した。 「どうして大丈夫なんだ」 「大丈夫なの」  カインの背後からGが割って入った。 「あなたがセリフィアさんを陥れたんですか?」 「Gさん、いきなり何を!?」  ラクリマが声を上げたが、Gは剣の柄に手をかけたまま続けた。 「あなたがセリフィアさんを陥れたのなら、あなたは敵だ。ここで斬る」  少女は「わからない」という顔をした。どうやら本当に、何を言われているのかわからないようだった。一同の気がゆるんだ折に、彼女はするりと出ていった。次にカインたちが扉を開けて表を見たときには、月明かりに浮かぶ彼女の輪郭は、すでにひとつ向こうの角にさしかかっていた。  一同はわけのわからない気分を抱えながら、酒場の席に戻った。そこかしこから、ひそひそ話が聞こえてきた。 「見たか。手で触ってたぞ、あいつ。よく無事だったな」 「俺はそんなことよりまず、彼女に声をかける神経が理解できん」 「どうせ見かけ通りの人間じゃない、高レベルの魔術師かなんかだろ、彼女」  カインは気になって、少女がだれだったのか宿の親父に尋ねた。 「あれはアラファナさんといって、最上階のスイートに1ヶ月逗留されていたひとだよ」  ひそひそ話のいうように、ただの少女ではなかったらしい。カインは腑に落ちないながら、今さら肝が冷える思いがした。  待てど暮らせどロッツが帰ってこないので、一同は再び書き置きをして、ヴァイオラにこのことを報告しに行くことにした。  ヴァイオラは仮眠室で休んでいたが、本格的には寝ていなかったらしく、すぐに起きて現れた。アルトはロッツがまだ戻らないことを報告した。さすがのヴァイオラもそれには不安の色を隠せなかった。 「セリフィアさんはどんなですか?」 「ああ…まぁ、大人しくしてるんじゃないかな……壁に八つ当たりする以外は」  そんな会話を交わしているところへ、取調官が「まだ起きてたのか。今晩はもう寝たらどうだ」と現れた。そういう自分は外から帰ってきたらしく、彼の周りだけひんやりした空気が漂った。 「…何かあったんですか?」 「もう一件、コロシがあってな」と、取調官は眠そうにあくびした。「貧民街の方で、街の花が大きな包丁みたいな刃物でバッサリやられたんだ。」  カインはピンときて、その取調官を向いて「もしやその娼婦は、このひとに似ていませんでしたか?」と、ラクリマを指して言った。 「おお!?」  取調官はまじまじとラクリマを見た。 「あ、あんた、まさか姉妹か何かか?」 「いえ、私、肉親はいないんですけど……あの、迷子だったのでわからないんです」  ラクリマがそう言うと、取調官は「とにかく見てもらおう」とラクリマを死体置き場に連れて行こうとした。「俺もついてっていいですか。」カインは同道を申し出て、許可された。  その無惨な死体は、ラクリマに似てはいた。だが「瓜二つ」といえるほどではなかった。カインはホッと胸をなで下ろした。やはりジェラルディンではなかった。北門へ向かったラクリマそっくりの人物は、ユートピア教の毒牙にはまだかかっていないと見える。生きているなら……もしも生きているなら、どこかで再び会えるだろう。それまでは…… 「おい、あんた、何してるんだ」  取調官の厳しい声で、カインは物思いを中断した。 「ごっ、ごめんなさい。他に致命傷がないかと思って」  ラクリマが素っ頓狂なことを言っているのが耳に入った。 「この切り傷以外に致命傷があるわけないだろう。おまえ、まさか証拠を隠滅しようとか…」 「ああ、すみません」と、カインは二人の間に入った。「彼女、自分によく似ているので動揺してしまったみたいです。あまりこういうのに慣れてない子なんです。勘弁してやっていただけませんか」 「…まぁ、仕方ないか。あんたもこういうところで妙な真似は控えるんだな」  ラクリマは「ごめんなさい」と何度も謝った。年下のカインに庇われた自分が情けなかった。 (行かなくてよかった)  カインは自分の判断が正しかったことを知った。  やはり呼び出しは罠だったのだ。自分がのこのこひとりで指定場所へいくと、ジェラルディン似の娼婦の死体が転がっており、発見と同時に「ひとごろしー!」と叫ばれ捕縛されるという段取りだったのだろう。  カインたちが詰め所を去るまえに、ヴァイオラはラクリマにサラへの依頼を言付けた。その件もあって、皆で一晩パシエンスに転がり込ませてもらおうという算段になった。修道院に向かい、空いている大部屋に潜り込んだ。それからやっと安眠を貪った。 4■身の代金  2月8日。  朝早くから鐘の音が直近で鳴り響き、みな叩き起こされた。夜のうちに無断で人間が増えたことへのお咎めも注意もなく、朝食も足りるようだったので一同はほっとして席についた。もっとも、早朝、朝課の前にラクリマが院長に事の次第を説明して許しを得ていたこと、食事の用意にも手を加えていたことなどは知りようがなかった。  早い朝食が終わり、簡単な清掃が済んだところへ、サラが顔を出した。 「ラクリマ、もう出かける?」 「あ、ハイ、お願いします」  例の依頼も、ラクリマは朝一番で済ませてあった。旧友の息子のこととあって、サラは二つ返事で引き受けた。  一同はサラを同道して詰め所へ向かった。 「お? おまえら、こんなところで何してるんだ?」  詰め所には、先日エドウィナという少女を追っていた警備隊隊長、ルブトン=フレージュがいた。事情をざっと説明しているところに、ヴァイオラも仮眠室から出てきた。 「ふ…ん。それで死人に喋らせようってか? ま、うまくいくといいがな」  ユートピア教絡みの可能性があるなら俺も立ち合わせてもらおう、と、ルブトンはあとについてきた。  ヴァイオラは歩きながらサラに話しかけた。 「ご足労をかけてすみません。死体など本当はお見せすべきじゃないんでしょうが…」  彼女が身重であることを慮っての言葉だった。サラは軽く笑って、答えた 「大丈夫ですよ。私ももとは冒険者でしたし、皆さんが思うより悲惨なものも目にしてきましたから」  一同が遺体置き場に着くと前後して、セリフィアも現れた。彼は縄を打たれたままの姿で、サラに深深と頭をさげた。  遺体が室内の中央に引き出されてきた。サラは「何を訊けばいいですか」と一同に尋ねてから、スピークウィズデッドの呪文を行使した。一つ目の質問を語った。 「セルレリアさん、いらっしゃいますね。あなたが殺されたときの状況を教えてください。あなたは犯人を見ましたか?」 ---……言われた部屋へ行ったら、真っ暗でした。中へ入って手さぐりで灯りをつけようとしたら、物音がして、振り返った瞬間に…斬られて……肩がすごく痛かった。だれだったか、相手は見えませんでした。暗くて何もわからなかった…ええ、輪郭も何も……ただ、肩が痛かった。  セリフィアの顔が曇った。これでは無実を晴らしようがない。  続けて二つ目の質問が放たれた。 「どういう依頼を受けてあの部屋へ行ったのですか? 大部屋で妙だと思わなかったのですか?」 ---「一つ目の仕事がなくなった」と元締めに言ったら、次の仕事をすぐに渡されました。それで指定された部屋へ行っただけです。相手がだれとは言われませんでした。それもよくあることですし、大部屋というのも……他の方が出払って中はひとり、ということもよくあることですから……妙だとは思いませんでした。  最後の質問になった。 「これからあなたを殺した犯人を挙げるために、元締めに会いたいのですが、何か良い取引材料はありますか? 弱味とか、あるいは特別な符牒とか…」 ---元締めとはビジネスライクにつきあっていたので、弱味とか個人的なことは知りません。ただ、彼に会うときはこうしていました……  セルレリアの霊は、差配と会うための場所や手順を語ったあとで気配を絶った。 「……結局わかりませんでしたね」 「わざわざお呼びたてして申し訳ありませんでした」 「いえ、こちらこそお役に立てなくて……残念です」  ヴァイオラとサラがそんなやりとりを交わしている脇で、セリフィアは青い顔をして突っ立っていた。父親が魔術師だっただけに、通常、呪文がどれだけの高価格で取引されるかを彼も知っていた。 (彼女に9000gp相当の呪文を、無駄に使わせてしまった…)  後悔してもしきれなかった。そして自分は虜囚のままだ。 「すみません、サラさん…」  セリフィアは力なく謝った。 「謝ることはありませんよ。あなたも元気を出して」  そう返されたものの、とても元気を出せそうになかった。彼は項垂れて地下の獄に戻っていった。  いつまでも詰め所にいてもしょうがないので、サラと別れて、一同は宿へ戻った。  ロッツが帰っていた。ボロボロになって「青龍」亭で待っていた。はちみつの販路を開拓しようとしてやばいところに足を突っ込み、そのまま話をこじらせてしまったらしい。ユートピア教絡みではなかったのは不幸中の幸いだった。ラクリマは治癒の呪文で彼の傷と疲労とを治してやった。  ヴァイオラには手紙が届いていた。先日、クダヒの神殿宛に出した「給料寄越せ」に対する返事だ。開けてみると「帰ってこい」。言外に「金にならないから」という含みが感じられた。 (当然といえば当然か……いや、これも案外、妨害のひとつなのかもしれないな)  ユートピア教が各個撃破を狙って動いていることは確実だ。 「どなたからのお手紙ですか?」  ラクリマが訊いてきたのでヴァイオラは、 「クダヒから。帰ってこいってさ」 と、羊皮紙をひらひらさせた。 「ええっ! ヴァイオラさん、帰っちゃうんですか!?」  ラクリマの情けない声に、他のメンバーも振り向いた。帰れるわけないでしょ、あんたたちを置いて……特にそこの。ヴァイオラはGを見ながら、「帰るつもりはないよ」ときっぱり告げた。  それから思いついたように、 「今日は行くところがあるから、道場をお休みするって言っておいて。あと、セイ君のお師匠さんにもお休みのことを伝えておいてあげてね」 と、言った。皆はわかったと口々に言い、道場へ図書館へと出かけていった。  ヴァイオラはフィルシムの神殿本部へ出かけた。セリフィアの件を早急に何とかする必要があった。何とかしてもらえるかどうかは怪しかったが、フィルシムで頼れる伝手が他になかった。  ロウニリス司祭は、昼休みに会ってくれた。 「ひとり捕まったようだな」  会うなり、そう言われた。さすがにその辺りの情報は掴んでいるらしい。 「見事にはめられました」  ヴァイオラは素直に述べた。続いて自分にも帰還命令がきたことを報告しようと思ったが、それより早く、先方が「神殿からも帰還命令が来たらしいな。こちらに写しがある」と、先ほどの手紙の写しを見せたので、繰り返すのを止めた。 「実はもう一件あります」 「ほう?」 「昨晩、貧民街の方で殺人がありましたが、それもうちのパーティがらみです。もうちょっとで2人目がお縄になるところでした」 「言われてみれば小さな殺人の報告があった気もするな。そなたたちと関わっておらなんだようなので、特に気に留めなかったが。……そうか」  ロウニリスは考え込むふうを見せた。 「そうか……そなたたちの実力を見て、搦め手から来たか……」  ヴァイオラは黙っていた。 「……わしもやばいな」  ロウニリスがポツリと、本音を洩らした。ヴァイオラは笑った。 「帰還命令ですが、従うつもりはありません」と、ヴァイオラはロウニリス司祭に向かって言った。相手は「当然だろう」と言いたげな顔をした。「ついては、個人的な事情で恐縮なのですが、私を大司祭様付きに任じていただけませんか。そうすればクダヒの方も何も言えないでしょう。」 「非常に個人的な事情から、それはできん」  ロウニリス司祭は、間髪をいれずに拒んだ。ヴァイオラはちょっと意外な気がした。 「というのは、そなたとこれ以上関わりを持っていると、わしの周りがきな臭くなるからだ。自分の身の安全のために、そなたを引き受けるわけにはいかん」 (お説ごもっとも。でも、それならどうする気なのだろう? あなたはこの件から手を引くような人間じゃないと思っていたけど…?)  ヴァイオラの考えを読んだわけではないだろうが、ロウニリス司祭は引出しから何やらいくつかのものを取り出した。 「そなたにこれを貸し出そう」  そう言って彼が差し出したのは、一本のスクロールだった。 「コミュニケーション・スクロールだ。今後はこれで連絡を取る。その代わり、表向き、二度とここに来ないでほしい」  ヴァイオラはスクロールを受け取った。なかなか太っ腹な大司祭様だこと。 「片割れはもちろんわしが持っている。一回に100字まで書きこみが可能だ。こちらから書きこむこともあろうから、ときどき見て確認するようにしてくれ。ああ、『贈与』ではない、『貸与』だからな。きちんとあとで返してくれ」  ロウニリスは念を押してから、次にざらざらと音のする小袋と、もう一つ重くて不安定な袋とを渡して寄越した。 「開けてみるがいい」 「よろしいのですか?」  ヴァイオラは袋の中身を確かめた。  小袋の方は、予想に違わず宝石類だった。1000gp相当のオパールが3つに、100gp相当のガーネットが20個、都合5000gp相当になる。  もうひとつの袋には、ポーションが7瓶入っていた。そのうちの一つを取り出して眺めていると、 「それはバグリペラントポーションと言って、最近、ハイブに対抗できることがわかった薬だ。強力な虫除けだと思ってくれればいい。もしものときに使うがいい」  ヴァイオラが礼を述べると、ロウニリス司祭は「それは一応、わしの私財から捻出しておる。神殿の金に手をつけるわけにいかないのでな」といい足し、そのあとでぼそりと呟いた。 「これであの人にも恩返しになるかな……」  ヴァイオラは次の言葉を待った。彼が今口にした「あのひと」とは、もしかして……  ヴァイオラの視線に気づいて、ロウニリス司祭はひとつ咳払いをした。 「カジャ・マールによろしく」  彼のこの台詞を聞いて、ああ、だからか、と、ヴァイオラは重々得心がいった。カジャ・マール=ラガットは彼女の母方の親戚だ。何をして生計を立てているかは不明だが、ラガット家の現当主で、金に困るようなことはないらしい。昔から家族とそりが合わないヴァイオラの、唯一の味方だった。彼女は彼のことを「カジャおじさん」、「カジャマルおじさん」と呼んでつきまとい、いろいろとかわいがってもらった。だがその彼が8年前に旅に出て以来、ヴァイオラは会ってもいなければやり取りもできずにいた。一体、どこで見ていてくれたものか。 「私も最近は会っていませんが」  ヴァイオラがそう返すと、ロウニリス司祭は別段驚いたふうもなく、 「わしも会っておらん。いきなり手紙がきて『よろしく頼む』とだけ書いてあった」 と、説明した。ああ、カジャおじさんらしいね。大司祭様とどういうつながりがあるかは知らないけれど、おかげで私たちは助かった。 「…これで釈放させるか」  ヴァイオラの独り言を聞きつけて、ロウニリスは肯いた。 「それが手っ取り早いだろう。フィルシムでは力がすべてだ。その力とは、剣の力のこともあり、金の力のこともある。もっと別なかたちを取ることもあるが、何であれ己の手にした力で事を為すがよかろう。ではそろそろお別れだ」  ヴァイオラが品々をしまいこんだのを見届け、ロウニリス司祭は私室の扉を乱暴に開け放った。 「だれか! だれかおらぬか! こいつを叩き出せ!」 (ははあ、いわゆるひとつの猿芝居ってやつだな)  ヴァイオラはすぐさま応じた。 「何故ですか、大司祭様!」 「ええい、五月蝿いわ!」 「大司祭様!!」  ヴァイオラは寄ってきた衛兵たちに腕を取られた。 「この女を二度とここへ通すな!!」 「誤解でございます! お願いです、もう一度、もう一度だけお話を…!!」 「ならぬ!! それ、さっさと連れてゆかぬか!!」 「大司祭様…!!」  ロウニリスはバンと音をたてて、拒絶するように扉を閉めた。 (この狸親父、本当に本気に聞こえるよ)  ヴァイオラは心中舌を出しながら、衛兵たちに引っ立てられていった。  一旦放り出されるかたちになって、このままセリフィアのところへ行こうかとも思ったが、時間があるので神殿附属の図書館に入った。セロ村付近でハイブコアが形成されたらしいダンジョンについて、記録を調べた。  そのダンジョンはサーランド時代の魔術師の研究所だった。既にダンジョンアタック済みで、めぼしいものは何もないはずと記されていた。他にわかったのは、対モンスターの研究をしていたということぐらいだ。地図はついておらず、別に盗賊ギルドで調達する必要があった。だが、今のフィルシムの盗賊ギルドで、この関連の資料を公然と請求するのは憚られるものがある。 (…ちびの調査も待ってみるか)  ヴァイオラは神殿を出た。ちょうどいい按配に夕方近かったので、詰め所に行って1000gpを支払い、セリフィアを釈放してもらった。 「セリフィアさん!」 「どうやって戻ってこられたんですか!?」 「よかった」  セリフィアは仲間のあたたかい歓迎を受けた。他のみんなと同じように、ラクリマもヴァイオラが手を回したのだろうと思ったので、 「ヴァイオラさん、どうやって釈放してもらったんですか?」 「お金を払ったの」 「えっ! だ、だって、1000gpって言いませんでした? そのお金、どこからどうやって…?」 「身売りしてね」 「みっ、身売り…!?」  青ざめるラクリマを「まあ、いろいろとね」となだめながら、身売りという表現も強ち的はずれじゃない、と、ヴァイオラは思った。ロウニリス司祭はこれでユートピア教関連の密偵を得たに等しいのだから。今後、ヴァイオラが流す情報料を、前もって提供してもらったというだけだ。 「どうしたんですか、この手!」  Gの声でヴァイオラはセリフィアたちの方に目をやった。  セリフィアの両手は傷まみれだった。 「…壁でも撲っていたのか」  カインの言葉に、セリフィアは図星を指されたようだった。アルトが「どうしてそんなことを…!」と言うと、彼は言い訳するように答えた。 「どうにも理不尽に堪えられなくてな…」 「わかります、その気持ち」  どういうわけかGが相づちをうった。セリフィアと目を合わせてにこにこと笑った。だがカインは首を振った。 「戦士たるもの、それくらい耐えなければだめだ。いざってときに剣が持てなかったらどうするんだ」 「………」 「俺たちが他のみんなを守らなければ、だれが守るんだ」  言いながら、カイン自身、痛みを感じていた。俺が、あいつらを守らなければいけなかったのに。だからこそ忘れるものか。俺は、強い戦士になる。 「……そうだな。俺が悪かった。もうしないよ」  セリフィアは小さい声で、だが、みんなに聞こえるように言った。目は正面からカインを見ていた。 「話がまとまったところで相談なんだけど」  ヴァイオラの声に、皆、バラバラと彼女の周りに集まってきた。 「このまま夜のバイトを続けるのは危ないかもしれない。それと、カイン、君がひとりでねぐらに帰るのもそろそろ危ないね」  カインは無言でうなずいた。 「ラッキーも、パシエンスに帰っちゃうとバラバラになっちゃうでしょ。まとまった方がいいかもしれない」 「修道院自体、危ないかもしれないですしね」  Gの補足に、ラクリマは「どういうことですか」と聞き返した。 「私たちがあんまり出入りすると、襲われる可能性があるってことですよ」  ラクリマは青ざめた。 「でも…それならもう遅いんじゃ……」 「だからせめて拠点に見えないようにした方がいいんじゃないでしょうか」と、じっと話を聞いていたアルトが口を挟んだ。「そうですよね、ヴァイオラさん?」  ヴァイオラはうなずいた。Gがあとを継いだ。 「じゃあ、ラクリマさんもカインさんも一緒にこっちに泊まりましょうよ」 「俺はそれで構いません。お世話になります」 「……わかりました」  フィルシムにいながら手伝いもミサもこなせないのは心残りだったが、ラクリマも宿泊の件については承諾した。アルトが「あとで8人部屋に変えてもらいましょう」と言った。 「バイトのことだが…」セリフィアが口を切った。「城門の警備はやめることにするよ。こんな事態になってまで、やる必要はないからな。」彼はすっぱりと、だがやや未練のあるような口振りで笑いながら言った。 「……私も…『赤竜』亭はやめて、こっちで歌うことにします。」Gはそう言ったすぐあとに「失敗したら恥ずかしいなぁ」と顔を赤らめた。 「ラッキーはどうする?」 「私は……できれば続けたいです」  ヴァイオラは、おや、と思ってラクリマを見た。 「親切な方に、後足で砂をかけるようなことはできません」 「でも、親切な顔して、実はユートピア教の関係者とかって可能性はないんですか?」 「それはありません」  ラクリマはGに答えた。その答え方があまりにきっぱりしていたので、ヴァイオラは再び、おや、と思った。 「トーラファンさんは院長様の古いお友だちだそうですから、大丈夫です」  ラクリマは微笑んで言った。それを聞いて、ヴァイオラもGも、目が点になってしまった。 「…どこで聞いたの、そんなこと」 「今朝、院長様とお話ししたときにお聞きしました」  これはカインも初耳だった。最初に抱いた疑念もすっかり払って、ラクリマは相手を信用しきっているように見えた。 「それに行きも帰りもカインさんが送ってくださるから、大丈夫です」 「……カイン、君、いったい何の仕事してるわけ?」  気になったヴァイオラはカインにも尋ねた。 「俺はラクリマさんが働いている間、館の警護をして、その前後に彼女を送っているだけです」 「それが仕事?」 「そうです」 「………」  ラクリマ以外の全員が、これは変だと感じた。 「私を、というわけじゃないですよ。『臨時雇いが働いている間』って仰ってましたから」 「……で、他に臨時雇いがいるの?」  ラクリマとカインは顔を見合わせた。 「いないみたいです、今のところ」 「それって変ですよ!」  たまらずにGが叫んだ。 「どうしてですか?」 「どうしてって……どう考えたって怪しいじゃないですか!」  Gは皆の気持ちを代弁した。 「でも」と、ラクリマは言った。「悪い人じゃありませんよ。」 「ああ、いいよ、じゃあ行っておいで」  ヴァイオラはひらひらと手を振った。 (そこまで言うなら、自分の面倒は自分で見てもらおう)  話はそれで終わるかと思ったが、セリフィアが別なことで蒸し返した。 「カイン、その警護だが、俺も加われないだろうか?」 「多分、無理だと思う。そもそも必要あるかどうかも怪しいんだ。…が……雇い主に紹介するだけならしてもいい」  カインはセリフィアの勢いに圧されてそう言った。勢いに圧されて、ではあったが、セリフィアにも一緒に往復してもらえればそれは心強いとも考えていた。  部屋を替えてもらったあとで、3人はトーラファンの屋敷に出かけた。 「ちびちゃ〜ん、ちょっとおいで〜」  ヴァイオラはいつものように読書しているアルトに声をかけた。結局あとの人間は出払ってしまったので、宿の部屋は再び彼女とアルトと二人きりになっていた。  いつもは「ちび、ちび」と呼び捨てられていたのが「ちびちゃん」とちゃん付けになった不思議にも気づかず、アルトは本を畳んで素直にヴァイオラのそばに寄った。 「君にこれからいいことを教えてあげよう」  そう言って、ヴァイオラはアルトにジャグリングを教え始めた。 (ヴァイオラさんが直々に教えてくださるんだから、ちゃんと覚えなきゃ)  なぜジャグリングを覚えなければならないかとか、嫌だったら断ればいいとかいったことを一切考えず、アルトは一所懸命に習った。が、結果は芳しくなかった。 (魔術師だからもっと手先が器用かと思ってたけど…)ヴァイオラは思った。(まぁ、初日だから仕方ないか。これから10日も仕込めばモノになるでしょ。)  そう思った矢先、アルトがまたダガーをとり落としたのが目に入った。 5■魔術師は語る 「申し訳ありませんが、警護の方にお支払いする額面は決まっておりますので…」  トーラファンの館で、フィーファリカは(クリスタルスタチューであるにも拘らず)申し訳なさそうにセリフィアに告げた。 「館を警護していただくのは構いませんが、お二人で1gpということになります。それでよろしければ…」  セリフィアはカインを見た。彼が「かまわない」と言ったので、変な話だが「警護させてもらう」ことにした。とにかく彼は体を動かしていたかった。父のこと、兄のこと、それから自分の抱える負債のこと、それらの悩みにばかり捕らわれるのを避けたかった。 「よろしくお願いします」  セリフィアとカインは持ち場を打ち合わせ、それぞれ警護を始めた。  図書室ではラクリマが本を選んでいた。  と、背後で扉が開いて、この館の主が入ってきた。 「昨日は来なかったが……」  トーラファンは彼女の近くの椅子に腰掛け、話しかけてきた。 「すみませんでした。昨日は、友人が無実の罪で捕まってしまって、大変だったんです」  ラクリマは素直に詫びた。トーラファンはふむと口にしたあと、 「何か事件に巻き込まれているのか?」 「ユートピア教の……あっ、いえその……」  ユートピア教のことを話していいのかわからず、ラクリマは遅まきながら口を濁した。トーラファンはまた少し黙ってラクリマの顔を眺めていたが、 「よかったらここに泊まりますか? 遅くに帰るのが危ないなら、泊まっていってかまいませんよ」 と、尋ねてきた。 (なんて親切な方なんだろう)  ラクリマはそう思って礼を言ったが、「仲間に相談しないと心配しますので」と答を保留した。トーラファンはフィーファリカにあとで返答するように言ったあとで、本棚をざっと見渡して「これとこれをお願いしよう」と数冊を引き抜いた。あとでわかったことだが、それらは古の聖人たちの伝奇もので、ラクリマにも馴染みのある内容だった。おかげで楽に写本を進めることができた。 (もしかしてやりやすいのを選んでくださったのかしら……)  休憩がてら、彼女はカインとセリフィアに会いにいった。先刻のトーラファンの申し出を口にすると、二人とも渋い顔になった。 「何があるかわからないから、宿に帰った方がいい」というのが二人共通の意見だったので、ラクリマは素直にそれに従い、フィーファリカに断りを告げた。  2月9日。  日中は何事もなく過ぎた。  夜、ロッツが帰ってきて、「やっと売り込めました」とはちみつの販路の確保を報告した。  報告を聞いたあとでセリフィアが、 「俺が作っているはちみつの一部を、パシエンス修道院に寄付したい」 と、言い出した。彼は皆に---とりわけヴァイオラに---向かって許しを乞うように聞いた。 「構わないだろうか…?」 「好きにおし」  ヴァイオラは答えた。確かにはちみつを売る話を持ち出したのはヴァイオラだが、あとのことは自分の裁量でやってもらうつもりだった。  セリフィアはアルトと相談し、どのくらいパシエンスに寄付するかを決めたようだった。今度、ラグナーさんかサラさんに会ったら、申し出よう。そう決めた途端、少し心が晴れた気がした。  2月10日。  夕刻、ヴァイオラはスルフト村村長からの返書を受け取った。封がされており、内容まではわからなかった。このまま自分たちが運ぶことになりそうだな、と、思いながら、念のために彼女は隊商ギルドを訪れた。ドルトンの隊商のスケジュールを聞くためだった。  隊商ギルドの前には、真新しい馬車が置いてあった。どこのだれが今時分こんな立派な馬車を仕立てられるのだろう。ヴァイオラはとくと眺めてから入り口をくぐった。先だって訪れたときとは違う顔の女性が受付に座っていた。  ドルトンたちは近々戻ってくる予定になっていた。彼らが次にセロ村に行くのは、おそらくひと月後だろう。やはり自分たちは自分たちだけでセロ村に向かうことになりそうだ、と、ヴァイオラは判断した。  ふと思いついて「表に立派な馬車がありましたが、どなたのですか」と尋ねてみた。 「ああ、あれはエステラお嬢さんのですね。今、お尋ねだったセロ村行きの馬車になる予定です」  受付はすらすらと答えた。 「エステラさん!? それは、彼女ご自身で隊商を…?」 「まぁ、表向きは。何でも亡き恋人の遺志を継がれたいとのことで。でもここだけの話、お嬢さんは経験がなくてお一人じゃ無理なので、老商人のミットルジュ爺さんがつくことになってます。一度は引退された方なんですけどね」 「そのお爺さんと彼女だけですか?」 「あとはまぁ、お店の若い衆が二人くらい、勉強と、お嬢さんの面倒を見るのにつけられると聞いています。それと隊商ギルドから護衛を一人、つけますけど」  受付はここで言葉を切って、まじまじとヴァイオラの顔を眺めた。 「あなたはもしやロビィさんの遺品を届けてくれた方ですか?」 「ええ」 「あなたがそうですか…。エステラお嬢さんはあなたに…あなた方に、なのかしら…セロ村までの護衛をお願いしたいようなことを仰ってましたよ」 「そうでしたか。彼女たちはいつ出発に…?」 「ドルトンさんたちが戻られてからですね」  二人の脇を、男が挨拶しながら通りすぎた。受付は、彼に顔を振り向け、「お疲れさま」と声をかけてからヴァイオラに視線を戻した。 「セロ村に関してはドルトンさんたちの方が古参ですから。ドルトンさんの許可を得てからでなければ出発できませんので」 「……ペンとインクをお借りしていいですか」  ヴァイオラはそう言って携帯していた羊皮紙を取りだし、エステラ嬢宛ての手紙をしたためた。「ロビィさんの遺志を継がれるとお聞きしました。もし時間があればお話を。『青龍』亭におります。ヴァイオラ」。  手紙を渡してもらえないかと受付に頼むと、彼女は快く引き受けてくれた。 「今日はいらっしゃいませんが、明日は必ずいらっしゃると思いますよ」  受付に保証してもらって、ヴァイオラは宿に帰った。  「青龍」亭の一階は相変わらず噂話の宝庫だった。  この夕方は、グリフォンライダーであったモリフェン=アナシソス卿の話題でもちきりだった。  それらの噂によれば、モリフェン卿には近頃、ユートピア教と関係があるのではないかとの疑いが持たれていたが、卿本人は一切関わりがなく、実は関わりがあったのはその妻ハラナス=リューレタリアの方だった。ハラナスはモリフェンとの冷え切った夫婦関係に嫌気が差し、なんらかの救いを求めてユートピア教に入信したらしい。そこまではまだよかったが、ユートピア教に貢ぐため、家財道具は全部売り払った挙句に多額の借金まで拵えて、かなりの金額を寄進したらしかった。  事が発覚した今夕、この奥方は夫モリフェンの手で殺され、モリフェン自身は責任を取って騎士を辞任、その後自害して果てた。一人娘のシャロリナは行方不明とのことだった。  一同はこの話を聞いてもさほど心を動かされなかった。ただ、ラクリマだけは違うようだった。特にシャロリナが行方不明と聞いて、彼女の気持ちは沈んだ。 「あ、あの、ダンジョンのことについて調べたんですけど」  部屋に戻ってから、アルトはラクリマの気を逸らそうとして、みんなの前で大きな声で言った。 「ああ、調べてくれたの。それでどうだった?」  ヴァイオラが即座に反応した。アルトはセリフィアやGが近くに寄るのを待ってから話し出した。 「3つの迷宮の由来はバラバラで、お互いに関係なさそうでした。共通していたのは、地勢でしょうか」 「地勢?」 「ええ、どれもカートの入れるような森、もしくは低地のすぐそばにあります」 「カート……」  そういえば最初に出会ったユートピア教教徒、ディライト兄弟はカートでハイブコアを運んでいたな、と、Gは思い出した。 「セロ村のダンジョンとエイトナイトカーニバルの迷宮との間にも、関係がないの? 実はずっと地下でつながってる、とか…」 「ええ」と、アルトは答えた。「ボクもそれをちょっと考えたんですが、そういうことはないみたいですね。あとは、内部の地図は手に入りませんでした。結局、これくらいしかわからなかったんですけど…。」  アルトは最後の方を申し訳なさそうに述べた。  なかなか詳しい調査というものは難しそうだった。だが、とりあえずユートピア教によるコアの播種先は、地勢で選ばれているらしいことが察せられた。  2月11日。  夕刻、皆がバイトに出払ったあとで、エステラ嬢が宿に尋ねてきた。部屋にはヴァイオラとアルトだけが残っていた。ちょうどアルトのジャグリングの稽古が終わって、(……ちびには向いてないのかも)とヴァイオラが考えていたところだった。  ヴァイオラは彼女を部屋に招き入れ、椅子を勧めた。エステラ嬢は育ちの良さを感じさせる振る舞いで、二人に挨拶し、腰掛けた。 「先日はどうも。ギルドで聞きましたが、ロビィさんの遺志を継がれるそうですね」 「はい。彼の成し遂げようとしたことを、私がやり遂げようと思います」  エステラ嬢はそう前置いてから、セロ村までの警護をお願いできませんかと申し入れてきた。 「どのみち私たちも一週間くらいしたらセロ村へ戻る予定です。ですから往きは問題ありません。ただ、村の方で常駐を頼まれているので、復りは別なパーティに頼まなければだめでしょうね。それでもよろしければ、喜んで引き受けさせていただきますよ」  ヴァイオラの親切な返答に、エステラ嬢の顔がぱっと明るくなった。 「ありがとうございます。ただ……あなた方にとって満足できるような金額をお支払いできないかもしれません。こちらからお聞きしたいのですが、お幾らぐらいだったら引き受けていただけますか?」 「仲間と相談しないとなんともお答えできませんが、ロビィさんには私たちもひとかたならずお世話になりました。ですから、破格でお引き受けするつもりです」 「ありがとうございます」  エステラ嬢は深深と頭を下げた。それから、まだドルトンたちが帰っておらず許可を得ていないこと、許可を得てから出発するため、出発日は20日前後になりそうなことを説明したあとで、「またあらためて、正式に依頼しに伺います」と言って去っていった。  ヴァイオラだけでなく、同席していたアルトも彼女の意気には動かされるものがあった。 (もっと……もっと他人の役に立つような自分になりたい)  アルトはエステラの後ろ姿を胸に呼び返しながら、その思いを新たにした。  この日はロッツが再びぼろぼろになって帰ってきた。どうやら何か拙い事態があったらしく、 「申し訳ありやせん。はちみつを売れなくなってしまいました」 と、アルトに散々謝った。アルトは、 「ロッツさんの身の安全の方が大事ですよ」 と言って彼を慰めた。  金策とは、思うように捗らないものだな、と、アルトは思った。  2月12日。  ヴァイオラは夕食の席でみんなにエステラ嬢の話をした。 「破格で引き受けるつもりだから、その気でいて」  カインはこの強硬なやり方にやや不満を抱いたが、他のメンバーが至極当然な表情で話を受け入れているので、何を言うのもやめた。あとから、ロビィの隊商との関わりを、アルトに説明してもらった。  この日から、トーラファンのところでの写本に、カインも参加することにした。警備はセリフィアに任せておけばいい。ラクリマはあまり仕事が速くないようだし、少しでも稼ぎを得ておこうと考えてフィーファリカに希望を伝えたところ、許可が下りた。それで、カインも図書室でデスクワークに携わることになった。  2月13日。  夜、ラクリマたちがトーラファンの館へ行くと、いつもと違って、館の主トーラファン=ファインドールそのひとが出迎えた。彼はラクリマに告げた。 「明日は必ず来てください」 「わかりました。必ず伺います」  ラクリマは取りたてて何を疑うでもなく、あっさりと約束した。お付きの二人は、顔を見合わせた。  2月14日。  明日が満月であることを思い出し、ラクリマは夕方になってGにムーンフラワーを処方した。ムーンフラワー---月花草とは薬草の一種で、満月期に獣人たちが月の魔力にあてられる、そのときに精神や身体に起こる変調を抑えるらしかった。これから3日間、この処方をしなければならない。今ある薬草は、セロ村のキャスリーンに分けてもらったもので、この薬草の効用について教えてくれたのもキャスリーンだった。  処方が済んで、ラクリマはカインとセリフィアと一緒にトーラファンの館へ向かった。  満月ということで、セリフィアにも異変が見られた。明るく元気に、白い歯を見せて「やあ」と笑うような爽やか青年に変身してしまったのだ。要するに「躁状態」である。カインが驚いているのを見て、ラクリマとアルトは満月になるとこういう変化があると、宿で彼に説明したが、それにしてもいつもとあまりに違うのでカインは慣れない様子だった。  館では、昨夜と同じようにトーラファン本人が3人を出迎えた。ラクリマに「今日はいつもの仕事はしなくていい。先にこれだけ支払っておこう」と1gpを手渡した。 「君はこちらに。いろいろと話を聞かせてほしい」  トーラファンがラクリマをどこかへ連れて行こうとするので、カインは、 「彼女に何をするつもりですか」 と、それを遮ろうとした。 「話をするだけだ。別に何も危害を加えたりはしないから安心したまえ」 「話って何の話です」  カインはどうしても猜疑心を拭えず、なおもトーラファンに迫った。 「話は話だ。今までどう過ごしていたか、聞かせてほしいのだ。さ、こちらへ」 「俺たちも一緒じゃいけないんですかぁ?」  いつもより数段明るい声で、セリフィアが口を挟んだ。  トーラファンはセリフィアを振り返った。突如、彼の目が活き活きと輝きはじめた。 「面白い。実に面白い」  セリフィアをためつすがめつしたあとで、「君の話も聞きたいな」と言い出した。ラクリマを向いて、逆に彼の方から、 「別に秘密の話をするわけでもない。他の人も一緒で構わないかね?」 と、尋ねてきた。 「ええ、私は構いません」  トーラファンは3人を応接室へ案内した。フィーファリカにお茶とお菓子を出させて落ち着いたところで、彼はラクリマに「そのホーリーシンボルを貸してみなさい」と言った。ラクリマは素直に応じた。 (そんな簡単に渡して大丈夫なのか?)  そばで見ているカインはハラハラのしどおしだった。 「ああ、やはり……調律がまだのようだ。もったいない……」  トーラファンはホーリーシンボルの裏面を見て、訳のわからない台詞を連発した。 「ふむ、もともとは個人用に作られていても、使用時に調律をしないとちゃんと作動しないか……ならば……ふむ、やはりこれだな。ここをこうすれば……」  何やら細工してから、彼はホーリーシンボルをラクリマに返して寄越した。 「これでいい。つけてみなさい」  相変わらずカインがハラハラしているその横で、ラクリマは遠慮なくホーリーシンボルを首に提げた。 「あ…」  瞬間、ひと月前の満月の晩に感じたと同じ印象に、彼女は満たされた。それぞれのレベルにひとつずつ、普段よりも余分な呪文を覚えられそうだと、根拠もないのに思った。 「わかっただろう。それはラクリマ、君のために作られたものだ。運命に導かれて君の元に来たのだろう」  何が運命なのかよく飲み込めないうちから、トーラファンは「そもそも運命とは…」と「運命論」を開陳しはじめた。  ひととおり「運命論」を論じたあとで---もちろん3人には半分も理解できなかった---トーラファンはセリフィアに目を向けた。 「それにしても珍しい」 「何が珍しいんですか?」 「こんなに魔力の強い人間は珍しい。おそらく出生に秘密があるのだろう」  セリフィアは吃驚して反論した。 「魔力!? 俺は魔術はからっきしなんですよ? ラストンに生まれながら魔法を使う才能が全然なかった。それで戦士になったんだ。魔力があれば今ごろ魔術師になってますよ」 「いやいや、そうではない」  トーラファンはセリフィアから目を離さぬまま続けて言った。 「魔力というのは、別に魔術師でなくともだれの身にも備わっているものなのだ。そっちの戦士にも、多少は魔力がある。今晩はそういうことがよく見える晩だ。そもそも魔力とは…」  それから半刻ほど「魔力論」の講義が展開された。総じてちんぷんかんぷんだったが、要は「魔力は多かれ少なかれだれの身にも備わっているもの」で、「魔術師はその力を行使する術を持っている者であり、必ずしも身に備わる魔力が多い者というわけではない」ということが言いたいらしかった。 「で、彼は普通の人間なのに、魔力が強いというわけですか?」  カインの質問にトーラファンは答えて言った。 「うむ。普通の人間、というには語弊があるかもしれん」 「俺の両親は普通の人間でしたよ!? 俺の兄弟だって!」  セリフィアの反論を無視してトーラファンは断言した。 「君の父親か母親か、どちらかが人間じゃないのだろう」  セリフィアは本心から驚いた。これまで自分は普通の人間だと思って生きてきたのだ。片親が人間ではないだとか、そんなことは考えたこともなかった。では俺の兄弟たちも…? 「あの…」大人しく話を聞いていたラクリマがトーラファンに話しかけた。「院長様と古いご友人だとお聞きしましたが、私のこともご存じだったんですか?」 「昔から知っておる。君が小さいころからな」 「じゃあもしかして、私のお母さんのことも…?」  ラクリマは言いながら、自分でも妙なことを聞いているなと思った。これまで自分がだれの子であるかとか、母親はどこにいるのかとか、そういったことは疑問に思ったことすらなかった。ここにきて初めて、興味が湧いたようであった。  トーラファンは他の二人に目を走らせ、「彼らの前で話してもいいのかね?」と聞いてきた。「え? ええ…」とラクリマが特に考えずに肯定すると、待っていたとばかりに喋りだした。 「クレマンが教えていないということは、内緒にしておきたいということかも知れないが」と、パシエンスの院長の名を呼び捨てに、前置きをしてから、「12年前……いや、もう13年前というべきか、ハーヴェイ=バッカスという男が私のところへ幼い子どもを連れてきた。それが君だ。ハーヴェイはそのときもう一人、男の子も連れていたが、そちらは自分で育てるといって、君だけを私の手許に残していったのだ」と、一気に喋った。 「預かったはよかったが、すぐにおかしなことに気づいた。感情がまるでないようなのだ。あわててパシエンス修道院に相談に行った。クレマンとは以前からのつきあいでな」  ラクリマには初耳だった。トーラファンはお構いなしに話を続けた。 「クレマンが言うには、精神の成長が何らかの理由で閉ざされているのだろうということだった。二人がかりであれこれやってな、半年くらいしてやっと君も子どもらしい感情を表すようになった。それ以来、修道院に預けて育ててもらったのだ」 (…私が聞かされていた話とは違う……)  ラクリマはぼんやりと院長の顔を思い浮かべながら考えていた。自分は5歳のときに、修道院の門前で迷子になっていたのだと、彼女は聞かされていた。そういえば修道院より前の記憶はまるでなかったが、そのことを変に思ったこともなければ、院長の話を疑ったことなど一度もなかった。 「感情がないってどういうことですか」  黙って聞いていたカインがとうとうたまらず口を挟んだ。 「感情に乏しいとか、そういうことですか?」 「いや、乏しいとか薄いとか、そういう次元ではなかった。あれは『情動がなかった』と言っていいだろう」 「彼女も……その、彼女もただの人間じゃない、と…?」  先ほどのセリフィアの例を念頭に、カインは重ねて尋ねた。トーラファンはそれに軽く答えた。 「人間だよ。生物学上は」  後半の限定条件が気になって、彼はもっと話を聞きたいと思ったが、トーラファンが「生まれの話はこのくらいでいいだろう。それよりもこれまでの話をいろいろと聞かせてくれ」とラクリマに話をさせるように仕向けたので、それもできなくなってしまった。  トーラファンは、ラクリマにいろいろ話させただけでなく、彼自身の話もいろいろと語って聞かせた。実は話好きの好々爺で、自分の過去の話、信念、魔術論から政治論、はては時間空間といった世界観、異世界の話までとりとめなく語った。  そのうちの過去の話からわかったことだが、どうやら彼は昔、ラストンで働いていたらしかった。何の仕事をしていたかについては言葉を濁してしまい、あまり表だった仕事ではなかったらしいと察せられた。  ラクリマのホーリーシンボルについても再度触れることがあり、それがラストン製だと教えてくれた。ただ、だれが作ったかについては、トーラファン自身は知っているようだったが、結局教えてくれなかった。  時間論の話をしているときに、ラクリマの耳にこんな言葉が残った。 「過去に干渉してはならない。未来は一定ではない。過去に手を加えれば、未来は違ったものとなるであろう」  何の文脈で言われたものかはすぐに忘れてしまったが、なぜかこの文節だけは心に残った。  夜も更けてきたのでお暇すると3人が断ると、トーラファンは「ちょっと待っていたまえ」と言ってどこかへ出ていった。さほど時間をかけずに戻ってきた彼は、ラクリマにひとつの指輪を渡した。 「これも君のために作られたものだ」  それは銀製の甲丸リングで、表一面に美しい紋様が彫り込まれていた。ただの紋様と見えたそれは、実はルーン文字らしかった。 「はめてみるがいい」  ラクリマは指輪をはめた。サイズはぴったりだった。と、何かに守られているような安らぎを、一瞬ながら感じとった。彼女はトーラファンを仰ぎ見た。その表情を汲んでか、彼はうなずいて「プロテクションリングだ」と口にした。 「聖章と指輪は決して手放してはならない。それらは君たちをきっと助けてくれる」  トーラファンはラクリマを門まで送りがてら言い聞かせた。彼は門のそばで、些か別れがたいように見送っていたが、次にラクリマが振り返ったときにはもう姿がなかった。 6■近き過去、遠き過去  2月15日。  満月期本番とあって、Gは絶不調をかこっていた。ムーンフラワーの処方と、自分でも心の閉ざし方をいくらか思い出したこととで、他人の心の声が何から何まで自分の中に入ってくるようなことはなくなった。それでも「今日はとてもできない」と、マスタリーを休むことを宣言した。  セリフィアは絶好調だった。躁状態はとどまるところを知らず、「おはよう」と明るく朝の挨拶を交わすところから、爽やかな話しっぷりから笑い声から、本当に別人じゃないのかとカインが疑うほどの変わり様だった。  日中は、それぞれマスタリーの修行に精を出した。夕方、宿に戻って夕食を取りに降りようかというところへ、来客があった。エステラ嬢だった。  全員が揃っている前で、彼女は「エステラ=エイデンバーグです」ときちんと名乗り、正式にセロ村までの護衛を依頼してきた。他の者に否やはなかった。セリフィアは、躁状態の贈り物で「あらためてよろしく」とエステラに手を差し出し、握手まで交わした。 「ドルトンさんには無事に許可をいただきました。」エステラは言いながら苦笑を隠さなかった。「『女に何ができる』みたいなこともちょっと言われましたけど。」  そのあとで、「それでいかほどお支払いいたしましょう?」と、ちょっぴり商人の顔つきになって尋ねてきた。 「食糧はセロ村から支給されたものがあるので、結構です。」ヴァイオラがそう申し出ると、彼女はとても嬉しそうな顔をした。食費は今や雇い賃よりも高額につくものだったからだ。 「往きの代金、一人10gpで結構です」 「えっ……本当にそれでよろしいんですか!?」  ヴァイオラの提示した価格に、エステラ嬢は心底驚いたようだった。実はヴァイオラ自身も驚いていた。ここまで安見積りするつもりじゃなかったんだが……。だが、エステラ嬢を応援したいという気持ちと、セロ村を往復する隊商をこれ以上減らしたくないという考えとが、どうも破格の申し出を口にさせたらしい。  カインはあまりの破格値に驚き、実のところ反論を唱えたかったのだが、周りを憚ってぐっと呑み込んだ。自分は知らないが、それだけ世話になったのかもしれないと思って納得することにした。  その場で話は決まり、セロ村への出発日も19日と決まった。 「よろしくお願いします」  エステラ嬢は一同に何度も頭を下げ、帰っていった。  ラクリマたちはまたトーラファンの館へ出かけたが、ラクリマの希望でこの日は先にパシエンス修道院に立ち寄った。 (ちょうどいい…)  ラクリマが院長のところへ行っている間に、セリフィアはサラかラグナーがいないか、院内を探して歩いた。本堂を見て食堂に向かいしな、子どもが走ってくるのが目に入った。 「アシェル! 待ちなさい!」  子どもの後ろにはサラがいた。彼女はすぐにセリフィアに気づき、「セリフィアさん、その子をつかまえて」と頼んだ。 「そおら、つかまえたぞ」  セリフィアはアシェルと呼ばれた男の子を両手で捕まえ、ニッと笑ってみせた。子どもは驚いてセリフィアを見上げた。少し身体をもがいてみてから、相手の大男ぶりに逃げられないと観念したのか、大人しくなった。 「ありがとう、セリフィアさん」とそばに来たサラが声をかけた。彼女は子どもの脇にかがんで、「アシェル。それを返すんだ」と少しきつい調子で言った。  アシェルはそろりそろりと腕を差し出した。両手で何かを包み込んでいる。 「アシェル」  アシェルは情けない顔をして、両手を開いてみせた。小さな瓶が---といっても子どもの片手には余るくらいの大きさではあるが---掌に現れた。 「これは、明日、ガドのおばあちゃんにさしあげる分なんだ。わかっているだろう?」  サラが子どもに言い聞かせている横で、セリフィアは瓶の中身を確認して驚いた。それははちみつだった。ラクリマの言ったとおり、ここにあれば活用されるものらしい。彼はいっそう寄付への意志を固めた。 「ごめんなさいは?」 「………めんなさい」 「わかったら部屋に戻りなさい」 「…ごめんなさい〜」  子どもは泣きべそをかきだした。サラはそれを一寸見守ってから、「いい子だからおやすみ」といって子どもにおやすみの挨拶をした。「…おやすみなさい。」子どもはまだ少し泣いていたが、おやすみの挨拶を返して、居住区の方へ歩いていった。 「変なところをお見せしてしまって」  サラは立ち上がり、セリフィアに言った。 「あの子は甘いものが好きで、ときどき止まらなくなっちゃうんです」  言いながら、子どもが部屋に入るまでをしっかり見届けていた。セリフィアはその横顔に、 「はちみつのこと、ありがとうございました」 と礼を言い、軽く頭を下げた。サラはほんの少し目を瞠るようにしたが、すぐに微笑んで返した。 「こちらこそ、おかげでとても助かっています」 「サラさん。そのはちみつを、いくらか寄付させてください」  サラは「え?」と聞き返すようにセリフィアを見た。 「お世話になってばかりだから。お礼にも足りないかもしれませんが」 「お礼だなんて、そんなことを気にしないで。こういうことは相身互いといって…」 「俺も何かしたいんです」  サラは青年を見上げた。底の底まで見透すような注視のあと、穏やかな声で、 「ありがとう。セリフィア、あなたのご厚意で、子どもたちにいつもより甘い思いをさせてあげられそうです。女神エオリスよ、この心やさしい若者の上に貴女のご加護を賜りますように」 (喜んでもらえた…)  セリフィアはほっとした。ほんのりと、体が温まるような気がした。サラに軽く礼を取ってから、彼はカインのところへ戻っていった。  ラクリマが部屋に入る前から、クレマン院長は彼女の用向きを察していた。 「トーラファンに話を聞いたのですね」 「はい…」 「私に何を聞きたいか、言ってごらん」 「あの……本当なんですか、トーラファンさんの仰ったこと……」 「彼が何を言いましたか」 「私が、ハーヴェイ=バッカスというひとに連れて来られて……感情がなくて、院長様と治してくださったって……」  言いながら、ラクリマはいったい自分は何を院長と話したいのだろうと考えた。自分のことなのに、はっきりしなかった。クレマンの声がした。 「それは本当のことです」 「どうして今まで教えてくださらなかったんですか」  責めるような内容ではなかった。わかっていて、ラクリマはそういうふうに聞かずにはいられなかった。 「待っていました」  院長は動じず、彼女を咎めるでもなく、答えた。「私は待っていました。君から訊いてくるのを。」  ラクリマは、しかし、それに対しても不躾な質問を浴びせた。 「隠していらっしゃったんじゃないんですか…?」  院長は隠し事をしない人間だった---そう、ずっと信じてきた。幼かったころ、一時は育て親である彼が世界のすべてだったこともある。ラクリマにとって、世界は彼を通じて感じられ、名を与えられたものだった。その彼が、自分に隠し事をしていたような、裏切られたような思いを消すことができなくて、その感覚こそが実に彼女を苛んでいるものの正体だった。 「私は君に隠し事などしない」  クレマンは微笑んだ。 「だれに対しても、真実を伝えるようにしている。なぜなら、結局、どんな困難でも乗り越えられぬものはないと信じているから」  言い様は穏やかでも、言葉に力があった。 「だが、だれにも、時間を与えていけないという法はないでしょう。」院長はよく透る声で続けた。「私は君にも時間が必要だと思った。君は幼かったから。だから、今まで何も伝えなかったのです。」 「時間……」 「傷を癒すのに時間が必要なように、何かを乗り越えるためにも時間が必要なことがある」 「でも……」  それは結局、逃避であると非難されないだろうか。乗り越えるために時間をかけるとは「くよくよ悩む」ことであり、忌み嫌われることではないか。ラクリマは俯いた。院長はそんな彼女の思いもお見通しのようで、 「そこで時間をかけることを、私は卑怯であるとか逃げているとは思わない。むろん、だれしもいずれは自分の真実と向き合わねばならない。それを恐れることは恥じねばならない。だが、とりあえずは」 と、院長は口調を和らげた。 「隠すつもりはありませんが、時間をかけることを恥じる必要もありません。君が望むときに、私の知る限りのことを教えましょう」  ラクリマは顔をあげた。この一瞬に、院長に抱きかけていたわだかまりが、うたかたのように溶けて消えたのを感じた。同時に、その古い友人であるというトーラファンに対する気兼ねや疑いもまた消え去り、あとには無条件の信頼が残った。  僅かな沈黙のあとで、クレマンは口を開いた。 「今日も行くのですか」 「はい。これから伺います」 「彼によろしく言ってください」  ラクリマは「はい」と返事して部屋を辞した。  あとに残った男は、溜息をひとつ吐き出した。一つの事実が知られれば、やがて別な事実も知られるだろう。その「時」までに受け容れる準備ができていればいいが、と、彼は娘を案じた。  アルトはだれにも何も告げなかった。だが、彼の内部では何かが変わっていた。彼が変わったのではない。彼にとっての世界が変貌を遂げていた。 (そういうことだったのか……)  目に見える世界、五感によってもたらされていた平板な世界が、その様相をあらかた変えていた。月ですら今までの月とは違った。なぜなら彼の「視点」が転回していたから。一つの基本方程式が解けることで、難解だった数式の解が次々と明らかになるように、彼の頭の中は明晰判明な観念で満たされ、彼の前には新たな解、新たな世界が開けていた。  彼はいまや「覚醒」していた。はっきり確信していた。自分は、魔術の奥義を究める者。魔導の技を行使する者。他の一般の魔術師とは違う、魔術を真に「識る(しる)」者である。  ただし、この覚醒によって実際にマジックマスタリーの力を行使できるようになるまでには、今少しの間があるようだった。ともあれ、彼はもはや図書館へ通うことが自分に必要でないと悟った。  2月16日。  朝からGの様子が変だった。どうやら何か「夢」を見たらしく、ヴァイオラが内容を尋ねても「断片的すぎて話せない」と言うばかりだった。ヴァイオラが、「話したかったら聞く耳はあるよ」と言うと、Gは応えて言った。 「すまない」  すぐそばでラクリマが吃驚して振り返った。ヴァイオラも少々驚いていた。口調も何とはなしに変わっていたが、それよりも今までのGなら「すまない」などという言葉は出てこなかっただろう。 (…自分を取り戻そうとしている)  少しずつ、何かが変わりつつあった。  ラクリマがセリフィアたちと話し出したあとも、ヴァイオラはGが何か喋らないかと、しばらく待っていた。 「……変な夢なんだ」  Gは夢について語り出した。それは彼女が記憶を失う前、鷹族として天上にいたころの記憶らしかった。  そのころのGは、未成年には禁じられていたにも拘わらず、天上のある場所から地上の営みを覗くのが好きだった。 「その日も地上の人間たちを見ていた…」  そう言って、Gはちょっと間を空けた。本当のところ、彼女が見ていたのは一人の人間だった。いつもの「彼」、自分と似た感じの「彼」を見るのが、Gは好きだったから……。だがさすがに気恥ずかしくて、そのことはヴァイオラにも告げなかった。  Gは夢の話を続けた。  彼女がそうやって地上を覗いていたところへ同じ年頃の鷹族の青年がやってきて、長老からの呼び出しを告げた。青年はGについて来ながら、『人魚姫』の物語を知っているか問うてきた。声と引き換えに人間になり、最後は泡と消えた人魚の悲しい恋物語だ。 「あれって、本当にあった話なんだぜ。しかも、『にんぎょ』じゃなくて、禁を破ったホークマンの話だって…」  彼がどういうつもりでそんな話を持ち出してきたのかわからないまま、Gは翼をいっそうはためかせ、速度を増した……そんなところで目が覚めたようだった。 「ほらな、わからないだろう?」  語り終えて、Gはヴァイオラに苦い笑みを見せた。他の皆は別な話をしており、今、Gの話を聞いているのはヴァイオラだけだった。  Gはそれから、夢に出てきた鷹族の青年が自分に好意を持っていたらしいこと、しかし自分は彼を「何とも思っていなかった」ことを話し、青年の人相を簡単に告げた。そして最後に言った。 「もしも見かけたら……教えてほしい」  ヴァイオラは肯いた。  2月17日。 「…やっぱりいらっしゃいませんね」  休憩中、ラクリマの言葉に、Gが振り返った。 「だれがいないんだ?」 「ジェイさんの姿が、昨日から見えないんです」  そういえば、と、ヴァイオラも思った。ジェイ=リードもいないし、昨日はあの蛇のような男---ファーカーのだみ声を耳にしなかった。ファーカーのパーティはマスタリーを終えたのだろう。ジェイ=リードがこの先どうなるかは、神のみぞ知るというわけだ。  セリフィアは今日が訓練の最終日だったので、最後に師匠に尋ねた。 「あなたはミーア=エイストさんをご存じですか」 「知っている。10フィートソード使いの一人、マリス=エイストの妻だな」  そのマリス=エイストから、セリフィアは10フィートソードを受け継いだのだった。ミーア=エイストにはそのときにずいぶんと世話になっており、目下、この女戦士が自分に稽古をつけてくれた理由として考えられそうなのは、セリフィアには彼女くらいのものだった。それだから彼は尋ねた。 「ミーアさんに俺のことを頼まれたんですか?」 「知らんな。名前は知っているが、面識はない。頼まれようもない」  女剣士はにべもなく言い放った。セリフィアは少し驚いて、 「じゃ、じゃあ、どうしてわざわざ俺に稽古をつけてくれたんです? ミーアさんの依頼でないなら、どうして…?」 「10フィートソードの使い手はこの世界に数名だ。世界の情勢に耳を澄ませていれば、自分以外のだれがどうしたかなど、すぐにわかる」  それだけ言い捨てて、女剣士は、訝しげにしているセリフィアを残して去った。  カインはこの日、以前の仲間について何か情報があれば教えてもらえないかと、ロッツに調査を依頼した。  この日、月の出とともにGとセリフィアの満月期は終わった。  2月18日。  セリフィア、カイン、ラクリマは前日にウェポンマスタリーを終了した。今日まで訓練が残っているのは、Gとヴァイオラだけだった。  セリフィアはGの訓練の終了を待って、彼女を伴ってパシエンス修道院に出かけた。魔法の剣を貸してくれたラグナーに礼を言うためであり、彼にGを紹介するためだった。  先日と同じ部屋だった。セリフィアはラグナーをGに紹介してから、 「明日フィルシムを発ちます」 「そうか。気をつけてな」 「はい、ありがとうございます。…剣は彼女に使ってもらうことにしました。紹介します。Gです」  Gは黙って頭を下げた。実はここに来てから一言も発していなかった。セリフィアとラグナーが歓談しているのを見るにつけ、彼女自身にも説明のつかない、何とも了見の狭い感情が自分の中に満ちてきて、そんな感情を認めるのは自分でも嫌だったのでそれを消し去ろうと必死だった。ラグナーの声が聞こえた。 「うん、よろしく。その剣は縁起のいいものだ。君たちを守ってくれると思うよ」  彼はGを見、セリフィアを見、セリフィアに言った。 「…君は彼女を信頼しているんだね」 「……? はい。Gは信頼できる仲間です」  ラグナーはそれを聞いて「そうか、そうか」と笑顔を二人に向けた。Gは相変わらず仏頂面だったが、それも気にしていないようだった。 「よし。充分な答えはもらった。仲間を大事にするんだぞ? 知っていると思うが俺がサラと出会ったのもパーティーを組んだのが最初の…」 「あ、あの…?」 「うん? ああ。気にしないでくれ」  ラグナーは言葉を引っ込めた。それから真面目な顔つきになって、 「君が何かを見つけてくることを願っているよ」 「…はい、ありがとうございます」  よくわからないが、ラグナーさんは何かを望んでいるようだ、と、セリフィアは感じた。そして、できればそれに応えたいと思った。 「ラクリマのこと、よろしく頼みますね」  途中からお茶を持ってきてくれたサラが、別れ際、二人に声をかけた。サラが入ってきたとき、Gは彼女が先だって礼拝堂の壁画のことを話してくれた女性だったと気づいた。 「できる限り頑張ります」  セリフィアは誠意をもって答えた。Gは黙って、だが今までのように不快感からではなく、意志の強さを表すための沈黙をもって、肯いた。 (引き受けたからには、責任もって応えなきゃな…)  肯いた瞬間、彼女は使命感のようなものを自分の中に感じた。  カインとラクリマはトーラファンの館へ出向き、別れの挨拶をした。  トーラファンはあの日以来、何度か図書室に訪れた。そこでラクリマにいろいろな話を聞かせたので、彼がマジックアイテムやゴーレムの類に愛情を注いでいることや、身寄りがないこと、気に入ったひとにだけマジックアイテムやゴーレムの販売と修理とを行って生活していることなどがわかっていた。  ラクリマに話しかけるとき、彼はまるで子どもか身寄りを亡くして久々にだれかと出会った老人のように、とりとめなくお喋りをするのだった。その様子を隣で窺っていたカインは、すでにトーラファンに対する疑惑をほとんど解いていた。だから、「お世話になりました」という彼の挨拶も単なる形式ではなく、本心からのものだった。 「フィルシムに戻ったらまた来るといい」  トーラファンはそういって二人を送り出してくれた。  宿に戻ると、ロッツがカインの前のパーティメンバーについて調べてきてくれていた。 「坊ちゃん…カインさんの…」 「ロッツさん、俺のことは好きに呼んでくれて構いません」  以前からロッツが「坊ちゃん」と言っては「カインさん」と言い直すのに気づいていたカインは、言い直す必要はないと申し出た。ロッツはほっとした表情を浮かべて、報告を続けた。 「坊ちゃんのパーティについて調べやしたが、まだだれも死亡届は出ていません」 「死亡届が出ていない?」 「はい」 「だが、あのハイブコアは騎士団が掃討したと…」 「ええ。ですが坊ちゃんのパーティの方々の遺品もありませんでしたし、倒したハイブたちの中にもそれらしい装備の死体がなかったようで」 (……どういうことだ)  カインは訝しく思いながら、一方で喜びを留められなかった。  もしかすると、生きているかもしれない。アルトーマスは無理としても、リューヴィル、ファラ、ディートリッヒ……そしてジェラルディンは。絶望するにはまだ早いのだ。  もちろん、それは同時に不安材料でもあった。彼らがもし生きているなら、それはユートピア教が手を加えた上でなければ不可能としか思えないところがあったからだ。それでも仲間が生きているかも知れないという希望は、カインにとって喜ばしいものだった。  自分が生きている、そのことには「復讐」の意味しかないと思っていた。だが、そうではないのかもしれない。自分を助けてくれた恩人が、ジェラにそっくりなのは神の罰だと思った。だが、そうではなかったのかもしれない。 (生きていれば、いつかきっと巡り会える。そのときまで……)  それまでは暫しの別れ。それまでは、俺はこのひとたちに報いるために生きる。俺の命を救ってくれ、自分たちの苦痛を殺して俺を迎え入れてくれたこのひとたちに。  宿の部屋で夜直をこなしながら、彼は仲間のベッドを、その安らかな眠りを確かめるように見回した。 7■待ち伏せ  2月19日、早朝。  エステラ嬢の隊商とともに、一同はセロ村へ向けて出発した。  だが、ロッツがいなかった。昨晩、夜営中にふらりといなくなってしまったのだ。「やることがある。すぐ追いつくから心配しないで」といった内容の書き置きが残されていた。皆、一様に不安に駆られたが、何をすることもできず、仕方ないので予定通りに出発した。  エステラ嬢の隊商には、ヴァイオラが聞いてきたとおり、ミットルジュ爺さんという腰の曲がったお爺さんがいた。フルネームをシャルバイン=ミットルジュといい、長らくセロ村行きの隊商を務めていた。老いたりとはいえ、手綱さばきに迷いがない、頼りになりそうなお爺さんだ。  他には丁稚くらいの若い商人2人がついてきた。エステラ嬢は彼らをそれぞれ「ソラルバート」「シュヴァレス」と呼んでいた。それにギルドからつけられた護衛の戦士が一人、サリデン=エルロスキーと名乗った。中年の駆け出し戦士で、一同の強さにすっかり頼ろうとしていた。  出発してすぐ、ネズミの大群に遭遇したものの、特に被害はなかった。  隊商はそのまま平和に進むかに見えたが、やがて街道の真ん中に人影のあるのが認められた。  エドウィナ=スースリーゼだった。レザーアーマーに身を固め、ショートソードを脇に指したその出で立ちは、盗賊か暗殺者のようだった。エドウィナは一同が声の届く範囲に入ると、言った。 「この間はどうも」 「エドウィナ? こんなところで何を?」  Gやセリフィア、カインらが身構えるなかで、ラクリマはエドウィナに声をかけた。 「あなたたちを待っていたの。言ったでしょ、後悔させてあげるって」 「…お兄さんは今…?」 「兄は本当に無実だったの」  エドウィナはきっぱりと言い切った。 「…なるほど。お兄さんじゃなくて、お前さんの方がユートピア教だったわけだ」  ヴァイオラは咄嗟に理解した。 「そうよ。兄は無実。何も知らないのに拷問で死んだわ。あなたたちが助けてくれなかったから……可哀想な兄さん」 「俺たちを恨むのはお門違いだ」 「ええ、そうね。兄が死んだのは、兄が弱かったからですものね」  エドウィナは昂然と顎をあげ、セリフィアに言い放った。 「そんな……そんな言い方を…」  エドウィナはラクリマを嘲るように見て言った。 「だってそうでしょ? あんたたちだってそう思ってるんでしょ? だから『自分たちのせいじゃない』って言うんでしょ? ……でもそんなこと、もうどうでもいいわ。あんたたちにも死んでもらうんだから。今、ここで」  言いざま、剣を抜いた。  戦士たちも皆、同時に抜刀した。 「待ってください。エドウィナ、どうして私たちを殺すんですか」 「決まってるじゃない。あんたたちが邪魔だからよ」 「邪魔な割に、フィルシムではやることが手ぬるかったじゃないか。手加減してたわけじゃないだろう?」  嫌味たっぷりに言うカインに、エドウィナは憎悪の目を向けた。 「ええ、手加減してやったのよ。そうでなきゃお前たちなんか…」 「手加減だと!? お前のせいで借金まみれだ! 10000gp返せっ!!」  セリフィアの罵言を無視してエドウィナは言った。 「どうして手加減したかわかる? 兄のために泣いてくれるひとが、何かしてくれるひとがいるかもと思ったからよ。それは間違いだったみたいだけど」  エドウィナは言いながらちらりとラクリマを見た。さらに続けて、 「感謝してほしいわね。あそこを襲うのはやめたんだから。私の中のやさしさが邪魔をしたの。でも……やっぱり襲っておけばよかったかしら」 「それはパシエンスのことか」  セリフィアに応えてエドウィナは「他にあって?」と聞き返した。ラクリマの頬を涙が伝った。彼女は震える声で訊いた。 「…セルレリアさんを殺したのもあなたですか」 「そうよ」 「エドウィナ、もうやめてください。もうこれ以上罪を重ねないで」 「罪って何? 人を殺すこと?」少女はあざ笑うように言った。「人じゃなければいいの? あんたたちだって、さんざん他の動物を殺してるじゃないの。どこが違うのよ。」 「食べるために殺して何が悪い」  Gが割って入った。 「食べるためだったらいいの?」 「当たり前だろう」  エドウィナはGの返答を聞いて甲高い笑い声をあげた。 「語るに落ちたわね。でもいいわ、言ってあげる。食べるため、なんて断る必要はないのよ。愚民はみな力ある支配者を望んで自分から支配される。それは弱い者の生き死にを強い者が支配するからよ。だから強い者に殺されたって文句は言えないの、だって自分が弱いのが悪いんだもの!」 「それは違います!」 「どう違うっていうの?」  エドウィナは相変わらず嘲るように、だがややイライラとした様子で言った。 「どんな命も尊いもの、どんな命にも『殺されていい』はずのものなんてありません」 「でも殺してるじゃないの。それもたくさん。いいのよ、力が強ければ殺しても。そして私は力を手に入れたわ」 「その力で何ができたんですか。それで本当に満足なんですか。結局……結局、お兄さんは救えなかったじゃないですか」 「兄は弱かったから死んだ、それだけよ。彼も力を手に入れようとしていたわ。私とは違うやり方で。だから手引きしてあげたんだけど……まさか本当に惚れるなんて、馬鹿みたい。シャロリナもかわいそうに。あんなことになっちゃって。ともかく、兄が死んだのは自業自得よ、恋に目が眩んで力を手放したんですもの」 「そして、ここでお前が死ぬのも自業自得というわけだ」  憎悪を滾らせながら、カインは言葉を吐いた。 「そう簡単に殺せるかしら?」 「8体だ。彼女の他に7体いるよ」  ヴァイオラは皆に聴こえるくらいの声でそう告げた。彼女は皆がエドウィナと会話している隙に、エドウィナに気取られぬようにディテクトイビルを唱えていた。エドウィナの前方に6体の反応---何も見えないところを見ると土中に隠れているのだろう、とするとアンデッドかもしれない---があり、それから右手前方の木陰あたりに1体の反応があった。  ヴァイオラがそれらの場所についてもざっと語ると、エドウィナは思い切り嫌な顔をした。 「やっぱりやる気なんじゃない。きれいごとばかり言って」 「違います!」  ラクリマは先ほどからいい言葉が見つからずに困っていた。どう言えばいいのだろう。どう言ったらわかってもらえるんだろう。 「死んでもらうわ」  エドウィナは再びそう言った。彼女の前方の土が盛り上がり、6体のトピが現れた。 「リューヴィル!」  カインは驚愕して叫んだ。斜め前方の木陰から現れたアンデッドは、かつてのパーティリーダー、リューヴィルだった。 「どうしてお前が…!」 「人材を有効活用させてもらっただけよ」  遠めにエドウィナの、ひとを小馬鹿にしたような声が聞こえた。  リューヴィルはカインに打ちかかってきた。カインは決心した。 (お前は俺が、この手で葬ってやる) 「なんだ、こいつは」  向こうでセリフィアが叫ぶのが聞こえた。彼の目の前に、使い手のいない両手剣が現れ、彼を攻撃し始めたのだ。アルトは両手剣を見て、咄嗟に判断した。 (魔術師の7レベル呪文にあるソードと同じような状態だ…) 「こいつはどうすればいいんだ!」  攻撃してもダメージがいっていないように思えて、セリフィアは再び叫んだ。刹那、彼の手にあった両手剣が、魔法の両手剣の攻撃を受けてぱっきりと折れた。 「操っている人間を倒した方が早いです!」  アルトはそう叫んでから、セリフィアを援護するためにウェブの呪文を唱えた。魔法の両手剣はウェブに絡め取られ、地に落ちた。わずか10秒しかその動きを留めておけなかったが、その隙にセリフィアは武器を持ち替えることができた。  ヴァイオラは地道にターニングアンデッドをかけ、これまでに4体のトピを追い払っていた。残り2体については戦士たちが葬ったので、自分は戦線を離脱して、エステラたちの馬車のところまで戻った。馬車を引く馬たちは戦闘に怯えきっており、ミットルジュ爺さんが動かそうとしても容易に動かない状況だった。ヴァイオラは自ら馬のくつわを取って、馬車を転回させ、もっと安全な場所に移動させた。 「あぶない!」  Gはカインの援護に回っていた。リューヴィルは殊のほか強かった。だが二人から同時に攻撃を受けて、ようやく倒れた。Gはそのままエドウィナを攻撃しているセリフィアの援護に向かった。 「ちくしょう…!」  エドウィナがそう呟いたと同時に、セリフィアの大剣が彼女の胸を貫いた。エドウィナはそのまま地に頽れた。 「エドウィナ……」  ラクリマは倒れた少女のそばに足を運んだ。跪き、その様子を診た。まだ息はあった。 「俺に止めを刺させてくれ」  背後でカインが言うのが聞こえた。憎しみに彩られた声だった。「ああ、構わん」と、それに応じてセリフィアが言ったようだった。 「待て。ラクリマさんが今、見ている」  Gはカインを止めた。  ラクリマは考えを巡らせた。ここで治療を施せば、エドウィナは意識を取り戻すだろう。だが、いずれ殺される……自分にはそれを止められない。死の痛みをどうして二度も彼女に与えられよう。ラクリマはこのまま彼女を死なせることにした。 (ごめんなさい、エドウィナ。さっき、泣いてないで言えばよかった。パシエンスを襲わないでくださってありがとう。あなたのやさしさに感謝します…)  口の中で聖句を唱え、俯きがちに「送ってあげてください」と言った。  カインはエドウィナを見下ろした。 「お前の言ったとおり、俺たちは勝った。お前は負けた。強き者が弱き者を殺すのは当然なんだろう。なら、これも当然の報いだ!!」  彼は薙刀を振り上げ、容赦なく少女の肢体に叩きつけた。二撃、三撃と、打ち付けて止まなかった。 (これがリューヴィルの分、これはアルトーマスの分、これは…) 「やっ、やめてください、もうやめて!」  慌ててラクリマが制そうとしたそのとき、エドウィナの頭部が爆発した。Gもセリフィアも咄嗟に身をかわし、さほどのダメージを受けなかった。カインとラクリマは場所が幸いして、こちらも大きく巻き込まれずに済んだ。  ラクリマは呆然としてエドウィナの遺体のそばに座り込んだ。この爆発の様子は、前にも見たことがあった。同じブラスティングボタンだろう、ディライト兄弟の弟の死因がそうだった。少女の顔はすべて吹っ飛び、身元も何もわからぬ無惨なありさまだった。 (ひどい……)  彼女は俯いた。両の目から涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。 「終わったの?」  向こうからヴァイオラとアルトがやってきた。ヴァイオラはディテクトマジックを唱えて辺りを見回した。先ほどまでセリフィアを襲っていた両手剣と、エドウィナの指にはまっているリングが反応した。 (……ん?)  ラクリマの聖章がマジックアイテムだということは知っていたが、そのほかに新たに見る指輪も輝きを発していた。 「ラッキー、それ、どうしたの」  ヴァイオラはラクリマに尋ねたが、ラクリマはただ泣くばかりで今は答えられる状態ではないようだった。やれやれ、と、ヴァイオラは肩をすくめた。 「このリングはマジックアイテムみたいだね」  ヴァイオラはそう言ってエドウィナのリングをはずすと、アルトに手渡した。 「鑑定はできないのか?」  カインがアルトのそばに寄ってきてたずねた。 「ボクではちょっと……まぁ、エドウィナさんが身につけていたことを考えれば、そう恐ろしいものでもないと思うんですけど」  カインは何を考えたか、「それを貸してくれ」とアルトからリングを受け取った。そしていきなり自分の指にはめた。 「何してるんだ、馬鹿か、お前」  Gが呆れて言うそばで、カインはリングの持つ能力を感じ取っていた。それはスペルストアリングで、10レベルの僧侶呪文ダークネスとサイレンス、それからやはり10レベルの魔術師呪文でディスペルマジックが蓄えられていた。もうひとつ、魔術師呪文のソードがあるようだが、これは空になっていた。先ほどエドウィナが使ったからだろう。  カインはそれだけ仲間に報告すると、指輪を外そうとした。だがそれは二度と外れなかった。 (こいつ、坊ちゃんより馬鹿かも…)  ヴァイオラも呆れ返った。手っ取り早く強さを手に入れようとしたのかもしれないが、なんと迂闊な。これでそのリングがユートピア教の幹部とリンクしていたらどうするんだ。こっちの場所から何から筒抜けになる可能性だってあるというのに。  カインはさすがに少し青ざめていた。だが取り立てて対策の立てようもなく、指輪の話は一旦そこで終わった。魔法の両手剣はいつの間にか消えていた。  カインがリューヴィルの墓を、ヴァイオラがエドウィナの墓標を作っているところへ、ようやっとミットルジュ爺さんが隊商の馬車を回してきた。 「皆さん、お強いですね」  エステラ嬢は素直にそう言って、安堵の息を漏らした。  その横でアルトは傷を負ったセリフィアに手を触れた。「大丈夫ですか、セリフィアさん。」途端にセリフィアは身体が軽くなったように思った。傷の痛みが止まっていた。なんだろう。ヴァイオラやラクリマに治癒されたときと同じような感覚…だが今、自分に触れたのは、魔術師のアルトだ。  奇妙には思ったが、セリフィアはそれ以上深く考えるのをやめた。そのアルトはといえば、すでにセリフィアを離れてヴァイオラのそばに寄っていた。自分には確かにマジックマスタリーが使える。そのことを確認できて彼は、これで今までよりずっとみんなの役に立てる、と、喜びを感じていた。  夜、ヴァイオラは皆に気づかれぬよう、コミュニケーションスクロールを取り出し、今日の出来事を簡潔に報告した。 <エドウィナ直接指令で待ち伏せ、退治済>  しばらくして開くと、ロウニリスからの返事が、これまた簡潔に書かれていた。 <了解>  晩は何事もなく過ぎた。 8■とばっちり  2月20日。  朝、ラクリマがヴァイオラに「今日の呪文はどうしましょう?」と相談してきた。その際、彼女は、「言うのを忘れてましたけど、私、呪文をひとつずつ余計に覚えられるようになりました」とヴァイオラに告げた。 「どうして?」  ヴァイオラが平静を装いながら尋ねると、ラクリマは答えた。 「先日、写本の仕事をくださった魔術師のトーラファンさんが、このホーリーシンボルを直してくださったんです。そうしたら余分に覚えられるようになったんです」 「直したぁ!?」  そばで聞いていたGが軽く声を上げた。ヴァイオラは少しばかり眩暈を感じた。 (ホーリーシンボルを魔術師に直されて、どうして疑問に思わないのかね、この娘は…) 「あの…?」 「やっぱりあれか。」ヴァイオラは軽く溜息をついたあとで、アルトに向かうようにして言った。「結局、神の力も魔術師の力も、源は同じってことか。そういうことなんだね。」  今度はラクリマが困惑する番だった。 (そんな……どうしてそんなことを…)  ついでだから、と、ヴァイオラはラクリマに尋ねた。 「その指輪はどうしたの」 「あっ。忘れてました。これもトーラファンさんにいただいたんです。『君のものだから』って」  ラクリマはそう答えたあとで、慌てて付け足した。「あの、プロテクションリングみたいです。」 「いいけどね…」  ヴァイオラは少し怒ったように、ラクリマを見、それからカインを見て、みんなに告げた。 「別にいちいち申告しろなんて言わないけど、何かを手に入れたら、手に入れたそのことが仲間を利することも害することもあるんだからね。覚えておきなさい」  ヴァイオラはもう一言、「自分の尻は自分で拭うように」と言ってその場を締めた。  その言葉どおりになった。  昼ごろ、カインは件(くだん)のリングにソードの呪文がチャージされたのを感じた。  と、同時に、当の呪文が発動し、目の前に昨日と同じ魔法の両手剣が現れるや彼に対して攻撃を開始した。  アルトは驚いて、すぐには戦闘指揮が執れなかった。ヴァイオラはすぐさまディテクトイビルを唱えた。予想通り、両手剣は光り輝いた。新たな主に挨拶伺いにきたわけではないらしい。 (短慮の報いだね)  ヴァイオラはそう思いながら、援護のためにカインの背後に回った。カインはアルトのアドバイスを受けて、指輪に格納されていたディスペルマジックを剣に向けて使ってみたが効果はなく、魔法の両手剣はその攻撃を止めようとしなかった。困ったことに、こちらから攻撃を当てても当てても一向に応えないように見えた。  そのとき、ふと、セリフィアは感じ取った。魔法の武器のダメージは、こいつに入っているんじゃないか…? 「魔法の武器だ。魔法の武器ならこいつ自身を攻撃できる」  セリフィアがそう言ったので、ヴァイオラはカインの援護を解き、セリフィアの武器にブレスをかけた。セリフィアとGの攻撃で、両手剣はようやく砕けた。  午後の半ば、ロッツが追いついてきた。ヴァイオラは咄嗟に彼に向けてもディテクトイビルとディテクトマジックをかけたが、何も反応しなかったので、本当に本人らしいと判断した。 「すみません、急な呼び出し喰らっちまって」  ロッツは疲労の色を隠さないまま、一同に詫びた。 「何しろギルドマスター直々の、最上級の緊急呼び出しで。行かねぇわけに行かなかったんでさ」 「で、何の呼び出しだったの」  ロッツによれば、ギルドマスター御自らのお言葉で、今後一切ユートピア教と関わってはならないというお達しがあったらしい。偶然であれ、ユートピア教の助力をしたような者は、即刻ギルドから追放するということだった。 「いやもう、ギルドマスターが戦々恐々としてやしてね、凄かったですよ」  シーフギルドも生き残りをかけてきたか、と、ヴァイオラは思った。案外、ロウニリス大司祭あたりが圧力をかけてくれたのかもしれない。油断は禁物だが、今後は不用意な情報の拡散に、多少なりと歯止めを効かせられそうだと思った。  2月24日。  数日間、何事もなく隊商は進んだ。  24日の朝、ヴァイオラはエステラ嬢に「今日の野営地にロビィたちの馬車がある」とあらかじめ伝えた。  夕刻、二台の馬車の残骸が見えてきた。風雨にさらされて朽ち始めているそれらは、何かの遺物のようにも見えたが、一同にとってはまだ生々しい記憶の拠りどころだった。  ヴァイオラはフィルシムで仕入れてきた上質の酒を、すぐそばの草むらに飲ませてやった。 (ツェーレン、戻ってきたよ。まぁ、とりあえず一緒に酒でも飲もうじゃない。ジェイは生きてた。スチュアーの遺品も届けたし、ロビィの遺志はエステラさんが継いでくれた。あなたの遺品は、私が受け取ったからね。安心して眠って)  彼女はその場に座り込み、もう一本酒瓶を取り出すとそれを注いで杯を呷った。  エステラ嬢は無言で馬車の前に立ち、じっと見つめていた。それから目を閉じて祈りを捧げ始めた。気丈にも、涙はこぼさなかった。 (……エステラさん……きっと、貴女の思いは天に届きます。きっと…)  祈りを捧げるエステラ嬢の後ろ姿を見ながら、アルトは、自分で彼女の役に立つことがあれば何でもしようと思った。  2月25日、夜。  夕食が終わってすぐ、ヴァイオラは皆の前でGとセリフィアに言った。 「その剣の名前、村では口にしないようにね」  その剣とは、二人がパシエンス修道院でラグナーから借りた剣、セフィロム・バスター・コンプリートのことだった。Gは何も考えずに「わかった」と答えた。どのみち、剣の名前など覚えていなかった。 「構わないが。何か理由があるのか」  セリフィアはヴァイオラに尋ねた。ヴァイオラは答えて言った。 「セロ村の創始者がセフィロムって名前だから」 「あっ、セフィロムってもしかして、昔サラが倒したセフィロムですよね」  皆、一斉にラクリマの方を向いた。 (サラってひと、見た目若かったけど、実はもっとずっと年取ってるのか…若返りポーションとか、飲んだのかな)  Gは、見た目と実年齢が食い違う例を身近に知っていたので、そう判断した。カインも、フィルシムではよくあることだから、と、Gと同じように考えていた。神官なのだからアンデッドではないだろうくらいに思って、黙って耳を傾けていた。  アルトは、もしやセロ村ができたばかりなのかなどと他にもいろいろ考えたあげく、その創始者のセフィロムがヴァンパイアで割と最近まで生きていたか、もしくはサラの倒したセフィロムは同名の別人なんだろうという結論に達した。 (同じ名前の別人か? それともごく最近に、セフィロムの名を継いだ人間がいたということだろうか…)  ヴァイオラはそう判断してから、ラクリマに聞き返した。 「セフィロムって同じ名前の人が最近もいたの?」 「いいえ。サーランドのセフィロムさんですよ」  ラクリマは少し不思議そうな顔をして返した。が、聞いている側こそ、狐につままれたようだった。 「『夢見石』の冒険のことか」  セリフィアが合いの手を入れた。彼は父親やラグナーから話を聞いており、その創始者セフィロムを倒した冒険のことも概ね知っていた。 「セフィロムって確か、魔術師だったと聞いたな。サーランド時代だったから、それは大変だったとか言ってたと思う。ただ、4、5年前に聞いた話だから正確には覚えていないけど…」 「ええ、魔術師です。とても強かったって。本人の力か、魔晶石の力かはわからないって話ですけど。戦士も僧侶も奴隷扱いだし、持ってた『石』を狙って命は狙われるし、それは大変だったって話でしたよね」 「ちょっと、二人で話さないで」  ヴァイオラが割って入った。 「どういうことなのか、ちゃんと説明してくれる?」 「あ、ごめんなさい」  ラクリマが説明したところによると、サラとラグナーとルギア(ともう一人、リッキィという名の女戦士)とは、5年前にセロ村で殺人事件を解決したあと、『夢見石』というマジックアイテムをフィルシムに運ぶ途中で、当の『夢見石』の魔力により現代より300年も昔のサーランド時代に飛ばされてしまった。そのときにセフィロムの子どもたち(ラグとダグという名の姉弟)に出会い、セフィロムの病を治すために『夢見石』を持って同道した。どういうわけか当時もこの近辺にハイブコアができており、件のセフィロムはその禍を被ってブルードリングと化していた。  サラは『夢見石』を使って彼女を治療したが、そのため逆に『夢見石』を我がものにせんと欲するセフィロムから命を狙われるようになってしまった(自身を欲しがらせるというのも『夢見石』の厄介な特性のひとつだった)。一行は現代に帰るべく、『夢見石』の迷宮を目指し、その途上で襲ってきたセフィロムを倒したのだという話だった。 「で、無事に帰ってこられたわけだ」 「ええ、迷宮も、なんとかいうひとたちの協力で踏破できて……いろいろ大変だったみたいなんですけど、それでも帰ってきたんです」  ラクリマはサラたちの苦境を思ってか、うっすらと涙を浮かべながら話を終えた。ヴァイオラは考え込んだ。巻物のことを思いながら、 (『夢見石』………まさか、あれか?) 「ヴァイオラさん? どうしたんですか?」  ラクリマが声をかけてきたのに、ヴァイオラは「ん? うん、ちょっとね」とだけ答えた。 「そういえばハイブって、最近シルヴァってひとが召喚したんだろ? なんでサーランド時代にもいたんだろうな」  セリフィアは疑問を口にした。するとカインが、 「素人考えだが。『ハイブの召喚』というのがもし『異世界』より呼び出すものだったなら、呼び出す『こちら側』の時間軸はあまり関係ないのではないかと思う。平たく言えば、このショートランドの過去未来にハイブがばらまかれているという考え方もあるってことだ。とはいえ、本流は『現在』で、他は支流だろう。でないと困る。……どのみち、実際にどうやってハイブが召喚されたかわからない以上は、説明のつかない問題だが」  Gは話を聞きながら、いつものように特に気を留めていないように振る舞った。が、その実、彼女は丹田に力を集中していた。彼女の「お母さん」---シルヴァの名前が話題にのぼったからだ。 「あの…」  ラクリマがやや遠慮がちに話題に入った。 「サーランド時代のセロ村のハイブは、セフィロムが原因じゃないかってサラは言ってました。ちゃんと聞いた訳じゃないからわからないけど、何か危ない研究をしてたみたいだって。その実験かなにかに失敗したんじゃないかって」  あり得べき話だった。いつの世も、自らの力だけを恃む魔術師はロクなことをしない。  夜も深まってきたので、話はそこで終わりになった。 9■風雲急を告げる  2月27日、夕刻。久方ぶりのセロ村が---カインにとっては初めて訪れるセロ村が---姿を現した。 「お前ら……間に合ったか…!」  門の警備に立っているのはスマックだった。げっそりと窶れた様子で開口一番、彼はこう言った。ヴァイオラは何か不安げな空気をかぎ取った。 「何かあったの」 「ヴァイオラ、すぐに村長の家へ! 危篤なんだ!」  早すぎる。ヴァイオラは思った。だが、覚悟していたことではあった。 「わかった」  すぐに走り出そうとする後ろから、「私も行きます」とラクリマが声をかけた。 「行くよ」  ヴァイオラは振り返らずにラクリマに答えた。走って村長宅へ向かった。  村長宅で護衛の女戦士に案内され、一室に向かった。  そこにはベルモートとブリジッタ、キャスリーン、それから見たことのない男が一人いた。見たところ、ベルモートに少し似て、ベルモートをもっと崩したような顔をしているので、もしかして冒険者になって飛び出した長男かもしれないな、と、ヴァイオラは思った。 「お婆さん!」 「ラクリマ!」  キャスリーンはラクリマの姿を認めて、抱きついてきた。 「ごめんなさい、お婆さん。私、戻ってきました」 「ああ、いいんだよ。戻ってきてくれればそれで…」  ヴァイオラはラクリマに「あとにして!」と邪険に言い放つと、取るものも取り合えず、村長の寝台の前に進み出た。寝台に横たわるアズベクト=ローンウェルの青ざめた顔を見た。死期が迫っていることは、だれの目にも明らかだった。  後ろからラクリマもきて、彼の様子を診た。ヴァイオラを見上げ、そっと首を横に振った。二人は小声でやりとりした。 「…どのくらい?」 「……今夜を越せるかどうか」  後ろから声がかかった。 「なんだ、お前は」  顔の崩れた男らしい。ベルモートがそばで「兄さん、ほら、話したでしょう。例の冒険者の方々ですよ」ととりなすのが聞こえた。 (兄さん……やっぱり、長男か)  そのとき、村長が目を開いた。ヴァイオラを見て「戻ったか…」と弱々しく言った。 「ええ、ただいま戻りました。お話しして大丈夫ですか?」  村長が首を縦に振ったので、ヴァイオラは他の人間を追い出しにかかった。 「大事な話があるから出ていってください」 「何だと、お前…」  長男がいきり立ったが、ヴァイオラは「ほら、出た出た」と押し出した。ラクリマも素直に部屋の外へ追い出された。 (主導権は私にあるってことを知らせておかないと…)  ヴァイオラはキャスリーン以外を部屋の外に閉めだしてから、村長の枕元に戻った。 「スルフト村村長からの返書です」  そう言って、キャスリーンに書簡を渡した。キャスリーンは封を開け、アズベクト村長が読めるようにそれをかざしてみせた。 「………」  村長は書簡を読んだあと、ヴァイオラにもそれを読むように頼んだ。ヴァイオラはキャスリーンから封の開いた書簡を受け取り、読んだ。 _________________________________ コルツォネート・カークランド村長より  ご依頼の件、喜んでお手伝いさせて頂きます。若い未婚の猟師を4名ばかりそちらの村に移民させるよう手配を取りました。後日受け取りに来るよう願います。  礼については、お気になさらずに。移民する者は、性格面を含めて我らがスルフト村と貴セロ村の品位を落とさないであろう人物を選定いたしました。彼らが、貴セロ村に受け入れられ、以後セロ村の村民として生活していけることを切に願います。 _________________________________ 「そなたたちにまた、人を迎えに行ってもらわなければならない」  ヴァイオラが書簡を読むのを見ながら、村長は言った。 「他に頼める者がいないのでな」  村長の目の合図で、キャスリーンが文箱を取り出した。 「中に契約書が入っておる。スルフト村との往復に関する契約だ。頼めるか」  ヴァイオラは契約書に目を通した。条件としては今までと同じ、低料金で、食費が含まれるのが利点といえば利点だったが、それ以外に何の旨みもなかった。だが、ヴァイオラには死に行く者の願いを退ける気など、毛頭無かった。署名を待つばかりに用意された書面に、彼女はペンを走らせた。 「ありがとう」  村長の顔にほっとした表情が浮かんだ。 「さて、わし亡き後の村長のことだが…」  アズベクトはいきなり核心に切り込んだ。 「3年間の猶予期間を作ることにした。それについては手配済みだ。すでにフィルシムから執政官も招いてある」  村長の説明によると、次のようなことだった。  3年の猶予期間中、村の運営は合議制によって決める。合議を行うのは、村長候補のガルモート、ブリジッタ、ベルモートと、二頭制を取っている木こりギルドの長、ガットとヘイズ、猟師ギルド長のベアード=ギルシェ、村の重鎮であるキャスリーンの7名である。このほかに外部から執政官を置くが、執政官は村の経理を司る者であり、他の面には基本的にタッチしない。要するに金庫番である。  さらに、村にはアドバイザリー制度を敷く。アドバイザーはヘルモークと、ヴァイオラである。ちなみに、先ほど言った執政官には毎月500gpが、アドバイザーの二人には毎月100gpの給与が支払われる。 「よくヘルモークさんが承知しましたね」  ヴァイオラが驚いて尋ねると、村長はちょっと笑ったようだった。 「なんのかんのと言っておったが、最後は引き受けてくれた。…そなたにも頼めるか。契約書は用意してある。これがあれば、ガルモートらもそなたに無体なことはせんだろう」  ヴァイオラは契約書を渡され、署名した。 「つかぬ事をお伺いしますが、大丈夫なのですか、執政官に毎月500gpも支払ったうえ、私とヘルモークさんにまで100gpもの給与を…?」 「すでにその分はわしの財産を切り崩して作ってある。そなたが案ずることはない。もっとも…」村長はまた笑みを浮かべた。「ヘルモークは頑として受け取りたくないといって、給与の方は辞退されてしまった。」  ヘルモークさんらしい、と、思いながら、ヴァイオラはふとあることに気づいた。 「合議制のメンバーの中にスピットが入っていませんが……なぜ彼は…?」  スピットとは、この村の神殿の司祭だった。もともとはヨソモノだが、人好きのする性格から村にとけ込み、村娘のブレンダと結婚して子どもももうけていた。かたちだけでも彼が村の運営に関わってこないのは、妙な感じがした。 「村長、ちょっとおやすみになられた方がいい」  キャスリーンはそう言って、ヴァイオラを部屋の隅に呼んだ。そして彼女たちが留守にしていた間に起こった事件---ヴィセロ事件の顛末を語ってきかせた。 「いやあ、吃驚したぜ、とにかく」  スマックは村の入り口で、あれからずっとGたちと立ち話をしていた。  それは一同も驚くような話だった。先月来、村に滞在していた巡礼女のヴィセロが、実はドッペルゲンガーだったというのだ。神殿でエリリアを食べているところを見つかり、退治されたという。 「エリリアが…」  セリフィアは愕然とした。エリリアというのは、ジェイ=リードの恋人だった。彼がフィルシムに出奔したあと、その心の隙を狙われて捕まってしまったらしい。そういえば村を出る前、よく二人で一緒にいるのを見かけたな、と、彼は思い返した。 「スマックさんたちが退治したんですか?」  アルトがそう尋ねると、スマックはちょっと情けない顔つきになって言った。 「いや、俺じゃない。ちょうどそのとき、村長の長男のガルモートっていうのが冒険者パーティをひきつれて戻ってきててな、そいつらが倒してくれたんだ」  ガルモートという名前は、セリフィアやGも聞いたことがあった。確か冒険者になると言って村を出奔した村長の息子だ。 「とにかくそれで大変だったんだ。ガルモートたちはそのあと、アンデッドもやっつけたし…」 「アンデッド!?」  Gが声を上げるのに、スマックは疲れた様子で答えた。 「ああ、それはつい一昨日のことなんだが、夜、墓地からゾンビが大量発生したんだ」 「大量って、どのくらい?」 「6体だ」  それは確かに大量だ、と、一同は思った。 「ちょうどレイビルの夜勤日だったんだが、これもガルモートたちが退治した。おかげでレイビルのやつの株が下がっちまって……俺も管理不行き届きだって怒られるし……」  スマックは大きな溜息をついた。 「本当は今の時間もレイビルの当番なんだ。でも出てこないから俺がやってるの。レイビル、昨日の日勤は出てきてたのになぁ……」  彼の窶れた様子はそれでか、と、一同は納得が行った。 「バーナードたちはどうしてたんだ?」  セリフィアが尋ねると、スマックは、 「バーナードたちは、どっちの事件のときも護衛で森に入ってたんだよ」 と、答えた。それから付け加えて言った。 「バーナードは兄ちゃん以上に無口だが」---兄ちゃんというのはセリフィアを指したらしかった---「村での評価は高いぜ。実力も実行力もあるし、なんといってもブリジッタの夫だからな」 「他には? あのエリオットたちはどうしたんだ? もういないのか?」  今度はGが尋ねた。 「いや、まだいるぜ。ああ、そうだ、エリオットたちはエイトナイトカーニバルとかいう迷宮をアタックして、そのあと無事に帰ってきてたな。それからハイブコアにもアタックをかけてた。だが、空っぽだったって話だ」 「……移動したんですね」  アルトが静かに言った。スマックは肯いた。 「そうだろうって話だ。ああ、嫌になるぜ。村長は危篤だし、最近暗くて…」  溜息混じりにスマックが話しているところへ、背後から鎧と靴の音が響いてきた。一同が振り返ると、ちょうどエリオットたちのパーティが村に帰ってきたところだった。 「なんだ、お前らか」  開口一番、エリオットは言った。Gはつとエリオットの前に歩み寄り、出し抜けに膝を折って言った。 「この間は申し訳なかった」  後ろで見ていたセリフィアやアルトは吃驚した。Gの口からそんな謝罪が出るとは思ってもみなかったのだ。  Gの謝罪を受けたエリオットは、嬉々として言った。 「いやいや、もう済んだことだ。まぁ、俺はそんな心の狭い男じゃないしな」  単純で根に持たないのは、このバカ殿の長所らしかった。彼は上機嫌で後ろの面々を振り返り、 「な、俺が言ったとおりだろ?」 と、同意を求めた。  何をどう言われていたのかあまり考えたくなかったが、ギルティが入村税をスマックに支払っている脇で、エリオットはるんるんと村に入っていこうとした。一同はその彼が、きんぴかの鎧には不釣り合いなみすぼらしいマントを羽織っているのに気がつき、視線を集中させた。 「あ? あ、これか?」  エリオットは皆の視線に気づき、少しばかり恥ずかしそうにマントを広げて見せた。 「いやまぁ、こんなみすぼらしいマントは俺としては着けたくないんだが、あいつらがどうしても着けろといってきかないんでなぁ…」  照れながら、彼はそう話した。どうやら魔法のマントらしかった。 「…村が騒然としていますが、何かあったのですか」  セカンドファイターのアルバンが口を開いた。スマックは「村長の具合が悪いんだ」とだけ答えた。エリオットのパーティの面々は---エリオット以外---顔を見合わせた。 「今回も大変だったぞ。そなたもその場にいれば私の活躍ぶりを見られただろうに…」  エリオットが楽しく話しかけてくるのを、Gは軽くあしらった。 「あなた方もお疲れだろう。まずは宿に入られてはいかがか。あなたの活躍は折を見てゆっくりお聞かせ願いたい」  そう言って彼女はにっこり微笑んでみせた。エリオットは「そうかそうか」とさらに鼻を高くして、「森の女神」亭の方へ歩いていった。 「………お前、なんだか変わったなぁ」  スマックがGに話しかけた。Gはちょっと笑ってみせた。 「今のは?」 「今のはエリオットさんと言って、ガラナークの騎士の嫡子です。ボクたちがセロ村を出る直前に来たパーティのリーダーで…」  アルトはカインに説明した。スマックはそれを見ていたが、説明が終わると、 「新顔かい?」 と、カインに話しかけた。カインは「よろしく」と言って肯いた。 「彼はカインさんっていうんです」  アルトがカインをスマックに紹介した。 「俺はスマックだ。よろしくな」  スマックがそう言うそばからGが割って入った。 「こいつ、レスタトにそっくりだから」 「え?」  スマックは一寸、カインを注視した。が、夕方でもあり、下半分が覆面で隠されていることから、それほどよくはわからないようだった。 「お前らもそろそろ宿に入った方がいいんじゃないか? ヴァイオラが帰ってきちまうぞ」 「あ、そうですね。あの大部屋、空いてるんでしょうか。ボク、先に行って聞いてきます」  急いで歩いていくアルトの背後から、スマックが声をかけた。 「慌てなくてもだれも使ってねえぞ〜」 「俺たちも行くか」  セリフィアのかけ声で、Gとカインもアルトのあとを追った。 「ヴィセロがドッペルゲンガー…」  この話はヴァイオラをも少なからず驚かせた。そして……かわいそうなエリリア……彼女の境遇には心から同情を禁じ得なかった。 「それでスピットを非難する声が高まっての」  キャスリーンは暗い顔をして話を続けた。  ヴィセロは神殿に起居していた。そのため、「神殿を危険なモンスターの温床にした」として、司祭のスピットがやり玉にあげられることになったというのだ。もちろん、これにはガルモートが絡んでいるらしく、彼のパーティの神官が司祭の後釜になることを狙って、ガルモートはヴィセロ退治の功労者として先頭に立ち、とりわけ厳しく糾弾しているとのことだった。 「スピットはいずれこの村にはいられまいよ」  彼は家族を連れてフィルシムに移り住むことになるだろう、と、キャスリーンは告げた。それまでの口ぶりから、彼女がガルモートのパーティにいるという神官を毛嫌いしている様子が見て取れた。 「ヴァイオラ、ちょっと」  寝台の方から村長の声がした。続いて彼は、 「キャスリーン、悪いが席を外してくれぬか」 と、言った。キャスリーンは軽く一礼して、部屋を出ていった。 「お呼びですか」  ヴァイオラは村長の枕元に寄った。 「3人の候補について、そなたにだけは私見を述べておきたい」  村長はそう言って、子どもたちについての評を述べ始めた。  まずブリジッタ。3番目の子どもで、次女である。 「以前にも言ったが、わしの子どもたちのなかで一番優秀だ。だがわしは…」  どうしてもバーナードのことを好きになれない、と、村長は再び断言した。娘を奪われた親心を差し引いても、彼には何か胡散臭いところが、油断のならない何かがある、と。 「この村に真に何があるか、それはわしにもわからぬし、それにそれだけの価値があるとも思えんが、それを狙っているのかもしれないという思いが頭から消えてくれぬ。バーナードは村や自分の父親と喧嘩別れしたというきな臭い噂もあって、わしはどうしてもあの男は信用できないのだ」 (…村長がそこまで言うのなら、バーナードにも何か裏があるのかもしれない)  ヴァイオラはバーナードに対する不信感を新たにした。何か伝手を探して、調べてみようと心に決めた。  ベルモート。4番目の子どもで、次男。 「ベルモートがもう少し‥もう少し成長してくれれば……」  村長は「死にきれない」というように呟いた。  ベルモートは器の大きい人間ではない。発展型の人間ではない。だから村の発展を望むことはできまい。だが、彼が村長になれば村は安定するはずだ。思慮に欠けるわけではないので、あとは配慮に欠けないでさえくれれば、村長として危なげなくやっていけるだろう。 「よいパートナーでも見つけてくれればなぁ……よくなるかもしれないのだが」  村長はそう言って目を泳がせた。ヴァイオラは、自分にベルモートのサポートを求められているのだろうかと考えてみた。そこで少し奇妙なことに思い当たった。村長は決してベルモートの「結婚」については触れようとしなかった。「パートナーが見つかれば」とは言ったが、「身を固めてくれれば」とは言わなかった。何かあるのだろうか?  そう考えているうちに、話は次に移っていた。  ガルモート。2番目の子どもで、長男である。 「はっきり言って、駄目じゃ」  村長はにべもなく言い切った。 「思慮なく、野心がありすぎる。それに仲間たちも胡散臭すぎる。特にあの僧侶は曲者だ」  村長の言葉は、先ほどのキャスリーンの態度を裏付けるものだった。ヴァイオラはまだその僧侶には会っていなかったが、ガルモートを見ればどういったパーティを組んでいるか、予想はついた。 「しかし3人のうちで一番強硬で強引なところがある。下手に動けば話がこじれること必定だ。それに困ったことだが、村に対しての第一印象も良かった。バーナードたちの不在時に、本当に危なかったところを救われたからの。しばらくはガルモートを中心に動いていく恐れがある。それを監視せねばならないだろう」  村長はそれだけ喋ると、ぐったりとなった。ヴァイオラはそろそろお暇せねばと思いながら、最後に質問した。 「巻物の意義はどうすれば村の人たちにわかってもらえるでしょうか? たとえば、巻物を持っている私とキャスリーンがともに反対している人間が村長になってしまったら…?」  村長は再びうっすらと目を開けた。 「それは致し方あるまい。もともと合議制であるし、わしにはその巻物の有効性がわからぬのだ。わからぬ以上は、そういうことになっても仕方ないと思う」 「わかりました…」  外からノックの音がした。キャスリーンが心配して様子をうかがおうとしているのだろう。ちょうどいいから、と、ヴァイオラは村長に暇を告げた。  先ほどから部屋の外では、村長の子どもたちが小声で喋るとはなしに喋っていた。ラクリマは少し離れたところからそれらの会話を大人しく聞いていた。 「俺が帰ってきたからには、お前はもう村長になるつもりはないだろ」  ガルモートが---あれが村長の長男でガルモートだというのは、途中から部屋を出てきたキャスリーンが教えてくれた---ベルモートに向かって高飛車に言うのが聞こえた。 「ブリジッタもどうすんだ?」  ガルモートはベルモートの答えも待たずに、今度はブリジッタに向き直った。 「お前、冒険者と駆け落ちしたんだってな。それならこの村にも留まる気はないんだろ」 「今はそんなことを言っているときじゃないでしょう」  ブリジッタはやんわりと、だがやや冷たい空気を含んだ声でガルモートに答えた。 「お父さんが心配じゃないの?」 「心配だ! 心配だとも!」ガルモートは喚いた。「だが同じくらい、領主の息子としてこの村が心配なんだ!」  不思議なことに、ガルモートのその言葉は、どうやら本心から出ているらしいとラクリマは思った。すぐ隣でキャスリーンが舌打ちするのが聞こえた。 「全く……村長がこんなときに兄弟であんなことを……あの中から領主を選ぶなんて、嘆かわしいことだよ」  ずいぶん時間が経ったようだった。キャスリーンは控えめに村長の部屋の扉をノックした。  ヴァイオラがドアから現れた。彼女は他の人間が中に入らないように後ろ手に扉を閉め、「村長はおやすみだ」と子どもたちを睨め付けながら言った。 「村長はおやすみだそうだ。お前たち、もう戻りな」  キャスリーンは3人の子どもたちに言い放った。ガルモートが何か言おうとするのを遮り、 「うるさくするんじゃないよ」 と、静かに一喝した。ガルモートは舌打ちしてから出ていった。ブリジッタやベルモートも後に続いた。 「おばあさん、大丈夫ですか。もしお疲れなら、私、しばらく代わりに見てましょうか」  キャスリーンが村長のもとに戻ろうとするのを見て、ラクリマは申し出た。 「大丈夫だよ」  キャスリーンは少し微笑んで言った。 「それよりお前さんも来たばかりで疲れているだろう。まずは自分がゆっくりおやすみ。明日から手伝ってもらうかもしれないからね」 「はい。何かあったらすぐに来ますから、いつでも呼んでくださいね」  ラクリマはキャスリーンにそう言って、ヴァイオラとともに村長の家を辞した。 10■2月の静かな夜  ヴァイオラは宿の大部屋に戻る前に、宿の1階に顔を出した。思った通り、バーナードたちがそこにいた。 「よう、帰ったか」  真っ先にジャロスが声をかけてきた。 「留守中、ありがとうございました」  ヴァイオラは丁寧に礼を述べた。 「気にするな。あとでまた飲まないか。綺麗な女性を見ながら酒を飲むのは最高の幸せだからな」  ジャロスは相変わらずつるつると麗句を並べ立てた。ヴァイオラの後ろでラクリマは、彼が夜中に梟を飛ばしていたことを、その顔を見て思い出していた。 「お初にお目にかかります」  ヴァイオラたちが戸口に向かおうとしたところ、見知らぬ4人組のテーブルから僧侶風の男が立ち上がって挨拶した。ははぁ、これがガルモートのパーティだな、と、ヴァイオラは推察した。僧侶はにこにこと笑みを湛えながら、 「リーダーのガルモートとともに来たエオリス正教のカウリー=ルーヴァンリークと申します」  そう自己紹介している向こうで、戦士風の男が「きれいなべっぴんさんが増えてうれしいなー」と声をあげた。軽そうな男だ、と、ヴァイオラは思った。グレーヴス=クローニンという名はあとで知った。 「俺はバグレス=クリフォード。あなたは?」  魔術師風の男が立ち上がって自己紹介した。ヴァイオラは簡単に「私はヴァイオラ、こちらはラクリマです」と返した。4人目の男は何も声を発しなかった。それがコヌア=ウエスザという名のシーフだと、これもあとで知ることになった。  なるほど、村長の言ったとおり、とにかくあの僧侶が曲者のようだ。「女神」亭の酒場を出て、ヴァイオラは思い返した。目が一瞬も笑ってない。面倒そうな相手だった。  夕食は、全員「森の木こり」亭で取った。ヴァイオラは本当は「森の女神」亭で取るのが慣わしなのだが、エステラたちが今回は「森の木こり」亭に宿を取ったので、初日はお相伴しようと、今晩は「木こり」亭で食事することにしたのだった。  「木こり」亭にはエリオットたちも来ていた。 「エリオットさん、先ほどのお約束通り、あなたの冒険話を聞かせていただけませんか。私がいない間に、どんな勇敢な冒険をなさったのか」  夕食が終わったころ、Gはにこやかにそう言って、エリオットの席に近づいた。  タイミングよく、エリオットの隣に座っていたダルヴァッシュが席を離れたので、エリオットはその椅子を引き、Gを礼儀作法に則ってエスコートした。彼の手がGの手に触れ、肩に触れたが、Gは何も言わなかった。彼女の白い長い髪がふわりと靡いて、エリオットの目を捕らえた。  アナスターシャとダルヴァッシュが一声かけて先に部屋に戻ったところで、エリオットは得意満面で話しだした。 「私の英雄談が聞きたいとは、なかなかよくできたお嬢さんではないか。そなたも、街に行って少しは成長したようですな。そなたのような麗しき女性が、そのような謙虚さと思慮深さを身につければそれは立派な婦人になれますよ。何なら、我がガラナークの未来ある青年を紹介してもいいくらいだ」  エリオットは長々と前置きしてから、Gに聞かれるまま、エイトナイトカーニバルの迷宮での冒険について語ってきかせた。  彼の話によれば、エイトナイトカーニバルの迷宮付近ではハイブには全く出会わなかったという。「私たちに恐れをなして出てこないのではないかな」と、エリオットは冗談を飛ばした(言っている本人は本気かもしれなかった)。  エイトナイトカーニバルでは、最初のフロアで8つの試練を受け、そこで手に入れたアイテムを組み合わせて最後の試練に臨む。試練クリアでマジックアイテムを手に入れるが、リトライは不可能らしかった。というのも、次に入ろうとしても入り口が見つからないからだ。また、最後の試練は数パターンあるらしく(ただしそれも定かではない)、エリオットたちも完全達成はできていないようだった。  もっと詳しい話を聞き出そうとしたが、ギルティがエリオットを止めたので、話はそこで途切れた。だがともあれ、彼らが完全に迷宮をクリアできたわけではないことを確信したGは、頃合いと見て、 「あ、ごめんなさい……そんなことまで聞きたがるのは不作法でしたね…」 と、わざとしゅんとした様子になって話を打ち切った。 「エリオットさん、とても素晴らしいお話をうかがえて嬉しかったです……では、失礼いたしました」  「もっと聞いていたかったな」という風情も露わに、Gは深々と頭をさげて元のテーブルに戻った。ちょうど、ギルティに話を止められたので仕方なく席を立った、というようなかたちになった。  ギルティはエリオットから非難の声が飛んできそうなのを察して、アルバンにあとを頼むと「では、ギルドに行って来ます」と足早に出ていってしまった。  夕食を終えて「森の木こり」亭を出たちょうどそのとき、ベルモートが走ってきて「父が亡くなりました!」と小さく叫んだ。 「早く来てください」  ヴァイオラにそう告げて、彼は別な方角へ走っていった。他の人びとに知らせにいったのだろう。ヴァイオラは仲間と別れて一人、村長宅へ向かった。悲しみに暮れている暇はない。残された課題は多かった。  村長宅では、キャスリーンが村長の遺体に死化粧を施している最中だった。「聞いたかい。あんたが一番早かったね。ブリジッタもそろそろ来るだろう。一度家族のところに帰したからね。ガルモートは手配に行ってるよ。」  キャスリーンの言葉通り、それから徐々に人が集まり始めた。ブリジッタは、戻ってきたときは一人でなく、夫と子どもを同伴していた。  村の重鎮が集まったところで、葬儀の段取りが決められた。葬儀は明日。式の執行は、バーナードのパーティのスコルが司ることになった。これに関しては、ガルモートが自分のパーティのカウリーを強硬に推そうとしたのだが、キャスリーンの鶴の一声で回避された。なお、喪主は立てず、「村葬」として行われることも遺言で決められていた。 (死後のことまでこんなに心配しなければならないなんて…)  ヴァイオラは村長に同情した。せめて死ぬときは安らかであったように、と、今さらながらに祈った。  ヘルモークもその場に来ていた。ヴァイオラは彼に近づき、「あとでお話しできますか」と小声で尋ねた。 「ああ……ゆっくり話す間もなくこんなことになっちまったな…」  ヘルモークはいつもと違って、しんみりした調子で答えた。  葬儀についてあらかた決まったところで、ヴァイオラはヘルモークとともにみんなのいる離れに帰ってきた。 「ヘルモークさん!」 「よう、久しぶり」  ヘルモークは一同の顔を見回したあと、「また新顔か?」と、カインを指した。 「彼はカインさんです」  アルトがカインを紹介するのに、ヘルモークは「俺はヘルモークだ。よろしくな」といつものように簡単に挨拶を済ませた。 「言っとくけど、こいつ、レスタトにそっくりだから」  Gに言われてカインはまたかと思った。いくらそっくりだからって俺は死人じゃないのに。 「へえ……お前ら、よく平気だな?」  ヘルモークの言葉を、ヴァイオラは「ええまあ」と軽く受け流した。本当は平気じゃないんだけど。 「ヘルモーク、留守中はどうだったんだ」 「そういえばみんな、ヴィセロ事件の話は聞いた?」 「ああ、俺たちはスマックから聞いたけど」 「なんですか、ヴィセロ事件って?」  ラクリマだけ話を知らないようだったので、アルトがもう一度その事件の概要を浚った。聞き終わったラクリマの顔面は蒼白だった。 「それじゃアンデッド事件も聞きました?」 「なにそれ」  アンデッド事件についてはヴァイオラも初耳だった。再びアルトは事件の概要を語った。 「ふ…ん。妙な話だね」  ヴァイオラは聞き終わってそう言った。それからヘルモークの方を向いて、「村人たちの評価を聞きたいんですが」と、頼んだ。ヘルモークはああと言って語りだした。 「バーナードたちはよく働いてくれた。村人の、彼らに対する評価はかなり高い。そうそう、収入面で村に貢献してるのは、エリオットたちだ」  それを聞いて、みな失笑した。確かに、あの金離れのよさは村を潤しそうだった。 「ガルモートたちはまだ来て3、4日だ。ちょうどヴィセロ事件やアンデッド事件に当たって活躍しちまってなぁ」  ヘルモークはちょっと顔をしかめた。 「あいつらのパーティはみんな生まれが悪そうだ。いや、生まれが悪きゃ悪いってもんでもないんだが、なんていうのかなぁ……あの中では俺は僧侶のカウリーとかいう奴が一番キライだね」  ヘルモークがだれかを「キライ」などとはっきり言うのを聞いたのは、皆、初めてだった。少し驚いて耳を澄ませていると、彼は続けて喋った。 「あそこのシーフも裏町の貧民街あがりだが……悪いことをやってきてる感じがするな。しかもその匂いをわざと消してないところがあって、それがまた鼻につくんだよなぁ」  ヘルモークがガルモートたちをいずれも好ましく思っていないのは明白だった。彼は最後に「ガルモートはなぁ……まずい奴がまずいときに戻ってきたよ」と溜息をついた。 「それにしても珍しいですね」と、ヴァイオラが少し話の矛先を変えるように言った。「アドバイザーを引き受けるなんて。あんなに面倒なことは嫌がってたのに。」 「しょうがないだろ」  ヘルモークはもう一つ溜息をついた。 「この村には獣人が必要だし、獣人にとってもこの村は必要なんだ。俺がここで手を引いたら、パイプが切れちゃうからな」 「獣人にとってもセロ村が必要…?」  ヘルモークは一同を見回した。 「…話しておくか。実は獣人の側にも今、問題が起きている」  彼は思わぬことを喋りだした。 「問題は2つある。一つ目はセロ村を離れてしまったことだ。もう一つは、今いる村の近くにハイブコアが移動してきたらしくて、獣人にも被害が出始めちまった」 「虎族がハイブに…!?」  驚きをよそに、ヘルモークは話し続けた。 「ハイブコアは、コアの場所があんたたちにわかっちまってハイブの側で危険を感じたんだろうな。それで移動したらしい。こういっちゃなんだが……あいつらは賢いよ。種族として『巣を移動させる』ってのは、かなり大きなリスクを伴うものなんだ。それをおしても移動する方を選んだんだからな。あいつらは賢い」  一同は静まり返った。 「新しいハイブコアの場所はわからないんですか」  ヴァイオラが尋ねると、ヘルモークは首を横に振った。 「わからん」 「どうしてセロ村に戻ってこないんだ?」  ヘルモークはセリフィアに答えて言った。 「俺の口からは喋れないが、村を離れたについちゃダーガイムという族長の私見が大きい。離れることに関して、他の獣人たちはむしろ同情的だった。だがまぁ、ダーガイムも引っ込みがつかなくなっちまってるから」 「私見というのは?」 「そりゃあ、ダーガイム本人に聞いてくれ」  俺の口からは言えないよ、と、ヘルモークは繰り返した。 「どうすれば村に戻れるんだ?」 「戻るには2つ条件がある。まず今言ったダーガイム、族長の問題をクリアしないと村には戻れない」 「もう一つは?」  ヘルモークはGの顔をじっと見つめたようだった。 「もう一つは、獣人族全体に関わる問題だ」 「獣人族全体…?」  ヘルモークはGの顔から目を離さないまま、「ヒミツは話した時点でヒミツじゃなくなるんだよな」と意味ありげなことを言った。Gは「ああ、もうヒミツじゃないんじゃないか」と答えた。 「…君たちがもし、獣人族を村に戻すことができたら、時の人になれるだろうな。村長の指名権も君たちのものだ」  ヘルモークはそれだけ言って口をつぐんだ。それっきり、待てども口を開かないので、ヴァイオラは別な話題をみんなに投げかけた。 「実はこれから私たちはスルフト村へ行かなければならないんだ」 「どうして?」 「今日、村長に届けた手紙に、猟師を移植させるから、スルフト村まで迎えに来て欲しいと書かれていたんだ。その役目を村長に頼まれたので、みんなには悪いけど引き受けさせてもらった」 「今、セロ村を空けて、大丈夫なんですか?」  ラクリマが尋ねた。Gもあとを継いで聞き返した。 「他のパーティに頼めないのか?」 「バーナードのパーティにはブリジッタがいる。ブリジッタは村長候補だから、私よりも村を空けられないんだ。ヘルモークさんも言ってたけど、ガルモートのパーティは信用できないし……エリオットのパーティに頼めると思う?」  みな、顔を見合わせ、首を横に振った。 「だからもう一度フィルシムに戻って、スルフト村へ行くことになる。いいね?」  一同は素直に肯いた。 「俺はごめんだ」  カインの言葉に皆、一斉に振り向いた。 「あんたたちは事情を知ってるからそうやって鵜呑みにするが、俺は何もわからない。説明も相談もなく勝手にそんなことを決められてたまるかっ!!」 「カ、カインさん…」  アルトがおろおろと抑えようとするのを振りきって立ち上がると、カインは得物を手に、床をガンガン叩いた。 「わからない、わからない、わからない!! もうたくさんだ!! 俺には何がなんだかさっぱりだ!!」  カインは覆面を引き剥がして喚いた。レスタトに瓜二つの顔がまるごと顕わになった。ヘルモークはその顔を見返して「へえ」と呟いた。ラクリマは思わず顔をそむけていた。 「説明してくれよ、説明を!! 最初からわかるように説明してくれよ!!」  カインはさらに拳をブンブン振り回しながら喚いた。まるで子どもがだだをこねているようだ。 「まあまあ落ち着いて、ボーヤ。ちゃんと説明してあげるから」  ヴァイオラは思わず笑みがこぼれるのを止められなかった。  ああ、カインだ。ここにいるのはカインだ。  だから私は彼をボーヤと呼んだ。  いつの間にかヴァイオラの中で明確に「レスタトとは別人だ」という線引きがなされていた。ようやくカインのことを個人として、仲間として認められたと、ヴァイオラは自分の中に確信を得ていた。そのカインの怒鳴り声が聞こえた。 「説明してくれるんだな!?」 「最初から説明するよ。まあお座り」  ヴァイオラはそう言って語りだした。レスタトの神託から話は始まった。彼らの長くて短い道のりを、この2月の静かな夜に、カインはようやく知ることができたのだった。