[shortland VIII-04] ■SL8・第4話「心の傷」■ 〜目次〜 1■振り返る彼女 2■バカ殿ご登場 3■バーナードの帰還 4■爪痕 5■心の傷 6■フィルシムの夜 7■残酷な現実 8■パシエンスのサラ 9■持つべきものは友 10■冬来たりなば <主な登場人物> 【PC】 ヴァイオラ‥‥僧侶・女・20才。容姿E性格Eセンス△マナー△頭Eで堂々3E。 ラクリマ‥‥僧侶・女・17才。容姿△性格△センス△マナーE頭△でただの1E。 G‥‥戦士・女・17才。容姿E性格△センス△マナー×頭△…鷹族が1Eはまずい? セリフィア‥‥戦士・男・17才。容姿E性格×センス△マナー×頭△で1E。Gとお揃い。 アルト‥‥魔法使い・男・15才。容姿△性格Eセンス△マナーE頭E。意外なところで3E。 カイン‥‥戦士・男・15才。新顔。容姿E性格△センスEマナーE頭Eの4Eだが問題は…。 【NPC】 レスター(レスタト)‥‥僧侶・男・享年15才。故人だが未だに名前だけ登場するPCのくびき。 ゴードン‥‥レスタトの幼なじみ。謎の出奔を遂げ、現在所在不明。 ロッツ‥‥ストリートキッドあがりのシーフ。パーティに参入後、日がな駆け回っている。 アズベクト‥‥セロ村村長。高齢ながらハイブ禍に、後継者に、村の存続にと、頭を痛める日々。 バーナード‥‥セロ村滞在中のパーティリーダー。妻は村長の次女。義父とは超☆不仲。 ジャロス‥‥バーナードのパーティのセカンドファイター。ヴァイオラの飲み友だち5号。 ガットとヘイズ‥‥セロ村在住の木こりのおやじたち。ヴァイオラの飲み友だち3号・4号。 ヘルモーク‥‥セロ村在住の獣人。ヴァイオラの飲み友だち2号。年齢不詳(見た目40歳代)。 キャスリーン婆さん‥‥セロ村在住の老婆。村人の信頼厚い薬剤師。 ジェイ‥‥セロ村の元猟師。父親のハイブ化に触発されフィルシムへ。セリフィアと確執がある。 ヴィセロ‥‥冒険者を敵視するオンナ。曰く「呪われたセロ村」で布教活動中。 ツェーレン‥‥セロ村と取引がある隊商の護衛隊長。ヴァイオラの飲み友だち1号。 ロウニリス‥‥フィルシム神殿の実質トップ。大司祭代理の苦労人。 1■振り返る彼女  一番長い日が終わり、明けて1月24日になった。  朝の5時前から、ラクリマはお祈りをあげに神殿へ向かった。神殿に入ると、昨日の朝と同じようにヴィセロがいて、昨日と同じようにそそくさと出ていこうとした。彼女のまなざしがあまりにはっきりと敵意を湛えていたので、ラクリマは思わず尋ねた。 「あの…私、あなたに何かしましたか…?」  ヴィセロの答は、思っても見なかったものだった。 「あなたがいけないのではありません。冒険者がいけないのです」  そう言い捨てて、彼女は神殿から出ていってしまった。ラクリマは茫然と立ちつくした。彼女が何を言いたいのか、少しもわからなかった。  だが気を取り直して祭壇へ向かい、跪いて祈りをあげ始めた。昨日同様、レスターの魂の安息と---「消滅」した魂の安息を祈るのも妙だったが他に何もできなかったので---セロ村の平安とを祈念した。それから、やっと自らの懺悔に入った。  6時になる少し前、宿ではGが起き出していた。ごそごそと離れの部屋を抜け出し、「森の女神」亭の屋根に登った。昨日と同じように、あるメロディを歌い出した。歌うといっても、彼女のそれは「歌」ではなかった。笛で奏でられる旋律を真似ようとして苦労していた。  なぜそんなことをしているかといえば、彼女の「お母さん」が友だちのロック鳥らを呼ぶときに、笛でこのメロディを吹いていたことを思い出したからだ。彼らを呼ぶことができれば、フィルシムへもあっという間に運んでもらえるはずだから。少しでも仲間の役に立ちたいから。笛の真似だなんて、無理だと笑われるかもしれない。それでもいい、自分にできることは今、これだけだから。  しばらく歌ったあとで、Gはぺたりと屋根に座り込んだ。何も現れる気配はなかった。今日もだめみたいだ。また明日、がんばろう。  朝食にはほど早い時刻に、ヴァイオラは起床した。隣の二人がもういないことは、夢うつつに物音を聞いて知っていた。二人とも勤勉なことだ。  カーテンを挟んで向こう側の男性陣は、だれ一人起きる様子がなく、皆、安眠を貪っているようだった。そうだね。休めるときに休んでおいで。ヴァイオラは無言で部屋を出た。  真新しい石の塚が、身の丈より長い影を河原の上に落としていた。それは昨日、彼女が作ったレスターの塚だった。彼女は心の中でこれを「坊ちゃん塚」と呼んだ。ヴァイオラは「坊ちゃん塚」に近寄り、今日も一つ石を積んだ。つかの間、厳しい目をそこに据えていたが、踵を返して宿へ戻る道を歩き出した。村はもう起きていた。 「あの……ちょっとだけ森に入っちゃいけないでしょうか。そんな奥に行くわけじゃなくて…薬草を採りに行きたいんですけど」  朝食のときにラクリマがそう言ったので、セリフィアは険しい目を向けた。奥だろうが手前だろうが森は危険だ。 「行くなら護衛についていく」  一緒に行くのを断られたら、危険だから森へは行くなと反対するつもりだった。  ラクリマは断らなかった。ただ、申し訳なさそうにセリフィアに言った。 「…一日かかっちゃいますけど、いいですか?」  セリフィアは頷いた。 「それはいいが、あくまでも安全第一だから」 「雨が降り出したみたいですよ」と、給仕に来たマルガリータが口を挟んだ。セリフィアはラクリマに「どうする?」という目を向けた。 「…雨があがったら出かけます」  ラクリマはそう言って口をつぐんだ。  午前中はずっと雨だった。ヴァイオラはセロ村村長アズベクト=ローンウェルに会いに、村長宅へ出向いた。今日は一人で行った。  村長は、一ヶ月前からは考えられないような鄭重さでヴァイオラを迎え入れた。  ヴァイオラは、まず、今後のパーティの基本方針を述べた。ほぼ全員が活動を継続することを報告すると、村長の顔にほっとしたような表情が浮かんだ。彼女はまた、力量のある冒険者たちが現れたら、村の防衛を一時的に彼らに任せて、自分たちは一度フィルシムへ行きたい旨を伝えた。そのうえで村のスケジュールをどうするか尋ねた。猟師たちはともかく、木こりたちに全く森へ入るなというのは、木こりたちにとってもセロ村としても無理だと思ったからだ。今後どういう予定で護衛につけばいいのか、また、猟師は他所から補充するのか、などを確認した。 「猟師を送って欲しいと、スルフト村への手紙はしたためておいた」  村長は書簡を取り出した。宛先はスルフト村村長、コルツネート=カークランドとなっている。 「そなたたちはいずれフィルシムへ行くのであろう。その折りにこの手紙をフィルシムまで持っていってほしい」  フィルシムから先はどうするのかを尋ねると、村長は答えた。 「フィルシムとスルフトの間はほぼ毎日隊商が往き来している。フィルシムの隊商ギルドへ持っていってくれれば、あとはどうにでもなるはずだ」  同じ北方の村でもずいぶんと差があるらしい。この村には月に2度しか隊商が来ないというのに。 「それと、護衛のローテーションのことだが」  村長はヴァイオラが書簡をしまい込むのを見ながら続けた。 「再考しよう。明日は無理なので、おそらく明後日からまた護衛をしてもらうことになるだろう」 「わかりました」 「………信頼できる冒険者たちが村に来たら、すぐに出かけるつもりか?」  ヴァイオラはすかさず、 「バーナードたちが戻ったらすぐに出かけます」 と、答えた。  バーナードたちというのは、先だってこの村にやってきたパーティで、リーダーのバーナード=ロジャスの妻は村長の下の娘、ブリジッタだった。駆け落ち同然で村を出ていったため、村長は今でもバーナードをよく思っていない。だが、ヴァイオラの見るところ、彼らが一番安心して村を任せられそうだった。  村長がどういう反応を返すか見守っていると、彼は遠い目をして「そなたたちも忙しいであろう。ご苦労であった」と会見をうち切った。バーナードのことは考えたくないらしかった。  去り際、ヴァイオラは懸念を表明した。村長も高齢なら、村の重鎮であるキャスリーンもかなりの高齢である。二人に万が一のことがあったら、その後はどうするのか、と。 「本来、わしやキャスリーンがこんな年齢になる前に、後継者を決めねばならなかったのだが……」  村長は渋い顔でそれだけ言った。あとは続かなかった。ヴァイオラは彼の前を辞した。  午後になって雨があがったので、ラクリマとセリフィアは森へ出かけていった。  ヴァイオラは久しぶりに刺繍をすることにした。精神集中するのにちょうどいいからだ。  すぐ隣で何やらがさがさしていたアルトが、縫い針を貸して欲しいというので貸してやった。アルトは縫い針に糸を通したあと、パチンと指を鳴らした。途端に縫い針はひとりでに動いて、穴をかがりツギをあて、彼のローブを繕った。小魔術(キャントリップ)を使ったらしい。  アルトはローブの修繕が終わると、読書に耽った。部屋には彼とヴァイオラしかおらず、静かな午後だった。  Gは、トムの店に出かけていた。羊皮紙を5枚買い求め、トムJr.に「ペンとインクを貸してくれませんか? あとでちゃんと返しますから」と頼み込んだ。本当は仲間のだれかに借りればいいのだろうが、Gはそうしたくなかった。「何を書くのか」と訊かれれば答えてしまうし、どんなところから自分のせいで仲間に迷惑をかけてしまうか、想像がつかなかった。杞憂と笑われようとも、今は慎重に、不確実なことは一切口外しないに限る、そう心に決めたのだった。  トムJr.に借りた筆記具を持ったまま、Gはヘルモークの家へ訪ねていった。だがヘルモークはまだ帰っていないようだった。午前中いっぱい待ってみたが、やはりだめだった。Gは先ほどの羊皮紙を1枚取り出すと、こう書き付けて扉に挟んだ。 『ヘルモークさんへ  私の事で知ってる事 全部教えてください。  帰ってきたら 来てください。                    G』  一つ振り返ったあとで、彼女は宿へ帰っていった。  夕食は相変わらず、ヴァイオラ以外は「森の木こり」亭へ食べに行き、ヴァイオラは「森の女神」亭で過ごした。  「女神」亭の戸が開いて、ヘルモークが姿を現した。彼はカウンターに座っていたヴァイオラのところまでやってくると、「あんただけかぁ」と言った。  ヴァイオラは厳しい目で彼を見返した。ヘルモークはさして気圧された風もなく、「そんな怖い顔するなよ」と、隣に座った。 「何かあったのかい?」 「いろいろと。ありすぎました」 「そっか。まぁ、また無事に会えて嬉しいよ」 「私たちもあなたを待っていました」 「そうかぁ、そんなに俺に会いたかったかぁ」 「『私たち』って言いましたよね」 「ちぇ」  そんなやりとりのあとで、ヘルモークは「Gちゃんはいないのかい?」と尋ねてきた。 「ジーさんは『木こり』亭でご飯を食べてますよ。何かあったんですか?」  今度はヴァイオラが尋ねる番だった。 「いやぁ、Gちゃんから手紙をもらってさ」 「手紙? どんな?」  ヘルモークは昼間Gが彼の家の扉に差し込んだ紙をひらひらさせた。ヴァイオラは文面を読んで、Gが本気で自分自身と向き合う覚悟なのだと知った。ヴァイオラはヘルモークに酒を注ぎながら言った。 「もう少ししたらみんな部屋に戻ると思います。私もいろいろ話を聞かせてほしいですね」 「じゃあ、先にメシを済ませるか」  ヘルモークはマルガリータに食事を注文すると、嬉しそうに一杯飲み干した。  後方のテーブルでは常連のガットとヘイズが、あけっぴろげに話をしていた。猟師ギルドの話題が、カウンターにまで聞こえてきた。 「猟師ギルドの長が決まったぞ」「だれだ?」「ベアード=ギルシェだ」「おやっさんが!? あのひとは公職にはつかない主義じゃなかったか?」「この状態じゃあ、受けざるを得ないだろう。それにたぶん、ツナギ役だろうしな」「それもそうだな。ダグよりも年上だもんなぁ。…下の息子はハイブになっちゃうし、あのひとも大変だよ」 「…ベアード=ギルシェ」  ヴァイオラはその名前を口にしてみた。初めて聞く名前だった。 「ああ、ブレンダの親父さんかぁ」  さりげなく、それを聞きつけたヘルモークが合いの手を入れた。 「ブレンダ?」 「知らないか。神官のスピットの奥さんだよ」  ダグより年上だと言っていたが、本当に若手の人材に乏しい村だこと……。ヴァイオラは胸の中でそっと溜息をついた。  ヘルモークとヴァイオラが酒瓶を手にしたまま離れへ行くと、ちょうど皆そろっていた。二人が入るなり、部屋に酒気が漂い、アルコールの匂いのだめなセリフィアは開け放った窓際に避難した。 「よう、来たぜ」  ヘルモークは軽くGに手を振った。それから、「新顔が増えてるな」と言った。そういえばアルトとロッツは初顔合わせになるのだった。 「こちら、虎族のヘルモークさん」  ヴァイオラはアルトとロッツにヘルモークを紹介した。 「あ、あの、はじめまして、アルテッツァ=シリル=ノイマン=ステップワゴンと申します。よろしくお願いします」 「アル…?」  他の例に漏れず、ヘルモークもアルトのフルネームを繰り返せなかった。 「アルトで結構です」 「ふぅん……」  ヘルモークはアルトを頭の天辺から足のつま先まで、じろじろと睨め回した。そのあとで「俺はヘルモークだ。よろしくな」と手を差し出した。 「手前生国発します……」  ロッツが仁義を切り始めた。この間は往来で少し遠慮していたのか、今日の仁義はやたらと長かった。ヘルモークは特に何もさしはさまず、じっと聞いていたが、長かったそれが終わると一言、「ヘルモークだ」と言って終わらせた。 「私のこと、教えてください」  Gは真っ直ぐヘルモークに言った。 「皆の前で言っていいのか?」 「やばかったらそこだけあとでこっそり教えてくれればいいじゃないですか」  ヘルモークはGに目を据え、ほんの少し黙りこんだ。 「しゃべってください〜」 「本当に聞きたい?」  からかっているのか、真面目にその決意を確かめようとしているのかわからない口調で、ヘルモークはGに訊いた。 「聞きたいから手紙を書いたんじゃないですか〜」 「…そうか。わかった」  ヘルモークはGの顔から目を離さずに語り出した。 「君は鷹族だ」  予想通りの言葉が飛び出した。Gは食い入るようにヘルモークを見、次の言葉を待った。 「鷹族は、獣人のなかでも特殊だ。大昔にあった獣人と人間との戦いからあと、彼らは自分たちの領域に引っ込んで、人間のやることには全く干渉してこなくなった。彼らがそうすることを決めたのには理由がある。鷹族には特殊な能力があった。それで、こっち側には一切関わらないと決めたんだ」 「その特殊能力とは、御神託にあった『真実を見極める眼』のことですか?」  ヴァイオラが尋ねた。 「そうだ。それは『神の目』と呼ばれている。もっとも」と、ヘルモークは言った。「獣人族にはそれぞれに『能力』が授けられてんだけどね。ちなみに虎族は戦士としての能力を持ってるよ」 「『神の目』…」  ヘルモークはGに向き直った。 「ということで、君はとっても珍しいんだ。俺だって鷹族なんか見たのは初めてだ。だから素性は隠しておいた方がいいよ」 「…それだけ!?」  そのくらい知ってるよ、と、言いたげにGは聞き返した。 「他に何が聞きたいんだい」 「何って…何でも」 「変身はできるのか?」  珍しく横からセリフィアが割って入った。 「できるはずだけどね。したくないんだろうなぁ、嬢ちゃんの場合」 「それは、ジーさんが記憶を無くしていることと関係があるんですね」 「そうさなぁ」  ヘルモークはヴァイオラに答えた。それからもう一度Gを見た。 「自分を見つめ直したければ、『記憶』を取り戻すことだな。それが一番早い。だいたい、自分で羽根をむしるなんて、なんて愚かな…」 「だって」と、Gは反論した。「自分の体にフジツボがついてたら取りませんか!? 取るでしょう!?」  フジツボと翼を一緒にされて、一同は呆れ返って声も出なかった。セリフィアが気を取り直して、また尋ねた。 「鷹族って、他の人たちはどこにいるんだ?」  ヘルモークは無言で天を指さした。それから小声で「声の代わりに記憶を失ったか……」と呟いた。 「ま、とにかく『記憶』を取り戻すんだな」  Gは不満そうな目をヘルモークに向けたが、彼は全く動じなかった。 「話は変わるが、知り合いに10フィートソードを持っているひとはいないだろうか?」  セリフィアはGの話題が切れたものと見て、ヘルモークに質問した。彼はどこかで10フィートソードの修行をしたいと考えていた。 「さあなぁ…その武器は見たことがあるが…ひとは知らないなぁ」 「そうか……」  やはりショーテスかスカルシ村まで行かなければいけないのだろうか……セリフィアはそう思って少し気落ちした。 「ところでお願いがあるんですが」と、今度はヴァイオラが別の話を切りだした。 「近々フィルシムに行こうと思っているんです。そのときに、この間のように虎に乗せてもらえないでしょうか?」  ヘルモークは渋い顔をした。 「事情が変わったので難しいなぁ」  ヴァイオラはなおも食い下がった。 「先日、ハイブと戦ったときに坊ちゃんがロストしました。私たちの力が弱かったからです。だから、二度と同じことを繰り返さないために強くなりたい。強くなるためにフィルシムへ行きたい。ですがそれには時間がかかります。村長には常駐を頼まれているので、代理を頼むにしてもできるだけ村は明けたくない」 「へー、村長がねぇ。」ヘルモークは感心したように言った。「村長もずいぶん丸くなったもんだ。トシかな。」 「何とかなりませんか」  ヴァイオラに言われてヘルモークは考え込んだ。 「村の周りを警戒させることはできるが、村から離れさせるわけには行かないなぁ」 「では1日分の距離なら?」  虎にとっては1日分でも、人間の自分たちが歩けば2日分の距離だ。1日の行程が縮まるだけでもありがたい。  ヘルモークは、それなら、と請け負った。 「1日分でよけりゃあ話をつけてやるよ」 「ありがとう」 「あとは? 話がなけりゃヴァーさんを借りてくよ?」  ヘルモークは部屋から出ていこうとした。 「あの…」と、先ほどから黙って聞いていたラクリマが後ろから声をかけた。「『声の代わりに記憶を』って、どういう意味ですか?」  ヘルモークは振り返った。 「なんだ、聞こえちまったか。なら仕方ない。あんたも知ってるだろ、有名なお話のことさ。人間になって声を失った獣人の」  その話は皆知っていた。ラクリマも、小さかったころに院長に読んでもらったことを思い出した。確か『人魚姫』というお話だった。だがそれとGがどうつながるのか、よくわからなかった。 「ま、せいぜい泡にならないように気をつけてあげるんだな」  不穏な台詞を残して、ヘルモークはヴァイオラと一緒に部屋を出ていった。 「ヘルモークさん」  部屋を出たところでヴァイオラは声を低めて彼に話しかけた。 「『巻物』のことをご存じですか? 実は私が引き継ぎました」 「ああ、ダーガイムの分か。あいつも頑なだからなぁ」  ヘルモークは感慨なく口にした。『巻物』とは、セロ村に伝わる重要アイテムらしく、昨日の会見でヴァイオラが村長から託されたのだった。二巻あって、もう一つはこの村で薬剤師をしているキャスリーン婆さんが預かっている。本来、ヴァイオラの持っている巻物は、この村に住んでいた虎族の長が持つべきものだったが、獣人たちは1年前にここを去ってしまった。ヘルモークが口にした「ダーガイム」とは、虎族の長の名前だった。 「私に何かあったときには、あとをお願いします」 「ええ〜っ。イヤだよ」  ヘルモークは言下に拒んだ。 「そんなこと言わないでください。もう他にお願いできるひとがいないんですから」 「捨てちゃったら?」  それは一つの手だな、と、ヴァイオラは思った。だが非現実的な案だ。 「丸めて捨てちゃえ」  ヘルモークは無責任な発言を繰り返しながら、「女神」亭に入っていった。「しかしまぁ、あんたもよくそう次から次へとお荷物を背負い込むね」と言われて、ヴァイオラは苦笑した。そうやって厄介ごとを避けるようにしながら、村との関わりは断とうとしないヘルモークも、同じように貧乏籤を引いているように見えた。 2■バカ殿ご登場  二人が酒瓶をマルガリータに返していると、バンと扉の開く音がした。続いてドヤドヤと人が入ってきた。どれも初めて見る顔だった。 「ちゃんと道案内しないからこんな時間になっただろうが」  不機嫌そうな男の声がした。高慢な声だった。それ以上に、身に帯びているプレートメイルが目立った。麗しくもきらびやかな鎧で、戦闘には実に不向きそうだった。その男の横で、シーフらしき男がもみ手で謝っていた。 「何もないところだな。」男は舌打ちした。それからヘレンとマルガリータを見て、「女二人揃えてるから、まぁいいか」と呟いた。 「ご主人、宿を所望したい」  謙遜の欠片もない態度で、男は言い放った。(バカ殿だな)とヴァイオラは思った。男たちの一行は全部で5人のようだ。 「3階に二間続きの部屋がございますが」  この宿の主人、ガギーソンは落ち着いた様子で対応した。男が「よし」と頷くと、横のシーフがすかさず重そうな袋を取り出し、即金で宿代を支払った。その潤沢ぶりをみてヴァイオラは、ますますバカ殿だと断じた。 「お食事はどうなさいますか」とガギーソンが尋ねると、シーフが男に耳打ちした。 「食事は向かいの『木こり』亭の方が美味いとあります」 「そうか。」男はガギーソンに、「食事は結構だ」と言った。「部屋へ案内しろ。」 「ヘレン」  ガギーソンの呼びかけに、ヘレンが一行を案内しようと側に寄った。 「ずいぶんこの村に詳しそうですね、ここの料理がまずいって知ってるなんて。初めてじゃないんでしょうか」  ヴァイオラはそっとヘルモークに話しかけた。ヘルモークは気のない答を返した。 「知らないぞ、あんな奴らは。詳しいっていっても、シーフギルドだったらそういうガイド情報も持ってるだろ」  この新顔パーティ5人のうち二人は僧侶のようだった。一人は女性で普通の聖章を提げている。もう一人は男性で、1ランク上の、銀の聖章を提げていた。二人ともおそらくガラナークの神官であろうことが見て取れた。 「これは美しいお嬢さんがいるじゃないか」  バカ殿がヴァイオラに気付いて歩みを進めてきた。ツカツカと寄って、 「もしよろしければ食事のあとでお酒でも」 と、誘いをかけてきた。 「生憎、連れとこれから飲みますので」  ヴァイオラは素っ気なく断ったが、相手は話を自分に都合良く解釈する達人だった。彼は仲間たちを振り返り、「俺は彼女と飲むから、お前たちは先に食事に行ってこい」と命令した。  ヴァイオラはそれを無視して、銀の聖章を持つ神官に話しかけた。 「恐れ入ります。ガラナークの神官の方とお見受けしますが」 「ダルヴァッシュ、お前に用らしい」  バカ殿はその神官に声をかけた。まるで自分を通さなければ、挨拶すらかわせないようだ。それからまた、他人を無視したやりかたで名乗りだした。 「まだ名乗っておりませんでしたな。私、ガラナークはディフェンシブ・グリーンのラニーニ=ド・ラミーニの嫡子、エリオット=ラミーニと申します」  ラニーニだろうがパニーニだろうが知ったことではなかった。ヴァイオラは、エリオットから差し出された手に、隣で様子を見ているヘルモークの手を握らせてやった。ヘルモークは、「ヘルモークだ、よろしくな」と、調子よく挨拶を済ませた。エリオットは「汚らわしい」とでも言いたげにヘルモークの手を払った。エリオットのそうした振る舞いは一切無視して、ヴァイオラはダルヴァッシュと呼ばれた神官に、自分も神官としての礼をとった。  ダルヴァッシュは(気が強くて面白い女性だ)と、好意を持ってヴァイオラに礼を返した。 「ダルヴァッシュ、許可する。話して良いぞ」  バカ殿がまたくだらない合いの手を入れてきた。こんなリーダーで全くご苦労なことだ。ダルヴァッシュはそんなことには慣れっこの様子で、やっと自己紹介した。見積り通りガラナークの神官だった。 「少しお話するお時間をいただけますか?」  ヴァイオラの問いに、ダルヴァッシュはちらりとエリオットを見やった。バカ殿は実に高慢に「構わん」と言い放った。ヴァイオラは「こちらへ」とダルヴァッシュをテーブルの一つに誘った。バカ殿のおまけが付いてきたが無視した。この際、富の平等な配分を少しなりと実行することにして、ヴァイオラはガギーソンに「いつものやつを」と、酒を注文した。  「いつものやつ」と聞いて、ガギーソンは店で一番高い酒を出してきた。ヴァイオラが来てからというもの、この高価な酒の消費量が激しい(ヴァイオラは自分で支払ったことがないが)。もう少し仕入れを増やさなければ…と、思いながらテーブルに持っていくと、エリオットはラベルを見て「これがこの店で一番高い酒なのか?」と不服そうにのたまった。それから、「まぁいいだろう」と言い、服の隠しに手を突っ込んで「これしかないな」と小さな宝石を取り出した。 「釣りはいらん」  100gp相当の宝石を手渡されて、ガギーソンが閉口するのがヴァイオラにも判った。たかだか2gpするかどうかの酒に100gp出して「釣りはいらない」とは、「深窓の令嬢」なら言い訳も立とうが、よほど無分別な男らしい。相手が困るとは考えてもいない。  何か言おうとするだけでエリオットが不機嫌になるので、ガギーソンはこの場で釣りを返すことをあきらめたようだった。あとでこのパーティのシーフと話をつけるのだろう。 「お話とは?」  やりとりが一段落したところで、ダルヴァッシュが丁寧に訊いてきた。 「ガラナークのアンプール家の方が神殿に入っていると思いますが」  アンプールとは、レスターの実家だった。ロッツが調べてきて判ったのだ。 「名門アンプールの方が神殿に、ですか? 記憶にありませんが…」 「グインレスターシアード=アンプールのことか?」ダルヴァッシュを引き取ってバカ殿が答えた。貴族だけあってこういう方面の記憶には長けているらしい。バカ殿は容赦なく続けた。 「アンプール家の落ち零れだろ。奴がどうかしたか?」  ヴァイオラはことさら丁寧な口調で返した。 「彼の預言について調べておりまして」 「ああ!」バカ殿は無用に大声を張り上げた。「少年に神託が降りたとか神殿が騒いでいたが、奴のことか。…狂言じゃねえか?」  ヴァイオラはエリオットに構わず、ダルヴァッシュの方を向いて尋ねた。 「預言は、神殿ではどのような扱いを受けていたのでしょうか」 「申し訳ないが、旅が長いので私もよく知らないのです」 「そうですか……要職にいらっしゃる方だと思ったものですから。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」 「この聖章ですか。」ダルヴァッシュは少し苦笑いしたようだった。「これは父から譲り受けたものなのです。私自身はまだ若輩者にすぎません。」 「おお、せいぜい精進しろよ」  精進するのは貴様の方だろう、と、ヴァイオラは心の中でバカ殿にツッコミを入れたが、口にはしなかった。  先ほど3階の部屋へ荷物を置きに行ったメンバーが階段を下りてきた。ちょうどいいから、と、バカ殿とダルヴァッシュも合流して「木こり」亭へ夕食を食べに行ってしまった。 「さてと、帰るか」 と、腰を上げたヴァイオラに、ヘルモークが話しかけてきた。 「もう帰っちまうのか? もうちょっと待ってると面白いぞ、きっと」 「何が?」 「今の奴ら、酒が入ったらきっと一悶着起こすぞ。見ものじゃないか」 「……じゃあ」と、ヴァイオラは再び腰を落ち着け、ヘルモークとまた杯を交わしだした。 「ヴァイオラさん、遅いですね」  離れの部屋でラクリマが縫い物の手を止めた。 「どうせ飲んでるんですよ」  Gは明るく受け流したが、ラクリマは、 「でも…心配だからちょっと見てきます」 と言って、糸と針をしまいこみ、立ち上がった。 「じゃ、私も」 「ボ、ボクも行っていいですか?」  Gとアルトと一緒に、ラクリマは部屋を出た。ちょうど、エリオットたちが「女神」亭の中へ入っていくところだった。 「バーナードさんたちじゃありませんね…」 「また新しいひとですね〜」 などと言い合いながら、自分たちも「女神」亭に入った。  ヴァイオラは奥まったテーブルでヘルモークと飲んでいた。 「ほらぁ、やっぱり飲んでるだけじゃないですかぁ」  Gは愉快そうに言った。ラクリマはほっとしたように「そうですね」と相づちを打った。二人はヴァイオラのそばまで寄って先に寝るかもしれないと断ろうとしたが、テーブルについていたエリオットに遮られた。 「これはこれは。鄙には稀なる美しいお嬢さんだ」  エリオットはGに目を向けて声をあげた。 「どうぞこちらへ。一献酌み交わしませんか」  Gはまるきり誘いを無視してヴァイオラの方へ動きかけた。と、向こうのシーフがそれを咎めて「エリオットさまがご所望です。どうぞこちらへ」とGの腕を掴もうとした。  途端にGは殺気を放ち、ダガーを抜いた。シーフは慌てて手を引っ込めた。「おっかないお嬢さんだ」と呟いたようだった。  エリオットが立ち上がって近づいてきた。 「ギルティ、無粋なことをするな」  ギルティと呼ばれたシーフは揉み手をしながら後ろに下がった。エリオットはGの前に立ち、ヴァイオラの時と同じように名乗りをあげようとした。 「失礼しましたね、美しいお嬢さん。私、ガラナークの由緒正しき騎士団、ディフェンシブ・グリーンのラニーニ=ド・ラミーニの嫡子で、エリオット=ラミーニと申します」  Gはそれを聞いてきっぱり言った。 「ああ、役立たずで嫌われ者の小役人ですね。お母さんが言ってました」  エリオットの顔がサッと真っ青になったかと思うと、次には真っ赤に染まった。彼はぶるぶると震える手で剣の柄を握った。そしてすらりと鞘から抜きはなった。 「ごっ、ごめんなさい! あの、どうかここは剣を納めていただけませんか…!」  ラクリマが慌てて間に入ったが、エリオットは乱暴に彼女を押しのけた。Gもすかさず柄に手を伸ばした。 (いくらバカにされたといえ、こんなところで剣を抜くか!?)  ヴァイオラはバカ殿の振る舞いに呆れ返った。が、呆れてばかりもいられなかった。ここでGが剣を抜いてちゃんちゃんばらばらやり始めれば、第2回騒乱罪を食らってしまう。罰金も痛いが、こんなところで強制労働、すなわち足止めを食らうわけにはいかない。ヴァイオラはさっきから扉のところでおろおろしているアルトに、「魔法で止めて」と視線を飛ばした。  アルトは迷った。スリープをこんなところで使っていいものか、それとも……。  結局、彼はキャントリップを使った。  エリオットはその瞬間、眠気に襲われた。彼は脈絡なく、大きなあくびをひとつした。  この隙に、シーフのギルティがエリオットを羽交い締めにした。 「エリオットさま、お止めください! ここで騒ぎを起こすと、金では解決できません!!」  つまりはすべて金で問題を解決してきたらしい。エリオットはぎょろりとギルティに目を向けた。仲間も何も気に入らないものは全部斬って捨てたそうな勢いだったが、ここで、同じパーティのセカンドファイターらしき男が口を開いた。 「エリオットさん、明日からダンジョンアタックするんでしょう。余計な騒ぎは起さない方がいいのではありませんか」  エリオットは全身怒りに満ちていたが、乱暴に剣を納め、吐き捨てるように言った。 「くそ、面白くもない。」それから同じパーティの紅一点を、顔を見ることすらせず傲岸に「アナスタシア!」と呼びつけた。アナスタシアは小さい声で「はい」と答え、立ちあがった。エリオットは「行くぞ」と顎をしゃくって階段へ向かった。アナスタシアは無言で彼に続いた。それを見ながらヴァイオラは思った。 (ストレスは金か女で発散、か。どうも最近、こういう団体が多いような…)  そうではなくて、バカなリーダーのいるパーティというのはいずれもこういう構造を持つもので、運悪く2つ目に遭遇しただけかもしれない。もちろん、ひとつ目はサムスンたちのパーティである。  エリオットとアナスタシアが階段を上がったのを見届けて、セカンドファイターはGたちの方を向いた。 「そちらも言葉には気をつけることだ。失礼な発言はやめてもらおう。今回はこちらにも非があるから見逃すが、今度同じことをやったらそのときは知らないぞ」  リーダーはバカ殿だが他のメンバーは全員まともなようだ、と、ヴァイオラは思った。この辺がサムスンたちとの違いか。ラクリマが「ごめんなさい」と謝る横で、Gが「だってお母さんがそう言ってたんだもん…」などと洩らすのが聞こえてきた。ヴァイオラはGに向かって、「ジーさん、君はとりあえず立ってなさい」と先生口調で命じた。Gは「はあい」と窓際近くで直立した。  3階の扉が暴力的に閉められた音が1階に届くと、シーフのギルティは態度を豹変させた。 「やれやれ、どうなるかと思ったぜ。あんたたちもあまり妙なコト、言わないでくれよな。こっちはおもりが大変なんだから」 「ギルティ、仮にもリーダーにそういう言い方はよさないか」 「あんただってあいつの振る舞いにゃうんざりしてるだろうが。いい子ぶるなよ、アルバン。あ〜あ、ったく、金離れが良くなきゃやってられねぇぜ、あんなわがままなお坊ちゃんのおもりなんかよぉ」  アルバンと呼ばれたセカンドファイターは顔をしかめたが、ギルティには何の効果もなかった。 「陰口はキライです」  向こうで直立したまま、Gが口にした。ギルティはわけなく返した。 「カゲグチなんかじゃない、これぁただの愚痴さ」 「ところで」と、ヴァイオラはアルバンたちに話しかけた。「明日からダンジョンへ行かれるとのことですが…?」 「ああ、そうだ」 「この付近のダンジョンには行かれないことをお奨めします。村長からも達しがあったでしょうし、ギルドでも話を聞いていると思いますが…?」  ヴァイオラは言いながらギルティに目をやった。 「あー、ハイブの話だろ。知ってるよ。でも別にハイブ退治に来たわけじゃないぜ。」ギルティは気のない返事をした。「それにハイブくらい出たところで……」  俺たちの実力なら倒せる、と、言いたいらしい。その慢心がハイブを増強する基なのに、と、ヴァイオラは言い募った。 「あなた方が思うよりずっと、ハイブの領域は広く、その力は侮りがたいものになっています。本音を言えば、これ以上の被害を出さないため、森には入っていただきたくないんです。せめてどの辺りに行かれるのか、教えていただけませんか」  ギルティはもごもごと口を濁した。 「ギルティ」と、アルバンが口を挟んだ。「仕事を取ろうとしているわけじゃないらしい。話してみたらどうだ?」  ギルティはまだ不満そうにしていたが、素直に隠しから一枚の羊皮紙を取り出した。それを見てヴァイオラは息をのんだ。冷たい汗が背筋を伝った。まさか… 「エイトナイトカーニバル…これってあの…あそこの…」  いつの間にかそばに来ていたラクリマが声に出して読んだ。それを聞いてGも声を上げた。 「それって思いっきりハイブの圏内じゃないですかっ!」  紛れもない、それはサムスンたちが持っていたと同じ、エイトナイトカーニバルの古文書の写しだった。 「これをどこで!?」 「フィルシムのギルドで配ってたぜ」  ギルティは軽く答えた。ヴァイオラは暗澹たる気分になった。この古文書はどうやらハイブの犠牲者を出すための餌らしい。つまり、冒険者というコヤシをまくための呼び水なのだ。それがシーフギルドで配られているということは……フィルシムのシーフギルドはユートピア教の手先ということか…? 「なぁ、こいつについて知ってるのか?」  今度はギルティが尋ねてきた。 「ええ。おおよその場所もわかってますが…すぐそばで私たちは先日、ハイブたちと遭遇したんです」 「そういやその場所についちゃ聞いてなかったな」  さっきから大人しく酒を飲んでいたヘルモークがここで割って入った。 「そうでした。ヘルモークさんに場所を特定してもらって、地図を作ろうと思っていたのに…」  ヴァイオラがそう言いかけたとき、扉が開いてセリフィアとロッツが顔を出した。皆の戻りがあまりに遅いので、心配して見に来たらしかった。 「ちょうどいい、ロッツ君、こっちに来て」  ヴァイオラはロッツを呼ぶと、テーブルの上に酒で地図を描きだした。 「村がここで、私たちがハイブと遭遇したのがこの辺です。あと、エイトナイトカーニバルの迷宮は、実際の場所は知らないんですが、この近辺じゃないかと…ロッツ君、例の、覚えておいてって頼んだ地点はどの辺になる?」 「ちょうどこの辺でさね」  ロッツは絡み合うアカマツのあった位置を指し示した。 「じゃあやはりこの辺だ」 「へぇえ…」  ギルティが熱心に見るそばから、ヘルモークが口を出した。 「ハイブコアは?」 「ハイブコアの位置は私は知らないんです。」さすがに「死んでいたから」とは言わなかったが、ヴァイオラはそう断った。「セイ君…」と、セリフィアの方を向くと、彼はアルコールの匂いに耐えられなかったのか、とっとと雲隠れしてしまっていた。 「ちびは? ロッツ君?」  ヴァイオラはアルトとロッツにも場所を知らないか尋ねたが、二人とも首を横に振った。 「ジーさん?」 「知ってますよぉ」  Gは向こうで直立したまま答え、その場を動かなかった。 「ジーさん、動いていいから。こっちに来てコアの場所とか様子をヘルモークさんに教えてくれる?」  ヴァイオラの許可を得て、Gはようやく窓際を離れた。「どれが村ですか?」と酒で描かれた地図の基本を確認してから、「もっとずっとこっちの方だったと思います」とその方角を示し、ヘルモークにその遺跡らしきコアの様子を話した。 「ああ、そりゃぁこの辺りのやつだな」  ヘルモークはハイブコアの位置をほぼ確定した。 「なるほど。そちらへ行かない方がいいわけだな。気を付けよう」  アルバンがそう言ったので、ヴァイオラは残念そうに口にした。 「やはり森へ入られるのですか?」 「エリオットが行くと言えば、行かざるを得ないだろうな」 「ではもう一つ、申し上げておきます」  ヴァイオラは、今度はダルヴァッシュに向いて言った。 「ハイブ禍を広げようとしているのが邪教ユートピア教であることは、ご存じですよね?」 「噂には聞いています。本当なのですか」  ダルヴァッシュの丁寧な言葉に、ヴァイオラはゆっくり頷いた。 「本当のことです。そしてこのエイトナイトカーニバルの古文書をばらまいているのは、ハイブの勢力を拡大せんとする邪教ユートピア教なのです」---ヴァイオラは心持ち「邪教」の部分を強調して言った---「この古文書にのせられるのは、邪教ユートピア教に協力することに他なりません」  さすがにダルヴァッシュの顔つきが変わった。 「それはゆゆしきことです。邪教の行いを赦してはならず、彼らの手に乗るのは愚かしいこと。わかりました。できる限りここを辞去するよう、エリオットを説得してみましょう。…うまくいくかどうかはわかりませんが……」  ギルティがぼそりと呟いた。 「無理じゃねえの?」 3■バーナードの帰還  明けて1月25日。  ラクリマはまた早朝の祈りに出かけ、Gは屋根の上で歌った。Gはこの朝、無理をしすぎて変に喉を痛めてしまった。  ヴァイオラもまた、河原の坊ちゃん塚に石を積みに行った。石を積んで帰ろうとしたところ、宿からバカ殿のパーティが出て行くのを目撃した。説得は失敗したらしい。バカ殿は朝からバカっぷりを発揮し、「だれがリーダーだと思っているんだ!」などと喚いていた。  あの男につける薬はないな、と、思った瞬間、ダルヴァッシュと目が合った。律儀な彼は、ヴァイオラに対して非常に済まなそうな顔をした。ヴァイオラは黙って彼に礼をした。彼らが無事に戻ってくることを---バカ殿のためではなくセロ村のために---神に祈った。  朝食の席で、Gの声が出ないらしいことに皆気づいた。ラクリマはGの喉を診て、「いったい何をしてこんなに痛めちゃったんですか」と尋ねたが、Gは口をパクパクさせるだけだった。何しろ声を出したくてもちょっとも出ないのだ。 「はちみつでもあると良かったんですが…」  ラクリマがそう言うのを聞いて、アルトが「ちょっと待っててください」と立ちあがった。彼は「森の女神」亭のウェイトレス、ヘレンに器を借りて離れへ向かった。それから少しして、器にいっぱいのはちみつを持って皆のもとへ戻ってきた。  キャントリップだな、と、セリフィアとヴァイオラは察した。小魔術のなかに甘いものを作り出す手があったのを、セリフィアは思い出した。実際、アルトはキャントリップを使ったのだった。わざわざ離れに戻ったのは、小魔術を使うところを不用意に人目にさらしたくなかったからだ。 「ありがとう、アルトさん。」ラクリマは喜んでこの贈り物を受け取り、Gにいくらかでも食べるように勧めた。「直るまで無理して声を出そうとしちゃだめですよ。きっと明日には声も出るようになりますから。」  Gはコクコクとうなずいた。その脇で、ラクリマは今日も薬草採りに出かけたい旨を伝えた。セリフィアはまた護衛につくと申し出た。 「あ、あのう、ボクもご一緒させていただいていいでしょうか?」 と、同道を申し出たアルトの横で、Gも口をパクパクさせた。ラクリマがGに「一緒に行きます?」と訊くと、コクコクと首を縦に振ったので、ヴァイオラ以外の全員が森へ入ることになった。4人はヘレンにお弁当を頼んだ。  ちょうどそのとき、村長の息子ベルモートが現れて、ヴァイオラに「次の護衛は明日からお願いします」と告げた。木こりたちは明日から3日間、森へ入るらしい。ともあれ今日は終日フリーだということだ。ヴァイオラはロッツに「シーフギルドに古文書をばらまいている奴がいるみたいなので調べて欲しい」と頼んだあと、かねてから気になっていたことを確かめるべく、ガギーソンのところへ話をしに行った。 「ちょっと訊きたいんだけど」とヴァイオラは尋ねた。「ここって『そっち』の斡旋もしてるの?」  宿の若主人ガギーソンは、諾とも否ともとれる返事しか返さなかった。 「女性のあなたに必要とは思われませんが」  別に咎めだてしようというわけじゃない、と、ヴァイオラは肩をすくめてみせた。 「何かあれば力になります。彼女たちのために」  仮令(たとえ)ガギーソンが信頼できる雇い主であったとしても、所詮男である。同性でなければ言えない悩みも痛みもあるだろう。そうした折には少しでも自分を役立ててほしいというヴァイオラの本心が伝わったのか、ガギーソンは少し構えを解いたようだった。彼はとつとつと、だれに語るともなく語った。 「もともと彼女たちはその役込みで、同意のうえでスカウトした。それに将来のことを考えて、村人たちには内緒にしてある」  もう一言、ガギーソンは思い出したように付け加えた。 「君たちのリーダーは勘違いしていたようだが」  冷ややかな声を聞いて、坊ちゃんのことだな、と、ヴァイオラは推察した。ありそうな話だ。坊ちゃんのくせに妙なところで勘が良かったから。 「何かあったら声をかけてください」と言い置いて、ヴァイオラは離れに戻った。  冬晴れの日差しは、枯れ枝を通り越してGたちの上にさんさんと降り注いだ。うっかりすると日焼けしそうなくらい、今日は天気が良かった。森のとば口に当たるこの近辺では、まだ上空を遮るような木々もごくまばらにしかなく、そのうえ葉のすっかり落ちてしまった木が多いために、十二分に太陽の恵みを感じることができるのだった。 「あ、あった…」  アルトは目的の、やや大ぶりの低木を見つけた。一年を通じて緑の葉を絶やさない木で、夏にはうす桃色の花をつける。満開の様子はそれは美しい。アルトは花弁が5枚の一重咲きの花しか見たことが無かったが、もっと濃いピンクで八重咲きの種類もあるという話だ。いずれにせよ、共通しているのは、その葉や茎や幹に強い毒の成分を含むことである。間違って口にすれば、人間の大人でも数分で心臓が止まるという。  アルトは手袋をはめてから、低木の緑の軸を採取しだした。後ろからGが「何に使うんですかぁ?」と声をかけてきたので、「ブロウガンに使うんです。あの、危ないですから、Gさん、折ったところは素手で触らない方がいいですよ」と丁寧に受け答えした。Gは「ふうん」と感心したように唸っただけで、おとなしくアルトのやることを眺めた。  ラクリマは木ではなく地の草を探していた。運良く、腫れ物によく使う薬草を見つけたので採取した。 (これがあればGさんに湿布を作ってあげられる…)  量としては4回分くらいだろう。今晩と、明日2回と、明後日の朝1回もあれば十分だろうと見当をつけ、次は血止めの薬草を、と、ギザギザの柔らかい葉を探しだした。  ラクリマがせっせと薬草を採っているのにはわけがあった。彼女は次に皆がフィルシムへ行くとき、自分はそこでパーティから離れて、もとの修道院へ帰るつもりだった。非力な自分が抜けたところで大して影響はないだろうが、怪我をしたときの回復役が減ってしまうことは確かだ。それで、今のうちに自分が残せるものを残そうと、毎日薬草の採取に励んでいたのだった。  そんなこととは知らず、セリフィアは見晴らしのよいところに腰掛け、ラクリマやGやアルトを見守っていた。気の緩む瞬間もなくはなかったが、周囲に目を配り耳を配って、危険に備えた。戦士であり男である自分がみんなを守らなければ。口にはしなかったが、一つの死を経て、彼の中で戦士としての自覚と責任感とが明確なかたちを取りだしていた。  夕方、バーナードたちのパーティが帰還した。  ちょうどヴァイオラが離れから本館へ夕食を食べに行くところで、疲れた様子の一行が向こうからやってくるのが目に入るなり、彼女は密かにディテクトマジックとディテクトイビルとを唱えた。イビルの方はだれも引っかからなかった。ディテクトマジックの方は、相変わらず魔法の品の潤沢なパーティでそこかしこが輝いていたが、中でもシーフのウィーリーのレザーアーマーは新顔だった。今回の戦利品らしい。 「お帰りなさい」  ヴァイオラが彼らの方へ寄っていくと、途端にジャロスが嬉しそうな顔をした。 「立ち話は俺がしてるから、ブリジッタをとにかく休ませないと」  確かに、彼女は疲れた顔つきをしていた。ジャロスは、バーナードも含めた他のメンバーを先に宿に入らせてからヴァイオラに向き直り、「会いたかったよ」と明るい声で言った。 「その後どうだい? みんな無事か?」 「…いえ。一人、亡くなりました」 「そうか…」  ジャロスはヴァイオラをじっと見つめた。 「立ち話するようなことでもなさそうだな。入らないか?」と腕を差し出したので、ヴァイオラは素直に手を取られ、二人して「森の女神」亭へ入っていった。カウンターが彼らの定位置だった。 「そちらの成果はどうでしたか」 「ああ、割に時間がかかったけど、戦利品はそこそこだし」と、ジャロスはテーブルで食事しているウィーリーの方を指し示した。「魔法の鎧でね。あれ一つきりだが、まあまあだろ。それに…」 「それに?」 「今回のヤツはブリジッタが腕を上げるのにちょうど良かった。彼女にはいい経験になっただろう」  相変わらず、仲の良いパーティだと感じながら、 「どの辺りに行ったんです?」 と、ヴァイオラが尋ねると、ジャロスはちょうどハイブコアのあるだろう方角を指した。ヴァイオラは脳裏に閃くものを感じて、「まさかと思いますが、エイトナイトカーニバルを探しに行ったんじゃないですよね?」と軽く訊ねた。 「ああ、そうだよ。」ジャロスも軽く答えた。「今回のところは違ったけどな。君たちも行きたいのかい?」  まさかバーナードたちまで……ヴァイオラは複雑な心境だった。こんなにもエイトナイトカーニバルの影響力があろうとは。 「…バーナードさんに話をしたいんですが」  ヴァイオラは向こうのテーブルを見やりながら、ジャロスに告げた。バーナードとブリジッタは部屋にでもいるのか、テーブルにはシーフのウィーリーと、魔術師のレイと、僧侶のスコルしかいなかった。 「僕じゃあ駄目かい?」 「パーティリーダーの方にお話しした方がいいと思うので…」 「伝言なら伝えとくぜ」  ジャロスが妙に食い下がるのを無視して、ヴァイオラは「明日にします」と、話を終わらせようとした。 「俺じゃ役不足か…」  ジャロスは実に残念そうに杯を飲み干した。  と、扉が開いて、件(くだん)のバーナードとブリジッタが入ってきた。バーナードはカーレンを背負っていた。察するに、二人でキャスリーン婆さんの家へ行って、幼い息子を引き取ってきたらしい。  余計なおまけもついてきた。村長の息子で、ブリジッタの弟にあたるベルモートである。彼はブリジッタの疲れた様子も気に留めず、「ねえちゃん、無事だったんだ! 心配したよ。どうだった? 大変じゃなかった?」などと他愛ない話をさんざん仕掛けていた。ブリジッタは怒るでもなく、「これが私の選んだ道だから」などと、いちいち至極まっとうな答えを返している。 (やれやれ)  ヴァイオラは心中、溜息をついた。他人に対しては気弱なくせに、身内に対しては無神経とは、村長もいったいどういう躾をしたやら……この息子が村長の跡を継ぐのはどうにも難しそうだ。村長が、ブリジッタを跡取りにと思っていた理由も、なんとなく理解できたような気がした。  食事の間中、ベルモートはブリジッタにつききりで話しかけていた。  やがて、「ブリジッタ」と、スコルが、「カーレンも眠いようだから、3人とももう部屋へ上がった方がいい。」うまくベルモートとの間に割って入った。 「あっ、疲れてるのに、ごめんね、ねえちゃん」  ベルモートは全く悪びれた様子も無く、反省のかけらも感じさせない声音で言った。マニュアルどおりに発言してみただけのようだ。 「いいのよ。じゃあ、悪いけど先に休ませてもらうわね」  ブリジッタは立ちあがり、カーレンとバーナードとともに階段へ向かった。  ヴァイオラは咄嗟にバーナードのそばに寄り、「明日、お話ししたいことがあるのでお時間をください」と丁寧に頼んだ。が、バーナードはけんもほろろに「こっちには用が無いが」と返してきた。それでも一応最後に「わかった」と言ってくれたようではあった。  ヴァイオラはカウンターに戻って、「よほどお疲れなんですね」と口にした。 「そうか? いつもあんなだぜ?」 「でも、この間、うちの坊主にはあんなに愛想が良かったのに」  セリフィアに対しては、バーナードは愛想良くいろいろ話していたようだったので、ヴァイオラがそうこぼすと、ジャロスは「ああ、あれは特別。俺だってあれには驚いてるんだ」と言い訳するように言った。 「それより、バーナードに何を話すんだ? 俺じゃだめ?」  ジャロスはなおも食い下がってきた。 「だいたい、パーティの行動をどうするかってのは、俺とレイがやってるんだぜ」 「あなたとレイが?」  ヴァイオラはちょっと驚いて訊き返した。 「ああ、そうだ。だいたい俺やレイがいろんなネタを仕入れて、あれこれ考えて絞り込むのさ。バーナードはその中のどれにするかを決めるだけだ。ま、奴が決めた仕事はたいがい縁起が良いというか、ハズレがないし、本当に危ない目にも遭わずに済んでる。それで縁起をかついで、決めるのだけはバーナードに頼むが、実際にパーティを切り回してるのは、俺とレイなんだぜ」  ジャロスは誇らしげに語った。ヴァイオラは羨ましかった。バーナードは本当にいいパーティリーダーらしい。そんなリーダーに恵まれてみたいものだ…。と、こんなところでないものねだりをしても仕方ない。とりあえず、ジャロスに話してみても良さそうだと彼女は気を変えた。 「お二人ともお疲れですか?」 「いいや、ちっとも。やっと話してくれる気になったのか?」  ジャロスは嬉しそうに言って、ヴァイオラをレイのいるテーブルに誘った。  レイとジャロスを前にして、ヴァイオラは彼らの留守中に起こったことをかいつまんで話した。レイはいちいち大仰に驚いてくれ、ジャロスは熱心に聞いてくれた。 「それで、どうしても一度フィルシムへ行きたいんです。もしあなた方に差し迫った予定がなければ、しばらくの間、セロ村に常駐していただけないでしょうか?」  ヴァイオラがそう頼むと、拍子抜けするくらい簡単に、二人はその話を受けてくれた。 「もともとしばらくいるつもりだったし……義父(ちち)と子の仲をとりもつってのもやってみたいし、な」  どこまで本気なのか、ジャロスがややおどけて言った。 「たぶん大丈夫だと思いますよ」と、レイも請け合った。「ブリジッタの村が大変なわけでしょう。バーナードも喜んで引き受けると思います。」 「ありがとうございます。では私たちは、明日からの木こりの護衛が終わったら…」  ジャロスがヴァイオラの言葉を引き取って言った。 「その護衛も俺たちがやってやるよ」 「ありがとう。ではお言葉に甘えて、明日、フィルシムに発ちます」  そうと決まってからが忙しかった。ヴァイオラは「森の女神」亭を出てすぐ、村長宅へ向かった。護衛の女戦士フェリアに取り次いでもらうと、村長は少ししてナイトガウン姿で現れた。 「村のことをお考えください」  ヴァイオラはそう前置きしてから、バーナードたちが戻ったこと、彼らが村への常駐を引き受けてくれたので、自分たちは明朝フィルシムへ出発することを伝えた。 「わかった。強くなって戻ってきてくれ。待っとるぞ」  村長のその台詞の裏に、「君たちのために涙を飲む」というニュアンスが聞き取れた。ジャロスではないが、この機に村長とバーナードとの関係が少しでも良くなればいいが……。そう願いながら、ヴァイオラは「できるだけ早く帰るようにします」と、口にした。  村長は、3週間分の給料45gpと、食糧18日分とを明朝ベルモートに届けさせると約束してくれた。初めのころからは考えられない好待遇だった。  ヴァイオラは次に、離れに戻って仲間に明朝出立する旨を伝えた。  彼女が部屋に入ったとき、アルトは日中手に入れた植物から毒を抽出し、ブロウガンの針に塗布するように加工していた。専門に習ったわけではなく、お師匠様がやっていたのの見よう見まねだったので、ずいぶんと手つきが怪しかった。それでも、門前の小僧式とでもいうのか、加工は上手くいっているようだった。その隣では、ラクリマ手製の湿布を首にぐるぐる巻きにされたGが、身動ぎもせずにそれを眺めていた。  ヴァイオラは、一同に荷物をまとめておくように言ってから、ヘルモークの家へ向かった。ヘルモークにも明日出立する旨を伝え、ついては以前の約束どおり、虎を1日だけ貸してほしいと頼んだ。ヘルモークは「ああ、いいよ」と軽く受けた。ヴァイオラはまた、ハイブコアの位置を示した地図の作製もヘルモークに頼んだ。 「簡単なもので構いませんから。できれば村の人にも配っていただきたいんです」 「そうしよう」  ヘルモークは相変わらず軽い調子を崩さなかったが、帰り際に「気を付けろよ」とヴァイオラに一言告げた。  明朝の出発を告げられてから、ラクリマは神殿へ出かけた。明日の朝は朝課ができないだろうから、代わりに今から祈りをあげに行こうと考えたのだ。  別に毎日朝課を行わなければならないわけでもない。修道院の院長もよく「形式にとらわれるな」と皆を戒めていた。だが、今の彼女にはその形式が必要だった。  神殿にあがりこむと、またヴィセロがそそくさと出ていこうとした。「あの、一緒に…」居ても構わないとラクリマが言うより先に、彼女は逃げるように神殿を出ていってしまった。ラクリマはひとつ溜息をついてから祭壇の前に進み、祈りをあげ始めた。  一刻ほどして、夜もとっぷりと更けたころ、ラクリマは立ち上がり、祭壇に背を向けた。神殿を出たところで立ちつくす人影に気付いた。バーナードのパーティの僧侶、スコルだった。 「あの…どうなさったんですか? 中にお入りにならないんですか?」  ラクリマがそう尋ねると、スコルは静かに答えた。 「あなたの邪魔をしてはいけないと思って」  どうやら彼はラクリマが祈りをあげているので、遠慮して外で待っていたらしかった。悪いことをしたかしら、と、ちらと思いながら、ラクリマはスコルに言った。 「神の家はいつでもだれにでも開かれていますのに」  スコルはそれを聞いて、美しい、得も言われぬ笑みを浮かべた。「では」と言って、ラクリマの脇を通り抜け、神殿に入っていった。 (あら? じゃあ今度はスコルさんがお祈りされるんだわ。ヴィセロさんに言っておいた方がいいかしら…)  ラクリマは辺りを見回したが、ヴィセロの姿は見あたらなかった。少し探すようにしながら、いつもと違う、宿の裏手に回る道を取った。  「森の女神」亭の裏に出たとき、彼女の目にある人物が映った。ヴィセロではなかった。金髪の背の高い男が懐から梟をとり出すと、空に向けて放つその瞬間を彼女は目撃した。男はふっとこちらを向いた。ジャロスだった。 「参ったな。見られたか…」  ジャロスは言いざま、ずいとラクリマに近づいた。 「今見たことはだれにも言わないでくれるかな? 君の仲間にも、俺の仲間にも言わないでほしいんだ。内緒だよ。いいね?」  彼はやや強引な口調で迫り、ラクリマの顔を覗き込んだ。ラクリマは気圧されて、よく考えないうちに「はい」と答えていた。ジャロスはニッと笑い、 「よしよし。素直な女の子は好きだよ」 と、ラクリマの頭をひとつふたつ叩いた。 「そういや、スコルを見なかったか?」 「スコルさんなら、神殿でお祈りを…」 「ああ、やっぱりな」と、ジャロスは神殿の方角に目をやった。「あんなショックな話を聞かされちゃあなぁ。」 「ショックって…何があったんですか?」 「君たちの話だよ。あいつは敏感でね、ひとの死に弱いんだ」  ジャロスはレスタトの消滅のことを言っているらしかった。ラクリマはそっと俯いた。無意識に、両手をこすり合わせる仕草をしていた。 「何か言ってたかい?」 「いいえ…でも、お祈りを始められたようでしたから、しばらくかかると思います」 「そっか。おっと、引き留めて悪かったな」  ジャロスは、「行ってもいい」というような素振りを見せた。ラクリマが離れの方へ体を向けようとすると、彼は「内緒だよ」と念を押した。ラクリマはうなずいてからその場を離れた。梟のはばたく影を脳裏から消したくて、離れに戻るなり布団に潜り込んだ。 4■爪痕  1月26日。  ヴァイオラが坊ちゃん塚から戻ったとき、バーナードたちは木こりに同道するための準備をしているところだった。 「よろしくお願いします」とヴァイオラが頭を下げると、バーナードは「話は聞いた」とだけ答えた。 (聞きしに勝る無愛想だな…)  そこへジャロスが「よう」と声をかけてきた。 「昨晩のうちに話をしておいたから。」彼は明るく続けた。「心配するな。」  ヴァイオラは礼を言って、出立準備の整った仲間の中に入っていった。ラクリマがスコルに向かって丁寧に礼を取ったのが見えた。その脇で、ロッツがバーナードのことをじっと見つめているのに気がついた。 「どうしたんですか、ロッツさん?」  ラクリマが訊ねた。彼女も同じことに気づいたらしい。ロッツは、 「グッナード=ロジャスの息子さんですよね。初めてお目にかかりました」 と、言った。 「どういうこと? 知ってるの?」  ロッツが気まずそうな気配を見せたので、ヴァイオラはこれ以上ここで聞くのをやめた。  村の門にはスマックがいた。警備隊のうちでパーティに一番親しい彼は、「早く帰ってこいよ」と言いながら気持ち良く送り出してくれた。  去り際、ヴァイオラは少し離れた倉庫の陰に、小さな人影を見つけた。キャスリーン婆さんだった。視線をたどった先にはラクリマがいた。彼女を見送りにきたらしかった。ラクリマも先ほどからキャスリーン婆さんに見られているのに気づいていた。だがどうしてもこちらから声をかけに行くことができなかった。 (ごめんなさい、お婆さん。どうかお元気で…)  彼女はもうセロ村に戻らないつもりだった。だから、キャスリーンからの信頼を裏切るようで、胸が申し訳なさでいっぱいだったのだ。それでもやはり知らぬ顔はできず、最後に深深と頭を下げた。  一同が村を出てしばらくしてやっと、ロッツが口を開いた。 「あんなところで話したらまずいですよ。」バーナードのことらしかった。「あれがグッナード=ロジャスの息子か……」それからいきなりセリフィアを向いて、「よく無事でしたね」と感心したように言った。 「バーナードについて何か知ってるの?」  ロッツは、まだ後ろを気にしながら、ヴァイオラに答えた。 「父親はスカルシ村の10フィートソード使いですよ。なぜだか父親が息子にその10フィートソードを伝えなくって、それで一時は大騒ぎだったみたいです。いやぁ、本当によく無事でしたよねぇ」  ロッツはセリフィアに向かって、繰り返し言った。 (…悪い奴には思えなかったが)  セリフィアはその話を聞きながら、少し意外な感じを受けていた。 「大騒ぎってどういうこと?」 「まあ…いろいろあったみたいで……ちょいと物騒な父子ゲンカでさね」  そんな話をしながら小一時間も歩いたころ、街道に虎たちの姿が現れた。ラクリマはふっと別な気配を感じて森のほうを見やった。ヘルモークだった。彼は木陰からそっと皆を見守っていたが、すぐに姿を消してしまった。  一同は虎に乗って、自分で歩けば2日かかる行程を踏破した。野営地で虎と別れ、キャンプを張った。夜も何のモンスターも現れず、初日は平穏に過ごした。  1月27日。  日中は何事もなかった。  夕刻、野営地点で、一同は決して見たくなかったものを目にしなければならなかった。2台の荷馬車が、森へ突っ込んだようなかたちで街道からはずれ、放置してあった。 (まさか…!)  だれもが予想のはずれることを期待したが、紛れもなくそれはロビィたちの隊商の馬車だった。馬車の周囲には戦闘の跡が残り、見覚えのある粘液質の分泌物がそこかしこに認められた。 「ハイブだ…」  全員、胸が潰れそうな思いがした。  どこにも死体はなかった。餌として、あるいは苗床として連れ去られたに違いない。馬車の中を検めたところ、積荷のほとんどはそのままだったが、一緒に積んであったはずの食糧がひとつもなかった。獣の類に食い荒らされた様子もなく、こんな手前で食糧を使い切るはずは万が一にもないことから、ハイブたちに持って行かれたとしか考えられなかった。  ハイブたちがこんなところまで出てきている…。まさかコアが分裂を…?  コアの増設も不安だったが、それ以上にハイブたちに知恵がついているらしいことが恐ろしかった。この襲撃はおそらく偶然ではない。ダグ=リードたちの知識を得て、日程を合わせて隊商を待ち伏せしたのだ。  ヴァイオラの指示で、一同は残っている荷物から遺品となるものを回収した。遺族がいれば遺族に届ける心づもりだった。ヴァイオラが見たところ、ツェーレンの持っていた魔法の剣は見あたらなかった。スチュアーのバックパックからは、ヴァイオラやラクリマが彼に預けた手紙がでてきた。亡きレスタトが彼に依託した書簡もあって、いっそう暗い気持ちになった。設営後、一同はほとんど無言のうちに食事を済ませた。昨晩決めたと同じ順番で夜直に立った。  セリフィアとアルトが1直目を無事に終え、2直目のヴァイオラとGに交替して一刻ほど経ったころ、火影の向こうに人影が現れた。ツェーレンだった。2本の足で歩いているものの、彼はすでにこの世の人ではなかった。 「よう、ヴァイオラじゃないか。どうしたんだ、こんなところで」  ツェーレンの幽霊は焚き火に近寄りながら、いつものように楽しげに語りかけてきた。 「お久しぶり」  ヴァイオラは努めて明るく返事した。ツェーレンはすっかり火のそばに寄って、笑顔で言った。 「いい酒あるんだ。俺のバックパック、あるか? 中に特別な奴が入ってるんだ。一杯やろうや」  ヴァイオラがバックパックの中を探すと、確かに佳さそうな酒が入っていた。 「ヴァイオラさん、他のみんなも起こしましょうよ」  Gの提案で、寝ていた残り4人も起こされた。 「ツェーレンさん!?」 「よう」  半分透けていたので、彼が何であるかはだれからも一目でわかってしまった。「生きていたのか」と聞く人間はだれもいなかった。ツェーレンは、だが、生前と変わらぬ調子で語った。 「ロビィやスチュアーには悪いことをした」 「ツェーレンさんのせいじゃありませんよ!」  Gは向きになって言った。 「俺がもうちょっと注意してれば…」 「…みんな、どうなったんですか。殺されたんですか、それとも…」 「ロビィとスチュアーは死んではいなかった。麻痺しちまっていたな」  ロビィとスチュアーの二人のハイブ化は確実になった。あと二人の護衛は、ツェーレンが死ぬまで生きていたので、その後どうなったかはわからないと、彼は言った。 「最後に、ジェイを逃がそうとして…うまく逃げたかなぁ、あいつ。あいつが走っていくのを見たあとプッツリでな。ジェイの安否だけが心配だよ」  ツェーレンはそう言って空を仰いだ。それから唐突に視線を戻し、「どうだ、いい酒だろ」と言った。 「滅多にお目にかかれない酒ですからね、ありがたく頂戴してますよ。タダだと思うと美味さもひとしおです」  ヴァイオラの返事に、ツェーレンは笑った。彼の前にも杯が置かれていたが、幽霊である彼にはそれを持つことができなかった。 「ツェーレン、ハイブはどのくらいいましたか」 「そうさな。6匹…いや、8匹ぐらいいたか」 「ばったり出くわしたんですか、それとも…」 「あいつらは待ち伏せてた」  ツェーレンはきっぱりと言い切った。 「俺たちが夜営の準備で気を抜く瞬間を待っていやがったんだ」 「………」 「死んじまった俺が言うのも何だが、お前たちも、気をつけろよ」 「ええ、肝に銘じます」  ヴァイオラの横で、セリフィアもしっかりと肯いてみせた。 「そうだ、頼みがあるんだが」 「何なりと」 「ロビィの婚約者が隊商ギルドにいるんだ。彼女にロビィのことを伝えてやってくれ。あと、スチュアーのことも神殿に連絡してやってくれないか。あいつ…あんなに帰りたがってたのに、とうとう連れ帰ってやれなかったなぁ」  ラクリマの瞳から数日ぶりに大粒の涙がこぼれた。 (泣かないって決めたのに…神よ、赦したまえ。今は彼らのために泣かせてください)  ヴァイオラはツェーレンを真っ直ぐに見て、 「必ず伝えます。だからどうか心配しないでください」 と、誓った。ツェーレンは、 「ありがとよ。じゃ、俺、そろそろ行くわ」  言うや言わずやで、彼の姿はどんどん透けてゆき、光の欠片を放ってあっけなく消えてしまった。あとには静寂が残った。  1月28日。  ここを通るひとびとに注意を喚起してもらう戒めとして、荷馬車にハイブに襲われた跡である旨を書いた紙を貼り、一同は進んだ。胸に何やら重い支(つか)えがあるようで、足取りも全然軽くならなかった。森から音がするたびにだれかしらハッとして振り返った。だが、この日は何にも出会うことなく、平穏のうちに一日が暮れた。  1月29日。  ドルトンたちの隊商とすれ違った。  ロビィの隊商がハイブに襲われ全滅した話には、さすがの彼らも神妙に聞き入った。 「待ち伏せてるかもしれないから、十分に気を付けてくださいね」  Gがそう言うと、珍しくも「教えてくれてありがとう」と礼まで口にした。 「あの〜、ジェイ=リードさんにお会いになりませんでしたか?」  アルトが尋ねた。 「ああ、ああ、会った。すれ違ったよ。昨日のことだ、な?」  ドルトンはゴズトンに同意を求めた。ゴズトンは肯いた。 「ぼろぼろで酷いありさまだった。着替えを融通して、一緒にセロ村に戻らないかと誘ったんだが、断られてね。フィルシムへ一人で向かったよ」 「そうですか。ありがとうございます」  ドルトンは礼を言われて少し怪訝な顔をしたが、嫌味の一つも口にすることなく、終始友好的だった。  ドルトンの他には虫の大群としか遭わなかった。記憶力のいい人間は、以前、森でレスターが似たような虫の群を感知して「避けろ」と教えてくれたことを思い出し、また暗い気分に浸らなければならなかった。  1月30日。  朝、起きてみると周囲の木の位置が変わっていた。どうやらトレントだったらしいが、万が一にも襲われなくてよかったと、Gは思った。  昼ごろ、向こうの方に大型のムカデがいた。セリフィアが気づいたので早々に離れ、ムカデは迂回した。(また熱病にかかるのはごめんだ)とセリフィアは心の中で呟いた。彼は、セロ村に着いてすぐ、ムカデの毒に冒された経験を持っていた。  夜は暗かった。空を見上げると、月がなかった。 (新月の時期か…)  ハッと気がついて、ヴァイオラはGの方を見た。案の定、異変が起きていた。Gはすっかり無口になり、自分からひとに話しかけないだけでなく、話しかけられるのも嫌なようだった。何をするにも億劫そうだ。  セリフィアもご同様だった。最前から無口ではあるが、いやまして声を発せず、話しかけられて答えないこともしばしばだった。そしてやはり何をするにも億劫そうだった。 「どうしちゃったんでしょう、セリフィアさん…」  ラクリマが言うのに、ヴァイオラは「知らなかったの?」と半ば呆れたように口にした。 「新月のせいだよ。Gと一緒」 「え? セリフィアさんって人間ですよね? それなのにセリフィアさんも影響されるんですか?」 「そうらしいね。そういえばラッキーは?」 「私はなんともありません。この間だって、私は別に何も…」 「あの、すみません」と、アルトが二人の間に割って入った。「何のお話ですか?」  ヴァイオラは、半月前にあった「月の魔力」の件をアルトに説明した。そして、「どうやらスペルユーザーは多かれ少なかれ影響を受けたらしい」としめくくった。アルトも思い当たるふしがあるらしく、「そういえば…」などと言って空を見上げた。 「まぁ、とにかく、あの二人はこれから3日間、『鬱』状態だから、私たちがちょっと注意してあげないとね」  その当の二人のうちGの方は、「おやすみ」も言わずにさっさと寝てしまっていた。 「…そうですね」 「わかりました」  ラクリマとアルトは、Gを見ながらほぼ同時に返事を返した。  2月1日。  フィルシムまであと3日の距離になった。この日から強行軍を開始した。今日、明日と2日間強行軍をすれば、明日の夕方にはフィルシムへ到着するだろう。  Gとセリフィアは『鬱』のままだった。重苦しい雰囲気が一行を包んだ。だがとりあえず二人が、『鬱』ながら文句も言わずにせっせと歩いてくれるのは有り難かった。  昼、ラクリマが空の彼方を気にするので、みんなでそちらに目を凝らしていたところ、大きな鳥のような生き物が徐々に近づいてくるのがわかった。近づくにつれてそれはどんどん大きくなり、「鳥」とは言えないサイズになった。  ワイバーンだった。3匹連れだってやってきて、一同のすぐそばに舞い降りた。全員「あわや」と思ったが、何もしないでそのまま飛び立ち、向こうへ去っていった。みんなの口から、ほぅと溜息が漏れた。  夕方の少し手前で、本来の野営地を通過した。  その野営地で休憩を取ろうとしたとき、ラクリマとアルトが「戦闘の跡がある」と言い出した。他の人間には全くわからなかったが、どういうわけか二人は何かに気づいたらしかった。「そこ、足で踏まないでくださいね」などと断りながら二人であれこれ調べていたが、やがて他の仲間にわかったことを報告した。  曰く、9日か10日くらい前に、ここでかなり激しい戦闘があった。襲われたパーティはフィルシムから来ており、ここで全滅したらしい。襲った側も襲われた側も、ネームレベル程度のようだ。ざっと見積もって6人対6人か、あるいは襲撃した側が1人2人多かったかぐらいの人数だろう。襲撃者たちの中には、少なくともシーフ、魔術師、それから両手剣などの殺傷力のある得物を使う戦士が一人はいたはずだ。魔術師がファイアーボールを使った痕跡がある。また、シーフについて言えば、ここで行われた戦闘の痕跡をきれいさっぱり消そうとしたあとが認められる。 (まさか…襲われたのって、フィルシムから派遣されたネームレベルのパーティじゃ……)  ヴァイオラは激しい困難を感じた。暗い話ばかりだ。さらに妙な疑念が頭をもたげた。両手剣…まさか…… 「バーナードさんたちって強いですよね」  抑揚に欠ける声で突然Gが喋った。ヴァイオラは振り返ってGを見た。彼女も同じことを考えたのだ。いや…まさか…だが……  一同は休憩を終えて、さらに先に進んだ。今日はここからまだ半日分の行程を踏破しなければならない。一刻も早くフィルシムに着くこと。それが今の自分たちにできる精一杯なのだから。  夜、ヴァイオラとGが夜直をしているところへ、嬉しい客が現れた。真っ白なユニコーンだった。ユニコーンはGの方へ近寄り、Gとヴァイオラと交互に触れた。その瞬間、二人は清浄な空気で周りが満たされたように感じた。強行軍の疲れがすっかり癒されていた。  やにわにユニコーンは森の奥に顔を振り向けた。ちょっとの間、何かを考えるようにしていると思ったら、視線を向けた方角へ去っていった。夜の闇は深く、森の黒はさらに濃かった。何があるのか見ようとしても、人間の目では何もわからなかった。いわんや鳥目では何も見えないだろう、森の奥のスペクターからGを守ろうとユニコーンが去っていったことなど。  他に遭遇するものはなく、この日も終わった。 5■心の傷  2月2日。  朝から天気が良かった。  ラクリマは皆に強壮剤を処方しようとした。が、ヴァイオラとGは「全く疲労がない」といって、処方を辞退した。どうやら昨晩、ユニコーンと出会ったときに、彼の持つ不思議な力で二人だけ癒されたらしい。もっとも、体調は良好でも、Gの鬱状態は治っていなかった。セリフィアも変わらず、お揃いで鬱だった。  セリフィアとアルト、それからロッツへの強壮剤の処方はうまくいった。3人とも疲労感が取れたようだ。ただ、肝心の自分は疲労が全く取れないようだったので、皆の足手まといにならず今日一日を無事に過ごせるよう、ラクリマは重ねて神に祈念した。  午を過ぎてしばらく歩くうちに、森の道から抜け出し、もっと見晴らしのいい場所にさしかかった。雲もなく、穏やかな冬晴れの空のもと、一行はゆるやかな坂をのぼった。のぼりきったところで、やや下方向に川の流れが見えた。あの流れに沿ってもう少し行けば、渡し場があるはずだ。もう少しでフィルシムだと思うと、自然に足が速まった。  すぐ手前の川岸には黒い、大きな流木のようなものが流れ着いていた。さらに近づいたとき、一同はそれが実は人間であることに気がついた。黒い甲冑に黄金の髪、仰向けに横たわるその者は遠目に見ても年若く、少年か青年のように見えた。ヴァイオラははっと息を呑んだ。彼女の眼力は、その者の容貌が今は亡き者に似ていることまで見て取ったのだった。  刹那、前を歩いていたラクリマが「たいへん!」と小さく叫んで漂流者の方へ走り出した。 「だれかラッキーを止めて!!」  ヴァイオラは鋭く叫んだ。咄嗟にロッツとアルトがラクリマを押さえた。 「何するんですか!」  ラクリマの驚きを背に、ヴァイオラはディテクトマジックとディテクトイビルの呪文を唱えて、彼の方へ向かった。どうか見間違いでありますように。  探知の呪文には何も障らなかった。危険はなく、ただのひとであるらしい。だが、害は別なところにあった。ヴァイオラの目の前に倒れているその少年は、死んだレスタトに生き写しだった。 「そっくりだ」  いつのまにか側にきていたGが、鬱状態らしい気のない声を出した。二人の背後からラクリマの声が聞こえた。 「どうしたんですか!?」  それには答えず、ヴァイオラは厳しい声で指示を出した。 「ロッツ君、ちび、そのままラッキーをこっちに来させないで」 「どうして…! 行かせてください! 手当てができないじゃないですか! 離してください!」  ラクリマはアルトとロッツの手をふりほどこうとしたが、強行軍での疲労も手伝って一歩も前へ進ませてもらえなかった。向こうを見やり、叫んだ。「ヴァイオラさん!!」  ヴァイオラはラクリマの叫びなど聞いていなかった。もう一度少年を見たあとで、Gと顔を見合わせた。こんなことがあるだろうか。 「レスタトさん…じゃないですよね」  Gはしゃがみこんで、少年を軽くつついた。 「他人の空似だと思う…」  そうは言ったものの、ヴァイオラも自分の言葉に自信が持てなかった。他人の空似で片付けるには彼はあまりにも似すぎていた。「レスタトが生き返った」といっても疑う人間はいないだろう。だがそんなことはあり得ない。レスタトは消滅したのだから。  ヴァイオラは少年の懐から冒険者パスを探り当てた。「カイン…戦士…」と、名前と職業を声に出して読んだ。Gは横から覗きこんだ。登録はフィルシムになっている。レスタトはガラナーク出身だった。やはり赤の他人なのか…。  いつの間にかセリフィアもそばに来ていた。無言のままどんよりと、ショックを受けたんだか受けなかったんだかわからない無表情で、少年を見下ろしていた。 「このまま川に流しちゃいましょうよ」  Gが言った。ヴァイオラもできるものならそうしたかった。この少年には何の罪もないが… 「流しちゃいましょう」  Gが再び言った。彼女は本気でこの物体を川に流したいらしく、「大丈夫、だれも困りませんよ」などと言いながら少年を川の方へ押しやろうとした。ヴァイオラは首を振ってそれを止めた。 「…ラッキーを呼ぼう」  Gは思い切り不服顔になった。 「ラクリマさん、絶対にショック受けますよ。やめましょうよ。見なかったことにしましょうよ〜」  もちろんショックを受けるだろう。ヴァイオラだってこれだけショックを受けているのだ。他の面々が、とりわけ今の精神状態のラクリマがショックを受けないはずがない。 「…先に進もう」  突如、セリフィアが発言した。彼は先刻から無気力な頭で考えていた。 (まだ生きているのに流すのはなんだな……かといってラクリマに見せればどうなるかは想像がつく。Gが嫌がるのもよくわかるし、俺も彼女にこの人間を見せたくない…)  他に治療行為のできる人間がいればそいつにやらせてラクリマを遠ざけておくのだが、こういう応急手当ができるのは彼女しかいない。だからこの際「放っておいて先に進もう」と言ったつもりだったが、うまく伝わらなかったらしい。「治療して先に進もう」と誤解されたのだろう。セリフィアはGが自分に怪訝な顔を向けるのを見た。  そして結局、ヴァイオラには生きている人間を見捨てることができなかった。 「ヴァイオラさん! 早く手当てしないと、そのひと、死んじゃいますよ!!」  向こうからラクリマが叫んでいる。ヴァイオラは観念した。少年が直接見えなくなる位置に自分の体を移動させてから、振り向いて「離していいよ」と言った。解放されたラクリマが急いで向かってくるのが見えた。 「ラクリマさん、あの」と、Gは手前でラクリマを留めて話しかけた。「あの、レスターに似てるんです。驚かないでください。ものすごくよく似てるんです。だから、きっと肉親じゃないかと思うんです。」  ラクリマは「えっ」と小さく言ったあとで困惑したように、「私、肉親っていないんですけど」とGに言った。「レスター」という名前を聞き漏らしたようだ。 (だめだ、これは)  ヴァイオラは暗い気持ちになった。溜息はつくまいと呑み込んだ。それからラクリマの肩に手をかけて言った。 「ラッキー、よく聞いて。彼は非常に嫌な顔をしているんだ」 「嫌な顔?」 「坊ちゃんに」と言ってから、ヴァイオラは名前を強調するように言い直した。「レスターにそっくりなんだ。だから…気をつけて」 「…はい」  ラクリマはヴァイオラの陰に横たわる少年のもとに屈みこんだ。彼女はたかをくくっていた。いや、そうではない。言葉では理解していた。だが、「そっくり」ということを真実理解するには、言葉では足らなかった。  目の前に倒れている少年は、本当に、レスターにそっくりだった。まるで死体だけこの世に返却されたかのようだ。ラクリマは眩暈を覚えた。視界が大きく揺らいだ気がして、思わず地面に手をついていた。目が熱い。頭が割れそうだ。それでも何とか泣くのだけは堪えた。 (手当て…そう、手当てしなきゃ)  彼女は呼吸を確かめるために、彼の顔の上に手をかざした。呼吸はあった。生温かい空気が指にかかるのを感じた。  やおら、不快感が突き上げた。 (だめ…ちゃんと見なきゃ…手当てを…)  必死で診たてを続けようとしたが、見れば見るほど不快感は募った。なぜ死んだはずのひとがここにいるんだろう。自分が見殺しにしたひとが…… 「うっ…」  ラクリマは咄嗟に右手で口を押さえた。側に立っていただれかを突き飛ばし、転がるようにしてそこを離れた。離れたところで地に吐いた。一緒に涙がこぼれた。これ以上、耐えられなかった。 (…やはりね……)  ヴァイオラは離れたままその背中を見守った。声をかけたり近寄ってさすってやったりすれば逆効果だろうとわかっていたから。ヴァイオラからその意識が伝わりでもしたのか、セリフィアもアルトもGも、だれも彼女に近寄ろうとしなかった。 (…だから流そうって言ったのに)  Gはラクリマの背中を見ながら思った。彼女は今でもこの目の前の物体を、目の前の川に蹴り入れたくてしょうがなかった。見るたび背中がムズムズするようで不快だった。自分も見たくなかったがそれ以上に、 (ラクリマさんには見せたくなかったな) と、強く思っていた。ヴァイオラたちの目を盗んで、少年をつま先で軽くなぶるように蹴った。だが気は収まらなかった。  アルトは先ほどまでラクリマがいた場所に屈みこみ、少年を観察した。一同の中で一番の新参者である彼には、レスタトについての記憶もあまりなかった。参加した翌々日にこのパーティは壊滅したからだ。アルトも一度死んだはずだった。あのとき、レスタトが奇跡を起こしてくれなかったら……。そう多く話したわけではなかったから、レスタトがどんな人物だったかはよくわからない。そのアルトが見てもこの少年の見た目は彼に生き写しだった。瞳はわからないが、明るい金髪、すっと抜けるような鼻すじに、貴族的な鼻梁と口元、その整った顔の造作すべてがレスタトを思い出させた。アルトにとって彼は命の恩人だった。だから、それと同じ顔をした「別人」を目の前にして、彼はどうしてよいやら途方に暮れた。  セリフィアはもう一度立ったまま少年を見下ろした。これだけ似ていると、さすがの彼も少々気味が悪かった。鬱状態でなければきっと怒りを沸き立てたのだろうが、今はただ気味悪く思うだけだった。本当に他人だろうか? だとしたら…… (世の中は広い…)  何がなしそう思ってから、彼はもう一度ラクリマを見やった。  ラクリマは、もう吐くのをやめていた。のろのろとした動作で辺りを清め、手を洗い顔を洗い口をすすいだ。やっとのことで立ち上がると、深呼吸をした。それから、ヴァイオラたちの方へ向かって歩いてきた。 「ごめんなさい…」  だれに言うともなくそう言って、少年の脇にかがみ込んだ。アルトは即座に立って、その場所を彼女に譲った。ヴァイオラは彼女の後ろにかがみ、背中から肩を支えてやった。  ラクリマはもう一度少年を診た。呼吸はしっかりしている。水は飲んでいない。打撲はあるかもしれないが、鎧の上からではわからなかった。あとは… 「……」  少年が何か言ったようだった。彼の意識が戻りそうなことにラクリマは気づいた。みんなに「気がつきそうです」と言おうとしたが、口が開かなかった。顔を横や後ろに振り向けることもできなかった。目は少年の顔に釘づけになっていた。  少年はゆっくりと目を開いた。レスタトより暗い感じの、だが同じ緑の瞳をしていた。少し視線を彷徨わせてから、ラクリマの顔を見て「ジェラ…?」と呟いた。 「え?」  ラクリマは彼が何を言ったのか、聞き取ろうとして顔を寄せた。  少年---カインは目の前に少女の顔を見いだした。ああ、ジェラルディン。無事だったのか、よかった。そんな真っ青な顔をして。俺は大丈夫だから心配するな。それで彼はいつものように「ジェラ」と、もう一度繰り返し呼んだ。だが、目の前のジェラルディンは顔を上げ、よくわからないというように彼を見つめ返した。カインはそのとき、ジェラルディンと思っていた少女の背後に、黒髪の、見たことのない麗人が控えているのを認めた。  ジェラルディンではない…?  僧服も聖印も、フィルシムの下町の、ジェラと同じものだ。それにその顔は……だが…… 「…ここは? あなたがたは?」  カインは声を発した。その声は、いや、その声こそ、レスタトにそっくりだった。ヴァイオラは鳥肌が立つような気がした。 「ここは二又川。フィルシムの近くです。私たちはフィルシムへ帰る途中で、あなたがここに倒れているのを見つけたんです」  ヴァイオラはできるだけ事務的に語ろうとした。感情を差し挟んだが最後、今まで溜め込んできたもろもろの情が、この場で噴出してしまいそうだったからだ。 「二又川……今は何日の、いつごろですか」  ヴァイオラは日時をカインに教えてやった。カインはすでに上体を起こしていたが、あらためてヴァイオラたちに「助けていただいてありがとうございます」と、レスタトそっくりの声で礼を言い頭を下げた。それからラクリマをじっと見た。ジェラルディンにそっくりだ……だが別人らしい。そう判断した途端、哀しみが彼を襲った。  カインは自分が素顔を晒していることに気づき、顔の下半分を覆面で覆った。なぜ覆面をするのか、ヴァイオラが尋ねたが、彼は「いろいろあって」としか答えなかった。ますますアヤシイ奴、と、Gは反感を募らせた。 「こんなときに失礼かもしれませんが」と、ヴァイオラはさらに尋ねた。「どうしてこんなところに? 何があったんですか?」 「俺たちは…フィルシムのシーフギルドで仕事を請け負って…ある冒険者パーティの遺品を回収するために指定された遺跡へ行ったんです。だがそこには……その遺跡はハイブの巣になっていた…」  全員が総毛立った。 「その遺跡は、ここからどのくらいです?」  カインは遺跡の位置を答えた。それはフィルシムからごく近くにあるらしかった。間違いない、セロ村で蒔かれたのとは全く別のコアだ。一体いつの間に…?  皆がハイブコアのことで胸を痛めていたそのとき、ラクリマはむしろカインの声で胸を痛めていた。カインの声……レスターと同じ声……声が、頭の中で幾度もこだましながら響き渡る。頭が割れそうだった。聞きたくない、もうこれ以上は。お願い、これ以上、喋らないで。  だが、カインの声はまだ話を続けていた。 「結局、みんなやられてしまった……俺は…川に落ちて…」  カインは思い出した。あのとき、最後に聞いた言葉。川に落ちるその瞬間に。……そして今も耳に鮮やかに残る言葉。 『お願い、カイン。あなただけでも逃げて…』 (君か、ジェラルディン…君が、俺を……)  答えはなかった。代わりに、カインは目の前で、ジェラルディンの顔をした少女が気を失うのを見た。ラクリマにはこれ以上彼の声を聞くことは、本当に耐えられなかった。それで耳を塞ぐために彼女は意識を飛ばしてしまったのだった。ヴァイオラはそのラクリマの身体を背後で受け止め、「少し寝かせてやって」とセリフィアに預けた。  察するに、カインのパーティはギルド(ないしギルドの顧客)にハメられ、餌としてハイブコアに送り込まれたらしい。そして運良く(あるいは運悪く)カイン一人だけが生き残ったのだろう。一人が全滅を引き受けたパーティと、一人が全滅を免れたパーティの出会い…これはどういう符号なのだろうか。  ヴァイオラは、気が進まなかったがカインにフィルシムまでの同道を申し出、カインもそれを受けた。ラクリマはこのまま起こさないことにした。それで、カインの鎧をヴァイオラが持ち、カイン本人はセリフィアが、ラクリマはGが背負ってフィルシムに向かうことにした。 「あのひとは何て名前なんですか?」  セリフィアの背中で、カインはジェラルディンそっくりの少女の名を尋ねた。 「………」 「彼女はラクリマさんですよ」  黙って答えようとしないセリフィアの代わりにアルトが返事した。 「ラクリマ……」  カインは呟いた。ではやはり彼女はジェラルディンではないのだ。だが、どうしてこうも似ているだろうか。 「彼女は…」  フィルシムの神官なのか、と、訊こうとしたのをセリフィアがむっつりと遮った。 「悪いが黙っていてくれないか。気が散るんだ」  それはGもヴァイオラも思っていたことだった。レスタトそっくりの声をこれ以上耳にするのは、ラクリマでなくても辛かった。  カインは何も言わずに黙り込んだ。アルトが申し訳なさそうにこちらを見るのがわかった。このパーティにも何やら曰くがあるらしいと、ただそれだけが理解された。  しばらくしてラクリマが目を覚まし、Gの背から降りた。彼女がこわごわ自分を見るのをカインは認めた。自分と目が合うやいなや顔を背けてしまうのも。  いたたまれなくて、「黙っていてくれ」と言われたのも忘れ、カインはアルトに話しかけた。「みなさんはどちらからいらしたんですか。」「セロ村です。あのぅ…カインさんはその、フィルシムの方なんですか?」「…そうです。」「えっと、えっとその、フィルシムはもうすぐですから、安心してくださいね。」「………」「あ、あの、カインさん、お若いのにしっかりなさってますよね。もうずいぶんとたくさん経験されてるんですか。」「…俺はまだ15才です。」  15才…! 一同は耳を疑った。  なぜならそれはレスターと同じ年齢だったからだ。  あまりの符合に、セリフィアは背中の人間を振り落としたくなった。 「そ、そうなんですか。ボ、ボボ、ボクも15才だから、同い年ですね」  おろおろと取り繕うアルトよりも、カインはラクリマの方を気にして「彼女、具合が悪そうですが」と言った。  カインの声が号令となったかのように、ラクリマはまたその場にうずくまってしまった。「大丈夫ですか」と繰り返すカインに、Gもセリフィアも「お前のせいだ」と叫びたかったが、何分、鬱状態だったので口から先まで言葉が出ていかなかった。ただ、二人ともむっつりとカインを睨みつけた。 「ジーさん、面倒みてやって」  ヴァイオラはそう言ったあとでカインに向き直った。 「カインさん、悪いんだけど、フィルシムに着くまではもう喋らないでいていただきたい」 「それはどういう…」  カインは理由を聞き募ろうとしたが、ヴァイオラの有無を言わさぬ態度に圧され、黙り込んだ。扱いに何やら理不尽なものを感じながら、今の彼にはそれを跳ね返す気力も体力もなかった。以後は、何か喋ろうとするたびにヴァイオラから、Gから、きついまなざしが飛んでくるので、結局無言に徹さざるを得なかった。  Gはひたすらフィルシムに早く着きたかった。鬱状態のうえにこんなレスタトそっくりの人間を連れていかなければならないなんて、うんざりだった。ラクリマさんは具合悪くなっちゃうし。こいつがレスターそっくりの声で喋るからいけないんだ。フィルシムに着いたら真っ先にこのレスタトモドキのアヤシイ奴と別れてやる。ただそれだけを心の支えに、ラクリマを担ぎながら歩きに歩いた。  彼女の願いが通じたわけでもないだろうが、日暮れから少しして、向こうにフィルシムの大門が見えたようだった。皆、一様にホッとした。  大門はすでに閉まっていたので、一同はその脇の小さな門へ足を向けた。と、そこに長い、長い剣を担いだ女性が立っていた。一目でセリフィアと同じ、10フィートソード使いだとわかった。  案の定、彼女はセリフィアに向かって話しかけてきた。 「セリフィア=ドレイクだな? この剣の道を究める気はあるか?」  だれが手配してくれたのか知らないが、セリフィアにとっては僥倖だった。 「もちろん」 と、彼は間髪を入れず応えた。 「では明日から技を磨きに来るがよい」  これでショーテスまで戻らなくて済む、と、彼は胸をなで下ろした。が、問題がひとつあった。 「実は現金の持ち合わせがないのですが…」  セリフィアが気後れしながらそう告げると、女性はやや呆れ顔になって言い放った。 「では諦めるか」 「これっ! 遣ってください!!」  Gが突然、自分の懐から宝石を取り出し、二人の前に突きだした。 「G、でもこれは君の…」 「いいんです、遣ってください!」  二人のやりとりをよそに、女戦士はGが差し出した宝飾品のうち4分の1ほどを取り上げて、「よかろう。明朝ここへ来い。待っているぞ」と、セリフィアに念を押した。 「よかったですね、セリフィアさん!」 「ありがとう、G」  ヴァイオラはおやと思った。そういえば日が沈んで月が昇った。新月の、鬱状態の3日間は終わりを告げたらしい。Gもセリフィアも普通の様子に戻ったようだ。何はともあれ、一安心だった。 6■フィルシムの夜 「あの、皆さん、よかったらパシエンスへいらっしゃいませんか? おもてなしはできませんけど、寝る場所だけだったら…」  ラクリマがそう申し出てくれたので、すでに夜でもあり、一同は彼女の所属するパシエンス修道院へ転がり込むことにした。  Gの予想に反して、カインもくっついてきた。ラクリマがカインも誘ったからだ。 (あんなひと、誘わなきゃいいのに…)  Gは心の中で声を大にして言ってみた。本当は実際に声に出して言いたかったが、それだとラクリマに嫌がられそうな気がして、めずらしく遠慮したのだ。  パシエンス修道院に着いてすぐ、一同は院長に目通りした。目通りというよりは簡単な挨拶といったほうがいいかもしれない。宿を借りたい旨を伝えると、院長は快諾した。それから、ラクリマの方を向いて「あとで私の部屋に来なさい」と命じた。彼も彼女の精神の危うさに気づいたらしかった。  修道院の大部屋に通されて、一同はようやく一息つくことができた。すでに夕食の時間は終わっていたので、めいめい、手持ちの保存食を食べて食事を済ませた。 「…カインさんは?」  ラクリマが尋ねた。カインは、川に流されたために手持ちの食糧がなかった。だがだれも彼を気に懸けようとしなかった。というよりむしろ、彼とこれ以上関わりたくないようだった。  カインは特に何も無心しなかったが、やはりひもじそうなのを見て、ラクリマは厨房で残り物を見繕い、火を入れ直して彼のところへ持っていった。 「ありがとう」  だがそう言われてもまともに顔を見ることはできなかった。ただ、俯きがちに「どうぞ、一晩ゆっくり休んでください」と言うのが精一杯だった。  すると何を思ったかセリフィアが、 「明日には出ていけということか?」 と、要らぬツッコミを仕掛けてきた。 「おお〜、セリフィアが喋るようになった!」  Gとヴァイオラは手を叩いて喜んだ。ラクリマは慌ててカインに、「一晩と言わず、いくらでも体を休めていってください」と弁解するように言った。 「それじゃ…私はこれで…お休みなさい。…さよなら」  ラクリマが、おそらく院長の部屋へ行くのだろう、部屋を去るその背中を見ながら、これでよかったのだとヴァイオラは思った。今は「正面向いて戦え」などというべき時期ではない。カインという拾いものをしたせいで、話は余計にややこしくなりそうだし……。  そういえばカインはこれからどうするのだろう? フィルシムへ着いたらカインとはお別れだと思っていたのに、何故だかこちらについてくる。それはどうもラクリマにも原因があるらしい。彼女が、彼の知っている(あるいは「知っていた」)だれかに似ているんじゃないか、というのが、ヴァイオラの推測だった。あれだけ目で追っているのだから。  だが、カインよりもラクリマよりも、ヴァイオラには気に懸けなければならないことがあった。夜間ではあったが、彼女はフィルシムの神殿本部へ出かけていった。  ヴァイオラが出かけたあとで、カインはアルトに尋ねた。「私の顔か何かが、皆さんに嫌われているようだが…。」  アルトは悩んだ。実はレスターのことを話そうとして、「どうせ去っていく人間なんだから、変なことを教えない方がいい」とヴァイオラに釘を刺されていたのだ。だが、このまま黙っていることは彼にはできなかった。とうとう彼はレスターのことを喋ってしまった。カインにそっくりの神官がパーティにいたこと。その神官が命を投げ出し奇跡を呼んで、自分たちを生還させてくれたこと。だから…カインを見るとレスターを思い出して、他のみんなも変な気がするのだろうということ。  Gはそれを聞いていたが、口は挟まなかった。ただ、あとでヴァイオラさんに報告しようと、眠い目を一所懸命開けてヴァイオラの帰りを待った。  ヴァイオラはフィルシム大神殿で、取次係に「火急の用件で、ロウニリス大司祭にお会いしたい」と告げ、以前もらった親書を身分証明の代わりに提出した。書簡のおかげで門前払いを食わされることもなく、彼女は立派な客間に通された。  待つこと1時間、ロウニリス司祭本人が現れた。まさか本人が会ってくれるとは。ヴァイオラは、今さらながら一連のハイブ騒動の重大さを知った気がした。  ロウニリス司祭に促されて、ヴァイオラは、まず、二つのハイブコアについて報告した。セロ村近辺で自分たちが確認したコアと、今朝方カインたちが遭遇したコアについて。セロ村の方はともかく、カインの遭遇したフィルシム近郊のコアについては彼も寝耳に水のようだった。 「そちらのコアについては、ただちに騎士団を差し向け殲滅させよう。ところで…セロ村方面には10日ほど前に、ネームレベル程度の冒険者たちを送ったはずなのだが…?」 「そのことですが…」  ヴァイオラは次に、セロ村へ来る途中であった「襲撃跡」について報告しようとした。「彼らはどうも消滅させられたようです。行く途中で襲撃に遭って…」  ヴァイオラがそう言うなり、ロウニリス司祭の顔色が変わった。彼は「場所を変えよう」と小さく言って、ヴァイオラを私室へ誘った。 「ここなら盗聴される心配はない。魔法もかけて調べてある。さて、先ほどの報告をゆっくり聞かせてもらおうか」  ヴァイオラは、街道で見つけた「襲撃跡」の報告を詳しく語った。ロウニリス司祭はそれを黙ってじっと聞いていたが、報告が終わると一言、 「それは情報が漏れていたとしか思えない」 と、溜息と共に漏らした。ヴァイオラも同感だった。神殿内にユートピア教の内通者がいることは確実だ。さらに… 「さらに、そのハイブコアへ冒険者たちを行かせるような情報を、こちらのシーフギルドが公に流しているようです」  ヴァイオラの言葉に、ロウニリス司祭は何やら考え込んだ。ややあって、彼は口を開いた。 「新しいコアの方は、こちらで早急に潰そう。だがギルドの斡旋というのが気になる。もう少し詳しく調べる必要があるだろう。その、ハイブコアから生還した青年に話を聞きたいのだが」 「明日にでもこちらに伺わせましょう。それで、フィルシム神殿においては、今後どのようになさるおつもりですか?」  ヴァイオラの問いかけに、ロウニリス司祭は目を細めた。 「それはどういう意味かね?」 「正直申し上げて、私にはもはや荷が勝ちすぎると思うのです。セロ村には戻りますが、私たちだけであちらのハイブコアを処理できるとはとても思えません」  ロウニリス司祭は気の毒そうな目を向けて答えた。 「こちらも何とかしたいのは山々だが、何しろ人材難でな。そなたも知っておるだろうが、例のディバハの一件で、有能な輩がみな向こうへ出払ってしまった。そのうえ…」ロウニリス司祭はさらに顔を暗くして、ヴァイオラに机上の羊皮紙を差し出した。「そのうえ、このようなことまで起こっているのだ。」  羊皮紙は、ショーテスが独立宣言をしたことの報告だった。 _________________________________    ショーテス独立宣言  ショートランド歴460年1月15日夕刻。ガラナーク王国領ショーテスの領主マリス=エイストは、突如独立を宣言。ショーテス王国を復国させた。  ことの真相を確認するためにガラナーク王国は、サーランドに駐屯する青色騎士団を中心とする王国軍を派遣したが、ショーテス王国との領土の境に、魔法による謎の『カーテン』がしかれているため、内部の様子は分からなかった。  ガラナーク王国軍の精鋭斥候部隊が侵入を試みるも、未だ行方不明。この『カーテン』は、SL431年のショーテス侵攻時に見られたモノときわめて類似しており、ガラナーク王国は、当時の教訓(三国初の連合軍1万人の軍勢が一瞬のうちに失われた)をもとに『カーテン』の究明と除去に全力を注いでいる。 _________________________________ 「実は、これはまだごく一部でしか知られていないことだが、四大精霊が最近戻ってきたらしい」  いきなり何の話かと、ヴァイオラが訝っていると、 「そのうちの地の王と水の王は主を決めた。水の王はカノカンナの領主に、地の王はショーテスの領主についたらしい。それで彼らもこんな暴挙に出たのだろう」  眩暈のするような話だった。 「そうすると、残りをめぐって…」 「残りの風の王、火の王との契約をめぐって、他の勢力がまたぞろ手を出すことになろう」 「風の王はどこに?」 「南西の、風の谷にいると言われる。火の王の領土は北東の龍王山だ。我々には直接は関わってこないかもしれないが、不安要素としては十分だ」  これはもう自分の手に負えることではない、と、ヴァイオラは思った。まさに荷が勝ちすぎる。そしてどこもかしこもなんと人材に欠けていることか。 「世界はそのような状況にある。なかなかセロ村にひとを割けないのもわかってもらえると思うが」 「……とりあえず、消滅したガラナーク神官レスタトの書簡をお預けします。ガラナーク大神殿に宛てて、月の魔力の異常について問い合わせたものと、もう一通は彼の実家に宛てて書かれたものです。彼の幼なじみの師匠にあたる人物が、魔力を引き出す実験をしていたようだったということで、それについて問い合わせているはずです」  ヴァイオラはレスタトの遺筆をロウニリス司祭に手渡した。 「そうか。かたじけない。ではこれは最特急便で届けよう」  ロウニリス司祭はそう言って、エアリアルサーバントを呼び、それに書簡を託した。  その様子を見ながら、実にセロ村は陸の孤島だ、と、ヴァイオラは再確認した。派遣される者もなく、情報の伝達も遅く不十分だ。そんな場所で、自分たちにどれほどのことができるだろうか。  ロウニリス司祭と、明日の再訪を約束して、ヴァイオラはパシエンス修道院に帰った。ちょうどロッツがシーフギルドから戻ったところで、今しがた彼女がロウニリス司祭から聞いたのと全く同じ情報を持ってきた。 「ヴァイオラさ〜ん」  ヴァイオラが振り向くと、今にもまぶたがふさがりそうな顔をしてGが立っていた。「アルトさんがカインさんにレスターさんのことを喋ってましたぁ」と、Gは告げ口めいた報告をした。その報告のためだけに起きていたらしい。ヴァイオラが「わかった」と頷くと、安心して寝床に入ってしまった。 (ちびが教えてしまったか…)  アルトがどんな話をしたかはわからないが、それを聞かされたカインが少し哀れに思えた。  だが、そんなことはおくびにも出さず、ヴァイオラはカインに、「明日、ハイブコアの報告をするためにフィルシム神殿の大司教に会ってほしい」とまたしても事務的に頼んだ。カインは快諾した。  一同は疲労困憊して、泥のように眠った。 7■残酷な現実  2月3日。  場所が修道院だけに朝早くから起こされた。規律の緩やかなところらしく、寝床の始末と清掃以外に大した労働は課されなかったが、セロ村にいたときよりもゆうに一刻は早い時間に朝食を詰め込まなければならなかった。カインは食堂でそれとなくラクリマの姿を探したが、彼女は見あたらなかった。  セリフィアは食事もそこそこに、物干し竿のような長剣を担いでいそいそと出かけていった。今日から10フィートソードの訓練が始まるのだ。その前に、パシエンス修道院に100gpの寄進をしていった。何も強制されないからこそ余計に、タダ飯喰らいにはなりたくなかった。  Gも、セリフィアとは別口に、「お世話になります〜」と言って100gpを差し出した。お陰でパシエンス修道院は突然潤ったようだ。  Gは、今日は修道院でお祈りと労働をするつもりだとヴァイオラたちに告げた。言葉通り、彼女は本堂でお祈りを捧げた。祈りを終えて、あらためて堂内を見まわすと、天井や壁が古い画で埋め尽くされていた。正面のヴォールトに描かれたエオリス神らしき像の画が、とりわけて美しかった。だが、どの画もところどころ絵の具が落剥していた。 「きれいでしょう」と、そばにいた女性が気さくに話しかけてきた。Gがぶんぶん首を振って肯くと、 「この建物はフィルシム市内でもかなり古い部類に入るようです。建て増ししたり修繕したりはしてますが」  Gは、へぇとかほぅとか半分上の空で答えた。エオリス神の画の背後の青に、彼女は気を取られていた。空より深い青だった。女性はそれに気づかず、言葉を続けた。 「もっと古い建物もあります。塀の外に出た先にあるシンプルな小さい礼拝堂ですが、中の壁画はここより美しいかもしれません。一面、背景が青で覆われて」  「青」と聞いてGがもの欲しそうな顔をすると、それを察して、女性は「残念ながら今日は中を見られませんが」と付け加えた。 「ひとり、篭もっているひとがいますから。でもお篭もりのひとがいなければ、明日でもいつでも、好きなときに入って見られますよ」  ちょうどよかったので、Gはこの女性に手伝えることがないか尋ねた。それから別の女性のところへ連れて行かれ、そのあとは一日労働に精出した。大枚の寄進をしたうえに労働を申し出たので「お若いのに心がけのよいこと」と感心されたが、誉められているとはわからず、とんちんかんな受け答えをしてしまった。  最初は台所で芋の皮むきを頼まれたが、皮を剥いているというよりも実を削っているような出来栄えと、今にも指を切りそうに危うい手つきとが原因で、その持ち場は早々にお払い箱になってしまった。次に洗濯の手伝いを頼まれ、女たちが洗濯板を使う様子を見ながら、真似してゴシゴシと衣類をこすった。ときどき力が入りすぎて、2〜3枚、僧服の端を破いてしまった。「いいよ、乾いたあとで繕ってもらうからさ」と言われてGは慌てた。「だっ、だめですっ、私、縫い物ってできないんです!」必死で弁解した。あとで繕うように言った女はGの必死ぶりがおかしかったのか、笑って「いいよ、あたしがやっておくよ」と言ってくれた。  最後に、子供たちの中に放り込まれた。子守をするように言われたが、何をすれば子守になるのかわからなかった。Gは、こんなにたくさんの子供を見るのは初めてかもしれないと思った。 (なんでこんなに子供がいるのかなぁ)  半分は孤児で、残り半分は通いで来ている女たちの子供だった。それにしても、五月蠅かった。虫を捕まえて見せに来る男の子や、独占しそうな勢いでおしゃべりをしかけてくる女の子、無言で体当たりしてくる子もいれば遠巻きに見ているだけの子もいた。子守しているんだかされているんだかわからない状態で、Gは夕食の時間まで過ごした。  ヴァイオラはカインを連れて、朝からロウニリス司祭に会いに出かけた。アルトが一緒に行きたいというので、ついて来させた。  神殿では昨晩の倍近く待たされて、やっとロウニリス司祭の部屋へ通された。ロウニリス司祭は一人、書記官を伴っていた。ヴァイオラがカインを紹介すると、カインは跪いて礼を取り、自分の口からもきちんと名乗りを上げた。こういうところは坊ちゃんよりもずいぶんまともなようだ、と、半ば無意識のうちにヴァイオラはカインとレスターを較べていた。  一番最初に、ヴァイオラはスチュアーのことについて触れ、クダヒの神殿に死亡の報告をしたいこと、遺族に遺品を届けたいがどうしたらよいかということを相談した。ロウニリス司祭がそれについては自分たちがあとでとりはからうと言ってくれたので、スチュアーの遺品はすべてここで手渡した。  本題に入ることとなり、ロウニリス司祭は言った。 「では詳しい話を聞かせてもらうとしよう。その前に、書記官が同席するのは構わないかね?」  ヴァイオラもカインも異存はなかった。カインが事情を語り出すと同時に、書記官のペン先がよどみなく走り出した。  カインは、自分たちのパーティが、ある冒険者パーティの遺品の回収を頼まれて遺跡へ行ったこと、そこが実はハイブコアになっていて、仲間たちは全滅してしまったこと、自分はハイブから逃れようとして川に落ちて九死に一生を得たことなどを淡々と語った。  また、ロウニリス司祭の質問にもほとんどよどみなく答えた。自分たちがその仕事を請け負ったのは、パーティの女盗賊が---ファラという名前らしく、あとでロッツ君に知らないか訊いてみようとヴァイオラは思った---シーフギルドから持ってきた話だからだと述べた。  カインの口からはっきりと、フィルシムのシーフギルドがハイブコア拡大に一役買っている証左を耳に得て、ロウニリス司祭は顔をしかめた。もはやその苦々しい表情を隠そうともしなかった。 「シーフギルドのルートは早急に調べないとまずいな…」 「私の方でも調べてはいますが…」 「いや、こちらで調査しよう。三人とも、足労であった」  ロウニリス司祭はそう言って会見の終了したことを告げた。 「今ひとつ」と、ヴァイオラはロウニリス司祭に尋ねた。「今後、また何か情報を得た場合にはこちらへうかがいますが、大司祭様はご多忙でいらっしゃいましょう。どなたか、代理で話をさせていただける方はいらっしゃいませんか?」 「あいにく…」ロウニリス司祭はさらに苦い顔をした。「そういう者は今、おらぬでな。済まぬが直接私に報告してもらいたい。できれば早朝か深夜にしてもらえればなお有り難い。」  昨日、それを言ってくれれば今日も朝早くに来たのに、と、ヴァイオラは思いながら言った。 「最後にもうひとつ、確認させていただきたいのですが、セロ村に派遣するはずだったパーティは、マジックアイテムを持っていましたか?」  ロウニリス司祭はちょっと考えて、「みな、+1程度の鎧は身につけていたはずだ。各自1つか2つのマジックアイテムは持っていただろう。ネームレベル程度のパーティなのだからな」と答えた。それから、付け足しでそのパーティのリーダーの名前がラルヴァン=ボールドウィンだったと教えてくれた。  ヴァイオラは話を聞いて、バーナードのパーティに襲われたわけではなさそうだと、安堵した。バーナードたちに対する不信が、先日からどうしても拭えずにいたのだ。彼らが帰ってきたとき、新たなマジックアイテムはハードレザー一つだけだった。これで、たぶん…おそらく十中八九は彼らではないと言えるだろう。  三人は丁寧に礼を取ってからロウニリス司祭の部屋を辞去した。 「では私は回りたいところがありますので」  カインはそう言って二人と別れた。ウェポンマスタリーの道場を見に行き、特に他にすることもなくパシエンス修道院に戻った。時間が余ってしまったので、祈りをあげる格好をして教会の建物に入ったり、水を汲む手伝いをしがてら台所に入ったり食堂に入ったりして、さりげなくラクリマを探したが、相変わらず院内に彼女の姿は見えなかった。  ヴァイオラは、アルトを連れたまま、隊商ギルドと冒険者ギルドを回った。  まず隊商ギルドへ行った。中に入ってカウンターに歩いていく途中、カウンターの端で人待ち顔の娘が立っているのを目にした。  カウンターで、「何のご用でしょうか」というのに、ロビィの遺品の中から隊商の手形を取り出して見せ、彼らが全滅したと報告した。 「本当ですかっ!! ロビィは…ロビィは…!?」  突如、カウンターの端に立つ娘が、身を乗り出してきた。彼女の次の言葉は、彼女がロビィの婚約者だろうというヴァイオラとアルトの推察を裏付けた。 「私、エステラと申します。ロビィの婚約者です。ロビィは、教えてください、ロビィはどうなったんですか」  エステラは両手を胸の前で握りしめ、声を震わせながら聞いてきた。 「ロビィさんはお亡くなりになりました。こちらが遺品です」  ヴァイオラが最後まで言うよりも早く、彼女は声を上げ、ロビィのバックパックに取りすがって泣き崩れた。痛ましい光景だった。何度経験しようとも慣れるものではない。  隊商ギルドの受付が、「わざわざありがとうございます」と礼を言った。ヴァイオラは、「短い間でしたが、彼らにはお世話になりましたから」と静かに答えた。それから、セロ村の村長から頼まれたスルフト村村長宛の書簡を依託した。最後にエステラに声をかけ、彼女の家まで送ろうと申し出た。  遺品のバックパックをしっかり抱きかかえたまま、エステラは物も言わずに歩いていった。行き交う人々は、彼女の泣き腫らした目を見て、「何事だろう」と折々振り返った。やがて、商人街の奥まった一角、ほどなく貴族の居住区に入ろうというあたりの一軒の大店の前で、彼女は立ち止まった。振り返り、二人に「ありがとうございました」と蚊の鳴くような声で礼を言ってから中へ入っていった。中で番頭かだれかが「お嬢様」と声をかけるのが聞こえた。  ヴァイオラは踵を返した。少し行って、アルトがついてこないので後ろを見ると、彼はエステラが消えていった大店の入り口を何度も振り返り振り返りして歩いていた。アルトが自分のところまできたときに、ヴァイオラは言った。 「ああいうふうに女の子を泣かせちゃだめだよ」  アルトはちょっと吃驚したような顔をし、それから神妙な面もちになった。アルトは、最初に自分がうっかりラクリマを泣かせてしまったことなど思い出しながら、(やっぱり女の子を泣かせちゃいけないんだ)と心の中で繰り返した。そして強く決意した。 (ボクは女の子を泣かせないように行動しよう。ヴァイオラさんが泣かないように、Gさんやラクリマさんが泣かないでいられるようにしてあげなきゃ)  ヴァイオラは次に冒険者ギルドへ向かった。ギルドの事務所は木賃宿の街区にあった。扉を押し開け、受付に進んでツェーレンが亡くなったことを告げた。  こちらは淡泊だった。受付は事務的にコトを処理し、「彼は天涯孤独の身でしたから、遺品を渡す相手はおりません。よろしかったらそちらでお持ちください」と告げた。ヴァイオラは書類にサインして、ツェーレンの荷物を丸ごと引き取った。ロビィのように恋人を泣かせるのも痛ましいが、逆に遺品を届ける相手がいないのも痛ましいものだ、と、サインしながら沈んだ気持ちで考えた。  このままパシエンス修道院へ戻ろうかと思ったが、思いついたことがあって、ヴァイオラはアルトを連れたままフィルシムの大門を訪れた。そこで門番に、10日かそれより少し前にラルヴァン=ボールドウィンという冒険者一行が出立していないか、尋ねてみた。  確かに、ラルヴァンの名が記されていた。二人は日付を頭に入れた。1月20日だった。強行軍か何かでもしていない限り、あの場で戦闘があったのは1月21日だったことになる。  同じ日に、やはり同じくらいのネームレベルパーティが出立しなかったかと、門番に尋ねたが、一日に100組以上もの冒険者たちが出入りするので、そんなものは覚えていないと軽くあしらわれた。 「帰ろうか」「そうですね」  二人がパシエンス修道院に帰り着いたのは、すでに日も暮れかけたころだった。 8■パシエンスのサラ  ちょうどロッツがギルドから戻ってきていた。カインとGはもとより、セリフィアもヴァイオラたちより先に戻っていた。  ヴァイオラはロッツに、カインのパーティにいたファラという女盗賊を知っているか、尋ねた。 「ファラですか。ファラはストリートの人間ですが…あっしとは敵対していたグループの奴でしてね。」そう答えてから、ロッツは訝しげにカインを見やった。「じゃあ、坊ちゃん…いえ、カインさんもここの出身で? でも…これだけの美男子をあっしが覚えていないなんて……」 「顔の話はするな」  カインが冷たく言い放つそばで、Gは思った。(やっぱりこいつ、アヤシイ…。犯罪人じゃないのか?)  ヴァイオラは、ファラがギルドのどこの支部から話を受けたか、調査してほしいとロッツに頼んだ。 「けど、そろそろ危ないから、調べるときは気をつけて」 「ええ…。姐さん、その『危ない』って件でやんすが、いつまでここにいるおつもりで?」  そのことはヴァイオラも考えていた。この修道院に厄介になるのは楽だし経済的で有り難いのだが、ここに居続けると、万が一、ユートピア教の魔の手が自分たちに伸びてきたときに、心ならずも巻き込んでしまうことになる。 「そうだね。『青龍』亭に移動しよう」 「わかりやした。じゃああっしはもうひとっ走り行ってきまさ。あとで直接『青龍』亭へ行きやすから」 「ああ、とにかく気をつけて、ね」  ロッツは一旦部屋から出ていこうとしたが、戻ってきてヴァイオラに「忘れるところでした」と紙切れを渡した。 「師匠(せんせい)のご家族の消息についてまた少しわかりやしたぜ。師匠(せんせい)にお伝えする役は姐さんにお任せします」  ロッツの背中を見送ったあと、ヴァイオラは手渡された紙片を見た。細かい字がびっしりと書かれている。内容は次のようだった。  セリフィアの父であるルギア=ドレイクは、フィルシムでのハイブコア殲滅の依頼をこなした後、一人でどこかへ旅立ってしまった。その理由として、当時の冒険者仲間と仲違いをしたのではないかといわれているが、よりハイブを多く倒せる場所に移ったのでは、ともいわれている。  その後の足取りについては、現在ラストン王国主体の『第三次ハイブ討伐隊』メンバーにその名を見ることが出来るが、ラストン王国崩壊後、詳しい行方は不明である。  なお、ルギアの長子アーベル=ドレイクも一年ほど前にこのフィルシムを訪れている。当時、貧民街を中心に話題となっていた『ユートピア教団』の足取りをつかむ依頼を受け、仲間とともに行方不明となった。現在の教団の台頭を見るにこの依頼は失敗したものと思われる。 「………」  ヴァイオラは少し逡巡したあとで、セリフィアをそばに呼んだ。浮かぬ顔で「お父さんと、お兄さんのことが書いてある」と紙片を渡し、セリフィアがそれを読むのを見守った。セリフィアはやや青ざめて、しばらく紙片から目を離せずにいたが、やがて顔を上げて小さく「ありがとうございました」と、紙片を返して寄越した。無表情ながら、さすがに辛そうだった。 「みんな、ちょっと集まって」  ヴァイオラのかけ声で、セリフィア以外も集まってきた。カインは少し離れたところから耳をそばだてた。  ヴァイオラはそこで、ショーテスの独立宣言のこと、魔力のカーテンのこと、それからラルヴァン=ボールドウィンのパーティのことを皆に話した。 「そういうわけで、ユートピア教も本気で妨害してきている。何があるかわからないから、十分に気をつけること。フィルシムでは絶対にひとりで行動しないで、必ず二人以上で行動して。それから…」ヴァイオラは息を継いだ。「このまま修道院にいるとここのひとたちが危ない目にあうかもしれないから、これから『青龍』亭に移動します。」 「は〜い」  唯々諾々と従い移動の準備を始めた仲間を見て、ヴァイオラはこれでいいのか危ぶんだ。もうちょっと自分の頭で考えるようになってもらわないと……  その物思いは、レスタト…いや、カインの声で中断された。 「私も『青龍』亭へ同行して構わないだろうか? 仇討ちをしたい。君たちのそばに居た方が、仇の情報を得られそうだから…」  ヴァイオラは承諾した。向こうでGが不満そうな顔になるのがわかった。  最後にラクリマに挨拶しようと、ヴァイオラは修道院の中を探して歩いた。本堂にはだれもいなかった。食堂は、ちょうど夕食の用意をしているらしく、数人の女性が立ち働いていた。が、その中にもラクリマはいなかった。  女性の一人を捕まえて、ラクリマがどこにいるか尋ねた。彼女は首を傾げていたが、「こちらへ」とヴァイオラを居住区の部屋の一つへ案内した。 「サラさん、失礼します」  その女性はそういって部屋へ入り、部屋の主と少し喋ったあとすぐに出てきて、ヴァイオラに一礼するなりその場を去ってしまった。(えっ)と思って、一瞬、彼女の背中を目で追ってしまったヴァイオラに、部屋の方から「どうぞお入りください」と声がかかった。声の方を振り向くと、開いた扉に部屋の主らしきひとが立っていた。その人物は男のように髪を短く切り揃えており、背丈と肩幅から一見美丈夫のように見えたが、僧服の上から見て取れるように、身重の、女性のようだった。 (もしかしてこれがラッキーの姉貴分…?)  ヴァイオラは以前、ラクリマに聞いていたサラという神官の話を思い出しながら、部屋の中に入り、勧められるままに椅子に腰掛けた。前回、パシエンスに泊まったときは彼女には会っておらず、今が初めてだった。部屋の主---サラは、自分の名前を名乗ってからヴァイオラに告げた。 「ラクリマに会いたいそうですね。申し訳ありませんがあの子は今朝からお篭もり中で、未だ戻らないようです。私でよければ代わりに話を伺いましょう」  ヴァイオラは昨日今日と世話になった礼を言い、自分たちはこれから「青龍」亭に移動するので挨拶したかったのだと述べた。サラはラクリマにその旨を伝えることを確約してから、つかの間、ヴァイオラをじっと見ていたが、 「あなたがヴァイオラさん?」 と、単刀直入に聞いてきた。ヴァイオラは肯き、 「ラ…クリマさんから、サラさんの噂はかねがね聞いております」  いつものように「ラッキー」と言いかけ、慌てて言いなおした。 「ラクリマがあなたにはずいぶんとお世話になったようですね。ありがとうございます」  サラはヴァイオラに頭を下げた。うわべだけでなく、心からそう思って言っているらしかった。それから「セロ村はどうでしたか?」と気さくに尋ねた。 「そういえばラ…クリマが言ってましたが、サラさんは以前セロ村へ行かれたことがあるとか?」 「サラで結構ですよ。ええ、セロ村へは何度か行きました。半年ほど前まで私も冒険者でしたから。」そう答えたあとで彼女は、それでもここ2年くらいは足を踏み入れていないから、村の状況は知らないのだと付け足した。 「懐かしい名前です」  サラは噛み締めるように言った。どうも「懐かしくてたまらない」とか「もう一度行きたい」といった風情ではなかった。あまり良い印象を持っていないのかもしれないな、と、ヴァイオラは思った。それもセロ村相手では無理からぬことのように思える。 「そういえば、ルギアという魔術師をご存知ではありませんか?」 「ルギア? ええ、もちろん知っていますが。どうしてあなたがその名前を?」サラは次いで言った。「ルギアとはセロ村の事件のときに一緒だったのです。」  やっぱり、と、ヴァイオラは思った。セリフィアの父、ルギア=ドレイクがセロ村を訪れた時期と、ラクリマに聞いていたサラの大きな冒険(それもセロ村がらみで)の時期とが一致するようなので、もしやその二人は知己ではないかと以前から疑っていたのだ。  ルギアの息子を知っているのだと告げると、サラはとても喜んで言った。 「ルギアにも、ラグナーにもリッキィにも、あのときの仲間には、私はいくら感謝してもし足りない。彼らがいなければ、今ここにこうしていなかったでしょうから」  今度こそ、本当に懐かしむような表情を彼女は浮かべた。 「それもセロ村であったことなんですか?」 「ええ、セロ村であった…と、言っていいでしょうね。いやな事件でした。おかげであの村にはあまりいい印象がありません」  必要以上の感情を交えずに語るサラを見ながら、ヴァイオラは納得した。そういえば、と、サラは話の向きを変えた。 「リールもまだ村にいると、ラクリマの手紙に書いてありましたが…」  結局ラクリマ本人によって届けられることになった書簡を、サラは昨晩のうちに読んでいた。リールというのは、セロ村にいる頭の弱い娘、いわば「神のいとし子」だ。現在はキャスリーンが養っている。「ええ、います」と答えるヴァイオラを見ながら、サラは何かしら迷っているようだったが、やがて口を開いた。 「それで、『森の女神』亭は相変わらずウェイトレスを置いているのですか?」 「ええ、そうです…」と、答えながらヴァイオラは何か閃くものを感じた。言葉に何か含みがある…もしかしてこのひとは知っているんだろうか? 「失礼ですがご存知なんですか、あのことを?」 「あなたがそう答えるということは、あそこではまだやっているのですね」  サラは苦い笑みをこぼした。二人が話しているのは「森の女神」亭での闇売春のことだった。 「確かにやっていますが、今いるウェイトレスは二人ともその役を承知の上で働いていますから、大丈夫でしょう」 「ウェイトレス二人とも…? ではもしやリールは役目を解かれたのですね」  この台詞はヴァイオラにはショックだった。ヴァイオラはリールを好きだった。美しく、無垢な神の愛し子…そのリールが以前、そんなことを?  ヴァイオラを見据えて、サラは続けた。 「リールは村公認の娼婦でした」  ヴァイオラは声が出なかった。サラはそのまま淡々と語った。 「5年前、私が最初に訪れたときはそうでした。そのあとはよく知りません。先ほど言ったいやな事件が『女神』亭とも関係あって、お互い、何とはなしに遠ざかっていたものですから」  ヴァイオラはやっと気を落ち着けた。これは…この話はラクリマには言えまい。サラは私を選んで伝えてきているのだ。ありがたいような迷惑なような、判じがたい気分だった。リールは今はその役目を解かれているようであること、日々幸せそうであることを伝えると、サラはほっとしたような表情になった。  彼女はそのあと、ジールという娘について何か知らないかと尋ねてきた。セロ村での知己らしいが、村を出奔してしまったらしかった。 「そのひとのご両親は?」 「身寄りはいないはずです。お父さんは猟師でしたが、もう亡くなってましたし、お母さんは……彼女の母親はずっと病気で、数年前に亡くなりました。そのときに彼女も村を出ていってしまったようです」  そう語るサラの瞳にはやや翳が落ちたようだった。 「戻ったら聞いてみましょう」 「いいえ、キャスリーンも知らなかったのだから、おそらく聞いてもわからないでしょう。ただ、もし何かの折に耳に挟むようなことがあれば、ぜひ私に教えてください」  ヴァイオラは承諾した。セロ村に戻ったら、ガギーソンあたりに聞いてみようと思いながら、部屋を辞した。 「ラッキーはお篭もり中だそうだ。代わりにサラさんに挨拶してきたから、そろそろ出ようか」 「サラ…? サラって、サラさんですか? ここに?」  ヴァイオラがそう言うと、すぐさまセリフィアが反応した。予測どおりだ。父親のルギアから、セリフィアもサラのことを聞き知っているらしい。 「俺も挨拶してきます」  セリフィアは部屋の場所を聞くなり出ていった。「あ、ボ、ボクもご挨拶を」と、アルトがそのあとを追いかけた。  二人は教えてもらった部屋のドアをノックし、快く招き入れられた。 「お世話になってありがとうございました」 「こちらこそ、ラクリマによくしていただいて感謝しています」  一通り挨拶をやりとりしたあとで、セリフィアは「サラさんのことは親父から聞いてます」と口にした。「俺はセリフィア=ドレイク、親父はルギア=ドレイクです。」 「あなたがルギアの息子さん?」  サラの顔に嬉しい驚きが表れた。それから二人はルギアのことなど、とりとめなく喋った。  どうもこれはしばらく終わりそうにないと見て、アルトは「じゃ、じゃあ、ボクはちょっとお先に失礼します」と部屋を出た。  アルトが戻ったとき、ヴァイオラはGと四大精霊についての話をしているところだった。 「…は…が倒して…結局全滅していたのに、復活したんですね…」  Gがそう言って俯いたところで、アルトはヴァイオラたちに声をかけ、セリフィアの方は話が弾んでいるから少し時間がかかりそうだと報告した。セリフィアが雑談していると聞いて、ヴァイオラもGも少なからず驚いた。 「セリフィアさんが雑談してるんですか!?」 「そりゃ目出度い」 などと喜ぶ彼らを見て、向こうでカインが首を傾げたようだった。  サラの部屋ではその雑談がまだ続いていた。 「ルギアが今何をしているかは聞いていますか?」  彼女に尋ねられて、セリフィアはちょっと辛そうに「最近知りました。ずっと探してここまできたのに、まさかラストンへ戻っているなんて…」と吐露した。 「サラさんは親父のことで何かご存じありませんか?」 「そうですか……残念ながら私も半年以上、彼には会っていないのです」  サラはちょっと考えるようにして、再び口を開いた。 「ルギアのことなら、私よりもラグナーの方が詳しいでしょう。あいにく今日はまだ戻っていませんが…。でも、どうか元気を出して。私たちがあなたとここで出会えたのも神の御計らいに違いありません。ルギアにもきっとそのうちに会えますよ。それまでは彼の…彼とあなたのご家族の無事を祈りましょう」  ラグナーという名前を耳にして、セリフィアは懐かしく思った。父親が家に連れてきてくれたことがあり、彼のこともよく知っていた。セリフィアが冒険者になったのも、父親よりは彼の影響が大きかった。 「あっ、長いことお邪魔してすみません」 「いいえ、久しぶりに友人のことをお喋りできて、私もとても楽しかった。ありがとう」  サラはそう言って、立ち上がるセリフィアに微笑んだ。 「またいつでもいらしてください。歓迎しますよ」  セリフィアは幸せな気分で部屋を出た。心が少し軽くなった気がした。知らず、自分も何かこの修道院のためになることができないだろうかという想いが生まれていた。 9■持つべきものは友  アルトはひとりで先に「青龍」亭へやってきた。扉を抜けて中に入りばな、だれかとぶつかった。それが宿の親父だったので、「すみません、すみません」と謝りながら、空いている部屋があるか腰を低くして尋ねた。 「ああ、あるぜ。」宿の親父は小柄なアルトを見下ろして言った。「何人だ?」 「えっ、えっと…」アルトは頭の中でざっと勘定し、「5人です」と答えた。 「5〜6人用の部屋がある。一人一泊1gpだ。食事は別料金」  宿の親父はぬっと右手を突きだした。 「全額前払いだ」 「えっ…」  アルトは咄嗟に暗算した。これからマスタリーの道場に2週間通うから、14泊×5人で70gp…自分の懐に幾らあるか思い出したが、とても足りなかった。 (どうしよう、どうしよう) と、おろおろしているところへ、扉が開いて、「どうしたの、ちび」と声がかかった。 「あっ、ヴァイオラさん〜、先払いって言われて…」  アルトが言い終わる前に、1階酒場のテーブルから声が飛んできた。 「ヴァイオラだって!?」  3人の男が立ち上がってこちらを見ていた。ヴァイオラはそちらに顔を振り向け、叫んだ。 「トール!!」  喜んで駆け寄り、一人を力一杯抱きしめた。トールはクダヒのストリートキッズのリーダーで、ヴァイオラの親友だった。彼は仲間内の呼び名で彼女を呼んだ。 「久しぶりだな、ヴァーイ!」 「お久しぶり! こんなところで会えるなんて!」  ヴァイオラはもう一人の顔を見て驚いたように、「ルーじゃないの、どうしたの」と口にした。ルーと呼ばれた男は「久しぶり」と小さく言って、元の席に座り直した。彼、ルーウィンリーク=クロイツフェルトは、クダヒの神学校での同期生だ。常にトップの成績で、先生方の御覚え目出度き根っからの「優等生」だった。親しくはなかったが、お互いのことはよく覚えていた。 「ヨカナン・トルゥ=ヴァイオラ!!」  いきなり、フルネームで呼ばれてヴァイオラは3人目の男を振り返った。見たことも聞いたこともない顔だった。 「…どちらさまで?」 「君が振った君の婚約者だっ!!」 「はぁあ!?」  自称・婚約者が怒声を張り上げている脇で、ルーウィンリークが吹き出した。トールは声を上げてげらげらと笑った。ヴァイオラには何が何だかさっぱりわからなかった。 「どうしたんですかぁ、ヴァイオラさん?」  折悪しく、Gやセリフィアやカインも到着していた。 「婚約者って何ですかぁ?」  Gが目をきらきらさせながら尋ねてくるのを押さえて、ヴァイオラは「とにかく、申し訳ないが部屋を取りますので、話はあとで」と自称・婚約者をなだめ、宿の親父に前金で宿代を支払った。その横で、 「相変わらず子守りしてんの? いつまで経っても変わらないな」 と、トールが笑いながら言った。図星を指されたようで、ヴァイオラは苦笑して返した。「あとでね、トール。」  部屋に落ち着いたあと、ヴァイオラはひとりで宿の階段を降りた。トールたちはまだ先ほどのテーブルで食事していた。すぐ隣のテーブルにカインがいたが、彼のことはあえて気に留めずにトールたちのテーブルに近づき、先ほどの見知らぬ男にきちんと礼を取って名乗った。 「私がヴァイオラです。あなたは…?」 「ガウアー=ベヴィス=アベラードだ」  青年はむすっとしたまま、自分も名乗りをあげた。 「失礼ですが、私の婚約者というお話はいったい……?」 「言葉の通りだ。見事に振られたが」  いつどこで私が見たこともないあなたを振れるのよ、と、心の中でツッコミを入れるヴァイオラに、ガウアーは一枚の羊皮紙を取り出して見せた。それは彼女の父親が彼の父親ととりかわした、正式な婚約の証書だった。ヴァイオラが呆れてモノも言えずに証書を返したところで、横からトールが話に入ってきた。彼はガウアーの肩に手をかけ、笑いながら話した。 「いや、ケッサクなんだぜ、ヴァーイ。こいつ、『オンナ』に振られて、自分を磨き直すために冒険者になったんだ」  ヴァイオラは「オンナって…?」と目で問うた。トールは「お前だ」というジェスチャーで返した。 「仕方ないだろう、ガウアー。ヴァイオラは知らされていなかったんだろうから」  やや意地悪そうにルーウィンリークが言った。昔からちょっと鼻につく、嫌味なしゃべり方をする男だったけど、まだその気が残っているんだな、と、ヴァイオラは思った。だからてっきり先生方の推薦を得て、優等生らしくお堅い名誉ある職につくと思っていたのに、まさか冒険者になるとは(まだ彼の口から聞いてないけど十中八九、冒険者だろう)。意外に骨のある男。ヴァイオラはルーを見直した。ひとを見た目で判断しちゃいけない。  それにしても他の人間が知っていて、自分だけ事情を知らないのは気持ち悪かった。ヴァイオラは、詳しい事情を教えてほしいと、ガウアーに丁寧に頼んだ。  ガウアーやトール、ルーウィンリークらが代わる代わる説明してくれた話によれば、どうやらすべては自分の父親の謀りごとらしかった。相談なく、勝手に婚姻を進めようとしていたのだ。ガウアーの実家アベラード家は新興の貴族で、ヴァイオラも名前を聞いたことがある。賭けてもいい。絶対に、アベラード家の資産目当てだ。本人の知らぬところで結婚の準備は着々と進められていたが、彼女がクダヒから出ていってしまったことで、縁談がご破算になってしまった。ガウアーはそれを「振られた」と認識して---そこから先がなぜそうなるのか理解に苦しむのだが---、オトコを磨くために冒険者になったのだという。 (なんてこと…)  ヴァイオラは天を仰いだ。もっともここでは黒光りする天井しか見えなかった。  だがすぐに気を取り直し、ガウアーの目を正面から受けとめて謝罪した。 「親が勝手に決めたこととは思いますが、あなたの心を傷つけたのなら、申し訳ありませんでした」  途端にガウアーはにっこり笑って、さきほどの証書をダガーで真っ二つに裂いて見せた。赦してくれたらしい。実は侠気(おとこぎ)のあるいい奴なのかも、と、思ったとき、視線を感じて階段の方を振り返った。Gがいた。  Gは「こんな面白そうなこと、ラクリマさんに教えたらきっと喜んでくれる」と思って、ヴァイオラを追って、さっきからずっと階段で聞き耳を立てていた。聞こえてくる話に自分の想像力をミックスしながら、羊皮紙に「ヴァーさん新聞」を書きつづった。わくわくして思った。絶対、ラクリマさんに見せるんだ、喜んでくれるから。 「ジーさん、何してるの」  ヴァイオラは半分呆れ口調でGに語りかけた。ふと気づくと、カインのテーブルにアルトもちょこんと座っていた。全部聞かれたらしい。自分としたことが気づかなかったなんて。  Gは相変わらず、ヴァイオラから隠れているつもりで返事しなかった。 「ジーさん、そんなところにいないで降りておいで。丸見えだよ」  そう言われて、やっと腰を上げた。カインのことは気にくわなかったが、ヴァイオラのそばだったので、アルトと同じテーブルについた。テーブルの上に羊皮紙を広げ直し、まだペンを握っていた。 「そうそう、あっちのオトコが」と、トールがカインを指してヴァイオラに話しかけた。「仲間になりたいって言ってたぞ。」  カインはそれを聞いて、いつ自分が、という訝しげな顔をした。 「違うのか? じゃああれか、いつもと同じで、綺麗なオンナに見惚れて、そばにいたくてついてきただけか?」  そうだとしてもそのオンナは私じゃないよ、と、ヴァイオラは思ったが言わなかった。隣でGが、 「カインさんは私たちのイヤなひとに似ているので、嫌われてるんです」 と、きっぱり言った。カインはそれを聞きながら、アルトの話とずいぶん違うな、と、思った。アルトに聞いた限りでは、レスタトという自分のそっくりさんは彼らの命の恩人だったのに。 「……昔っからお前の回りには変な奴が集まると思っていたが、変わらないな」  ルーウィンリークが口を開いた。別に嫌味で言ったわけではなさそうだった。  ヴァイオラは「まあね」と彼に笑って返したあとで、「みんなは元気?」とトールに話しかけた。 「ああ、元気だ。」トールは答えた。「キーロゥが孤児院を作りたいって言い出して。それで資金集めに俺も冒険者になったんだ」  ああ、なるほど、と、合点がいった。懐かしい名前…。キーロゥもストリートキッズの仲間だ。孤児院を本気で作りたいとは、彼らしい。 「じゃあ、ここにいるのはみんな冒険の…?」 「そうだ。仲間だ」と、トールではなくガウアーが答えた。「紹介しておこう。トールとルーは知っているから、必要ないな。こっちがリーンティア=ロールバレラ。」  ガウアーは同じテーブルに座る戦士姿の女性を指して言った。 「彼女のお父上は有名なドラゴンナイトだ。彼女も冒険しながらドラゴンを探しているんだ。居所を知っていたら教えてくれ」  ドラゴンじゃなくてワイバーンならこの間飛んでいたけど、と、アルトは思った。 「こっちはテラル=ボレル。ほら、クダヒのそばに魔術師の塔が一つあるだろ」  ヴァイオラは久しぶりにクダヒのことを思い出した。確かに塔があった。ガウアーは見るからに魔術師風の、若い男性の紹介を続けた。 「テラルは、俺がそこへ直に行って、弟子を一人貸してくれってかけあったのさ。それでパーティに入ってもらった」  どのメンバーも、胡散臭いところのない、まっとうな冒険者のようで、ヴァイオラはトールのために安堵した。もっとも、そういう厄介な人間がいるようなパーティに、トールほどの目利きが参加するわけないか。 「そうだ、トール、あなたたち、今度はどこへ冒険しに行くの? まさか、エイトナイトカーニバルじゃないでしょうね」  ヴァイオラは突然不安を覚えて尋ねた。 「ああ、そんな話もあったな」  ガウアーが言った。ルーウィンリークが訝しげに、「そこは何か問題あるのか?」と聞き返してきたので、ヴァイオラはセロ村やハイブコアのことをざっと語った。 「だから、セロ村方面へは行かない方がいい。エイトナイトカーニバルなんて論外だわ、トール」  ガウアーは別に気を害した様子もなく、ヴァイオラの言葉をそのまま信じたようだった。ルーウィンリークや他のメンバーと一言二言を交わしたあとで、 「もともと北へ行くつもりはあまりなかったんだ。それならやっぱり南東へ行ってみるか」 と、呟くように言った。  ヴァイオラたちが真面目な話をする横で、Gは着々と「ヴァーさん新聞」を書いた。だんだん眠くなってきて、字体が崩れ始めていたところへ、扉が開いてロッツが入ってきた。 「姐さん…あっ! トールの兄貴!!」  ヴァイオラに話しかけようとして、ロッツも驚きの声を上げた。もともと、ヴァイオラはトールに紹介してもらって、ロッツと知り合ったのだ。 「よう、久しぶりだな、ロッツ」  トールもロッツとの再会を喜んだ。少し雑談をしたあとで、ロッツはヴァイオラに向き直った。 「姐さん、例の話をばらまいてたギルド員が捕まりました。ストリート上がりのバカン=スースリーゼって奴なんですがね、こいつが中心になって、やってたらしいです。ついさっき、ユートピア教徒の疑いでしょっぴかれやした」  ロッツはここでカインの方を向いて、 「坊ちゃん…カインさんのハイブコアに対しても、フィルシムの騎士団が動きました。明朝、討伐隊が出るようでやんすよ」 と、律儀に報告した。 「あっしはこれからもう一度ギルドへ行きます。バカン絡みで司直の手が入るんで、その関係でまた情報が入りそうでしてね」  ヴァイオラから重々気をつけるようにと言い含められてから、ロッツはまた宿を出ていった。 「……また面倒ごとに巻き込まれてるみたいだな」 「まあね」  やや心配そうに聞くトールに、ヴァイオラは、心配しないでと笑いかけてみせた。隣のテーブルではGがもう限界で、睡魔にあらがえず、こっくりこっくりし始めていた。「ほら、ジーさん、もう寝るよ」とGを起こし、ヴァイオラは階段へ向かった。本当はもっとトールと語り合いたかったが、彼らが明日出立すると聞いて、遠慮することにしたのだった。最後に振り向いて、 「忠告はしたからね」 と、ガウアーたちに念を押すように言った。ガウアーが笑って応えた。 「俺たちには夢がある。その夢を潰すような真似はしないさ」  横でずっとやりとりを聞いていたカインは、その言葉に胸が痛んだ。怒りに叫びだしたいような衝動に駆られた。  俺たちにも夢はあった。それを潰すような真似だって、するつもりは、しているつもりはなかったんだ……  追憶の波が押し寄せた。    * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *  簡単な仕事だと思っていた、俺たちには。いや簡単な仕事のはずだった。  冒険者として仲間を組んだ俺たちリューヴィル一行は、成功の階段を駆け上がり始めていたと思う。みな若かったけれど、リューヴィル---彼は商人の息子だった---を中心に、着実にパーティの連携を強めていた。  今回の依頼は、フィルシムの盗賊ギルド絡みの話だった。内容は「ある迷宮で行方不明となった駆け出し冒険者の遺品回収」というもの。迷宮は良く知られた場所で、既に何もないといわれているが、よく駆け出しの冒険者が肝試し的な意味合いを込めて最初の冒険に利用するところだ。  報酬もそこそこだったので、俺たちは早速その迷宮に向かった。……だがまさかそこがハイブの巣になっているとは思いもしなかった。ハイブの作り出す匂いから発せられた魔法で、ファラとディードリッヒが眠らされ、同時にリューヴィルが麻痺毒に犯された。俺たちは一気に劣勢に立たされた。俺は、残りの仲間、アルトーマスとジェラルディンと共に逃げた。しかし、足の速いハイブは、徐々にその距離を詰めてきた。覚悟を決めたアルトーマスは、ハイブの前に立ちはだかり、 「カイン、妹を頼んだ」  あいつはそう言って、長剣でハイブをなぎはらい始めた。おっとりしていながら剣術に関しては腕のいい奴だった。だが、数の上での劣勢を跳ね返すことはできず、やがてハイブの波に飲み込まれていった。彼の姿を見たのはそれが最期だ。  俺は涙をのんで、ジェラルディンを護りながら、逃げた。必死に逃げた。しかし、その逃げ道ですらハイブの罠だった。俺たちは崖の上に出た。遙か下は河。…もうダメか…そう思った瞬間、だれかが俺の身体を押した…。 『お願い、カイン。あなただけでも逃げて…』  その声を聞きながら俺は崖の下に落ちていった。そして気を失った……    * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *  気がつくと、ガウアーたちも部屋に引き揚げていた。カインは一人で考え込んだ。  トールとかいう青年がさっき言ったこと……ヴァイオラたちの仲間になること、それは確かに手だてかもしれない。あのパーティはハイブと関わりが深いらしいから。大司祭とのコネクションもあり、ただの冒険者とは思えないところがあった。  本当は自分の手で、俺たちを陥れた奴を捕まえたかった。ハイブコアを潰すための人員を募集するようなら、それに志願したかった。だが、それに関しては自分の出る幕はないようだ。それなら……  それに、と、カインは思った。 (あそこには彼女がいるし……)  彼はまだ、ラクリマのことが気になって仕方ないでいた。どうしてあんなにジェラルディンに似ているのだろう? 本当にジェラルディンと関係ないのだろうか? 確かめたい……  一つの決意を抱いて、カインは自分のねぐらへ帰った。 10■冬来たりなば  2月4日。  早朝、Gは宿の屋根に登り、歌を歌った。歌ってみて直感した。ここではだめかもしれない。あまりにも通りが悪い。フィルシムにいる間は歌っても無理らしいとわかって、彼女はがっかりした。  屋根から降りて、「そうだ、ラクリマさんに見せに行こう」といきなり思いついた。昨日の晩に作った「ヴァーさん新聞」を手に、宿から出た。 (あれ、でもひとりで出かけちゃいけないんだっけ…)  そう思ったとき、朝靄の中で、向こうから駆けてくる人影に気づいた。人影はだんだん大きくなり、やがてそれがラクリマだと知れた。 「ラクリマさぁん」  Gが叫ぶと、向こうも気づいたようだった。 「Gさん!」  ラクリマも彼女の名を呼び、息を弾ませて駆け寄ってきた。 「よかった。今、これを見せに行こうと思ってたんですよ〜。」Gは「ヴァーさん新聞」をラクリマに渡し、胸を張って言い足した。「面白いから、絶対、喜んでもらえると思って。」  ラクリマはGから渡された紙面を読んだ。Gが自分を喜ばそうと一所懸命書いた想いが伝わって、胸が嬉しさでいっぱいになった。 「ありがとう、Gさん」  そう言って、Gを抱きしめた。Gは(やっぱり喜んでもらえた)と、自分も喜んだ。 「ヴァイオラさんたちは…?」 「そろそろ起きてると思いますよ〜。部屋に行きます?」  ラクリマは肯いた。二人は「青龍」亭に入り、階段を上って部屋に入った。 「あ、ラクリマさん、おはようございます」 「おはようございます」  アルトやセリフィアに挨拶しながら、ラクリマはヴァイオラの前に進んだ。 「あ、あの…」震える両手をしっかり握り合わせ、「私…私…あの、もし…もし、許してもらえるなら…もう一度みなさんと一緒に行かせてください…っ…」  さすがに最後まで顔を上げていられなかったが、何とか言うだけは最後まではっきり言い切った。  ヴァイオラはふっと微笑い、「おかえり」と彼女の頭を優しく叩いた。  ラクリマが顔を上げると、ヴァイオラの背後にきょとんとした顔のGが目に入った。ラクリマが自分たちから離れるなどとは思ってもいなかった顔つきだった。 「ラクリマ、朝食も一緒に食べるか?」  セリフィアが尋ねたので、「いえ、私はもう修道院でいただいてきました」と答えると、アルトが「修道院は朝が早いんですねぇ」と感心したように話しかけてきた。だれも、自分がパーティを離れるとは思っていなかったようだ。ラクリマは気が抜けた。と、同時に、深い安堵を覚えた。  修道院で何があったか知らないが、確かに、ラクリマは心の平安を取り戻したように見えた。そういえば院長が自室に呼んでいたから、彼が年の功でよく諭したのかもしれない。しかしいくら年の功でも、一日二日でここまで引っ張り上げるとはなかなか力のあるひとのようだと感心しつつ、ヴァイオラは、骨張った体つきで、穏やかな表情を崩さなかった修道院院長を思い出していた。  一同が階下の食堂へ行こうと扉を開けると、そこにはカインが立っていた。 「お話があります」  カインは丁寧に願い出た。 「…中に入る?」  ヴァイオラに促され、全員、カインとともにもう一度部屋に入り直した。 「話とは?」 「俺は仲間の仇を討ちたい。見ればあなた方はハイブと縁が深い様子。俺を仲間に加えてもらえないだろうか」  カインは真っ直ぐ切り込むように、そう言った。 「みんな、どう?」  ヴァイオラは回りに尋ねた。彼女自身は、カインを拒絶するつもりはなかった。坊ちゃんと同じ顔というのはネックだけれど、彼自身の境遇には同情すべきものがある。それに、彼は「坊ちゃんではない」のだから。  ヴァイオラのその考えを読んでか、Gは「私は構わないですけど」と言った。カインは、きっと彼女に反対されるだろうと踏んでいたので、拍子抜けした。 「俺もかまわない」 「ボクは賛成です」  皆の視線がラクリマを向いた。ヴァイオラは尋ねた。 「ラッキーはどうしたい?」  ラクリマは両手を絡めたり解いたりしながら「…私は、別に…」と歯切れ悪く答えた。 「『別に』じゃわからないよ。」ヴァイオラは続けた。「パーティは『和』が大事なんだ。ラッキーが耐えられないなら、断るから。」 「私…私…反対じゃありません」  消極的発言だな、と、ヴァイオラは逡巡した。やはり今はまずいか…。そう思ったとき、カインが「イヤならイヤだと言ってください」と発言した。 「私っ…イヤなんかじゃありません!」  ラクリマは小さい悲鳴のような声で叫んだ。顔を上げて、やや挑むようにカインを見た。 「……自分で頑張れるね?」  ヴァイオラはラクリマに三度尋ねた。 「はい……」  ラクリマはよくわからないまま、肯いた。これでカインの参入が決定した。 「マスタリーのことなんだけど」  ヴァイオラが朝食のテーブルで口を切った。 「多少の借金はしてでも、できるだけ全員やった方がいい」  それを聞いたGは、一昨日出してみせた宝飾品をテーブルの上に並べ、「遣ってください」と申し出た。 「これっていくらぐらいなんだ?」  セリフィアがだれにともなく尋ねた。ヴァイオラがアルトの方を向くと、アルトは小さく首を振って「すみません、ボクじゃわかりません」と申し訳なさそうに言った。 「あの……」  食事はしないが水だけもらって「ヴァーさん新聞」を読み直していたラクリマが声をあげた。 「ここに書いてある方に鑑定をお願いすることはできないんでしょうか? 貴族の方なら、宝石のこととかご存じないですか?」 (ガウアーに頼む? でも結局鑑定料を取られるんじゃ……)  そこへ折良くガウアーの一行が降りてきた。ヴァイオラが決断するよりも早く、Gが彼らのところへ小走りに寄って、 「あの! これ、鑑定していただけませんかっ!」 と、頼み込んだ。  ガウアーは少し吃驚した顔をしたが、「おう、テラル、見てやってくれ」と魔術師に声をかけた。 「ええ、いいですよ……って、鑑定料はどうするんです?」  テラルが尋ねるのに、ガウアーは太っ腹に答えた。 「俺の友だちだ。無料でやってくれ」  ヴァイオラはガウアーに感謝した。Gはいつだったか、ヴァイオラとお喋りしていたときに聞いた言葉を思い出していた。「『持つべきものは友』だよ。」本当にヴァイオラさんは正しいと、目の前の光景を見て実感した。  テラルの鑑定によれば、宝飾品は全部で1500gp相当だった。ヴァイオラたちはそれを500gp相当ずつに分けてもらった。 (これで3人分の費用か…)  ヴァイオラはそれをGの他に、アルトとラクリマのマスタリー費用に充てることを決めた。自分とロッツの分は、何とか捻出しよう。ロウニリス司祭の親書に入っていたガーネットがいくつか残っているし、あとは闇スペルの売買という荒技がある。 (それにしても…なんとか金策しないと、出ていくばかりだわね)  ガウアーたちは今日の午前中に出立するということだった。お互い別れの挨拶を済ませてから、ヴァイオラたちはマスタリーの道場へ向かった。セリフィアとは入り口で別れた。彼は毎日、正門のすぐ外で訓練を受けていたからだ。  道場で、昼の休憩時に一同は思わぬ人物に出会った。ジェイ=リードだった。 「ジェイさん! 無事だったんですね、よかった!!」  ラクリマは駆け寄って、彼の手を取って喜んだ。が、ジェイは無表情に見下ろすだけだった。 「みんな心配してたんですよ〜」  Gもそばへ寄ってそう言ったが、ジェイは舌打ちして、「なんだ。お前らか」としか言わなかった。 「ジェイ、どうした?」  向こうから声がかかり、見れば盗賊風の、蛇のような目をした男が立っていた。「そいつらは?」  ジェイは忌々しげに「例の、冒険者ですよ。こいつらのせいで村はめちゃめちゃになったんだ」と恨み言を述べた。それを聞きながらヴァイオラは、セリフィアがこの場にいなくて良かったかも、と、思った。蛇蝎のような男は聞かれもしないのにGたちに向かって喋った。 「お前らがジェイの言ってた疫病神か。ずいぶんかわいい疫病神じゃねえか。だが人間、カオじゃねえからな。」それからジェイを見て、「俺たちはこいつが気に入りでな、こいつをどんどん鍛えてやるつもりだ。まぁ、覚悟しとくんだな」と、物騒な物言いで締めくくった。  そこへロッツがやってきた。「姐さん…」と、声をかけようとしたところを、蛇蝎に遮られた。 「よお、ロッツじゃねえか。お前も道場に通える身分になったのか? ずいぶんと出世したもんだなぁ、おい?」  男の言葉には悪意が感じられた。ロッツは陰で嫌な顔をしたが、すぐにそれを隠して答えた。 「おかげさまで。ファーカーの兄貴もご健勝のようで何よりです」  どうやらロッツの兄貴分に当たるらしく、ロッツはまるで頭が上がらないようだった。二、三、言葉を交わしたあとで、ファーカーとジェイは去っていった。ロッツは彼らが十分離れたのを見て、「あれ、イヴィルパーティです」と小声で呟いた。「いい噂を聞いたことがありません。どんな汚いことでもやる連中ですよ。」  それを聞いて、ラクリマとGはそれぞれジェイの身を案じた。ヴァイオラは(鉄砲玉として育てられてるんじゃないだろうね)と疑問を抱いたが、ジェイにそこまで世話を焼く義理はないので考えるのをやめた。 「姐さん、ちょっと…」  ロッツに手招きされて、ヴァイオラは端に寄った。 「ちょいと抜け出してギルドへ行ったんですが、ご依頼の情報が手に入りやした。といってもこのくらいしかわかりませんでしたが…」  ロッツはヴァイオラに紙片を渡した。それには、彼女が「調べてほしい」と頼んであった、セロ村に関する情報が記されていた。  情報によれば、セロ村の発祥の詳しいところは判っていなかった。一番有力な説として、サーランド王国中期にセフィロム=ハッシマーという女性のサーランド貴族が、自分の奴隷とともに移り住んできたのが始まりとされている。  この女性が、何故、当時辺境だったこの地に移り住んできたのかはっきりしたことは判らないが、おそらく、あまり人には言えない研究をするためだったと思われる。しかしこの辺境の地は、住んでいくには過酷な地だったため、ほどなくして貴族達は村を捨てて出ていってしまったという話だ。残された奴隷達は、能力奴隷を中心にまとまり、現在の村のかたちを作っていったとされている。  現在の領主は、代々領主を務めているローンウェル家の嫡子。彼を除いて彼の兄弟はすべて冒険者になって命を落としている。かなりの晩婚でしかも政略結婚の意味合いが強かった。彼の妻は、10年前、38歳で病死。以後、後妻は娶っていない。冒険者嫌いなのはつとに有名。理由は兄弟の件だけではないようだが、詳細は不明。  ヴァイオラはそれを頭にたたき込んだ。ロッツは彼女が紙片から目を離すのを待って、「他にもこんなことがわかりやした」と、続けた。  ガウアーのパーティは割といい評判を得ているらしい。「トールの兄貴の目は確かでさね。」自分の目で見ても大丈夫だろうと思っていたが、ロッツの言葉に、ヴァイオラは心から安堵した。  バーナードについては、彼が家と村を捨てたのは、父との確執が原因だという話だが、なぜ父親が彼に10フィートソードを継がせなかったのか、その原因は不明だという話だった。  セロ村に派遣される予定で、全滅させられたラルヴァンのパーティは、かなり有望視されていた人材が含まれていたという。それを潰せるということは、相手もかなりの手練れらしい。ラルヴァンたちのレベルはおおよそ8だった。  エリオットは調べるまでもなくガラナークの出身だが、同じパーティのアルバンは、父親がショーテスの前領主だった。その父親は悪さをして領主をクビになっている。アルバンは名誉挽回を目指しているようだ。僧侶のダルヴァッシュはガラナークの、高名なクレリックの家系の出らしい。 「あとは坊ちゃん…いや、カインさんのパーティですが…」ロッツは慌てて言い直し、カインのことを報告した。 「リューヴィルという商人の息子がリーダーだったようでやす。このリーダーが、商人の家の出ながら、貧民街の奴らとよくつるんで遊んでいたようで」  そう言ってロッツはちらとヴァイオラを見た。ヴァイオラは軽く視線を受け流した。 「そうそう、坊ちゃん…カインさんが以前洩らした『ジェラ』というのは同じパーティのクレリックでさね。アルトーマスというセカンドファイターの妹さんで、このアルトーマスは貴族のご落胤という噂がありやす。それとその『ジェラ』……」ロッツは少し口を濁した。「ジェラルディンってんですが、どうもこれがお嬢にクリソツだったようで……」  ロッツはラクリマを「お嬢」と呼んで言った。やはりそうかと、ヴァイオラは思った。予想はしていたが…… 「お互い、互いの顔に死人を見るわけか……ぞっとしないね」  ヴァイオラの言葉にロッツもうなずいた。  さて、カインはともかくラクリマがどこまで耐えられるか……。だが今は信じよう。目の前にある、やるべきことから片づけて行くことだ。ひとつひとつ積み重ねていこう。そして最後に己が力と責任で、コトを成せるようにならなければ…。  マスタリーの師匠が自分を呼ぶ声がしたので、ヴァイオラは考えを中断した。すぐさま傍らに置いた得物を手に取り、彼の元へ急いだ。午後の訓練がどこでも始まったようだった。