[shortland VIII-03] ■SL8・第3話「冷たい雨」■ 〜目次〜 1■月下の来訪 2■転ばぬ先の杖 3■桐一葉 4■南より来たる者 5■彼我に事情あり 6■悲しみの日 7■レスタトの選択 8■冷たい雨 <主な登場人物> 【PC】 レスター(レスタト)‥‥僧侶・男・15才。唯我独尊の電波少年。 ヴァイオラ‥‥僧侶・女・20才。一瀉千里の鉄の乙女(アイアン・メイデン)。 ラクリマ‥‥僧侶・女・17才。天真爛漫な泣き女(バンシー)。 G‥‥戦士・女・17才。猪突猛進の非ジョーシキ娘。 セリフィア‥‥戦士・男・17才。一騎当千を目指す沈黙の青年。 アルト‥‥魔法使い・男・15才。飛耳長目を期待される気弱な新人。 【NPC】 ロッツ‥‥フィルシムのストリートキッド。パーティに参入し一蓮托生に。 ゴードン‥‥天衣無縫なレスタトの幼なじみ。謎の出奔を遂げ、現在所在不明。 ジャロス‥‥セロ村滞在中の別パーティの明眸皓歯な戦士。ヴァイオラを口説き中。 ヘルモーク‥‥セロ村在住の獣人。神出鬼没な虎男。年齢不詳(見た目40歳代)。 ガギーソン‥‥セロ村在住、宿屋兼酒場「森の女神」亭の臨機応変な若主人。 ダグ=リード‥‥セロ村在住の猟師組合の長。一諾千金な、パーティの良き理解者。 ジェイ=リード‥‥ダグの息子で直情径行な猟師。セリフィアとは不倶戴天の間柄。 ベルモート‥‥村長アズベクト=ローンウェルの内股膏薬息子。決断力0の後継者。 キャスリーン婆さん‥‥セロ村在住の老婆。内憂外患なセロ村における陰の実力者。 ツェーレン‥‥セロ村と取引がある隊商の護衛隊長。行雲流水な酒飲み。 1■月下の来訪  悲鳴をあげながら、その若い神官は森の中を駆けぬけていた。顔には恐怖が張り付いており、半ば正気ではないようだった。 「助けて…! だれか助けて…!」  褐色の肌をした木々と、凍り付きそうな大気ばかりが絶叫を飲み込んだ。  涙で前がよく見えなかった。足下はもともと痩せた土地なのだろう、半ば岩場といってもよく、露出し絡み合う岩と松の木の根とに何度か躓かされた。そのうえ、冬とはいえ、青さを損なわないアカマツのくねった枝や針のような葉が、唐突に目の前に現れてはその逃避を邪魔した。  その中で彼女はひたすら逃げていた。背後に迫る恐怖から。真っ黒に塗りつぶされた自分自身の恐怖心から。  さりながら胸にはひとつの疑問が去来していた。 (どうして……なぜあなたの僕(しもべ)をお助けくださらないのですか…!)    ++++++++++++++++++++++++++++++  1月16日の夕刻。  セロ村にある宿屋「森の女神」亭の若主人ガギーソンは、ここ1ヶ月ほど逗留している冒険者の一人、ヴァイオラにつかまっていた。 「頼めないかな。悪い話じゃないと思うけど」  別館の10人部屋を借り切らせて欲しい、というのがヴァイオラの申し出だった。  ヴァイオラのいるパーティは、現在、セロ村の警護に雇われていた。宿泊代・食費は村持ちである。現在は2階の6人部屋に滞在しているが、長逗留になるため、寝るだけの客室ではなくて、生活のできる広い部屋がほしいということらしい。  ガギーソンは無言で暗算した。10人部屋に10人入れるより、2階の6人部屋にだれか泊まるほうが上がりがいい。 「わかりました。お使いになってかまいません」 「ありがとう。仲間に言って、早速部屋を移らせてもらうよ」  ヴァイオラはその足で仲間の元へ行き、部屋を移ることの賛同を得た。それから向かいの雑貨屋に生活用品を仕入れに行った。 「チェストと籠と……」  あれこれ選んでいると、同じパーティの仲間であるラクリマが店に現れた。 「すみません、紙を売ってください」 「ああ、あるよ、羊皮紙とパピルスとどっちがいいかね?」 「ええと、じゃあパピルスの方を」  店の主人、トムJr.はパピルスを手渡しながら言った。 「あんた、ラクリマさんだね?」 「えっ。ど、どうして名前をご存知なんですか?」 「そりゃあ、あんたたちは有名だからさ」 「どう有名なのかな?」 「あ、ヴァイオラさん…」  向こうでカーテンを選んでいたヴァイオラが会話に割って入った。 「まぁ、悪くない評価だよ。猟師たちには評判がいいし、木こり組合のガットやヘイズとも仲がいいだろう?」 「酒飲みに悪い奴はいないからね」  ヴァイオラはニッと笑ってみせた。ラクリマは彼女に近づいて、 「何してるんですか?」 「部屋を住み心地よくしようと思ってね。…こっちの色とそっちの色とどっちがいい?」  ヴァイオラはラクリマの前にカーテンを2種類差し出した。 「こっちが好きです」  すると後ろで扉が開いて、やはり同じパーティのレスターとGが店に入ってきた。レスターはやや憮然とした面持ちで、トムJr.に「羊皮紙がほしいのですが、おいくらですか」と尋ねた。 「1枚8gpだね」  羊皮紙の値段の高さに、レスターは一瞬めまいを覚えた。それからGを少し睨むようにしたが、Gは視線を避けてとっととヴァイオラたちの方へ寄っていってしまった。 (Gのせいで余計な出費が……)  宿で手紙を書いていたとき、彼女にインクをこぼされたのだ。そうはいっても仕方ないので、レスターは新たな羊皮紙を買い求めた。 「ちょうどいい、みんな、運ぶの手伝って」  ヴァイオラの買い物も終わり、一同は大量の什器を新しい部屋に運び込んだ。そこで不て寝していたセリフィアをたたき起こし、部屋の大改装を施した。大改装といっても、カーペットを敷き、カーテンで部屋を3つに区切り、クッションやらチェストやらを置くだけのことで、半刻ほどで片がついた。    ++++++++++++++++++++++++++++++  同日夕刻。  フィルシムからセロ村へ至る街道沿いで隊商が一つ、野営を張っていた。  その中に、若い魔術師が一人いた。  若い魔術師はぼんやりと夕日を眺めながら、昨日今日のことを思い起こしていた。  昨晩は月が赤く輝いていた。あんな赤い月は初めてだった。しかも月から魔力が引き出されているように感じた。歴史的に言って、こうした事象が何度か起こったことは知っていた。まさか自分がそれを目撃するとは思わなかったが。  同じ隊商にいる神官のスチュアーは何も感じていないようだった。謎の女性ヴィセロは月の方を気にして、ずっとイライラしていた。彼女は「セロ村で何か起こっているかもしれない」と口走って、若い魔術師を不安にさせた。彼がこれから行くのはそのセロ村なのだ。  今日も今日とて、体が重かった。そのうえ、終日、監視されているかのような感覚が消えなかった。  隊商の護衛隊長にあたるらしいツェーレンに「監視されているようだ」と洩らしたところ、「それは大変だなぁ。まぁ、こっちは隊商だから仕方がない」というような返事をされてしまった。  他の人たちは平気なんだろうか? そう思って、彼に「体は重くないんですか?」と尋ねたが、特にそんなことはないらしい。  と、ヴィセロが「あなたも!」と割って入った。彼女は続けた。「これはセロ村の大いなる禍の前兆です! ああ、早く行かなくては!」  さすがに不安を隠しきれなくなって、若い魔術師はこの隊商のリーダーであるロビィ=カスタノフに、セロ村に何があるのかと尋ねてみた。ロビィによれば、 「あそこは『冒険者の村』だ。今もかわいい女性のいるパーティーが逗留中だ。何なら紹介してもいい」 とのことだった。結局、よくわからなかった。  あのとき、あの見知らぬ魔術師は、「キミの力が必要なんだ」と断言した。だから、自分は必要とされているのだと思って、セロ村へ行くことにしたのだ。だが何故自分が必要なのか、自分の何の力が必要なのかは、結局わからずじまいだった。あとは実際に行くしかなさそうだ、と、若い魔術師は思った。    ++++++++++++++++++++++++++++++  夜になって、いつものようにヴァイオラ以外のメンバーは「森の木こり」亭へ夕食を食べに行った。警備に立っている中年男レイビルに「こんばんは」と挨拶したが、レイビルは不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。  一方、ヴァイオラは「森の女神」亭でひとりカウンターに座っていたが、別パーティの戦士ジャロスが隣に腰掛け、話し掛けてきたので、適当に相手しながら彼の奢りで高価な酒の味を楽しんだ。  「森の木こり」亭での夕食が終わり、セリフィアは直接離れにある新しい部屋へ、レスターとGとラクリマはヴァイオラの様子を見に「森の女神」亭の1階へ向かった。3人が「女神」亭の扉をあけてヴァイオラと目を合わせたかどうかというときに、レイビルが駆けこんできた。 「狼の襲撃だ!」  今まで和んでいた食堂に緊張が走った。 「どっちからだ?」  ジャロスのパーティのリーダー、バーナードが鋭く尋ねた。 「正門と東門の両方だ」  正門というのは街道に出る南側の門で、東門は木こりたちが使う通用門だった。 「俺たちは正門へ行こう。お前たちは東門を頼む」  バーナードはレスターたちに言った。 「私、セリフィアさんを呼んできます」  ラクリマはそう言って慌てて離れへ向かった。 「私、盾を取ってきますっ!」「僕も」と、Gとレスターもラクリマの後を追って出ていった。 「獣人、ってことはないの?」  ヴァイオラがだれに訊くともなく尋ねた。昨日あたりから月の魔力が肥大しており、それを懸念しての発言だった。 「この辺には狼族はいない」  レイビルがそっけなく答えたが、ヴァイオラはそれでも気がかりなようだった。仮に相手が獣人や眷属だとすると、通常の武器で攻撃しても効き目がない。 「戦力が気になるならレイをつけよう」  バーナードの申し出にヴァイオラは感謝した。 「助かります」 「レイ、行ってやれ」  レイと呼ばれた魔法使いはうなずいて、「行きましょうか」と、ヴァイオラと並んで歩き出した。レイビルも無言でついてきた。 「気をつけろよ」  後ろからジャロスの声が飛んだ。ヴァイオラは首だけ振り向けて微笑んだ。 「あなたたちもね」  東門についた途端、柵の一部が破られ、襲い掛かる狼に木こりのひとりが喉を食い破られて絶命するのが目に入った。駆け寄る暇もなかった。 「うわあああ!!」  もう一人、前に出ていた木こりが恐怖に駆られてこちらへ逃げてくる。柵の前は警備兵のスマックがいるだけになった。  木こりの他、後方には猟師が弓を構えて控えていたが、守り神である柵に逆に邪魔されて、なかなか矢が当たらないようだった。何しろこの柵は高さが3メートルもあるのだ。  戦士は前線へ、呪文使いは後方から援護する形でそれぞれ配置についた。  レイはスリープをかけたあと、一同にヘイストをかけてくれた。これは非常に効果的だった。それでも一同はかなりの苦戦を強いられた。  戦いの最中、ヴァイオラは妙なことに気づいた。狼たちの目が、どうにもだれかを思い出させるのだ。そう、セリフィアだ。月の魔力で「無口な男」から「爽やかお兄さん」に変貌したあとのセリフィアのように、瞳がきらきらしている感じがするのだ。 (彼らの襲撃にも月の魔力が関係あるのか?)  何がしか確かめようとディテクト・マジックをかけたのが間違いだった。月あかりすべてが魔力を帯びており、その光の氾濫に目が焼けるかと思えた。目を押さえながらも、ヴァイオラは、狼がすべて光っていたのを見逃さなかった。セリフィアとGも。どういうことなんだろう。Gはわかるが、なぜセリフィアも? ヴァイオラは目を押さえ、戦線から少し退いた。  前線ではなぜかレスターが活躍していた。セリフィアはかなりのダメージを食らい、一度は後ろに引いたほどだった。柵の破れ口に数名しか立てなかったため、Gは背後から弓で支援した。  レイのマジックミサイルの援護もあってもうあと数匹、というところでダイアウルフ2匹が現れた。彼らは強かった。牙が折れてもなお、全身で攻撃してくる。取っ組み合いを仕掛けられたスマックは、もう少しで死ぬところだった。  満身創痍になりながら、一同はやっと最後の狼を屠った。ヴァイオラは一匹でも生かしておいて、彼らが何を目指して来たのか知りたかったが、とてもそんな余裕はなかった。  ようやく戦闘が終わったところへ、正門へ向かったバーナードたちがやってきた。 「大丈夫だったか」「まぁ何とか」「こちらは被害なしだ」  ジャロスはヴァイオラの様子がおかしいのに目ざとく気づいた。 「どうされました?」 「目が…魔力にあてられて…」 「それでは宿までお連れしましょう」  そう言って彼は手を差し出した。断る理由もないので、ヴァイオラは素直に手をゆだねた。その前に、と、薄目をあけてバーナードたちの様子を伺い見てみた。  バーナードの2ハンドソードとプレートメイル、ジャロスのプレートメイルとシールドとヘルメットとソード、ウィーリーのブーツ、それからブリジッタのリングが光っていた。 (さすが、レベルが高いだけあってマジックアイテムが多い)  スコルとレイは魔法的なものは何も身につけていないようだ。ヴァイオラはラクリマにボーラの回収を頼むと、その場を離れた。他の人々もいくらか後始末をしてから、三々五々帰っていった。 2■転ばぬ先の杖  1月17日。  朝、起きてみるとセリフィアは元の三無男(無口・無表情・無愛想)に戻っていた。ラクリマも、皆には言わなかったが、聖章に宿っていた魔力がすっかりなくなっているのに気づいた。同時に、自分が「増えた」と思った呪文も消えているようだった。  皆の様子を観察していたレスターとヴァイオラは、どうやらこの奇妙な現象が月齢に関わりあるらしいと見当をつけた。  Gはなんだかよく眠れなかったらしく、朝食の時間も寝ていたいというので、あとの4人で食堂へ行った。そこへヘルモークが現れた。 「ヘルモークさん!」 「大丈夫だったの?」  ヘルモークはすました顔で「大丈夫だよ」と答えた。「こっちはたいへんだったみたいだな。」  ヴァイオラは簡単に留守中の出来事を説明した。昨晩の狼の襲撃の段になって、狼族が本当にこの辺りにいないのかどうか尋ねてみた。 「狼族はスカルシ村が縄張りなんだけど……こっちにはいないはずだがなぁ…もしかして、虎族の勢力が弱まっているから、というのはあるかもしれないけどなぁ」  その話のあとで彼女は、小声で「あとで時間をもらえますか。話したいことがあるんだけど」とヘルモークに訊ねた。 「また出かける用事があるから、少しだけならいいよ」 「少しで結構です。あとで伺います」  そんな感じで過ごしていると、ベルモートが昨晩の報奨金を持ってやってきた。レスターは195gpを受け取った。一人30gpずつに分配し、残りの15gpは共用の財布に入れた。助力してくれたバーナードのパーティのレイは、最初は「バーナードの方からもらうから」と言って分配金を受け取るのを辞退していたが、最後には受け取ってくれた。  分配が終わったあたりで猟師たちが現れだした。彼らの前で、ベルモートはレスターにこういった。 「実はその、お願いがあるんですが。昨晩みたいなことが今日もあるといけないので、今晩も村の警護をしてほしいんです」 「猟師さんたちの警護は?」 「それはその…後に延ばすということで…」 「冗談じゃない!!」  オロオロと話すベルモートに若い猟師が食ってかかった。 「俺たちだって今日出発しなけりゃ生活が、支払いがかかってるんだぜ! 村の警護は警備兵にやらせりゃいいだろ!」 「いやしかし……村のことも守ってもらわないと…その、村長が決めたことですし…」 「村長村長って、お前はなんなんだよっ! 自分で考えられないのかよ!」 「もうよせ。」猟師頭のダグ=リードが割って入った。「いいだろう。俺たちだって戻るべき村がなくなったら困るんだ。家族を守ってもらうことも考えなきゃな。」 「でもダグさん…!!」  ダグはいきりたつ若者たちを宥め、その場から皆を去らせた。ベルモートは明らかにほっとした表情で続けた。 「今日明日は昼は休みで、夜から警備に回ってください」  満月の時期が去ったから狼は来ない、などと言っても納得してもらえそうになかった。一同はとりあえず夜に向けて、昼間から寝ることにした。  皆が部屋に戻ったのを見計らい、ヴァイオラは一人でヘルモークについて行った。彼の自宅にあがって、単刀直入に切りだした。 「ジーさんのことは知ってますか」  ヘルモークは別段驚いた風もなく、答えた。 「今さら隠してもしかたないなぁ。知ってるよ」  やはり、と、ヴァイオラは思った。 「ジーさんをハイブから助けたのは、あなただったんですね」  Gは皆に助けられる直前、ハイブに囲まれ、そこで白い虎に助けられたと言っていた。ヴァイオラはその白い虎がヘルモークではないかと、ずっと思っていたのだ。案の定、ヘルモークは首を縦に振った。 「ああ。彼女のことは僕もずっと気にしているんだ。とりあえず君たちに預けておいてよかったよ」 「ジーさんが鷹族だというのもご存じだったんですか」 「まあね。」ヘルモークはあごをさすった。「あのときは辺りに白い羽が散乱していて、その中に彼女と、ハイブがいたんだ。彼女は…彼女の一族は獣人の中でも特異な存在だ。それに、あの様子からすると彼女は非常に高レベルの鷹族かもしれないね。そういえば、昨日おとといは大丈夫だったのかい?」 「魔力に当てられて倒れてました」 「それで済んでよかったよ」と、ヘルモークは意味深長な台詞を吐いた。 「満月の時、ジーさんは非常に痛がっていました。あの痛みは、神の奇跡で治るんでしょうか」 「痛がっていた……どこが?」 「背中の、翼の付け根です」  ヘルモークは、ああ、という顔をした。 「その痛みはキュアオールで治ると思うよ。もっとも、彼女の場合、内面的な要因が大きそうに見えるんだけどね」  ヴァイオラが少し逡巡していると、今度はヘルモークの方から水を向けてきた。 「それだけでいいの? 訊いてくれればなんでも答えるよ?」 「私一人で背負うには重すぎます。これ以上は結構です」 「坊ちゃんにも一緒に背負わせたらいいんじゃない」 「坊ちゃんはまだ無理です」 「無理か……ま、僕はまた一週間ほど出かけるから、彼女のことはよろしく頼むよ」 「よろしくって…なにか気をつけた方がいいこととか、ないんですか?」 「そうだなぁ…」ヘルモークは少し考えて言った。「新月も気をつけた方がいいかもしれない。」  ヴァイオラは気が滅入った。満月に新月…前後1日ずついれて、2週間に一度、3日ずつ危険日がやってくるということか。 「せめてあの痛みをなんとかできないんでしょうか」 「ああ、獣人は満月の時に変身を抑える薬草を使うんだ。キャスリーン婆さんが持ってるんじゃないかなぁ」  次の課題はその薬草を手に入れることらしかった。  昼になってラクリマが起き出すと、レスターのベッドが空だった。セリフィアはまだ寝ている。Gも……。  ラクリマはそっとGのベッドに寄った。目覚めそうな気配はなかった。ぐっすり眠っているひとを起こすのはかわいそうなので、そのままそっと離れ、宿を出ようとした。 「ラッキー?」  声がかかった方を振り向くと、ヴァイオラがいた。 「どこか行くの?」 「キャスリーンお婆さんの家に行こうと思って。腰を揉んであげるって約束したんです」  ちょうどいい、と、ヴァイオラは先刻聞いた薬草の話をした。 「どうやら新月もまずいらしいんだ。だから、キャスリーン婆さんのところへ行くなら、その薬草をもらってほしい」  ラクリマはうなずいた。 「わかりました。お願いしてみます」 「私もついてっていいかな」 「ええ、もちろん」  二人は村の中央の通りを歩き出した。どうしたことか、いつもと違って人っ子一人いなかった。二人ともなんとなく違和感を感じながら歩いていたが、やがてヴァイオラが、ああ、と言った。 「ラッキー、今は葬儀の最中じゃないかな」 「あっ」  すっかり忘れていたが、今日は、昨晩亡くなった木こりの葬儀を行っているはずだった。村人たちは皆そちらへ出払っているのだろう。もちろん、キャスリーン婆さんも参列していないわけがなかった。 「夕方に出直そう」 「そうですね」  二人は宿へ引き返した。  レスターは川辺にいた。もう一度リールに会いたいと思ってやってきたのだ。  案に相違して、リールはいなかった。レスターは気づかなかったが、リールも木こりの葬儀に泣き女として参列していたのだ。  代わりに、バーナードの妻ブリジッタが、その息子カーレンと遊ぶ姿が認められた。  何をするでもなく、レスターは川原に座り込んだ。カーレンにもブリジッタにも話しかけようとは思わなかった。ぼんやりと川面を眺めながら日中を過ごした。ガラナークにいた時分の自分からは想像できない姿だった。  日が傾いてその姿を地平に沈めようというころ、川原に新たなお客さんがやってきた。セリフィアだった。彼はレスターの姿を認めたものの、特に何も言わずに素振りを始めた。  そしてやっとリールが現れた。だが、リールはカーレンと遊びはじめ、レスターは話しかけるチャンスを失ったと思った。  やがて、リールやカーレンたちも帰り、レスターも腰を上げた。セリフィアに声をかけ、二人で宿の大部屋に戻った。  一方、夕刻になってヴァイオラとラクリマはキャスリーン婆さんの家を訪ねようとしていた。宿を出たところ、通りでトムJr.に呼び止められた。 「ああ、あんたたち、そろそろロビィの隊商がくるころだからさ、ほしいものとかあったら言っといてくれよ」 「わかりました。ありがとうございます」  ヴァイオラは、頼んだ武器がやっと手に入るな、と、思った。  家に着いてドアをノックすると、出てきたキャスリーンは迷惑そうな顔をしたものの、拒むでもなく「まぁ、おあがり」と二人を中に入れた。ラクリマは早速マッサージにとりかかった。 「お婆さん、このへんはどうですか?」 「ああ、いいねぇ。……あんたはヨソモノにしちゃ割とまともな子のようだね」  ひととおりマッサージを終えたあとで、ラクリマは獣人の使う薬草について話を切り出した。 「ああ、あるよ。さて、どこだったかね……」  キャスリーンは薬壜やら壺やらがぎっしり詰まった棚を開け、いくつか手前の壜を除けて、奥からなにやら取り出した。 「これだね。満月の前後の日も服ませた方がいいね」 「新月は大丈夫なんですか」  それまで黙って見ていたヴァイオラが割って入った。 「新月は、元気がなくなるかもしれんが、魔力に当てられることはないじゃろう」 「元気がなくなる…」 「鬱になるかもしれんの」 「それを直す薬はないんですか?」  ヴァイオラはなおも尋ねた。キャスリーンは片方の眉をちらと上げて言った。 「あんたが聞いとるのは、麻薬のことかの?」 「いえ、麻薬というわけでは…ただ、獣人が気鬱によく使うような薬があれば」 「それは麻薬になるね」  キャスリーンはそう言って渋い顔をした。 「私は勧めないね。そんな不自然なことをしてもかえって体を損なうだけじゃないかね。新月の方はお前さん方がなんとかおし」 「……そうですね。とにかく痛みさえ何とかなれば。処方はどうするんですか?」  キャスリーンはラクリマの方を向いて、 「満月の出る前夜、月の出る直前頃に飲ませておやり。あまり早く飲ませると明け方に薬が切れてしまうかもしれないからね」 「はい。あの、どれだけ譲っていただけますか?」 「3月分くらいあったらほしいんだけど」  キャスリーンは「まさか」というように手を振った。「獣人たちが出てってしまったからね。最近は採ってないんだよ。」言いながら薬包の数を数えて、「6つだからちょうどふた月分だね」と言った。ヴァイオラはレスターから預かった情報料の余りから7.2gpを取り出して、6包全部を買い求めた。  キャスリーンはラクリマに「この薬を作る薬草は、こういう形でこういうところに生えやすいから」といった薬草の情報を与えた。ラクリマはその話を熱心に聞いたあとでキャスリーンに、 「本当は猟師さんと一緒に森に行ったら、この間教えていただいた薬草を探そうと思っていたんですけど、だめになっちゃいました。残念です。せっかくお婆さんに教えていただいたのに…」 「まぁ、何かを身につけるっていうのは一朝一夕じゃできないからね、気長にやることだよ」  二人がそんな四方山話をしているのを見て、ヴァイオラは先に失礼しようと腰を浮かせた。そこにノックの音がした。キャスリーンがドアを開けると、リールと、リールの後ろにブリジッタとカーレンが立っていた。  リールは元気良く、「ただいま〜。おともだちができたの〜」と入ってきた。 「あ、リールさん、こんにちは」 「こんにちは、リール」  「おともだち」というのはカーレンのことらしかった。彼女は少年としっかり手を繋いでいた。 「おや、ブリジッタ、どうしたね」  ブリジッタが「実はお願いがあって…」と口にしたので、ヴァイオラとラクリマは気を利かせて、「それでは私たちはここで失礼します」と暇を告げた。  宿へ戻り、皆で夕食を取ってから巡回警備に出たが、予測通り何も出ないで終わった。 3■桐一葉  1月18日。  この日の朝、バーナードたちのパーティが出発した。ヴァイオラが「どのくらいいなくなるのか」とジャロスに尋ねたところ、「カーレンをキャスリーン婆さんに預けてあるから、そう長くはならないだろう」とのことだった。ブリジッタは本来村長の娘なのに、実家には預けられず赤の他人に子どもを預けねばならないとは苦労の人生だな、と、ヴァイオラは思った。  バーナードは出がけにセリフィアにちらっと視線を向けたようだった。  今日もレスターたちは夜間警備とのことで、午前中は皆が睡眠を取った。  昼になってレスターは起きだし、再び川原へ向かった。その途中、正門でベルモートと猟師の一人が言い争っているのに気づき、近寄っていって尋ねた。 「どうしたんですか」  レスターの声に猟師が振り返った。顔には幾ばくか焦燥の色が見えた。 「若い奴らが3人、どうしても猟をやるといって、森に入っていってしまったんだ」  レスターは目を剥いた。こんな危険なときに、なんて無茶な…! 「一応、ダグさんがついては行ったが…」  レスターの背中に悪寒が走った。思わず聞き返していた。 「ダグさんが!?」 「そうなんだ」その猟師は困ったように言ってから、ベルモートの方を向いた。「だからなんとかしてくれよ! もともとあんたがこの人たちを夜警なんかに回したのが原因だろうが!」 「でもそんな、今から森へ行って、仕事中の猟師を見つけろだなんて、無理ですよ!!」  ベルモートは悲鳴に似た声をあげた。 「そこをなんとかしろよ! あんた、次の村長だろうが!」 「そんなことを言われても…! あ、あの、ちょっと村長に聞いてきますので…」 「いい加減に自分で決めたらどうなんだっ! そんなで村長が務まると思うなよ!」  猟師の罵声を背に、ベルモートはそそくさとその場を去った。 「行き先はわからないんですか?」  ベルモートを見送ってから、レスターは尋ねた。 「あ、ああ。俺たちは自分の猟場を他人に教えないからな…たぶん、ダグさんの猟場に行ったんだとは思うが、それがどこにあるかは俺には……」 「ジェイ=リードならわかりますか?」  ジェイ=リードはダグ=リードの息子だ。セリフィアに殴り倒された経緯があり、レスターたちとはお世辞にもいい仲とは言えないが、この際、背に腹は代えられなかった。猟師はちょっと考えるようにして答えた。 「わかるかもしれないが…さっきも言ったけど、俺たちは滅多に他人に猟場を教えたりはしないんだ。生活がかかっているからな。ジェイが知ってても、果たして教えてくれるかどうか…」  そこへ早々とベルモートが戻ってきた。 「あ、あの、ダグさんがいるなら大丈夫でしょうから」そこまで言ってレスターの方を向き、「今日は予定通り夜警をしてくださいとのことです。」 「冗談じゃねえよ!! いくらダグさんがついてるからって…!!」  猟師に責め立てられるベルモートを置いて、レスターは宿に向かった。何とかしなければ。ダグ=リードはパーティの良き理解者だ。彼に死なれたくなかった。宿でヴァイオラと鉢合わせした。ヴァイオラはツェット爺さんに会いに行こうとして出てきたところだった。 「どうかしたのか?」  レスターが難しい顔をしているのを認め、ヴァイオラは尋ねた。レスターは若い猟師が森に入ってしまったこと、ダグがそれについていってしまったことを手短に話した。ヴァイオラの顔も曇った。 「ダグさんに死なれては困ります」  無神経な物言いだったが、この際それは咎めずにヴァイオラはレスターに確認した。 「坊ちゃんはどうしたいんだ? 彼らを追う術があるなら、今日の警備をふってでも追いかけたいと?」 「ええ」  レスターは即答した。 「ジェイ=リードに聞くしかないか…」  そう言って、ヴァイオラはふいっと宿の1階へ入っていき、ガギーソンに話しかけた。 「エリリアさんの家ってどこかな?」 「ああ、彼女の家ならこの裏手ですよ」  ガギーソンはジェイ=リードの恋人、エリリアの家の場所を教えてくれた。ヴァイオラとしては、いきなりジェイ=リードと角つきあわせるのは避けたかった。それで恋人を通じて話を持っていこうと考えたのだ。  表に出てレスターに「まずエリリアさんの家から行こう」と声をかけ、歩き出した。 「エリリアさんって、だれですか?」  レスターはジェイ=リードの恋人のことを覚えていなかった。仕方なくヴァイオラが説明すると、ようやく思い当たったようだった。  そうこうするうちに彼女の家に着いた。ノックには母親らしき人が出てきた。 「はい…?」  いきなり余所者が現れて、警戒している様子がありありと見て取れた。だがそんなことに怯んでいる暇はない。ヴァイオラはできるだけ丁寧に尋ねた。 「エリリアさんはいらっしゃいますか?」 「エリリアなら出かけましたけど…ジェイさんと」  エリリアを通してからジェイに、という図式はもろくも崩れ去った。 「どこへ行かれたんですか?」 「ジェイさんと一緒だからそう遠くじゃないと思いますけど……」  不信も顕わな目で、エリリアの母親は答えた。 「お願いです。知っていたら教えてください。ダグ=リードさんが危ないんです」  ダグの名前は効果があった。母親は、二人は川沿いのどこかにいるだろうと教えてくれた。  レスターとヴァイオラは、教えてもらったとおり川沿いを探した。小一時間ほどして、運良く二人を見つけることができた。ジェイは「ちっ」という顔をした。逢瀬の邪魔をされて、実に不機嫌そうだ。だが、それには構わず、レスターはジェイに近づいていった。 「ジェイさんですね。実は若い猟師のひとたちが3人、森へ入っていってしまったんです。それを心配してダグさんもついていってしまって…」 「なんだって!?」 「僕たちもダグさんが心配なんです。これから追いかけたいが、行き先がわからない。それであなたに道案内を頼みたいんです。どうしても必要なんです」  ジェイは忌々しげに舌打ちして、若い猟師の名を挙げてみせた。 「どうせウィルとリックとモリスだろう。あいつら……くそっ! 親父もなんだってあいつらなんかに…!」 「お願いします。一刻を争うんです」 「あなたに道案内を頼むのが、一番確実で手っ取り早いんだ。お願いできませんか」 「だが親父の猟場といっても一つじゃないんだ。どこに行ったかなんて俺にだってわかるか!」  吐き捨てるように言うジェイに、レスターは尋ねた。 「ここから一番近い猟場は?」 「……!」  それは妥当な考え方だった。時間も押している、早く行って早く戻りたいと連中は思っているはずだ。ジェイは答えた。 「ここから行って帰って1日程度のところに一つある」 「まずそこへ案内してもらえませんか」  背後からエリリアが心配そうに「ジェイ…」と名を呼んだ。ジェイは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。 「わかった、道案内しよう。こんな連中の手助けをするのは癪だが、親父が心配だ。すぐ用意するから待て」 「では宿に戻ってこっちも準備しているから」  帰ろうとする二人を留めるように、ジェイは捨てぜりふを吐いた。 「親父に何かあったら…貴様らを赦さないからな」 「俺は行かない」  セリフィアはきっぱりと言った。レスターは眉をひそめた。  もちろん、さきほどジェイが吐いた逆恨み的捨てぜりふは伏せてあった。しかしそれでもセリフィアはジェイと行動するのが気にくわない様子だった。 「ダグさんの命がかかってるんだぞ、セリフィア」 「俺は」セリフィアはゆっくりと、頑なに言い張った。「行かない。」  レスターは目の前の男を殴りたい衝動に駆られた。だがここでそんなことをしても何もならない。もうすぐジェイが準備を整えてこっちにやってくるだろう。残りわずかな時間で、なんとしてもセリフィアを説得しなければならなかった。レスターは焦った。 「セリフィア、頼む。一緒に来てくれ」 「………」  やれやれ、と、ヴァイオラが腰を上げようとしたそのとき、Gの明るい声がした。 「でも、セリフィアさん、村の外ですよ? チャンスがあるかもしれないじゃないですか」  何のチャンスだ、と、レスターはGを怒鳴り返そうかと思ったが、 「よし、行こう」 と、セリフィアがあっさり承諾したので、もう何を言う気力も失せてしまった。ただ、セリフィアが背後からジェイを襲わないように、自分が目を光らせているしかないと思った。諦めに似た境地だった。  表に出てすぐ、支度をしたジェイが現れた。  同時に、どこから聞きつけたのか、ベルモートも現れた。困ったように、 「ど、どこへ行かれるんですか。今夜の警備は…?」  蚊の鳴くような声で話しかけてきた。 「ダグさんが心配だから、探しに行ってきます」  レスターがそう言うと慌てて、 「そ、そんな、困ります。村長の言うとおりにしていただかないと…」 「ベルモート、ちょっと来い」  何を思ったか、セリフィアが彼の首根っこをむんずと掴んで、隅の方へ引き寄せた。 「いいから行かせろ。村人を守ってこその村長だろうが。村人一人守れずにどうするっていうんだ?」  凄味を効かせて、セリフィアはベルモートを威しつけた。ベルモートは震え上がった。だが、それでも首を縦に振ることはしなかった。それは自分の意見を枉げないためではなく、何事も決断できないためではあったが。 「で、でも……」 「おい、もう時間がないんだ」  いらいらとジェイが口を挟んだ。 「それじゃ行きますから。僕たちの処分は、帰ってから受けます」  レスターはきっぱりと言って、一人ぐずるベルモートを背に、一同を出発させた。  村を出て、ジェイの先導で急いで森の中へ分け入った。夜になり、猟場に到着する直前、ラクリマが立ち止まりかけた。 「ラッキー?」 「…なんか…いませんか、あっちの方。7、8体くらい…」 「どっち?」  ヴァイオラはラクリマにざっとの位置を尋ねてから、ディテクトイビルの呪文を唱えた。だが、特に何も反応しなかった。 「気のせいじゃないの?」 「え…でも…まだいると思うんですけど…」  ラクリマは不安そうに彼方を見やった。レスターは見当でライトを投射してみることにした。呪文が完成し、60ヤード先が明るくなった。  そのモノたちは、ライトの半径内にはいないようだった。だが、確かに8体ほどの四つ足動物がそのさらに奥にいるように見受けられた。と、彼らはパッと消えた。ラクリマはさっきとは少し異なった方角の、ほど近いところにそれらの気配が移ったと思った。そう伝えると、Gが、 「それはブリンクドッグじゃないでしょうか。パッと消えるんですよね、セリフィアさん?」 「ブリンクドッグなら、善良なモンスターだ。襲ってはこないだろう」  セリフィアがそう言ったので、一同は8体の獣たちをおいて、先を急いだ。  ようやく到着した野営地にはだれもいなかった。火を使ったあともなかった。調べるまでもなく、全員が「はずれだ」と直感した。 「ちくしょう…!」  ジェイが小さな声で悪態をつくのが聞こえた。Gは彼に「まぁ、気を落とさないで」と慰めの言葉をかけたが、ジェイはじろりと睨み返しただけだった。それでもGは怯まず、言った。「明日、またがんばりましょうよ。」 「今日はここで夜営だな…」  レスターは皆に夜営の指示を出した。それからジェイの方を向いて、 「一番近い猟場がここなんですよね? それじゃあ、一番獲物の捕れる猟場は?」  ジェイはぐるりと首(こうべ)を巡らし、レスターの目を射るように見た。少しの間、黙っていたが、やがて口を開いた。 「その猟場なら、ここから横に移動するのは無理だ。一度村に戻らなければ」  それきり喋ろうとしなかった。  一同は暗い思いを抱いたまま、一晩を過ごした。 4■南より来たる者  1月19日。  朝出発して、村に戻れたのは夕方近くだった。 「明日、早朝に出発する」  ジェイはそれだけ言うと、踵を返した。向こうから恋人のエリリアが走り寄って来るのが見えた。 「ジェイ、無事だったのね」「ああ、今のところは背中から襲われちゃいない」  そんなことをする人間はいない、と、言えないのがレスターにはもどかしかった。  村にはロビィたちの隊商が到着していた。 「ああ、来たみたいだね…」 「姐(あね)さん!」  突然、ヴァイオラの前に若い男が立ちはだかった。 「姐さん! あっしも仲間に入れてくだせえ!」 「ロッツ君!?」  ヴァイオラは驚いて目の前の男をまじまじと見つめた。フィルシムでストリートチルドレンを束ねている筈の若者がそこにいた。 「どうしたの、一体!?」 「ストリートチルドレンは卒業です! あっしもシーフギルドに登録して、これからはギルドマスターを目指します!」  大きな声で叫ぶロッツをヴァイオラは慌てて制した。 (「シーフギルド」なんて大声で言うべきことじゃないだろ!) 「あ、あ、そう。でもなんでここのパーティに…?」 「姐さんたちのパーティは将来有望と聞きやした! ぜひあっしも加えてくだせえ!」 「だれに!?」  ヴァイオラとレスターは異口同音に聞き返した。 「あちらの御仁に」  あちらの御仁とはツェーレンだった。 (まったく…無責任に吹き込んでくれて…大丈夫かね)  ヴァイオラの危惧をよそに、ロッツはすっかりパーティに参加する心づもりでいるようだった。 「やや、姐さん、こちらの方はどなたさんで?」  彼はラクリマを指して言った。 「あ、姐さん!?」  ラクリマはロッツとヴァイオラの顔を交互に見ながら、素っ頓狂な声をあげた。 「姐さんって、ヴァイオラさんのことですか?」 「どうしたんですかぁ」  Gやセリフィアも寄ってきた。 「このひとが、ヴァイオラさんのことを『姐さん』って。ヴァイオラさん、『姐さん』だったんですね。もしかして私たちもそう呼んだ方がいいんですか?」 「絶っっ対に呼ばないで」  ヴァイオラはドスの利いた声でラクリマたちに釘を差した。 「呼んだら赦さないよ」 「え、え、ええ…」  ラクリマはヴァイオラの迫力に一歩あとずさった。そんなことには構わず、ロッツは続けた。 「皆さん、姐さんのお仲間で? お名前をお伺いしてよろしゅうござんすか?」 「あ、私はラクリマです」 「ラクリマさん…わかりやした。『お嬢』と呼ばせていただきやす!」  ラクリマは目をくるくるさせてヴァイオラに言った。 「ヴァイオラさん、私、ちゃんとラクリマって言ったんですけど、『オジョウ』になっちゃいました。どうしましょう?」 「彼にはそう呼ばせておやり」  ヴァイオラが適当に受け流した間にも、ロッツはGやセリフィアの名前を尋ねては新たな呼び名を与えていた。Gには、 「こちらは『姫』と呼ばせていただきやす!」   それからセリフィアの方を向いて、 「『師匠(せんせい)』! 僭越ながら、『師匠(せんせい)』と呼ばせていだたいてよろしゅうござんすか!」  最後にレスターを見て、 「こちらの御仁はなんとお呼びすれば…?」 「彼は『坊ちゃん』さ」  間髪を入れず、ヴァイオラは言った。 「『坊ちゃん』でござんすね!」  ロッツは素直にそれを呑み込んだ。それから、おもむろに仁義を切りだした。 「手前生国発します、フィルシムは貧民街の生まれ、ロッツ=エイランと申しますけちな野郎にござんす。どなたさんもご贔屓によろしゅうお願い申し上げます」  向こうでツェーレンがにやにやしているのが見てとれた。もっとも、ツェーレンでなくとも衆目はみなこちらを向いているようだった。ロッツはよほど神経が太いのかそんなことは意に介さずに、べらべらと喋り続けた。 「そうだ、姐さん、もうひとり、いい奴をご紹介しますよ。ああ、アルトのアニキ、こっちでさ」  そう言って彼が呼んだのは、小柄な若い魔術師だった。 「ご紹介いたしやす。こちら、フィルシムから一緒に来やしたアルトのアニキで」 「あ、アルトと申します。よろしくお願いします」 (………またコドモだよ)  ヴァイオラは無言で新顔の魔術師を見つめた。どうみても15〜16歳にしか見えなかった。 「見ての通り、アニキは魔術師で」 「ロッツさん、アナタの方が僕より年上なんですから、その『アニキ』は止してくださいよ」 「いやいや、アニキと呼ばせていただきやす」 「とにかく」このままでは収拾がつかなくなりそうだと思って、レスターは言った。「一緒に食事しませんか。話はそこでしましょう。」  と、突然、後ろから女の声がした。 「呪われている…」  一同がぎょっとして振り向くと、巡礼者風の女性が立っていた。 「ああ、あの方はヴィセロさんです。セロ村は呪われているから、自分が行かなければならないって、ずっと言ってるんです」  アルトがそう説明した。  ヴィセロは周囲の人間には全く注意を払わず、中空に目を彷徨わせたかと思うと、「呪われている。ここも。ああ、ここも…!」と言って指を突き出し、「森の女神」亭とトムの雑貨屋とを交互に指した。 「こんなに呪いが……こんなに進んでいるなんて……清めなければ……」  ぶつぶつと呟きながら、相変わらず周りには目もくれずにヴィセロは神殿の方へ歩き出した。 「あ、あの…」 「やめておきな、ラッキー」  ヴィセロに声をかけようとするラクリマを、ヴァイオラが制した。 「で、でも、あのひと、どこに泊まるんでしょう? 大丈夫なんでしょうか?」 「いざとなったら神殿に泊まるだろう。それより食事を済ませようよ」  とにもかくにも食事時ということで、レスターたちは「森の木こり」亭でアルトやロッツとともに食事を済ませてから「森の女神」亭に戻り、ヴァイオラたちとも話す段取りになった。  「森の木こり」亭で、アルトは自己紹介した。 「僕はアルテッツァ=シリル=ノイマン=ステップワゴンと言います」 「アルテッツァ…なに?」 「アルトでいいです。長すぎますから」 「アルトさんはどうしてセロ村に来たんですか?」  アルトはGに答えて言った。 「本当は僕、お師匠さまに『ショーテスへ行け』って言われてたんですけど…」 「お師匠さまって?」 「エクシブ=ステップワゴンっていいます」 「それがどうしてこちらに?」 「なんかセロ村で『キミの力が必要なんだ』って言われちゃって…」 「だれに言われたんですか?」 「あの、とても小っちゃい、銀髪の魔術師さんです」 「…ゴードンさん!?」  Gとラクリマは同時に叫んだ。 「ゴードンさんのお知り合いだったんですか!」  ラクリマがそう言うのに、アルトは首を横に振った。 「いいえ、僕はその…ゴードンさんっていうんですか? そのひとのことは知らないんです。ただ、セロ村で僕の力が必要とされているというので、こちらに伺ったのです」  レスターは半ば茫然としてアルトを見ていた。ゴードンがアルトに「セロ村へ行け」と言った…? それはつまり、レスターたちにとって必要な人間を寄越した、ということなのだろうか。だが、ゴードンのことだ。あるいはただの気まぐれかもしれなかった。  どちらとも判断がつかなかったが、せっかく魔術師に協力してもらえそうなのだ。レスターはアルトにもパーティに加わってほしいと頼んだ。アルトは「僕でよければ」と二つ返事で承知した。 「アルトさんはどこのご出身なんですか?」  ラクリマの質問に、アルトは「ラストンです」と答えた。途端にセリフィアの表情が変わって、「もしやこういう人間を知らないか」と、探している父親のことを尋ねた。残念ながら、と、アルトは答えた。 「僕とお師匠さまがラストンを出たのは2年前なんです。そのあとのことはちょっと……」 「そうか…」  無表情のまま、セリフィアは沈み込んだ。  一方、「森の女神」亭では、久しぶりに会ったツェーレンとヴァイオラが、酒飲みの旧交を---というほど古い知己ではないが---温めていた。と、スチュアーがやってきて、「頼まれものだ」と、ヴァイオラに封書と皮袋とを手渡した。先だって彼に使いを頼んだ手紙への、フィルシム神殿からの返書に相違ない。 「ありがとう、非常に助かったよ」  ヴァイオラは心からそう言ったが、スチュアーは「これも任務の内だからな」と、諦めたような顔つきでさっさと自分のテーブルへ戻ってしまった。  早速その場で封書を開けてみた。そこにはかなりまともな、ありがたいことに自分達を支援してもらえそうな内容の返事が書かれていた。だが、親書を読み進めているうちに、 「おいおい、喋らなくなっちまったよ。せっかく会えたのにつまらねえなぁ〜」 と、ツェーレンが駄々をこね出したので、残りはあとで読むことにして、いただきものをしまいこんだ。それにしても……セリフィアの父親の消息が、こんなところで知れようとは思わなかった。彼にどう言うべきだろうか。 「こっちはいろいろあったみたいだな」  ツェーレンの声でヴァイオラは意識を眼前に戻した。 「そうだね。いろいろあったよ」  そう言って、彼らのいない間にセロ村で起きた事件の数々をかいつまんで話した。 「ふぅん…ここいらも物騒になってきたもんだ」  ツェーレンは軽く酒を呷った。 「このところイビル探知がわりと効果あったかな」  ヴァイオラがそう言うと、ツェーレンは顔だけスチュアーに向けて、「だってよ、スチュアー」と大声で言った。スチュアーは忌々しげに「ふん」と鼻を鳴らした。まだ彼のレベルでは呪文が使えないのだ。 「そういえば、さっきの女性は? ツェーレン、あなたが連れてきたの?」  ヴァイオラは思い出したように、ヴィセロのことについて尋ねた。 「ああ、途中で拾ったんだ。まさか女の子を一人でほっとくわけにも行かないだろ」  ツェーレンはヴァイオラに向き直って言った。 「なんだか物騒な言葉を口にしてたけど…」 「ずっとさ。セロ村は呪われているだとか、巡礼に来ただとか言っててな。呪いを祓いに来たらしいぜ」  セロ村は呪われている……村の住人達にしてみれば酷い言いがかりだろうが、ヴァイオラには根拠のないことでもなさそうに思えた。  扉の方から賑やかな声が聞こえてきたかと思うと、「森の木こり」亭で食事を終えたメンバーが、セリフィアを除いて、食堂へ入ってきた。 「ヴァイオラさん」 「ああ、こっち」  レスターたちはバラバラと二人の周りにやってきて、席を取った。だが、来たばかりだというのにGは腰を浮かせて言った。 「私…やっぱり先に部屋へ戻ってていいですか?」  ざわざわとした空気が居心地悪かったのだ。ちょうどあの日のことを思い出すから……。 「いいよ、休んでおいで。」そう言ったあとで、ヴァイオラは思いついたように付け加えた。「そうだ、セイ君にあとで話があるって言っておいてくれるかな。」 「寝てたらどうしましょう?」 「起こしていいよ」 「わかりました」  Gはなぜか嬉しそうに答えて、酒場から出ていった。 「で? どうなったの?」ヴァイオラはレスターとアルトに目を移した。「そちらの…お名前は何でしたっけ?」 「アルテッツァ=シリル=ノイマン=ステップワゴンといいます」 「………」 「アルトで結構です」  こっちの坊ちゃんのことは「ちび」と呼ぶことになりそうだ、と、ヴァイオラは心の中で思った。 「アルトも参加してくれるそうです」  レスターが言うのに続いてロッツが、 「で、姐さん、今は何の仕事をなさってるんで?」 「何も話してないんじゃないか…! 坊ちゃん、ちゃんと説明しなさいよ」  レスターは特に悪びれた様子もなく、今、請け負っていることをようやく説明しだした。それを聞きながらロッツがヴァイオラにこっそり耳打ちした。 「姐さん、姐さんがここのリーダーじゃあないんで?」 「代表者は、坊ちゃん」  ヴァイオラはレスターの方へ軽くあごをしゃくってみせた。ロッツは「わかりやした」と肯いた。  レスターの説明が一通り終わると、ロッツが立ちあがった。 「それじゃあっしはこちらの偉いさんに面を通して来まさ」  彼は身軽に酒場から出ていった。ツェットのところへ行くんだな、と、ヴァイオラは了解した。 「あの、ツェーレンさん?」  ラクリマがツェーレンに話し掛けた。 「今度フィルシムに戻るときに、修道院に手紙を届けてほしいんですけど…」 「ああ、いいよ。スチュアーに預けな」  ツェーレンは易々と請け負った。ざわめきのせいでスチュアーの耳には届かなかったようだ。ラクリマは続けて言った。 「この間、ドルトンさんたちがいらしたときに、お願いするのを忘れちゃって…」  するとツェーレンは大仰に手を振って言った。 「ドルトン? だめだめ、あいつらに渡したら、届くもんも届かなくなるぜ」 「そうなんですか!? た、確かにあの人たち、ちょっと怖かったですけど…」 「そーだろ、怖いだろぉー?」 「あんまり評判よろしくないようだね」  ヴァイオラも話に入った。 「まぁ、な。あいつらはよくも悪くも『昔ながらの』商人だからな」 「つまり?」 「ごり押しが強いのさ。やり方が強引って言やぁいいか…」ツェーレンは酒のお代わりを頼みながら言った。「もっともこことの取引は向こうの方が古株なんだが。」 「ふぅん…」 「あの…」  ラクリマがやや遠慮がちに口を開いた。 「私、やっぱり神殿の様子を見てこようと思うんですけど…」  ヴィセロのことを気にしているらしかった。レスターが口を出した。 「もう夜ですから、ついていきますよ」 「いえ、そんな、すぐですから一人で大丈夫です」 「一人じゃだめですよ」 「でも…」  二人のやり取りがうざったくなってきたヴァイオラは、アルトに向かって言った。 「ちびさん、君がついてってくれるかな」 「ぼ、僕ですか? ええ、僕でよければ」  アルトはおどおどしながらも引き受けた。「じゃあ」と言ってラクリマがアルトと出て行くのを見届けてから、レスターは「やっぱり僕も行ってきます」と立ちあがって二人の後を追った。 5■彼我に事情あり  ヴァイオラはそのあとも暫く酒を楽しんだが、ツェーレンが「明日は出かけるのか。なら深酒はよそう」と気を利かせてくれたので、ほどよいところで部屋に戻った。女性用の区画に入ると、Gはもう寝床についていた。ヴァイオラは窓際にあるチェストに腰掛け、酒の匂いを飛ばすために窓を開け放った。 「セイ君」  男性用のスペースで鎧の手入れに余念がないセリフィアに声をかけた。セリフィアは手を止め、顔を上げた。 「実はお父さんの消息が少しわかったんだ」  言うなり、彼はカッと目を見開き、「どこです。どこにいるんです」と迫るように言葉を吐いた。それでも、徹底して酒の匂いが苦手なのだろう、こちらへは1インチとて寄ろうとしなかった。換気のために窓を開けていなければ、話をする前に間のカーテンを閉められていたかもしれないな、と、ヴァイオラは思った。  ヴァイオラは親書からわかったことを説明した。曰く、彼---ルギア=ドレイクはこことは別の場所でハイブコアの殲滅を果たしたらしいこと。それが去年の8月のことで、今はどこにいるかはわからないこと。  予期していた通り、セリフィアは荷物をまとめ出したようだった。ヴァイオラは彼の背中に語り掛けた。 「セイ君、もしも親父さんの情報を知りたいなら、調べてみるけどどうする? こういう伝手から、調べられるかもしれないんだけど」  セリフィアは手を止めた。ちょっと考えるようにしてから、真っ直ぐにヴァイオラを見た。 「今、いる場所を知りたいんです。お願いします」 「じゃあ、私に任せてくれるんだね」  セリフィアは無言だった。だが、荷物をまとめる作業には戻らず、今度は剣に手を伸ばして、武器の手入れを始めた。すぐに出て行くのはやめたようだ。  ロッツが戻ってきた。 「あれ、そういえば部屋のこと言ってなかったのに。よくここだってわかったね」  ヴァイオラが感心すると、ロッツはガギーソンに訊いたのだと答えた。 「あっしの部屋は……」ロッツは男性用と女性用のスペースの人口密度を比較して、「こっちでござんすね」と、まだセリフィアしかいない広広とした男性用の方へ入っていった。  一段落ついたところで、ヴァイオラは先ほどの親書をもう一度読み返した。    親 書 親愛なるヨカナン・トルゥ=ヴァイオラ殿  この度のセロ村での探索行、大儀である。そなたより受け取った信頼性の高い情報は、我々、フィルシム神殿にとって、大変有意義なものである。早速、王宮を動かし、ハイブコアの探索及び掃討、今回の事件を背後から操っているユートピア教の殲滅に全力を傾けるよう努力しよう。  今後の捜査の役に立てるよう以前の事件についての要約を伝える。  459年8月に起こったフィルシム内でのハイブ騒ぎは、街の中であったにもかかわらず、発見が遅れ、コアはかなりの規模になっていた。これは、初期にコアに対して駆け出しの冒険者が送り込まれ、コアの強化がはかられていたこと、コア自体がうち捨てられた迷宮内にあり、発見、殲滅に時間がかかったことがその理由として挙げられる。  結局この事件は、ラストンから流れて来たルギア・ドレイクと名乗る大魔術師(ネームレベル以上)を初めとするネームレベル直前の急造パーティが殲滅する事ができた。  しかし、この事件で我々がつかんだことは、冒険者を雇うことが出来る組織力と資金力を持つ組織でかつ、打ち捨てられた迷宮を探索、復元できるだけの技術力と能力を持っている、ということまでしか判らなかった。ラストンの陰謀説、ガラナークの陰謀説、カノカンナの陰謀説、又は自国内のテロ活動など、諸説出たがどれも決定的な証拠は出てこなかった。  今回その背後関係が判ったことが、最も重要なことである。そして同時に脅威でもある。ユートピア教を名乗る者達の台頭は、頭の痛い問題である。このような状況下において、邪教徒が勢力を伸ばすには絶好の機会とも言える。しかし、正直ここまでの組織力を持っているとは考えていなかった。  我々は、全力をもって邪教徒を排除しなければならない。当然人間にとって脅威となるハイブもである。このような事件は、フィルシムの周辺の村々でも起こっていることであろう。早速その調査に乗り出そうと思う。  それで、既にハイブコアがあることが判っているセロ村については、早々に前例に倣い、ネームレベルに近い冒険者を捜し、討伐に向かわせるように手配する。それまで、そなた達には、少々荷が重いかも知れぬが、ハイブコアの所在の調査、及び周辺のハイブの討伐を行ってもらいたい。又、村人に被害が出ないように注意してもらいたい。  以下にあげるものは、今回の調査費用及びもしもの時に使用して欲しい。そなたの仲間又は、セロ村の重要人物が被害にあった時、完全なハイブブルードになる前なら、治すことが出来る。  諸君らの健闘と安全を祈っている。      フィルシム神殿大司祭 レグレタヴル・ロウニリス   同封物  ガーネット(100gp相当)10個  スクロール「キュアディジーズ」  最後まで読み通したあとで、ヴァイオラは皮袋の中身を確かめた。正当な評価を得て、気分がよかった。窓の外に目をやった。今夜も、雲もなく明るい月夜だった。  神殿の中からは何やら喋り声が聞こえてきていた。ヴィセロだろう、と、3人とも思った。一人分の声しか聞こえてこなかったからだ。  ラクリマとレスターは階段を上り、拝殿へ入っていった。アルトは中に入るのを遠慮して、拝殿の手前で止まった。  思ったとおり、拝殿の中にはヴィセロがいた。祈りともうめきとも聞き分けのつかない言葉を口から吐きつづけていた。と、闖入者に気づき、バッと振り向いた。 「呪われている」  ヴィセロはつかつかと二人に近づき、左手の指を突き出した。 「あなたがたは呪われている!! おお、大いなる禍の源より感化されてしまったのか…!! 清めなければ!」 「!!」  ヴィセロはいきなり右手の聖水を二人に浴びせ掛けた。 (彼女がだれであろうと、これはやりすぎだ!) と、レスターは思った。ラクリマはちょっと悲しそうな顔をしたが、普段どおりにヴィセロに話し掛けた。 「あなたはここで何をなさっているんですか?」 「この村は呪われている! 呪いを清めなければ!」 「どうして呪われているってわかったんですか?」 「ご神託です! 神が仰せになったからです! 私には神の声が聞こえるのです! ああ、聞こえる…神よ、あなたのお声が聞こえます…!!」  ヴィセロの様子を見ながら、レスターは嫌ぁな気分にとらわれた。「神の声が聞こえる」人間は、皆、他人からはこのように見えるのだろうか? 「私はセロ村を浄化するためにやってきたのです!」  ヴィセロは燃えるようなまなざしで言ってのけた。 「どうやって浄化するんですか?」  ラクリマは重ねて尋ねた。別に疑っているわけではない、本当にその術があるなら手伝えないかと思ったのだ。だが、ヴィセロは彼女を睨みつけ、 「邪魔です。出て行きなさい。あなたがたは…あなたがたこそが呪いの元凶! さぁ、出ていきなさい!」  ぐいぐいと二人を押し出した。二人は抗う術もなく、そのまま外へ押し出された。  バタン、と、音を立てて扉が閉められた。レスターは胸にわだかまる反発を消せなかった。これはいったい何なんだ。仮にも神に仕える者同士、あんな無礼な態度を取られる謂れはない。そう考えたところで、思い当たった。彼女は、聖職者ではなかった。確かに、ホーリーシンボルを首に提げていたけれど、祈りの言葉は普通の話し言葉で祈祷用の言葉ではなかったし、文句もでたらめだった。彼女は本当にただの巡礼者なのだ。ただ、神の声が聞こえるだけの。 「…行きましょうか」  ラクリマが踵を返した。レスターとアルトも無言で神殿を出た。宿までの道すがら、彼らはぽつぽつと喋りながら歩いた。 「アルトさん、ラストンを出たあとはどこにいらしたんですか?」 「フィルシムに」 「あら、私もフィルシムなんですよ」  ラクリマが嬉しそうに言うと、アルトは少し申し訳なさそうに言った。 「いえ、ラストンを出たのは2年前なんですけど、僕とお師匠さまがフィルシムに落ち着いたのは、ここ半年くらいのことなんです」 「そうですか…そういえばそのお師匠さまは今もフィルシムにいらっしゃるんですか?」 「お師匠さまは亡くなりました」 「まぁ……」  しまった、と、レスターは思ったが、遅かった。ラクリマはぼろぼろと泣き出してしまった。 「え? ええっ? あ、あのラクリマさん?」  アルトがおろおろするので、余計に涙が止まらないようだった。 (二人とも、やるなら宿屋に戻ってからにしてくれ…!!)  心の中でそう叫んだ瞬間、ポン、と、肩を叩かれた。レスターがそーっと振り向くと、そこには鬼のような顔をしたレイビルが立っていた。 「お前らに常識ってもんを期待するのが間違いなのかもしれないが、今は『夜』なんだ。わかるか? この村の人間は寝る時間なんだよ。今度五月蝿くしやがったら、ただじゃおかないからな」  脅すように言い捨てて、レイビルは去っていった。 (なんで毎回僕ばかり怒られるんだ…!!)  レスターは心中、罵りの声をあげた。  1月20日。  朝から忙しかった。  ラクリマはキャスリーンのところへ薬草を買いに行った。 「ダグさんたちがみんな怪我してると、私では治しきれないですから」 「お前さんたちも大変だねぇ…」  キャスリーンは珍しくねぎらいの言葉をかけながら、薬の壜を取り出した。ラクリマは傷薬を9つと、疲労に効く強壮剤6つを買い求めた。 「ありがとう、お婆さん。」ラクリマは向こうではしゃぐリールとカーレンを見やってから、キャスリーンに目を戻した。「楽しそうですね、リールさんもカーレン君も。お婆さんも楽しいでしょう、賑やかで?」 「何が楽しいもんかね。手がかかって大変じゃよ」 「お婆さん、お顔が笑ってますよ」  キャスリーンは、よしとくれよ、と、手を振ったが怒っている様子はなかった。ラクリマはふっと床に視線を落とした。 「ダグさんたちが無事でいらっしゃればいいんですけど…」 「ダグだけじゃない、あんたらも無事で戻るんだよ」  キャスリーンはラクリマの目をじっと見た。 「気をつけて行くんだよ。生きて、無事で戻るのが一番大切なんだからね」 「はい。お婆さんたちも体に気をつけて」  ラクリマはキャスリーンに暇を告げた。キャスリーンの言葉があとでどんな意味を持つことになるか、このときはわからなかった。  宿に戻ると彼女はスチュアーに修道院への手紙を届けてほしいと頼んだ。スチュアーは少し嫌そうな顔をしたが、「これもお役目か」と引き受けてくれた。それを見ていたレスターも、思い出したようにガラナーク宛の書簡を預けた。フィルシムから先は別の人間に委託しなければならないため、その費用として100gpも支払った。  だいたい準備が整ったところへ、ジェイがやってきた。 「…人数が増えているな」  彼がぶすっと言ったので、アルトとロッツは慌てて、簡潔に自己紹介した。  ジェイに少し遅れて、ベルモートもやってきた。ひいひいと、大きな荷物を担いでいた。よく見るとそれは保存食のようだった。 「皆さんに今日は別の依頼をします。戻ってこない猟師たちを探しに行ってください」  ベルモートはさらに付け加えた。 「昨日のことは不問に付すそうです。これは食糧です」 「……実は二人増えたんですが」  レスターが言うと、ベルモートはひえぇと情けない声をあげた。館に走って帰ったかと思うと、猛烈なスピードで追加の食糧と契約書とを持って戻ってきた。アルトとロッツは契約書にサインすると、食糧を自分の荷に入れ込んだ。 「もう行くぞ」  ジェイがいらいらと歩き出した。レスターたちは後を追った。  夕刻、野営地にたどりついた。ロッツがその場を調べ、「使ってから2日くらい経ってやすね」と言った。今度は当たりのようだ。だが、2日間のロスは厳しかった。一同はひたすら彼らの無事を願いながら、夜直をこなし、朝を迎えた。 6■悲しみの日  1月21日。  出発して早々、アルトが戦闘の跡らしきものを見つけた。 「ここに何かありますね」  彼はその場にしゃがみ込んで分析した。 「この跡を見ると、ちょうど一人の人間が大勢の相手に囲まれて襲われたみたいに見えます」 「……ハイブじゃないか」  セリフィアがその名を口にすると、アルトは肯いた。 「ハイブですね、きっと…」 「どういうことだっ!!」  いきなりジェイがアルトにつかみかかった。 「止せ!」レスターは二人の間に割って入った。「こんなところで争って何になるんだ! ダグさんを探す方が先だろう!」  ジェイは充血した目を彼らから逸らし、「行くぞ!」と乱暴に言って歩き出した。  しばらく行ったところで、また跡を見つけた。今度はセリフィアが見つけたのだが、やはり前の跡と同じように、一人対多数の戦闘跡だった。じわじわと、一行を暗い予感が包んだ。  そこから更に奥へ歩いていたとき、ふいに視界からジェイの姿が消えた。アカマツの根に足を取られて、うっかり転んだのだ。 「だ、大丈夫ですか?」  ラクリマは彼に手をさしのべ……ふと、目の前のアカマツを見た。  二本のアカマツがねじれ絡み合っている。その股の部分から、上を見上げると、白く雪を戴いたアリスト丘陵の山々が見えた。ラクリマは何かを思い出した。 (…山より高い木?) 「どうした?」  ジェイの訝しげな声でラクリマは我に返った。 「ごっ、ごめんなさい。何でも…」言いながらジェイを立たせたあとで、ヴァイオラの方を向いてもの言いたげな視線を投げた。 「どうかした?」 「あれ、あの、山より高い木って、あれじゃ…」  ラクリマの説明はまるで要領を得なかったが、ヴァイオラは彼女のいた位置に移動して先刻彼女が見ていた方角に目を向けた。そして彼女が何を言いたかったかを理解した。 「ああ…」 「どうかしやしたか、姐さん」 「ああ、ロッツ君。ちょうどいいや、ここのアカマツの位置を覚えておいてくれるかな」 「お安いご用でさ」  ヴァイオラは隊列に戻ってつぶやいた。 「…山より高い木か。なるほどね」 「山より高い木があったんですか?」  隣のGが小声で訊いてきた。 「ああ、さっきのところのアカマツがそうみたいだよ」 「こんなところにあるなんて。それじゃ、あの迷宮って本物かもしれませんね」  その迷宮がハイブの巣でなければいいが、と、ヴァイオラは祈るように思った。  また少し進んだところに、同じような戦闘跡があった。もう間違いなかった。散開して獲物の追い込みにかかったときに、一人ずつばらばらに襲われたのだ。ハイブに。  ジェイはますます寡黙になり、不機嫌になっていった。  そしてレスターが最後の跡を見つけた。  刹那、全員が背後の敵意に気がついた。振り向くと同時に矢が飛んできた。 「何しやがる! 俺の親父だぞ!」  かつてダグ=リードだったモノに矢を放ったロッツに、ジェイは突っかかった。 「やめて!」 「ちくしょう! 親父!!」 「いけません! あれはもうあなたのお父さんじゃありません!」  ジェイがダグの革鎧を着けたハイブ=ブルードに駆け寄ろうとするのを、ラクリマは泣きながら必死で止めた。  ダグも、3人の若い猟師たちも、すでにハイブ=ブルードと化していた。もうどうやっても救う手だてはなかった。 「ちくしょおおおお!!」  ジェイの叫びはその場にいる者の胸を撲(う)った。  セリフィアもGも、ハイブへの憎しみに目がくらんだ。  向こうでアルトのスリープに倒れたハイブが、仲間に起こされているのが見えた。この隙に、と、彼らは距離を詰めた。  やっかいなのはダグだった。何しろ他の奴に比べて格段に射撃が巧い。木陰を伝って移動していても、容赦なく狙い撃ちされてしまう。 「あまり無茶しないでくださいよ。今日は革鎧しか着けてないんですから」  レスターはGに治癒呪文をかけながら注意した。 「わかってます」  Gはハイブたちから目を逸らさぬまま、ぶっきらぼうに答えた。と、後ろで「離せっ!」という声が挙がって、だれかが脇を駆け抜けた。ジェイだった。ラクリマやロッツの手を振り払ったかと思うや、かつての父親の側に駆け寄った。 「親父…どうしてだよ…っ!!」  だが、かつてダグだったモノは、容赦なくジェイに襲いかかった。弓を捨て、堅い爪と、おぞましい牙で獲物を仕留めた。ジェイの体が「どさり」と音を立てて地に転がるのが、だれの目にもまざまざと映った。 「ジェーーーイ!!」  レスターが叫んだが、答えはなかった。  セリフィアは猛烈に怒っていた。だがその怒りをもってしても、眼前の敵を倒すのは容易な業ではなかった。ハイブの外殻は堅い。今も今とて、力任せに振り下ろした大剣が相手を傷付けることはなかった。 「!」  隙をつかれて、彼は文字通りハイブの毒牙にかかった。体が痺れる。膝から力が抜け、立っていられない。剣を手から離さないようにするだけで精一杯だった。 「セリフィア!」  レスターの声が聞こえたと思ったが、舌先を動かすことすらできなかった。  ふっと、体が解放感に満たされた。ラクリマが移動してきて、治癒呪文をかけてくれたらしかった。セリフィアは立ち上がり、周りを確認した。次の瞬間、レスターが向こうで倒れるのが見えた。背筋を悪寒が趨りぬけた。 (勝てるのか)  そう思ったとたん、この5分にも満たない時間が、とてつもなく長く重く感じられた。全身からどっと汗が噴き出した。  セリフィアだけではない、Gも焦りを感じていた。何度も何度も斬りつけているのに、相手は一向に倒れる気配がない。  強く…強くありたかった。だが、と、彼女は思った。敵わない。今はまだ。この忌まわしい天敵どもには。もっと、もっと強くなりたかった。強くなってみんなを守って……  彼女の肩にハイブの牙が食い込んだ。毒が体に回るのが自分でもわかった。 (だめだ!! みんな、逃げて…!! 私に構わず逃げて!!)  叫びたかった。だがもはや指一本動かすこともままならず、一声も立てられなかった。悔し涙すら流せなかった。 「向こうを頼みます」  レスターは、呪文で縛を解いてくれたラクリマに告げた。 「でもレスターさん、血が…」 「僕は自分で治せますよ」  それは嘘だった。彼の呪文はもう底をついていたからだ。  彼は半ば覚悟していた。自分はここで倒れるかもしれない。だが、仲間が、彼らが生き延びてさえくれれば……。そのためにはここで足止めをしなければならない。彼らが少しでも逃げられるように。だからラクリマを向こうへやった。  目の前で、いっときでも人間だったとは思えない、おぞましい生き物が口をカッと開いた。汚らしい粘液が上下に糸を引いている。そして彼は避けられなかった。 (神よ…!!)  ハイブはレスターに再び牙を突き立てた。鈍い、鈍い痛みとともに手先足先から力が抜けていくのが感じられた。 (勝ち目はない)  先ほどから前線で射撃の囮をかって出ていたヴァイオラは、もはやこれまでと判断した。Gが倒れ、レスターが倒れた。自分もラクリマももう呪文がない。そして相手はまだ一匹も倒れていない。 「撤退しよう」  セリフィアの側まで後退して、ヴァイオラは彼とラクリマに告げた。セリフィアは悔しそうな顔をしたが、イヤだとは言わなかった。さすがにこの窮状を覆す自信はなかった。彼はぼそりと口にした。 「ラクリマ、先に下がれ」 「えっ…」 「ラッキー、下がるんだ。私たちもあとから行く」 「は、はい」  だがヴァイオラは最後までこの場を動かぬつもりだった。この結果は自分の責任でもある。最後まで見届けなければ、と、彼女は固く心に誓っていた。  ラクリマが後ろの、アルトたちの位置まで下がったのを認め、ほっとしたそのとき、セリフィアが横で倒れるのが目に入った。意図せずに叫びが迸った。 「セリフィアーー!!」  絶望すら通り越して、寂静が彼女を満たした。  後方に控えていたアルトは、ダグの矢を受けて早々に倒れたロッツを手当てしていたが、慣れぬことゆえ失敗続きだった。ロッツは下手な介抱で傷口が開いてしまい、「うぅ…」と呻きながら横たわっていた。一度はふらふらと立ち上がったが、すぐまた昏倒してしまった。  ラクリマが前の方から駆けて戻ってきた。それから口早に言った。 「撤退しなさいって」  ラクリマに言われる以前に、この戦況では全滅してしまうと、アルトも肌で予感していた。 「大丈夫ですか…私…ああ、呪文があれば…」  ラクリマは哀しそうに二人の側へ寄ってきた。そのとき、向こうのほうから「セリフィアー!!」という悲痛な叫びが聞こえた。ラクリマはぎょっとして駆けてきた方を振り向いた。蒼白になった。 「ラクリマさん、今は逃げるしかありません」  そう言うアルトの方を向いて、ラクリマはさらに恐怖の声をあげた。 「アルトさんっ…!」  ダグが…いや、かつてダグだったモノが、間近に迫っていた。もうだめだ。アルトは敵に目を据えたまま、後ろの仲間に叫んだ。 「逃げるんです、早く!!」 「でも…!!」 「このまま全滅していいんですか!!」  かつてダグだったモノは、「きしゅりっ」と人間らしさの欠片もない音を立てると、アルトの小さい体を爪で裂いた。  鮮血が、びしゃっと音を立ててラクリマの顔面に飛んだ。 「いやあああああ!!」 「逃げて…! 早く…!!」  アルトは必死で叫んだ。膝ががくがくと抜けそうだったが、何とか堪えた。寒気と、燃えるような痛みとが同時に襲ってきた。かつてダグだったモノが、心なしかうれしそうに爪をふりかざすのが見えた。咄嗟に地に転がって二撃目を避けた。 「あああああ! だれか…! だれか助けてぇえええ!!」  目の端にラクリマが駆けてゆく姿が映った。少しほっとした。これで全滅は免れるだろう。素早く立ち上がり、彼自身も残りのすべての力をもって逃げようとした。だが追いつかれた。 (みんな、役に立てなくてごめん…)  かつてダグだったモノの口が大きく開いた。彼の意識はとぎれた。  ラクリマが逃げてゆくのが背後に感じられて、ヴァイオラは全滅だけは免れられたことを知った。そうはいっても、この状況は限りなく全滅に近かった。  彼女はだれも呪わなかった。だれも責めなかった。諦めではない、運命なんかでもない、ただあるがままを受け入れて……斃れた。赤い血が衣服を染め、冷たい大地に浸みこんでいった。  静寂が訪れた。聞こえるのはハイブ=ブルードたちの動き回る音だけだった。    ++++++++++++++++++++++++++++++  恐怖に任せて、ラクリマは森の中を駆けた。一度も振り返らなかった。怖くて振り向けなかったのだ。 「きゃっ」  足首がぐらりと裏返って、派手に転んだ。松かさを踏んで滑ったらしい。軽く捻ったのか、痛みですぐには立ちあがれなかった。ズキズキする足をさすりながら、彼女はようやく自分の周りを見る機会を得た。  森は静かだった。不気味なくらい、静まり返っていた。自分の息遣い以外、何の音もしない。向こうで凄惨な戦闘があったことなど知らん顔だ。見上げると、アカマツの緑の葉先の合間から、うすぼんやりと星が見えた。もう日が沈みかけているのだろう。 「………」  ラクリマはのろのろと立ちあがった。左足をやや引きずるようにして、前へ進んだ。村の方角はこちらでいいはずだ。もう少し歩こう。もう少し歩いたら、今日はもう休もう。そうやって自分に言い聞かせている声が、自分のものではないような気がした。歩く以外のことは何も考えたくなかった。  1時間以上歩いただろうか。日はすでにとっぷりと暮れ、灯りを持っていても足下がおぼつかなくなってきたので、彼女は休むことにした。岩の当たらない、少しでも平らな部分を探して座り込んだ。  1月の夜気は寒かったが、もはや火を起こす気力が無かった。それでも食事はした。保存食を取りだし、少量の水で流し込んだ。もともと味のいいものではないがいつにもまして不味かった。どうやって食べても、泥を詰めこんでいるようにしか思えなかった。  彼女はマントを羽織り、アカマツの幹に背を預けた。木々の間にぽっかり空いた穴から、満天の星が覗いた。透明な大気をも震わせるように瞬くそれらの星々は美しかった。それを見て、彼女はようやく感情を取り戻したようだった。泣きたいと思った。  だが、どうしたことか涙が出なかった。泉が涸れてしまったかのように、一滴も出てこないのだった。  彼女は星々から目を背け、自分の膝に顔を埋めた。とたんに眠気と疲労とが雪崩を打って襲いかかってきた。もはや一瞬たりとも目を開けてはいられなかった。このまま眠るのは危険かもしれないなどという考えがちらりと頭の隅をかすめたが、すぐに睡魔の中に埋没してしまった。抗いようもなく、彼女は夢の世界へと落ちていった。 7■レスタトの選択  レスターはハイブに担がれていた。体はどこも動かせなかったが、目だけは働いていた。彼は必死で視線を動かし、現状を把握しようとした。彼と、セリフィアとGとジェイは3人のハイブの肩に担がれていた。奇矯なことにちょうどダグがジェイを担当しており、Gとセリフィアは若い猟師だったモノの両肩に収まっていた。残りの人間---すでに死体となり果てた3人の仲間たちは、乱雑にくくられ、一番大柄な、若い猟師のなれの果てが文句も言わずに一人でそれらを引きずっていた。  担がれながら、レスターは何度も手を動かそうとした。だが、小指一本すら彼の自由にはならなかった。  ハイブたちは黙々と歩いた。この向かう先にハイブコアがあるに違いなかった。ハイブコアで自分たちを待ち受ける運命を考えると、レスターは全身が凍るような思いがした。死んでしまったヴァイオラたちは食糧に、そしてレスターたち4人は、幼虫の苗床になるのだ。  吐き気がした。だがもちろん、吐くこともできなかった。  拷問のような数時間が過ぎて、彼らは目的地に到着したようだった。  コアは、迷宮の広間のような部屋にあった。うち捨てられ時間が経っているようで、埃臭さとカビ臭さが同居している。中には全く明かりがなく、部屋の広さなどは判らなかった。  ハイブは全部で20匹前後のようだった。 (……!!)  よく見ると、彼らの中に、サムスン達のメンバーらしき鎧を身に付けたモノも居た。 (……死んでしまったのか)  あまり好感のもてる相手ではなかった。だが、彼らの運命を、最期を悼む気持ちが心の底から自然にわき上がってきた。もはや他人事ではなかったからだ。 (ちくしょう…!!)  レスターは心の中で叫んだ。 (こんなところで終わるのか! 御神託は…御神託も果たさずに終わるのか!)  ハイブがGの身体を移動させようとしているのが見えた。レスターの全身からさっと血の気が引いた。 (だめだ…! Gを…彼女を殺させるわけにはいかない! 彼女は神のみ使いなのだから! 彼女がいなければ、僕の御神託は…!!)  レスターは凶暴に祈った。 (神よ! 其処におわすならお聞きください! この僕の命と引き替えに、ここに倒れている仲間たちを、Gを、セリフィアを、ヴァイオラを、アルトを、ロッツを、そしてジェイを、村に無事に送り返してください! 生命の穿ち損なわれたるを回復し、戦いの前の血と肉を取り戻させてください! 彼らが、健やかなる状態で安全な場所に戻り、その羽を休められるように!)  そして最期の祈りを身体中に響かせた。 (我が身を賭して願い奉る、エオリスよ、どうかこの願い、聞き届けたまえ…!!)  ふと気づくと、彼らはセロ村の入り口に座り込んでいた。  夜だった。半月が皓々と6人を照らしていた。  目の前には驚いた顔の男が立っていた。  男の名前がグリニードだったことを、ヴァイオラはようやく思い出した。  だがわからない。なぜここにいる? 「どうしてここに?」  そのまま疑問が口をついて出た。 「それを聞きたいのはこちらだ。君たちは…いきなりここに現れたんだ。一体、何があったんだ?」  グリニードに聞き返され、ヴァイオラは一つ一つを思い出そうとした。そのとき、残り香が彼女を捕らえた。神の力の残り香が。  閃いた。デスウィッシュ……だれかがその存在を犠牲にして、自分たちを生還させたのだ。 「夢じゃ…ないですよね?」  Gは言いながら自分の身体を見下ろした。服も鎧も血まみれだった。だが、身体には傷一つついていない。 「だれかが神の奇跡を願ったんだ」  ヴァイオラは怒りで声が震えそうになるのを押し殺し、告げた。だれかが、と言ったが、十中八九、レスターに違いなかった。なんという愚かなことを…!  彼女は声に出さなかったが、今いない二人のどちらかが---そしておそらくラクリマではない---自分たちを生かして戻したのだということを、その場の全員が理解した。音もなく、熱い瞋(いか)りが底の底から沸き上がってくるようだった。悲しみも喜びも、あって然るべき感情のもろもろはすべてその瞋りに覆われ、まるで盲になったみたいだった。 「信じられない!」とうとう、Gが怒りにまかせて叫んだ。「こんなことされるなんて!」  ヴァイオラはグリニードに向き直ると、今は何日かと尋ねた。 「1月21日だ」と、グリニードは答えた。後ろでジェイが「俺は助かったのか……」と呟いた。  まずなすべきことをなさねばならなかった。ヴァイオラは、ここから1日半の距離のところでハイブ化したダグたちに出会ったことを報告した。 「村長に報告に行ってくる。悪いが、戻るまで代わりにここで見張っていてくれ」  グリニードが出ていってすぐ、ジェイがゆらゆらと立ち上がった。 「俺は……帰る……」  それだけ言うと、彼はふらつきながら自分の家に向かって歩きだした。だれも止めなかった。皆、自分の感情の手綱をとるので手一杯だったのだ。 「……ヴァイオラ、俺たちはどうすればいいんだ?」  重苦しい沈黙のあとで、セリフィアが口を開いた。 「とりあえず、逃げ延びたはずのラッキーを森に探しに行かなければ」 「そうですよ、早く探しに行かなくちゃ!」  今にも飛び出して行きそうなGをヴァイオラは止めた。 「もう夜だよ。今から行っても危ないだけだ。明日にしよう」  Gは不満そうな顔をした。ヴァイオラは静かに言った。 「今の私たちの生命は、だれかの命の代償のうえにある。粗末にはできないんだ。それを忘れちゃいけない」  Gは泣きたいような怒ったような顔で叫んだ。 「わかってます。わかってますよ。でもイヤだ! こんなの…こんなの、押しつけじゃないですか! 勝手に死んで!」  彼女の憤激は他の皆にもよくわかった。だれもが、どうしてもレスタトの死を素直に悼むことができなかった。もっとも、今の時点ではまだ、レスタトがデスウィッシュを使ったと確定することはできなかった。  グリニードが戻ってきた。 「宿に戻って休んでくれ。見たところ、ラクリマという女性と、レスタトという男性がいないようだが、もし彼らが現れたらすぐに知らせるから」  一同は重い足取りで「森の女神」亭へ戻った。離れの大部屋に入る前に、ヴァイオラはどかどかと本館の1階にあがりこみ、起きだしてきたガギーソンに風呂を沸かして欲しいと告げた。不機嫌を隠そうともしなかった。ガギーソンは何も言わず、何も聞かずに風呂の用意を始めた。 8■冷たい雨  彼女は神殿の中にいるようだった。 (……パシエンスじゃない。セロ村の神殿だわ)  後陣を見てそう判断した。自分は今、祭壇の前に立っているのだと思った。神殿の中は、どことなく暗かった。  背後で音がして、彼女は振り返った。ハイブの顔をしたダグが扉の前に立っていた。臓腑がぎゅっと搾り上げられるような感覚に襲われた。逃げなければ。  パシエンスでは後陣に向かって右の翼に扉があった。彼女は思わずそちらへ向かっていた。前に扉が見えた。(やっぱり)と思ったとき、それがゆっくりと開いて、だれかが入ってきた。 (ヴァイオラさん!)  そのまま駆け寄ろうとした。と、ヴァイオラの美しい顔がどろりと溶けて、中からハイブの顔が現れた。叫ぼうとしたが声が出なかった。彼女は声ならぬ悲鳴をあげ、逆方向に走ろうとした。向こうの扉からGが現れた。予想に違わず、その白い顔もどろりと溶けて、ハイブの姿になった。迫り来るハイブたちから逃れたくて、出口がないとわかっていながら彼女は後陣に駆けこんだ。  唐突に、目の前にヴィセロが現れた。鬼のような顔をしてこう言った。 「あなたがたが呪いの元凶です! 滅びなさい!」  右手に持った聖水を彼女目掛けて浴びせかけた。冷水なのに熱く、皮膚が爛れた匂いがした。そこから自分が溶けていくようだった。  朝露の、しずくに濡れた感触で、ラクリマは目を覚ました。 (夢……)  心臓がまだ早鐘のように鼓動を打っていた。周りに音が聞こえやしないかと不安になるほど激しかった。  体が冷え切っていた。少量の食事を摂ると、彼女はぼんやりと歩き出した。火の始末も野営跡の始末も必要なく、一人でいては何もすることがなかったからだ。毎朝欠かさずにあげていたお祈りをし忘れていることにも気づかず、目前の風景だけを意識しながら、黙々と歩き続けた。  歩き続けているうちにアカマツの植生は抜けたようだった。本能から、彼女は安堵した。しばらくすると、何がなし見覚えのある場所に出た。  そこは昨日、アルトが最初に見つけた、一つ目の戦闘の跡だった。近隣の大気中にはまだ、ここを見つけたときの皆の失望と悲しみとが残っているような気がした。  突如として昨夕の光景が甦った。次々に倒れる仲間たち。血と、叫びと、空気を切り裂く鈍い音と、神の創りしものとは思えぬ彼らの面貌と…… 「…う………」  彼女は膝を折った。その場に蹲って泣いた。  なぜ彼らは死ななければならなかったのか。そんな不遜な疑問が頭をもたげた。  もし、彼が………もし、彼女が………ならば、なぜ神は……………。 (なぜですか…なぜずっと沈黙しているんですか…!)  声には出さなかったが、神を呪ったも同然だった。責めらるべきは自分の無力である。そうとわかっていて尚、先の思いを抑えることはできなかった。「沈黙」が、ゆるし難い罪科に思えた。  胸が痛い。痛くて、息ができなくなりそうだ。  ふと、賛美歌の一節を思い出した。   思うなかれ、灼熱の苦難が降り注ぐ中   たとえ稲妻、雷鳴が脅かし   沈鬱な天候がおまえの不安を駆り立てても   決して神に見放されたと思うなかれ 「神は、もっとも大きな艱難の中でも常におられる…」  彼女は残りの一節を口ずさんだ。少し心が安らいだ。そういえば朝の祈りを忘れていたと気づき、その場で祈念を捧げた。涙を払った。 (セロ村へ戻らなきゃ)  今、自分にできることを全うせねばならない。伝えなければ。ハイブ化していたダグたちのことを、その場所の情報を、そして……仲間たちの最期を。生き残った者がなすべきは、伝えることである。彼女はしっかり立ち上がり、再び村へ向かって歩き出した。ただ、悲しみを止めることはできなかった。  1月22日、同刻。  ロビィたちの隊商が出立した。  ヴァイオラは新たに2通の手紙を書いて預けた。1通はガラナーク神殿宛に、レスタト=エンドーバー死亡に関する報告書で、当のレスタトが生前スチュアーに託してあった他の2通の書簡と同封させてもらった。  もう1通はフィルシムの神殿に宛てたものだった。昨夕の顛末と、任務終了の旨とをしたためた。協力すべき相手が死んだので、ヴァイオラと、生きていればラクリマも、神殿から受けた任務は終了したことになる。もういつクダヒに帰ってもいいはずだった。だが、こうなった以上、まだ戻るわけにはいかなかった。  ロビィたちを見送ってから、ヴァイオラは一人でジェイ=リードの家を訪ねた。2、3度ノックをした。やっとだれかが扉に近づいてくる気配がした。が、扉は開かなかった。中から陰鬱な声がした。 「帰ってくれ」  それきりだった。ヴァイオラは仕方なく神官として悔やみの言葉を述べ、宿で彼女を待っている仲間の元へ戻った。  一同はラクリマを探しに森へ分け入った。  昼を過ぎてもまだラクリマは見つからなかった。 (もしや奇跡を願ったのは彼女…?)  まさかと思いつつも、何度か疑った。その疑いを幾たびか振り払ったあとで、ロッツが「向こうから音が」と、ちょうど進行方向を指して言った。一同は足を速めた。  向こうもこちらの近づく音に気づいたようだった。足音がぴたりと止まって動かなくなった。 (どうかハイブではありませんように)  目で確認できるところまでたどり着いた。一同の目に、泣きべそをかいているラクリマが映った。 「ラクリマさん!」 「よかった!」 「生きてたんだ!」  皆が口々に喜んで駆け寄ってくるのをラクリマは見た。夢でも見ているのかと思った。ごしごしと目をこすったが、目の前の情景は消えなかった。 (あれはだれ?)  死んだはずの仲間たちが近づいてくる。でも、と、思った。あのひとたちはホンモノじゃない、だってみんなは死んでしまったんだから…! 「いやああぁ!」  再び恐怖に捕らわれ、ラクリマは悲鳴を上げた。 「来ないでぇええ!!」  元来た道を逃げ出した。  ヴァイオラはおもむろにボーラを取り出し、投げた。びょうと空を切る音がしたかと思うや、ラクリマは転倒していた。足に絡まった何かをはずそうと、起きあがろうとした。だが、半身を起こしたところで、恐怖でその場に縛られたようになった。死んだ仲間の顔をした人びとが、自分を取り囲んでいたからだ。  ヴァイオラは他の皆を手振りで制して、静かにラクリマの側に跪いた。  実はその前にディテクトイビルとディテクトマジックとを唱えていた。ラクリマ本人であることを確かめたかったからだ。目の前の人間はディテクトイビルには反応せず、ディテクトマジックの方には首から提げている聖章が反応を示した。本人と見て間違いないだろう。彼女の怯えも、演技ではなく本心からだと知った。  ヴァイオラは怯えきって声も出ない相手を前に、厳しい顔をしてゆっくりと言葉を紡いだ。 「ラッキー、レスターがデスウィッシュを使った」  デスウィッシュ、と、聞いて、ラクリマの顔に微かに反応が現れたのをヴァイオラは見逃さなかった。ラクリマの表情は依然として硬かったが、警戒はややゆるんだようだ。ヴァイオラは茫然としている彼女の足から丁寧にボーラを外してやった。  ラクリマはそれでも言葉を発せず、目を泳がせて「わからない」というようにヴァイオラを見た。実際、わからなかった。デスウィッシュが何であるかはおぼろげながら理解できる。だがそれと、目の前に現れた仲間の顔した人々との関係が、どうにもつながらなかった。ヴァイオラは再び口を開いた。 「レスターが私たちを、村に生還させたんだ」  レスターがデスウィッシュを使って、ヴァイオラたちを生還させた……  ラクリマの中でようやく事実が形をなした。  刹那、烈しい悔悛が彼女を襲った。自分だけ異なる岐路を選んでしまったのだと、もう他のだれとも共に歩くことはできないのだと、咄嗟に実感した。なぜなら自分はみんなをおいて逃げたのだから。レスターのように自らを犠牲にすることもなく、ただ己れだけ助からんがために振る舞ったのだから。内なる声が聞こえた。 (お前は仲間を見捨てて逃げた卑怯者。神に祈る資格もない)  同時に哀しみが突き上げて、毒でも受けたかのように胸が灼けた。レスターの魂は消滅したのだ。その最期の空漠さが耐えられなかった。 「あ…あぁあああああ…!」  ラクリマが激しく泣くのを、皆は黙って見守った。  しばらくして、アルトがふいに空を見上げる仕草をした。ついでGが、ロッツが、空を見上げた。冷たい雨が彼らの上に降り出していた。徐々に、それは勢いを強めていった。 「……行こう」  ヴァイオラはラクリマの肩に手を置いた。  夜、セロ村に帰り着いても雨はまだ降り続いていた。  昨日より幾ばくか落ち着いた様子で、ヴァイオラは再び風呂を沸かして欲しいとガギーソンに頼んだ。ガギーソンはこの日も何も言わずに、言われたまま風呂を沸かした。気の立った冒険者の扱いは、心得ているようだった。  エリリアが飛び込んできた。「ジェイが…ジェイが出ていってしまった…!」彼女はそう言って泣き崩れた。「フィルシムへ行ってもっと強くなるって。ハイブになったお父さんを、自分の手で殺すんだって…!」   だれも慰めの言葉をかけられなかった。だれ一人、そんな余裕のある者はいなかった。  ラクリマの中では鎮魂歌が鳴っていた。フレーズのひとつが、いつまでも彼女の頭から去らなかった。  この日こそ涙の日。