[shortland VIII-02] ■SL8・第2話「月の袂で」■ 〜目次〜 1■暫くの暇(いとま) 2■日々の始まり 3■ヒヒの日々 4■新しき隣人 5■さらに新しき隣人 6■赤い月 7■G <主な登場人物> 【PC】 レスター(レスタト)‥‥僧侶・男・15才。顔だけ見れば美少年。 ヴァイオラ‥‥僧侶・女・20才。顔はむちゃくちゃいい女。 ラクリマ‥‥僧侶・女・17才。顔は幼い。 G‥‥戦士・女・17才。顔はかなりいい(あとは口を開かなければ‥)。 セリフィア‥‥戦士・男・17才。顔はいいが無愛想につき大幅減点。 【NPC】 ゴードン‥‥魔法使い・男・15才。本来PCだったがプレイヤーの事情により余儀なく離脱。顔は‥まぁ、どうでもいいじゃありませんか。 ヘルモーク‥‥セロ村在住の獣人。虎男。年齢不詳(見た目40歳代)。顔はオヤヂ。 ガギーソン‥‥セロ村在住、宿屋兼酒場「森の女神」亭の主人。顔は覇気なし。 ヘレンとマルガリータ‥‥「森の女神」亭のウェイトレスたち。顔はかわいい。 ガットとヘイズ‥‥セロ村在住の木こりたち。顔はおじさん。 キャスリーン婆さん‥‥セロ村在住の老婆。薬草を売っているらしい。顔は‥一身上の都合によりコメントを差し控えさせていただきます。 1■暫くの暇  459年12月30日。  夕刻、セリフィアが負わされた強制労働を分担していたヴァイオラ、ラクリマ、ゴードンは、ノルマ分の労働を終えた。宿へ戻る途中、村の広場にかがり火を焚く薪が積まれているのが目に入った。 「年越しの夜ですね。私、外で年越しするの、初めてです」  ラクリマは続けて、神殿に賛美歌を歌いに行くつもりだと告げた。 「じゃあ、私らは広場で何かやろうか」 「いいぜ、姉ちゃん」  ヴァイオラとゴードンは何か示し合わせたようだった。  この3人とは別なところで働いていたGも、ノルマを終えた。一緒に働いていたセリフィアとレスターを残し、宿に戻った。 「………」  外はもう賑わいはじめていた。Gはちょっとため息をついて、寒くないように身支度すると、一人で宿を出て、こっそりと村外れに抜け出した。喧騒を聞いていたくなかった。手ごろな木の根を見つけて座り込んだ。ぼんやりと周りの景色を眺め、そのまま風景の中に溶け込んだ。  ラクリマは神殿で神官スピットに会い、チャントでもコラールでも歌うなら参加したいとその場で申し出た。彼女は最近はいつもミサで歌い手を務めていたのだ。 「ミサは簡単なもので、歌は入らないんです。」スピットは続けた。「でも、もしよかったら広場で賛美歌を歌ってもらえませんか。きっと村の皆さんが喜びますよ。」  スピットの言葉どおり、ラクリマは夜2時間ほど賛美歌を歌った。こんなに雑然としたところで歌うのは初めてだったが、歌うのは好きなので苦にならなかった。歌いながら、かがり火って暖かいな、と、ずっと温もりを感じていた。それはあるいはひとびとの温もりなのかもしれなかった。  ヴァイオラはゴードンといっしょに投げナイフの曲芸を披露した。実はゴードンに、自分でシールドの呪文をかけさせたのだ。これならナイフはほとんど当たらないことになる。他に芸人がだれもいないこともあって、ナイフ投げの周りは黒山の人だかりだった。二人はついでにジャグリングも披露した。あちこちからおひねりが飛んできて、あとで合計したら3gp6spにもなった。教会で托鉢するよりよっぽど効率がいいようだった。  広場の反対側では、ヘレンとマルガリータが踊っていた。もう一人、初めて見る顔の娘が歌を歌っている。大掛かりな祭りではないが、村人は楽しそうだった。  レスター、セリフィアはずっと夜警をして過ごした。向こうの方から楽しそうな声や物音が聞こえてくるのに、じっと背を向けて立っていた。途中でスマックが酒の差し入れにきたが、セリフィアは酒が苦手なので丁重にお断り申し上げた。 (年が明けるのか……)  レスターは無言の友人の隣で、感慨にふけった。警備は何事も無く終わり、初日の出を迎えた。  460年1月1日。  バラバラに年を越した一同も、朝食で顔をそろえた。レスターやセリフィアもお役ご免で、これで強制労働はすっかり片が付いたわけだった。 「そういえば、Gさん、顔を見なかったけど、どこへ行ってたんだい?」  ヴァイオラがGに尋ねると、Gは村外れに避難していたと答えた。 「お母さんが死んだとき、ちょうどこんな感じでざわざわしていたんです。お祭りの喧騒はお母さんが死んだことを思い出して辛いから……」  そう言って、言葉を濁した。 「そうか……。でもね、Gさん、そこで逃げたらだめだよ」  ヴァイオラはGに言った。 「ちゃんと立ち向かわなきゃ。といっても、あんまり無理してもしょうがないけどね」 「はい」  いつもの元気はどこへやら、Gは情けない声で返事した。 「あの…ゴードンさんはどこでしょう?」  ラクリマが言った。そう言えばゴードンがいなかった。他の時ならともかく、食事時に彼がいないのは妙だった。 「レスター、ゴードンは?」 「さあ? どこかその辺にいるんじゃないですか?」  レスターはまるで意に介さず、ゴードンの行方などには興味が無いというように答えた。 「そんな……だって、朝ご飯に来ないなんて……」 「わかりました」と、レスターはため息をついて立ちあがった。「ちょっと探してきましょう。」  レスターが立ちあがるのを見て、ラクリマも「レスターさん、心配だから私も…」と後を追った。  二人は宿の近辺を探してみたが、ゴードンはどこにもいなかった。何の気無しに村の入り口まで足を伸ばし、ふと、思いついて、詰め所に立ち寄ってみた。 「ゴードンを見ませんでしたか?」  警備兵は見たといった。大きな荷物を抱えて出ていった、と。 「出ていった!?」  レスターは慌てた。 「出てったって、どこから?」 「セロ村からに決まってるだろう」  そこへ按配よく、雑貨屋のトムJr.が現れた。つかつかとレスターのところへやってきて、「食糧1週間分45gp、支払ってくれ」と請求書を差し出した。 「なんですか、これ?」 「お前さんのところの小さいやつが、ツケで買い物してったんだ。だからその請求。さぁ、払ってくれ」  ゴードンは本当にいなくなってしまったようだった。  レスターは混乱する頭でトムに45gpを支払い、ふらふらと詰め所を出ていった。 「たいへん…!」  ラクリマは、ゴードンの話をしに宿屋へ駆け戻った。  一方宿では、ヴァイオラが宿の主人ガギーソンにゴードンのことを尋ねていた。ガギーソンによれば、彼はごく自然に出立の支度をし、「元気でね」と言って出ていったとのことだった。 「皆さんもあとから一緒に出て行かれるのだと思ったので、特にお止めしなかったんです」 「………本当に出てっちゃったみたいだな」  ヴァイオラがつぶやいたところへ、ラクリマが音を立てて入ってきた。 「たいへんです! ゴードンさん、村を出てっちゃいました!」  やっぱり、と、座っていた3人は顔を見合わせた。Gがため息をついた。 「レスターさんがあんなだから、愛想尽かしちゃったんですよ、きっと」  そのレスターはといえば、呆然としたまま、だれかの歌声につられて川辺に足を向けていた。  川辺には髪の長い娘がひとり、美しい声で歌を歌っていた。    私は鳥 空高く飛ぶ鳥    私は鳥 羽根を無くしてしまった鳥    私は探している 貴方のことを    私は探している 私の羽根を    私はいつまでも見ている 空高くから    ずっとずっと見ている 貴方のことを    私の羽根が見つかるその日まで  歌声が止んで、 「だから羽をなくしちゃったんです。探してくれますか?」  娘はいつのまにかレスターの目の前にきていた。 「えっ…?」  レスターがへどもどしているところへ、警備の人がやってきた。 「よう、リール、今日もいい声だな」 「ありがと」  リールと呼ばれたその娘は、舌足らずな感じで返事を返した。それからわらべうたを歌い出した。見た目は20才を超えているようなのに、その様はまるで6〜7才の子供だった。レスターはそれを見ながら警備の村人に尋ねた。 「彼女は?」 「リールさ」 「いつもああなんですか?」 「いつもあんな調子だ。今日は機嫌が好い。歌を聴いてくれるお客がいたからだろうな」  客とはレスターのことらしかった。さらに尋ねたところ、彼女がこうであるのは生まれたときからで、「両親は彼女に絶望してセロ村を出ていった」という話だった。レスターはそれをぼんやり聞いて、しばらくリールを見ていたが、やがて宿に戻った。 「あ、レスターさん」 「ゴードンはどうするの?」  宿へ帰ると皆が聞いてきた。  レスターは冷めた朝食の前に座った。 「ゴードンが自分で決めたことだから、仕方ありません。あとは追いませんよ。だいたいあいつ、こうと決めたらてこでも動かないんだから」  そういって食べ物を口に運んだが、美味しいとはお世辞にも言えなかった。おがくずを詰め込んでいるような気がした。それが料理の腕のまずさ故なのか、他の理由からなのかは、彼にはわからなかった。  一同はレスターを取り巻いて見ていた。一番ゴードンと親しい、ゴードンをわかっているレスターが「追わない」と言ったのだ。黙ってそれに倣うことにした。 2■日々の始まり  1月2日。  結論を先に言ってしまうと、この日は事務処理で1日終わってしまった。  ベルモートから行動予定表を渡され、みんなで回し見た。 「‥‥‥これ、態のいい警備兵じゃないか?」 「話が違う」 との声があちこちからあがったが、レスターはあきらめ顔だった。まだゴードンのことが尾を引いているのかもしれなかった。  夕方、木こりのガットとヘイズが女神亭にやってきた。「明日から一緒に行ってくれるんだってな。よろしくな。」  日中、もらった予定表によれば、明日から3日間は木こりたちに同道して森の中へ分け入るらしかった。その翌日は休みで、翌々日からは猟師たちと3日間、また1日休みを挟んでまた木こりたちと‥‥という繰り返しらしい。  ガットとヘイズが近くで酒を飲み出したので、セリフィアはさっさと二階へあがってしまった。匂いを嗅ぐだけで気分が悪くなるらしかった  ヘイズはラクリマと、ガットはヴァイオラを相手にそれぞれ酒を飲んだ。  ヘイズはラクリマと、「恋人はいるのか?」「神様です」「そんな神様が一番大事なんて言ってないで、恋人つくって幸せな結婚をしなきゃ、一人前の女になれないぞぉ」と、明るくおしゃべりしていた。  ガットはどちらかと言えば絡み上戸のようだった。だが、おかげでヴァイオラは村の事情をほんの少し知ることができた。 「村のやり方はまずいんだよ。今回のコトだって、村長が率先してやればだな‥‥ぐちぐちぐち」 「村長には二人の息子と二人の娘がいたが、長男は『冒険者になる』といって飛び出していっちまった。もうどこかでくたばってんじゃねえかな。ベルモートは次男で末っ子だ。上の姉さんはおとなしい娘で、母方の遠縁だかなんだかの先へ嫁いでいった。下の姉貴は6年くらい前かな、冒険者と恋に落ちて、村を出ていっちまったよ」  それであの村長、冒険者が嫌いなのかね、と、思いながら、ヴァイオラは何杯めかのグラスを空けた。ガットのおごりですでにかなり飲んでいた。そのうえしたたか酔ったガットを置いて2階に去り際に、「あれ、お土産につけてね」と丸一本、自分の懐にがめたのだった。  村長か‥‥そういえばここの村長は一般人のようだった。フィルシム地方は基本的に物騒であるので、領主級の人間はほとんどがネームレベルだ。なぜここの村長だけ違うんだろう‥‥。ささやかな疑問が残った。  1月3日。  朝方、ガットとヘイズが赤い顔をして宿に迎えにきた。まだ酒が残っているらしい。他に4人の木こりがいっしょだ。  日中は何事もなく過ごし、夜になった。このあたりまで進むと、木の幹がしっかり太くなっているのがわかる。仕事は明日、一日がかりでやるという。  レスターたちは夜営の順番を決めた。  1.レスター&ヴァイオラ+ガット  2.セリフィア+木こり  3.G&ラクリマ+ヘイズ  1直目、灯りのずっと向こうでガサゴソと蠢くものがいることに気づいた。  ヴァイオラが咄嗟にライトの呪文を投射すると、4体の狼の姿が見えた。大きさからしてダイアウルフのようだ。しかし、襲ってくることもなく、そのまま去った。  1月4日。  木こりたちが一所懸命に仕事をしている間、レスターたちはのんびり過ごした。  といっても、のんべんだらりと昼寝して過ごしたわけではなく、それ相応の警戒をするのを忘れなかった。昼間、レスターは何かの群れが走ってきそうなのに勘付いた。慌てて全員に知らせ、避難したところ、間一髪で20匹ほどのヘラジカの集団が、わき目も振らずに走り抜けていった。ここが通り道だったらしい。避難するのが遅れたら、踏み殺されていたに違いない。  夜営中、また1直目に気配が感じられた。今度はレスターがライトを投射すると、昨晩と同じダイアウルフがこちらをじっと睨んでいた。が、昨晩と同じように去っていった。  二晩続けて彼らが去ったのを見て、レスターとヴァイオラは「ダイアウルフにはライトが効く!」と思い込んだようだった。それ以外は特に話題になるようなこともなかった。  1月5日。  夕方、村に戻ると、2台の幌馬車が止まっていた。馬車の脇では中年の男が何やら積荷を数えていた。  警備の人にだれだか聞こうと思ったところ、あいにく当番は中年男レイビルだった。レイビルとは初顔合わせだったが、向こうがこちらをよく思っていないことは一目瞭然だった。彼はレスターたちを見ると「ふん」と顔を背けてしまった。  と、ガットがその馬車脇の中年男に寄っていって話し掛けた。 「ドルトンさん、お久しぶり」  中年男はドルトンという商人のようだった。ガットは彼と交渉を始めた。一同は軽く挨拶をして、木こりたちと別れた。  宿に戻ると、酒場に4人の客がいた。ドルトンによく似た顔の戦士、やや似た顔だちの魔術師、あとは自分たちと同等かそれ以下のレベルであろう戦士が2人だった。ドルトンに似ている前述の2人が、それぞれゴズトン、ガルトンという名であることはあとで知った。  4人は下卑た冗談を飛ばし、酒をかっくらっていた。それを脇目に見ながら、一同は、ツェーレンたちはずいぶん上品だったんだな、と思った。  もうすでにかなり飲んでいるのだろう、充満する酒のにおいに耐えられず、セリフィアはまたしても早々に2階へ逃げてしまった。  と、ラクリマが「セリフィアさん、もしかしてまだ具合が悪いんでしょうか‥?」と気がかりそうに言った。セリフィアは昨年の末、ムカデの毒にやられてしばらく熱が引かなかったことがあったからだ。  レスターやヴァイオラ、Gは口々に「彼はお酒が苦手なんだ」と説明した。 「‥じゃ、じゃあ、明日は森の木こり亭に食べに行ってみたらどうでしょう? 向こうの方がお酒のニオイとかしなさそうですよね?」  ヘレンが通りがかりに「向こうのご飯はおいしいですよ」と後押ししてくれたこともあって、「それなら明日は向こうで食べてみよう」というところに話は落ち着いた。  そんな会話を交わしている最中、レスターとラクリマはゴズトンがマルガリータとこんなやりとりをしているのを耳にした‥‥ 「そういう話はここでしないでください」 「いいじゃねえか」 「もし必要なら、ちゃんと通してください」 「ちっ。高ぇからなぁ。まぁ、頼むよ」  レスターはピンと来た。これは‥‥噂に聞く「いかがわしい職業」ではないのか。だが、この場で怒鳴りつけるわけにも行かず、ぐっと堪えて座っていた。  ラクリマは何だかよくわからないようだった。ただ、ぽつりと「マルガリータさん、困ってるみたい‥」と呟いた。  Gとヴァイオラが振り返った。「どうして?」二人の目には、彼女はちょっと下品な客を普通にあしらっているようにしか見えなかった。「わかりません‥なんとなくそう思っただけ‥」と、ラクリマは頼りない答を返した。 「マルガリータ、酒のお代わりを頼んでもいいかな?」  ヴァイオラはマルガリータをわざとこちらのテーブルに呼ぼうとした。 「おいおい、姉ちゃん、こっちが話してるんだから、横やりは入れんでほしいな」  戦士は揶揄するように、はっきり悪意と解る口調で言った。今度はGが、それを無視するように、さらにマルガリータを呼んだ。 「やめろって言ってんだろ」  戦士はちょっと気色ばんだ。 「およし。みっともないよ、こんなところで」  ヴァイオラがきっぱりと言いさしたところで、ドルトンが入ってきた。  彼は何を思ったか、こちらのテーブルに近づいてきた。 「ほう‥‥君たちが例の‥ね‥」  ドルトンはそう言って値踏みするようにジロジロと一同を睨めまわした。 「何かご用ですか」  レスターは嫌悪感を隠そうともせずに言った。嫌味合戦の火ぶたが切って落とされた。 「冒険者風情が10gpで警備をやるというからどんな顔をしてるかと思ってね」 「用がお済みでしたらお帰りください」 「口の聞き方を知らないようだな」 「騒ぎは起こさないほうがいいですよ」 「さすが、一度騒ぎを起こした人間は言うことが違う」 「ええ、ちゃんと学習してますから。物分りの悪い大人と違ってね」 「‥‥力がありそうなら私のほうの仕事に雇ってもいいと思ったが、これではね‥」 「あなたに雇われたくなんかありません」 「おお、そのとおりだ。雇われる側にだって選ぶ権利はあるさ。雇う側としても選ばせてもらいたいが」 「少なくともあなたのような‥‥いえ、やめておきましょう。あなたのためです」  特に喧嘩もなく(これ以上騒乱税を取られるのはごめんだった)、その場は収まったが、セリフィアもGも腹の虫は収まらなかった。 「失礼なひとだ」  レスターは寝る前にひとりごちた。彼ですら、ツェーレンたちを恋しがっているようだった。  1月6日。  朝、ドルトン一行は村を出ていった。  ガギーソンに聞いたところ、彼らとロビィの隊商とに優先交易権があり、2週間おきに交互に訪れるらしかった。次はロビィたちの番だと思うと、皆、ホッとした。  今日は中日で、一日自由だった。  レスターはマルガリータを裏口に呼んで説教をはじめた。 「昨日話していたようなことをして、恥ずかしくないんですか!」 「別に。仕事ですから」  さんざん説教したが、マルガリータは「酔っぱらいの相手ぐらい、するでしょ?」という感じでまるで意に介さなかった。 「もういいですか? 私、仕事があるから」  そう言ってマルガリータは宿の中へ戻っていった。 「何の話だったの?」「うん、何かよくわからなかった」「まさか、一目惚れされたんじゃない?」「まっさかぁ」などと、ヘレンと二人で話しているのが外まで聞こえてきた。レスターは声のする方をじっと睨んでいたが、やがて次の標的のところへと、移動した。  ヴァイオラは一人で小一時間ほどかけて村をぐるっと回ってから、ヘルモークの家を訪ねた。  ヘルモークはナイトキャップをかぶって出てきた。 「どうだい、仕事は?」「まぁ、話が違うような‥」「最初はそんなもんだろう」「遺跡を探索するのかと思っていたら‥」「遺跡なら腐るほどあるが」  そんな会話を交わしたあとで、ヴァイオラはふと思いついて訊いてみた。 「村で見所はある?」 「そうさなぁ、調子のいい時のリールの歌声かな」  ヘルモークは答えた。リールというのは、大晦日に広場で歌っていた娘のことらしかった。 「普段はどうってことないが、ときどきハッとするような歌を歌うことがある」「リールは何が好き?」「花が好きだな」  それだけ聞いて、ヴァイオラはヘルモークと別れ、川辺へ向かった。  Gとラクリマ、それからセリフィアはいっしょに村を回ることにした。宿を出るときにヘレンがそっとお弁当を包んでくれた。「内緒ですよ」「どうしてですか?」「ばれるとお金が請求されちゃいますから。」ヘレンは片目を瞑ってみせた。  3人は村にある二つの蔵をみて、柵沿いにぶらぶらと一回りした。Gは村の地理を頭に入れようとしているらしかった。  ひとつめの蔵を見に行ったとき、レイビルが警備しているのに出会った。「騒ぎを起こすなよ」と意地悪くくぎを刺されたが、ぼんやり3人組だったので機嫌良く挨拶して通り過ぎてしまった。  一方その頃、ヴァイオラは川へ向かっていた。  川にはリールがいた。リールは石を川に投げたり、河原に積んだりしていた。  ヴァイオラは彼女に近づいて行って挨拶した。リールは見かけの年齢にそぐわない幼稚さで、にこっと笑って返した。(神の愛し子だな)とヴァイオラはすぐに看破した。  ヴァイオラはどこからかリボンを取り出すと、器用な手つきで花を作った。そしてそれをリールの胸につけてやった。  突然、リールは賛美歌を歌い出した。  よく知られた賛美歌で、「死んだ人の魂は川を流れて神の御許へ行き着く」というような感じの歌だった。なるほど、これがオススメの歌か、と、ヴァイオラは感心した。まさに神の声、神の賜物といってよかった。  歌い終わって、リールはまたいつもの通りに戻ったようだった。再び歌を歌い出したが、今度は童女のようにとりとめなく、言葉も節回しも単純なわらべうたばかりを歌うのだった。先ほどの歌唱だけが異質だったのだ。  そのころ、マルガリータへの説教が失敗に終わったレスターは、今度はガギーソンに「話がある」と彼の部屋へ押しかけていた。 「ガギーソンさん、あんなことを許していいんですか!」 「何のコトでしょう?」帳簿をつけながらガギーソンは答えた。 「白を切るつもりですか!?」 「何を怒鳴られているのか‥‥少し冷静になられてはいかがですか」 「店員にいかがわしいことをさせていますね?」 「いいえ」 「ドルトンさんたちとの会話を聞きました」 「何か勘違いなさっておられるようだ。あの方はセロ村にとってなくてはならない方です」 「説明になっていない」 「何か聞き違いをされたのでは? いかがわしいことをしていると勘違いされた上で話をされても困ります」 「ではいかがわしいことはやっていないというんですね?」 「やっていません。だいたい万が一やっていたとして、あなたはどうするつもりですか」 「もちろん、やめてもらいます」 「どんな理由でやめさせるんですか。お話になりませんね」  ガギーソンはその弱々しそうな外見に似ず、したたかだった。レスターはここでも説破することができず、すごすごと部屋に戻った。怒りよりも虚しさが胸に満ちていた。  川辺ではヴァイオラがリールと話すにも手持ちぶさたになり、石ころでお手玉などしてリールを喜ばせていた。  そこへG・ラクリマ・セリフィアの3人が、Gを真ん中にしてやってきた。柵沿いに回るうち、川辺に出てしまったのだ。 「ヴァイオラさ〜ん、一緒にお弁当にしませんか〜」 と、いうことで、みんなでお弁当を広げることになった。それを見ていたリールは、 「リールもお弁当もらってくるの」 と言って、どこかへ行ってしまった。しばらくして、本当にお弁当を持って現れた。見れば手製の、ガギーソンが作るものよりずいぶんと美味しそうな手弁当だった。みんなでお弁当を広げて楽しく食べるうちに、リールは気持ちよさそうに眠ってしまった。 「じゃあ私も」と、Gも隣に寝っ転がって、そのまま寝てしまった。  セリフィアは少し離れた場所で素振りを始めた。彼の周りだけ、空気が唸りをあげていた。  彼が少し手を休めたときを見計らい、「ところで」と、ヴァイオラは声をかけた。「セイ君はなんでここにいるのかな?」セリフィアは答えた。「天気がいいから。」 「そうじゃなくて、どうしてこのセロ村に来たのか、聞きたかったんだけど‥」  ヴァイオラはちょっと呆れながらも、親切に問い直した。 「行方不明の親父を捜しに」  セリフィアによれば、彼の父親は5年くらい前にこのセロ村に来ているはずであり、それでこの村に父親の行方の手がかりがないかどうか、訪ねてきたのだという。だが、まだだれにも話を聞いていないようだった。 「とりあえずガギーソンに話を聞くといいんじゃないか?」 「ああ、そうだな‥」  そこへ、ちょうど警備中だったスマックが毛布を持ってやってきた。「よっぽど楽しかったんだなぁ」と言いながらリールに毛布を掛けてやった。  彼の話によれば、リールを面倒見ているのは、キャスリーン婆さんらしい。  しばらくしてリールは目覚め、毛布を機嫌良く警備兵に返すと、確かにキャスリーン婆さんの住処のある方角へと帰っていった。  夕方になったので、4人はそのまま夕食を食べに森の木こり亭へ行くことにした。ラクリマは女神亭にレスターを呼びに行った。レスターはなんだか部屋で茫然としていた。 「大丈夫ですか?」「ええ、大丈夫です」といいながらも、いつもより覇気がなかった。  木こり亭の内部は女神亭より新しかった。ひげ面のおじさんが厨房におり、彼がこの宿の主人らしい。  夕食は、ふかふかパンと温かいシチューと鶏の香味焼きで、これで女神亭と価格が一緒なのは不思議な感じだった。ただ、女神亭はアルコール類が充実していたが、こちらは水代わりのエールと、ちょっと高めのワインしか置いておらず、どうも飲み助は向こうへ行くのだろうと察せられた。実際、ヴァイオラは女神亭が恋しそうだった。 「食事はいかがでしたか」  ひげ面の親父が頃合いを見計らって声をかけてきたので、一同はとても美味しかった旨を伝えた。 「それはよかった」という親父に、レスターは「どこで料理を習ったんですか?」と尋ねた。相手は「まあ、いろいろと」と、明らかに口を濁した。  この親父も何か影がありそうだとレスターが考えていると、Gがいきなり質問を浴びせてきた。 「そういえばレスターさんは今日は何をしてたんですか?」 「いや、いろいろと‥」  Gに問いつめられ、レスターはガギーソンとやりあったことを白状した。 「ちょっと聞いてくださいよ、レスターさん、ガギーソンさんと喧嘩したんですよ〜」 「えっ」 「どうしてそんな喧嘩なんか〜(泣)」 「喧嘩なんかしてません。ちょっと文句を言っただけです」  レスターはしゃあしゃあと答えた。 3■ヒヒの日々  1月7日。  ラクリマは朝早くトムの店にレザーアーマーを買いに行った。野宿するときに、平服のまま寝るのは危ないからレザーアーマーを買っておけ、と、仲間に勧められたのだ。 「ごめんください。レザーアーマーがほしいんですが」 「ああ、あるよ。しかし何だね、もう一日早く買いに来てくれればドルトンの隊商に次の仕入れを頼んだのに‥」 「ごっ、ごめんなさい」  ラクリマの目に大粒の涙が浮かんだ。 「えっ‥い、いや、泣かれても困るんだけど‥」 「ごめんなさい〜」  ラクリマはますます泣いた。相手が困ると余計に涙が止まらなくなるらしい。そんなこととは知らないトムJr.はますますおろおろとした。 「いや、その、困ったなぁ。泣かれても‥‥悪かったよ、悪かったから、泣かないでおくれ」  一同が待っていると、ラクリマがぼろぼろ泣きながらレザーアーマーを抱えて帰ってきた。つい、だれもが思った。 (‥‥‥革鎧を買いに行っただけじゃなかったのか?)  その後、同行する猟師たちを宿で待っていると、自警団のスマックがやってきた。 「事件だ。バブーンに蔵を荒らされた」  彼によればこの時期にはままあることなのだが、村の共同倉庫が何日かにわたって襲撃を受け、毎年幾ばくかずつの被害を被っているらしい。 「今日の出発を取りやめて、バブーンを退治してほしい」  バブーンは2,3日かけて毎晩やってくるだろうということだった。  とりあえず、昼間は彼らに壊された柵の修理を頼まれた。 「柵の修理は時間外労働だろう。別料金が支払われるのか?」  これを聞いた村長の息子ベルモートは「ちょ、ちょっと待ってください。聞いてきます」と言っていなくなった。どうやら決して自分では決断を下せないらしい、まさに男の中の男というわけだった。  20〜30分ほどして彼は戻ってきた。 「お一人に5spずつ支払います」  一同は了承した。  さて、柵の修理を行っていると、向こうからレザーアーマーを着たジェイ=リードがやってきた。ジェイ=リードは、去年の暮れにセロ村到着早々、セリフィアと喧嘩してぼこぼこにされた青年だ。今日の格好からみて、彼の職業は猟師のようだった。  ジェイ=リードはセリフィア相手にさんざん嫌味を言って帰っていった。  セリフィアは彼を殴りたそうだったが(しかも「柵の外は村の外になるのか?」などと聞いたりしていたが)、レスターが必死で止めたので今回は手を出さなかった。だから、だれも彼がこんな考えを心に抱いていようとは思わなかった。 (いつかあいつには世の厳しさを体に染み込ませてやらなくてはならんだろう・・・)  ジェイ=リードが立ち去ったあとで5人は、今夜、どうやってバブーンを迎え撃つかという相談をした。  5人だけでは心許ないので、猟師たちを射手として協力要請しようということになり、組合のリーダーに会いに行った。  なんと、猟師組合のリーダーはジェイ=リードの父親、ダグ=リードだった。話ができすぎだと思いながら、一同は害の及ばない屋根の上から、退路を断つための射手を借りたいと申し入れた。ダグは「ヨソモノ」を見る目で見ていたが、問題は村の財産のことでもあり、了解してくれた。  夜、屋根の上に6人の射手とヴァイオラ、それからバブーンが倉庫の壁に開けた穴の内側にG・セリフィア・ラクリマ、蔵の外陰にレスターを配し、一同はバブーンがくるのを待った。  やがて夜陰に乗じて忍び寄る気配が感じられた。  レスターは早々と気づき、ライトを投射した。  ヴァイオラはバブーンたちが倉庫のすぐ近くに来たところでネットを落としたが、運悪く外れてしまった。ただ、バブーンたちはこの予期せぬ出来事にびっくりし、立ちつくした。そこを狙って、レスター・セリフィア・Gはそれぞれ身近な相手を攻撃、ヴァイオラはボーラを投げて1体のバブーンを搦め捕った。  射手たちも一声に射撃を開始したが、どうも今夜は振るわなかった。矢は次々と、バブーンの周囲の地面にむなしく突き立った。  結局、ヴァイオラのボーラによる捕獲と、レスターの攻めで趨勢は決した。合計5匹を始末し、2匹が逃走した。  1月8日。  ベルモートがやってきて、バブーン退治代として一人頭8gp2sp7cpを支払っていった。  昨晩の働きが功を奏して、猟師仲間の間では一同の株があがっていた。ダグ=リードは「俺たちは君らを認めてやる。今晩も君たちの指揮に従おう」とまで言ってくれた。  今宵は別ルートで来るだろうと予想し、一同は蔵Bは猟師たちに任せて、蔵Aを見張ることにした。蔵Bの方には、昨晩殺したバブーンたちの首なし死体を飾って、威しにすることも忘れなかった。  蔵Aで見張っていると、案の定、バブーンたちが密やかにやってきた。ラクリマとGは察知してコインを投げ、音でレスターとセリフィアに知らせた。ヴァイオラは今日も屋根の上で待機していた。バブーンたちの中には一回り大きな奴が混じっていた。どうやらボスらしかった。  戦闘はヴァイオラのネット攻撃、レスターのライト投射から始まった。  セリフィアは今晩は広い野外で、10フィートソードを思う存分振るっていた。ヴァイオラの隠れた援護により(ライトでボスを目潰しした)、ボスを一刀両断の元に切り捨てた。G・レスターはもとより、ラクリマまで攻撃に加わり、1分で片が付いた。  1匹だけ森に逃げていったが、7体の雑魚と、ボスとを倒して、首尾は上々といったところだろう。  一同は気分良く宿に引き揚げ、ガギーソンを起こしてお湯を沸かしてもらい、ひとっ風呂浴びてから寝床についた。      ++++++++++++++++++++  その若い魔術師はぼんやりと空を眺めていた。  お師匠の葬儀を終え、これからどうしようと思うことすら忘れて、家の中に座していた。  そのとき勢いよく扉が開いて、顔を見知らぬ、これまた若い魔術師が入ってきた。小さなその闖入者は、彼の膝元へやってくるなり言った。 「やあ! 元気かい。実は君の力が必要なんだ。さあ、支度して。セロ村へ行くんだ」  突然のことに、魔術師は驚いた。が、お師匠様も亡くなられたことだし、何をしたいわけでもない、別に行ってみてもいいかなと軽く考えた。そうやって考えている間にも、闖入者---ゴードンはそこら中を走り回って、何やら自分の荷物に詰め込んだりしていた。 「うん、いいよ、行っても」  魔術師がのんびり答えると、ゴードンはパッと振り返った。 「それじゃここへ行くんだよ」  そう言って彼に紙切れを手渡した。 「ロビィって人の隊商が一両日中にセロ村へ出発する。それに同行させてもらうよう、手はずは整えておいたからね」  てきぱきと指示をして、 「それじゃおいらは行くところあるから。よろしくね」  嵐のように去っていった。  あとで荷造りをしているときに気づいたが、お師匠の形見がいくつか無くなっているようだった。 「さっきの子が持ってったのかなぁ‥‥」魔術師はひとりごちた。それから考えた。ま、いいか。どうせ僕が持っていてもなんなんだかわからないものばっかりだったし。  そして、残った形見と、杖と、身の回りのものをまとめると、ロビィ=カスタノフに会いに出かけた。  手はずを整えてあるというのは本当だった。彼はすんなりロビィの隊商に潜り込むことができた。ロビィの隊商には、ツェーレンという親父と、スチュアーという無気力な青年僧侶と、護衛たちと、そのほかにロッツという隙のない青年が同行していた。  途中、ヴィセロという女性を拾った。彼女は巡礼者(ダルヴィラージュ)で、「あの村へ行かなければ。あの呪われた村、セロ村へ」とうなされるように語った。スチュアーは「これ以上面倒ごとを抱え込むのは厭だ」と渋い面を見せたが、ツェーレンが「美人の頼みは断れない」と受け入れの姿勢を示したので(彼は女好きのようだった)、隊商のリーダーであるロビィもヴィセロの同行を許可した。 (呪われた村って、なんだろう‥‥)  ほんのちょっと不安に襲われながら、若い魔術師は一行と共に黙々と旅程をこなしていった。      ++++++++++++++++++++ 4■新しき隣人  1月9日。  ベルモートがまたやってきて、昨晩のバブーン退治代として一人頭14gp5spを支払った。 「今日は休みですよね?」  レスターがそう尋ねると、申し訳なさそうな顔でおどおどと答えた。 「それがその、予定が詰まってまして‥猟師たちも早く出発したいと言ってますので、今日から出発してほしいんです」 「‥‥休日に働く手当は?」 「あの、これから呪文を覚えるのに1時間くらいいただいてもいいですか?」  ヴァイオラとラクリマから交互に訊かれて、ベルモートは額に汗を浮かべた。そして昨日と同じように「ちょっと待っててください」と言って去ってしまった。  ラクリマたちが呪文を記憶していると、ベルモートが戻ってきた。 「休日の手当ですが、現金で支給ではなく、あとで休日を増やすことで帳尻を合わせますので」  一同は、まぁ仕方ないか、と、出発した。  道中、レスターがセリフィアとジェイ=リードの話をしているのを、同行していたダグ=リードが聞きつけ、「すまないなぁ」と謝った。 「あいつは母親を小さいころになくしていてな。俺が一人で育てたから、甘やかしすぎたかも知れない。わがままな乱暴者に育っちまって‥‥」ダグは少し寂しそうに話した。「まぁ、恋人もいるし、家庭を持てばもっといい方向に変わってくれるんじゃないかと思うんだが‥‥」  話を聞きながら皆は、「でもあの喧嘩は一方的にセリフィアが悪かったよな‥」と思った。当のセリフィアは特に何も言わなかった。だから、まさかこんなことを考えているとは、だれも思わなかった。 (‥‥あやしい。俺を欺いているのかもしれない。安心してはいけない。まあ、いざとなったら息子ごと‥‥)  そのとき、セリフィアは何かの気配を感じた。何者かに監視されているようだった。だが気配がするだけで方角も何もわからず、相手の姿を確かめることはできなかった。  1月10日。  日中、一同はキャンプ地で留守番するよう言い渡された。呼び子を渡され、「何かあったらこれで知らせろ」と指示された。  留守番は何事もなく過ぎた。  夕刻、6人の猟師たちがそれぞれ獲物を手に帰ってきた。やはりダグはリーダーを務めるだけあって、一番値の張りそうな獲物を抱えていた。  ラクリマは猟師たちのうちの一人が怪我をしていることに気づいた。何も考えずに、治療してやった。  1月11日。  セロ村へ帰る途中、レスターがいきなり「何か来る!」と叫んだ。「こっちに向かってる。避けろ!」と言うので、皆で訝しみながら避けていると、冬イナゴの大群が通り過ぎていった。 「すごい、レスターさん、どうしてわかったんですか?」  だがそんな声は耳に入ってこなかった。レスターは同時に、6人のうち3人の猟師たちが異常な殺気を発していたのに気づいたのだ。そのうちの1人は、確か昨日ラクリマが治療していた人間だった。あのとき‥‥もしかしたら怪我に何か手がかりが‥‥ラクリマが気づいていればもっと早くに知れたかもしれないものを、と、彼は歯がみした。とは言うものの、彼女に「疑え」というのが無理な話かもしれないし、今さら言っても仕方ないと諦め、彼は歩きながらこっそりセリフィアに相談した。セリフィアは、怪物知識をもって、「ドッペルゲンガーかもしれない」とレスターに答えた。 「どうする? このまま村へ帰るわけにはいかないぞ」  セロ村は目前まで迫っていた。 「だが、今の隊列を何とかしないと‥ちょうどラクリマが囲まれてしまっている」  ちょうど上手い具合に、ダグが後ろから「どうかしたか?」と尋ねてきたので、レスターは休憩を申し入れた。ダグは「ああ、金属鎧はキツイからな」と素直に応じてくれた。  休憩を利用してレスターとセリフィアはG・ヴァイオラ・ラクリマに、猟師のうち3人がモンスターにすり替わっている可能性があることを告げた。ヴァイオラは物陰に一旦潜んでから、ディテクト・マジック、ディテクト・イヴィルと、プロテクション・フロム・イヴィル(以下PFE)の呪文を彼らに悟られないように唱えた。  ディテクト・イヴィルの効果はばっちりだった。レスターが言った3人は、確かに光り輝いて見えた。ヴァイオラは指を3本立ててレスターに合図した。そのとき、向こうからダグ=リードがレスターに目配せした。レスターはダグに寄っていった。ダグもあとの3人がちょっとおかしいことに気づいたらしかった。「ドッペルゲンガーです」とダグを庇う位置に移動しながらレスターが告げた、そのとき、3人の猟師‥いや、3体のドッペルゲンガーたちが襲いかかってきた。  ドッペルゲンガーたちの攻撃は激しかったが、セリフィアが10フィートソードで2体を続けざまになぎ倒し、あとは共同攻撃で1体を沈めた。おかげでセリフィアの戦士としての面目は大いに上がった。また、猟師たちの一同への信頼は一気に深まった。 「あんたたちがいてくれなかったらと思うと、ぞっとするよ」  ダグ=リードは至極素直に感想を述べた。  夕方、人数は減ってしまったが、無事にセロ村に帰り着いた。  気づくと、厩にまた幌馬車が停まっていた。小さいカートだった。  セリフィアはダグとともに、警備隊の詰め所でドッペルゲンガー3体を倒した申請をした。グリニードがやってきて、ドッペルゲンガーについては「明日、報奨金120gpを持っていくが、休日だから宿でいいか」と打ち合わせた。  その後、「あの、またカートがありますけど、あれはどなたの‥?」と尋ねたところ、バーナード=ロシャスという戦士の6人組のパーティが来ていて、彼らの持ち物だと教えてくれた。このパーティは子供を一人連れているという。森の女神亭に投宿しているそうなので、宿に帰ればいやでも顔を付きあわせるだろう。 「そういえば」とグリニードは親切に続けた。「昨日も確か5人組の冒険者が来ていた。彼らは今朝出ていったがな。」  辺鄙な土地の割には客人が多いな、と、一同は改めてここが冒険者の村であることを認識した。  森の女神亭に戻ると、1階には確かに客人がいた。  リーダーと目される20代半ば〜後半の戦士風の男は、一瞬、セリフィアを「カッ」と見たようだった。彼がこのパーティのリーダーで、名をバーナード=ロジャスと言った。  他に、美形の男が二人、バーナードのそばに座っていた。彼らも20代半ばくらいのようだった。他には30代くらいの抜け目のなさそうな男と、20代前半であろう魔術師風の男、それに20代半ばの魔術師風の女性がいた。この女性は子供を連れており、宿の主人ガギーソンとも親しげにしゃべっていた。どうやらセロ村の出身者のように見うけられた。  実際、その見立ては正しかった。背後で「バタン!」と扉が開いたかと思うと、ベルモートが入ってくるなり叫んだ。 「姉ちゃん! 帰ってきたならどうして知らせてくれないんだ!!」  どうやら彼女は、冒険者と駆け落ちしてしまったという、セロ村村長の次女のようだった。彼女---ブリジッタは答えた。 「だってあたしは勘当された身だもの。顔なんか出せないわよ」 「そんなこと‥!」 「そうそう、息子を紹介するわ。カーレン、あなたの叔父さんよ。挨拶なさい」  カーレンと呼ばれた5歳くらいの男の子は、きちんとしつけられているらしく、お行儀よくベルモートに挨拶した。  ブリジッタとベルモートはしばらくしゃべっていたが、それによれば彼女はバーナードについて出ていってから子供を産んだ。魔術師の素養があったので、子供を育てながら学院に通い、今はパーティ内の魔術師レイを先生として学びながら、一緒に冒険の旅をしているという。 「息子が大きくなってまた冒険に出ることになったの。ここにはしばらく滞在する予定よ」  ヴァイオラを除く4人は、夕食を食べに森の木こり亭へ向かった。  出口へ向かって通り過ぎようとしたところ、セリフィアがバーナードに呼び止められた。 「さっきの剣は見世物か?」  どうやら物干し竿、もとい10フィートソードのことを言っているらしかった。別段からかう風でもなく、ごく真面目な口調だった。 「使っていないわけじゃない」と、セリフィアが答えると、なおも質問を浴びせ掛けてきた。 「どこで習った?」 「ショーテスの方で」 「ショーテスと言ったら、マリス=エイスト卿だな?」  セリフィアは肯いた。 「10フィートソードを使えるのはショートランドに4人しかいないからな」  バーナードが語るのを聞きながらセリフィアは思った。 (うむ…? 何か特別な反応を示すな…。何か知っているんだろうか…。知り合いに使い手でもいるのか…?)  もう少し話を聞きたいような気もした。が、仲間に促されて、とりあえずその場を離れた。  ヴァイオラは酒を楽しみたかったため---それだけでなくこちらも情報源として確保したかったため、森のきこり亭へは行かず、女神亭で一人で夕食を食べていた。  カウンターに座っていたのだが、バーナードのところの一人がやってきて話し掛けてきた。「隣に座ってもいいですか。」  ヴァイオラが許可すると、彼---美形コンビの片割れで、金髪の見事な戦士風の優男は「私と彼女に一番高い酒を」と注文した。グラスを差し出し、ヴァイオラに乾杯を求めた。 「君と僕の出会いに乾杯」  それから「レディは今、フリーかな?」とストレートに尋ねてきた。ヴァイオラがフリーだと答えると、あからさまにくどき出した。 「君の心に俺の名が刻まれるように」  その彼の名は、ジャロス=ガートマイザーというのだった。ヴァイオラの見立てではフィルシム人のようだった。 「レディのお名前は?」「ヴァイオラ」「ヴァイオラ‥‥菫ですね。紫すみれの花言葉は『愛』か。まさに君にふさわしい‥‥本名ですか? いえ、こういうときに偽名を使われる方が多いのでね」「私は今、そう名乗っています」  ウェットな会話を楽しみながら、ヴァイオラは向こうのパーティについて聞き出した。  リーダーのバーナード=ロジャスは両手剣使いの戦士。  ジャロス、つまり彼自身も戦士で、戦いでは遊撃手を務める。  美形コンビのもう一方は僧侶でスコルといい、非常に中性的な顔立ちの、少し冷たい感じのする美形だった。  ジャロスとスコルはバーナードを信頼して、彼とともに回っているという話だった。  他に情報収集役のシーフ、ウィーリー。彼は、このパーティを「勝ち組だ」と思ってついてきている様子。  魔術師のレイのことはジャロスもよくわからないようだった。ひどく世間知らずでお坊ちゃんなところがある。  そして女性魔術師のブリジッタはバーナードの奥さん、ということだった。彼らは全くブリジッタのことを邪魔にしておらず、息子のカーレンのことも「いて当然」というように接していた。ずいぶん信頼のあるパーティだ、と、ヴァイオラは思った。  それから、「どうしてこの村へ?」と尋ねると、「今回は里帰りだ」とジャロスは答えた。彼らはどうやら3階の部屋に泊まっているようだった。少ししてスコルが上へ上がるといい、ブリジッタとカーレンもいっしょに部屋へ上がっていった。  そうこうするうちに木こり亭で夕食をとった面々が戻ってきた。 「ヴァイオラさん、先に上へ行ってますね」とラクリマに声をかけられたのをきっかけに、ヴァイオラも部屋へ戻ると言い、ジャロスにお休みの挨拶をした。階段をあがるヴァイオラを、ジャロスはずっと目で追っていた。  部屋へ戻って「ちょっと話があるんだけど」とヴァイオラが口を開いた。 「明日もらうドッペルゲンガー分の報奨金だけど、亡くなった3人の遺族で分けてもらったらどうかと思うんだ」  ヴァイオラはさらに続けた。この村に長居するだろうことが明らかである以上、村の人たちといい関係を作っていかなければならない。まずはこれをそのよすがとしてはどうか、と。  もとより、異論はなかった。Gは「割り切れるし、いいと思います」と風変わりな返事をした。レスターも「異存ありません」ときっぱり答えた。唯一、セリフィアが少しだけ残念そうだった。来るべき剣の修行のために彼は貯蓄をしなければならないらしかった。が、異議を挟むことはしなかった。  それからヴァイオラは、先ほどジャロスから引き出した情報を皆に伝えた。  1月12日。  朝から、3人の猟師たちの葬儀が執り行われた。  喪服など用意していなかった一同は、冒険者ということで平服で容赦してもらったり、宿屋で借りたりして場を繕った。  もっとも、レスターやラクリマはいつもの僧服で問題なく通った。ヴァイオラは普段羽織っているサーコートを裏返した。途端にそれは神官服に早変わりしたので、彼女もやはり衣裳を借りる必要がなかった。  葬儀にはブリジッタも顔を出した。妙な話だが、葬儀が彼女の夫のお披露目の場となってしまった。  遠くにヘルモークがいるのもわかった。喪服を着て、葬儀の中心をずっと観察していたが、決して寄ってこようとはしなかった。  神官スピットはそつなく儀式を運んでいた。他に神殿のやることもあまりなさそうなこの村で、冠婚葬祭だけが彼の出番なのだ。  だが、儀式が一通り終わると、葬儀の輪の中心はスピットからキャスリーン婆さんに移ってしまった。余所者はいつまでたっても余所者のようだ。  やがて男達が棺を担いで、墓場へ向かい出した。他の者たちは皆、棺のあとに続いた。  川を渡ってこない人間も何人かいるようだった。主には「余所者」と目される人びとで、ツェット、グリニード、木こり亭の主人アルバーンがそうだった。他に、高齢を理由として、村長アズベクト=ローンウェルもその場に残っていた。だが、高齢といえばキャスリーン婆さんの方がよほど高齢であるはずだが‥‥。  女神亭の主人であるガギーソンは、ヘレンとマルガリータに付き添ってついてきたらしい。彼女たちとリールは泣き女として参加していた。泣き女といえば、頼まれもしないのにラクリマは最初から最後まで泣き通しだった。 「よく他人のことでそんなに泣けますね‥」とレスターが些か呆れたように言うと、彼女は「こんなに悲しみが満ちているのに、どうして皆さんは泣かずにいられるんですか?」と聞き返してきた。その間も涙が止まることはなかった。  葬儀を終えてパラパラと人々が解散したころ、セリフィアはガギーソンを捕まえて言った。「聞きたいことがある。」 「今日でなければだめですか?」と渋るガギーソンに「すぐ済む」と断って、彼がずっと聞きたかったことを尋ね出した。 「5年前に、殺人事件があっただろう」  途端にガギーソンは嫌そうな顔をした。痛くもない腹を探られるのはごめんだと言いたげな表情だった。それには構わず、セリフィアは続けた。 「そのとき、ルギアという魔術師がいたと思うんだが‥‥」 「ああ、いらしたかもしれませんね。そういえばいらっしゃいました」 「その男の消息を知らないか?」 「存じません」 「あとから村に来たことは?」 「あのあとは一度もいらっしゃいませんでした」  聞き取り調査は空振りに終わってしまった。 5■さらに新しき隣人  1月13日。  朝から木こりと同行し、森の奥へ分け入った。この日は特に何もなく、夜営も無事に終わった。  1月14日。  一日の仕事を終え(一同はただキャンプ地で待っていただけだが)、夜のひととき、夕食をとりながら少しのんびり過ごそうというころ、森の奥から5人組の冒険者が現れた。こちらの火につられてやってきたようだ。  そういえば、と、全員思い出した。グリニードが、入れ違いで5人組の冒険者達が森へ入っていったと話していた。彼らがその冒険者に違いあるまい。戦士と女戦士、女魔術師と盗賊、それに僧侶の5人組だった。  リーダーらしき戦士がサムスンと名乗り、「一緒に夜営させてくれ」と申し出てきた。  皆、木こり達に気兼ねして即答できずにいたが、そんなことは気にせずラクリマは「一緒に夜営したほうがいいですよね」と受け入れの姿勢を示してしまった。  サムスンは「ありがたい。話のわかる嬢ちゃんじゃないか」と、ラクリマの手を握った。突然、背後にいた女戦士がぶんむくれ、「色目なんか使ってんじゃないよ!」と怒りつつ、ラクリマとサムスンの間に割って入った。ラクリマが目をぱちくりさせていると、 「そんなことよりこっちは腹が減ってんだ。なんだ、食い物があるじゃないか。いただくよ」  ラクリマはちょっと慌てて「いけません。先にお祈りを‥」と止めようとしたが、 「うるさいっ! お祈りなんかしたって量が増えるわけじゃないだろ!」 と、邪険に振り払われた。大粒の涙が二つの眸に浮かんだ。その後ろでGとセリフィアが殺気立った。気の早いGはすでに柄に手をかけていた。女戦士はそんなことを気にも留めず、「まずいねぇ」などと言いながら食事をがっついた。 「ここは村の外だよな」と、セリフィアが口にした。本気か嘘かわからなかったが、レスターは一応、間に立って仲裁しようとした。レスターはサムスンに向かって言った。 「どういうつもりなんですか。一緒に過ごしたいのならもう少し弁えていただけませんか」  サムスンは困ったように、 「いや、まぁ、固いことを言うなよ。あいつにはあとで言っておくからさ」そう言って、女戦士に「お前ももうちょっと控えろよ」と声をかけた。女戦士は再びぶんむくれ、プイと顔をそらした。サムスンは念を押すようにレスターに言った。 「一緒に過ごしてもいいだろ?」  レスターは木こりたちを振り返って、彼らにどうするか尋ねた。木こりたちもこの闖入者たちをあまり快く思っていないようだった。「そりゃあ、あんたらがいいと思うんだったらいいけどね。でもなぁ、食い物を『まずい』って言われて、なおかつ食い荒らされるのはあんまり気持ちよくはないなぁ‥‥」  だが、結局、渋々ながらも彼らと一緒に過ごすことを諒解してくれた。  サムスンのことが好きなのだろう、さっきから嫉妬剥き出しで突っかかる女戦士は、リャーシャというらしかった。もう一人の女性は魔術師でアーリーといった。物静かな、静かすぎるきらいのある美少女で、まるでお人形のようだった。盗賊は、本名ではないのかもしれない、スリーウィルと呼ばれていた。目つきの悪い男だ。彼が一同の持ち物を舐めるように見ているのに、ヴァイオラは気がついた。嫌な感じだと思いながら、最後に僧侶に目を向けた。  僧侶の顔を見て、ヴァイオラは何かしら思い出すところがあった。知っている‥? どこかで会った顔だ。どうやら向こうも気づいたらしかった。彼は---確かガネーヴォ=ヴォンシャといったか---、ヴァイオラをじっと見、ハッと気づいて口を滑らした。 「ヨカナン・トルゥ=ヴァイオラ?」  それは彼女の正式な名前であったが、ヴァイオラは、彼が軽軽に他人の本名を口にのぼせたことを残念に思った。それで、思い出しているにもかかわらず、少し間を置いてからこう呼んだ。 「ああ、ガヴォか!?」  そうだ、彼はガヴォと呼ばれていた。二人はクダヒの神学校で同期だったのだ。もともと人数の少ない場所柄ゆえ、同期の顔くらいは全員思い出せるが、彼女にとっては全くつきあいのない人物だった。それでも、彼は生まれがあまりよくないという話を、だれかから聞いたことを覚えていた。ヴァイオラは徐々に思い出していった。彼は、そこそこ何でもできるが、特出して得手なことも、逆に特出して不得手なこともない、ごくごく平凡な人間だった。成績はいつも中の上。問題になるようなことは何ひとつ起こさない。そんな薄い印象しかなかった。 「こんなところで会うとは奇遇ですね」  ガヴォはちょっと決まり悪そうに、だが、同朋との再会を喜んで話し掛けてきた。 「ああ、本当に」適当に相槌をうって、ヴァイオラは彼らがここで何をしているのか尋ねた。 「それは‥‥」と、ガヴォが説明しようとすると、サムスンが割って入った。 「お前ら、山よりでかい木を知らないか?」  そう言って彼は1巻のスクロールを取り出して見せた。スクロールには次のような言葉が書かれていた。 告 あるところにそれは仲の良い若い木の夫婦がおりました 若い木の夫婦は、最初は小さく力弱かったけれども、 二人は力を合わせて、スクスク、スクスクと育っていきました。 やがて、二人の仲は何人たりとも引き離すことが出来ないぐらい強固になりました そして、大きく、大きく育ったため遂に雪を頂いた高い高い山よりも大きくなりました 山は言いました そんなに仲がよいのなら、一つ子供を作っても見ては と 二人は山の言葉に顔を赤らめました 二人の顔は赤くなったままになってしまいましたが やがて小さな迷宮を一つ産みました 子供はスクスク、スクスクと順調に育ちました でも、二人は子供のことが心配で子供のお家に入れないように鍵をかけてしまいました 夜の間は、鍵を掛けて入れないようにして、 朝になると出かけましたが、 無くさないように、二人が最初に朝日を望む場所にしまっておきました 子供は、二人の大切な大切な宝物です 何人たりとも近づくことを許しませんでした でも、もし近づくことが出来たなら 二人の大切な宝物を得ることが出来るでしょう SL88/8/8 エイトナイトカーニバル  ショートランド暦88年といえば、サーランド時代といわれる魔法全盛期にあたる。サーランド時代の支配階級、すなわち当時の魔法使いたちはいろいろな遊びを考え出し、そのひとつにこの「エイトナイトカーニバル」というのがあったらしい。「エイトナイトカーニバル」とは、要するに88年8月8日の8並びを楽しんで遊ぼうという趣旨のものだが、今の世では通用しない価値観に基づいていた。  内容は、ある一人の魔術師が迷宮を作り、その中にさまざまの景品を隠す。他の魔術師たちはそれらの景品を目指して、迷宮を探索する。もっとも、恐ろしい恵みの森や罠だらけの迷宮を踏破せねばならないわけだから、エリートである魔術師本人がそのような危険を冒すはずもなく、それぞれ自分の奴隷をレースに参加させて楽しんだ。今で言えば冒険者に相当するだろうか、能力奴隷を中心としたチームを作って投入するのだ。もちろん、映像の魔法で実況中継を行い、自分たちは安全な場所から観戦して楽しむ。だれそれのチームが脱落しただの、どこそこのチームが優勝しそうだだの、奴隷たちが生死をかけて探索に挑むあいだ、無情にも賭けに興じお喋りに興じるわけである。  このスクロールはどうやら、その迷宮について記されたもののようだった。果たしてその迷宮がすっかり踏破されてしまったのか、あるいは結局手つかずで残っているのか、それは全く調べようがない。ともあれ、サムスンは言った。 「だから俺は山より大きい木を探しているんだ。頭がいいだろ?」  一同は何と答えてよいやら、返答に窮した。ふと見ると、スリーウィルと呼ばれた盗賊やガヴォもちょっと困ったような顔をしていた。だがサムスンはそんなことに全く気づかず---この鈍感さが彼のパーティ内の統制のなさを助長しているのではないかと思われるのだが---、「だからもしも山よりでかい木があったら教えてくれよ。ま、情報料くらい払うからさ」と、さらに念を押した。  食事も終わった。サムスンは些か強引に、「1直目はリャーシャとスリーウィル、3直目はアーリーとガヴォがやれ」と、夜直の順番を決めていた。レスターはそれを聞いて、こちらは1直目が自分とヴァイオラ、2直目がセリフィア、3直目がGとラクリマだから、まぁまぁの組み合わせかなと胸をなで下ろしていた。  が、リャーシャの険のある声が響いて、静かな物思いもうち破られてしまった。見ると、リャーシャがGの胸を鷲掴みにしていた。 「ちょっとぐらい顔がいいからって、いい気になるんじゃないよ。ここはどうだい、男を喜ばせたこともないくせに」  Gは、ただリャーシャを睨んでいた。言い返す言葉を探しているのかもしれなかった。  レスターはまたしても嫌々ながら間に入らなければならなかった。「喧嘩したいならここで過ごすのはやめていただきましょうか」と言うと、サムスンはすねたように「そんな突っかかるなよ」と返してきた。「こっちも悪いがあんたらもあいつを挑発するようなことは言わないでくれ。」  何も言ってもいなければやってもいない、ただ向こうから喧嘩を吹っかけられているばかりなのに、なぜこちらが責められるのか。口にはしなかったが、一同の不平はさすがにサムスンにも通じたらしく、彼は不機嫌にリャーシャを怒鳴った。 「お前もいい加減にしろ! もう寝ろ! 勝手なことばかりしやがって」  リャーシャはふてくされて寝てしまった。  さすがに見かねた木こりたちが、自分らが一同とサムスンたちとの間で寝ようと申し出てくれた。レスターはこのありがたい申し出を受け、木こりたちに心から感謝した。 「‥‥ところでリャーシャって、1直目じゃなかったっけ」 「あっ‥‥! わかったよ、俺がやるよ! やりゃいいんだろ、畜生め!」  サムスンは情けない声を出した。その横で、ガヴォはスリーウィルに対して釘を差した。 「スリーウィル、要らない騒ぎは起こさないでくださいね」  スリーウィルは舌打ちした。夜のうちにレスターや木こりたちの懐を狙う心づもりだったのだろう。釘を差されたのはありがたかった。だがそれでも、ヴァイオラはセリフィアに「あの盗賊はやばい。たぶん私らを狙ってるから、気をつけて」と、注意を促すのを怠らなかった。セリフィアは黙ってうなずいた。  翌日、1月15日は曇りだった。  夜営は何事もなく終わり、一同は朝食の後でめいめいの道へと別れた。レスターたちは木こりと一緒にセロ村へ向かい、サムスンたちはさらに森の奥へと進むようだった。ガヴォとヴァイオラはお互いに挨拶を交わして別れた。  別れる前に、不本意ながらGはサムスンに忠告した。「この辺りにハイブのコアができたようですから、十分気をつけてください。」これに対するサムスンの返答は、一同を仰天させた。 「ハイブ? なんだ、それ?」  このご時世にまさかハイブを知らない冒険者がいようとは‥‥! 「ハイブって何だ、アーリー?」  サムスンに聞かれて、アーリーはごく一般的にハイブについて説明した。だが、全部聞く前にリャーシャが乱暴にそれを遮ってしまった。 「どうだっていいよ、そんなこと。とにかく出てきたらやっつけちまえばいいんだろ!」  どこまでも惜しみなく悋気を振る舞ってくれるリャーシャに、周りの人間はため息をついた。 「とにかく」Gは少し焦ったように繰り返した。「ハイブは人間に寄生するので、気をつけてください。」  その忠告もリャーシャに台無しにされた。 「いいだろ、もう。小難しいことばっか聞いたって仕方ないじゃないか。行くよ」  サムスンたちが去ったのを認めてから、珍しくセリフィアがぽつりと呟いた。 「いけすかない連中だった」 6■赤い月  その日の道中は何事もなく、夕方には無事にセロ村に帰着した。  昨日と同じように、ヴァイオラは女神亭で、あとの4人は木こり亭へ夕食を食べに出かけていった。ヴァイオラはまたカウンターで、周りの話をそこはかとなく聞きながらグラスを傾け、ガギーソンの手料理を口に運んだ。  どうやらバーナードの妻であり、セロ村村長の娘であるブリジッタは、日中、父親に呼ばれて村長宅を訪ねたらしい。しかし残念ながら「放蕩娘の帰還」とはならず、結局のところ物別れに終わったらしかった。それでも「すっきりした」ようなことを彼女は口にしていた。黙って出ていってしまった負い目を精算できたのだろう。  女神亭にはバーナードたちやガットとヘイズの他に、珍しい客が居た。ジェイ=リードと、その恋人のエリリアだ。察するに、セリフィアが木こり亭で夕食を取ることをどこからか知って、せいせいと酒を飲みに来ているらしかった。  木こり亭で食事を終えたレスター、セリフィア、G、ラクリマが女神亭の扉を開けようとしたのと、ジェイ=リードとエリリアの二人連れが女神亭から出てきたのとが同時だった。そのとき、今まで曇っていた空が俄に晴れ、満月が顔を出した。  刹那、彼らの上に月の魔力が降り注いだ。  レスターはその瞬間、月に異常な魔力を感じた。しかもその魔力は、ある方向に向けて照射されている---いや、照射されているというよりはむしろ、どこかから引き出されているようだった。どこか南東の、ここよりずっと離れた場所で何かが行われている、そんな風に感じた。  セリフィアはその瞬間、自分の身体が軽くなり切れがよくなったように感じた。身のうちに力が漲り、体を動かさずにはいられない。突然、素振りをすることを思い立った。そうだ。川辺へ行こう。あそこなら思う存分、長物を振るえる。ああ、気分がいい。今なら何でも斬れそうだ。  Gはその瞬間、何かがどっと流れ込んできたような鈍い衝撃を受けてか、あるいはまた、背中にいきなり激痛が走ってか、いずれにせよそれらに耐えきれず、気を失った。3人と、ジェイ=リードたちの前で、予告なく昏倒した。  ラクリマはその瞬間、月が赤いと思った。本当に色が赤いわけではないが、異常な魔力を月に感じ、瞬時にそれが頭の中で「赤い」という表現と結びついていた。同時に、自分の持つ聖印から魔力が迸るのを感じた。何だかわからなかった。ただ、神にお聞きするしかないと思いこみ、「私、神殿へ行かなきゃ」と口走っていた。  女神亭の中にいたヴァイオラは、表が騒がしいのに気づいた。ふと表の方に目をやったとき、満月が飛び込んできた。彼女の目には、美しい、いつもと同じ満月と映った。  すべてが同じ、一瞬の出来事だった。 「G!!」  レスターの叫び声でラクリマは我に返った。目の前でGが倒れていた。だが、Gのことを心配しつつもなぜか「早く神殿へ行かなければ」と思いこんでいた。 「ラクリマさん、治療を!」  レスターはラクリマを見上げながら叫んだ。ラクリマは落ち着かない様子でGの側にかがみ込んだ。  4人の脇をジェイ=リードが通り過ぎていった。恋人のエリリアはさすがに気が咎めたのか、「いいの?」と囁いた。 「いいんだ。どうせヨソモノじゃないか、それもいきなり殴りかかるような危険な奴らだ。関わり合いにならない方がいい」  ジェイ=リードは嫌味たっぷりにそう言うと、セリフィアやレスターの険のある視線を避けてさっさとその場を離れていった。  ラクリマはGを診た。どういうわけか、Gの痛みが手に取るようにわかるのだった。これも月の魔力なのかしらなどとぼんやり考えた。 「どうです?」  レスターのせかすような言葉が再び彼女を現実に引き戻した。 「背中が‥‥」 「背中?」 「背中が酷く痛んでるみたいです。痛くて、あんまり痛くて耐えられなくて、それで精神を飛ばしちゃったのかしら」  レスターは聞きながら目を丸くした。服の上からざっと診ているだけで、なぜ患部がわかるんだろう? 「どうすればいいんです?」 「‥‥‥」 「ラクリマ?」  ラクリマは暫しGの様子をじっと見つめていたが、やがてまた口を開いた。 「わかりません。私には‥‥私たちには治せない。もっと、神殿の偉い方なら治せるかもしれないけど‥」 「じゃあどうしようもないんですか」  レスターが心配そうに言うと、ラクリマは答えていった。 「治せないけど、治癒の呪文をかければ少しは楽になるかもしれません」 「よし、セリフィア、運ぼう」  セリフィアは「うむ」と力強く返事した。彼も少し様子が変だな、と、レスターは思った。 「とにかくベッドへ‥」  セリフィアとレスターがGを担いで宿の中へ運び入れようとしたとき、ラクリマが、「あの、ごめんなさい、私、どうしても神殿へ行かなきゃ」と言い出した。 「ええっ!? 今ですか!?」  レスターは素っ頓狂な声を上げた。もうとっくに夜である。いや、そんなことより、パーティの中で一番仲の良さそうなGが倒れている今この時に、彼女を置いて神殿へ行くというラクリマの言葉が信じられなかった。 「ごめんなさい、どうしても行かなきゃ‥!」  言うなりラクリマは本当に神殿の方へ駈けだしていった。 「ラクリマ!!」  レスターは半ば茫然としながら叫んだが、その声も虚しく、彼女は一度も振り返らずに神殿の方へ去ってしまった。 「‥とにかく中へ運ぼう」  セリフィアの声に、レスターは手元に視線を戻した。「ああ、そうですね」などと言いながら、仕方なく宿の中にGを運び入れた。 「どうしたんだ」  中にいたヴァイオラが驚いて寄ってきた。彼女もセリフィアとレスターに手を貸し、3人でGを2階のベッドへ運び込んだ。一息ついたところで、レスターは、先ほどのラクリマの診断と振る舞いとをヴァイオラに伝えた。ヴァイオラは「わかった」と言って、二人に部屋を出るように申し渡した。 「君たちがいたら診察もできないだろう?」 「はぁ‥。ヴァイオラさん、できればラクリマの様子を見てきてもらえませんか? 彼女も様子が変でした」 「そっちは君が行ってくれ。私はGさんを診るから」 「‥わかりました」  レスターがぐずぐずしているうちに、セリフィアは諦めよくとっとと出ていってしまっていた。 (‥‥女性の看病だからな。俺が中にいても色々不都合だろう。Gはヴァーさんに任せておけば大丈夫だろう。ここにいても仕方ないからやはり剣を振りに行くとしよう)  そう心に決めて、あとから出てきたレスターに向かって言った。 「俺は川辺へ行って来る」  突然、セリフィアがそう言ったのでレスターは驚いた。思わず叫んでいた。 「なんで!?」 「いい月だから素振りでもしようかと思う」  淡々と答えたセリフィアは、本当にそのまま背を向けて部屋を出ていってしまった。 「セリフィア!」  彼も振り返らなかった。レスターは再び虚しさを噛みしめた。 「みんな、どうしたっていうんだ」  少しの間、茫然と立っていたが、「‥ラクリマを見に行くか」と独りごちたあとで階段へ足を向けた。  ヴァイオラはレスターたちを退室させると、Gの衣服を脱がせ、背中を見た。彼女の背中には、非常に特徴的な傷痕があった。まるで‥‥そう、これではまるで、翼の付け根ではないか‥‥。気になったので、彼女はディテクト・マジックの呪文を唱えてみた。すると驚くべきことにGの身体全体が光り輝いた。今までにも何度かディテクト・マジックの呪文を行使したことはあったが、光って見えたのはツェーレンの剣とラクリマの聖章くらいで、Gはどこも何も光ったことがなかった。なぜ今になって‥‥?  この間ずっと、Gは目覚める様子がなかった。意識のないまま苦しそうにしていたが、ラクリマの言葉通り、ヴァイオラが治癒の呪文を唱えるとひとまず落ち着いた気配を見せた。  その様子を認めて、ヴァイオラは眉をひそめた。もうひとつ、別な疑念が頭をもたげていた。ラクリマの見立ては正しい。だが、往来で倒れた人間をその場で診ただけで、そんなに詳しくわかるものだろうか? レスターの話を信ずるなら、彼女は背中を見ることもしなかったという。だいたい、相手が腹部を押さえたりすれば「お腹が痛いのか」とわかるかもしれないが、何の兆しもなく倒れどの部位も押さえていない患者を相手に、どうして「背中が痛んでいる」と断言できたのか‥‥‥。  ヴァイオラは無言でGに衣服を着せてやった。それから部屋の奥へ行って、窓を開けた。新しい空気を部屋に入れたかった。  冷たい冬の夜気が彼女の両脇から忍び込んだようだった。彼女は空を見上げた。真ん丸の月が、煌々として地上を照らしていた。明るい、ただの月だった。  窓を再び閉め、Gの様子を見ながら椅子に座り込んだ。 (主にお聞きしなければ‥)  何を聞くのかもわからないまま、ラクリマは神殿の拝殿にそっと入り込んだ。  祭壇は奥にあった。上の明かり取りから月光が射し込んでいる。彼女は祭壇の前に進み、問題の聖章を右手で握りしめて跪いた、そのとき、唐突にある印象が彼女を満たした。それは、彼女が最初に呪文を覚えたときに感じた印象とよく似ていた。 (‥‥‥私‥‥どうしたんだろう、なんだか、呪文をもう一つ覚えてもいいような気がするけれど‥‥)  混乱しながらも彼女は今日一日のことを反芻してみた。しかしどこをどう遡っても、呪文を使った覚えがなかった。空きはないはずだった。  それでも不思議な感覚は消えなかった。  聖章から手を離せぬまま、彼女は床に座り込んだ。姿勢を正し、瞑想に入った。 (主よ、私に何を求めておいでですか‥‥)  わずかずつではあるが、魔力が自分に流れ込んでくるのを感じ取っていた。ちょうど呪文を記憶するときと全く同じ感覚だった。奇妙なことに、彼女にはさらなる予感があった。この恩寵は、私が精進を重ねることで拡大されるかもしれない‥‥  レスターが神殿に到着したのはこのあとだった。ラクリマが呪文を記憶するための瞑想に入っているようなのを目撃して、彼も訝しく思った。だが、何をすべきか何を言うべきかもわからず、邪魔せずに彼女の瞑想が終わるまで静かに待つことにした。  ラクリマは規定時間の瞑想を終えた。目を開け、身のうちに新たな呪文が息づいていることを確認した。それがどういう意味を持つのかはわからなかった。  ふうと溜息をついて立ち上がった矢先、「ラクリマさん」と声がかかった。目の前にレスターがいるのを見て、ラクリマは吃驚した。 「レスターさん!? どうしたんですか?」  どうしたって、あんたが心配で見に来たに決まってるだろうと、心の中で叫びつつ、平静を装ってレスターは尋ねた。 「どうしたんですか、いったい。Gもほっぽって何をしてたんです? 何故いきなり神殿に---」 「そうだわ、Gさん!」ラクリマはハッとして叫んだ。レスターに詰め寄り、「Gさんはどうしました!?」と逆に質問を浴びせた。 「Gはヴァイオラが見てくれています。それよりもさっきはどうして---」 「たいへん、私、Gさんを見に行かなきゃ!」  ラクリマはわき目もふらず、今度は宿へ向かって駈けだした。 「お待ちなさい! ひとの話を聞きなさい! どうして神殿に来たんですか! 答えてもらってませんよ、ラクリマ!!」  レスターはラクリマの後を、叫びながら追った。と、むんずと首根っこを掴まれた。振り向くとグリニードの渋い顔があった。そのまま詰め所に連れて行かれ、 「君たちがどういう生活時間帯で過ごそうが関係ないが、この村ではこの時間はもう夜なんだ。うるさく音を立てたり騒いだりするのは控えてもらおうか。今日は見逃すが、今度やったら『騒音税』を取るから覚えておけ」 と、諄々とお説教をくらったうえで解放された。 (これもみなラクリマがひとの話を聞かないから‥‥!)  自分のことは棚に放り上げて、ラクリマのマイペースぶりを恨むレスターだった。 「Gさん、大丈夫ですか!」  ラクリマは勢いよく部屋のドアを開けた。と、ヴァイオラが、「静かに」というように唇に人差し指をあてたのが見えた。 「‥ごめんなさい」  小さく謝って、ラクリマはGの側に寄った。さっきよりは安らいでいるようだが、痛み苦しみがなくなったわけではあるまい。治せない自分の無力が忌まわしかった。 「レスターは?」 「あっ‥‥置いて来ちゃった。どうしよう‥‥」  そんな会話を交わしているところへ、話題の人レスターも戻ってきた。 「ひどいじゃないですか、ラクリマさん。おかげでまた警備隊につかまっちゃいましたよ。もう少しで『騒音税』を取られるところでした」 「だ、だってレスターさん、なんだか大声を上げながら走るんですもの」  レスターは、それはあんたが質問に答えないせいだろう、と、心の中で突っ込みを入れた。 「‥‥そんなことより、こんな状態のGをおいていくなんて信じられないね」  ヴァイオラの冷めた台詞に、ラクリマは青ざめた。聖章を握りしめる手が少し震えているようだった。泣きそうになりながら、 「そうですよね‥‥私‥‥ごめんなさい。こんなときに行かなくてもよかったのに‥‥」 「だから、どうして神殿へ行ったんですか? まだ答えてもらってませんよ」  レスターは畳みかけるように尋ねた。 「それはその‥なんとなく‥‥いえ、どうしても行きたくって‥」 「ですから、どうして?」 「神の‥お力を感じた気がして‥‥考えたいことがあって‥‥」 「神のお力? どんな?」 「‥‥‥」  ラクリマは黙ってしまった。レスターは溜息をついて、質問を変えてみた。 「じゃあ、さっき瞑想をしていたのはなぜです?」  それを聞いて、ヴァイオラはラクリマが瞑想していたことを知った。道理で帰りが遅いと思った。しかし‥‥彼女の今日の呪文は満杯のはずだが‥‥? 「それは‥‥そうした方がいいような気がして‥‥」  どの答えも要領を得なかった。実はラクリマ自身、自分が何をためらっているのかよくわかっていなかった。ただ、あのときに感じた月の魔力が‥‥。 「神のお力って‥月の魔力とは関係ないんですか」  自分の頭の中を見透かされたようで、ラクリマは驚いてレスターを見た。そして再び疑問がわき起こってきた。自分がさっき手に入れた力は、果たして神の恩寵であるのか? 善なるものであるのか、それとも‥? 彼女がすぅっと青ざめるのを、二人とも見逃さなかった。 「レスター、月の魔力って?」  どうやらヴァイオラは何も感じていないようだった。レスターは、今夜の月が魔力に満ちており、それがどこか一点を照射しているようだという自分の理解を簡潔に伝えた。  その会話を聞きながら、ほとんど無意識のうちに話題を変えようとして、ラクリマは尋ねた。 「あの‥それよりセリフィアさんはどちらに?」 「彼は川辺で素振りしてます」 「素振り!?」  ヴァイオラが気づいたように言った。 「それじゃ、セイ君もそろそろ呼んできた方がいいんじゃないか? あんまり遅くまでやらせておくとその『騒音税』を取られるかも」 「じゃ、じゃあ、私、呼んできます」  ラクリマが言うのをレスターは遮って、 「いいですよ、僕が呼んできます。ラクリマさん、セリフィアは苦手でしょう?」 「どっ、どうして‥」 「見てればわかりますよ」  レスターがそう言うと、図星だったにもかかわらず、ラクリマはむきになって言い返した。 「私、別に苦手なんかじゃありません。大丈夫ですから呼んできます」 「およしなさい、無理するのは」  二歳も年下の人間にたしなめられて戸惑うラクリマに、レスターは止めを刺した。 「だいたい女性がこんな夜に一人で歩くものじゃありません。危ないでしょう」 「‥‥‥わかりました」  ラクリマは俯いた。 「じゃあ、呼んできますから」と言って、レスターは部屋を出ていった。  レスターの足音が遠ざかったのを認めてから、ヴァイオラはラクリマにGの背中の傷痕のことを話した。 「翼‥ですか? じゃあ、Gさんはタカ族?」 「そうと決まったわけじゃない。ただ、彼女はそういうものを背負ってるってことさ。それはラッキーにも覚えておいてほしいんだ」 「わかりました‥‥」  ラクリマはそう答えて、Gの方を伺い見た。Gのベッドの向こうに窓が、窓からは満月がのぞいていた。月を見た途端、彼女はまた不安そうな表情になった。ヴァイオラはめざとく気づいて、「月がどうかした?」と訊いた。 「今夜の月は赤いですよね‥」  ラクリマは月から目を離さずに、それだけ言った。 「そう? きれいな白い月だと思うけど」  この娘もレスターと同じく月に何かを感じているらしい、と、ヴァイオラは見当をつけた。レスターが戻ったら、もう一度確認しなければ。  レスターが川辺に近づくにつれ、空気の鳴るその音は大きくなっていった。  目の先に夢中で10フィートソードを振り回しているセリフィアがいた。 「セリフィア」  レスターは近づきながらそっと呼んだ。だが気づく気配はなかった。 「セリフィア!」  レスターは怒鳴った。セリフィアの腕がぴたりと止まった。こちらに視線を向けると、 「何か用か?」 「何か用か、じゃありませんよ。もう夜も遅いですから、あがってください。これ以上、その音を立てると近所迷惑になっちゃうんですよ」 「そうか。わかった」  セリフィアはきっぱりと答えた。剣をしまってレスターに並んだ。二人は宿に向けて歩き出した。 「気持ちのいい夜だ」  突然、セリフィアがそう言ったので、レスターは仰天した。別に他の人間が言ったなら何も驚きもしないのだが、セリフィアがこんなことを言うのを聞いたのは初めてだったのだ。  よく見ると、彼はいつもより明るい顔つきをしているような気がした。さっぱりとしてもいる。いや、もともとさっぱりした気質のようではあるが、とにかく普段は何も語らないし、気分よさそうにしているところなど、これまで見たためしがなかった。 (やっぱり変だ‥) と、レスターは思った。  Gは眠りつづけていたが、他の面々が揃ったところでヴァイオラが口を切った。 「レスター、君、さっき『月の魔力』って言ってたけど、もう一度詳しく説明してもらえないか?」 「ええ、いいですよ」  レスターは3人の前で先ほど感じたことを説明した。月の魔力が、どうやら一方向に引き出されていたようだったこと。その方角とは南東で、ここからはだいぶ離れているようだったこと‥‥すなわち、ラストンの方で何かあったのかも知れないということ。  ヴァイオラは話をもう一度反芻した。Gが倒れたのもラクリマが神殿へ瞑想に行ったのも、セリフィアが突然素振りを始めたのも、ほとんど同時だった。同一の原因によるものと考えるのが自然だろう。そしてそれらはみな、月の魔力と関係あるのかもしれない‥‥。そう考えているときに思い当たることがあった。女神亭1階で4人を待っているとき、やはりスコルが月を見ていたような気がする‥‥‥そうだ、そういえばあのとき、レイやブリジッタもキョロキョロしていた。 「スペルユーザーがみな影響を受けたのか‥!?」  突然の閃きが、ヴァイオラの口をついて出た。 「なるほど‥。しかしセリフィアはどうなんです? 君も変だったよな、今晩は?」  レスターはセリフィアに向いて言った。セリフィアはいつになく爽やかな顔をしていた。 「そうか? 俺はただ、身体が軽くて、気分がとてもいいだけだ」 「‥‥‥なるほど、変だね」  常ならぬセリフィアの饒舌ぶりに、ヴァイオラはレスターへの賛意を表した。 「そういえば、セイ君はどこの出身だっけ?」 「‥ラストンです」 「ラストン‥‥セイ君はキャントリップとか、使えるのかな?」  ヴァイオラが尋ねると、セリフィアは沈黙してしまった。 「キャントリップって、何ですか?」 「魔法とは言えない程度の、小さい魔術です。たとえば、火をおこすとか‥」  セリフィアはラクリマに向かって答えた。 「火をおこしたりできるんですか!? セリフィアさん、魔法が使えるんですか? すごい‥」  セリフィアは使えるとも使えないとも言わないまま、 「キャントリップは別にすごいことなんかじゃありません。ラストンではそれができて当たり前なんです」 「‥‥当たり前?」 「それに俺の家では、俺以外みんなが魔法を使えましたよ。俺だけが使えなかった。ラストンでは魔法もキャントリップも使えない方が変なんです」  ヴァイオラがそこで会話を中断させた。 「だから、やっぱり呪文使いが影響を受けたんだよ、月に」  異を唱える者はだれも居なかった。 「そういえば」と、レスターが口を開いた。「以前、ゴードンに聞いたことがある‥‥自分の師匠が、魔力を引き出す研究をしていると‥‥」 「調べる価値はありそうだね」 「そうですね。ガラナークに書信を送って、問い合わせてみましょう。でも、今日はもう寝ませんか?」  夜もかなり更けていた。一同はその提案に賛成した。 「‥‥‥私、ちょっと起きてます。Gさんが心配だから」というラクリマを残して、皆、眠りについた。ラクリマはぼんやりと、月を見、Gを見、冬の大気を膚に感じながら起きていた。やがて月の赤みが弱まり、それとともにGの様子が目に見えて穏やかになった。もう大丈夫だろうと思ったが、結局眠らずにその夜を明かした。 7■G 1月16日。 「ふわあああぁぁ」  Gは大きく伸びをしながら起きあがった。と、ベッドサイドにラクリマが鎮座ましましているのを発見して、 「おはようございます。どうしたんですか、ラクリマさん?」 「おはようございます。あの‥‥Gさん、もう気分は平気ですか?」  そう言われて思い出した。自分は昨晩、あまりの激痛に意識を失ったのだ。それからずっと‥‥夢を見ていた。奇妙な夢を。  他の面々も起き出して、とりあえず朝食を摂りに1階へ降りた。セリフィアは今日も爽快な顔つきで、「いい気分だ」と魅力的な笑顔を振りまいていた。 「もうすっかり大丈夫なのか?」  皆にかわるがわる聞かれ、Gは照れくさそうに答えた。 「もうすっかり大丈夫ですよぉ。全然痛くないし。ただなんか‥‥すごい変な夢を見ちゃって‥‥」 「夢?」レスターは身を乗り出した。「夢って‥まさか御神託ですか?」 「違うと思いますよぉ」Gはきっぱり否定した。「でもすごく変な夢でした‥‥。いろいろ見ちゃって‥。」 「どんな夢だったんだ?」  ヴァイオラも興味を持った。この際、夢でもいい。何でもいいから手がかりになるものがほしかった。 「う〜ん‥‥あんまりよく覚えてないんですけどぉ‥‥」  Gはぽつりぽつりと語り出した。  さまざまな人間が現れ、様々な場面が繰り広げられたようだった。あるときは、御神託が正当なものと認められ、どこそこには連絡してあると言われて支度金を受け取って旅立つ少年がいたし、そうかと思えば魔術師のうろつき回る実験室で、ガラス管の中の赤子が「カッ」と目を見開く場面もあった。  もっとイメージだけが迫ってくることもあった。ハイブへの憎しみばかりがはっきりと感じられ、そのまま目の前のハイブブルードに向かってゆくような、憎悪のイメージの海に溺れそうだったこともあった。  あるいはまた、お裁縫の時間をさぼって、怒られて物置に閉じこめられられる少女の夢があった。だれかに「明日の舞踏の時間はさぼったら承知しませんよ」と釘を差されていた。  女遊びに飽きたとごちる美形戦士がいたかと思えば、整った女顔でいじめられる少年が登場したりした。少年は女性に修道院に連れて行かれるところだったが、声にしたわけでもないのに彼女のことを偽善者だと思っていることが感じられた。  あるいはまた、完全武装の戦士に殴りかかる青年がいた。恋人が止めても耳を貸さないで、「お前のせいだー」と喚いていた。空中に浮かんでるシーフの夢もあった。弓でだれだか魔術師に射かけていた。  それから男女の夢。「お願い、連れて行って」「じゃあ、泣き虫はおやめ」というやりとりだけが印象に残っていた。  Gの話を聞いて、皆、途方に暮れた。だが、「神託を受けた少年」だの「お裁縫をさぼった少女」だの「女遊びに飽きた美形戦士」だのが登場したことで、数名が思い当たるふしがあり、どうやらこれは同じ宿に泊まっていた人間の過去を覗き見たのではないか、ということになった。  過去、なんだろうか。確かに、断続的に見た夢の数々を一つずつ思い起こしてみると、もしかしたらここにいる何人かの過去とかだったのかも知れない、と、Gは思った。それでも、そう言えるだけの自信がなかった。あんなにはっきり見えていたのに、今では靄がかかってしまって、何もかもが不明瞭だった。ただ、見てはいけないもの、だれかが心の奥底にしまっておいたものを見てしまった感じだけが明瞭さを損なわずにいた。 (‥‥これもエオリス神のみそなわしなんだろうか)  レスターは、とりとめなく語るGを見つめながら、答の出ない問いを問うてみた。とりあえず彼女の夢は御神託ではなさそうだ。だが、どうして自分はここでこんな不思議な少女と出会ったのだろう? これは御神託と無関係と言えるだろうか。 「Gさん、かわいそう‥そんな、他人の過去を見せられて‥」  そう言って隣でラクリマが泣くのも気に留めず、レスターはひたすらGを見つめていた。君はだれだ。君はだれなんだ。 「それじゃ俺は川に行って来る」  朝食の後で、セリフィアはうきうきと立ち上がった。 「なんかセリフィアさん、楽しそうですね」  Gがそう言うと、セリフィアは白い歯を見せて笑った。 「Gも元気になってよかった。健康が一番さ」 「‥‥セリフィアさん、かっこいい〜」  なぜだかこちらも嬉しそうなGに軽く手を振り、セリフィアは気分良く川辺へ素振りに出かけた。リールや村の人にも明るく爽やかに挨拶し、リールに贈るために「花を買おうかな」などと思ってみたりした。  嬉々として去るセリフィアを見送って、ヴァイオラとレスターは顔を見合わせた。月は沈んだ。Gも元に戻った。それなのになぜセリフィアは元に戻らないのだろう? 「あの、私、ちょっと午前中は寝ませてもらっていいですか?」  ラクリマはさすがに徹夜がこたえているらしく、あくびをかみ殺しつつ、レスターに言った。 「部屋に行って寝んでますね」  彼女はそう言って2階へあがっていった。その後ろ姿を見ながら、Gはだれに聞くともなくたずねた。 「‥‥もしかして、ラクリマさん、私のために起きててくれたんですか」 「まぁ、そんなところだね」  ヴァイオラはさりげなく返事して、それからレスターを向いて言った。 「で? 今日は何をするのかな、坊ちゃん?」  レスターは少しムッとしたようだったが、気を取り直して答えた。 「僕はあちらの、3階に泊まっているパーティの方に、昨日の月の魔力について話を伺って来ようと思います。あなた方は何を?」 「私、ラクリマさんが起きるまで側にいます」 と、Gが答えた。ヴァイオラは少し考えてから、 「私はまぁ、ヘルモーク氏の様子を見てくるかな。それじゃ、あっちのパーティに話を聞くのは坊ちゃんに任せたよ」 「それではあとで」  3人はそれぞれ別れた。  ヴァイオラは一旦部屋に戻った。部屋ではラクリマがすやすやと眠っていた。Gはその側に椅子を引いて座った。ちょうど昨晩と逆の構図だな、と、ヴァイオラは思った。  ヘルモーク氏を訪ねる前に、ヴァイオラはGの話を聞いてみたいと思い、話しかけた。 「昨日、背中を見たんだけど‥」  そう聞くなり、Gは明らかに動揺したようだった。 「自分の背中のことは知ってるのか?」  知っているんだな、と、思いながらヴァイオラは尋ねた。Gは「えーと、えーと」と「えーと」を何回も繰り返したあとで言った。 「私、天使とかじゃないですからっ!」  ヴァイオラは何とはなしに違和感を覚えた。だがいつものことじゃないか、この娘が調子っぱずれなことを言うのは。そう思って質問を続けたのが間違いだった。深みにはまりそうな事実が次から次へと語られ、それらはヴァイオラを持ってしても消化できそうになかった。おそらく酒を飲んでも軽くならないだろう。  Gの話はこうだった。彼女が「お母さん」と呼んでいる人物に拾われたとき、彼女には羽根があったのだという。その後、治療を受けたら翼は消えて、それからあとは自分の意志でも出すことはできなかった。ただ、2階の窓から落ちそうになったときに偶然翼が出たが、羽ばたいたり飛んだりはできなかったという。 「飛べない翼なんて、みっともないだけです」  Gは言った。役に立たない翼を、彼女は自分で、ペーパーナイフで、一晩かかってむしり取ってしまった。 「むしった!? むしったって、君‥‥そ、そのむしった翼はどこに‥?」 「わかりません。だって、むしり終わったら突然、目の前にハイブが現れて‥‥吃驚しましたよぉ」  ヴァイオラは、吃驚してるのはこっちだと言いたい気を抑えた。いや、実は吃驚していないのかもしれない。そんな「吃驚」などというかわいらしい境地は過ぎ去ってしまった。呆れるとか、驚くとか、眩暈がするだとか、悲しむ怒る泣く笑う、そうした感情の平面を超越して、彼女はひたすら聞くだけだった。手に負えない、違和感だらけのGの話を。  Gはさらに語った。 「お母さんは、私がタカ族じゃないかって言ってました。でも、翼があるのはバードマンって言って、タカ族の中でもすごく高位のレベルの人にしかないんですよ。私、そんなんじゃありません。だからタカ族じゃないと思います」 「‥‥‥」 「だいたい、こんな白くて赤いのがタカ族なんて、そんなわけないじゃないですか。あ、お母さんは黒いんですよ。格好いいでしょ? 翼は白いんですけどね」  どうやらその「お母さん」にも翼があるようだった。翼、と聞いて、何かがヴァイオラの脳裏を掠めた。翼ある者‥‥だれだっけ、確かガラナークの‥‥ 「お母さんはその、翼のことについて何も言ってなかったの? 何か話を聞けないのかな?」 「お母さん、処刑されたんです‥」 「!?」 「お母さん、ハイブが出たあとで、自分なら止められたのに、自分の所為だって言ってたんです」  どうやらGを拾った「お母さん」とは、ガラナーク王国でハイブ騒動の元凶として処刑された、シルヴァ=ノースブラドらしかった。ヴァイオラの中では警鐘が最大音量で鳴り響いていた。だが遅すぎた。 「私がいけないんです。だって‥‥だって私、お母さんが恋人と一緒になるために、旦那さんを殺そうとしたんだと思ったんです。そしたら旦那さんと恋人が同じ人で‥‥私、そんなことだとは思わなくて‥‥だから、だから、メルに告げ口したら、あんなことに‥‥」  Gは泣きながら告白した。 (自分の密告でお母さんを殺してしまった)  ヴァイオラにはGの悲鳴が聞こえた気がした。ふと、彼女の背中の傷痕を思い出した。痛ましい翼の痕と、引き裂かれた心の痛みのイメージとが重なった。 「私、メルはお母さんが好きなんだと思ってたんです‥‥そしたらメルが好きだったのはミア様だったなんて‥‥」  Gはヴァイオラの膝に突っ伏した。 「‥‥メルって?」 「メルは大臣で、お母さんは国王のおばさんです」  涙に暮れながら、Gはとぎれとぎれに答えた。 「お母さんはみんなの前で悪人として処刑されたんです。ハイブを呼んだ張本人だって。だから私は‥‥ハイブが憎い。ハイブを倒したいんです。お母さんは悪くなかった。悪くなかったのに」  Gはますます激しく泣いた。ヴァイオラはぼんやりと彼女の背中を撫でながら、窓の外を眺めていたが、Gに目を戻すときっぱりした口調でこう言った。 「Gさんが信じてるなら周りがどう思おうと関係ない、お母さんは無実だよ。それが真実でしょう。私はね、そう思う」  Gは面を上げるとちょっと目を瞠り、それから嬉しそうに「ハイ!」と答えた。  一方、レスターはバーナードたちの部屋を訪れ、スコルと話をしていた。彼らは生憎、部屋で食事中だったが、スコルは別段いやな顔もせず、中座してレスターにつきあった。 「どのようなことをお話ししましょうか」  スコルはおそろしく美しい、だれもが心奪われそうな声でそう言った。  レスターは昨晩の月の魔力増大について通り一遍の質問をした。だが、あまり有用な情報は引き出せなかった。 「お役に立てる情報はありません。魔力は確かに感じましたが‥‥過去の事例に照らし合わせて考えもしましたが、思い至ることはありませんでしたし‥‥スピットにもおたずねしましたが、彼もわからないようでした。」  レスターは礼儀正しく感謝を述べると、2階の部屋に戻った。ひとつノックして入ろうとすると、ヴァイオラが顔を出して、 「申し訳ないんだけどさ、今ちょっと取り込み中なんだ。もう少し外をぶらついててくれるかな?」  何が取りこみ中か聞く隙も与えられなかった。レスターは仕方なく、1階でぼんやりして過ごした。  やがて部屋に戻っていいとのお許しが出た。レスターはヴァイオラに、何を話していたのか尋ねた。 「まぁ、彼女の心の葛藤を、ちょっとね……」  ヴァイオラは飄々とかわした。レスターはなおも食い下がった。どうしても知りたかったのだ。 「それで、彼女の身元はわかったんですか?」  ヴァイオラはその美しい顔をしかめてみせた。 「過去の悲しい思い出を聞いただけだよ。2階から落ちて痛くて恥ずかしかったこととか」  それが心の葛藤? レスターは全く納得がいかなかった。 「他には何がわかったんですか? Gはいったい……」 「坊ちゃん」と、ヴァイオラはレスターを遮った。「だれにだって簡単に触れられたくない悲しい思い出はあるだろう? 君がどうしても知りたいなら、Gさんの信頼を得るんだね。話してもらえるまで待ちなさい。君だって他人には言えない傷とか、何かあるだろう。すぐに他人には話せない、そういうものがあるって、わかるだろう?」 「ありません」  今度はレスターが、きっぱりと、ヴァイオラを遮った。ヴァイオラはそれを聞いて、化け物でも見るような目でレスターを見た。 「話せないようなことなんてありませんよ、別に」  レスターは怒ったように繰り返した。ヴァイオラは黙った。レスターには暫く話せない。いや、永久に話せないかもしれない。そう思うと、心が塞いだ。 「とりあえず、昨日も話したけど、月の魔力について問い合わせてもらえるんだろう?」  ヴァイオラは無理やりに心を奮い立たせ、Gの話題を切るためにそう言った。 「ええ、そうですね。ガラナーク大神殿と……実家に手紙を出しましょう。これから書きますよ」  レスターは言いながらGを見た。涙のあとが認められた。泣いていたんだな、と、思った。が、今は明るい顔をしていた。  君はだれなんだ………  その思いを振り切って、彼は羊皮紙を取り出そうと、自分の荷物へ歩み寄った。