[shortland VIII-interlude-12] ■間奏曲第12■「春も長閑に」■  5月17日、朝。  開口一番、ラルキアが言った。 「お兄ちゃん、昨日の夜、Gさんと話し合ったんだけど、僕、このひとと一緒にお兄ちゃんを守ることにしたから」  セリフィアが何を言う間も与えず、ラルキアは続けた。弟という立場を利用し懇願口調で、 「だってお兄ちゃんのお友だちで、僕を上手に扱えるのはお姉ちゃんしかいないし。そういうわけでよろしくね。勝手に決めてごめんなさい。でもお兄ちゃんならきっとわかってくれると思ったから」  セリフィアには反対するつもりはなかった。もともとGのほうがラルキアもとい魔剣を怖がっていたのだ。仲良くなってくれるならそれは喜ばしいことで、しかもラルキアがさりげなくGを「お姉ちゃん」と呼んだりしているのが嬉しかった。だがそれをおもてには出さず、仏頂面でぶっきらぼうに了承した。 「わかった。お姉ちゃんに迷惑かけないようにな」  やりとりを聞きながら、(どう考えてもラルキアのほうが一枚上手だ)とカインは再び思った。  Gは、朝から髪をリボンで後ろに束ねていた。昨日もらった花束についていた、真っ赤なリボンだ。相当気に入ったらしい。白いまっすぐな髪に、赤がよく映えた。  魔剣を怖がって泣いていた昨日までの彼女はもういなかった。彼女にはもう、ラルキアを怖いと思う気持ちがなかった。  ---『持たざる者』……ヤツは、片目の女性と刃に宝石を埋め込んだ+5ソードを探して、この過去にも存在してるはず。だからこのうちどれかにかかわることがあっちゃいけない。  そう言ってGを戒めたのは「母さん」だった。  ---絶対に…かかわったら不幸になるからね。  ああ、だから、怖かった。  でも、と、夕べに思い直した。「かかわっちゃいけない」と言いながら、母さんはしっかり関わっていたじゃないか! 「持たざる者」である「シェアレス」ってひとと一緒に旅までしたんだろう? それでいて後悔なんかしてなかっただろう?  Gは、「母さん」が最期に言った言葉を思い返した。「強くあれ」と彼女は言い遺した。「強くなれ」ではない、だって「強さ」はもう、みんなが胸の中に持っているから。それを思い出して、思い切ってラルキアに話しかけた。一緒にセリフィアさんを守ろうと言い、それが受け入れられたとき、彼女の心から魔剣に対する恐怖は拭い去られていたのだった。  夕方、城外でいつものように一日の訓練が終わり、スカルシ=ハルシアはいずこかへ帰っていった。彼女がすっかり見えなくなったところで、セリフィアはすぅっと息を吸い込んだ。それから大声で叫んだ。 「マコさーん、いませんかーっ! お話聞かせていただきたいんですけどーっ」  マコちゃんことマーク=コーウェンがその辺にいるのではないかと思ってのことだった。あれだけ秋波を送ってきているのだ、もしかしたら自分の修行ぶりを見ていたりするんじゃないだろうか。そうなら、彼というか彼女にはぜひとも聞きたいことがあった。  思惑当たって、突然気配が立ったと思うや、物陰からマコちゃんが飛び出してきた。 「マコちゃん感激!!」  マコちゃんはセリフィアの首に抱きついた。相変わらずの力だった。 「そっちから呼び出してくれるなんて、遂に『その気』になってくれたのね!!」  彼というか彼女は、そう言ってうるんだ瞳でセリフィアを見上げた。ちょっと微笑んで、「デートの日取りはいつにするぅ? マコちゃんいつでも…ってぇ言いたいんだけどぉ、近日中はちょっっと用事があってぇ……。もうちょっと落ち着いたらでいいかしら。あなたが急ぐっていうなら、マコちゃんも頑張るけど…」 と、上目使いでセリフィアの瞳を覗き込んだ。  一方のセリフィアは、必死で身体を引き離そうとしながら、 「い、いえ、決してそういうわけではなくて、将来のための判断材料がほしくてお話をお聞かせ願いたいと思いまして」 と、汗をたらたら流しながらようやく口にした。 「こちらはお願いしている立場ですので、ご都合が悪いようでしたらそちらが落ち着いてからで構いません。私たちは戦闘技能の修行が終わるまではフィルシムに滞在します。ご都合がよくなりましたらご連絡いただけると助かります」  ふっと笑って、 「私としては早いほうがいいのですが、無理を申し上げるわけにはいきませんからね」  マコちゃんは、おそらく「感激の」涙を流しつつ、セリフィアの瞳をひたと見つめた。 「そんなことなら、マコちゃん、今の仕事とっとと片づけちゃう。待っててね」  そう言って、彼というか彼女は、それこそ飛ぶように立ち去っていった。  セリフィアはそれを見送ったあと、ひとつ息を吐いて、みんなと合流するために戦闘技能訓練の道場へ向かった。  セリフィアが道場の前に着いたとき、Gがラクリマと図書館へ行く話をしているのが聞こえてきた。 「帰りに屋台で何かおごるから、一緒に行こう?」  Gがそう言うと、ラクリマはもちろん行くと言い、 「いいんですか? 嬉しい。じゃあ、クダヒ風焼きそばを食べにいきませんか? 美味しい屋台を知ってるんです」  そこへ近寄ってきたセリフィアが、「俺が行こうか?」と申し出た。Gが一人歩きをしたくないからラクリマを誘っているのだと思ったのだ。  実際そのとおりだったのだが、Gは、一人歩きをしないということもさりながら、フィルシム在住のラクリマなら、図書館までの道もよく知っているだろうと思って彼女を誘ったのだった。だから、セリフィアがそう申し出てきたとき、どういうことかちょっと悩んだ。 (『俺が』って、図書館への近道をラクリマさんより知ってるわけないしなぁ……。『俺も』ってことなんだろうな)  考えが落ち着いたところで、彼女はセリフィアににこっと笑いかけた。 「美味しい屋台、一緒に行きますか?」  セリフィアは一瞬迷ったが、なんとなく行かないほうがいいように思って、 「ん〜、いや、ごめんね。やっぱり遠慮しておく」  にこっと笑い返した。 「………」  Gは凍り付いた。それからまたちょっと考えて、ハタと思い至った。 「…あ・うん、図書館に行きたいのは私のほうなんだ、すまない」  言いながらぺこりと頭を下げた。 (そうか、たぶんラクリマさんが行くのに私がついていくって思って、『俺がGの代わりに行こうか』って申し出たんだ。行くのが私だってわかったから、断られたんだ……)  Gがそんな恐ろしい勘違いをしているとは思わないセリフィアは、彼女の台詞の意味がわからずに「うー」とか「すー」とか力の抜けた返事を返した。  そこへロッツとの打ち合わせを済ませたカインがやってきた。彼はロッツにエフルレスとケヴィッツの宿泊先の調査を頼んでいた。レスタトの記憶から彼らが本物のアンプールの騎士(正しくはライニス在住の青色騎士)であることはわかったが、念のため所在も掴んでおきたかった。もう一つ、ファラとディートリッヒの消息も調査を依頼した。ロッツにはすでに200gp渡し済みで、まだ残金があるだろうから、それで調べてもらえるはずだった。  カインは近づいてくるとタイミングよくGたちの話題に割って入り、 「『陽のあるうちだから』といって安全なわけじゃない。状況が状況だから気をつけるにこしたことはない、と思うよ。とりあえず、俺もついていく。デートの邪魔して悪いな、G」  そう軽口をたたきながら、呆れ顔でセリフィアを一瞥した。  カインは気を利かせてくれている。ラクリマもラクリマで、どうやってセリフィアを誘い直そうかと困っているみたいだ。それらがわかっても、Gは落ち込む自分を引っ張り上げることができずにいた。セリフィアを誘って断られると、ずどーんと落ち込んでしまう。以前ならがっかりするだけで済んだのだが、告白されてからはもうダメだ。「好き」ってきっと違う「好き」なんだとか、自分が勘違いしているに違いないとか、妄想がぐるぐる回って、拒絶されることへの恐れでいっぱいになって……。 (そうか、ここで怖がってるからいけないんだ。踏ん張らなきゃ……)  彼女は懸命に勇気を振り絞った。まずはカインに、 「カイン、ありがとう。でも、セリフィアさんは悪くないんだ」  そう言ってから、セリフィアに向き直って、一つ一つの言葉を丁寧に置くように頼んだ。 「セリフィアさん済まない。私のこと、まだ嫌いじゃなかったら、一緒に来てください。……おねがいします」  セリフィアは些かばつの悪い顔をして、 「…うん。わかった。えっと、俺…にぶいからさ。して欲しいことがあったらいつでもストレートに言ってくれると嬉しい。…ホントは一緒に行きたかったんだ」  甘ったれるな、と、カインは思ったが、口には出さなかった。こんなところで余計に揉めたくなかった。セリフィアはなおも喋っていた。 「Gのこと、嫌いになるわけない。大好きだから…どうするのが一番いいのかわからなかったんだ。ごめんね」  Gは顔を赤くしてセリフィアをじっと見ながら、 「…うん」  事が収まり、図書館へ向かう4人の後ろ姿を見送りながら、ヴァイオラは内心呆れていた。 (成長曲線が上向いているのはいいけど、これがそれなりに実力ある冒険者の会話かと思うと、泣けてくるよ、ホント……)  図書館は豪奢な大理石の列柱を前面にしつらえた建物で、入り口までは御影石の階段が20段ほどあった。それを登りきったところで、ラクリマは、 「ちょっと待っててくださいね、知り合いを呼んでみますから」 と、3人を踊り場の脇に待たせ、自分は入館受付らしき人物と話しだした。戻ってきて、司書見習いをしている孤児仲間のユダを呼んでもらったから、もう少し待ってほしいと告げた。 「うん」  孤児仲間ってことは、パシエンス修道院のひとかぁ、と思いながらGは肯いた。  少しして、ひょろりとした青年が現れた。青年はにこやかにラクリマのほうへ歩を進め、 「ラクリマ、久しぶりだね。会えて嬉しいよ」 「私も。元気でした、ユダ?」  二人は軽く抱き合って頬に接吻を交わした。ガラナークでは見られない挨拶の風景に、Gは(なんだか凄いなぁ。いいなぁ、ユダさん……)と、物欲しそうにその場を眺めた。  ラクリマはユダに皆を、皆にユダを紹介した。ユダは片眼鏡をちょっと上げて、人の好さそうな笑顔で「よろしくお願いします。僕でできることがあれば、おっしゃってください」と、申し出てくれた。 「開館してる時間を知りたいんだ」  Gがそう言うと、ユダは、開館は訓練道場が開くのと同じくらいであること、閉館時間は日没くらいであることを答えてくれた。ただ、閉まる前に中に入ってしまえば、日没を過ぎてもしばらくは館内にいられるだろうとのことだったので、訓練が終わったあとでも一件くらいなら調べものができそうだとGは思った。  入館料が10gpであることも聞いて、ラクリマがパシエンスの近況をいくらか報告してから、4人はユダと別れた。ラクリマの案内で屋台に行って、皆で焼きそばを買い食いした。 「図書館で何か調べるのか?」  食べ終わってセリフィアはGに尋ねた。Gは、ラルキアが使える魔術師呪文について自分も勉強したいのだと述べた。何日か、訓練の帰りに通うつもりであることも話した。 「俺も一緒に通っていいかな。調べたいことがあるんだ」  セリフィアにそう言われて、Gは喜んだ。一人で味気なく通うつもりだったのが、バラ色の図書館通いになりそうな予感がした。セリフィアの調べたいモノを尋ねると、「持たざる者」についてだと彼は答えた。自分の調べものを早めに終わらせてセリフィアさんの手伝いもできるといいな、と、Gは思いながら焼きそばを平らげた。  セリフィアも、踏ん張らなければ、と、切実に思っていた。ヴァイオラに「抱き枕じゃあるまいし」と非難されたのもこたえていたが、実際、自分はGに甘えてしまったと反省していた。彼女は、育ての母親がハイブ騒動の張本人とされるシルヴァ=ノースブラドであることまで明かしてくれた。それもこれも自分が情けなく落ち込んでいたからだ。  彼は、なぜこんなに自分が落ち込んでしまったのかを考えた。よりによって自分の父親が「持たざる者」であること、そのために周りのみんなを不幸な目に遭わせそうであること、そして何よりそれを食い止めるには父親を殺さなければならないのではないかということ、それらの事実が自分を追い込んでいるのだとわかって、 (ならば、親父を殺さずに解決する方法を見つければいいんだ)  そう考えた。だから調べたかった。何でもいい、欠片でもいいから手がかりとなるものが欲しかった。それに、と、彼は思った。(少しでも長くGと一緒にいたい) 「今日はパシエンスのほうに帰りたいんですけど、いいでしょうか?」  屋台から宿へ帰る段になって、ラクリマは皆の表情を伺うように尋ねた。 「構わないんじゃないか。送っていくよ」 と、答えるカインに、彼女は遠慮がちに聞いた。 「あの……きょうだいがいたことを院長様にお話ししようと思うんですけど、カインさんのお名前を出してしまってもいいですか?」 「ここまで来たら今さら気にしなくてもいい。喋っても構わないよ」  カインは気負いなく答えて寄越した。続けて、 「それと…できたらでいい。敬語はやめてくれると、嬉しい」  そう言って微笑んだ。 「敬語ですか……。わかりました。気をつけます」  ラクリマは神妙に答えた。まだ少し硬さがあった。  ヴァイオラはこの夕方、ロッツを連れてフォアジェ侯爵の屋敷を見に行った。どういう家をどのあたりに構えているかを見れば、その一家のだいたいの性格や傾向がわかるものだ。  フォアジェ邸は、貴族街の中心地近くではあるが、大通りから一本裏に入ったところにあった。高い塀で両側を囲まれた道は、幅は広くとも大通りのような華やかさはなく、自分たちの足音しか聞こえない侘びしさがあった。  それでも、思っていたよりはずっと大きな館だった。建物は両翼を広げたような二階建てで、前庭が広く取られている。が、最近はあまり手入れがされていないのかもしれない、ところどころに丈高な雑草が伸びていたり、塀の一部にひびが入っていたりしていた。  正門は固く閉じられており、最近開かれた形跡はなかった。屋敷の人間は、主に、正門脇の通用門から出入りしているようだった。門の前には警備兵の姿もなく、屋敷全体がひっそりとしている。ひとの気配がなくはないものの、広さの割に数が少ないのは歴然だった。 「………」 「姐さん、中に入りやすか?」 「いや、よしとこう」  ヴァイオラは踵を返した。  帰りしな、彼女はロッツに、フォアジェ邸の使用人たちについて情報を揃えてほしいと頼んだ。うまく外で知り合いになる機会を狙い、内部情報を仕入れるなり顔をつなぐなりしておけないかと考えたからだ。 「わかりやした。坊ちゃんに頼まれごとされてやすんで、その後になるかもしれやせんが、早速探りを入れてみやす」  ロッツは肯き、ヴァイオラの依頼を請け負った。  5月18日。  朝食の折りに、「青龍」亭に投宿していたガラナークの僧兵たちが旅支度をして出ていく光景を目にした。僧兵たちは一同に一瞥を寄越したものの、基本的には無視を決め込むことにしたらしかった。一同も、相手を無視し返してやった。  夕方、訓練を終えてからGとセリフィアは二人連れだって図書館へ出かけた。二人ともそれぞれ10gpを支払って入り、Gは今日はアイスストーム〔氷の嵐〕の有効な使い方について学習した。こうやって何日か通えば、ラルキアの使える呪文について、Gもひととおり把握できそうだった。  セリフィアは「持たざる者」の文献を探すのに時間を費やした。彼には、自分の検索方法がさして間違っていない自信があった。が、不思議とそれに関する文献は見つからなかった。  ラクリマは「青龍」亭に戻り、ベーディナの姿を認めると、そのそばに寄っていった。彼女は昨夜、パシエンスでサラから聞いて、ようやくベーディナの修道院が焼き討ちされたことを知ったのだった。悔やみの言葉を丁寧に述べてから、ラクリマは言った。 「私たちの力も微弱ではありますが、何かありましたらおっしゃってください。できることは何でもしますから」  ベーディナはこれに答えて、 「人生日々『戦い』だからね。これも試練だと諦めることにしたわよ」  そう言いながら、彼女に「諦めた」様子は全くなかった。 「一時の感情で、皆を巻き込むところだったのは反省してるわ。あんたの気持ちも嬉しいけど、気にするのはよして。同情はまっぴらだし、深く関わって迷惑も掛けたくないから」  あの後、仲間と話し合ったのだろうか、日数が経ったこともあり、とりあえず落ち着いているように見えた。彼女はなおも言葉を続けた。 「『力』は自己の鍛錬に向けるものだろう。外に対して誇示したらお終いだよ。そんなこともわからないようだと、ガラナークも終わりだね。ま、『力』に頼るものは、より大きな『力』によって滅ぼされるものだけれどね」  彼女の最後の言葉には、(その『力』の一端はいずれ自分が……)とでもいうような、強い意志が漲っていた。  ラクリマはその強靱さに圧されるように、「ご、ごめんなさい、差し出口を」と言いながらその場を離れようとした。と、うっかりボーンゴーレムのゴンルマールにぶつかって、 「きゃっ。あっ、ごめんなさい!」  深々と頭をさげて謝ったものの、返答は当然なかった。ラクリマは「……この方もお話しなさらないんですね」と、至極残念そうに呟いて背を向けた。 「さすがに私のにはそんな機能はついていませんよ。本当は、喋らないゴーレムのほうが多いんですけどねぇ」  立ち去るラクリマの後ろ姿に向けて、魔術師のバルジは悲しそうにひとりごちた。  夜、ロッツがファザードについての情報を持って戻ってきた。ジェラルディンを助け、なおかつ彼女にハイブを運ばせていたと思われる冒険者だ。  名前は、ファザード=レフフック。男。フィルシムにて冒険者登録をしており、六人組の冒険者のリーダーと目される。実力は、現在の自分たちと同等かそれより上だが、情報のあった時点では騎士レベルには達していなかったらしい。行動範囲はフィルシム国内全土を網羅し、カノカンナにも足を伸ばしていることが確認されている。現在の足取りは不明で、近々行方不明冒険者リストに名を連ねるかもしれないとのことだった。  肝心の、メンバーの名前と職業は全く不明だった。 「あまりお役に立てませんで、すいやせん。多分盗賊かだれかが足取りを消しているようで」  報告はそれで終わった。  5月19日。  夕方、ロッツがまた新たな情報をもたらした。異端審問団は、どうやら昨日で帰国したらしかった。その旅支度だったか、と、ヴァイオラは思った。  そのあとで、ロッツはカインのそばに寄り、 「エフルレスとケヴィッツですが、貴族が逗留する『パレス』亭に宿泊していやした。ここはガードが堅くてどの部屋かまではわかりやせんでしたが……やっちまうんですか、坊ちゃん?」  カインはさすがに「まだ早いって」と苦笑を返したが、 「でも助かったよ、ありがとう。別件のほうもよろしく頼む」 と、丁寧に礼を述べた。その「別件」であるファラとディードリッヒの情報は、もう少しかかるとのことだった。  毎日、図書館の行き帰りが楽しみだった。恋人たちは毎日、そのひとときを楽しんだ。  Gは思い切ってセリフィアに尋ねてみた。 「もしイヤでなかったら、セリフィアさんの誕生日、教えていただけませんか? …お祝いしたいから」 「俺は12月10日だよ。お祝いかぁ。そうだなぁ。今年がGと一緒に迎える一回目の誕生日になるんだね」  セリフィアは笑顔で答えた。それから、ちょっと真面目な面持ちになって、 「俺もGのこといろいろ知りたいな。もっともっとお互いのことをわかり合えたら…すごく嬉しいし。ただGと話をするだけでも楽しいし」  それだけ言ってから、付け足すように、「言いたくないことは言わなくてもいいからさ」 「…うん」  Gはほんのり頬を染め、うつむいたあとでセリフィアを見上げた。「私も嬉しい」というようなことをモゴモゴと口の中で言ってから、 「…なんだか私は、知ってると思うけど上手に話ができないから、その…知りたいことは聞いて欲しいんだ。も、もし一緒にいるなら、好きなことと嫌いなことくらい知ってたほうがいいと思うし」  それから朗らかな笑顔を彼に向けた。 「とりあえず誕生日プレゼント、何がいい? 成人のお祝いだから無理めのモノでもなんでもいいぞっ」  セリフィアはGを見つめたまま、 「Gの眼の色をしたものがいいかな。大好きなんだ。それをずっと身につけていられたらうれしいな」  こちらも笑顔を出し惜しみせず、明るく答えた。  それからずっと、図書館の行き帰りには二人でいろんなことを喋った。セリフィアは、自分の好き嫌いや、今考えていることなどを話してから、必ず最後に、 「Gはどんな食べものが好き?」 「Gはどんな色が好き?」 「Gはどんなのが嫌い?」 「Gはどう思う?」 などと、Gの言葉を求めた。  残る数日間で、二人はお互いに、互いのことをようやく知り合ったようだった。 「せっかく追い払ったのに、浮かない顔だな」  館の一室で、トーラファンは目の前の男を見て言った。 「そんなことはないだろう。素直に喜んでいるとも」  パシエンス修道院院長、クレマンは杯に手を伸ばした。口を湿して、「まずまずの首尾だった」と述べた。  数日前、二人はフィルシム神殿のロウニリス大司祭代理に、ガラナークからの異端審問団を追い払うための相談を仕掛けた。そして次のような策を取った。  すなわち、ガラナーク王国トップ5の騎士であるマーク=コーウェンことマコちゃんの協力を仰ぎ、彼(彼女)経由で異端審問官が一定の成果を上げたことをアピールしてもらった。それに対するフィルシム側の謝礼として食糧を提供したあとで(現在、ガラナークが喉から手が出るほど欲しがっているのは金ではなく食糧である)、ここで帰っていただくように要請した。もちろん、その折りには「フィルシム神殿としても異端審問に力を入れてゆく」こと、「現に異端の排除や正教の布教をフィルシム神殿として行っている」ことを強調し、その証人としてマーク=コーウェンに「事実、そうだった」と口添えしてもらった。  さらに、もしここまでして審問団がまだ帰らないというのであれば、審問官たちが何かしらの事故に巻き込まれる可能性もあることをやんわり示唆した。実際には、マコちゃんの口から「フィルシムは危険がいっぱいだからぁ、もう戻ったほうがいいと思うの。今後も滞在し続けるのは、ちょっと危険が多いかしらね〜」と言ってもらったわけだが、通信用の鏡にはマコちゃんしか映らなかったものの、さすがにガラナーク神殿もその背後の存在を感じ、何かしらの圧力を受けたことだろう。  そして、策は功を奏し、審問団は昨日中に帰国の途についたというわけだった。 「それにしても」  クレマンは杯を置いた。 「彼の地に正教の神殿が根付いてすでに150年あまりだ。その間に少しは寛容さを育んでもよさそうなものだが、その点、まるで長じたようすが見られないとは一体どういうことか」  トーラファンは笑った。ガラナークを庇うつもりはなかったが、ふざけて、「時が悪すぎるんじゃないか」と口にした。  悪い時世だから、と、クレマンは呟いたようだった。 (災厄の世に人びとを安んじてこその宗教ではないのか) 「それで怒っているのか?」  他の者が見れば、クレマンは常と変わりないようにしか見受けられなかったが、トーラファンはそう言って話を蒸し返した。 「怒ってなどいない。残念なだけだ」 「じゃあ何を怒ってるんだ?」 「………」 「ライニスの件か」  トーラファンは言いながら、黙り込んでしまった相方の杯に酒を注いでやった。ラクリマが一昨日の晩に帰ってきてアンプール家の話をしたことを、彼も聞き知っていた。ここまで育てた娘を、その家が脇から摘み取っていくかもしれないという話も。 「今の領主は、ルルレイン=アンプールとかいうんだったかな」 「知っているのか?」 「いや、そっちはあまりよく知らん。母親のほうはまぁ、そこそこ覚えているが」  トーラファンは、先代のライニス領主ナルレイン=アンプールについて語った。28年前、ショートランド暦432年のとある事件でガラナーク王家がほぼ壊滅したのち、即位した前ガラナーク国王ヴィンデーミアートリクスを盛り立てるために元老院入りした、腕のいい政治屋だったと、ざっと説明した。 「元老院ということは、そのときには今の領主が跡を継いでいたのか」  通常、ガラナークの元老院に入ることができるのは、領主を引退した人間である。だが、トーラファンは「いや」と首を横に振った。 「領主在任中だったな、確か。人手不足だったんだろう」  それから、激務が祟って早死にしたはずだ、と付け加えた。 「ルルレインもナルレインも女性か」 「あそこは女系だからな。現在の領主が跡を継いだのは16…いや、17年前だったか? 母親であるナルレインが亡くなってからだ。娘のほうはその直前に冒険者まがいのことをしていたらしいから、彼女がクロムにサンプルを取られたのはそのころのことだったんだろうな」  トーラファンの台詞に、クレマンはわずかながら顔をしかめた。トーラファンはそれをいささか揶揄するように尋ねた。 「どうなるのか心配か? だが結局のところ、お前は神の采配を信じているのだろ?」 「私は神を信じている。……それでも、この世に運命の悪意のようなものが存在することも身に染みて知ってるんでね」  そう言って、彼は杯を空けた。  5月20日。  訓練が終わって、夕方、ラクリマは今晩もう一度パシエンスに帰りたい旨を周りに告げた。  彼女は、カモミールの開花状況を知りたかった。きっと明後日ごろから3〜4日かけて採集にかかるだろう。一日だけでいい、その手伝いをしたい。フィルシムにいながら最近は自分のことにかまけて、全然役に立っていない。せめてそのくらいは貢献したかった。  と、カインが、 「どうしても戻りたいなら皆で行こう。遠慮なんて今さらな間柄だろ?」  彼はラクリマには決して単独行動させないつもりでいた。ラクリマとしても別に独りになりたいわけではなかったのだが、 「えっ。ど……どうしてもってわけじゃ……」  やはりここで修道院に帰るのは「わがまま」なんだろうかと逡巡していると、Gが、 「カインだけじゃ心配だから、この間助けてくれた奴らにも頼んだらどうだ? 奴ら、人が好さそうだし、何より『人脈をひろげる』って、イイことだろう?」  ラクリマは仰天して小さく叫んだ。 「とっ、とんでもありません! そんな、わざわざ……!」  自分がトーラファンの館へ帰るだけで、そんな大仰なことになるとは思わなかった。たかだか市内を移動するだけで、ベーディナたちまで巻き込むわけにはいかないと思い、 「………あの、ごめんなさい。パシエンスはやめて、宿に戻ります」  ラクリマは笑顔を作りながら断った。それを聞いて、Gはしょんぼりした。 (そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……)  カインも(おや)と思ったが、しばらくは黙って歩いた。  そのうちに、ラクリマがロッツに「もしもパシエンスを通りがかることがあったら、いつカモミールを採り入れるのか聞いていただけますか」とお願いするのが聞こえてきた。わざわざ足を運ぶ必要はなくて、飽くまで「ついでがあれば」ということを強調していたが、例のカモミール畑の採り入れをできることなら手伝いたいのだろう。そう判断して、カインはラクリマの横に並ぶとまた口を開いた。 「……俺も気を張りすぎていたようだ。ラクリマ相手にさっきみたいな言い方はよくなかったな、すまない」  ラクリマが「え?」というように自分を見上げるのが見えた。カインは微笑んで、 「修道院の手伝いをしたいんだろ? 一日くらいなら構わないと思うし、世話になった人たちに恩返しがしたいと思うのは人として当然のことだし、俺も手伝いたいと思っていたんだからそんなに恐縮しないでくれ」  カインにずばり指摘されて、ラクリマは戸惑った。 (どうして全部わかっちゃうんだろう。それに、こんなに気を遣われるなんて……)  カインはさらに喋った。 「ただ、Gとセリフィアがデートで忙しそうだから、あの人たちについてきてもらえれば安心できるな、というのは俺も思う。それに幸せそうなサラさんを見れば、ベーディナさんもデパートさんとの結婚を真面目に考えるんじゃないか、なんてことも思うし。実際、『異端審問』なんて面倒があった矢先だから、こっちの都合だけじゃなしにサラさんにとってもベーディナさんにとってもいい気分転換にはなるんじゃないか?」  ラクリマはまだ戸惑っていたが、まずは感謝を、と、笑顔を作った。 「カモミールの花の採り入れ時だと思うんです。1日なら、畑に行っても大丈夫でしょうか」 と、カインに向かって尋ねるように言った。それからふっと表情をゆるめ、 「……そうですね、皆さんにも咲いているところを見せたい。とてもきれいで香りがいいから。手伝いはいいから、見に来ませんかって、ベーディナさんを誘ってみましょうか」  話しているうちにだんだん自然な笑顔に戻ったようだった。 「でも、デパートさんって……?」ラクリマは首を傾げて、「ティバートさんのことですか?」  しまった、「ティバート」だったか、と、カインが胸中で名前を修正していると、なおも彼女の声が聞こえた。困惑気味に、 「あら? でもベーディナさんって、ヴォーリィさんとつきあってませんでした? つきあってる相手がヴォーリィさんで、結婚する相手はティバートさん………?」 「……そうだったか!? なら俺の勘違いだな、何せあの時は……」  カインはちょっと口篭もったが、 「でも、それはいい考えだ。一緒に行って誘ってみようか?」 と、一瞬の沈黙を吹き飛ばして明るく言った。  ラクリマは宿に戻ると早速、カインと一緒にベーディナを誘うことにした。まだはっきりした日程はわからないが、先日の様子からして22日頃ではないかと彼女は見当をつけていた。一応、彼らのリーダーであるティバートがそばにいるときを選んで、ベーディナに話しかけた。異端審問団は引き上げたがその余波がないとも限らないし、最近はいろいろ物騒なので往復を護衛してもらえないでしょうかと尋ねたあとで、 「それに花が満開でいい眺めだと思うんです。気晴らしに見にいらっしゃいませんか?」  報酬は佳い眺めとお弁当くらいですけど、と、ラクリマは遠慮がちに付け足した。 「それ、いいわね。乗った!」  ベーディナは即座に声をあげた。 「訓練を休むことになるぞ」 と、ティバートが口を挟むと、 「あら、みんなで行くのよ、当たり前じゃない」 「またまた、勝手に決めて……」  そこにバルジが一言、 「まあ、良いではないですか、急ぐ旅でもなし、せっかくのお誘いだし」  ティバートは一瞬、考えるようにしてから、 「…それもそうだな。では、ご一緒させて貰おうか」  ラクリマは礼を言って彼らから離れた。皆の元に戻り、その件を話したところ、ヴァイオラもロッツも一緒に来てくれることになった。ヴァイオラは手伝うよりもむしろ、酒を持って、花見の宴としゃれ込むつもりだった。楽しそうなラクリマたちを見て、Gは悔しがった。 (ああ〜、戦闘技能訓練、さぼらなきゃよかったなぁ……)  彼女がとても残念そうにしているのを見て、ラクリマは「花は来年も咲きますよ。来年、見に来てくれたら、私が案内しますから」と、慰めた。  この晩、カインは外泊した。  手土産に花の香りの香水を持って、行きつけの店で、なじみの娘の部屋で過ごした。  何気なく、近頃の情勢などを聞き出した。巷では何が話題の中心となっているかを知りたかったのだ。獣人たちや国家間の動きは無理としても、ユートピア教の動向や、近ごろ耳に囁かれる噂話を、何なりと仕入れたかった。娘は寝物語に語った。 「最近は食糧も高騰して生活も楽じゃないわ。治安も悪くなるし、変な客は増えるし。ユートピア教だっけ? あんな変なのも流行るし。楽じゃないわ」  カインは丁寧に彼女の愚痴を聞いてやった。いろいろある中で、彼女の一番の関心は食糧の高騰にあるようだった。それは彼女に限らず、だれもが一番気にしていることなのだろう。  他にはハイブがどこそこで出現したであるとか、カノカンナとも戦いが始まるらしいといったようなことを聞くことができた。  明けて、5月21日。  宿に戻ったカインを、ロッツが待っていた。彼は申し訳なさそうな顔で、報告した。 「残念ながら、お二人とも行方知れずでやんす。ハイブ討伐隊が倒したハイブの中には、該当者はいなかったようでやんすが……あんまり当てにはなりやせん」  そうか、と、カインは相づちを打った。 「地下遺品ルートに該当する遺品は出ておりやせんでした。役立たずで申し訳ありやせん」  カインは「そんなことはないよ、ありがとう」とロッツを労った。  ヴァイオラもこの朝、ロッツから報告を受けていた。  フィルシムにあるフォアジェ邸の管理を任されているのは、ワリズ=ミブルックという初老の男だと、彼は報告した。寡黙だが執務に忠実で信頼できる人物という評判らしい。 「あと、二人、家族がおりやすね」  ロッツはその二人についても述べた。妻のベーシェ=ミブルックは、やはり初老で、いっときは料理上手の評判をものしていたが、最近は腕を振るう機会がなく、評判も忘れられがちとのことだった。二人にはズーリンという名で17歳の一人娘がいるが、内向的な性格でほとんど表には出てこない。どちらかといえば美人ではない、と、言ったあとで、ロッツは「二人の実の子ではないという話もありやす」と告げて、報告を終わらせた。 「ありがと」  ヴァイオラは礼を言ってから、どこから切り崩そうか思案を始めた。その脇で、ロッツがラクリマに、「お嬢、採り入れは22日から始めるそうでやんす」と告げたのも耳に挟んだ。  ラクリマは「じゃあ私たちは23日に」と、その場で手伝いにいく日取りを決め、ベーディナにも改めて頼みに行った。  5月22日。  ラクリマは夕方からパシエンス修道院、もといトーラファン邸へ帰っていった。今晩から明日の朝にかけて、お弁当を作る手伝いをしなければならない。先日の検分は大人だけだったので何も用意しなかったが、今度の取り入れは子どもも動員するので、せめて報酬として楽しいお弁当を作ってあげるのだということだった。 (ティバートさんたちの中には特にたくさん食べるひとはいらっしゃらなかったけど……)  彼女はそれでも念のために5人分くらい、弁当を多めに用意した。日持ちのいいものを含めて、余っても翌日に持ち越せるように気を配った。  5月23日。  朝から大勢で台車を押しつつ、郊外への道を歩いた。  一行は道の片側が下り斜面になっているところに差しかかった。木のないところは斜面だけに日当たり良く、草や花や低木の面々が競って自分の根を拡げようとしている。  先日通ったときには何もなかったと思うのだが、今日は、木イチゴだろうか、赤い実がちらほら見えて、子どもたちが取って食べようと脱線するのを連れ戻すにも手間がかかった。もう少しすれば、木イチゴの季節なのだという。絨緞のようとは行かないが、ここらの斜面やもっと奥の木々の狭間にも、赤い実がこぼれんばかりに生るらしかった。  もう一方の側は、やや盛り上がったところから林が始まっており、黄土色の枯葉が降り積もったままになっているその間から、花々が顔をのぞかせていて美しかった。数が多いのはうす紫のタチツボスミレ、それからところどころに群れて咲く白いハナニラ、ぱっと目を引く青いルリカラクサ、もしかすると修道院の畑から種が飛んできたのかもしれないと思う黄色いマリゴールドや白いカモミール、やや時期尚早ながらも時々見かけるホタルブクロに紅紫のヤマツツジ、気高い野草のノカンゾウなど、数え上げればきりがない。  道とそれらの林や斜面との境界では、カラスノエンドウがやわらかい緑のさやをつけ、エノコログサがふわふわと揺れる。いずれも子どもらの格好の遊び道具となっていた。  子どもに花の名前を教えたり、林の中に入っていこうとするのを叱って引き戻したり、あるいはめいめいにお喋りしたりしながら、一行は無事に畑に到着した。  白い、白い花が一面に咲き誇って、風に揺れながら全員を歓迎した。  一つ一つは小さな、目立たぬ花でも、これだけの広さで咲き誇るのを見るのは圧巻だった。 「何だか久しぶりだわ、土いじりをするのも」  ベーディナがぽろりと口にした。 「え!? 真面目に土いじりなんかしてたんだ」 と、ティバートが驚いたように言えば、ヴォーリィも、 「おおかた、サボっていたクチじゃないのかな」 「うっさいわね。ほらテキパキやるわよ」  バルジも笑って言った。 「どうやら図星だったみたいですね」  一面に広がるカモミール畑を見たベーディナの表情に、一瞬、ほんの一瞬だけ翳りが見えた。気づいた者もいたようだが、だれも何も言わなかった。その後は何事もなく、皆、テキパキと仕事をこなした。  ラクリマはまさか彼らが畑仕事まで手伝ってくれるとは思わなかったので、恐縮半分、残りは感謝の気持ちでいっぱいだった。大人6人もの手が加わると、作業は格段にはかどった。昨日も手を付けているとはいえ、午前中だけで作付面積の半分以上が収穫を終えていた。  昼時になり、それぞれ適当な場所で車座になりながら、ラクリマたちの用意したお弁当を使った。今回はどのおかずも失敗がなかったし、心地よい風景と、爽やかな風と、幾ばくかのワインで喉を湿しながら、皆、美味しい昼食をいただいた。 「このキャベツの酢漬け? これが、旨いなぁ。ぴりっとしてる」  ヴォーリィが声をあげたので、ラクリマは少し離れたところから「甘酢にちょっと鷹の爪を入れてあるんですよ」と教えた。 「へぇ……。お前も、これぐらいちゃんとした食事を作れればなぁ、今ごろはこんなやくざな商売をやめられたのにな」  ヴォーリィはベーディナにチーズを取ってやりながら言った。 「いちいち煩いわねぇ。人には向き不向きっていうのがあるの。私は嫌い。だからやらない」  隣でティバートが笑った。 「一回だけ食べたことがあるが、ホントにすごかったからな、ベーディナの料理は。保存食をあそこまで……グハッ」  ベーディナの拳がティバートにヒットして、彼はげほごほと咳き込んだ。ベーディナは澄ました顔でチーズをはさんだパンをぱくつきながら、 「料理はヴォーリィの担当でしょ。大体あんたはそれぐらいしか能がないんだから」  和やかに食事は終わり、ここで子どもたちはお役ごめんになった。その辺で遊ぶ子どもらを横目に、大人たちは午後も少し労働をした。  ほどなく、ヴァイオラ持参の酒に最初から目を付けていたのだろう、ヴォーリィらは彼女とともに酒盛りを始めた。まだ夕方というには早い時間だったが、どのみち畑仕事も今日はあがってよさそうな時分だった。  ラクリマは休耕地を見回って、野バラの蔓延り方を検分したり、野生の桑の木を見て、いつごろが実の採り入れどきかを子どもらに教えたりした。子どもたちは桑の実でジャムを作るのを、毎年楽しみにしているのだ。ほかに、畑と林の境の地味を調べ、耕地を増やしたいがこれ以上の人手は割けないだろうなぁ、などといった考えに耽ったりもした。  ひととおり見回って戻ってくると、ヴォーリィやバルジ、ズヴァールらはヴァイオラとともにすっかり酒盛りモードに入っていた。修道院の面々は手早く帰り支度を始めていた。  ラクリマはベーディナたちのところへ近づいて、丁寧に礼を述べた。本当に、畑まで手伝ってもらう予定ではなかったのだ。おかげでいつもなら4日はかかるところを、昨日、今日、明日の3日間で作業が終わってしまいそうだった。彼女は心からの感謝を表して言った。 「皆さんのおかげで明日には終わりそうです」  ティバートは、 「いや、こちらこそいい休養になったよ。ありがとう」  そう言ったあとでヴォーリィやバルジを見て、 「まだ飲み足りないだろうから続きは宿に戻ってからだな」 と言って、撤収の号令をかけた。  帰途も何事もなく、修道院の人びとをトーラファン邸に送り届け、自分たちも宿に戻った。  5月24日。  いつものように戦闘技能の訓練のあとで、Gとセリフィアは図書館へ赴いた。Gはこの日、調べたいと思っていたことを全部調べ終わった。ちょっと寂しいような気がして、セリフィアに「調べもの、手伝いますよ」と声をかけたが、セリフィアもこれ以上は必要がないことを彼女に告げた。  彼は、「持たざる者」に関する資料は意図的に削除されていることに気づいたのだった。不自然なほどに何もないのだ。おそらくただの司書に聞いても、わからないとしか答えが返ってこないだろう。館長クラスならあるいは何か知っているかもしれない……。だが、そんな伝手はなかった。  二人は、図書館通いもこれで最後かな、と、思いながら、ゆっくり、ゆっくりと宿への道のりを歩いた。Gは、どんどんセリフィアを好きになっていく自分に誇りを感じながら、セリフィアは、Gと一緒にいるだけで良い人間になれる自分に驚きながら、「セリフィアさん大好きだ」「ずっとGのそばにいる」とお互いの気持ちを確かめ合い、胸を張って宿へ帰っていった。図書館の調べものよりも、行き帰りの会話こそが彼らにとっていちばん得難い、大切な宝となっていた。