■間奏曲第11■「奇跡の準備」■  4月26日、昼。  Gとセリフィアは近くの森へピクニックに出かけた。  歩きながら、セリフィアは妙に落ち着かない様子だった。Gの顔を見て突然赤くなったり、始終そわそわとしていた。GはGで、 (ラクリマさんがいなくていいのかな。セリフィアさん、物足りなくないかな) と、何度も確めるように彼の顔色を伺った。  あたりは春たけなわだった。地面の黒を割るように赤い小花が六枚の花弁を大らかに開き、日当たりのいい場所には白爪草が緑と白の絨緞を広げている。ハルジョオンやヒメジョオンはところ構わずに伸び、かしこにたんぽぽの黄色い頭や綿毛が見えた。  なんと花々にあふれたぜいたくな土地だろう。足下の草を踏むのさえ憚られる。 (セリフィアさんも嬉しいかな。花が好きだって言ってたから)  そう思ってセリフィアを見た。ぱっと目が合った瞬間、また彼が顔を赤くした。 (私とジルウィンさんとダブってるのかな?)  さすがにそれは聞けなかった。ジルウィン---彼女の行動は、Gには許せなかった。あの工房の夜、友だちを、リズィを置き去りにしたことがどうしても……。自分はあいつとは違う、だからもうジルウィンのことは考えないことにしようと、Gはただ歩いた。日差しが気持ちよくて、そのうち自然に気にならないようになった。  小さな草っ原に出た。花と気づかぬくらい小さな白い花をつけ、膝下まで伸びた若緑の草が---はこべという名はあとで教えてもらった---元気良く一帯に蔓延っていた。それらを敷物代わりに倒して座り、弁当を広げた。食べ終わって、フォークや何かをバスケットにしまおうとしていたところ、セリフィアが意を決したように、話しかけてきた。 「聞いてもらいたいことがあるんだ」  心持ち、緊張しているようだ。 「え? うん、私でいいなら聞きますよ」  Gはにこーっと笑った。(なんか私にも話してもらえるんだ)と思って、嬉しかったのだ。 「前々からずっと言いたかったんだけど……」と、セリフィアは話しだした。 「えっと、その、俺……Gのことが好きなんだ。他のだれよりも」  彼はただ必死で喋っていく。 「ずっとそのことを伝えたくて、なんとか振り向いてほしくて、いろいろ考えたり、自分なりに何かしようとしてたんだけど、俺こんなだから全然駄目で……。でもどうしても気持ちを抑えることができなくて……。Gにしてみれば突然だし、迷惑かもしれないけど、どうしても聞いてもらいたかったんだ」  言い終えて、セリフィアは顔を少し下げた。それから大きく息を吐いた。自分の手が緊張のあまり震えているのにも気づかず、無意識のうちにそれを抑えようと両手をギュッと握り締めたままでいる。  少しして、彼はようやく面をあげ、恐る恐るGの様子をうかがった。  そのGは、目が点になっていた。あまりのことについ手を離れてしまったのだろう、しまいかけていたバスケットは地に転がって、中身は草の上に散乱していた。  彼が何を言ったかはわかっていた。でも、だから、わけがわからない。  ふっと、セリフィアと目が合った。一言。 「……なんでどこが?」 「何でって言われてもなぁ……」  セリフィアは必死で答えた。握った両手がじっとり汗ばむ。 「短い間にいろいろあって、考えることもたくさんあって、何かに押しつぶされそうになって……そんなとき、いつも浮かぶのはGの笑顔と歌声だったんだ。気がついたらGがいない風景を思い浮かべることができなくなっていたというか……」  必死の弁明を聞く間に、Gの口はみるみる山なりに曲がって、 「…おそぉーいっ……遅いですよ、セリフィアさぁん…」  ぼろぼろと泣き出した。  セリフィアは狼狽した。どうしていいかわからず、いや、どうしようもなくて、 「ごめん…。もっと早く言いたかったんだけど。……泣かないで」  咄嗟にバスケットにあったナプキンで、彼女の涙を拭いた。そのまま素直に拭かれながら、Gは、 「……セリフィアさん」  セリフィアをじっと見上げて、真剣な瞳で尋ねた。 「『つがい』のことがあるから……言ってくれるんですか?」  『つがい』のこと---『つがい』とは、鷹族の成人の儀式において成り立つものだ。先だってダーネル工房で剣奴ダルフェリルの追体験をしたセリフィアには、その知識があった。ダルフェリルは鷹族のジルウィンと『つがい』の儀式を行い、お互いにすべてを受け容れあった。それだけならただの「一風変わった契約の儀式」で済むかもしれないが、そうは済まされない。なぜなら、成人した鷹族でこの儀式を行わなかったり儀式に失敗したりした者は、皆、消滅してしまうから。 「……『つがい』のことも知っている」  セリフィアは答えた。彼も真剣だった。 「けど、そういうの関係なくてGだから……俺が好きなのはGだから、その気持ちを伝えたいと思ったんだ」  『つがい』のことを知って、同情から言い出したのではないと、セリフィアはGにどうしても伝えたかった。そしてそれは上手く伝わったようだ。Gの表情がぱっと明るくなった。 「じゃあ、じゃあっ…『つがい』は『関係ない』んですね! やだなぁ、私、勘違いしてしまったみたいです。セリフィアさんに好きって言ってもらえて嬉しいです。私もセリフィアさんが一番好き」  Gは笑顔で答えてくれた。セリフィアは全身が浮きたつように思った。だが、 「セリフィアさんっ…そのっ…そういうつもりはないだろうと思うんだが……その…いや。…セリフィアさんはもうしばらく私のこと、好きかな?」  もうしばらく、と、聞いて、セリフィアの気持ちは少し沈んだ。ずっと、と、言ってもらえないのが、「期限付き」という札を突き付けられたようで悲しかった。  だが、今の自分には何もできないから。  彼はそっとGを抱きしめた。 「しばらくなんて言わない。ずっとずっと、Gが好き」  おろおろと、Gは行き場のない手を空にさまよわせていたが、「…うん、わっ、わかった」と、ようやく返事した。彼女の白い肌は、頭からつま先まで真っ赤一色だった。  セリフィアはそんな彼女を見て、にっこり微笑んだ。Gの、紅玉のような瞳をしっかり目に捕らえたまま、もう一回繰り返した。 「ずっとずっとGが好き」  Gはぽーっとなった。目の前の青年を見ながら、一瞬、唇が震えたようだったが、何も言わずにこくりと頷いた。それを見ていたセリフィアは、全身から力が抜けていくのを感じた。 「はぁ〜、よかったぁ。ダメだったらどうしようかとおもったぁ。緊張したぁ。ほら、見て。手がまだ震えてる」  ほっとした表情で、無邪気に笑いながら彼は震える手を見せた。Gはきょとんとして、「……だ、だめって何が?」  それからセリフィアの手を見て、 「わ、おもしろいっ! ケンショウエンっていうの見たときもそんなだったぞ!」  叫ぶなり、わっはっはと明るく笑った。 「あ、いけない、弁当箱、ぶちまけたんだった〜」 と、気づいて、草の上に散らしてしまったバスケットの中身を拾いだした。セリフィアもそれを手伝いながら、にっと笑って言った。 「まだ時間あるし、せっかく二人きりなんだからもうちょっと一緒に遊んでいこう」  Gもにぱっと笑ってみせた。わくわくしながら聞き返した。 「うん、遊ぼう、何して遊ぶ?」  明日は出発で朝が早いということも忘れて、二人は日が暮れるまで遊んだ。二人を取り巻く木々も草も花も風も光も、すべて春めいていた。  やがて鳥がねぐらに帰るころ、セリフィアはGに手を差し出して、手をつないで帰ろうと言った。Gは照れながら「うん」と返事して、彼の大きな手をしっかり握って歩き出した。セロ村まで、彼らの住まいまで、仲良く仲良く、にこにこしながら帰っていった。  二人が手をつないでいるのを見て、仲間のだれもが事情を察した。注目を浴びながら、それすらセリフィアにはちっとも気にならなかった。やっと「やりたかったこと」をやり遂げたという思いでいっぱいだったのだ。  ヴァイオラは、ことさら何も言わなかったが、屋根裏に上がっていく後ろ姿にぽつりと呟いた。 「ギシギシも近いかな……」  4月27日、早朝。  Gはいつもより少し早めに起き出した。簡単に身支度を済ませて、他の人間を起こさないよう気をつけながら家を出た。家から少し離れた、広場への道寄りの空き地でラクリマを待った。ラクリマはいつもこのくらいの時間に、朝の祈りをあげるために神殿へ行くのを慣わしとしていた。  やがて玄関の戸が開く音がして、ラクリマが出てきたようだった。彼女はこちらへ向かって歩きながら、ほどなくGに気づいて「おはようございます」と声を掛けてきた。  Gは、待っていたとばかりにラクリマの間近に寄って、 「…ラクリマさん、おはよう。あの、考えてたんだけど、聞きたいことがあるんだ」 と、言った。ラクリマは立ち止まって小首を傾げた。 「償えない罪ってあるのかな? 罪って償ったら消えるのかな? 記憶からも消えてなくなるかな?」  Gはいつもに似合わぬ小声で、ぼそぼそと辺りを憚るように尋ねた。 「償えぬ罪はありません」  ラクリマは静かにゆっくりと言ったあとで、(急にどうしたんだろう)というように、Gの顔をじっと視た。  Gの表情は、なかった。辛そうでも悲しそうでもなく、のっぺりとした感じで、普段の表情豊かな彼女とはかけ離れた、ある種の違和感があった。Gは無表情のまま、再び口を開いた。 「…償いって、何をすればいいの?」  ラクリマは黙り込んだ。事情も何もわからず、何と答えればいいか迷ったが、やがて言った。 「義(ただ)しいこと、なすべきことを積み重ね、必要なときに赦しを乞うこと……だと思います……」  一体どうしたんだろう……。ラクリマはGに対する好奇心でいっぱいになりつつあった。だがそれでも、彼女はあえて何も聞かないことを選んだ。彼女はただ、Gを見つめただけだった。  それまでじっと聞いていたGは目を閉じて、また開いた。 「…そうか、じゃあダメだ」  Gはにこーっと微笑んだ。  何が「ダメ」なんだろう……。その瞬間、ラクリマは哀しいと思ったようだった。  だから、Gが「ラクリマさん大好き」と言いながら彼女のほうを見たときには、相手はもうはや大粒の涙を目に溜めていた。  Gは慌ててバッと一冊の本を取り出し、ばんばんと開いた頁を叩いてみせた。 「あのな、この本にそういう話が出てくるんだけど、私はそういうのさっぱりわからなくて! だからラクリマさんに聞こうと思ったんだ、ありがとう!」  また、ばんっ、と閉じて鞄にしまった。  ラクリマは、 「そ、そうだっ……です、か」 と、答えて、顔を覆って泣きだした。Gの言うことを疑うわけではないが、いったん哀しいと思ってしまったら涙を止めるのは難しかった。彼女は「ごめんなさい」と、まるで泣いていることを謝るかのように呟いた。Gは思った。 (泣かせちゃった……今日はカインを殴れないなぁ……)  それから、 「ラクリマさんが泣いてるトコ、ホントはキライじゃない。綺麗だし……」  ラクリマがちょっと顔をあげたのが見えた。Gは続きを飲み込んで、 「神殿に行くところだったんだろ? 呼びとめてゴメン」 と、にこっと微笑んで、まるでその場から逃げるように、すたこら川へ歩いていった。ちらりと振り返ったとき、ラクリマが神殿に向かいだしたのが見えた。歩きながら、まだ泣いているようだった。  川に着いて、水浴びをしたあと、食事の時間まで歌って過ごした。  もしも……もしも、償うことができるなら、何か方法があって過去を、過去の記憶を消し去ることができるのなら、そのためにここを離れようかと彼女は思っていた。もちろん戻ってはくるつもりだったけれど、もしも過去の記憶を、過ちを、なくすることができるなら、それを一番優先させたかったのだ。  でもそれはやっぱり無理みたいだ、と、Gは思った。  だから『つがい』の儀式も無理みたいだ、とも。