[shortland VIII-interlude-00] ■間奏曲第〇■「君の名は」■  レスタトがまだ自分のショックから立ち直れないでいたので、一同は部屋にあがらずに、「森の女神」亭の一階で何をするともなく過ごしていた。 「そういえば」 と、思いついたようにラクリマが口を開いた。 「セリフィアさんって、ファーストネームは何ておっしゃるんですか?」  彼女は「セリフィア」を彼のミドルネームだと思っていた。できればファーストネームを教えてほしいと思い、尋ねたのだが、当のセリフィアは声を震わせて答えた。 「……セリフィアがファーストネームじゃいけませんかっ!」  ラクリマに悪意がないのはわかる。わかるが、名前の話は彼にとっての逆鱗で、殴りたいのを我慢するので精一杯だった。それに構わず隣でヴァイオラが、 「セリフィアって呼びにくい……好きに呼んでいいということだし、じゃあセーラなんてどうだろう。うんうん、呼びやすいし覚えやすい」  一人で頷いて納得しているヴァイオラに、セリフィアは低い声で言った。 「…できれば他の呼び名でお願いします……」  かなりコンプレックスを刺激されてはいるものの、相手は女性だ。彼なりに必死に我慢した。そこへラクリマが悪気はないながら追い討ちをかけた。 「えっ!? セリフィアってミドルネームじゃないんですか? だって女の子の名前でしょう?」  ついにセリフィアは絶叫した。 「しょうがないでしょう! 親がつけた名前なんだから! 女の子の名前だろうがなんだろうが俺の名前はセリフィアなんだ! 俺は男なんだよっ!!」 「ごっ、ごめんなさい…私………」  ラクリマの目に大粒の涙が浮かんだ。  折りしも一同全員が目新しい人間として注目を引いていたこともあり、一人の若者が「セーラ」という名前に興味を持って近づいてきていた。彼は小さな声で呟いた。 「………なんだ男か」  セリフィアはいきなりその若者に殴りかかった。 「男の名前でいけないのかよっ!」  相手が倒れたところに馬乗りになって、ただただ殴りつづけた。鼻柱が砕ける音がしたが、彼の目には今や何も映っておらず、耳には何の音も届いていなかった。殴りつづけながら彼は叫んでいた。 「俺だって、好き好んでこの名前になったわけじゃないんだ! お前に何がわかるっていうんだっ!」  レスタトは、眼前で行われているあまりの光景に茫然としていたが、はっ、と我にかえるや、セリフィアを後ろから羽交い締めにして荒い語調で負けじと叫んだ。 「止めないか、フィア! やりすぎだ!! それに……村の中で揉めごとを起こすな! 後のち面倒ごとになる!!」  最後の言葉は本音だった。彼は思い出していた。 (村の中での喧嘩は「騒乱税」に抵触するんだ! こんなくだらないことにガラナーク国民の血税を使わせる気か!!)  一方、ヴァイオラはさりげなく野次馬の側に立って、「そこだ! 目だ、耳だ!!」などと檄を飛ばしていた。レスタトがセリフィアのことを「フィア」と呼ぶのを聞きながら、 (「フィア」っつーのもなんか女性形くさいし、まだ言いにくい。第一呪文の名前と混同しそうだ……そうだ、「セイ君」と呼ぼう) と、彼の呼び名を決めて満足した。  ゴードンはセリフィアを落ち着かせるために何かをしようと考えたが、どうも自分が口を出すと余計にもめそうなので、とりあえずレスタトの肩の上でよだれを垂らしながら昼寝を続けた。  セリフィアはレスタトに羽交い絞めにされながら、なおも相手を殴ろうとして暴れた。 「レスター! 離せ!!」 「………」  今までじっと事の成り行きを見ていたGは、「どれどれ?」と言って荒れ狂うセリフィアに近づき、正面から抱きついた。 「ん〜……うん、男性みたいですね。セリフィアさん男の子です」  そう言って、確認できたのが嬉しいのかにこにことして身体を離した。もう一声、 「さすがに常識で考えて股ぐら掴めないですからね!」  セリフィアはぱったり大人しくなった。何が起こったのかわからなかった。あまりに予想外の出来事で、おかげで頭に上っていた血もすっかり元に戻ったようだった。彼はもがくのを止め、顔を赤くして立ちつくした。にこにこしているGを正視できなかった。そのGはといえば、 「綺麗な名前だと思うけどなぁ……え〜と、大丈夫ですか?」 と、もはや意識も覚束ない若者を助け起こして、端のほうへ運んだ。 「彼、ぼこぼこみたいですけど? レスタトさん、治してあげたほうがいいんじゃないですか?」  ラクリマは恐くて泣いていたが、Gの行動にびっくりしてまず涙がとまり、続いて「治してあげたほうが…」の台詞ではっと気づいた。若者に寄って様子を診たあと、彼女は迂闊にも全員の前で「ごめんなさい」と泣きながら治癒の呪文を唱えた。 (人前で……それも一般人に軽々しく呪文を唱えるなんて……フィルシムの神殿は教育が行き届いていない)  レスタトは苦々しく思いながらラクリマを見た。  セリフィアもラクリマを見た。さっき泣かせてしまったことを思い出して、胸が痛んだ。レスタトの腕をゆるりとほどき、若者に治療を施している彼女に歩み寄った。自分の影が彼らの上に落ちて、気づいたラクリマがビクッと震えるのがわかった。怖がられてしまったようだが、致し方ない。 「あっ……その……ごめん。言い過ぎた」  セリフィアはうなだれつつ、彼女に謝った。ラクリマは、まだ怖がってはいるようだったが、「わ、私も…ごめ……な…さい」としゃくりあげながら謝罪を返した。  セリフィアはレスタトを振り返り、深々と頭を下げた。 「ごめんな。もう落ち着いた。いきなり迷惑をかけてしまった。すまない」  レスタトはやや憮然とした面持ちで、 「……僕に謝るなら筋が違う。君が謝るべきは君が殴ってしまったその人だ」  意識の戻らない若者を見やり、彼は続けた。 「君が自分の名前にひとかたならぬ思いがあることはわかった。それでも戦士ともあろう者が村人に対して暴力を振るうのは感心できない。だから君は彼に謝罪するべきだと思う」  一旦区切って、 「……自分の殻に引きこもっていた僕にも責任はある。僕も一緒に頭を下げるから……折れてくれないか、セリフィア」 と、泳ぐセリフィアの視線を捕まえて言った。まじめな顔つきで彼に対する一方、見えないところでゴードンが鎧に垂らしたよだれを懸命に拭いながら。  「森の女神」亭の主人ガギーソンが、ウェイトレスのマルガリータに命じて呼びに行かせた警備兵が現れた。3名おり、うち一名はきちんと戦士としての訓練を受けた人間のようだった。彼らはセリフィアとラクリマ、それからリーダーであるレスタトを警備室へ連行していった。  連行される前、レスタトはGを呼んで言った。 「仲間になっていただいた早々で申し訳ありませんが、この騒動の責任を取ってきます。たっぷり油を絞られることになりそうですので、すいませんがこれを連れてヴァイオラさんと一緒に部屋に戻っていてください。なんでしたら先にお休みになっていただいても結構ですので」  レスタトはゴードンをGに手渡した。それから、どことなく諦めたような、ちょっとふっきれた表情で、宿を出て行った。Gは、半泣きの様相で、ゴードンを預かった。  ヴァイオラは、一連の寸劇を眺め、腕を組んでにやにやとしていたが、事が沈静化したあたりでだれにともなく感慨深げに呟いた。 「いやぁ〜、若いっていーねぇ!」 「ホントだな。若さって金で買えねえもんかな」  たまたま隣にいたツェーレンが相づちを打った。ロビィの隊商の他の人びとは皆「森の木こり」亭に宿泊しているのだが、彼だけは早々に抜け出してこちらで酒を飲んでいたのだった。 「ま、騒ぎも収まっちまったみたいだし、飲みなおさねえか」  そう誘いをかけてきたので、ヴァイオラは喜んで誘いに乗った。  取り残されたGは、ヴァイオラがツェーレンと飲み始めたので、独りになってしまったと思った。急に心配になったのか、彼女は取り乱した様子で、ガギーソンにまくしたてた。 「みんな、何で!? どこに連れてかれちゃうんですかっ!? 何にも悪いことしてないのにっ! みんなどうなっちゃうの!? まさか殺すんじゃないよね!!」  ガギーソンは特に驚いた様子も見せずに答えた。 「大丈夫でしょう。3時間もすれば帰ってきますよ、きっと。そのころにはもう深夜ですから、部屋でお待ちください。宿の入り口は開けておきますから」  ぴよーん、くるくるくるっ、すちゃっ!  急に目を覚ましたゴードンが、Gの腕の中から3回転半ウルトラジャンプを決めると、ガギーソンの肩まで飛び移った。 「ガギーソンのおっちゃん。すまんけど警備室に掛け合ってくれん? おいらたち金ないから今仕事請け負ってるんだ。その『仕事』を強制労働と認めて欲しいってね。そうすれば依頼人は報酬を払わなくて済むし、冒険者による犯罪の解決とその抑止力にもなると思うよ? あ、依頼人はここに泊まってるディライト兄弟……『強制労働立会人』はヘルモークのおっちゃんだよ。おっちゃん、あんたなら顔広いだろ? 頼むよ、ねー、おっちゃん!」  言いながら、ゴードンはさりげなく金貨一枚をガギーソンのポケットに落とし込んだ。あまりに鮮やかな手さばきで、すぐそばにいたGにもわからないほどだった。 「頼まれれば、話は通しますが…」と、ガギーソンはゆるゆると口を開いた。「果たして『強制労働』の代わりになるか……この依頼は、村人からの依頼ではないので。」  それを聞きながらGは、涙声でぽそっと呟いた。 「だったら依頼主が労働すればいいじゃんかっ…」  ガギーソンは、 「とりあえず、話は早めに通しておいたほうがいいですね。私が、ヘルモークさんのところに行って来ましょう」 と、店をヘレンとマルガリータに任せ、自分は雪の中をヘルモークに会いに出かけた。  しばらくして戻ってきて、 「話はつけてきました。結果は明日にでも」 と、語ってくれた。  酒場で、ツェーレンの奢りで酒をかっくらっていたヴァイオラは、このあたりのこともちゃんと見ていたが、何も口出しはしなかった。彼女は干し肉をがじがじ噛みながら考えていた。 (どうせギルドに行かなきゃなんないし、みんなで2日ばかり強制労働してから森へ行ってもいいような気が……その間の宿泊代は当然村が出してくれるんだろうし。まあ、待遇は悪いだろうけどね)  警備室では、セリフィアが長々と説教をくらっていた。  レスタトは監督責任を追求され、ラクリマは「むやみに一般人に奇跡の行使をしてはならない」と基本的なことを諭されていた。  ラクリマは少なからずショックを受けた。神から与えられた力を使うのに、そのような制限があることを知らなかったのだ。涙をこぼしつつ、「申し訳ありません」とひたすら謝った。  結局、騒乱税20gpと、強制労働2週間で決着がついた。これとは別に、殴られた若者---ジェイ=リードに対する慰謝料を3gp支払った。ジェイ=リードはジェイ=リードで、争乱を引き起こしたかどで1週間の強制労働を科されるとのことだった。  店の損害がなく、器物の弁償をしないで済んだのは、不幸中の幸いだった。